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2023-02-02 14:24

Season -No.165 朝活「続・Creative Considerations For Generative Art Collections」をダラダラ読む会

はい.第165回は前回に引き続き


Creative Considerations For Generative Art Collections
https://www.fxhash.xyz/article/creative-considerations-for-generative-art-collections


を読んでいきました💁

今回のパートもとても興味深い問が多く,考えてなかったものばかりでしたので,どこかで時間取って考えてみても良さそうです!


ではでは(=゚ω゚)ノ


  • creative coding
  • Generative Art
  • Considerations

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00:06
はい、1月29日、日曜日ですね。ここは朝9時を回りました。
本日も、東京はいい天気ですね。ちょっと寒いは寒いんですけども、
これから2月に入ってくるので、もうちょっと寒くなってくるんだろうなと思います。
はい、おはようございます。ひめめのきーずくどくわはらです。
では本日も朝活を始めていきたいと思います。
はい、じゃあ本日は、昨日に引き続きですね、タイトルにある記事ですけど、
Creative Considerations For Generative Art Collectionsという記事を読んでいこうかなと思っております。
いわゆるタイトルにありますけど、ジェネラティブアートに関する考察の記事ですので、
まあ、のんびりやっていけたらなと思っております。
OK、じゃあ早速始めていきましょう。
前回、昨日前半ですね、3分の1ぐらい、4分の2、半分はいない気がしますけど、
5分の2ぐらい読んだ気がするので、今日は残りの部分、読み切れたりも切っていきたいと思います。
はい、じゃあ今日は、Considerations on Concepts and Explainabilityですね。
はい、コンセプトと説明力についての考察のところを入っていきたいと思います。
グラフィックデザインにおいて、モノクロでデザインされたロゴっていうのは、
ほとんどの場合、カラーで表現したときにもうまく機能しますと。
しかし、カラーでデザインされたロゴというのは、白黒にすると、
ジェネラティブアートに取り組むときは、私は子守唄のようなシンプルさと同等の、
書くとなるモチーフっていうのはシンプルであることが多いんですけど、
数のように様々なレベルの複雑さを追求することができ、
その中にはまだ認識可能なものがあります。
これには信頼できる有用な考察があるというふうに思っていますと。
そんな考え方はちょっとしたことがなかったので、これすごく参考になりますね。
では続けていきます。
また、好きだから、思いついたから、これだと思ったから、
C的にモノを作ることももちろんありますと。
多くのデザイン教育では、このような決定に対して説明を求めますが、
そうしないと、学術的または芸術的に見えないという恐れから、
自分の作品を表現するために、成功な文脈を説明または作成しなければならない、
ような感覚に陥ってしまうことがあります。
しかし、ジェネラティブアートの領域では、
デザイン上の決断はある文脈で正当化されるべきであると私は考えていますと。
以下は、私が自分のコレクションについて語ることと、
実際に感じていることが一致しているかどうかをテストするために、
自分自身に問いかけている質問ですよと。
こうすることで、プロジェクトの背後にある私の考えを説明しやすくなるだけでなく、
認知的不況は感情なども軽減されますよということでした。
偽物症候群という言葉があったんです。僕は初めて知りました。
それについての質問がバーッと並びられるので、その問いを読んでいきましょうか。
どんな問いを自分に投げるかというと、
コレクションに対するアーティストの意図というのは説明を必要とせずに伝えられるでしょうか?
インテレーションというのは物語的な文脈の中で説明される必要があるのか、
それともそのままの形で問題ないのか?
鑑賞者やコレクターは理解してくれるだろうか?
もちろん理解するものがない作品を作ることも全く問題ではありません。
コレクションがある地点に到達した後、私は定義、ストーリー、物語を適用しているのか?
それともこれは常に意図されたことなのか?
全てのコレクションにストーリーや理由が必要なのでしょうか?
03:02
なければいいというわけではないし、サボりたいわけではないですけど、
果たして本当にマストなんでしょうか?
コレクターや見る人が私のコンセプトを理解するのに、
あまりに一生懸命にならざるを得ないのでしょうか?
私は自分のコンセプトを正当化しようとしすぎていないだろうか?
私は納得しているでしょうか?
これもいいですね。
自分自身が自分の作品に対して納得をしているかって結構大事ですよね。
私のコンセプトは無理なく機能しているのだろうか?
最後もう一個だけ質問がありますね。
そうでなければ自分のコンセプトを無理なく実現する方法を見つけられるか?
どうすれば洗練されるのか?というところですね。
この洗練されるというところがたぶん自分の芸術に関する
アートの根を広げるというところに入ってくると思いますね。
地表に出ているものっていうのは花みたいなもので、
ほんとその一部でしかないというか、
いろんな根を張った結果生まれる花ですからね。
その根を張るところなんだと思います。
私はスペッザトゥラっていう単語があるんですね。
どういう意味かちょっとわからないですけど、スペッザトゥラっていう単語ですね。
つまり何かをシンプルかつ簡単に見せること。
外側の荒を取り除き複雑さをアエスザティックスね。
アエスザティックスというものかアースザティックスというものか
ちょっと僕が英単語わからないんですけど行きたいと思います。
美学についての考察ですね。
グラフィックデザイナーの経験から言うと美学というテーマは
特にアーティストの作品群に関連していて興味深いものになりますと。
例えばアーティストとして他人が自分のスタイルや美学を
どう認識しているかを意識していないことがあります。
認識をしないことがあるんですね。
また自分のスタイルを完璧に意識している場合もありますが
これはもろはの剣になりかねませんと。
他人が期待していると思われるものに囚われてしまったりとか
その美学にさらに磨きをかけようとすると
その後の作品が派生的で無理矢理なものに感じられることがありますと。
この2つがそのもろはの剣になる理由ですよと。
ブランドの場合、デザイナーの仕事というのは
企業とそれを取り巻く人々の間に一貫して
認識可能な言語や雰囲気を作り出すことになります。
そのために時には文字の感覚に至るまで
詳細でフォーカス的なドキュメントを作成して
企業のメッセージを解釈しやすくし
競合するブランドアイデンティティの海から
明確に認識されるような企業イメージを作る必要がありますよということですね。
ブランドとかロゴとかのデザイナーって
その辺しっかりやらなきゃいけないから
かなり大変なエネルギーもいるんだろうなと思いますね。
特に今は会社の数もたくさん出てきますし
被っちゃダメですからね、基本的には。
被ったら基本パクリと言われても仕方がないので
どう差別化を図るかというと
かなりハードルがこの先も上がっていくんだろうなという感触はありますけどね。
続けていきます。
例えば私たちがピカソを欲しいと思うのは
ピカソとはどんなものかという期待やスキーマを
集合的に確立しているからかもしれません。
しかしピカソの作品の中には
ピカソらしさが十分ではないために
他の作品よりも売れにくいものがたくさんあるのではないでしょうか。
そのため認知度と美的感覚とのバランスを取るのが難しいのです。
私は特定のパレットの選択を除けば
固定した美学は持っていないと感じます。
06:00
私の作品に一貫性があるとすれば
それは意図的な様式美というよりも
デザイン哲学や製作に対するアプローチから来るものです。
そうすることで必ずしも特定の美学的な道に
縛られたり期待されたりすることなく
一貫性を求める欲求を満たすことができるんですよと。
最終的にこれに対する答えはありませんが
自分の美学を意識しながらも
それによってクリエイティビティが阻害されように
注意することは考える価値があることともいいます。
私自身驚きと感動を与えつつ
ある種の期待を新しさを持って提供し続けるには
どうしたらよいかと自問することになります。
だから結局どんなデザイナーさんも
アーティストの方もそうですけど
ひたすら追求する道はずっとは
止まらないというか終わらないんだろうなと感じました。
でもそれをしっかり追求し続けるというところに
そのアーティストとしての醍醐味であったりとか
価値というかその人の魅力というのが生まれてくるのか
というのもちょっと思いますね。
まあ何か分かったようで分かってないですけど
僕もまだそのアーティストの全然駆け出しですので
この域に達した方の言葉ってやっぱり重みがあるんだな
とすごく感じます。
はいじゃあすいません戻りますね。
じゃあ続いていきます。
有名な映画シリーズの作品を見るとき
私たちは通常その世界のルールと
どんな要素を期待するかというのを意識しています。
もしテンプレートが十分に確立されていたり
強固であれば観客が十分な新しさを提供しつつ
シリーズの作品として健康であると感じるような方法で
これらのルールを曲げたり壊したりすることが
可能になりますよということですね。
ちょっと日本語難しいな。
もう一回読みますね。
しかしそのような作品では
観客は名ばかりのシリーズ作品と感じてしまいます。
そんなわけでいくつか考えてみましたと。
ちょっとわからなかった。
朝一だけど日本語難しかったですね。
いろんな問いをちょっと考えてみたというので
それも見てみましょうか。
コレクターはそもそも何を見たいんだろうか。
コレクターの期待にどれだけ応えられたか。
どの程度デザイン上の決断に反映させているだろうか。
以前の成功や期待される美学を
この製品で再現しようとしているか。
どうすれば彼らの期待を超えることができるだろうか。
もしあるとすればどの程度の新しさを
取り入れるべきか取り入れることができるだろうか。
観察者を喜ばせ驚かせ報えることができるような
さりげない方法はないだろうかと。
こんな問いを自分に投げているそうですね。
見る側としては見る側で勝手に解釈する
っていう風に僕にも受け取ったんですけど
それで合っているのかな。
そんなことは確かにできてしまうし
そのルールを壊すことは確かにできるんだろうなと思うので
ここは難しい話ですね。
続けてスタイルや一貫性に関する美学の問題とは別々に
個々のコレクションに関する美学を考慮する必要があります。
Generative Artの不思議なところは
変数に少し手を加えたり
ユニークな入力を導入することで
結果が全く異なるものになることです。
しかしアルゴリズムにどれだけの自由度を
与えることができるのかという疑問が生じます。
この場合私たちアーティストには
ある程度カオスをキュレーションし
特定の微的範囲にアウトプットを限定することができます。
しかしその範囲内であっても
どの時点である出力がもはやその
コレクションに属さないように見えるのでしょうか。
アルゴリズムにハードコードされた
最初のキュレーションから
09:00
ユニークな迷子の出力が逃げ出すことは
珍しいことではありません。
アルゴリズムでハードコード
あんまハードコードしたくはないですけど
することもよくありますし
スタートの時に作る時にはハードコードしますからね。
この問いをちゃんと投げ続けるのも
いい話だと思いますね。
しかしコレクターの視点から見ると
コレクション内の微的出力のギャップが
大きすぎる場合
コンセプトや微的重複というのが
あったわけではない限りコレクションは
流通市場で分裂し
一つまたはいくつかの出力タイプが
他を圧倒してしまうことがあります。
これは一見コレクション全体を語るかのような
フロアプライスにつながりますが
むしろ神秘的な相違の結果を
反映しているのであります。
このため開発中にこのようなことが
起こった場合別のコレクションを作成する方が
リリースに適しているかどうかを
検討する価値がありますよと。
もちろん微的な違いがコレクションの物語に
不可欠であるか
意図的である場合は除きます。
逆に非常に異なるが
識別可能な出力のカテゴリーを含む
コレクションというのは時にコレクターに
各タイプの属性を入手したいと
思わせることがありこれも設計段階での
有益な検討事項となります。
収集家がコレクターが
望ましい出力と望ましくない出力の間に
ギャップがあると認識した場合
望ましい出力のほとんどが得られると
収集はエネルギーを失い
失速してしまう可能性があります。
あるいは
収集家というのは
一般的なまたは通常の出力というのは
特別なものとあまり変わらず
より多くの作品と類似点を共有するだけで
全体的にまだ神秘的に楽しいんですよと。
逆にあまりにも似通った
あるいは一貫しすぎた作品というのは
エネルギー不足に落ちる可能性があります。
もちろんこれは
コレクションによって異なりますが
有用な考慮事項ですね。
そういう得意性というんですかね。
いわゆる一般的なものとの
差別化を図るというのも結構
難しいところだし、そのバランスは大事なんだろうなと思いますね。
だから時にはでも
そういう一般的なというところを観点に
デザインしたり作品を作るのも
一つありなんだよということですよね。
それについていろんな問いを書かれていますけど
これらの美学に対する
私の直感的な反応は何なんでしょうか。
どの出力がもしあれば
最も私の心に
響いたか、そしてその理由は何でしょうか。
私のパレットの色は
何らかの方法、システム、調和だなどを
使って選ばれたんでしょうか。
私が作成したパレットは将来のコレクション
より大きな作品具、このような文脈の中で
効果的に機能するのに
十分強固なものであるでしょうか。
アウトプットに一貫性を
持たせるために実装または
修正できるデザインシステム
というのがあるでしょうか。
あー、でも僕自分の作品に
デザインシステムなんか作ったこと一回もないですね。
あー、でもこれあったらいいかもしれないですね。
自分の中でのカラーパレットとか
カラーバリエーションだったりとか、シェイプの
オブジェクトの形とか
それの作り方みたいなですね、
デザインシステムがあった方が確かにいいかもしれないですね。
12:00
私の色の選択っていうのは
ランダム性や多様性が
導入されても調和が保たれているでしょうか。
一つのルールを
追加、微調整、修正することで
デザインや美学を反復したり
印刷したりすることができるでしょうか。
例えば色形、比率、
回転、透明度、スケーリングなどですね。
色の調和、不調和というのは
個々のインタラクションやコレクション全体を
強調するために想像的に使うことができるでしょうか。
コレクションはプロット可能か
もしそうならば、それによって
私のデザイン手法はどのように変わるのでしょうか。
またこれは印刷できるでしょうか。
その場合、印刷したときに作品はどのように見えるでしょうか。
これは主に
スクリーン上や展示会、メタバースで展示するために
デザインされたものでしょうか。
印刷されたときの出力を強化または変更するような
特定のタイプの紙や
印刷技術はありますでしょうか。
コレクションに後処理が加えられているでしょうか。
後処理が加えられている場合、
それは最初から移動されていたのか
それとも後から決定されたものでしょうか。
後処理というのは微的傾向に
合わせたいという願望から適用されているのか
それとも最終的なアウトプットの
全体的な外観や雰囲気に不可欠なものでしょうか。
ポスト処理されていない
プレーンな出力というのは
最終的に満足できるものですか。
それとも未完成に見えますか。
以上の問いがいろいろ投げられていました。
印刷とか実際にどう見えているとか
それをどう加工もしくは強化したり
変更したりすることができるとか
というお話もあって
実質に即した観点の質問が今回多かったんですね。
これはこれで考えたことなかったので
結構大事かもしれないですね。
続いてのセクションに
行きたいんですが
次が終わりになるが
たぶんすごい中途半端になってしまって
中の区切りが悪くなるので
今日はちょっと短いですが
ここで終わりにしたいなと思います。
2回に渡ると思ったけど3回に渡ってしまいましたね。
それくらい結構長かったんですけど
一個一個すごく興味深い問いがいっぱい投げられていたので
これについてまた
自分の中で咀嚼したり
吟味してみたいなと思いました。
というところで今日はこれで朝活を終了したいと思います。
日曜日ですね。
しっかり休んでいただいて
明日から月曜日ですね。
一週間頑張っていけるように影響を養っていきたいなと思います。
またもう月末ですね。
早くも。もう2023年1月終わっちゃうんですね。
いや早すぎますね。
年々早く感じているのは
年のせいだと思いますけど
しっかりまた今年も
頑張っていけたらと思います。
1月どうだったのかというのも
振り返りのしつつまた頑張っていけたらと思います。
じゃあ朝活終了したいと思います。
お疲れ様でした。
14:24

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