価値の再評価
はい、こんにちは、清鷹です。今日はですね、何もしなくても価値はあるというお話をしてみたいと思います。
久しぶりのですね、発信、配信になりました。ちょっと3日間空いちゃったんですよね。
だけど、特に何かがあったわけでもなく、まあ確かに色々外に出てたりとかいうことはあったんですけれども、
まあそれでその、配信が止まるっていうようなほどですね、大きなトピックでもないんですよね。
なんとなく止まっちゃったっていう感じなんですよ。
なので、今日が259回ですか、259回以上続けてきて、
なんかちょっとこう、エアポケットに落ちたっていう感じなのかなと思うんですよね。
だけども、出さなきゃ出さなきゃみたいなことでもなくてですね、
まあ淡々と、今日も配信ができなかったな、今日も配信ができなかったな、今日も配信ができなかったな、みたいなことの積み重ねではあってですね、
焦りとかなんか義務感みたいなものも特になくって、
まあそういう意味ではですね、これ三日坊主。
配信をやめることについての三日坊主。逆三日坊主ですかね。
続いてたやつが三日間止まってですね、また再開をしたみたいなそんな感じなんですけど、
逆三日坊主になってたっていうところなのかもしれないですね。
だけどこの間ですね、僕が感じてたことは、確かに配信をですね、毎日、ほぼ毎日やっていくっていうことはですね、
自信にもなりますし、なんていうのかな、自分の過程にもなりますし、やる気のもとにもなりますし、
いろいろなプラスの効果を生むっていうことはそうなんですけども、
そしたら逆にそれが途切れてしまったとき、できなくなってしまったときに、
価値がないのかと言われるとですね、そうではないんだろうなというふうに思うんですよね。
世間ではですね、やることに対しての価値とかですね、やり続けることに対しては価値があるみたいなことが世間一般なんですけども、
生きることの意味
だし、僕もそういうふうに思う傾向っていうのは多いんですけども、
何もしていなくてもですね、できなくてもですね、それはそれで価値があることなんだろうなというふうに思うわけなんですよ。
これはよくは、ドゥイングなのかビーングなのかみたいな、そういうふうにも言われますよね。
配信を続けること、配信をすること、ドゥイング、やっていることについてはですね、価値があると。
それはそうですよ、と。もちろんそうでしょうよと。
だけど、できなかったこと、やらなかったこと、挫折したこと、別にそれでもですね、自分としては自分で存在をするわけなんで、それはビーングなんですよね。
その自分の存在そのものが価値がですね、既存されるとか価値をなくすとか、そういうものでは決してないんだろうなということなんですよね。
この配信を止めてたわけでもないんですけどね、だけども何かしなければみたいな、そういう焦りみたいなものはですね、なくですね。
というか、そういう焦りを感じないようなというか、そういう焦らなくてもいいというですね、そういう見方、そういう発想をですね、しなくてもいい訓練というふうになったのかなというふうには思うんですよね。
なんかすいません、ややこしいことを言っているかもしれないんですけど。
要はですね、生きているだけで丸儲けということですよ。
アカシア様さんがよく言われますけど、別に何もしなくったってですね、生きていたらもうそれで十分なんだと、十分価値があるんだというその原点に立ち返るというか、
むしろそのやることの価値っていうのは、それはあるのはわかったと。
だけども、そうでない価値もあるぞということをですね、気づかせてくれるような、そういう時間に、僕的にはですね、そういう時間になったのかなということでございます。
はい、ということでですね、今日は何もしなくても価値はあるということをですね、お話をさせていただきました。
それではまた次回お耳にかかりたいと思います。さよなら。