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2023-06-26 20:31

【トーク】#4 私と仕事とママと

育休から復帰するとママってアイデンティティも追加されるものなのか?首尾一貫した自分に違和感を覚えたら読んでほしい本の話/今日紹介した本「私とは何か 『個人』から『分人』へ」(平野啓一郎)

00:03
スピーカー 2
カランコローン、いらっしゃいませ。喫茶クロスロードへようこそ。
この音声配信は、本好きな友達と出会いたい人たちが、
ふらっと集まる喫茶店をコンセプトに、
本がなかったら友達にならなかったであろう店員3人組が、
ゆーく話してまいります。
お仕事の帰り道、家事をしながら、寝かしつけの後など、
ふと一息つきたいときに聞いてくださいね。
ということで、前回まではたくさん本を紹介したんですけどね、
スピーカー 2
今回は一つの本を掘り下げて紹介するという回にしたいと思っています。
面白い本がありまして、人によっては新しい概念なので、
新しい概念を習得するということが好きで、
ゆーこりんは好きな本かなと思っているんだけど、ゆーこりんどう?
あ、そうそう。この本紹介されて、すごい語りたいなって。
ちょっと概要を聞いたから、なんかいろいろ考えたことを今日語ろう。
おっしゃー。語る準備万端ということですね。
万端だよ。
そんな本について紹介する前に、私はみんなに聞きたい。
ママになったって自覚したときっていつだったかな?という問いです。
この問いを私が今立てますのは、実は私が長女を出産したときは、
コロナの発災中で児童館に行くのが大変でした。
私が何々ちゃんママ、要するに自分の娘のママだなって言い方を
ちゃんとされるようになったのは、保育園に行き始めてからだったので、
私はそこで娘のママというアイデンティティを初めて獲得したんだなと思ったんですけど、
どうですか?このママになったときって自覚したときっていつでしたか?ゆーこりん。
いや、なんかね、ママっていうアイデンティティを獲得したかどうかは、
ちょっと考えると、獲得してるのかどうかは不明だなって感じてきたんだけど。
あ、そうね。自覚したときだから。
ね。あ、そうそう。そうなんだけど、
よくさ、自分より大切なものができるみたいだと、
いうことをあんまり実感としてわかってなかったんですけど、
なんか新聞で自分のことを同い年の子が亡くなったみたいな事件を見たときに、
涙が出て、あ、私この文字情報だけで泣けるんだみたいなときに、
まあなんか、親ってそういうものなのかなっていうことは感じたかな。
けどなんかこう、母親ってなんだろうね。
なんだろうね。
なんか私、母親なんだな、そういうの。
事実としてはそうだ。事実として。
でもなんか、そういう気持ちもわかるな。
そらやんはどうですか?
そうだね、たしかにその、自分が親かもしれないけど、
03:02
スピーカー 2
心はまだまだそうかなみたいに思うことあるんだけど、
スピーカー 1
やっぱその外からね、まるまるちゃんのお母さんって言われることって、
最近増えてきて、
私が初めて、あ、私って人の親なんだって自覚したのは、
一か月健診で病院でむしろ、
人の親なんだって自覚したのは 1ヶ月検診で病院で娘の名前を書いたときだなって思って
間違えて自分の名前書いたりしちゃってさ あ、違う違うみたい
書き間違えるよね よかった、私だけじゃなかった
私もう本当最悪、人の親として最悪って当時は思っちゃったんだけど
でもねやっぱ家族だけ、お家の中で家族だけで日々が完結してた
1ヶ月とか2ヶ月くらいの頃は 社会的な意味でママって呼ばれることないし
旦那さんとかもさ、ママってそんな言わないし 自覚すること少なかったからやっぱ人との関わりで初めてね
スピーカー 2
社会との繋がりで意識させられるんだろうなーって思ったよ
確かに関係性の中の私だよね
そんなこんなで復職している皆さんが多い時期だと思うんですけれど
復職すると以前の私にある程度復帰されることが求められる中で
新規のママである自分に追加されて
私復職する時って元の場所に戻るんだよなーみたいなことを考えてたんだけど
新しい自分の役割、ママとしての私みたいなのが追加されて
すごくごちゃごちゃになった感覚があったんですね
1人目の時の復職がそんな感じだった時に
職場の会が教えてくれたのがこの本で
面白そうだなーと思って読んではみたんだけど
自分の中では、なるほど、そう考えたらいいのね
腹に落ちた感覚があったから
本日紹介したいと思った次第です
前置きが長くなりましたが
ここで本日の紹介本をご紹介いたします
私とは何か、個人から文人へ
平野圭一郎さんの著書です
個人は英語でindividual
人は否定の窃盗語なのでディビジュアルできない
それ以上分けられない単位として
私たち一人一人の個人があります
その個人は本当に分けられないのか?というのが平野さんの問いで
個人ではなくその個人をさらにディビジュアルした
文人という単位で自分を考えていったらいいじゃないか
というのがこの本の冒頭部分の要約になります
06:02
スピーカー 2
本の中で平野さんが挙げてくれる例えとして
大学時代の友人と高校時代の友人と
自分という3人で話したら気まずかったというのがあります
これは経験がある人も多いんじゃないかなと思うんですが
所属する組織やグループによって
自分のどの部分を強く出すかというのが
変わっていることじゃないかなと思うんですが
ゆうこりんどう?
そうそうそう、それ聞いた時に本当に
同じ相手でも夫と自分だけで話す時の自分と
子供がもう小2だから
それなりにしゃべれるから
3人で話す自分と子供と2人で話す自分
他も私は使い分けてるぞ
夫との自分、子供との自分
夫と子供と自分の自分みたいな
そうそうそう
スピーカー 1
なるほどね、そういう話だよね
ナッシーが職場復帰した時は
やっぱりナッシーのことを
1人のお母さんとして周りが見始めたから
変わったなって感じだったの?
スピーカー 2
それも入ってくるかな
やっぱりママさんとして
もっとこういう役割も果たしていってほしい
みたいなことを上司に言われたりだとか
あとなんか保育園のプリム会とかもありますもんね
みたいな話を同僚にされたとか
それでだから自分は残業ができないから
この時間で帰るねとか
この時間ごめん何々の作業頼んで帰るね
ってなった時に
もうママですね、みたいな
配慮自体はすごい嬉しかったし
そうしてくれた方が
働きやすいなとも思ったんだけど
私は以前の私じゃなく
ママの私なんだね、みたいな
当たり前なんだけどさ
そういう気持ち?
ね、わかるよ、その感覚
それでね
ママっていう新規追加された文人は
自分のどの面を強くしたらいいか
っていうのがちょっとわからないなと思って
下手にいいママアピールもしたくない
私いいママ頑張ってます、みたいなのもちょっとやだし
かといって
ママ何してるんです、みたいなのも
そうやって言いたいわけじゃないし
ママなんですよ、みたいな
感じなのが
なんだろうな
若干入ってきちゃって
ちょっとしんどいな
しんどいわけでもないけど
なんかちょっと違和感があるなと思ってたのが
その時の後のナッシーです
そらやどうかなと
話したそうだからさ
スピーカー 1
その話が聞いてた
ナッシーは
自分がどういう性格
どういう要素、性格要素を持ってるか
09:01
スピーカー 1
っていうことをめちゃくちゃ理解してて
自分で
自分を構成する性格と
その性格が周りにどういう影響を与えるか
ってことを
意識したり分かってて
発動してるから
理解が深いからこその悩みな
と思って
ママっていう文人が
周りにどういう風に影響を与えるか
みたいなことはもうすでに
当然なって考え
始められてるっていうかさ
私はなんか
まだナッシーのレベル2までは到達できてなくて
まず私は
妊娠する前に
母親になると変わる
その前の自分には戻れない
みたいなことを
見たり聞いたりすることがすごく多くて
それがねすごい恐ろしかったんだよね
だってさ
変わりたくないよみたいな
だからこの本で
今の自分もあって
新たな自分の一面を
獲得するだけなんだっていう
この文人っていう概念を
すごい気が楽になったのはあって
今は私はまだ
そのレベルだ
まだ私はそれだから
ママ文人を
どううまいこと扱って
この社会の荒波を乗り越えていくか
みたいなことをね
戦略的に考えるレベル感がまだ
到達できてなくて
新しく文人が追加された
っていう自分を客観的に
見守ってるみたいな
だから娘とさ
向き合ったりとか
病院で丸々ちゃんの
お母さんとして交流とか
保育園で丸々ちゃんの
ママおはようとか
最近どうですかっていう風に
交流する中で
私にもこういう側面ってあるんだな
さっきのユーコリンの話
他人の子供でもちょっと
涙が出そうになるみたいな
そういう側面もあるんだな
っていうので驚いたり
あとは逆に寝かせつけ終わって
ただ自分の好きなことだけ
持ってると
本当に私って何も変わらないんだ
って思って安静したりとか
スピーカー 2
してる
スピーカー 1
そういう感じかな
スピーカー 2
なんかユーコリンめっちゃ思いついたり
してるけど
ユーコリンなんか喋りたい?
いや私はさこの本読んでないから
あまりその子の概念を
そこまで理解してはないかもしれないんだけど
さっきソライアンが
言ってたみたいな
新しい文人を獲得するみたいなの
すごい面白いなと思って
相手も私の相互作用だ
それは
そこが面白いから
もうちょっとこう
でも相手が
私をどう思うかみたいなのって
母親とかママとかは
ステレオタイプあるじゃない
あるある
相手だけじゃないな
ステレオタイプとの
私の
ステレオタイプに対してどう
フィットさせようとする
力も働けば
そうじゃないんだ
12:01
スピーカー 2
私は私なんだみたいな部分も
働けば
いろんな要素が働いて
表現される私は
果たして何なんだろう
と思うけど
いろんな要素の変数が
時のこの出てくる私
っていうのも面白いっちゃ
面白いよね
私今ゆうこりんの話まで聞いて
やっぱり思ったのは
若干会社の人が思ってる
ママさんのイメージに
抗ってた要素もあるなと思って
なんかこう
ママさんだからこういう働き方をするよね
みたいなのあるじゃん
でも私よりもちょっと
届けるしなとか
逆にできない時もあるんだけど
できないし
そこら辺のラインをうまく
やっていかなきゃいけないんだけど
ちょっとそこを
私の固定概念
概念との戦いも
若干入ってたなとは
思ってたんだけど
文人の話に戻ると
この本は
私の中になんとなくなった
人によって
態度を変える
みたいな固定概念があって
それが
人によって態度が変わっている
っていうのを見るのは嫌なんだけど
TPOに応じて
みんなそれを使い分けているのは当たり前だよね
っていうことを
結構この本では言ってくれてる気がして
守備一貫して
同じ人でいるっていうことの方が
不自然だよねっていうことを
言ってもらえたことに
この本で私は救われたんだと思って
だから
多分
私が勝ったこととしては
私の中で
私プラスママが勝ったってなると
なんかその
私プラスママの状態で
いろんな人に接していかなきゃいけないのかなって
思ってたけど
いやそうじゃないよみたいな
私のママの部分はママの部分で切り離して
そのママの中の役割を演じてればいいし
会社の中での私は
ちょっとママの要素は
足されるかもしれないけど
そんなに変わらず以前の人と
話し続けていけばいいんじゃないかなって
すっきりしたみたいな感じかな
すっきりしたんだね
そうすっきりした
っていうのを聞いて
そらやんはどうだろう
スピーカー 1
そう
瞬間瞬間のさ
出てくる
例えばこの3人でラジオ撮ってる時の自分と
旦那さんが喋ってる時の自分と
仕事してる時の自分
やっぱ瞬間瞬間で
振る舞いとか態度とかって
違うっていうのが
そりゃそうだよねって言ってもらえたのも
ありがたいなっていう
ふうに思ってるし
もっと深い部分で
新卒の面接で
10年後の自分の美女について
教えてくださいみたいなこと
聞かれなかった
やっぱ聞かれるよね
私もいっぱい聞かれて
15:01
スピーカー 1
当時ない頭を使って
結構真面目に考えてみたんだけど
振り返ってみると
社会人っていう文字を
当時は持たない
学生っていう自分が
あれやこれや考えた頃で
いざ社会に出て
社会人っていう文字を獲得し
仕事をし
いろんな同僚さんとかいろんな人と出会って
何を思い何を考え
どこを目指していくか
そこでさどんどん形成されていくから
結局未知な
領域が多くて
もちろんその学生の頃
やりたかったこと
小さい頃やりたかったこと
既存の文人の考え
思想みたいなのもあるから
ある程度一貫性を持つことができるし
そうした方がいいなとか
そうしたいっていう自分も
もちろんあるんだけど
例えばその
今もう全く興味が
社会人の文人の自分は全く興味がないけど
10年前の
小中学校の自分は
○○の専門になりたいって言ってたもんな
みたいな
そういう自分を縛る言葉っていうのは
逆にその10年間の間で
獲得した文人の
行動とか考えを
閉約してしまうのかとか
息づらくさせてしまうのかなとかって
思ったりして
そういう深い考え
みたいなところでも
もうちょっと自由になっていいんだろうな
みたいな
時間的に見るっていうことが
この本でできるようになって
良かったなって思ってて
でも
とはいえなんだけど
さっきも言ってた
新規追加された文人みたいなところで
混乱するみたいな
話があったとき
私の中でも葛藤があって
復職して2、3ヶ月くらい経つんだけど
職場の同僚に
育児の話は一切していなくて
本当に
多分
それは自分の中で
変わらぬ仕事人として
引き続き職場の同僚に
見てもらいたいっていう
願望があるっていうか
文人を封印してるという
それはさっき言ってた
戦略的に
文人を使い分けるっていうところに
あると思うんだけど
やっぱそこら辺は
じゃあそれですごく
自分が心地よく働けてるのか
っていうと
ちょっと難しいかもしれないな
その辺のバランスは
難しいなと思うけど
自分の中で
自分は変わらないみたいな
部分の整理はついてるから
だいぶいきやすい感じはあるかな
スピーカー 2
戦略的に
使い分けてるつもりは全然
私はなかったけれど
でもなんか
気持ち的にそっちのほうが
いいとかっていうのとかが
今後アップデートされてくる
話だと思うからさ
この文人は
18:01
スピーカー 2
これぐらいがちょうどいい
この人たちといる自分は
こういう自分がいいなみたいな
どういうのも
みんなそれぞれつけていけると
いいよねっていう話
やりたいなって思うんだけど
じゃあ
この概案は読んだけど
二読だったゆう子に
この概念を聞くとしたら
どんな感じに日々の生活が
楽しくなりそうですか
私結構
このグループで行くときの私は
すごい心地よいから
このモードでずっといたい
気持ちが多くって
でもこのモードのままで
別のグループに行くと
なんか違うみたいな
でも関係性さえ変えれば
このモードで行ける
自分になれるはずみたいな
感じで思っちゃってた
相手も違うんだから
自分がこうモードを変えて
チューニングして
心地よい形になればいいのか
なんか
自分を変えないみたいな
頑固さが私にはあったようなことを
思ったから
その人ごとに
心地よい私を
見つけていけばいいんだっていうのが
楽しみになったよ
スピーカー 1
いいね
そこがせめぎ合いでもあるよね
それこそさ
相手にばっかり合わせるとさ
結構自分は迷子になっちゃうかもしれないからさ
スピーカー 2
うん、そうだね
スピーカー 1
せめぎ合いだね
スピーカー 2
せめぎ合いだね
スピーカー 1
でもなんかこう
楽にやっていける一つのツール
っていうか
スピーカー 2
考え方ではあるよね
うん
自分の中の
みんな違ってみんないい
というどこかで
聞いたことのあるフレーズで
今回は締めくくろうと
思います
さて名残惜しいですが
閉店のお時間です
今後も
キッスタクロックスオードは
今度は好きなあなたが
ぽっこりした時間を過ごせるよう
毎週月曜日と木曜日
夜9時よりゆるゆる
お待ちしております
それでは本日も
お越しいただきありがとうございました
またお待ちしております
20:31

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