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『喫茶店のディスクール』後編
2023-03-15 57:37

『喫茶店のディスクール』後編

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今週のkisen radioは3月5日にKAMOGO @kamogo__wakayama で開催されたトークイベント『喫茶店のディスクール』のディスクールの模様をお送りします⚡️

出演はオオヤコーヒ焙煎所のオオヤミノルさん、誠光社の堀部篤史さん、和高冷熱の髙橋和也さんです。
@kafekosen @seikoshabooks @wkrn.jp

今週は後編です。ぜひお聴きください。

喫茶店のディスクールは誠光社さんの店頭、オンラインストアで購入できます。

和歌山県内でも海南市のOLD FACTORY BOOKSさん @old_factory_books や湯浅町のアリセキさん @arisekiauto さん、新宮市のwheel action bookstoreさん @wheelactionbookstore でも購入可能です。
気になった方はお早めに!

#喫茶店のディスクール

感想

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00:00
この辺で高橋さんに出てきてもらいましょうか。
そう、出てきてもらう。どうぞ。
ちょっと待ちます。駆けつけていきなりで、申し訳ないんですけどね。
これって呼んでいただけました?
はい、呼びました。
どうでした?
いや、面白かったんですけど、大屋さん節というか、
僕の農業者とか職業の材料屋さんにあげた、僕出てるし、
なんかちょっと難しいって言ってますね。
大屋さん節が伝わらないというか。
大屋さんという人を頭に思い浮かべると、
ある程度、大屋さん語というか、しゃべり慣れてる。
いや、そこをお互いに乗り越えられたらいいねって材料屋さんに。
でもね、最も乗り越えてる側の人間なんだけどね。
でも、そこを俺のことを難しい文章とか選ぶ単語があって、
いうところをお互いに何とか歩み寄りたいよね。
現代思想用語みたいなのが出てくるから難解なんじゃなくて、
逆に待ち場のレベルまで現代思想用語を落として話してるんですね。
それはやりたい。
なぜそれが必要かというと、
都市も社会も言語で余れてるわけですよ。
言葉でできてるんですね、我々の生活空間っていうのは。
だから、例えばパノプティコンであるとか、
物証家とか疎外とかっていう言葉を持ってなければ、
原因となっているもやもやしたものっていうことを指摘できないんですよね。
だから言葉って武器だから、
こういうものがアカデミズムのものになりすぎてるんですよ。
ミシェル風光とかはね。
全然僕らと関係ないもの、すごく難解なもの。
でも、言い方悪いけど、俺らでも分かると。
分かるね。
でも太田さんだってそうじゃん。
ん?
テメェ差し詰めインテリだなって言うしさ、
おはよう労働者諸君って言ってさ、馬鹿にするわけじゃん。
労働者というか、自分より、
太田さん労働者より下じゃん。人間としてね。
クズだからね、人間の。
まあ、遊民というか、外側にいる人なんですね。
外側にいる人が働いてるタコ社長の工場に入っていてね、
やっとるかね、労働者諸君とか言うわけだし、
俺らが若い頃は飲み屋でね、
その辺の土方の盛ん屋のおっさんがね、
もう帰ってって言われて、
で、なんかあったんだよね、俺ら見てないところで。
そしたらそのおっさん、おっさんやで、普通の土方のが、
大将、俺を疎外するつもりかって言ってたもん。
03:00
疎外とかね、物証かマルクス主義用語。
用語だよね。結構難しい用語だもんね。
そんなマルクスとしてはそれほど大きく取り扱ってないんだけれども、
日本の広松渡るという人が、それを特に展開した人なので。
日本の左翼運動ではみんな疎外、疎外っていうね。
例えば工場労働みたいなものがベルトコンベア式になっていって、
その人の仕事っていうのはものすごい部分でしかないと。
でも昔の仕事っていうのは職人に近かったから、
作ってるものの全体像っていうのがわかったわけですよね。
でもフォードみたいなものがベルトコンベア式で作ったら、
その労働者は同じ部分だけを繰り返し作業し続けるわけですよね。
だから全体に奉仕してないし、自分が何を作ってるのかとか、
それがどういう人が買ってくれてるのかっていうこともわからなくなってるんですよね。
それが仕事から疎外されてる。
労働っていうのは作ることに何らかのクリエイティブな喜びがあるはずなんですよね。
高橋君なんかは自分のところの職人を仕事から疎外されないように
っていうことをすごい気をつけてて、
でも分かってない職人が時々遅くまで働かされるって言うても愚痴ってると。
でも全体を分かるためには残業もしないとダメだし、
時にはない残業っていうのは絶対必要なのに、それが責任だからね。
だから金をもらう全てに金が発生するならば、
自分の失敗したことをリメイクすることにも金が発生するならば、
それは疎外を求めてるっていうことだよね、自分から。
今の話を聞いていて、ご自身は意識されてます?
そういう一緒に働く人たち。
共有したいものはしてるんですけど、
僕らは高齢率がどうっていうよりは、
値引きしてくる人らを社内で共有することによって意識を植え付ける感じですかね。
値引きしてくる人らってどういうことなのか。
施主さんが、元受け、公務店とかが20万円ずつしてほしいって言ってる時に、
何でか聞いててるし、僕値段触ってないでも従業員に任せてるんで、
安くする線は任すけども、何でかコミュニケーションしてなっていうのと、
何で安できやんかって言ったら、僕らはちゃんとした綺麗な工具、
新しい最新の工具を買うよね、現場それで納めるよね、
仕事現場行ったらめちゃくちゃ綺麗に養生すると。
養生する時間もある、作る。
そうやって人数を入れる、撤去する時間も掃除する時間も全部見て、
06:05
さらに従業員の給料確保するっていうのを、金額で共有してる。
意識として、さっき言ってた、どの部分でしたっけ、
僕その言葉では伝えてないけど、そこを共有することによって、
さっき言ってたことが共有されてると思う、従業員に。
まさしくそうですね、アンチ阻害、アンチ物証化だよね。
その値引きのコミュニケーションをしないっていう部分が、
お施主さんとか飲食やってる人とか工事するってなった時の、
僕らがコミュニケーションを取らないことによって創造力がなくなって、
例えばお店をしたいってなって工事して、その先にあるお客さんのことを見えてるんだけど、
この僕らがお客さんになることを想像してない、全く。
それがめっちゃ大事なのに。
僕らと一緒にいたおじさん、年配の師匠の60代の人でも、
ちょっと工事したら家で自慢するんだよ、絶対。
あ、今日クーラーつけてきたんでとか、自慢するし。
でもそこでやっぱり値引きの影響とか、僕らの態度が悪くなるじゃないですか、
大体応援の人に現場が切羽詰まってたりプレッシャーかかってたら、
それが多分家族に話さなくなると思うんですよ。
なるほどね。
それで循環は生まれないじゃないですか。
お客さんが、そのおじさんの娘も来なくなるし、新しい店に。
それはすごい感じますね。
まさしくこの本のテーマだよね。本がディスクールのね。
それを在留はさんがちょっと読みづらいなっていうのは、
いいんだけどね、読みづらくて。
それもちょっと僕が翻訳してまた伝えといて。
伝えといて。
でもね、分かりやすい例えもいっぱいあって、面白い例で、
また今の話とはちょっとずれるかもしれないですけど、
人間関係の疎外っていう意味では、
共有地とかコミュニティっていう言葉もキーワードとしてたくさん出てくるんですね。
共有地って言って簡単に思い浮かぶのは銭湯ですよね。
銭湯って、銭湯のオーナーのものではあるんだけれども、
地域の住人のものでもあったんですね。
かつてはね。
お風呂ないうちなんていっぱいあったわけだから、
みんなで汚れた体を洗って入るところなんで、
その清潔度なんかは客が守らないといけない。
共有地なんですね。
だからそこに新参者とかよそ者が入ってきて、
いきなり係りもせずにドーンと湯船に入ると、
必ず常連のおじさんが、
これはお前っつって怒るわけですね。
洗面器でどつかれてね。
それが客と提供する側の店の関係なんだけれども、
09:05
消費者と店の関係ではないわけですよね。
本当はどの仕事にも銭湯の客と銭湯の経営する人との関係が、
消費と供給の構造には必ずあることを求めて、
諸本主義というのは動いているはずなんですけれども、
基本的にはそれが人間が行う諸本主義という前提のはずなんですが、
ヒューマニズムと言われるものなんですけれども。
ヒューマニズムに基づいた商売。
でもそれが銭湯には特に分かりやすくある。
要するに銭湯は経営者の物感が薄くなりやすい。
要するに経営者の使わなくなった荷物が脱衣場に置いてある銭湯なんで、
よくあるんですけれども、半分倉庫みたいなことになっている。
昔だったら、今でも京都には客が怒る銭湯があるし、
そういうことで客が近所に減っていくみたいなね。
それでも許して来てくれる客を優先した銭湯は、
みんなから嫌なことが起こる銭湯と言われだすし、必ず。
だからそこのところもう一回、自分のカフェであるが、
しかし人が来てくれなかったら、ただ自分のカフェのように作った場所でしかなくなるっていう。
その矛盾みたいなものをね。
そうですね。それもありますし、
共有地である銭湯というのは、客側もそのマナーを守ったりとか、
違うマナーを守らないお客さんに直接注意をするというのは、
人間と人間の関係なんですよ。
でもそれがもっと便利なものとか、もっとそういう煩わしさがなくて、
コストパフォーマンスの高いものというのを求めていくと、
スーパー銭湯になるわけですよね。
スーパー銭湯は係員をせずに入ってきた客がいたらどうするかというと、
それを見て嫌な気分になったお客さんが係員に言いつけて、
係員がその係員を支援にかかったお客さんに注意しにいくんですよ。
それが物証化と疎外の第一段階。
だからこの例というのは、さっきと関係ないような話かもしれないんですけど、
高橋君がおっしゃってた工事屋さんの人たちが分かりにくいって言うけれども、
そういう例で東北現代思想の考え方というのはダイレクトにつながっているんですよね。
だから何かスーパー銭湯と銭湯って違うよなと。
銭湯って何かいいよなと思っているときに何が違うかというと、
12:04
物証化と疎外というのがもう一段階繰り上がっている状態がスーパー銭湯なんですよね。
そういう社会を受け入れていくのか。
で、そのスーパー銭湯的なものと銭湯的なものの違いというのは、
小売店であったりとか工事であったりとか、
すべての人と人とのビジネス、お金の交換の際に、
その差異というのは必ず現れるんですよね、違いというのは。
特に工事の中でも電気設備とか裏方に近いものだからね。
特に新産舐めていると思う。
だから面白いなと思う。高須くんの在り方、キャラクターも立っているし。
でも超レアケースだと思う。ここまで今も。
要するに彼も別にフランクフルト学派の電気屋でもないからさ、
何もそんな物証化も何も知らないけれども、
実際そこに抵抗しているわけでしょ。
しかもそれは人間としてこうありたいというよりも、
それじゃ成り立たないんじゃないか我々がということにおいてやっているから、
実際問題はもうすでに何十年も高橋くんが、
少なくとも高橋くんが値段を下げるにはコミュニケーションして
納得したら下げるけどほとんどは納得しないという話じゃん。
それを思いついた時に問題はすでに始まっていて、そういうようなことが。
この人はすごいのは、でも周りは下げるんだよ。
そうすると仕事取られるということがあって、
そういう幻想でみんな、じゃあ俺ももうちょっと
あいつが下げるっていうよりももうあと10円下げようかみたいなことをやっていって
しめしめと思うわけね。我々が払う方は。
でもそこのところをやめる方法を結構システマチックに持っていて、
だからいいデザインのやつだと多いに仕事。
要するにデザイン性を持った人間として仕事をするっていうのも
それの俺は手立ての一つだと思っているのね。
それが全てじゃない。友達だからやんだけども、
要するに安易に値段を下げないとダメならば
他のものも一緒に動かなくなるよみたいなものを持っているから
ビジネスとしてはすごい面白いケースだなと思っている。
そこで一番の問題っていうのは、その消費者が安ければいいっていう
思い出すことが、それに対してそれを受け入れてしまうことが
どんどん物償化とか阻害とか、つまらない店を増やす境界になるわけじゃないですか。
もうちょっと複雑でさ、今のは基本構造なんだけど
今は銭湯の話もスーパー銭湯の話ももうちょい複雑だよね。
スーパー銭湯の方が良くて係員呼んで直接怒りたくない人たちがいっぱいいて
15:03
でもその人たちは何かって言ったら銭湯で怒られたり怒ったり
ドア閉めろやとかシャワーがかかってずっとお前って言うようなことを
言い合うようなことができないストレスをそれを言わないことで
係員に言い付けることでスーパー銭湯で漫画一人で読んでずっと最後ね
みたいなことで解消している。
だから自分に人間性を取り戻すために銭湯じゃないところに行く方が取り戻せるみたいな
超複雑になっちゃう。
消費者自身が物償化と疎外を求めているってことですよね。
今の話は高橋君にもそれが当てはまっていくみたいなところがある。
だから要するにどんだけ職人はそのことを高橋君のことを理解しているか
でも理解しなくてもそういうふうなことが大事だって言うならば
やっぱりそれは善意という名前で
ヒューマニズムという名前に対する物償化が始まって
それに疎外されるみたいな複雑構造が起こる。
ここを語るとよりややこしくなる。
ただ一筋縄にもちろん皆さん帰ってね
言った時に今俺が言ったような疑問が
堂々巡り的な疑問がお風呂で寝る前に沸き起こってくるんだと思うんだけれども
そこのところも含めてこの本は
基礎的な人間性を欲しているのに
人間性の中ではもう人間性を失うみたいな社会が始まって
その中で我々は喫茶店を始めて
その喫茶店を高橋君は作らないとダメでっていう話なのね。
社会の話なんですね。
犬が鳴いてないの?
フミコが。
フミコ犬のモノマネできるの?
違うな。ワンワンって聞こえたね。
この本の中の意見として面白いのは
そういう時に消費者、客側は
例えば本当にスペシャリティコーヒーとか
高橋君の電気工事とか
技術とかデザインとか
仕事に経緯を示すのであれば
積極的にそれに見合うお金を払うという決心をすべきだ
というようなことを書いているんですね。
そういうところまでいくのがこの本の特徴だと思うんですよ。
そのことを批判する本っていくらでもあるし
批判を持っている人はたくさんいるんだけれども
本当にこのコーヒーであるとか
この仕事であるとかが希少であって
ここでしか味わえないもの
自分にとって価値のあるものだと思ったら
18:01
積極的にそれに対するペイを払う
それは具体的にどういうことなのか分からないけれども
ちょっと高いコーヒーだけれども
毎日そこに通うとか
A社、B社、C社で
安いけど全然コミュニケーションを取って
気持ちよくないところよりも多少高くても
要するに消費する側がプライドを持って
相手の価値を認めるということですかね。
でもざっくと言うと
友達に金を払ったらいいと思っているのね。
友達だからという理由でいいのではないか。
ダメだったら喧嘩してもいいわけで
喧嘩して仲直りできる友達に金払えばいいじゃんみたいなね。
友達にお金が払えない状況っていうのが
今の本当に行き着くところまで行った
今の消費社会だと思うんですよね。
それも複雑だよね。
友達値段ってよく聞くけどさ
本当に友達じゃない奴らがやってるもんね。
友達っていうのは象徴なんだけど
要するにコミュニティと言い換えてもいいかもしれない。
隣人というふうにネイバーフットと言い換えてもいいかもしれない。
例えばクラウドファンディングって
いろんなもの応援できるとかね。
多いよね。
すごい善意のことのように見えるけれども
結局それは誰かの利益のためにあるシステムなんですよね。
運営会社はなんで金持っていくんだよ。
プラットフォームビジネスなだけで
それをそのまま直接現金で
僕は親さんにお金払うことと
意味が違うんですね。
これ面白いんだよ。
そのプラットフォームを運営している人たちはね
こうやって出会いの機会を世界中に広げてますっていう
僕たちの仕事に手数料が2%ですとか言って取るわけじゃん。
要するにそういうことだよね。
でもさ、もうここに
ここにもうちょっと金欲しいなと思って
タコスの移動販売したいなと思っている女がいるわけじゃん。
例えばね。
別にそれ
思ってない。思ってない。
そういうのがいたらそこに出しゃいいわけで
それをどこでどういうふうにやってくれるかだよね。
遠いところでやられても困るしとか。
実はクラウドファンディングっていうのができたおかげで
そういうコミュニティみたいなものが
傍用としたものになってしまって
我々と関係ないものもコミュニティだと思わされているだけで
全然遠いところにお金を払うけれども
実際に身近に接している人たちとか
自分は好きだし
この店会ってほしいっていうところに
お金を払うことができない。
そうね。でも高橋君なんかね
仕事で、ごめん。どうぞ。
でもクラウドファンディングって
もともとみんな
クラウドファンディングって別に
僕の思うのが友達やったら
お金払いたいって僕は思うんですけど
21:00
みんなの感覚として
それやったら安っしゃれよみたいな
それやったらお金払わんでいいっていうのが
まず染み付いていると思うんですよ。
それね。問題。でもね
それはすっごい問題。俺大っ嫌いなんですよ。
もう一個あるんですよ。
クラウドファンディングはどっちかというと
それをちょっと変えてくれる
むしろいい薬にもなっていると思うんでね。
この子にやったらお金払いたいというマインドになるというか
まずお金払わん、安っしゃれよというのと
また逆なんで
クラウドファンディングで
知り合いやからお金払っちゃいたいという
気持ちにさせてくれるのがすごいいい部分だと思うんですよ。
知り合いでもクラウドファンディング
経由で払う人いるもんね。
そして知り合いだからとか
払ったことが知り合いが頑張っている
知り合いじゃないんだよ。
払ったことで何か関係性ができた人が
あの人たち応援してくださいって
拡散するパターンもあるよね。
でも俺は何か会議的で
これはここの部分ちょっと長くなるから
やめときたいんだけども
言っていることはすごくわかる。
だから俺が言いたいのは
連れだから安っしゃれよとかね
連れの値段って何なんだみたいなね
逆も本当は同じだけあってもいいじゃん
連れなんやからたこはらたれや
でもほとんどないじゃんそれって
それ本の部分の
僕本当は2500円の大屋さんのコーヒーは
高いとは思わないですよ
本音でいうとそんな揉めた記憶もない
じゃあ買ってよ
全然買いますよ
あれは飲んでいるときに
じゃあ2500円だったらそれは
っていう話したからね
親戚のところでね、いとこのところでね
バーガー屋のね
だからその問題は
我々が普通に連れだとか
コミュニティだとか
言っているものが
実は極めて
例えば戦後にね
この国で自民党が
ほぼ70年近く政権を取っている
北朝鮮中に
一党独裁政権が続いている
こういうことの中で
実は生まれてきた連れとお金の関係で
なんならさ
別に収入の十分の一だったら
毎月連れに貸して
帰ってこなくても
いいはずなのね
それが何でか知らないけど
偉いことみたいになるのね
いいじゃん別にそれ
それが連れだったらね
いいじゃんと思うの
十分の一だよって言って
100万稼いで給料ある人は
10万円だよって
そんなめくじら立てなくていいよ
10万なくなってもって俺は思うんです
思えない
思えないのは
コミュニティがそういう風に
経済的コミュニティに
変換してるからだと思ってるの
全然普通だよ
だって親戚一同が一件に集まって
24:00
一人の働ける高橋君から
今は悪い言い方だけど
みんなおんぶになっこで
いい仕事取ってきたみたいで
これで私らも安泰やなって
親戚一同が言ってたんだもん
日本なんて
それで別に幸せに生き抜いた人も
いっぱいいるんだもん
だから戦後
いかに変になってきたか
今思ってる友達との関係とか
友達との価値観の交換っていうのは
あんまり信用するに値しないんだよね
クラウドファンディングの問題点っていうのは
本当はそういう曖昧な領域って
いっぱいあったのが
善意っていうのが
そのプラットフォームに乗ることによって
グリッド上になるわけですよ
あれってほとんどリターンだから
投下交換の考え方で成り立ってるんですよ
お金をこんだけ払ったら
こんだけ返しますっていう
でもぶつ返しでしょ
だからやはり出資法の問題があって
あのプラットフォームではできないんだよね
配当っていうのが
だから高橋君がおっしゃったみたいな
結構珍しい考え方ですよね
でも面白いと思います
ダンピングするんじゃなくて
ただ大抵の人はそれを
消費のように買い物
何かの見返りを持って
選ぶときに投下と
選ぶ人は
俺言うだけで1万とかやったらしないんですよ
もしかしたら
初めて俺の手紙送るのに3千円とかがスタートなんですよ
クラウドファンディングのリターンって
次はTシャツ8千円とか1万とかなんですけど
Tシャツもらえなかったらやろうか
とかの選び方になるんですよね
でも普通だったら
俺と関わったってことを言いふらしていいから10万円とか
全然あり得る
でもそこを一番先に選ぶ人は少ないっていう感覚が
そういうものへのカウンターの考え方として
また現代思想用語だけど
雑用経済っていうキーワードが
この本の中には織り込まれています
雑用っていうのはどういうことかっていうと
一冊だけあるかな
マルセル・モースっていう人類学者が
フィールドワークに
要するに西洋文化圏じゃない
島国の民族の経済高度
貨幣なんかがないところの
彼らの交換様式みたいなのを観察して
発見した様式なんだけれども
隣のコミュニティから何かをもらったら
必ず違う形で返礼をするか
違うところに違うものを返す
そうやって物を回すことによって
彼らの経済というのを成り立たせている
物をもらった時に返さないというのは
争いを起こしている
27:02
あるいは同じものをそのまま返すこと
宣戦布告だよね
同じものを返すっていうのは
貨幣の交換の消費なんですよ
今はなおかつ消費者が同じもの以上に
リターンを欲しがっているので
それがダンピングになるわけですよね
贈与というのはそうじゃなくて
例えば自分の好きな喫茶店を作りたいから
この20万預けると
その代わりに
コーヒーチケットというのは分かりますけど
コーヒーチケットではなくて
その店が維持することによって
何か違う形で自分にとって利益がある
実は高橋くんが
安く工事をメシカをしました
だから高橋くんは特別に
毎月一回ただの日があります
というのが贈与と返礼みたいに
思いがちなんだけど
それは交換なんだよね
贈与と返礼というのは
だからメシカは安く電気工事したから
今までこんな素敵な店と
こんなおいしいものがないところで
ずっとみんなが食える値段で
メキシコ料理を作りましたと
そうするとそこに住んでいる高橋くんも
楽しい毎日が送れます
みたいなね回り回って
高橋くんのお父さんが
ニコニコして帰ってくるとかね
そうすると高橋くんは
自分はなかなかお父さんをニコニコさせてやれないけど
自分がやった電気工事とその値段において
そういう回り回ったことを
回り回るような人間関係を作るのが
普通の人間関係
だからさっき言った
ツレヤからヤスシタレヤとは
ちょっと違うという話なんです
贈与経済というのが成立しにくいわけですね
もっと簡単なことを言うと
たくさんいろんなお店があるけれども
店で何かやったときに打ち上げするときは
ここ使ってやろうと
そう、とかがあったりとか
飯買いに行こうかとかね
そこを使うことによって
別に何か利益がある
もっと安いB点があったり
もっとポイントがたまるC点があるんだけれども
そこをみんなが使うことによって
そこが自分のあってほしいような店が元気である
ということが自分にとっていい状態になる
だからそれは投資じゃなくて贈与
お金を言ったら
逆に言うとサービスを受けているから
それで完結しているのではなくて
選択上そっちを選ぶというのは
ある種の贈与である
だから面白く言って
世の中は金やんけっていうやつは
本当は贈与なんて資本主義のもとを作る
一つの決定要素だから
贈与のことを真剣に
金しかないでって本気で言うなら
30:02
じゃあ今の贈与の構造のことを
体現するべきだし
もっと言うとキリスト教のプロテスタニズムの
ことをもっと体現して
隣人を愛さないとだめだし
契約を守らないとだめだし
ということになっていくのに
金やでっていうのは
今言った全てのことを否定することに
使われているのね
これもおかしい話
だからコミュニティとか
自分たちのお金のやり取りとか
高橋くんがすごい画期的なやつにあったのは
和歌山で
和歌山のシングルマザー率も画期的だったけど
それと同じくらい画期的な男って思っている
わかりにくいですね
わかりにくいね
率が高い
驚きの2つなんだよ
高橋くんが現場で
画展でやっているのに
要するに処分主義の問題に
めっちゃちっちゃな和歌山の
しかも和歌山って言っても
奈良寄りの
タクシーに乗ったら
6千何歩かかるところで
俺が1万円出したら
酔っ払ったら
高橋くんが
ツリーで
そわって言われたことあるね
1回
参ったと思ったけどね
参ったと思ったけどね
で、やってるっていうのはね
こういう人は多分高橋くん以外にも
いっぱいいると思う
でも高橋くんみたいに
実はすごい計算できてて
そのためにポケて
潰れてたまるかと思っているから
いっぱい差し込んでいる
ヘッジできる
でもそれを
例えば子供っぽい人はね
案外言って計算高いんだよ
とか言ってるけど
商売やってるんだから
計算高くない奴の方が
悪だよって俺は思う
誰かを不幸にしてます
不幸にしてる
その人はね
その人の一番悪いところは
考えることを捨てている
思考することをさぼる奴が
とことん
最近も腹立ったんですけど
言って言って
名前もあげて
あげられへん
ラジオだもんね
結局
言ったら
自分
ストレスかかるときってのは
上司だったり
元受けが
自分らが考えなくていいようにとか
自分の作業を経るように
5時で仕事終わりたいから
部下に投げたりとかの延長で
思考も止まるし
労働も止まるんですけど
その先に
負荷かかるんで
全部下請けとか
僕らみたいな
末端の労働者になるんですけど
そのたんびに
なんであいつらがさぼるために
お金のことも分かるんですよね
僕らが仕事量増えて
あの人らは
安くで受けてきて
僕らの仕事量だけ増えて
僕らの労働力は
全く上がらずに
っていうところを
何十年も
僕はその親の時代から見て
ちょっと強いてあげられて
直接的に言葉でも言われて
33:00
その都度腹立ってるから
だからその本にも書いてもらった
僕らはそんなことで
僕らも誰かが不幸になって
たまるかっていうのを
本を読んだ時の
この胸圧がやばかった
胸圧
ジミヘンみたいなもので
胸が熱くなるんだよね
ジミヘンという
さぼりすぎですみんな
本当に仕事
いやそう
と思う
思考停止も
裸々しいから問題なんだが
なんだがみんなやっぱり
俺らも気を付けないとね
実はどこまで
思考停止してないかは
誰にも分かんないし
高橋くんの次の段階とか
時々俺は差し込んでるヘッジとか
要するに高橋くんが
自分たちの
彼はいつも自分たちなんだよ
そこはもうすごいんだよ
自分のファミリー
要するに職人さんたちも
ある種のコミュニティ
そうそう
なんなら業界もう潰れない
こんなんだったら
業界はあかんようになっていく
でも思ってるし
それに対する
なんていうのかな
負けないためのカードを
何個か別のところに
持ってるんだよね
3点ホールド
っつうんだけども
まったく関係ない
電気と関係ないところに
それを持とうとする
でもその時
ちょっと
違うんじゃない?
っていうことはあるよね
俺はね
高橋くんの
そこ違うとか
そこじゃなくて
いいような気がするな
っていうことは
時々あるけど
飲みながら
そうね
今日はダメだ
帰るんだよ
帰るんでしょ
俺も帰らないと
ダメなんだよ
でもまだまだ
高橋くんは
でも
えっと
面白いと思います
ほんとに
で後輩たちは
あっちゃんも
ガソリンなんか混ぜるのやめて
高橋くんの
やめたよね
もうね
嘘ですよ
これ
ガソリンの時は
シャレにならないみたいだよね
どこで言っても
それは
ガソリンに
なんか混ざってるわ
みんな本気の顔するの
怖いよね
嘘です
混ざってません
純正だよね
どこさん
三次
エニオスさん
エニオスさん
国はないの
国は中東やと思って
中東
アラビア入れて
とか
あったらいいのにね
コーヒーみたいにね
ちょっと薄めで
って書いてね
はい
すいません
いやいや
どんな話
どんな本なんや
みたいな感じですけど
こんな本なんですよ
ほんとに
そうです
こういう話を
もうちょっと分かりやすく
整理して
これを支える
人間性
情緒っていうのがあって
そこを
それを豊かにして
他人
特に他人の情緒を守ろうよって
自分の情緒じゃなくて
っていうようなことを
なんていうのを
考える方が
こっちだと思う
味わうっていうのは
そういう情緒の話だ
っていうことで
そうですね
だからこっちの方は
コーヒーの味とかがテーマで
こっちは
商売とか
喫茶店から
その社会を考えるっていう
両方だから
それぐらいの
広がり方というか
一瞬ぼうようとするような
36:02
抽象的なことにまで
展開するっていうのが
大谷さんならではだし
それが逆に面白いところだと
思うんですよね
ディスクールっていうだけあってさ
ほんとにさっき
初めに冒頭堀辺ちゃんが
言ったみたいにさ
正解求めて読んでも
しょうがないからこれは
俺が何考えてるか
なんかじゃなくて
これで自分の
今まであった出来事を
重ね合わせることが
いっぱいできるようにな
仕掛けになってるね
だから俺で言ったら
私で言ったら
あの時のあれだな
みたいな感じで
この本は
大谷さんのキャリアと
今喋ってたような
昨今の社会状況に対する
考え方みたいな
交互に出てくるんですね
ちゃんと読めば
この人はこういう経験とか
こういう失敗をしたから
こういう考えに
いたんだってことが
分かるような
構成になってます
こんな態度だけで
大したことないんだよね
俺のキャリアってね
こんな態度ばっかり続くと
胸焼けがエゴイんで
自分の失敗みたいなものとか
自分自身を笑うような
ところもたくさん出ていて
それがちゃんと
繋がっているんですよね
こういうことをして
こういう失敗をしたから
今こういう考え方を
持っているんだって
まさしく今の時代
悪いっていう意味での
今の時代を構築する
一因としながら
ちょっとずつずれてきた
という感じだよね
この後書きにも書いているんですけど
この本は何か
お店をやる人の
もちろんマニュアルではないし
ビジネス書でもないんだけれども
お店をやるにあたって
まずそもそも
お店って何だろうとか
お店と客の関係って何だろうとか
それぐらいまで引いて
根本的に考える
ヒントを与えてくれるような
ある種の経営指南書
だけどマニュアルでも
ビジネス書でもない
考え方自体
でも今のまま
1985年ぐらいから
今に至るまでのまんまで
みんなが思ったことを
ビジネスにしたりとか
自分がなくては
その場になくては
必要とされる人間としての価値を
そこから見ていくならば
もう決まった人が
勝利するというのかね
あと我々はそんなに
幸せになる可能性はない
というのがあるんです
例えばコーヒー一つにしてもね
今の主流のコーヒーの焼き方
主流と言われる
いいと言われる機械
いいと言われるコーヒー豆
いいと言われるサービスであったら
UCCは勝つに決まってんだから
要するに資本の中で
物事が決まってしまう
大資本が全部できる
でも試行品の世界はそうじゃないから
我々インディーズみたいな
39:00
本屋の世界もそうですよね
本屋もまさしくそうじゃん
本当ならもう決まっていくんだよ
純駆動と上位に勝てないはずなんだよね
でも常にそういう本というのは
平たく言うと数値化できない
だから最も数値が高いものは
例えばラザイオ王様を生き返らせて
こんだけの金払って
アルゴリズムでこういう
転生して失恋するストーリーを書いたら
むちゃくちゃいい本
100万円の本ができるか
全くそういうことじゃないんですよね
でもね
怖いのは
だからそれがめっちゃいい本になる
っていう構造を今はらんで
要するにAIがやるならば
AIがいいように
我々の方がそっち側に持っていってる
それがそのSNSがパノプチコン化してる
お互いがお互いを監視してる
とか
インターネットなんて
俺が始まった時に
なんてすごいことができた
ナムジュンパイクという作家がいてね
ハイパーなんとか構想みたいな作品があってさ
そこがインターネットのアイデアの始まりで
それを思った時に
すっごい
彼はチェルノブイリの
発見してるのね
自己を一番初めに
そのアート作品として
みたいなアーティストがいて
すごいテレビを
世界中のテレビをつなげるっていう
構想を持ってて
どんなものかって言ったら
今はまさしくなんでもないじゃん
別にあってもなくても別に
いいわぐらいだし
なんでかって言ったら
さっきもきのうも言ってたけど
ルノーという車のことを調べたら
結構早いうちに
ルノワールが出てくるんだよね
それね
喫茶店のルノワールかと思ったら
本当のルノワールなんだよね
絵描きの
全然興味ないわそんなもんで
ルノーというフランスの車のことを
知りたいんだよ俺はって言って
他の言葉を入れると
俺が知りたいことにつながるの
それ何の言葉だろうと思ったら
そこにあるパーツを売りたい人とか
雑誌を売りたい人の言葉なんだよね
買いたいんじゃないんだよ俺は
知りたいのに
買おうとする人の言葉を選ばないと
インターネットに近く
自分が知りたいことに近づけない
だからそう思うとね
AIが全てになっていくというのは
なんとなく想像がつくよね
だからいろいろ
コミュニケーションであるとか
知的探求であるとかの
ツールだと思っていたものが
知らない間に
資本構造に組み込まれていて
それを気づかないまま
みんなが知的なことであるとか
コミュニケーションを取っていることであるとか
隣人にお金を払っていることである
という風に思ってしまっている
という構造が今なんですよね
時々飲み屋で喧嘩したりとかね
嫁にどつかれて連れて帰られたりとか
酔っ払ってね
家に入れなかったりしてね
家に帰ったら湿られててとか
42:02
怒ってガラス割ったら
パトカーが近所の人に呼ばれたとか
そんなのやっているならば
AIなんか何にも関係ないよね
なんかね
飛躍がね
なんか伝わらなかった
めっちゃいい時代の話をしたんだけど
高橋くんが嫁にボロボロ言われてたら
俺がまあまあまあとか
うるせえお前が一番悪いんだ
逆に言われたりとかするのがいい
それだったらAI関係ないもんね
分かったごめんごめんごめん
まあでもそういうところから
俺らはそのレベルだよっていう話
AIがどうだとかさ
言っても多くでしょ
言っても
超なんていかないじゃん
金額の世界にいたしても
そんな飲み屋で喋っているぐらいのことだよ
そんなの
質問受け付けましょうか
高橋くんに質問してもいいよ
読まれていない人の方が多いので
この本の内容というよりも
関係なくてもいいです
今日の話したことであるとか
今日出てきたキーワードであるとか
それこそさっきの高橋さんの
具体的な話なんかでもいいと思います
何かありましたら
上げにくい
でも聞いといた方がいいよ
何でもいいよ
ちょっと話一つ面白かった
面白かったっていうのは
気になったの
都心部でお店やるには
家賃高いから
郊外で全然アリやけど
みんなは郊外で家賃安く済んだのに
さらに安いコーヒー出すみたいな話が
すごい興味深かったんですけど
あんまり値段下がらないし
もしくは値段下げることが
何かの消費期になるならば
サービスを上げることもできるんだけど
郊外でやってるお店が
ガソリンスタンドが
友人ガソリンスタンドのセルフと
そんな値段変わんないじゃん
みたいな感じがあるって話ね
あれが何か
値段上げたり
サービスを3倍くらいにするべきや
みたいな感じ
何でもいいんだけど
要するに家賃分安くなって
家賃分安くなった分
安くする人があんまり来ません
っていうならば
それは別にいいっていう話だけどもね
都会で店やってるくらい
人が来るお店を
家賃が安いところでやってる人は
何が安くなってんだろう
しないとダメだとは思ってない
してなくても別にいいけども
好きではないけど俺はね
安くするより
いろんなものを上げた方がいい
という解釈をしてしまった
だからより力入れれるやんみたいな
お客さん来るっていう前提やったら
でもそういう話
45:00
都会で同じお客さん来るんやったら
同じ値段にしたら
利益が上がってしまう
上がってもいいんやけど
上がるならもっとサービス力を上げろ
いい材料買うとかね
だからこの喫茶店の話なんかで始まるんですけど
都市の家賃っていうのは
普通に一杯600円のコーヒーを出して
成立するような状況じゃないと
そのためにみんな何するかっていうと
付加価値を作るんですよね
それは何とかの権利を
そういうライセンスを持ったコーヒーだとか
自分で作ったライセンスね
だからそういう無理な構造が
無駄な情報価値とか付加価値を
生み出させるんだから
もっと家賃の安いところでやることって
必然的だし
そういうところだからこそ
いろんな商売をやる可能性がある
ただでもみんなは
家賃の低い田舎に引っ越したから
こんなところだからっていうので
そのまま都会の半分の値段で
サービスしようとするけれども
例えばこういうところって
すごい資源が豊かじゃないですか
昨日も陽子さんにもらった
アナグマとかシカノキクとか
そんな東京で食べたら
ひと皿何万円すんねん
っていうような本当に美味しいものが食べられると
そういう時に何かそれを
安くしていくんじゃなくて
それだったら成り立つから
っていう都会から逃げていくんじゃなくて
その都会の資本構造の矛盾点を
田舎だからこそ解決できる
その時に都会よりも3倍クオリティの高いものが
都会と同じ値段で提供できるんだと
そうすると多分その周りの文化も豊かになる
だから3分の1でこれぐらいでいいっていうんじゃなくて
真剣にスキルを持った人が
ローカルに移住して
そこの資源を使って
都会と同じ値段なんだけど
3倍以上のクオリティのもの
でもみんなはその3分の1の値段で
できるものを作ってしまう
だし要するに
もう一個言いたいことがあって
要するに楽なところで
失敗したら偉い借金抱えたりしないで
いいところでスタートすることで
安易に何かが始められる
お客さんがそれを喜んで
車で来てくれるから
だからいいじゃんっていう話は
いいんだろうけども
俺は嫌いだけどいいんだろうけども
でも要するに
そこのお店を経営している人ですら
あの人は良くないとかね
例えばいろいろ言うわけじゃ
戦争は良くないでもいいけども
構造的に何か人間が
人間を不幸にする構造が
48:01
そこにあんだよみたいな
ただ単に自分がやりたいからって
一番安倍のところで
要するにドラマみたいに
明日から演じるみたいな喫茶店をやってね
何でそれが喫茶店だっていうこと
いいんだけど
いいんだけど俺は嫌いだけど
何回も言ってるけど
でもそこには無理があるっていうかね
そんなことできるわけないのに
やってるから
だから値段は変わんないし
材料も変わんない
サービスも変わんない
みたいなことが起こってるんじゃない
でも必要とされてるし
いいじゃんっていう話なんだけどね
でもなんかそこじゃないって
要するに田舎に行っても
どこに行っても
何やってもコミュニティ変わんないし
ツレだったら安くしてやれよって
言われて
違うよツレだったら高く払ってほしい
みたいなことがぶつかり合いの中で
結局は金を先にたくさん持ったやつの方が
尊敬されて
金を先にたくさん持ったやつが
みんなが持っているアイデアを
始めにやれるみたいなね
時間と金を持つことを
焦り出すみたいな
が始まった原因じゃん
そこが安易じゃないことを
安易に始めちゃったからっていう
っていうことが
今の話は
なんとなく分かってくるでしょ
なんかでも
その前にずっと喋ってると
だんだん僕の方を見るんですよみんな
どういう
あんま分かんない
でも今おっしゃったような
テーマっていうか投げかけが
ローカルであることの必然性っていう
イッシュを裂いて書かれてます
それにはここじゃなくて
高町っていう滋賀県の
それも彦根の南辺りのね
そこでのコミュニティの話とか
ポジティブな面でも
語られているので
ぜひローカルっていうテーマもね
やっぱり重要な
この本の中の一つのテーマなので
皆さん読んでいただければ
そうと思います
なかなかね
こういう形の質問
質問しにくいというか
難しい話でもあるので
直接我々に
話しかけていただいたりとか
できますし
話し切りの話ができる
この回とか
この本を読むことをきっかけに
何か
腑に落ちたとか分かったとかじゃなくて
隣人と
何かそういう
対話をするようなきっかけになると
一番いいなと思います
そのヒントとして
やっぱり本があるわけですね
言葉を得ることによって
言語化されなかったものが
具体的になっていったりとか
なかったものにされているものが
見えてくるので
ぜひ関連本なんかと一緒に
そちらで
販売していますので
51:02
はいはいジンコちゃん
ロースターズのジンコちゃん
さすが美大出身
そこに食いつくっていう
むさび出身
さすが
ありがとう
今おっしゃってたのは
序盤に出てくる
一億層暇つぶし時代というか
仕事の
価値観自体が変異してきている
フィンテージウイスキーを
出すバーがあって
そこに親さんが行った時に
70年代以前の
ウイスキーというのは
樽熟成というか
瓶に詰められた
時間が減ったから
美味しくなるものではないんですよ
でもそのバーの真っ当りは
これ以前のウイスキーとは
全然違うんだよねという話をしていて
実際に味が違うと
あかし君のところに行って
京都でね
ベロンベロンだったり
なんせあかし焼き
みたいに家に張ってた
あきかだったね
そこに
でもそこのことばっかり
なんだっけ
清町行ったら
あかし焼きの話
普通だったら
それはそれで
昔のウイスキーは美味しかったんだな
で終わる話なんだけれども
この本の中では
何が変わったんだと
例えば70年代ぐらいに
製法が変わったのか
例えば道具が変わって
プラスチック製のものが生まれたのか
答えは出ないんだけれども
一つには職業意識の変化
っていうのが大きな要因
なんじゃないか
それは何でかっていうと
労働環境がどんどん変化していって
消費社会が
発達するにつれ
我々は働いて
何かを消費するために仕事するようになった
そういう考え方が
普通になってくると
その労働している時間っていうのは
要するに監禁するために
自分の時間を売っているようなもの
そうすると
仕事っていうのが
例えば与えられた賃金を得るために
時間を売っていることに近づいていく
でも本来の仕事っていうのは
70年代以前の
ウイスキー職人がもしかして
そうだったのかもしれないように
やっぱりおいしいものを作ったりとか
いいものを作るっていうこと自体が
ある種の報酬であり
仕事の本質であったはずなんだと
そういうもの自体が
変質してきているんじゃないのか
というのが
一億層暇つぶし時代
要するにだから
54:01
さっきも言ったけども
私は職人なんです
っていうことを
楽しみたい人が
富士から大島で
厳しい職人みたいなことをやっているけど
実は別に何かすごいものが
できているわけじゃなくて
みたいなことにつながるんだと
さっきの喫茶店の
田舎でやる喫茶店の話もそうなんだけれども
仕事そのものに
全てを
傾けないといけないんだと
それは昔から決まっているんだ
仕事終わってからの趣味だけが
楽しみも
悪くはないけどね
でもまずくなったのはそのせいだよ
と思っている
そういう話なんかもあるので
今おっしゃってもらったように
みんなが引っかかるところが違って
みなさん
自分が面白いなと
そういうキャッチーなフレーズが
いっぱい出てくる本があって
ぜひみなさんが引っかかるところ
なんかを
感想でいってもらってもらっても
でもお金じゃないってことだよね
すごい聞き難いこと言いますね
最終的に
そうなんだよね
お金じゃないって言いながら
前半の僕のパチャママ時代とか
その後のスティーライト時代
っていうページがあるんだけど
お金じゃないよとか言いながら
自分より若い方を
騙して働かして
すごいしんどい思いを
させたりとか
しちゃうんだよ
今でもよく見るよ
超お年にいったら
ファッションリーダー的な人たちが
若くてその人たちのことを
憧れている人の
時間をいいように
自分で使って
結構利益得てるのとかも見るし
その時に使われるのが
カフェだったりよくするし
それはそれで
使われてる方も
変な気づきをしてさ
変な反撃をしてね
そこまでもめることじゃない
人生とか
っていうことじゃないよ
みたいな
人生のことで何回怒ったりするほど
変な先輩にいいように
新聞配達させられて
給料は先輩がもらったぐらいの話じゃん
みたいな
どうやって逃げるかだよね
後輩は
でもやってきてないのかな
怖い先輩の代わりに
新聞配達されたり
明日もやるよとか言われて
どうやって逃げようかとか
真剣に考える
せっかく話はまとまった
いつもこう
いつもこう
でもこういう
やっぱり語りの面白さというか
それをなんとか
ちゃんと論析だけって
形になってると思うので
誰でも読めるはずです
読める
ご独大歓迎だし
私はこう思ったでいいと思います
探さなかったら読めるよね
それがディスコイル
という
57:01
いいでしょうか
はい
長時間お付き合いいただいてありがとうございます
何より高橋君
お疲れ様でした
今日の仕事
本が難しい
なんて言ってしまったら
終わりながら思います
難しいことないです
だって高橋君でも読めるんだもん
そんな本もそこで
販売してますので
買ってきてください
今日は皆様
長時間ありがとうございました
ありがとうございました
57:37

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