思考の喫茶店へようこそ。
ここは、店長のつじり犬と愉快な仲間たちが、お客様と一緒に自分の思考を深めていく喫茶店です。
じゃあ、こばちゃんはある意味、今幸せってことですかね?
幸せだけど、やっぱりその、まだ求めて、何かを求め続けている自分もいるっていうところは、
さっき言ったような、パッケージにまだすがりついているとか、追いかけている部分があるのかな。
今はやっぱり、えーと、妻もいないし、離れている息子はいるんだけど、
なんかその、ちゃんとした型にはまっていないような気がするみたいな、
なんか外れ感、外れてる感は、なんかどっかずっと感じてて、
このままでええんかな、みたいな、一末の不安みたいなのは、ずっとどっかにあるような感じ。
まあ、つじり犬もね、さっきちょっと、そういう似たような話してたけど、そういう状況では同じなのかなって思う。
うん。
そうね。
いやー、あの、幸せって、まあ、さっき、
コバちゃんが最初の方に言ったことと、今言ったことって、絶妙に違うような気がして。
まあ、あの、だから幸せって、その瞬間的なものと、その人生的な長い目で見るものと、
確かに。
いろいろある見方が違うので、まあ違って当然なんやけれども、
なんかその、まあその、時間の捉え方もそうだけれども、
えーと、満足している状態が幸せなのか、が今、ある意味、今言ったのが、
それ、その満足している状態に気づく余裕が必要、みたいな話で、
その状態が幸せなのか、その満足できるようになるためのプロセスみたいなものが幸せなのか、みたいな。
最初の方にその、なんていうの、仕事人間の話をしている時って、そういう話だったような気がして、
で、なんか、でもまあ、いつもよりできたっていう結果にも着目しているとも言えるか、どこに…
難しいね、なんか矛盾していること自分も言っているような気がしてて。
いやいや、いや多分、いろいろ、いろんなレイヤーで幸せがあって、
で、それぞれにその、時間軸とか、どこにセンサー、幸せセンサーを置いとけばいいのか、みたいなものも違う気がして、
なんで、違っていいんですけど、幸せって状態なのか、プロセスなのかとか。
なんて言ったっけな。
自分がどんな自分になりたいかを決めて、
そんな人になれるように毎日コツコツ頑張ることが幸せなんだ、みたいなことを4年前のコバちゃんは言ってたよね。
過去の自分がそう言っておったんでしょうか、ほんとに。
そういうことです。
4年前の、しかもこれあれですよ。
コバちゃんね、自分の誕生日にそんなこと言ったんだよね。
全く覚えてないわ。
やっぱロマンチストなんだな。
そうかもしれない。
でも、言ってること、一理あるなと思って、聞いてて。
自分がどんな自分になりたいかっていうのは、物欲よりはよっぽど自己実現とか、
なりたい自分になる、みたいな意味ではいいのかなって思うけど、
それ見つけられない人だってきっといるかもしれないし。
目標もそうやけど、そもそもこうなりたいとかっていうのが、
ある人とない人で人生の幸せともしかしたら違うかもなって、今言いながら思ってたんやけど。
目標がある人イコール幸せ?ではないか。
自分で設定できる幸せを持ってる人とも解釈できるのかな。
でも一生目標を追いかけ続けて掴めなくて、ちょっと不幸感が出るみたいな。
目標設定の仕方も難しいよな。
ビジネスに向いてる人とかだと、1年とか5年とか10年とかっていう計画を立てて、
その計画通りに行って、達成できることに対して喜びを感じる人だってもちろんいるとは思う。
いるとは思うよ。
そういう人にとっては、それはある意味幸せなのかもしれないけど。
そうじゃない人は?
そうじゃない人は、さっき4年前のコバちゃんが言ってた、なりたい自分になることとかを別の目標とするとか、
でもそれも結構若いなって思いながら聞いててさ。
4年前だから、そりゃ4年前だから。
ちょっと多めに見て。
興味ある人は聞いて欲しいんですけど、4年前のコバちゃんは何て言ってたかっていうと、自分の誕生日にですよ。
僕は永遠の27歳なんで。
27って。
永遠そこだ。そこで止めたかった。
若かったな。
若いな。
27の時に何があったんですか?コバちゃん。
いや、それ適当に言ってるだけ。
でも、27って今思っても若いよな。
すごい絶妙じゃない?一応大人として社会には認められてて、一応仕事もしてるだろうし。
アラサーに片足突っ込んでる感じが。
で、早い人は結婚もしてるだろうし、みたいな。早くもないか。普通か?まあいいや。
確かに絶妙な年齢だ。
精神的なところで言うと、私これは個人的な見解ですけど、29くらいまでは、思春期って実際言われるくらい中身は子供だなって、大人になる途中みたいな感じに思ってて。
いや、すごい社会的には大人で中身は子供って、絶妙なタイミングで止まってるのコバちゃんおもろーと思って。
いやでも、そういう気持ちが今なくなっちゃってたから、なんか年取ったなって思ったな。ちょっとショックショッキング。
いいんじゃないですか。いいと思いますよ。
僕の口からは出てこないセリフですね。
じゃあこの4年の間にコバちゃんも変わったってこと?
大人になっちまったなーって。
大人になっちゃった。
いろいろあったからね。
なんかさっき感じることとか気づくこととかって話になったんだけど、それに気づきすぎるというか、感じすぎることっていうのは逆に不安な面もあって、ほんと難しいよね。
なんか自分の成長を考えると、今あるもので生きてるだけで結局極論言えば幸せってことになっちゃうじゃない?息ができてるだけとか、日本に住んでるだけとか。
なんかその成長を考えると、今で満足しちゃうから停滞しちゃうというか、そういう一面もあるなと思ってて。
それは自分がオッケーならオッケーなのかな。
だと思うけど、自分であるがままに生きることが自分の幸せだって思ってる人はそれでオッケーって思えるのでは?
ある種、何か向上心を持ってとか、何か足りないものに対して必死にそれを追いかける力っていうのも必要なものだったりもするから、
そのプロセスが幸せだって思えるなら、それもありなのかなとね。
それは本当に人によると思うので、全然そうじゃないっていう人もいると思うんやけど、
私はたぶんどっちかってアルバイトの人に近い感覚で、日々小さな幸せを積み重ねてるだけで割と満足なはずで。
そういえば辻リールって最近ルービックキューブやってたんだっけ?
ちょっと前やけど。
あれ幸せになんない?
完成したとき?できたーって。
できたーって。
ハッピーってなる。
僕、牛乳30何杯目かで小さな成功体験を積み重ねるみたいな配信をして、ルービックキューブの話したと思うんだけど。
昔すぎたらたぶん覚えてないと思うんだけど。
そこは覚えてるね。
そこは覚えてる。
自分も人生で初めてルービックキューブをYouTubeで見ながら練習してできるようになって、ものすごい満足感を得たんだよね。
子供の頃とかはどうやって揃えるの?みたいな。揃える人、マジで天才みたいな。そんなイメージだったんだけど、ちゃんとやり方があるんだよね。
何回回してっていうのが、その謎が解けて、自分で大人になって小さい頃には絶対できないと思ってたことができたっていう。
あの時は小さな成功体験っていう言い方をしたけど、それがすごい大人になって日々過ごしていると、成功体験をすることってすごく少なくなってくるじゃん。
子供の時に比べて、例えば鉄棒ができるようになったとか、子供の時は結構成功体験をすること、失敗もあるけど、大人になってから目に見えた成功体験をすることって結構時間をかけないとできなかったりとか、日々あんまり起きないんだけど、
あのルービックキューブは成功体験を得るのにめちゃくちゃいいなと思って、みんなやってみたいな配信をしたんだよね。
結構、僕と同じように子供の頃からその存在はしてて、どうせ自分は揃えられないと思って、大人になった人って多いと思って。
なんかあれは僕できたときめっちゃ幸せを感じた。だからみんなやってほしい。
子供の頃以来だな、ルービックキューブ。
え、のりこできる?
小さい頃はやってたっていうか、なんか家にそれこそ一個あって、それこそYouTubeもないときだよ、説明書に六面体揃い方っていうの。
書いてあったんだ。
紙でわかるもんなんや。
最初が難しくてさ、この色をここに配置するためにっていう、まずその下準備が超大変で、でもやってたよ。
え、なんかコバちゃんはその、自分ができないと思ってたことができたときが幸せみたいな感じで。
あ、それは多分瞬間的な方かもしんないけど。
うん、そうね。
瞬間的な方だね。
だし、その結婚した瞬間、結婚した瞬間は多分、なんかその、結婚できた幸せとか、その結婚式に、やっぱりその祝福しにわざわざ来てくれる、自分のために来てくれる人がいるっていう幸せとか、
あとその、結婚した後に待ってるであろう生活に対する希望みたいなものとか、いろんな感情がごちゃ混ぜになってると思うんやけど、でもなんか、自分なんだろうな、ちゃんと自分軸で幸せを感じてるのすごいなって思って。
自分軸以外で幸せを感じることって、例えばある?
まあ、これも人によると思うけど、やっぱり人に褒められたときとか、認められたときとか、賞賛されたときとか、そういうことで幸せを感じるときもある。
俺を言われたときとか、簡単に言うと。
はいはいはい。
感謝されたときとか、そういう人ももちろんいるとは思うし、それが別に悪いことではないと思うけど、
まあ、コバちゃんの場合は、なんかどっちかというと、自分軸でちゃんと幸せを感じれてるんだなと思って。
あの、ルビックキューブの話で言うと、私は自分がしたいからやったわけではなくて。
そうだっけ?
あの、そうなのよ。
まず息子ができるようになりました。
おお、すごい。
で、ちょっと難しいルビックキューブをプレゼントされて、それが難しくてできなくてイライラしてる息子を見てて、
これはちょっと手助けが必要だと思って、それなら私はできるようにならなければ助けられないと思って、この流れで動画を見てできるようになったんですよ。
だから、自分がやりたくてやってるというよりは、やりたいのは息子を助けることで、ルビックキューブをできることは別にやりたくはなかった。
あ、そうなんだ。
そうそう。だから、できた瞬間はもちろん達成感を感じて、やった!みたいな感じにはなったんやけれども、たぶんコバちゃんほど感動はしてない。
なにそれ。
と思うし、あれってだからロジックでちゃんと決まってるわけじゃないですか。
で、なってくると、私は逆にそのロジックをちゃんと知りたくなるのよ。
こうやってこうやったらできますじゃなくて、こうやってこうやったらここの面がこうなってこう変わっていくからこうなるんですっていう、ちゃんとその論理を知りたいって思ってしまって、その動画を見てて。
だから、逆に私は不満になったよね。
えー、なんで?
そのルビックスキューブができるようになったことによって、やり方はわかったけど、なんでここにあったこの色がここをこう動かしたらこっちに来ましたってなるのかが逆に知りたいと思ってしまって、私は逆に不満になったよ。
もう考えないようにしてるけどさ、そんなに頭良くないから。
今。
っていう。
そうそう。
だから、ルビックスキューブを思っただけでもこんだけ捉え方が違うんで、本当に人の幸せって人それぞれだと思うんですけど。
息子さんそれ教えたの?天才の息子さん。
あ、そうね。一応、こうやったらできると思うよ。私はこれでできたよって。
素直に受け入れた?
受け入れた?
伝えて、伝えたら、一部なるほどみたいな感じにはなってたけど、子どもの遊びってやっぱ流行りしたりがあってさ、そればっかり知るかと思えばもう一切触らない。
ああ、なるほど。
波があって、しばらくそれで遊んでたけど、もう今完全にしまわれてしまい。
そんなもんだよな。
まあ、またいつか、別に捨ててはないから、またいつか取り出してやることもあるだろうから。
っていうね。
なるほど。
何の話?幸せ?
幸せ。
瞬間的なそういう幸せとかは、それこそなんだろう、私もどっちかっていうと、実績解除型っていうか、やったことないことを達成していきたいみたいな欲はあるから、それが達成できたときとかは、良かったなとか思うけどね。
うん。
ほんと小さいことから、あそこ行ってみたいとか、どっか行こうかなとか、あの場所まで自転車で行ってみようぐらいのこととか、そんぐらいのことからコツコツ積み重ねるぐらいかな。
なるほど。
入ったことないお店に行きたいとか。
はいはいはい。
未知の体験が幸せにつながるってこと?
でも、動きたくないっていう欲もあるのよ、一方で。
うん。
布団の中最高みたいな。
いや、布団の中にいるときはやっぱ幸せ。それは間違いなく幸せだわって思う。
間違いないね。
間違いないな。
動くことってでもすごく大切だと思う。
辻林は今ニュージーランドに行ってるけど、やっぱり、なんだっけ、その、誰が言ってたんだっけ、思いっきり遠くに行くことはすごくいいことだって。
誰が言ってたんだっけ。
やっぱり、自分はずっと岡山、東京に行かずにずっと岡山に行っ放しで、大学校を卒業して、そのまま多分収納してたら、この環境の幸せというか、良さに100%納得できてなかったと思うんだけど、
やっぱり一回離れることによって帰ってきて、改めてこの山の上の良さっていうのが、価値として認識できるっていう部分はあるから、ちょっとのりこさんが言う、いろんなところに行ってみるとまたちょっと違うんだけど、
それはもう、あえて離れてみることによって、
あえて環境を変えることで、今の環境と比較ができるっていうか、今まで気づけなかったものに気づけるみたいなね。
そういうのもあるよね。やっぱあっちのほうが良かったとかね、そういうのもあるだろうし。
そうね。日本の良さは、日本を離れないときっとわからないだろうしね。
私はどっちかっていうと、向上心もあるほうだから、今、とどまっている状態っていうのに、多分満足できてない。
自分がやっぱり無知で世間知らずであるっていうことがあるから、その現状に満足できないなら、やっぱ行動するしかないから、とにかくいろんなとこに行こうみたいな感じが行動原理かなと思う。
えらいなー。向上心のない人間はどうやって幸せになれますかね、のりこさん。
いいんじゃない?布団の中にいても幸せになれますよ。
布団の中にこそ幸せがあるって気づいたらもうハッピーでしょ。
まあそうね。向上心がない人は幸せになれないってわけじゃないからね。
逆に向上しないと幸せになれないっていう、この一生自転車漕いでなきゃいけないのは呪いだよ。
そうね。そこもだから自分の。
私は多分自転車一生漕いでなきゃいけないっていうこの呪いから抜け出さないと幸せになれないのよ。
やっぱり自分の認識を改めないとね。
呪いね。でもいるやん、マグロみたいな人が止まったら死ぬ。
でもここ最近は本当に何をしててもそれを望んで自分がやってるんだって思って、
例えば映画見たかったのに何かしたかったのにずっとスマホをもう1時間も2時間も見ちゃうとか、
そういう罪悪感を感じるよりは、私は好きでスマホを見てるんだって思った方がまだ気持ちとしてはいいのよ。
私は好きでずっとSNSを1時間循環してるんだぐらいの気持ちでいないと、それぐらいの方が幸せだと思う。
それってさっきの環境を変えるっていうのとも似てて、
自分はこれがいいって選んでやってることと、
同じことでも後継ぎとかさ、周りに流されるようにしてその仕事をすることと、
自分はこれを自分が選んだって思ってやることで全然やっぱり気持ちの面で違うと思う。
自分が選択したとか、それが自分が選んだものっていうのに納得をするみたいな、
私はスマホを見ることで満足するっていうマインドだったら、それはそれで幸せになれると思うしね。
やっぱり環境とか云々って言ってるけど、やっぱり自分の考え方次第っていうところはあると思うよ。
確かに。
多いね。それ次第のような気がしてきた。逆に。
そうね。これが全てじゃない。
どこにいようが、どの時代とかどの時間軸で見ようが、
自分が選択することに納得がいくかどうかみたいなことに集約できそうな気がする。
そうね。
自分の行動の舵は、間違えた。
噛んだ。
自分の行動の舵は舵というか、ハンドルを握ってる感覚を忘れちゃいけねえぜっていう話ですかね。
そうね。自分がどこに行きたいかっていう。
コントローラーじゃん。
コントローラー。
自分の船の行き先を自分で決めて、自分でコントロールしてるっていう自覚が大事っていう。
たぶんそれってやっぱり、ささいなこともそうなんだけど、苦しい時もたぶんそうなんだよね。