1. 喪失感は、突然に
  2. #56 傷つきの発生について
2026-03-04 14:56

#56 傷つきの発生について

1ヶ月ぶりの配信 / 2月のはじめに風邪や副鼻腔炎に。今は花粉つらい / 今回のテーマは傷つきの発生について / 怒られが発生という客観的な言葉が好き / 傷つけられただと相手に焦点が向かう / 傷つきの発生なら事柄に焦点が当たる / 自分だけでシンプルに考えやすくなる / 大切なものが蔑ろにされたから傷つく / 安心できる人に話を聞いてもらうと良い / とはいえ、身近な人の言葉はやはり傷つきやすい

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喪失感は突然に、第56回目の配信です。 今回は、傷つきの発生についてお話ししたいと思います。
なんか、前回の更新から1ヶ月ちょっと経ってしまっています。
2月の初めに、風邪をひいてしまって、熱が出て咳がひどくて、病院に行ったわけなんですけども、コロナでもインフルでもなく、ただの風邪だったんです。
まあ良かったんですけど、これだったら別に病院に行かなくても良かったんじゃないかなって思わなくもなかったけど、
でもその診断をしてもらえたから、一日お休みいただいて、それで体調も良くなって、仕事に行ったわけなんですけど、
ただ、熱とか咳が治ったんだけど、この耳がなんかすごい詰まったような感じになってしまって、今度は痛くなってきちゃって、
それでジビ科に行ったら、副鼻炎ってやつになっていて、副鼻炎って私初めてなったんですけど、菌が入ってしまうとそうなって、
それで薬をいただいて、1週間ぐらいで治ったのかな。
その後に今度は働き方をちょっと変えなきゃいけないなーって時期にもなったりとかして、
で、こうわたわたしていたら今度は花粉が飛び始めて辛いみたいになって、今ここに至る。
今日もすごい花粉が強くて、もうくしゃみがほんと何度も出て、
あとはいい私がちょっと薬を飲まなかった。
その前の日雨だったじゃないですか、雨だったからそんなに強くなくて、薬飲まなくていいかと思って、
で、今日飲まなかったらやっぱり辛かった。
さっきまですごい辛かったんですけど、薬飲み始めてだいぶ落ち着いてきました。
もしかしたらまたすごいくしゃみするかもしれないけど。
ということで、久しぶりの音声配信なんですが、色々何喋ろうかなーと思ってメモはいろいろしたんですけど、
傷つきの発生についてっていう、傷つきっていう言葉が割と私は気に入っているというか、
どこから来てるかというと、数年前にTwitter、Xじゃなかったかその時は、
Twitterで怒られが発生という言葉が出てきて、すごい割と好きと思ったんですよ。
怒られって言うと本当に一言な感じで、確かに本当に自分が悪くて怒られるっていうケースはもちろんあるけど、
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そうじゃない時っていうのも仕事をしているとありませんかね、なんかそういうの。
なんか上司から今これすごい怒られているような気がするけど、
これ私だけじゃないよな、私が悪いわけじゃない気がするみたいな会議とかで、
なんか言われて謝ったりとかはするけど、なんか腑に落ちないなみたいなことってあることがあって、
その時に怒られが発生という言葉を知っていたら、
なんかすごい客観的というか、なんか今怒られが発生してるなみたいな一歩を間を置けるというか、
そんな感じで話しかけ切ったんじゃないかなと思って、冷静に。
なんかこう怒られると、私だけが悪いじゃないし、なんかすごいそういう風な言葉とかを思ってしまうけど、
怒られが発生というと、今のこの怒られは何でこうもっと冷静に考えられるっていうのを思ったら、
傷つきっていう言葉もそうなれるんじゃないかなと思って、
傷ついたとか、傷つけられたという言葉になってしまうと、なんかこうすごい自分にダメージを負ってしまう。
特にこう傷つけられたという言葉を思ってしまった時って、
なんだろうその物事ではなくて、相手に比重がいってしまって、
相手のことが嫌いになるとか、相手を責めるとか、
その本来のどういう事柄で傷ついたのかっていうとこに行かなくなってしまうニュアンスが強くなってしまうような気がするんですよ。
傷ついてしまったのは自分が弱いからだとか、だから傷つけられたんだっていう形になってしまう。
それを傷つけが発生した、傷つきの発生みたいな風に思うと、
誰が何を言ったではなくて、何という言葉に自分の傷つきがあったのかっていう風に、
焦点が当たるような感じがしたんですよね。
昔のことを振り返った時に、あれは何で嫌だったのかなみたいなことを考えた時に、
これは自分の中の傷つきが発生してしまったから嫌だったんだみたいな。
この傷つきは何だったんだろうって思った時に、傷つきが具体化されたみたいな。
以前なんですけど、何かと何かの比較みたいなのをされた時に、
要は自視と自視じゃないみたいな話の比較をして、
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こっちはこうでこっちがああだみたいな話になった時に、
なんかこれは私全然傷つきが発生しないって思った時があったんですよ。
昔だったら、そんなこと何がわかるんだみたいなことを思いがちになってしまうような内容だったんですけど、
けど、なんかこういう感じなんだなっていう風に、
全然同じ土俵にいない感じに話が聞けたのは、
なんかおそらく、例もあるのかもしれませんけど、
知らない人はこういう風に考えるんだな、違うんだけどな、みたいな感じに、
自分ごととして全く聞いてないから、おそらくその傷つきが発生していない。
何に傷つくかというのは、文脈、
それは誰かとの関係性もそうですし、どういった文脈で話をしていたかにもよると思うんですよね。
多分これが私の話をしている時に、
そういう風に自視と自視じゃないかの違いみたいなことを勝手な推測で言われて定義付けられたら、
傷つきは発生したかもしれないし、腹立ったかもしれないなっていう。
って今思ったけど、その傷つきが発生しても相手のことは腹立つね、そういえばね。
傷つけられたと変わらないかも、そういえば。
まあとはいえ、傷つけられたっていう言葉はやっぱり、
自分にとってはめんどくさいなって思うようになったんですよね。
だって話の焦点が何々っていう言葉とか出来事だったりではなくて、
誰かの方に焦点が当たってしまって、
その人の胴の甲のみたくなってしまう。
でも私の傷つきはそうではなく、
誰に何という誰がとかではなくて、
この事柄とかこの言葉が嫌だったなわけで、
それっちの方に焦点を当てる方が、
なんかこう、生きやすくなるというか、
自分だけで考えられる。
傷つけられたのられた相手っていうのは、
私自身で何か変えられるわけでもなく、
そこで嫌な言葉は残ってしまうわけだから、
延々とられたの考えをしてしまうと、
ずっとループになってしまうから、
むしろ傷つけられたって言葉を使わないく、
傷つきの発生の方が、
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なんかこうシンプルに自分だけで考えられる。
誰かに相談するにしても、
こういうことを言われたっていう風に説明もしやすい。
この間誰かに説明する時も、
こういう感じで傷つきが多分発生したと思うんですよ。
だからすごいやりづらかったと思うんですよね。
って説明がポロッと出た時に、
傷つきの発生っていう言葉はとても使いやすいなと思って、
自分にとっても、
なんと傷だってわかってるっていう理解。
傷だってわかる認識すること自体が、
まだ難しいという時期もあると思うんですよ。
真っ只中に辛いことが押し寄せてくる時っていうのは、
やっぱり傷を傷って思うこと自体が、
やはりさらに傷を深めることになると思うから、
だから何か発生してしまった時、
凍りついてしまうとかってあると思うんです。
何か言われた時とかって。
そういう時は少し落ち着いて、
いろんなことを思ったことは思ったこととして認識して、
その次に何か考える時に、
傷つけられたことではなくて、
自分の傷つきについて考えられたら、
誰が何を言ったというよりも、
何をっていう方に意識が向く。
傷つきについても、
大切なことでもあると思うんですよ。
傷つけられるのはすごく嫌だけども、
でも傷つくってことは、
自分の大切なものに内が主にされたとか、
そういったことがあるからだと思うんです。
内が主にされてしまったことっていうのは、
自分にとってすごく大切なことだと思うから、
大切なことに焦点を当てて自分で考える。
もしくは自分だけだとか、
本当に多いと思うから、
誰かに荷物を持ってもらうような感覚で、
安心できる人に話を聞いてもらう。
っていうのが良いのではないかなと、
誰かに焦点を当てるよりもね。
ただ、とはいえ、
遠い人に言われてもそんなに傷つきって実はあまりしないくて、
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わりと身近な人に言われることの方が傷ついたりするんですよね。
えーみたいな。
だからその時に、
じゃあどうするの?っていう風になると、
これは本当に難しい問題だなと。
身近な人だからこそ、
分かってほしいっていう風に思うわけで、
分かってもらえるって思ったのに、
違ってたみたいなことって、
往々にしてあることなので、
それもどこまで傷つきの発生っていう言葉でやり過ごせるか、
自分でこんなことをテーマとして喋りながらも、
微妙な時は往々にしてあるなーって。
こないだそういえばね、
お母さんにね、
なんで今さらあなた大学なんて行ってんのよとか言われたの?
いやいやいや、
お父さんが死んでしまってそれでいけなかったからじゃないかっていう、
私の気持ちはうまく言葉にできなかったんですよね。
当時のいろんな思いみたいなのが、
映像とかパーって出てきちゃって、
やや怒りもね、
ファって出そうだったんですけど、
とりあえず何も言わずに、
どうやり過ごしたか忘れちゃったぐらいだから大丈夫だったんですけど、
まずね、怒りが最初に出たのは覚えてる。
けど、
マーガでもあんまり言わなかったんですよね。
もう高齢だから、
あまり当たり前のようなことを普通に喋ったとしても、
反論されたとか、
お母さんが思ったことを言っただけなのに、
みたいなことを言われて、
話がうまくかみ合わなくなってしまうから、
グッと抑えたのは覚えてる。
でも本心としては、
大学を諦めた自分のことを分かってほしかったなっていうのが正直なところなんですけど、
もうしょうがないかって諦められるぐらいの距離感でも、
会ったのは幸いだなって感じ。
本当に身近な人に何かをこう言われるっていうのは、
ずっと大きなテーマというか、
もちろんそれは普通に生活している中でもそうだと思うし、
なので、何々されたっていうよりも、
自分の中で起きたことに焦点が出られたらいいなっていうのを、
常々思っていたいと思います。
今日はこのあたりで終わりにしたいと思います。
またねー。
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