思考の喫茶店へようこそ。
ここは、店長のつじり犬と愉快な仲間たちが、お客様と一緒に自分の思考を深めていく喫茶店です。
覚悟とかもそうかなって思うけど、なんかその腹が決まるとかも、誰かに言われたから腹が決まるわけではなくて、やっぱり自分でこうしようって決めたから、腹が決まって。
で、それでこう追いかぶさってくる不幸せは、きっとその人にとっては不幸せではないのかもしれないし。
なんか、この先には幸せが待ってるんだっていう。
いやまあ、そんなんじゃないな。なんか今自分がこれをやれてること自体が、いくら他人から見て苦しくても、自分はこれがいいって思ってる時点でも幸せなのかもしれないよね。
むずー。なんかその苦しい時自体に、いくら自分が選んだ道だからといって幸せって思えるのかなと思って。
極論ではあるかもしれない。
極論ではあるけど、でもその苦しさがあるからこそ感じれる幸せ、それを乗り越えた時に感じれる幸せはあるよね。
相違的にはあるよね。
困難があるからこそ幸せがより強く感じるっていうものもあるやろうしね。
なんか海外に行くと海外の飯まずすぎて、日本帰ってもハッピーみたいな、なんかめちゃくちゃ何食べてもうまいみたいな。
それは苦しいとは違うかもしれないけど。
行き地が下がる感じがするよね、幸せの。
そうかも。
自分が決めたことが、すんなり行った時の達成感と、やっぱり多少苦労してできた時の達成感はやっぱり違うような気がするんで。
そういう意味では、そうね。
苦しさも必要ってことだ。
いや、なくていい。
苦しいことは本当はなくていいんだけど。
どうなのかな。
船に例えたけど、
なぎな状態に対して、やっぱりこう、自分の心が不満に感じる時は、やっぱり多少の苦労があった方が、刺激があって、より達成した時の幸せも大きくなって、みたいなことはあるかなって思うけど、
それが毎度毎度だと、そういうのが、よりやる気になるタイプもいるだろうから、そういう人にとってはいいのかもしれないけど、疲れちゃうよね。
常に人生でなぎであることって少ないだろうし、
ごく稀にね。
人から見たらめっちゃ荒波なんだけど、俺にとってはこれぐらい浅見しまいみたいな人もいるだろうし、
そんな浅瀬でチャプチャプって言われても、本人はおぼれ死にそうな人とかもいるだろうし。
そうね。
難しいのは、自分の中の波と比べるのはいいんだけど、人の波とは比べちゃいけないなと思ってて。
他者に発信する上では、多少の苦労はするべきみたいなのは結構暴論だと思ってて。
なるほど。
人に言う時はこれは非常に、私は傷つかないならそっちの方が絶対いいって思ってるから。
なるほど。
そうね。
なんか時々考えることがあって、やっぱり人生においての幸せとか、後悔のない人生とかって思うときに、
映画に例えることがあるじゃないですか。
自分もそう思う時があって、苦しい時とか、辛い時とか、乗り越えなきゃいけない壁がすごく高く感じる時とかって、
すごくその状況をちょっとでも楽にしようと思う行動でもあるんだけど、
今この小橋ムービーが誰か見てるんだとしたら、めっちゃ盛り上がってるシーンなんだなって。
もうここが見せ場だぞみたいなね。
そう、見せ場だよって。
映画ってやっぱり淡々とした普通の幸せな映画を見せられても何の面白くもないじゃない?
やっぱりその緊迫したシーンがあったりとか。
希少転結がね。
そうそうそうそう。
最後に鈍電返しがあって。
そういうことを考えると、やばい時も人生においては見せ場だし、これを乗り越えた後にきっといいこともあるだろうし、
最後がハッピーエンドだったらいいなとか、
幸せを考える上では苦難を乗り越えるっていうシーンも、
大小はあるけど、大きい山だったり小さい山だったりいろいろあるだろうけど、
やっぱり自分は結局自分の歴史を振り返った時に面白い方がいいなと思ってるタイプなんで、
それも逆に美味しいかなって、美味しいに変えていきたいなって思うかな。
いいよね。
誰かが見てたら面白いかな。
自分もだから配信してる立場としてはやっぱり痛い目にあったことはネタにできるしラッキーと思うタイプなんで。
逆境をちゃんとチャンスに変えたりとか笑いにできるのは幸せの在り方だよね。
辛いことを幸せに笑い話にできるとか。
うん、確かに。
でも笑い話にするためにわざわざ不幸に目にあう必要はないとは思ってて。
それは違うね。
それはそうね。
絶対避けるべきとは思って。
そんなこと言っても絶対に人はどっかで知らねえ。
何不自由なく生きれる人なんていないんだから、どっかで知らねえ。
あるからこそその先に幸せがあるといいよねとか。
考え方さえ見方さえ変えればすぐに幸せになれるんだよっていう助言はしていきたいよね。
困ってる人がいたらね。
なるほど。
いやー、難しいねやっぱり。
いやこれはちょっとテーマがでかすぎて、
別に答えを出そうとは思ってないんやけれども、
本当になんかまとまりがない感じになってるけど、
でも今日見えてきたのはやっぱり自分の認識が大事。
っていうのは、自分自身を船に例えると、
自分がどんな船に乗ってて、どこを目指してて、
自分がその舵をちゃんと持ってるみたいな認識と、
さっき今波の話をしてたけど、
自分が向き合っている波をやっぱり自分なりに認識する。
人と比べるとかじゃなくて、
自分が今どんな困難とか、どんな状況と対面しているのかっていうのを自認して、
で自分の船を舵取りするみたいなのが大事なのかなって思って、
なんかすごく真面目で面白くないんやけど、
っていう話だったなーって思って、
なんかのりこもおばちゃんも、
なんかちゃんと自分軸で考えて行動して、
で幸せを感じるタイプなので、
余計にそのそっち方向が強めに出たかなっていう気もしていて。
逆に自分軸以外の、例えば他方からの法廷感とか尊厳みたいなの。
わかんないんだよね。褒められ慣れしてないからさ、ずっと。
褒められて幸せになるっていうことが全くわかんないんだよね。
気恥ずかしさはあって、てへへってなるけど、
大人になってからね。
なんか褒められる理由が子供の頃は、
本当に褒められたときにどうすればいいのかが全然わかんなくて、
言われても、どうしようもないみたいな感じになってて。
ありがとうって受け取ればいいんだよ。
私結構社会人になってから自分が非常にわがままで、
人のために仕事してねえんだなっていうのを一回自覚したこともあるから、
自分のためにしか動けねえんだなっていうのを結構、
わざわざと感じてから。
自分のために頑張ろうと思ったし。
自覚することは大事だと思う。
自覚ないほうが立ち悪いと思うから。
自覚してることはすごく大事なんやと思うけど、いやわからん。
でも、ありがとうって言われたりとか褒められるとか、
人に対して何かをしてあげることが幸せって感じることも大きいし、
なんか自分これも配信したことがあるんだけど、
辻さん覚えてるかな?
ある幸せを研究する学者だったかな。
ちょっと違うかもしれないけど、
その人が幸せについてめっちゃ研究してて、
それを記事にしたいと。
最初は2000文字って言われたんだけど、
やっぱり1000文字にしてくれって言われて、
やっぱりごめんなさい500文字にしてくれって言われて、
やっぱりごめんなさい100文字にしてくれって言われて、
結局、ちゃんとストーリーは違うかもしれないんだけど、
結局あれこれ一文字で収まるじゃないっていう話になって、
それが幸せって社会貢献だって。
そのエピソードをちょっと感銘を受けてどっかで話したことあるんだけど、
結局ある程度の地位とかお金を手に入れた人って、
世に対して何かやり始めるじゃない。
お金配り始めたりとか寄付し始めたりとか、
ボランティアし始めたり。
それが結局他者貢献が究極の幸せなんじゃないみたいな、
そんな話があったり。
そんなのもだ。
社会的な段階で何で幸せを感じるかみたいなのはあって、
それこそものすごい最初は三大欲求みたいなところから始まり、
自分の承認欲求とかっていうフェーズ。
ある程度いったらそういうボランティア精神とか、
他者への貢献に幸福を覚える人とか。
もう最終的にはもう生きてるだけで幸せみたいな、
そういう段階があるっていうのは何かどっかで聞いたこともあるんだけども。
なんだろうな。
幸せには段階があるってこと?
そうそう。
自分が幸せを感じるには、
その欲求だね、欲求の話なんだけど幸せっていうよりは。
なんかさ、周りが幸せじゃないと、
本当の意味で幸せになれないみたいなことを言ってる人よく聞くんやけど、
でもなんか自分がそもそも幸せじゃないと、
周りの人幸せにできんじゃない?って言ってる人も見かけて、
それは多分その幸せの捉え方が違うような気はするんやけれども、
両方あって、
なんかやっぱ社会、周りが満たされてても自分が満たされてなければ、
それは本当に幸せなんだろうとか、
あくまで自分の最低ラインのこれで私は生きていけるっていうラインを超えずして、
社会に貢献してもそれは本当に自分にとって幸せなんだろうかみたいなのは、
一回自分の中で認識をある程度作った上で、
社会貢献に対して考えた方がいいのかなって思わなくもないけど、
さっきのりこが言ってたのと似てるような気もするけど、
自分をどこまで自分と捉えるかみたいな話にも似ててさ、
自分は最初、最三大欲求とかそういうすごく原始的な動物的な認識しかないんだけど、
途中からどんどん自分の認識が拡大拡張していって、
社会とつながったりとか、世界とつながったりとか、
なんなら地球とつながってる人とか、宇宙とつながってる人とかいるかもしれないし、
人権とかもさ、どんどん広がって拡大して、
今は動物にも人権みたいなものを与えるみたいな話が出てるけど、
どこまで自分ごととして捉えるかみたいなものにも似てるのかなって思ってて、
そういう精神的な活動を幸せだと思う人もいて、
それはすごく高度なことだなって思って私はいるんやけれども、
難しい話なんで今日は。
そっちの話ししちゃうと思ったらすごい長くなる。
誰もいないところでゴミ拾ったりするの、ちょっと幸せになると思わない?
分かる分かる。むしろ誰もいないところでゴミ拾いしたい、私は。
見られてないと思う。
見られたくないと思う。
何の穢れもないハートでゴミ拾ってる自分みたいな。
そういうのでは満たされたくないなと思ってる。
褒められたいからやるとかにはなりたくない。
賞賛目的ではなくて、自分がこうしたいからしてるんですよっていう目的のためだけに何かをやりたいみたいな。
私はどっちかというとそっち。
社会貢献とかそういうのって、だから感謝されたいからとかっていう欲求からやるべきではないと思ってるし、やらないんだよね私は。
そうじゃないと思うけどね、社会貢献は。
社会貢献は何してたもんね、仕事しててもんだし。
なんか募金とかはそっち系なのかなって思うんやけど、社会貢献、でもこれ言い始めると。
できるだけ匿名でやりたい、私も。
やめよう。
そこには幸せとか欲求はないんだよ。
やめよう。
ちょっと違いますよね。
ぶっちゃけ仕事はだってお金欲しいからやってるだけだし。
取るのはとても難しいんで、今日はやめとこうと思うんですけど。
今までちょっと自分軸の話をずっとしてきて。
こういう幸せもあるよねっていうのを、コバちゃんの配信から引用したいんですけど。
さっき最初に紹介したんやけど、
アルバイトの人と牛の名前を呼び合って仕事ができることが、小さな幸せって自分で言ってて。
なんで、これなんなんかなって思って、ちょっと抽象的に捉えてみたいなって思うんですけど。
要は、自分が大事にしていることを一緒に共感して大事にしてくれる人がいるっていうのが幸せなのかなって思って聞いてて。
それかもしれない。掛け算かもしれない。
それパートナーに求めてたやつ。
本当は。
今までずっとね、自分の認識が大事ですっていう話をしてたんやけど、
それがその次のステップなのか同時進行なのかわかんないけど、
やっぱり自分がこれ大事だなって思ってることに一緒に取り組んだり、
それいいねって言ってくれる人がいるっていうのは、
安心感に似てる幸せ、どちらかといえば。
確かに。
なのかなって思って。
さっきまでは達成感とか、成長とか、
そういうグイグイ外に行く感じの幸せ方向だったけど、
今のはどちらかというと、うちに向かってというか、
自分を肯定してくれるとかにもつながるし、
そういう安心感が得られることの幸せなのかなって思って。
そういう存在って確かに貴重だよなっていうのは思うので、
私の幸せの一つは、ここで志向の喫茶店をね、開いてこうやって、
これはね、自分が大事だなって思ってることを共有できてるのかはわかんないんですけれども、
でもこういう場を持っていること自体が、私は幸せだなって思ってて、
なんで続けられるんですけれども、
そういう幸せもあるよねっていうのを最後に言って、今日は終わろうかなと思います。
まあ、またやりましょう。
やりましょう。
次は。
コバちゃんもまた。
ツジリーヌの幸せって結局何か言ってたっけ?
日々小さな幸せはたくさんあって、
その中で、
人生で一番の幸せは?
それは言ってないな、そういえば。
私もずっと考えてたんだけど。
なんかね、結婚式って確かに幸せなんやけど、
幸せよりも感謝が勝つんよね。
そういう、こんだけいろんな人に集まってもらえる自分って幸せだな、みたいなことは思うのかもしれないけれども、
でもどっちかっていうと、その周りの人に対する感謝の方が勝って、
そういう状態が幸せといえばそうなのかもしれないし、
でもそうだな、なんか子供が生まれてからは、やっぱり子供がそこに存在するだけでも幸せなんですよ。
母親なんて。
うん、やっぱりもう、
そうね、双子でリスク出産して、
妊娠期から大変で、出産も割と大変で、生まれてからも大変で、みたいなことを乗り越えたからこそ、
もうそこにいてくれるだけで、幸せ、母親としての幸せはそこにあって。
とか、牛さんで言うと、私も昔牛のお世話してたことがあったんで、
これはもう本当に自分経営とか向いてないなって思ってたんですけど、
牛さんに餌やってるだけで毎朝幸せだったんですよ。
素晴らしい。
なんか牛さんの顔を見て、牛さんに餌やってるだけで、自分すごく満足してて、
いやそれって経営とかに本当に向いてないと思う。
大事な気持ちではあると思うけど、それ以上何かしようみたいなのはあんまりなかったんで。
そういう感じ、私は結構もう、今ここにあることが幸せみたいに多分感じるタイプなので、
今ここで、おばちゃんとのりこと3人で喋ってるのも幸せだと思うし。
結構こういう本音が話せる場で、次もまた会ってくれるっていうのがすごく嬉しいよね。
その場限りではなくて。
割と本音でここの喫茶店では話せると思うんだけど、本音を晒した上でまた集まって話してくれるっていうのは、
自分もだから配信者として、結構いろんな配信があるけど、また聞きに来てくれるっていうのはすごく幸せ。
うん、そうね。
じゃあ最後にのりこさんの一番幸せだったこと。
たぶんこの3、4年分ぐらいはね、たぶん欠落してんだよな、いろんな感情が。
それ以降のことを必死に思い出そうとしてるんだけど、
でもたぶん欠落してんだなって気づいたきっかけもあったから、
たぶんめっちゃ仕事したお金でめっちゃオタクを謳歌してた時が幸せだったなと思ったね。
オタクを謳歌してた時代が幸せだった。
友達といろいろ映画見に行ったり、ショー見に行ったりしてた時とか、グッズたくさん買って集めてとかしてた時とかは、めっちゃ楽しかったはずなんだけど、
その感情を一切なくなっちゃったんだなっていうのを感じた瞬間があって、
もうあの頃には戻れないんだっていうのに、気づいた時にはやっぱり昔は良かったなぐらいの感じにはなってた。
素直に楽しめた時代があったなみたいな、過去の栄光にずっとしがみついてた時はありました。
過去系なのね。
じゃあ今から新しい何かを見つけられるかもしれないです。
たぶんリハビリ中ですので。
そういう時期はあるよね。
大阪城ホールでプロレス見に行った時は超暑かったねぐらい。
そんな趣味が。
思い出はある。
あれはめちゃくちゃいい席だった。
そういうこと?いい席?
たぶん、あー見たー楽しかったーって言って、あそこでたぶん車に轢かれて死んでも最高に幸せだったと思う。
なるほど。
ここで人生終わっていいみたいな幸せはあったと思う。
今なら死んでもいい瞬間ね。
ここで即死ぐらいでバーンってやられたらもう最高にハッピーだったと思うっていう時があったかもしれない。
なるほど。
もうそれでいくとさ、子供を産んだら幸せじゃないわ。
死ねないもんね。
古典ラジオで聞いた気がするけど、ブッダでさえ最後の執着は子供みたいな。
へー。
っていう話を確かなんかしてて、やっぱ、執着があることが幸せじゃないっていう過程をするなら、
今子供がいることによって私は今死んでいいなんて思えないのは幸せじゃないとも言えるかもしれないし。
だいたいオタクは死んでもいいって言いながら次も生きようって思うんですよね。
いやみんなそう。
今なら死んでもいいって言うと、本当に死んだら後悔だらけなんで。
そういうもんですよね。
いやいいな。
いいよ。
のりこがどんな幸せを見つけるのか楽しみにしておるよ、他人事として。
渋い顔してるよ。
誰かさんにも言った気がするけど、私は今幸せなの。それでいいのって言ってる。
なんで幸せになってほしいとか上から目線なの。
似合うのはずっと言ってる。
誰かさんにはずっと言ってる。
あ、そうね。
ちょっとその話になるとまた長くなりそう。
これに関しては私が今最もこじらわせているワードの一つなので。
まだ現在進行形だからね。
一途一途故にこじらわせてる。
笑って喋れるようになったら、笑って喋れるようになった気がして。