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2023-07-24 19:36

No.272 「「学ぶべきことが多すぎて焦る」という質問を受けて」をダラダラ読む回

はい!第272回は


「学ぶべきことが多すぎて焦る」という質問を受けて

https://biochem-fan.hatenablog.com/entry/2023/01/04/202113


○○も勉強すべきですか?

https://biochem-fan.hatenablog.com/entry/20131018/1382105038


の2本の記事を読みました💁

いや〜,これはとても刺さりましたし,学問としっかり向き合った人は誰しも一度はぶつかる悩みだと勝手に思っています.そしてこれは我々エンジニアにも当てはまるお話だと思っていて,是非皆さんも一度は読んでみていただきたい記事ですー!


ではでは(=゚ω゚)ノ

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00:03
はい、7月8日土曜日ですね。
すごく朝9時37分になりました。
すいません、昨日は別の会社さんのイベントに呼ばれました。
そこで、まあ結構いい感じで楽しいお話で飲んできたので、
夜更かしをしてる前にですね、また今日も寝坊してしまったんですけど、
はい、まあやっていきたいと思います。
またですね、一つだけ自慢じゃないですけど宣伝ですが、
この朝活配信ですね、
Spotifyとか、あとApple Music PodcastとかGoogle Podcastと、
AmazonとAppleとGoogleとSpotifyか、
この4つで実はですね、アーカイブをですね、
この音声データ編集して配信をしてるんですけど、
まあそちらの方で配信を始めたところ、
マネタイズしませんか?というお話が来ましてですね、
で、ありがたくも、はい、広告を入れることになって、
で、ここから配信をずっと続けてるんですけど、
ついにですね、僕のこの朝活配信のアーカイブをPodcastで配信したら、
あの、ちゃんとお金が売り込まれるということが確定しましてですね、
ついに、ちゃんとPodcasterとしても、
プロと言えるかちょっと悩ましいですけど、
お金を稼ぐことができたっていうので、
感慨深いというか、
そういうことを別に目指してたわけじゃなかったんですけどね、
まあそういうことができるようになったので、
すごく嬉しいなっていうご報告になります。
はい、おはようございます。
耳の傷こと桑原です。
ではでは、本日は朝活を始めていきたいと思います。
本日ですけども、タイトルにあります。
学ぶべきことが多すぎて焦るという質問を受けてというお話ですね。
特に僕らエンジニアはよく感じることだと思います。
一度はみんな通る道だろうなと思っています。
エンジニアってどこまで学べばいいとか、
何をどこまで深く見えればいいかってすごく難しくですね。
深めるにしても学ぶこと多いし、
裾野を広げるって意味でも技術の幅は広いですし、
同じ分野の中でも複数の言語だったり、
複数のライブラリ、フレームワークもあって、
何をどこまで学べるかって本当に多すぎて焦るっていうのは、
本当あるなと思っているので、
その辺についてのブログなんじゃないかと。
タイトルだけしか僕見ていなくて、
今からそれを読んでいく感じですけどね。
やっていきたいなと思っております。
今日の参加者は赤神さんですね。
おはようございます。ご参加いただきありがとうございます。
今日も今からダラダラと読んでいこうと思っています。
後ほどこの記事も皆さんにツイートしますので見てみてください。
先日学部生から学ぶべきことが多すぎて焦ってしまう。
全部習得できる気がしないという相談を受けました。
もちろん試験に通って卒業するために覚えねばならぬことが
多すぎるというのではない。
ある学問分野を収めたい。
憧れの誰かのような深い理解に達したいのに
必要な知識が多すぎて手に負えないという焦りのことになります。
見上げると高い山があって、
そこまでどう登ったらよいのかは見当がつかない。
そもそも頂上にたどり着けるのかどうかもわからないという気持ちになります。
自分も学部生の頃、同じような気がせく感覚に悩まされていたなと思い出すとともに
そういう情熱を持つ学生が今もいるということを嬉しく思います。
この感覚をもっと身近な場合に当てはめて分析をしてみようと思います。
例えば、漫画やライトノベルには期間30巻といった作品も少なくありません。
とても最新話に追いつける気がしないから手を出すのはやめておこう
03:02
という判断をする人もいらっしゃいます。
追いつける気がしないのは、期間を揃えるのにお金がかかるし
読むのに時間がかかるからでありましょう。
しかしこれは金銭的、時間的な、いわば資源の問題であって
その気になれば解決することができます。
その上、コンテンツを提供する側も新規のファンを獲得しなければならないから
アニメ全話1週間無料とか、一度だけ全話読み放題といったキャンペーンを
時々行って手軽に追いつける近道を用意したりします。
したがって、どうしてもたどり着けないという絶望感は実はないんですよ。
もっと似ているのは、そういう作品の子さんファンが原作を通して読んだくらいではわからない
うんちくを知り尽くしていることに感じる嫉妬の混ざった絶望感でしょう。
子さんの書いた解説を読んで、なるほどと、面白いとは思いますが
自分に、同時にですね、それに気づかなかったということも突きつけられます。
すでに消えてしまったネットミームが参照されていて
今では確認しようがないということもあります。
子さんファンは書いていることの何倍も知識を持っているはずで
その水準にはいつまでたってもたどり着けないという絶望感も覚えます。
結構技術と学習に対してもそれに近しいものはありそうですね。
私は高校生から学部生にかけて有機化学美術館という面白い文章を紹介するサイトを愛読していて
新しいページが追加されるごとにその内容を楽しみつつ頭に入れておりました。
しかしここに載るようなことを全部知るためには
どういう本を読んで勉強したらいいんでしょうと思い
そんな教科書も方法もないと気づいて絶望したことがあります。
私はその頃有機化学や全合成や天然物科学の本を読みなさっていたので
掲載されていたネタの中にはすでに知っているものもあったし
紹介された文章のもっと詳しい情報に他の本で巡りがあったということもあります。
しかしサイトの著者が知っている科学知識の全部を習得するには
いくら本を読んでも不可能なんです。
著者の方が何歳も年上だから経験豊富であるとか
自分が学ぶ間に著者はさらに前に進むといったこと以前に
著者の知識は著者のこれまでの学問人生全ての集大成であって
数冊の教科書どころか数百の論文として参考文献を列挙してもらって
読者が読破したところで複製できるようなものではないからになります。
その上、何かを知っていることと
それに自分で気づく能力があるかというのは別になります。
学問でしばしば重要になることは
一見別項に見える二つの概念に関係があると気づくことになります。
単なる事実の列挙に過ぎなかったものが
共通の法則によって支配されていることに気づいたり
この気づきを利用して問題を解いたりできます。
憧れの人が色々な問題を鮮やかに解いたり
面白い関係性を紹介してくれるのを見て
解法や結果を覚えたとしても
そういった気づきに至る能力はやすらすとは習得できません。
その習得方法は知識の獲得法以上に曖昧になります。
お気に入りの作家の全作品を読んでも
せいぜい文体を真似するのが精一杯であって
同じ品質の小説を書けるようにはなるまいと。
06:03
残念ながら他社の10年20年に渡る経験を
複製・クローンすることはできません。
究極的に俗人的なものになります。
その経験を追体験するのに時間がかかるだけではなく
周囲の状況も変わっているからになります。
15年前に流行したアニメを今初めて見るのと
当時の流行の中で体験するのとでは感じるものが変わります。
あちこちのウェブサイトが考察や二次操作を書き散らしていた熱狂
あるいは新アニメのダンスが日本国内の文化祭で踊られたどころか
外国の刑務所の運動にさえ使われていたという
あの時の奇妙な感覚を今になって再現するのは難しい。
ちなみに余談ですけどこれ
アメリカの刑務所でやってたらしいですね。
晴れ晴れ浴会だっけ?
何のアニメだったかちょっと忘れましたけど
その当時めちゃめちゃ流行ったやつが
本当にYouTubeとかTwitterで流れてたんですよね。
びっくりしましたね。
本当に刑務所の人たちが
本当にガチの服装でやってたりして
それだけの熱狂はすごかったっていうのは
僕も今覚えてますね。
はい、すいません。余談でした。
それと同じで
憧れの人がABCDという経験や知識を持っているからと
その真似をしても
同じ知識を身につけて
同じ経験をすることはできません。
同じ教科書を使って勉強したとしても
自分が習得したAは
A'という部分集合に化けていて
Aほど深い理解ではないかもしれません。
2000年代にキャンブリッジで留学したという経験Bを
追って
2020年代にキャンブリッジへ留学して経験βを積んでも
両者には共通する点もあろうが
異なる点も多くあるでしょう。
英国の街は見かけごそくあまり変わりませんが
大学の制度や人は入れ替わります。
大して興味もないが
義理で出席したセミナーで聞いた話が
記憶に積み重なって
何かの閃きに繋がることもあります。
そういう体験を逐一再現するということは
まあ不可能になります。
このため
憧れの人になることは決してできません。
どう頑張ってもどう焦ってもできません。
しかしこの不可能性は
必ずしも絶望を意味することではありません。
憧れの人が
ABCDという経験や知識によって世界を見て
気づきを得て問題を解くように
自分は
A-βEFといったそれとは異なった経験や背景に基づいて
世界を見るようになっているはずになります。
そして
ふと憧れの人とは異なる頂きに立っている
ことに気づきます。
そうなったとき
どちらが上とか下ではなく
対等な関係で学問に取り組めるようになり
焦りも絶望も消えるのであります。
憧れの人は依然として憧れの人のままであり
自分の知らない素敵なことをたくさん知って
興味深い経験を積み重ねています。
けれども自分もまた素敵なことをたくさん知っています。
他人になろうとして
他人の知識や経験を知っても
せんなきことになります。
一方で
せんだつは自分の経験や物の見方を文章にしておくことが
講師に対する貢献になろうと。
文章によって経験を複製することは不可能であるが
何もないよりは遥かにマシである。
私がこの文章を書いているのも
09:01
そういう一歩になります。
自分が学部生のときに感じた焦りというのは
20年近くを経るうちに消化され
もはや焦りではなくなりました。
その20年間の経験のうち
何が焦りへの治療として効いたのか
少数の出来事というよりは
複数の経験の総合として
考えが変わってきている。
したがってこう考えたら焦りが消えるという
処方箋を書き下すことはできないんですけど
こういう変化があったと記述しておくことが
誰かの役に立てば幸いです。
補足として競技プログラミングとか
ゲームのように同じ基準の下で
優越を競う分野の場合にどうなのか
自分はこれらの他人を
嫉妬したり絶望するほど本気になって
打ち込んだことがないから正直言うと分かりません。
はい。追記がありますね。
学問が進歩し人類の知識は増えているのに
個人の寿命は伸びていないから
一つの学問を収めるのは
ますます時間的に難しくなるのではないか
という意見を複数人からいただきました。
それについては別記事で触れるつもりだが
差し当たってTwitterでの返事を貼っておきます。
それからある学問を収めるためには
〇〇を理解していなければならない
といった考え方をしている人には
2013年に書いた
〇〇も勉強すべきですか?
という記事も推奨します。
というところで締められた通りに言いました。
はい。
ちなみにそのTwitterの返信を
軽く一言だけ書いてあったので
それもちょっと読みたいと思いますけど
憧れの人と同じ頂点に立つことはできないけれども
いずれは別の頂に立つことができるというのは同感です。
しかしながら人類の知恵は増え続けているのに
それを学ぶ人間の寿命や何やらは
あまり伸びていないのでは
後進はどうしたって人生が足りなくなるのでは
と思ってしまったりするというのが
まずこの記事を読んだ人のツイートですね。
それに対して回答されているのが
それは一理あるんですが
昔は雑多な記述の集合だったものが
統一的な理論のもとに整理されたり
かつてはけんけんの議論の対象だったものが
今となっては結論だけ知っていれば足りることになっていたりするので
それほど大変にはなっていないというような気もします。
はいはい。なるほどですね。
これは確かにあるかもしれないと言いました。
はい。というところで
もう一個の記事ですね。
〇〇も勉強すべきですか?
記事もあるんですけど
これも短いのでこれも読んでしまいましょうかね。ついでに。
あと10分くらいなんで。すいません。
では読んでいきたいと思います。
〇〇も勉強すべきですか?というところですけど
The Anatomy of Successful Computational Biology Softwareというような講義があって
そこで紹介されていたものですけども
バイオインフォマティクスの有名ツールの開発者へのインタビュー集になります。
オープンアクセスなので一読されたいというところで
この記事もちゃんとリンクされてますので見てみてください。
プログラムが成功するための秘訣とか
他の分野のプログラミングとの違い
生物学者がプログラミングをどう学ぶべきかどうか
などの点についていろいろ意見が述べられています。
講義でも生物学者はコンピュテーショナルバイオロジー的手法を学ぶべきかという話題が出されまして
10分ほどの討論がありました。
コンピュテーショナルバイオロジーのコースなのだから
当然みんながはいと答えたかというと
実はそうでもなくて
生物学者が自力で情報学的な手法を使えるように勉強するよりも
12:04
専門家と協力することを学ぶ方が大事だという風な意見も出ました。
これはそうかもしれないですね。
うなるな。
ただ最近の自分は
生物学者は○○
例えば科学とかプログラミングとか数学とかも学ぶべきか
という質問は嫌いになりつつあります。
すべきだからするのではなくて
面白そうだからやる
ブラックボックスの中身が知りたいから学んでみる
って風じゃないと結局ダメだなと思います。
これは僕もすごく痛感するし
僕も大学時代に教授に言われましたね。
僕は数学やってて
数学好きでやってたんですけど
研究したり教授とやり取りする中で
一時期苦痛でやったり
数学学ぶことは楽しくなくなったんですけど
その時に教授に同じことを言われたんですよね。
楽しいからやるじゃダメなんですか?
って一言言われたんですけど
これ本当に僕
鷹が外れたというか
すごく嬉しかったんですよね。
自分が修士に進むという
学問の道に自分から足を踏み入れたんだからこそ
しっかりやらなきゃいけないとか
数学付けにならなきゃいけないとか
結果をしっかり残さなきゃいけないというような
脅迫観念があってですね。
もちろん結果を出すのはその通りだと思いますし
お金を自分で払ってるわけじゃなくて
結局親から払っていただいたので
一定の修士という結果をですね
修士号を取らなきゃいけないというのはもちろんあるんですけど
とはいえ
学問の世界っていうのは
他のゲームとかエンタメとかと同じように
楽しいとか好きだからやる
で全然いいはずなんですよ本来は
っていうのを改めて気づかされた一言だったので
これ僕もすごく共感しますね。
はい。
だから何かすべきだから
何しなきゃいけないから学ぶっていうのは
やっぱ学問の世界でも同じで
大変というか深みが出たくなると思うんですよね。
やっぱ好きだからやってる人
夢中になってる人には勝てないんですよね。
っていうのは正直思いました。
はい余談でしたね。
だから○○を知っていると
より深く生物を理解できますか?と問うならまだわかります。
ただこの質問は○○の部分が何が何であったとしても
はいと答えることになるでしょう。
結局○○学というのは
人間が勝手に自然に入れた境界線であって
本当は何もかもが関連しあっているからです。
脱線になるが私はこの手の関連を引き出すのが得意で
新たに知り合った相手が何を専門としていたとしても
生物化とか科学とか自分の得意分野につなげて
あなたが今おっしゃった○○というものは
最近では××という面から
私の専門領域でも話題になっているんですよ
と話を広げていくのが好きです。
話を元に戻すと
○○を学ぶべきでしょうか?という質問の背景には
これからの時代
○○も知ってないと生き残れないですか?
知ってた方が有利ですか?という下心とか
出身者の生存率を上げるために
我が学部でも○○を家庭に組み込むべきか?
といった政治的意図が見え隠れすることが多い。
そういうのはいかにも大人的でおぞましい感じがします。
動機が不純であると。
そう感じるのは自分があまりにもネイティブであると
言ってしまえばそこまでですけども。
年配の先生に対する
若い頃、もっと学んでおけばよかったと思うことはありますか?
というインタビューを読むのは好きだけど
15:00
あくまで個人的な経験
大げさに言えば人生観を問う質問として
受け止めています。というように締められました。
はい、いかがだったでしょうか。
とても、僕はそのとおりとにかく共感が多かったし
このフィッシャーの方も
どっちかというとアカデミック教える側の立場の人っぽいような
文面だったなと、文体だったと思いますけども
まあでも
この人も同じ悩みに一度ぶち当たって
この人なりの答えを出してっていうのだと思うんで
いやーなかなか
こればっかりはもう
どう言葉を出してもどう教えたとしても
本人が自分の答えを見つけるしかないんですよね
で、焦るのは別に僕悪いとは思ってないです
焦ってもいいと思います
ただ焦りすぎて自分を壊すことだけは
本当に気をつけていただきたいなと思いますし
上には上がいるって言葉があるんですけど
あれは本当その通りだと思います
やっぱ天才だったり
どうしたって頭の作りが違う方っていうのは
先天的に違う方っていらっしゃって
そういう方は複数のことを深く学ばれるような方も
全然いらっしゃると思うんですよね
それはさすがにかなわんっていうのは
僕ももう今36歳ですけど
大学院修士まで行って
僕は博士行かなかったんですけど
ちょっと思いました
博士行かなかったのも
人生が見えてきたっていうか
研究者として人生どうやって生きていくのかなっていうのが
もうざっくり見えたんですよね
僕はそこに対して面白みがなかったので
違う道を進んだったんです
学問の世界もすごく楽しくて
その宇宙大の学問の世界でずっと没頭していくって
自分の中で円溜めで人生終わるみたいな感じですけど
それはそれですごく楽しいことだと思ったんですけど
毎日大学院とか学問のアカデミックの場所に行ったりとか
研究機関に行ってガリガリやって
家に帰るという生活が逆にと見えてしまってるんですね
それは僕はなんか人生
せっかくこの世界に生まれてきて
もったいないというか面白くなかったと思ったので
外に出たんですけど
もう一個若干思ったのは
僕はこの世界で戦えないと思っちゃったんですよね
それは先ほど言った通り
上には上がいるという言葉の通りで
本当にマッチする人とか
違う学問の分野に行ったら
自分も活躍できるチャンスはあったかもしれないですけど
それでもやっぱりこの世界
いわゆるアカデミックな世界っていうのの
片鱗を見た時に
僕はちょっと厳しいなって正直感じてしまったんですよね
厳しいからじゃあ何をするかというと
別の世界に行ったんですけど
僕それでもですね
社会人になってるんですけど
たまに僕なんだかんだ数学の書籍読むんですよね
だから数学の問題をたまに解いたりします
解析学が本当に大好きで
分かるか分かんないですけど
複層解析が好きなんですよ
挙数iがあるじゃないですか
複層数を扱う一文やないんですけど
その中で僕はリーマンゼータが好きで
今は何言ってもリーマンゼータ
リーマン予想解かれてないんですけど
そのリーマン予想に関する論文
たまに読んだりとか
久しぶりに複層解析の研究するかみたいな
やってますけど
こういうので僕全然いいと思うんですけどね
でもこういうことをやってると
他の人からすると知らないことをやってて
一定の評価もらったりとか
自分もそういう世界に行きたかったみたいな話
たまに言ったりするんですよね
数学がやっぱり好きだったんだけど
たどり着けなかったみたいなのがあって
優劣を決めたいわけではないんですけど
その代わり僕が持ってないものは
あなたが持ってますよね
すごく感じるんですし
18:00
時代が違ったり
その時代一番ホットな時に
自分もその世界に乗りたかったって
あるかもしれないですけど
逆に今僕が若い方たちと
今の環境下で技術とか
いろんな学問を勉強したりすると
僕は若い方たちに勝てない気がすごくしますね
やっぱ思考プロセスっていうのかな
物の見方がやっぱり環境が違うと
全然変わってくるので
今の若い方たちの
今の学問
今の時代をしっかり生きてる方の
受け止め方とか見てるものは
僕らはもう多分インストールできないと思うんですよ
ニセかけの
似たものをインストールすることができても
やっぱ多分違うものがあるので
だから逆に若い方たちの
どういうものを見てますとか
発想力って今
社会ではすごく大事になってくるので
焦るという今回の記事の
本題とちょっとずれますけども
別に他の人と比較しても
線はないし
あなたたちの魅力と能力って
今すごく求められてるよ
これいつの時代も一緒だと思うので
今自分が興味あることとか
焦るのは仕方ないと思いますけど
でも今僕はこれを学びたいとか
僕はこれが好きなんだっていうものに
注力していくのが全然いいんじゃないかな
と思ったりはしました
というところで
本記事はここで締めたいと思います
土曜日の朝からご参加いただきありがとうございました
本日参加者は赤神さんと
ケンジさんと
陽平さんですね
お久しぶりです
ご参加いただきありがとうございました
明日はまたなんか
別の記事で読んでいきたいと思いますけども
明日寝坊する可能性がまたありますけど
ご容赦いただければ幸いです
では土曜日ですね
ゆっくり休んでいただいて
また明日の休みですね
のんびり過ごしていただければなと思います
それでは終了したいと思います
お疲れ様でした
19:36

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