きせんアラプスランニングクラブの白石です。有田市でみかんなどやっています。ARCの上田です。この番組は、和歌山で活躍するゲストの方にインタビューしていく番組です。
kisenradio第88回です。本日は和歌山市にあるマーケット和歌山で収録しています。本日のゲストは、焼きいもスタンドB.S.P.B ピクニックジャムの代表の前田恭兵さんです。
前田さんの生まれから現在の現在に至るまでのルーツや現在のこと、これから計画していることについてお聞きしていきます。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
というわけで、B.S.P.B前田恭兵さんの登場なんですけども、これ呼び方は、なんかみんなから京ちゃんと呼ばれてるんで、
そうですね。
われわれも京ちゃんでいかしてもらって。
はい。京ちゃんでお願いします。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
じゃあ、京ちゃんから簡単に自己紹介してもらっていいですか。
はい。
えー、自己紹介?何も考えすぎちゃいました。えー、何を…前名からって言うんですか?
前名から。
焼きいもスタンドB.S.P.Bオーナーの前田恭兵です。和歌山市出身で今年で31歳になります。
30代を一つの…あれ、何て言ったらいいかな。30歳を大きな節目として去年から新たにピクニックジャムという音楽フェスも始めました。
はい。
なんとなくB.S.P.Bがスタートしたのが2020?
そうです。2020年。
2020年ぐらいから。
の2月1日から開業をいたしまして、そこから今年の2月で6周年を迎えました。
なんかARC始まったのが2021年からなんで、なんとなくその同期間というか、同じぐらいの時期に始めた人やなっていうのでずっと見てたんですけど、なんかゆっくり喋る機会が全然なくて。
そうですよね。出店先であったりとか、ちょっと喋らせてもらったりとか。
今回ちょっとね、どんな人なのか色々聞かせてもらえたらと思うんですけど。
はい。よろしくお願いします。
焼き芋スタンドB.S.P.Bはどういう店っていうか、店舗は持ってなくて、なんかフードトラック営業みたいな。
そうですね。フードトラックをメインに移動販売を行ってまして、カフェでの出店だったり、そういうイベント出店も、テントでの出店とかも多いですけど。
基本は移動販売で、どこへでも、お芋を通して、美味しいと笑顔を届けに行く、そういうふうにやっております。
なるほど。その焼き芋フードトラックをやりつつ、色々イベントもやってて。
そうですね。
おやつの時間とか、あとは先ほど言ってたピクニックジャムがやっぱり一番大きいイベントになるんですかね。
そうですね。一番大きなところで言うとピクニックジャムで、それ以外だと、先ほど上がってたおやつの時間だったり、夜な夜な営業っていうイベントも行っております。
今年のピクニックジャムは11月の14日、15日ということで、最後にもがっつり告知してもらうんですけども、前編の方でもイベント概要とか、今年の内容とかちょっと軽く説明してもらえたらと思うんですけど、まず
どんなイベントなんですかね。
自然と音楽とお買い物を一つの場所にギュッと詰め合わせた非日常空間を楽しんでいただく野外マーケットっていう感じですかね。
初日はマルシェをベースにステージを使っていただいて、ダンスコンテンツで一緒に盛り上げていただいたり、DJさんが入っていただいて、気持ちのいい空間を作っていただきながら、もしかしたらアーティストさんも登
場するかもと言ったところで、初日はそんな感じですね。
2日目が音楽フェス×マルシェみたいな感じで、去年は4組だったんですけど、今年は少しパワーアップして6組のアーティストさんに盛り上げてもらいながら楽しんでいただけたらと思っております。
なんと今年は思い出やろうAチームが。
ということで、すごい。
頑張りました。
若山でここまでちゃんとしたフェスって言ったら言い方あれなんですけど、今、人気な人たちが集まって、マルシェもしっかりあってっていうイベントって、今までここまでのはなかったような気がするんですけど、これス
タートさせたのはどういう感じで。
スタートさせたところの経緯みたいな感じですかね。
僕、ヤキモヤさんを始めたのが、さっきもお伝えしたように2020年だったんですけど、ちょうどコロナ禍でなかなか遊べる場も少ないって時に、野外の音楽フェスとかマルシェとかも増えたと思うんですけど、
そういったところに出展させてもらったり、自分自身が足を運んでいった時に、やっぱ新しい出会いとか新しい物事との出会いが多くて、人生がすごい豊かになったなっていうのが一番のきっかけなんですけど、きっかけ
というか、一番なんですか。
分岐点みたいな、人生の分岐点だったなっていうところで、和歌山でもすごい素敵な自然というか、音楽鳴らせそうな場所だったり、人が集まれそうな場所があるので、この素敵な場所を生かして、やってみたいなとか、あ
ったら街がさらに盛り上がるだろうなとか、そこに足を運んでもらった皆さんの人生がさらに豊かになればなっていうところで、ちょっとやってみようかなみたいな。
右も左もわからないままスタートしております。
なるほど。ありがとうございます。
そんなね、いろいろやってる京ちゃんのこれまでどんな人生を歩んできたのかっていうのを、これから聞かせてもらいたいんですけども、その前に改めてキセンラジオの説明させていただきますと、
このキセンラジオは和歌山でお店をしてたり、活動してる人が今までどんなことをしてきて、今の仕事をどんな思いでやってるのかっていうことをインタビューする番組となっておりまして、
今回も京ちゃんのルーツから順番にお伺いしていきたいんですけども、まず生まれはどちらですか。
生まれは和歌山県和歌山市育ち。
わかりました。エリアで言うと。
エリアで言うと磯野浦とかある方なんですけど、西脇地区というんですかね、西脇中学校の方出身で。
市内でも結構北部の方っていうか。
そうですね。
川向こうのさらに海の方のエリアっていうんですかね。
そうですね、それこそ川向こうを知らず、僕が学生の頃まではずっと川こっちって言ってたんですけど。
少数派というか小さな世界で生きてましたね。
どっちにいるかで見え方は変わりましたね。
なるほど。生まれが1995年。
はい、95年です。
京ちゃん家の家庭環境とかどんな感じだったんですか。
家庭環境、家庭環境構成とかですか。
お父さんお母さんの仕事とか家族構成とか。
お父さんお母さんおじいちゃんおばあちゃんと3兄弟で、姉と弟がいて僕が真ん中っこだったんですけど。
飲食に関してはおじいちゃんとおばあちゃんが大衆食堂というかお寿司屋さんみたいなことをしてまして、
それでも物心ついた時からは飲食店というか接客とかは近しいところにありましたね。
おじいちゃんおばあちゃんがやっててお父さんお母さんはもう別の仕事みたいな。
そうですね、別のお仕事をしてましたね。
ちなみにどんな系の。
僕はもう会社員というか運送業をしたりサービス業接客業をしております。
なるほど、子供の時の京ちゃんはどんな子だったんですか。
僕子供の時は弟が一つ下で年子になるんですけど、
僕真ん中っこということもあって。
真ん中っこということもっていうか、本当に自由に。
やっぱりちょっと弟とかの方が親とかと過ごす時間はおじいちゃんおばあちゃんとか多かったのかなというところで、
僕自由奔放に過ごしてて、友達とずっといるっていうのが多かったです。
小中高。
小中高まで結構外に遊びに行ってみたいな。
もうずっと友達と遊んでるっていうのが多かったですかね、習い事やり。
子供の時何好きやったとか、そんな覚えてるんですか。
子供の頃はずっとトムとジェリーとか。
へー。
中大の時にはやってないというか。
テレビでやってたんですかね。
テレビでもケーブルテレビでしたっけ。
他で見たり、あとビデオを見たり。
大堂なアニメを見たり、ゲームをしたりしてることが多かったですよね。
あとは小学校からずっと柔道をしてたんで、意外にも。
それは何かの影響でとか。
ご近所さん、お隣の方のお父さんが柔道をしてて、
息子さん、娘さんも習いに行くっていうタイミングで、僕も声かけてもらって。
それまで幼稚園は体操クラブっていうのに入ってたんですけど、
体を動かすのが好きで、そのお誘いを受けたタイミングから柔道を通い始めましたね。
めっちゃ意外。
意外にも。
なるほど。中学校とかも地元で。
そうですね。中学校、僕が通ってた道場が、自分が通う予定の中学校の柔道部も持っていたんで、
そのまま中学校にも行って通って、柔道をしながら、
高校はちょっと髪を伸ばしたいとか、ちょっとダンスとか音楽系とか、
ちょっと華やかに見える何かに憧れてて、そっちに行こうとしたんですけど、
初日で、入学初日で坊主にしてこいと捕まりまして、高校3年も。
あ、柔道。
すごい。
逃げられなかった。
でも、やってよかったなと思いますね。
道場は卒業したんで、中学3年生の時に。
高校からはまた違う環境で、すごい北高だったんですけど、
すごい強い人たちが集まる高校やったんで、なかなか。
じゃあ、京ちゃんかなり柔道強かったみたいな感じで。
いや、全国大会とかはちょっと行けなかったんですけど、
中学校とかは和歌山市は、個人戦、団体戦を優勝させてもらってて。
すごい。
で、県大会は中高ともに3位で終わってしまったんですけど。
だから、はい。
すごい。3位でもめっちゃすごい。
いやいやいやいや。
へー、なるほど。
意外にも柔道をしてました。
そこからどうなっていくんですか?
そこから、反動、それがまた反動がきまして、高校3年間柔道をしてたと。
あって、ちょっと弾けたい気持ちもあって。
秋ごろの体育祭とか文化祭とか。
あの辺まで思いっきりパーッと過ごしてたんですけど。
進路をどうしようかみたいな。
あった時に北校で進学クラスのすごい賢い子が、滑り止め?滑り止めか。
で、何かで京都産業大学を受けるっていうのを聞いて。
で、進学クラスだったり、すごい勉強できる子たちも京都産業大学を受けるっていうのを聞いてて。
で、あ、じゃあ自分も受けてみようみたいな。
ノリで受けたんですけど、11月ぐらいですかね。
受けたんですけど、まあ受かることはなくて、何書いてるかわからないと。
で、まあみんな違う大学を目指していくとかあった中、悔しくて。
なんかちょっと本気で勉強してみようかなと思って。
で、そこから3ヶ月塾に通い詰めて、何とかリベンジを果たすことができて。
大学は京都産業大学。
僕と一緒ですね。
柔道そんなにめっちゃやってたんで、柔道で特大生で大学行こうとかそういう発想は。
発想はなかったですね。もう辞めようと思って。決めてて。
先生からは京都産業大学にちょっと声をかけて、交換みたいな話はあったんですけど。
もうちょっと入りたいようですということで。
まあ柔道で入ったら柔道続けないと。
そうですね。
なんか続けなくても、いけるっちゃいけるみたいですけどね。
ねえ、なんか辞め方はあるみたいですけど。
実力ででも入ったんですね。
はい、何とか行けました。
晴れて現役で大学生にっていう感じで。
そうですね。大学生に何とかなることができました。
じゃあ柔道辞めちゃって、大学生活はどんな感じで。
大学生活も、まず初日ちょっとやっぱ僕も田舎モンソールがあったので。
なんか世界が小さくて舐められやんとこうと。
舐められやんとこう。
なんかちょっと尖った部分もまだその当時はありまして。
その結果初日誰も友達ができず、ちょっとやばいなみたいな思い。
こっから4年間これはちょっとやばいぞということもあって。
サークルに入ろう。
サークルとか部活をちょっと見てみようと思って。
ちょっとその時新入生の歓迎でビラ配りをすごいしてたんですけど。
一発目に声をかけてきたところが柔道部だから。
僕耳が柔道を経験してて。
ちょっと柔道耳になってるんですけど。
兄さん練習に是非って言われたんですけど、ちょっとお断りさせて。
で、その反対側に芝生広場がありまして。
すごいイケイケな音楽が流れてる中、
2本の縄の中を逆立ちでぴょんぴょん跳ねている人がいて、
もうすごい学生が集まって盛り上がってるんで。
それを見てこれやと。
もう大学生活はこれしかないと思って、
ビラを欲しくてなかなか声をかけれず、
何度も前を往復して歩いたんですけど、
一向に新入生と思われなくて声をかけられず。
ダブルダッチっていうことですよね。
そうですね。
ダブルダッチサークル?
ダブルダッチサークルですね。
体育会を目指してて、まだ当時は。
ダブルダッチクラブになろうとしてた?
そうですね。
ちょっとその先の話になるんですけど、
サークルに何とか声をかけてもらって、
そこからすごい僕に似てる先輩がいらっしゃって。
似てる?
容姿が似てる?
容姿が似てる方がいらっしゃいました。
それですごい気に入ってもらえて、
一緒に家で遊ぼうと。
起きたらもう部員になってました。
目が覚めたら。
ダブルダッチのどこに惹かれたんですか?
本当に見たことがないスポーツというか、
ダンスサークルに入りたいなとかは思ってたんですけど、
ダンスは当時テレビとかでも結構やってたり、
見る機会多かったんですけど、
ダブルダッチっていうのが見る機会が初めてだった。
小学校で遊ぶ、ちょっとした長い縄使って、
ぴょんぴょん飛ぶくらいしかなかったんですけど、
すごい音楽がミックスされてて、
みんなすごい容姿、髪型から衣装まで全部を
すごい世界観を作り上げて、
3分間そこに込めて、
なんていうんですかね、
すごい場を沸かしているのを見て、
もうビビビと。
かっけーってのが。
なんじゃこれは、みたいなところから始まった。
高校とかの時点でもダンスとか音楽とか、
ちょっと興味あるなってなってたのは、
ずっとそういうダンスと音楽は、
カルチャーとして付き合ってみたいな感じなんですか?
そうですね。
ブレイクダンスを見るのが好きで、
当時まだYouTuberとかは出てなかったんですけど、
出てなかったのかな。
YouTubeとかを見る機会が多くて、
そこでブレイクダンスのかっこいい技集みたいな、
とかを見るのが好きでしたね。
こういうのやってみたいなとかも。
音楽は、それこそ、
わかりやすいところでいうと、
エグザイルとか、
ああいうところが。
流れてるJ-POPが。
流れてるJ-POPと、
あとは、僕が中学校1年生とかぐらいで、
ハモネプってわかります?
ハモネプってなんかありましたね。
アカペラみたいな。
アカペラの大会をテレビで見る機会があって、
それを大学生の人たちが、
昭和歌謡曲とかバラード曲とかを歌ってるのを見て、
昭和系の曲がすごい好きになって。
なるほど。
なかなか渋い曲を聴きながらも、
J-POP流行ってるような曲を聴いてました。
ダンスミュージックとか、
それこそフェスに声をかけているアーティストさんとか、
ではないところ。
ダブルダッチと結びつくような、結びつかないような。
ダブルダッチってどういう音楽でみんなやるもんなんですか?
結構幅広いんですけど、
それこそJ-POPを使うところもあれば、
R&Bとかディスコとかの曲も使ったり、
ゴリゴリのヒップホップを使うチームもあれば、
最近の日本語のラップとかも使ったり。
結構いろんなジャンルの曲使ってますね、チームごとに。
そこに昭和歌謡曲はない?
でも昭和歌謡曲をミックスした曲を持ってくるチームとかもいたりして、
それを個人的に毎度毎度痺れてたんですけど。
そこで京ちゃんの入った京都産業大学のサークルは、
どういう系というか、どんなサークルやったんですか?
結構個性豊かなメンバーが集まって、
チームも3年間は先輩が決めたチームでやるんですけど、
いろんなジャンルというか、
俺たちはこっち路線や、私たちはこっちのテーマで行くんだとか、
結構多ジャンルでしたね。
ダブルタッチっていうものが全然わかってないんですけど、
あれ何人でやるもんなんですか?
よく聞かれるんですけど、
飛ぶ方、回す方ってよく聞かれるんですけど、
全員が交代交代しながらするスポーツで、
最低でも両サイドで回してる人2人と中で飛ぶ人が1人。
最低3人でやるスポーツですから。
だいたい5、6人でやることが多いんですけど。
なるほど。やっててコンテストみたいなのがあってみたいな。
そうですね。
世界大会がかかった大きな大会が2つあって、
それに向けてみんな練習して。
なるほど。
ってところですね。
その中で音楽に合わせていろいろ表現したり、
中ですごい速いのを飛んだり、
わかりやすいところで言うとバックテンとかアクロバットをいろいろ混ぜて、
トータルの点数で競い合う。
なるほど。
そんなダブルダッチサークルに入った大学生活はどう進んでいくんですか?
勉強は全くせず。
全くせず。
ちなみに、
学部は?
経済学部に入ったんですけど、
勉強はテスト前だけ。
徹夜で望む。みんなで集まって。
でも僕先生になりたくてずっと小学校から。
へえ。
っていうのもあったんで、小中高からずっと夢で。
経済学部に入りつつも教育学部がなかったんで、
先生の免許取るためには人の2倍授業に行かないというところで、
出席は頑張って人の2倍頑張って、
それが終わればもうずっと練習。
で、夜はアルバイトに行ったり、
先輩たちに遊んでもらったり。
ちなみにバイトはどんなことを?
バイトは僕はピザ屋さんの配達をしてました。
割と割が良かったというか。
そうですね。時給も良かったし、
あと僕が行ける時間帯で一番ベストというか。
夜の時間で。
そうですね。
距離も良かったんで、
なんかもう色々バランスを考えて。
そればっかりですか?
そればっかりですね。途中で居酒屋とかは、
友達とか先輩の紹介で入ったりしてたんですけど、
夜勤とかが多かったり、あんまり自分との時間に合わなかったんで、
そこまで続いてないですね。
すごい授業も出まくって、サークルもやって、
バイトもやってて、結構びっしり。
そうですね。
ハードスケジュールで。
びっしりハードスケジュールでやってましたね。
でもテストとかは、単位って言うんでしたっけ?
単位は結構フルに近い感じで取ってたんで、
大学へ行くのは、授業で行くのは3回生の、
冬にはある程度行かなくていいようになってましたね。
一番力入れてたのはサークル活動です。
そうです。サークルにすごい力を入れてて、
僕たち代替わりが2年生の夏なんですけど、
2年生の夏から代表に選んでいただきました。
そこからまたさらに忙しくなって、
それこそ体育会を目指してる中っていうこともあったんで、
その大学側とのやり取りとかもあったりして、
結構忙しく日々送ってましたね。
なんとか僕がその代表のタイミングで、
先輩たちがつないでくれたこともあって、
なんとか体育会に承認されて、
練習環境がすごく整ったり、
予算も少し出してもらえたりっていうところもあって、
やりがいを感じながら。
結構人数多めサークルだったんですか?
台ごとによってやっぱり変わるんですけど、
大体一つの台で15人ぐらい。
15人から20人ぐらい集まって、
3回戦の夏に大きな大会があって、
そこで負けてしまったら、
一応引退。秋には引退。
で、みんな就活にシフトしていく。
続ける人たちはそこで、
先輩が決めてくださってたチームを、
一度引退、解散って形になって、
自分たちでやりたいメンバーだけで集まって、
また大きな大会を目指していく。
なるほど。
京ちゃんはどうなるんですか?
僕は負けてしまいまして、
3回戦の夏で。
負けてしまったんですけどね。
やっぱ諦めれんかって、
そういったメンバーが。
それまで京都産業大学内でチームを組むんですけど、
引退各大学も同じで、
同志者大学だったり、立命館大学、大手門大学とかから、
集まった特殊チームで、
また4回戦の、本当に卒業前、就職前まで、
大会やって続けてましたね。
就活の方は?
就活は僕、先生になる予定だったんで、
全然してなくて。
で、教育実習に行かないとダメだったんですけど、
教育実習と大会がかぶってしまって、
その大会は一応3回戦の秋に、
一応引退をしているんで、
4月にあったんですよ、教育実習が。
だから出ても出なくても選べる大会だったんですけど、
自分が目指してた、その世界大会につながる大会が、
かぶってたんで、期間と。
僕は、
大会を?
その時の勢いで選んでしまって、
しまったんですけど、結局僕たちのチームの一人が出れなくなって、
大会に出場もできなくなりまして、
だから結構ポカーンと。
そこからやばいってなって就活に入っていったんですけど。
もうその時点で先生への道は結構閉ざされてる?
閉ざされて、
卒業して通信へ行くかとか、
提案もあったんですけど、
それはちょっとまずいかってところで就活をしようと思ったんですけど、
僕が大学4年生の頃は3月4月に、
エントリーシートだった。
就活してないのであんまりわかんないんですけど、
いうのがあって、
もう一時が終わってるタイミングだって、
どこも受けれない。
ベンチャー企業とかはあって、
ちょっとどうしようやばいなって思ってた時に、
銀行が唯一7月か6月、
ちょっと遅れてますなっていうのを聞いて、
で、ちょっと僕も地元に帰りたい気持ちがあったんで、
これはもう某大抵の銀行に行こうと思って望んだんですけど、
ちょっと最終面接で、
はい、ちょっとダメでして、
はい、そうなんですよ。
なかなか、これ言っていいかわかんないですけど、
圧迫面接があって、
僕もまだが緊張だったので、
反論というか、
バズったんです?
ちょっとはい。
今までこの意見で通ってきたのに急に否定されて、
おかしくないですかみたいな感じで、
わーっと盛り上がりまして。
はい。
なんと、ストレス耐性がなかった。
まあそれでダメだったんですけど、
今のはちょっと内々の話なんで、
バスランカットしてもらいましょうか。
いや大丈夫じゃないですか、銀行名で。
で、そこから就職就活をまだしてなかったんですけど、
入ってたゼミの先生から呼び出しをされまして、
一体どういうことやと。
親がすごく働いて大学まで入れてくれたのに、
この先どうするんやとちゃんとお叱りを受けまして、
それでちょっとどうにかしないといけないなと思ってたら、
大学側から銀行に僕が面接してたっていうのを、
情報を聞いて、もう推薦がある。
推薦というか募集をかけてくださってる銀行さんがあるということで、
ちょっと望んでみたところ、
トントン拍子に進みまして、
最終面接も、
なんか1億円あって、
服を着ない国に服を売りに行かないとダメ。
1億円かけて服を作ったら、
服を着る文化がない国だった。
さあどうするみたいなのを一人ずつ聞かれまして、
一発目僕だったんですよ。
一発目いやっすね。
分からないっすね。
ちょっと早すぎますね。
やんわりそれで僕がスキップされた。
隣の人がすごいダメージをくらってた。
それで最後に僕回ってきて、
自分なりの答えを出したらその場で合格をいただけて。
その場に。
それどんな答えを出したか覚えてますか?
いやもう売れないものは諦めますっていう。
でももう売れないで服を着ない文化の人たちに服を配って、
それを一つの広告として今後につなげていくという。
材料費としてではなく広告費としてその服を、
1億円分の服を使いますと答えたら何とか乗り越えました。
じゃあ無事銀行に。
そうですね無事銀行になりました。
すぐ辞めたんですけど。
それは和歌山の銀行ですか?どこの?
滋賀とか大阪を拠点にしてる大きな銀行だったんですけど、
僕は滋賀に配属されると聞いてたんですけど、
和歌山支店もありまして、もう無くなってしまったんですけど。
通える人がいないっていうところで、
僕に和歌山配属の通達が来ました。
それで4年ぶりに和歌山へ帰ってきました。
結構希望通り和歌山っていうか。
そうですね何とか。
ラッキーですよね。
ラッキーで。
他に希望する人がいなかったしっていう。
そうですね。
和歌山は何で帰ってきたかったんですか?
何でなんでしょうか。
やっぱり僕地元が好きで、
ずっと友達と小中高。
進んでいくにつれて、
やっぱり地元だったり高校学生時代によって友達は違うんですけど、
こういう関係も広かったんで、
なんかみんなと遊びながら大人として歩んでいきたいなみたいな。
とかも。
なんか珍しいって言われたんですけど、
結構京都町で暮らして、
みんなはやっぱり東京を目指して行ったりとか大阪へ行った人が多かったんですけど、
僕は和歌山が好きで。
なんかそっちの都会の方はあんまりフィットせずみたいな感じだったんですか?
都会実は大阪とか東京の大会の時しか行ったことがなくて、
ゆっくり過ごすということがなかったんですけど、
何なんですかね。
やっぱ友達とか家族も好きで、
家族とも頻繁に過ごしたいし、
友達とも休日いろんな楽しみ方できるなっていうところで、
そっちがその時はすごい強かったですね。
寂しかったなって思います。
じゃあもうなんかすごい万全な体制っていうか、
友達も家族もいるし、
就職もお堅い銀行でっていう。
そうですね。
ナイスルートで来てる感じで。
ナイスルートで来て、すごい仲良かった大学時代の友達。
大体は大阪、京都に配属されてて、
休日は会えるみたいな。
自分の中では万々歳なスタートを切れたのかなと思ってましたね。
そして銀行へ。
はい。