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2023-08-31 12:58

【朗読】#8 永遠の夏休み・2

週も後半。ちょっと疲れたなあ、そんなときこそひとやすみ。喫茶クロスロードでは毎週木曜日、月ごとのテーマに沿ったエッセイ朗読をお届けしています。/今月のテーマは「なつやすみ」今日は、おばあちゃんとの大切な想い出をつづったエッセイ「永遠の夏休み・2」/ 書き手と語り:虹


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スピーカー 1
カランコローン
いらっしゃいませ。喫茶クロスロードへようこそ。
いよいよ週も後半。
ちょっと疲れたなぁ。今週もなんだかバタバタしていたなぁ。
そんな気持ちが膨らんでくる頃ではないでしょうか。
そんな時こそ、ひと休み。
ここでのんびりしていきませんか?
喫茶クロスロードでは、毎週木曜日、月ごとのテーマに沿ったエッセイ朗読をお届けしています。
今月のテーマは、【夏休み】
今日は、おばあちゃんとの大切な思い出を綴ったエッセイを、私、にじがお届けします。
それでは、どうぞ。
永遠の夏休み・2
2時。あなたは、おばあちゃんのことを好きだったのかしら。
私は考えた。
大好きでも、大嫌いでもないと思った。
えーと、自分でもわかりません。
本当は、好きだったんじゃないかしら。
おばあちゃんのお葬式を書いた部分だけね。
小説ではなくて、作文になっていたから。
これは、大学の卒業政策で、提出後の評価面談の際に、ゼミの先生に言われた言葉。
今でも大切に覚えている。
祖母は、私が大学3年の時に亡くなった。
親戚で亡くなった方や葬儀に参加したこともなかった当時の私は、
スピーカー 1
祖母の死が、初めて人が亡くなるということに直面する出来事だった。
その時のことを、詩小説のような形で、大学の文芸学科の卒業政策に綴ったのだった。
私には、母方の祖母しかいなかった。
祖母は広島に住んでいて、夏休みになると、
7月の終わりから8月まで、ほぼ1ヶ月近くを東京から新幹線に乗って、祖母の家で過ごした。
習い事と塾へ行き、中学受験もしていた私は、いつも眠くて疲れ切っていた小学生。
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スピーカー 1
だから、何にも予定のない広島で、祖母と過ごす夏休みは、楽園そのものだった。
広島での夏休みは、私を縛るものが何にもない。
宿題も、バスと電車で塾に通うことも、早起きもしない。
昼前に起きて、漫画を読んだり、散歩したり、近くの親戚の家におやつを食べに行ったり、
毎日気の向くままに過ごした。祖母と出かけることも多かった。
宮島の花火大会、カープの試合、プール、原爆の日に灯篭流しを見に行ったり、
中でも一番楽しかったのは、路面電車に乗って広島の市街地へ行き、
暑い中クーラーでキンキンに冷えたデパートで、欲しいものを好きなだけ買ってもらえたこと。
おもちゃ、文房具、洋服に下着、CDに本に漫画、買い物の途中でお子様ランチを食べたり、
喫茶店でパフェも食べた。
両親は共働きで、そこまで生活に余裕のある暮らしではなかったので、
気ままで地堕落な生活に加え、お出かけに買い物にと、
広島の夏休みには楽しいことしかなかった。
さて、ここまで話すとさぞ優しいおばあちゃんだったんだろう、と思われるかもしれない。
でも祖母は気性が荒い人だった。
戦後、女で一人で私の母と母の兄を育て生き抜いてきた人だから、きっと気が強くなければやってこれなかったのだろう。
今で一緒にテレビを見ているとポツポツと祖母が昔話を始めて、
戦時中やシュート目や別れた夫のことを話しては悔しかったことを思い出して泣き出したり、怒ったりしながらよく私に話しかけていた。
そして、よくお子ごとも言われた。
例えば、いつも先に私が広島へ帰省し、途中から母が合流して帰省すると、
あんた、これは母のこと、が来てから、この子は態度がでかくなったね、とか。
私が出産予定日を2週間ほど過ぎても生まれなかった時に、
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スピーカー 1
お腹の子はきっと女の子だね、こんなに母親のお腹の中にいるのは厚かましいから女だよ、
などどうしようもできないことをちくちく言われた記憶がある。
でも祖母はいつもおいしいものを私に用意してくれた。
朝食はパンを焼いてくれ、毎日違う果物を切って出してくれた。
高校生になる頃にはコーヒーを入れて、そこからコーヒー好きになった。
お昼はそうめんやおそば。
暑くなった午後に冷蔵庫を開ければ、
ヒャクルト、ラムネ、カルピスなど、普段は飲まない甘いジュースがいっぱいに詰まっていた。
冷凍庫にもアイスやかき氷、チューペットがぎっしり。
夜ご飯は祖母がちゃちゃっと作ったご飯。
サラサラと水っぽいのにすごくおいしいカレーライスや肉じゃが。
味噌汁にスープなどどれもおいしくて祖母は手際がよかった。
そして風呂上がりにはオラナミンCを飲んで一緒に熱湯甲子園を見て寝た。
何もなかったけど何もかもあった。
広島での夏休みは終わってしまうのが早かった。
祖母が亡くなって私は社会人となり転職をしたときのこと、
夢でもあったメディアの編集職の仕事に就いたものの、
未経験でのプレッシャーと業務料についていけず、
どうにもならなくて診療内科に通った。
そのときもうだるような暑い夏の日だった。
先生からは一週間会社を休んで様子を見てはどうかと言われた。
突然の夏休みが舞い込んだ。
最初の二日は何もせずに寝入った。
三日目くらいから少しずつ食欲も戻り、
心むくままに涼しい図書館に行って漫画を読んだ。
自由でこの上ない開放感。
でもこれからのことを考えると復帰できるのか、
または本格的に休職するのか、見当もつかなかった。
普段は会社にいるはずの平日の昼間、
家で冷たいカルピスを飲んでいたら、
心に浮かんだのは広島での夏休みだった。
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スピーカー 1
時々ちょっといじわるを言われたり、
私も言い返して喧嘩をするおばあちゃんがいた。
でもすごくすごく楽しかった。
何もいらないから。
広島に帰りたいなあ。
あの夏休みがあったらなあ。
わんわん泣けてきてわんわん泣いた。
息子が生まれて親になって感じるのは、
親の愛というのはすごくつまるところ、
食べ物を与えることなのではないかと思う。
またはいつもお腹すいてない?
喉乾いてない?と心配しているのが
育む者への愛情なのではないか。
私は広島ではただただ与えてもらうだけの存在だった。
その与えてもらった思い出のすべてが、
私の底でしっかり私を支えている。
転職して仕事の行き詰まった夏休みに、
私はそう確信した。
夢だった仕事には挫折したけど、
私にはかけがえのない大切な思い出があることに気づいた。
頑張ることも大切だけど、
たぶん死ぬ前に私が思い出すのは、
広島での夏休みだろうなあ。
口では愛情を伝えてくれなかった祖母だけど、
年老いた体で熱い中、
孫を連れて出かけたり、
いつでも冷蔵庫をいっぱいにして、
ご飯とおやつも食べきれないくらい用意してくれた、
その行動そのものが愛であふれていた。
自分が親になって、
子供の世話が精いっぱいだということを知って、
改めて祖母の愛情を再確認している。
おばあちゃん、
私は結婚してかわいい元気な男の子が生まれたよ。
よく笑う本当にかわいい子なんだよ。
おばあちゃんが息子のことを見たらなんていうかねえ。
またおばあちゃんのカレー食べたいなあ。
それでお風呂からあがったら、
一緒にオロナミンC飲みたいなあ。
12:17
スピーカー 1
いかがでしたか。
さて名残惜しいですが閉店のお時間です。
今後も喫茶クロスロードはあなたがほっこりした時間を過ごせるよう、
毎週月曜日と木曜日夜21時よりゆるゆる営業していきます。
それでは本日はお越しいただきありがとうございました。
またお待ちしております。
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