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知事、あまり順番に言いながら。
ハードル上げて。
みんなでも、そんなベラベラちゃんと喋れる?
まあでも、自分自身だったら結構喋れるって感じちゃう。
そんなイメージですよ。
いや、そもそも。
幼少期どんなやつだったとかは、あんま考えても喋れるみたい。
考えれば考えるほど、あかん方に行くから。何も考えないで行く。
普通の会話って感じで。
そもそもワードセンスもないし、俺の変な喋り方になるけど。
意味わからん感じで行くわ。
何の話をやってたん?みたいな。
まあまあ、回して言ってくれる人はプロやからな。
いやいやいや、アマなんで。
よろしくお願いします。
ではでは、ちょっと台本を読ませてもらいますね。
有田市のコーヒーショップARCの上田です。
この番組は、和歌山で活躍するゲストの方にインタビューしていく番組です。
kisenradio第58回です。
本日は和歌山市にあるM2テクニカルの事務所の間で収録しています。
本日のゲストは、M2テクニカル代表取締役社長、
また海南市で毎年開催されているクラフトマンの代表をしている村田俊介さんです。
第52回に出演していただいた中西農園の中西さんも収録に参加していただいています。
村田さんの現在に至るまでのルーツや現在のこと、これから計画していることについてお聞きしていきます。
村田さん、中西さんよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
では早速なんですけど、まずは村田さんから自己紹介してもらってもいいですか。
海南市で外交工事、店員工事している株式会社M2テクニカルの代表取締役村田です。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
めっちゃ緊張してる。
めちゃくちゃ堅いし、マジで慣れてないから。
自己紹介一番苦手。
自己紹介って言われたら結構むずいね。
そうですよね。
前回、52回ゲストの中西さんの気になる人ということで、村田さんの登場なんですけども。
僕が指名させていただきました。
この中西さんと村田さんのご関係というか、どういう感じで出会ったとかって教えてもらっていいですか。
でも最近は1年、2年くらいなんですよ。
僕は知ってて、住んでるのは海南で、もともと地元は若山市なので、奥さんが海南の方で、僕の隣の中学校。
どちらかというと一番初めはあの人の旦那っていうようなイメージですね。
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でも2年前のクラフトマン。
クラフトマンで多分出会った。
そういうことですか。
そこで出会って、同級生で、嫁さんから紹介してもらって、みたいな感じで繋がるようになったんです。
クラフトマン、お二人で一緒にやってるってわけじゃなくて。
僕が出展者、村田君が主催者。そういう立ち位置でそこから始まりましたね。
でも今は事故委員のメンバーに入ってもらって、海南を代表して盛り上げてる。
そんなことはないですけど。魅力ながら、一応出展者側から運営事故の委員側の方になったって感じですね。
今日は7月の25日に収録させてもらってるんですけども、ちょうど4,5日くらい前に今年の2024年のクラフトマンも開催が告知されて、出展者募集みたいなのがされてたんですけども。
今年からは今までは出展者さん、直談判で依頼に当たってたんですけど、結構出展者さんの数も増えてきたんで。
今年はちょっと平等化というか、そこを図るように工房というスタイルで今スタートさせてもらったんですけど、今も結構どしどし集まってきてるみたいで。
毎年クラフトマン開催するときは結構大きいイベントが同日開催であったんで、僕らもそこに便乗してイベントとしてバーンと出たんですけど。
今年は僕らもしかしたら同日開催で僕らだけかもわからんから、滑ったらやばいなと思うんですけど。便乗するとこないから。
なるほど。クラフトマンのことをちょっといろいろと教えてもらいたいんですけども、2022年から開催されてるイベントですよね?
そうですね。ちょうど2年前からスタートですね。
今年で3回目ということで、クラフトマンといったらどんなイベントになるんですかね?
クラフトマンは自のごとく職人ということなんで、基本的には僕らが普段建築現場で作業している技術を構成にちゃんと伝えていけるようにということでスタートしたのがきっかけ。
それでも結局僕ら建築関係だけやったら面白くないよねって言って一職十のすべての職人が構成に伝えていけるようなイベントをやっていこうと言ってスタートしたのが2年前ですかね。
スタートのきっかけっていうか、なんでこういうマルシェ的なイベントっていうか、マルシェだけじゃないんですかね。ライブやったりとかワークショップやったりとかマルシェがあったりとか結構複合的なイベントになってるんですけど。
その辺はまず最初はそもそもクラフトマンって言っても結構ワークショップっていうのはもう僕らがやってきた時もすでにいろいろあったし、
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そのマルシェはマルシェで単独であったし、音楽ライブは音楽ライブで個々に単独でそういうイベントっていうのはあったんやけど、
僕らの建築現場のワークショップで正直なかなか興味なかったら来ないんで。でも興味がない人にしてもらうためにわざわざマルシェとか音楽イベントを複合して入れたっていうのは僕らの狙いでもある。
そのイベント最中に僕らが制作しているライブパフォーマンスっていうのを見てもらって、僕が壁塗ったりとか大工さんが鉄砲で壁を打ち付けてるところっていうのを実際見てもらって、
子どもらに手に取ってもらってやってもらえる風に1%でも多くお客さんに見てもらえるためにそこに注視して入れたっていうのがやっぱりスタートですかね。
やっぱりメインは職人の技術とか見てもらいたいっていうのプラスマルシェとかで間口を広げてっていうような。
そうですね。一番の根本のスタートはクラフトマンのイベントコンセプトとか職人の息を伝えつなぐっていうのがテーマとしてあって、
その息っていうのも職人の息遣いであったりとか、息だねっていう息な部分を次世代の若い子に伝えていける架け橋になったらなっていうところでそういうコンセプトをつけてスタートしたんですけど、
なるほど。職人の息っていうのはどういうことっていうか、どういう部分がかっこいいなとか。
まあでも新聞に一緒にものづくりをしてる時点で僕はすごいなんか自分の父であったりとかねおじいちゃんもっていうところで職人さんの背中を見てすごいかっこいいなっていうところと、
それが息なことをしてるなって、要は壁を縫ってたりしててもいろんなデザインもその人一人でやっぱり違うんで、すごいかっこいいなって思ったのがやっぱり息やなと思った部分であるんですけど、息ってなかなか説明難しいですね。
中西さんから見てどうですかね。実行委員メンバーとして。
そうですね。やっぱり職人っていうのは今まで過目で、別にそういう日の当たる場所じゃないですけど、そういうところっていうのが職人らしさみたいなところだったんですけど、
やっぱり農家も含めそうなんですけど、それでだんだん少子高齢化もありますけど、後継者不足でいろいろなってきてるんで、
普段やってることっていうのはあんまり皆さんに見られてはないんですけど、結構意外と興味あることで、農家もそうだし、査官とかもやっぱりそういうプロの仕事って見てて楽しいですね。
やっぱりそれをなんなくやってるっていうのがかっこいいみたいな。簡単にやってるように見えて実は体験してやってみるとめちゃくちゃ難しいとか。
そういうのは当たり前で簡単にやってるようなのがかっこいいみたいな。僕はそういうのが職人の意気とか職人っていう言葉に対してそんなイメージはありますけどね。
イベント通じて職人に憧れて世界に入ってくる人が増えたらいいなみたいな。
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そうですね。
本当に次世代のコーラにどうアプローチするかっていうのが一番音楽であったりとかマルシェが一番近しいところだったんで、そこをチョイスしたっていうのがきっかけですかね。
実際に2年間やってみて手応えはどうですか?
手応えは正直でもあります。もちろん来場者数も増えてきてるし、それに対して出展者さんも出たいよっていう思いであったりとか、
学生と一緒にものづくり体験もやってるんやけど、学生ら自体がまた来年クラフトマンに行きたいとか、今年も楽しみにしてますっていう声が聞けてるんで、
それは実感としてやっぱりあるんで、自分らもやりがいあるし、どんどんどんどんスペックアップしていって、来年来年っていうのをいろんな学生と一緒にものづくりだったりとかやっていきたいなっていうのが見えるんで、自分らも楽しみのイベントにはなってますからね。
なるほど。マルシェとしてはすごいいい感じに認知もされて広がってきてっていうような。
職人になりたい子が増えてとか、そういう部分はまだ具体的には出てきてない感じですかね。
まだ自分らの仲間のところで勤めに来たっていうのはないですけど、でも、体験にしに来る学生らはうちの設計のところに行ったりとか、あとは大工さんのところについてっていうのがあったんで、
それがきっかけで、多分おそらくあの頃も大工さんになってるか、そういう建築関係に勤めてるんちゃうかなと思うんですけど、
今年も先生とかに聞いても結構大手の建築屋さんに入ったりとか、あの時あの子がやってたあそこに貼りましたみたいな声とかも聞くんで、きっかけにはなってるんちゃうかなと思います。
ただ職人として来ましたよっていうのがまだ自分らの仲間のところではないんで、でもそういうのを増やしていければなあとは。
じゃあまだまだこれから垂れ巻きを続けてっていうような感じなんですかね。
そうですね。まあでもほんま深いですよね。そこはなんかめちゃくちゃ深い部分で、その目をどう僕ら雇い手側も変わっていかなあかん部分ではあるっていう、その建築業界の闇じゃないですけど、いろんなところで難しい部分はあるんで、
そこはなんか僕らが雇い手側としても会社体制としてもちょっといろいろ変えていくっていうのを目標の中でやってるんで、ただ単に種まいてね、誰も摘み取る人がいてなかったら全然意味ないんで、そこをちゃんと僕らが摘み取って、その後も育てていけるような形は取りたいなと。
ビジョンとしてみんなで動いてるんですけど、まだちょっと育てないんで、頑張って水あげます。
実際この和歌山の建築業界とかって、やっぱり今人が足りなかったりとか、若い人入ってこなかったりっていうのは結構深刻な感じなんですかね。
そうですね、でも和歌山だけじゃないんちゃうかな、全国的にというか、そもそも少子化でその業界もというところはもちろんあると思うんですけど、なかなかね、僕らも今日でもね、めちゃめちゃ暑い中、ほんまに体操じゃないけど、ほんまに師と隣り合わせでわざわざやるっていう。
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その中でも正直その給料的にもええんかみたいな、やっぱり見習い期間があって初めて職人になれるんで、そこをなかなか耐えていけるこの忍耐力っていうのも必要になってくるし、そのあたりで結構いろいろ難しい部分ではあるんですよね、正直。
見習いシステムってどういうことですか。
普通に会社入るとかじゃなくて、師匠のもとについて。
そうなんですよ、職人って昔ながらでいうと、なかなかその勤め人っていう言い方がおかしいな、その会社に入って職人をしてるっていうのは結構少数で、基本的にはもう個人事業主がほぼほぼで、
自分の親父の下について、ニットをこんだけだみたいな話でやって独立して、初めて一人前になって、何平米するのにこんだけのお金をくださいっていう交渉とかもできるようになってくるから、最初見習いのときは全然給料も安いし、
この福利構成があるっていうのは、今現代増えてきたけど、僕らがやりだした20前半のときとかはほぼほぼない。みんな個人事業主の集まりみたいな形がやっぱり、今でもやっぱりそれは多いかなと思いますけどね。
そうなんですね。
だからこういう形態もやっぱり何か深刻な問題ではあるのかなっていうのは考えてますけど。
見習い期間って大体どれぐらい続くんですか。
個人差はやっぱりありますけど、志が高い子とか企業、不企業ってあるんで、なかなか一丸にどのくらいとか言えないですけど。
でも10年やっても全然手に職つけへん子もいてたら、2年くらいやって手に職つけて独立してバンバンやってる子もいてるしね。
やっぱり僕らの技術職ってやっぱりそこらへんは結構個人差出るし、どんだけ現場の数こなしたかとかっていうのはやっぱり大きいんで。
どんだけ経験積むかちゃうんですかね。難しいところはありますね。
そうなんですね。
ちょっとまた村田さんのその見習い期の話とかも後ほど聞かせてもらえたらって感じなんですけど。
クラフトマンの話に戻すと、クラフトマン8年間続けるのが決まってるんですかね。
9年です。
9年か。9年ですね。これ9年続けるっていうのは何でまた9年間なんですかね。
まずその9年にしようとなったのはクラフトマンのスペルが9文字なんで、とりあえず9年続けようというところと、
あとはクラフトマンのメインのモニュメント制作を毎年1文字ずつ完成して9年後に完全に完成させようというところで9年というのをまず決めた。
今3年で今年はAになってくるんですけど、その9年間というのはもうとりあえずそのクラフトマンの文字を完成させて次世代に渡そうということで、
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とりあえず9年。終わりなかったら俺らいつまでやったらええねんって思ったんで。
それで9年は決めたんやけど、その上めちゃめちゃ深いという9年やっていうのが文字数。
文字数。文字数で決まって。
文字数で確定したっていう。
9年間というのは文字数にしてもやっぱ長期的にある程度続けようというのは最初から?
そうですね。それがやっぱり一番大事やなと思ってるんで。
しっかり何年か続けることによってカルチャーに変わっていくっていうのはやっぱりみんないろいろ言うし、
そういった形で海南の一つのカルチャー祭りとしても何とかクラフトマンになったらええのになっていうのが大いに続けようというのは最初からみんなで話し合って決めてました。
9年間続けるイベントってなかなか多くないと思うんですけども、3年目にしてどうですか?まだフレッシュな気分でやれてる感じですか?
気分的にはフレッシュな形で全然いてますけどね。毎年毎年絶対反省点から含めて来年はこんなにしたいなっていうのが生まれてくるんで。
僕らがメンバー的にもみんな結構ストイックな子らが多いんで、来年はこんなにしたいなっていうのがやっぱり各自芽生えてきて、
全然全然まだフレッシュでまだまだやろうかっていうのはありますけど、でも3年目に経って9年、あと6年?先見たときまだ6年あるのか?実際思いますけどね。
自分で決めた縛りで苦しんでるっていう。
9年やってるとさっき言ってた、例えば小学生が何かイベントで体験をしたときに、10歳の子が19になってるわけで、その答えが多分出てくるんじゃないかなとは思いますけどね。
確かにそうなったらめっちゃ熱いですね。
あの時のやってたんですみたいなのが出てくるかもしれないんでね。
それが最高ですね。
それ。
それやった。
でも実はクラフトマンと並行してブラザーズって言って、いうイベントも実は並行してやってて、実はその先のクラフトマンの後のビジョンっていうのはそのブラザーズっていうところに託して、
そんなこれが次世代のクラフトマンになってほしいなって思いで、イベントでは実はクラフトマンwithブラザーズっていうイベントも実はやってて、
そこは基本的に僕らより若い人回りした20代前半の子がメインになって、僕らが作り上げたイベント会場で自分の思いであったりやりたいことを実現できるように、
いろんなことを普段チャレンジできないことをチャレンジできる場を設けてやってみたよっていうのが1年目から実はやってるんですよ。
ほんまこのクラフトマン9年経て、クラフトマン9年で終わったねって後はそのブラザーズの子らが僕らと入れ替わりで、
またそのやってた9年10歳の子が19歳になった子らにさらにまたバトンを渡していけるように、
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なんかその流れをずっと作りたいなと思って、それが9年であっても5年であっても別にそこは次バトンをもらった子らが決めたらいいこと。
とにかくしっかりバトンを渡せるところがこの9年後にしっかり生まれるように作り上げたいなっていうのはずっと思ってますけど。
それをするためにしてるっていうのもあるんで、どんどんそれで自分ら個人の思いであったりとかそういうのが芽生えてしっかり自分の事業に反映していってくれたらなんか嬉しいですけどね。
それが商売がたきになるんやろうけど、でもそれであってもなんかその方が活気づいて僕らも負けりゃなと思いながらやっていけるかなと思うんで。
下からツッツキ上げてくるなんてね、このままおんびりいててもおもんないなっていうのはあるし。
しっかり成長してくれたら嬉しいですけどね。自分もまだ成長段階なんで偉そうなこと言えないんですけど。
めちゃくちゃ真面目やな俺。
そんな職人たちの姿が見れるクラフトマンみなさん、10月の12、13、ぜひって感じで。
そうですね、ぜひ本当にワークショップ体験しに来てほしいですね。
今年はまたいろんな体験も増やしてやったりとか、面白いこと考えてますんで、ぜひみなさん会場に遊びに来てください。
もう終わりみたいになってるけど。
そしてここから村田さんのルーツ的な話も聞いていきたいんですけども、
ちょっとキセンラジオ、今回から今までルーツからずっと遡って聞いていくっていう形式だったんですけども、
ちょっと形式を変えるチャレンジをしてみようかと思っていまして、その実験的な感じでお付き合いいただくの中申し訳ないですけど。
たぶん実験にならない。
村田さんの今のお仕事を始めるきっかけのところから教えてもらいたいんですけども。
まあでもこれでも一連結、さっきも話した仕事を始めるきっかけはやっぱり自分の父と祖父が盛んでいたりブロックを積んだりとかこういう今の庭の仕事に携わってたんで、
それが後継ぎになるきっかけだった。
お父さんおじいちゃんも仕事スタイルは同じような外交工事をメインって感じだったんですか?
そうですね、親父は外交工事メインやったけど、でもやっぱり部分的なところの職人であったかな、
左官であったりブロック職人というところで、今みたいに設計施工っていうところまではしてなかった。
それは自分の代でこういう形でしたいなっていうのは新たな生み出しでやっていってる形かな。
だけど根本自分も職人でずっと現場にいれながら、もちろん石積んだりとかタイル張ったりとかもいろいろしてたんで、
ルーツはでもやっぱりおじいちゃん、親父の背中を見てここへ来たかなというのがありますけどね。
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子供の時はお父さんの仕事どういうふうに見てました?
いやめちゃくちゃほんまおもんない仕事だなと思ってました。
夏休みになったら小遣い稼ぎに来て、今でこそそういう子供らが現場に入るっていうのは難しかったんだけど、
僕らが小さい時は意外に現場にはいけて、妹と二人借り出され、ブロック運びとレンガ運びを夏のクソ暑い中運んで、
その家業を手伝いに行ったっていう。
で、それがあるから絶対にこの仕事しちゃないって思ってました。
しんどいイメージ。
親父とおかんもずっと現場に出てたんで、
僕が今ここにあるのは親父とおかんが現場でブロックを積んでくれたからっていう。
おかんも全然現場に出てたんで。
その時は公務店さんとかの下請けみたいな感じでやってたんですか?
外交業者さん、公務店さんがあってその下に入ってるぐらいでやってる状態だったかな。
おかんの親父とか僕やり出しの下習いの時は、個人でお客さんとってくれたようになかったかな。
でもその流れでずっと行ってたら今の感じで多分なってないけど、
その何ならなきっかけがあって、僕ももっといろいろしたいなっていうのがあったんで。
そんなやりたくないとか思ってたのに、何でまた同じ仕事に就くことになったんですか?
全然そこがめちゃめちゃ薄っぺらい話なんですけど、
高校卒業して、なせん工場って僕は染物屋に勤めてたんですよ。学校の流れで。
工場勤務してて。
自分にはちょっと当てないなって思ったんで、とりあえず辞めますねって言って。
辞めたものもさすがにちょっと何もせんとフラフラまずいと。
どれぐらいで辞めたんですか?
2年ぐらい勤めたのかな。18に入って20歳ぐらいに辞めますと。
辞めたものの仕事はちゃんとやらなあかんしなと思った時に、親父のところにちょっと手伝いに行くようになり、
気づいたらM2テクニカルやなとか勝手に自分で名前つけてもらって、知らんまりその後になってそのレールに乗っかって走り出すようになった。
お父さんのもとでの見習い期間って言うんですかね。どれぐらいやってたんですか?
実は僕めっちゃ短かったんですよ。これなんかよく話して、自慢げに聞こえてもらうかもわからんけど、僕がめちゃめちゃ仕事できる人間みたいな話になってもたらすみません。
マジで。
でも実際、小っちゃい時からやってたっていうのが結構短縮に縮まったんやけど。
やり始めた時はその会社を二十歳で辞めて、親父のところに行って、もう20歳中盤から21歳の約半年くらいで見習いが終わったんですよ。
24:05
親父となかなか反りが合わず、現場で喧嘩する。喧嘩するのが一方的に僕がやられるんですけど、全然上手く合えへん。
お前そんな偉そうにやったら独立せ。みたいな感じで、ポンと掘られて、あくる日にKドラ買いに行って、独立するのがきっかけ。
強制的に見習いが終わったんですか?
そう。
いきなり独立せって言われて、独立してやっていけるものになったんですか?
実はね、その前から結構仕事、こうやって会話するのが好きなんで。実は親父とこんな仕事してるんで、ブロックの工事くれませんか?とか言って。
ちょこちょこ言うて、自分でもちょっとあったんですよ。
あったんはあったけど、何の保証もないし、もう言われたら腹立つし、とにかくもう絶対やるしかないわっていう、ただその気持ちだけですね。
そこからもどんどん自分でやるようになって楽しくなってくるし、仕事も依頼してくれるように増えてきたしって感じで。
21歳の時には独立して、でも個人事業主でずっとやってたかな。
24、5くらいの時には3人、4人くらい連れて、今の工事になる前のM2テクニカルでいろいろ稼働して。
すごいですね。
結構早い段階で独立心が芽生えて、もうやらなあかん状況になったし、早い段階でそれができたんで、今のこの自分があんのやなっていうのは、すごい逆に親父には感謝しますね。
今はもう親父が逆にうちの職人のスタッフに入ってるんで、今よってあんだけ怖かった親父が、僕の中を見たら社長、社長って言いますね。やりぬくいって。
どうやって仕事とっていったんですか?
いやでもなんかほんまに、どうやって仕事とっていった。でも普通に現場でそれらしき人がいてたら、結構積極的に声かけていって、できますみたいな。
実際の最初はもう正直はったりですよね。できん仕事もできますぐらいの感じで言って。でもやっぱり親子なんてすぐ仲直りしてたんですよ。
こんな仕事あんねんけどって言って、自分が頭に投げながら親父に来てもらったりとか、たくさんの人に助けてもらいながらからでも、はったりかましてやってましたもん最初は。生きていくんって思って。
すごいっすね。
でもそれでちょくちょく仕事をもらえるようになって、もちろん失敗もしながら怒られながら、ちょっとずつちょっとずつ成長して、やっとほんまに最近安定してご飯が食べれるようになったなっていうところで。
僕20年だから安定してご飯を食えるまでかかりました。
独立やってやらそうに全然儲けてないですよ。
そうなんですか。
そうなんですよ。やっぱりそこがこの建築業界のなかなか難しいところ。
27:06
収録機材のトラブルにより、ここから1時間ほど音声が収録できていませんでした。
続きは上田さんが再度収録を試みるところから始まります。
エピソード58どうなってしまうのでしょうか。
続きをお聞きください。
30分の時点で止まっちゃいまして、ちょっと2度目の収録で。
村田さん、中西さんすいません。
全然気ぃつかず、逆に上田さんのメンタルは失敗です。回しが。
まあまあちょっとくらっちゃってるんですけど。
これもう始まってるやつ?
始まってます。
始まってるんですよね。
よく気づいた。
よろしくお願いしますって感じなんですけど。
さっきちょっとインタビューの方法も結構トライしてみたんですけど。
なんかやりながらむずいなっていうのがあったんで。
ちょっと一旦時系列に戻させていただいて。
で、村田さんは和歌山市出身で。
はい。
和歌山のどの辺ですかね。
僕の出身は和歌山市西浜って言って、港町に近い埼玉崎の近くなんですけど。
育ちもずっと釣り行ったりとか海が近い所出身です。
そこから13年前くらいかな。海南に引っ越して。
今はもう海南市民です。
基本的には和歌山から出ずにずっと和歌山で育って仕事してって感じですかね。
そうですね。和歌山から出たことはないですね。
もうずっと生まれも育ちも和歌山県。和歌山市海南しか行ってないんで。他府県には行ったことないです。
行きたいとかそういうのはなかったんですか。
いやなんか変なやったんですよ僕。中学の時とかも変なで。
大阪で服買ってオシャレやって言ってる奴が嫌いで。
和歌山市にある服屋さんの服でオシャレやって言わせたいっていう謎の和歌山プライドを。
今もでも服は大阪とか行くと買いに行きますけど。
でもなんだろうな。やっぱりその和歌山を離れずにその都心部をキャンと言わせたいなってずっと思ってます。
だからなんか拠点はここにおいて仕事では近畿界隈行ったりとか関東行ったりとかっていうのをやっぱり
でもあの人和歌山でやってるんやでっていうのはやっぱり思わせたいなと思ってるんで。
あえてその拠点を他府県には置かんっていうのはもうなんか結構信念で持ってやってますね。
なるほど。それはなんでなんですかね。
なんで。やっぱり田舎者扱いされるのがムカつくからなんだな。
30:02
でもなんかシンプルに和歌山好きやなって。なんでなんて言われたらわからんけどめちゃくちゃ和歌山好きですね。
どこ行ってももうちゃんと和歌山めちゃめちゃ江戸部屋でアピールしてだけ帰ってきますもんね。
ほんで他府県に行って話し合っても和歌山って意外にやっぱり知らん人多いんと。
和歌山って言ったら白浜かみかん。
やからなんかさの今住んでる海南も最初にいやもっと他の江戸部屋があるなら舐めんなよってなりながら
他府県の人とバトってます。
いやすごいな。もうそれ若い時から?
そうだからもう中学校ぐらいから。
なんか僕らは和歌山がちょっと恥ずかしいみたいなダッサイみたいなを経て今はこの年ではもう全然やけどっていうのが
結構スタンダードなような気もするんですよね。
それが嫌やったんですね。中学校も。
だから絶対和歌山のところにある古着屋さんとかで買って大阪とかで買いに行けへんで。
周りはみんな大阪に行ってイケてるやろってやってんのを見てちょっとイラっとしてたっていう。
でもやっぱり実際いろいろ選ぶもんも多いね。
でもそれ20代俺。20代半ばぐらいまでそんなんやったで。
謎のプライド。
さっきも聞いたんですけどちょっともう一回お魚食われたドラマの話でいいですか?
フレッシュな感じでできるかちょっと。
生まれも育ちもっていうところで結構港町のところで育ったのもあるし
自分が正直分かんないとめちゃくちゃ貧乏な
貧乏でそれはもっと貧乏な人がいてると思うんですけど
割と貧しい生活で住んでたとこも昔ながらの長屋で
ほんまに床も岸岸になるような
隣の壁ももう薄くて声が聞こえてくるようなところにまず住んでた。
自分がいてる飯食うとこと和室とその奥が台所になってて
パッと見たら奥見通せるんですよ。
20代前半ぐらいかな18歳ぐらいの時に家帰ってきて
20代なビール飲んでたんで開けてテレビ見ながら
岡山飯作ってくれてたんでそろそろ飯食べに行こうかと思って
台所をパッと見たら俺の魚を目とかくわえて
こっち見たっていう目が
なんかさっきよりちょっと増えてますね
持って持って
いや持ってはないですけどマジで
俺の魚を
その貧乏の原因は何やったんですか?
やっぱり親父のギャンブルですね
笑
さっきめちゃめちゃ親父ごめんよ
33:06
ギャンブルもそうですけど
職人的なところで言うと
下請け孫請けというところで
なかなか儲かるっていうのが難しかったかな
でも今よりはなんか当時はまだバブル
ギリギリあるか弾けるかみたいなところだったんで
今の職人さんは
逆に言うと昔は良かったねって言ってますけどね
言ってますけどうちの親父がその貧乏してたっていうのは
やっぱりギャンブルですね
主にどんなギャンブルやってたんですか?
いやでも基本的にパチンコばっかりやってましたけどね
でもちゃんとしっかり育ててもらったんでね
今があると思ってますけど
でもなかなか仕事が嫌いな親父で
音楽とギャンブルが好きなんで
あと趣味がすごい多くて
一個特化してたらもう仕事に行かんと
延々に浮きつくってるんですよ家で
で朝おかんがあんた仕事行かなあかんでってなったら
夫婦喧嘩始まって
おかん引きずり回されるっていう
結構ハードな
でもほんまなんかパリッとぶっ飛んだ親父やったんですよ
その家庭環境でなんかあんまりひねくれることなくて
グレたりはしなかったんですか?
逆にだからグレれなかったんですよ怖くて
だから全然そんなにグレることなく野球を全うにしてましたけどね
そうもう怖すぎて
だから反抗期はなかったんちゃうかなと思って
それぐらい怖かった
だから妹らは結構反抗期あって
逆に妹は親父に食ってかかっていてたんで
鼻血出されたりとかしてましたけどね
なかなかヘビーなザ・ショーアンドって感じ
すごい話っすね
いやもうほんまでもすごかったですよ
猫がたくさんいたんでね
天井から猫落ちてくる
この話
これほんま1回目の時全然起きなかったけど
2回目
2回目聞いたほうがおもろかったっすね
俺もわらぎできて喋られへんな
俺もほんま2回天井から猫落ちてきた話
いやもうほんまにそう
長屋で天井がもう腐ってね
薄かったんで
天井裏を猫が歩いてたら
僕の部屋にボトッと猫が落ちてきて
ワンッて鳴りながら
ドアガチャって開けたら隣がトイレやったんで
トイレのドアから逃げ出していくっていう
このエピソードなかなかないっす
これおもしろいな
逆にこの形が一番おもしろくした
36:05
お父さんの仕事なんか
なんとなくちょっとそんな
あんまり稼げやんなっていうのがあったのに
同じ仕事作って
前の仕事辞めた流れはあったにせよ
もっと別の仕事をしたいとか
そういうのはならなかったんですか?
そうですね
なる前に多分今の仕事をしたいと思って
ものづくりが楽しいっていうのが
やっぱりぐっときたんでね
前の会社を辞めて
手伝いに行ってる時に
なんておもしろいんやろって
しっかりそこで深く
ものづくりの魅力にはまってしまった
っていうのはありますね
ものづくりって具体的にどういう部分の
おもしろさですか?
一番スタートの時は僕らがよく
よくやってた時は一番スタートは
文城地の外周のブロック
コンクリートブロックを積むっていうのが
メインで仕事でやってたんです
その家が建つ前に境目を作るみたいな
そうです
それをユンボで掘ってきそうやって
ブロックを積む
そのあとフェンスを植え付けるっていうのが
メインでやってたんです
何もないところに構造物ができていくのが
楽しい
そうそう
でもシンプルに結構夢中になるんですよ
ブロック積むっていうのも
ブロック屋さんはブロック屋さんで
どんだけきれいかとか
1日に何枚積めろお前みたいな
やっぱり界隈では何でもあるやんか
競い合うっていう
そこの人めっちゃ早いで
どんなやり方やってんのみたいなところから
ブロック積むものづくりっていうところで
グッと入ったっすね
いや負けたないなみたいな
でもそこからどんどん派生していって
ブロック積むには
いろいろ高さもわからなあかんとか
フェンス作ったりとか
カーボード作ったりっていうのは
どんどん派生して面白いよ
こんなやり方やったらおもろいなっていうのが
どんどんどんどん膨れ上がって
それやったらもう設計施工というか
自分でブランニングしてやっていけたら
もう一個おもろいやんってなって
やりだしたのきっかけかな
最初
仕事やり始めて1年ぐらいで独立っていう
そうですね
1年目もでも実質ほんま半年ぐらいですね
親父とその
なかなか激しいヘビーな親父とやりだして
半年で喧嘩して
偉そうなこと言うんやったら
自分でやれよって言われて
もう次の日に軽トラ買って
道具だけはやるわとか言われながら
やりだしたのきっかけかな
そこからでももうずっと本当に
自分一人ではないですけど
みんなに助けてもらいながら
やりだしてどんどん周りに人が増えて
今の会社の形になったかな
最初はでもね
ただ勢いだけですけどね
やりだしたの
めちゃめちゃ張ったりかまして
39:03
これはこの話もうやったとこからのスタート
割とさらっと目に聞けたんですけど
最初の独立してから
ちゃんと仕事としてやっていけるようになるまでって
どういうステップで進んでいったんですかね
職人としてですか
その稼ぎとして
両方というか
技術もそうですしお金的なことも
いやなんか技術とそこが
何か伴ってないのも建築業界であるんかな
いやまあ技術がいい人は
やっぱり行き切ると
その技術とそれに対する対価っていうのはあるけど
でもある程度この街でやってたら
そんなにそこは差ないから
職人として成立してるのに
稼ぎがない人もやっぱりおるし
職人としては成立してないけど
稼ぎがあるっていうのは全然あるんで
両方並行してやってるっていうのも
限られた人間ちゃうかな
そこでやっぱり建築業界でいろいろ
得意不得意役割分担がみんなバラバラなんで
建築って一括にするけど
僕らその外国法人庭作りがメインやっても
ブロック屋さんいてるし
壁を塗る砂缶屋さんもいてるし
床コンクリートを抑える砂缶屋さんもいてるし
またまたタイル張るタイル屋さんとか
今度カーポート建てるアルミ屋さんがいてるって
職種が結構小さい中にたくさんいてるんですよね
食材は植木屋さんがきてる
だからオールジャンルでいろいろしてなあかんから
そのトータルプロデュースができてるんで今
だから結構ある程度お金も
自分ところで値段設定とかもできるから
よくなってきてるけど
最初はどういうところから仕事を取っていったんですか
最初はいろいろ分かりましたね
大きいメーカーさんというかビルダーさんが
文場をやってる外資のブロックをやらせてくださいみたいな
たまたま知り合いがいてたんで声かけてやらせてもらったりとか
最初はそういう小さいところからスタートして
どんどん仕事につなげていって
そこから自分も成長しながら仕事の枠を広げていって
今はもう全体的にできるというところになってきたかな
それで今ある程度外交工事としては
仕事としてある程度成立して
そこで企業としてやっていけるようになったんで
その次のステップとして
仲間がいろいろ増えてきたんで
新築とかもやろうってなってきて
今は結構建築としていろいろ手掛けるようになりましたけど
やっぱりメインは外交工事2話かな
仲間は難しいですね
ちょっと2回目の難しさ
どこまで言うとか
やけどその仕事をやりながら
最初はガンガン仕事取ってっていうのでずっとやってきたけど
あるところで今のクラフトマンにもつながるメンバーと
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MFEOのメンバーと出会って
チームでやっていくようになったっていう
そうですね
きっかけは3,4年くらい前の若山市でやってるマチドリー
初めてみんなと
共演っていう言い方かっこいいな
一緒にそこの店舗の中を装飾して
内装装飾して
自分らの企業としていろいろパフォーマンスしようっていうのがきっかけで
その時はまだ名前もなかったんやけど
みんなで一緒に一つのものを作ろうっていうので
スタートしたのがMFEOのきっかけかな
そこからアナピカっていうイベントに
うちの設計のお姉さんがちょっといろいろしてて
今までいうMFEOメンバーである一角を
になってやってほしいよって言われて
いろんなことを取り入れてやっていくにあたって
これもMFEOの海の親なんですけど
チョークアーティストの林真樹さんっていう方が
自分がめっちゃかっこいいことやって面白そうにやってんのに
名前もないんかってなって
その時に私が好きなスラング語が
MFEO made for each otherっていう言葉が
とっておきにめっちゃ似合ってるでみたいなこと言われて
どういう意味なんすかって話になった時に
神々が引き合わせてくれたっていう文言
それがスラング語MFEOやからって言って
神々が引き合わせてくれたんかっていうような仲間で集まって
熱い思いでやってるんやったらMFEOいいんじゃないってなって
それいっそねってなって丸パクリしてMFEOでずっとやってる
なるほどそれはどんなことをずっとやってきたんですかね
クラフトマン以前は
クラフトマン以前は結構早い段階でクラフトマンっていうのが生まれたんやけど
一番最初はもちろんきっかけは街撮りで
その後は坂井さんっていううちの設計
うちのっていうか仲間の設計のお姉さんがやったイベントに
任されて一画を出るようになって
それを2年やったぐらいに
なんかまた違うものづくりをメインにしたイベントをしたいなっていうのがスタート
でもう2回目2年目ぐらいかな
今もうこのクラフトマンが動き出したって感じですかね
そっからもうクラフトマンメインでずっと今年3年目迎えるって感じかな
それ以外は意外に稼働としては動いてなかった
街撮りきっかけで
あとそのポップアップっていうお店で
自分らのポップアップ1回してほしいっていう依頼もあったんで
1ヶ月間ポップアップで植物販売であったりとか
自分らが結構盛んで得意としているモールディックスっていうのを
店舗に施したりとか
重機作ってそこで展示販売やったりとか
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そこからかな色々動き出したの
それがあって
もう今メイン完全に軸はクラフトマンで動いてるんですけど
4年前ぐらいかな
バタバタバタってこの4年間結構密度濃い感じで
まだ4年かと思うぐらい結構色々やってる感じですかね
4年前まではもう普通にというか
ひたすら外交の仕事をずっとやってきてっていう感じですかね
そう完全にもう外交だけで
今みたいなデザイン性がどうこうっていうところとかも
全然まだ少なかったと思うし
4年前はやってたか
でも今みたいに色んな人の脳が入ってなかったんで
成長して今のMFEオークからのM2テクニックが出る形もあるし
仲間と一緒にM2自体も成長させてもらった感じはしますけどね
出会いがなかったらもしかしたら
いやほんまおもんない会社やったかもわからない
最初の出会いはどんなところからやったの
最初の出会いはそもそも地元の
飛び出すもない
だけど