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ゆいなわさんの聞く人ラジオ
皆さんこんにちは、ゆいなわさんの聞く人ラジオのお時間です。
今回は、食堂KOYOMIの店主、梅澤由記子さんにお話を伺いました。
埼玉県坂戸市にいて、食堂を営まれている梅澤さん。
食べるのが好き、食べる人を見るのが好きとおっしゃる梅澤さんに、
まずは現在に至った経緯についてから伺いました。
お仕事は何ですか?
そうですね、食堂をやってます。
私の場合は、好きなことと仕事がほぼほぼ一緒になっている感じですね。
好きなことを仕事にしちゃった感じ。
料理を作って、食堂で経営をされている感じだと思うんですけど、料理が好き?
料理が好き。
前からですか?
本当に子供の頃からだったので、あんまり世の中の仕事、こういう仕事があるとか、
こういうふうな仕組みで社会が動いているとか知らないうちからが、料理やりたいって言ってた子供だったので。
だからって、どういう料理人になりたいとか、そういうのは何にも決めてなくて、
ただただ作って、食べるのも好きだし、食べてる人を見るのも好きっていうまんま大人になっちゃった感じ。
そうなんですね。
小さい頃から台所には立ってみたいな。
そうですね、母とか、父が料理人だったのもあるんですけど、
おばあちゃんがもう亡くなっちゃってるんですけど、祖母が結構時代的に何でも作る人だったので、
その影響が今となっては強いのかなって思います。
そういう環境もあって、芽生さんご自身が台所とかにいましたし、包丁とかも。
そうですね、触らせてもらいましたね。
それでずっとやってきて、例えば学校行ったりとか、勉強的な部分は?
高校、別に料理人になるって決めてたわけじゃないんですけど、調理のことを学べる高校を選んで受験して、
でもそこで学んだのは調理師とかじゃなくて、家庭科の授業のちょっと一段階上みたいな感じ。
小学校、中学校で学ぶ家庭科の授業をもう少し社会の目で見てっていう感じの家庭がある学校を出ました。
そこではそういうような勉強をされて、出てどうしたんですか?
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その次は今度はもう料理人で栄養士になろうか、調理師になろうかで悩んで、やっぱり調理をする現場の方が好きだなってその頃は思ったので、
これは一応免許を持って行った方がいいんではないかっていう、安易な考えで調理師学校へ。
調理師免許を取るのと同時に、いわゆる専門学校から卒業するときに就職試験をみんな受けるのと同じに就職試験を受けて、
最初は養殖に憧れてたので、父親は寿司職人だったので、完全和食で出来受けた祖母もいわゆる家庭の和食の人でしたけど、
養殖に憧れて、一応養殖でお勉強をしてホテルの養殖部門に就職させてもらって、最初は都内のホテルで修行を始めました。
そうなんですね。それでも修行ってことでいろんな養殖の…
そう、でも最初は何年前?20年以上前なので、時代的にほんと使いっ走りからっていう感じで、ずっと勉強になりましたけど、
もう料理なんか出来ないので、まずは食材を知るとか、いろいろ見て学ぶみたいな感じで、3年半ぐらいで、
させてもらってた仕事は宴会、結婚式とか、ディナーショーとか、あとはブッフェのパーティーとかの料理の部門にいたので、
だんだん自分の生活にある料理とは全然違うってことに気が付いて…
そうですよね。たくさんのやつを、いっぱい一緒のを作ったりとか、そんな感じですね。
大量調理ってすごい勉強になるんですけど、食べてる人、たまにこう宴会場とかに出てサーブとかすると、
みんな、どこから来たんだろうっていう、お金持ちがいっぱい。
私なんかの暮らしとは明らかに違う人たち。結婚式なんかはね、いわゆる一般人が、今日はパーティーっていう感じでやりますけど、
まあもう完全なる晴れの日なので、晴れの日の方が好きってそこで気が付いて。
そこで実際現場というかそこで見て、なるほど。
徐々に徐々に歩んでいるうちに食堂に辿り着いた感じなんですけど。
ホテルはそのうちやめて、それから…
まだ都内にその頃は住んでて、10坪ぐらいの小さいお昼ご飯も夕飯も食べれるカフェみたいなお店にお客さんとして行って出会って、
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なんか私のやりたいことってこういうことかと思って、
その頃は若いから、もともとお金も稼げてないし、いろんな将来設計とか何も考えずに働かせてくださいって言われたら、
ちょうどそこで人が辞めちゃうところで次の子を探してるんだけど、
じゃあちょっとやってみるっていう話があって、そこで働かせてもらうようになって、
そこはもう本当にやりたかったこと、こういうふうになりたいが結構詰まってるお店だったんですけど、
見事に食べていけなくて、生活がなりたかったので。
やりたいことには近いというかそれなんだけど、稼ぎとしてはなかなか。
そうなんです。生活、東京で一人で部屋を借りて、
どうしていくっていうのはちょっと難しいなと思って、ただすごい好きなお店だったので、
掛け持ちをしてみようかと、体力が続く限りはと思って、
あとはそのお店は、私まだその頃23歳だったので、全然知識も引き出しも全然すかすかな。
ホテルのことはわかってるけど、確かにそういう壁的な。
何かを自己実現するような段階では自分がなくて、
まだ修行が必要な段階だったのに、結構いろんなことを任せてもらえたんですよ。
それに危機感を感じてて、もっと引き出しを増やさないと、
お客さんに喜んでもらうにはすぐ枯渇しちゃうなと思って、
その掛け持ち先を商品開発。
料理の商品開発。
デパ地下とか回るの好きだったんですけど、総細工とか。
ああいうところの商品開発の人たちは、さぞいろんなことを知っているに違いないって。
私がずっと無頓着で来た経営数値というものも、おそらく厳しくされているだろうと思って探して、
そこもまた飛び込んだんです。
商品開発の企業?
そうですね。実際に雇ってもらえたところは、大きなチェーン展開はまだする前の段階の、
これからっていうところだったんですけど、和食をベースにしてて、
居酒屋さんを最初は母体としてチェーン展開を始めた会社のデパ地下お惣菜もやっている。
お茶漬け屋さんもやっているっていう会社の商品開発。
しかも経験者募集っていうのを、経験ベースっていう。
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しかも要求されるスキルもちゃんといろいろあって、何もできないんですよ。
使いっぱしりしかやってないから、パソコンも触れない。
学校の商業の授業レベルしかパソコンも触れないし、名刺交換の仕方も知らないし、
外部とのやり取りとかも全然知らないのに、でもやりたいですよ。
やる気で終わっていくわけですね。
とりあえず面接だけはしてくださって、ただすごい人数来てて、
これはダメだな、こんな子供に時間割いてもらって申し訳ないっていう状態だったんですけど、
これもまたご縁で、その時たくさんスキルのある方たちがいっぱいいたんだけど、
会社との雇う条件と見合う方がいなかったのと、
アシスタントが欲しかったっていう状態だったらしくて、
じゃあもう育てるつもりでって言って雇ってもらえたのがすごく幸運でした。
そうなんですね。駆け持ちは駆け持ちだけで。
一応、ただもう向こうも元々社員としてどっぷり雇う気でいるから、
駆け持ち辞めて、いずれ本職にする気はないのかっていうのは最初から問われてました。
そうなんですね。
でも半年も持たなかったです、体が。
一緒にやるのはハードですよね。
大変だったんですけど、商品開発の仕事がすごく勉強になることはすぐ分かったので、
これはきつくてもこれは続けないと、大好きなお店すらままならない。
ご縁のあるお店だったから、やめます、さよならじゃなくて、
一応ちゃんと説明をして、こういうことが私には必要で、
たぶんお店の力になるためには、必要なものが詰まっているところで働くので、
っていうのでご理解いただいて、一度大好きなお店をやめさせていただいて、
育ててもらう方へ。
でも悲しいことに大好きになったお店は閉めることに、その後1年後ぐらいになってしまって、
今はそのお店はないんですけど。
でもその時のオーナーさんとか先輩とは未だに、
目にじゃないですけど、連絡は取り合えない状態にいるので、
そうなんですよ。いいきっかけをもらったなって。
じゃあそんなご縁で、商品開発の方にどっぷり行く。
でもそれも結局自分の実家の父親の隊長の話が掛かってきて、
そんなに長くはいれなくて。
そうか商品開発の都内で。
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そうなんです。東京でやってたんですけど、
父がちょっと体を壊し始めてて、週末、月曜から金曜商品開発をして、
実家の手伝いを土日で行くみたいな日々がちょっとあって。
お店の名前は坂戸の。
実家は小川町なので、東条線橋に乗って来られても終点です。
それからさらに30分以上電車で行きます。
調理家のある学校っていうのが坂戸にあって、そこに通ってたんですよ。
じゃあ前から知ってはいるってことですね。
坂戸はそうですね。地元までは言わないにしても、
馴染みのある町。
じゃあ東京にいたけど、週末はそっちに行って。
そうなんですよ。っていう生活で。
でも実家の方も、私は帰れないよって言って、
手離し合えるような状態じゃなかったというか、
私がそうしたかったっていうのもあるんですけど。
やっぱりこれもそうですね、体が持たない。
これは体が持たないし、
でも実家のお店を閉めるってすごいお金がかかる。
開けるのもお金がかかるけど、規模が大きいお店だと、
閉めるのもお金がかかるのと、維持費もかかるので、
それを私の稼ぎから完破しきれないって思って、
そのホテルを辞めるタイミングとかで、
父のところで少しの間、隙間で勉強させてもらうみたいなことをしてたので、
補助ぐらいならできるからっていうんで週末帰ってたんですけど、
もうこれは私の体も持たないし、
どっちにとっても良くない。私も集中できないし、
だからだって実家が持つわけでもないから、
っていうんで上司に相談して、ここは一旦帰ろうと思います。
戻ってきたかったらいつでも来て、声はかけてくれてて、
ただ甘い世界じゃないから覚悟して帰りなさいって送り出してくださって。
で、実家に帰って、父とどっぷり。
今となれば、あの時間があったからお魚結構触れるようになったなって。
なるほど、それまではやってるけどそんなに。
そう、隙間だったので。
そっかそっか、じゃあその時間で魚っていうものといっぱい。
結局、じゃあもうあと1週間で私会社終わります。
再来週には帰るからね、引っ越すからねって言う時に父が倒れちゃって。
入院、3ヶ月間入院で帰ってこれずがあったので、
もう大騒ぎでした。受けてた予約を。
常連さん、もうどうしてもどうにもならないのはごめんなさいし、
母と回って、私を知ってくれてる方はいいよって、
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娘ちゃんでいいよって言ってくれる人が怖いんですけど、
私だよみたいな。
いいって家族でご飯だから、いいってやってたの知ってるかなっていう。
それも育てる目だったなって今思います。
本当に育ててもらいました。
で、そんなので商品化も結局長くはできず。
帰って、何年くらいやってたんだろう。
実家に5年くらいいたのかな。
でもやっぱり父と母だけでもその頃はやってるお店だったので、
父の体調に合わせるとそこまでは私の思う若さと勢いを付き合わせるわけにはいかないんで、
父の体調が少し戻ったところで、
昼間だけ外に働きに実家から出させてもらって、
夜は実家に入ります。
バイトしない日はお昼もちゃんと実家の仕事。
本職と副業みたいな感じで、
5年の中で3年目くらいに始めて、
諦めきれなかったちょっと養殖とかにアルバイトで行って、
サービスの勉強させてもらったりして。
それも出会いでサービスの勉強なんかしたことなかったので、
その時のシェフにも感謝ですよね。
叩き込んでもらいました。
なるほど、そっか。
お実家でやられて、
それが何年か前?
それが10年以上前ですね。
15年くらい前か。
父が食べたのが15年前なので。
15年前のタイミングで実家に帰って、
そこから30ちょっと過ぎくらいまでの5年間くらいを実家に行って、
アルバイトを始めて、
そんな感じでした。
料理をやっぱりずっとやられているわけだから、
最初の頃ホテル出た時に比べればスキルというか、
勉強積み重ねてやられることも増えてきて、
ジャンルも変わって、
いろいろ商品開発も分かることで、
いろんな料理の要素が梅澤さんの中に入ってきて。
スキルというよりは、
スキルをすることの大切さをとにかくみなさんから教わった感じがします。
アンテナハットクとか、
どれもいいんだか悪いんだか、
全部短い期間であちこちに私は、
やりたい、行きたいと言ってしまっていたので、
専門職の方に比べたら失礼なレベルなくらい、
商品開発も中途半端だったし、
お寿司も寿司職人と呼べるかと言ったら、そうじゃないので。
本気で向かっている人たちと触れ合わせてもらうということと、
おいしいものは食べなさい。
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1日3回しか食べれないんだから、
カップ麺食べて勉強すればいいじゃないよ。
ちゃんとおいしいものを食べて。
どういう人に喜んでほしいのか、
どういう人に食べてほしいのかというものを食べてきなさい。
そういうのをとにかく教わった感じ。
お世話になった人たちが共通していたなと思います。
その人たちはやっぱりその道を貫いている方々。
長年やっていて、その道の極みに入っているというか、
長年やっているからこそ見えていることってあるじゃないですか。
あります。
その方たちには見えていて、
ちょっとそばにいるだけではちょっとわからない。
ちょっと触れるぐらい。
そうなんです。
そう思うとすごいですね。
その方々を知っている。
それがすごく幸福、私の幸せなことだと思います。
私が何をできるわけじゃないけど、
その人たちがいることってすごい大きいなって思います。
実際に今こちらで、坂戸で、
このお店をやっているっていうのは、
ここは何年くらいやっているんですか。
ここは、この間の4月で丸8年になりました。
じゃあその後、開くっていう。
その時も、まだ独立する気は全然なくて。
そうなんですか。
料理ができていれば、
必要とされる仕事があって、
役に立てれば、それが私の楽しみになっていればそれでいいぐらいな感じだったので、
全然自分でやる気はなくて。
やる気はないけどやるんですね。
そうなんです。
最終的にはイタリアン養殖、
実家から養殖のアルバイトに行っている時に、
弟が実家を、弟は平行して、私の修行と平行して、
修行をしていたんですよ。
若い息子と父親だから、当然のようにぶつかり合いもあり、離れ離れでいて、
最終的に父は亡くなってしまうんですけど、
やっぱり父が亡くなった後に、
弟がめきめきと力を発揮してくれている感じだったんだよね。
僕はずっと修行をして、
寿司の修行をして、
和食、寿司屋というよりは和食の仕事を修行していて、
戻ってきて、
父とは一緒にほとんどやっていない感じなので、
私が間にも入れていなかったかな。
ちょっとバトン渡せるか渡せないかぐらいの立ち位置みたいな感じで、
彼がやりたいように活躍できればそれでいいし、
私はお寿司も好きだけど、職人にはなれない自覚があったので、
ここは私の出る幕じゃないって思って、
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アルバイトさせてもらっていた洋食の方で、本格的に雇ってもらって、
弟にバトンタッチして、
一回私は洋食の方へ行くんです。
でもやっぱりそこで、
10年後、20年後の自分をやっと考えたんですよね。
それまでは考えたことがなかったけど、その時に。
雇い続けてもらうためには、
自分の体力と自分が何者なのか、
私は何をして生きていくのが一番いいのかっていうのを、
初めてそこで真面目に考えて、
その時の洋食の仕事もとてもやりがいがあって楽しかったんですけど、
5年10年でガタが来るっていう自覚が、
体力的に、ここまで時代が変わるとも思ってなかったので、
もっと過酷。
いろんなことが変わりました。
働き方も変わったし、ロボットが出てきたりとか、
調理器具も、機械も結構発展しましたけど、
まだその頃は結構アナログなことをやってたし、
アナログが好きだったのでやってましたけど、
私これ60歳でも同じ動きできないと思って、
すごいリアルな話をすると、年金も厚生年金ではない、
国民年金の方が長いし、
そんなに俊良の良い仕事をずっとコツコツやってきたわけでもないから、
これは私は多分一生働き続けるぞってなって、
さてどうしようってなった時に、
一番最初に働いたお店を思い出して、
その時のオーナーが、
私が23歳くらいで、22、23歳で雇ってもらっている時に、
寒暦だったんですよ。
女性で、スタッフも女性しかいなくて、
その時のオーナーは料理を上手だったけど、
料理をする人ではなくて、
もともとバーをやってたりとか、
渋谷の一等地でゴミ屋さんをやってたりとか、
若い子とうまくコミュニケーションを取りながら、
時代に取り残されず、
ああいう生き方、そういえばしてたなって思って、
今も元気にしてるんですけど。
あの規模のお店だったら、
私は人を雇うのは正確的に難しいけど、
一生懸命働くことは、
たぶんマイペースにだったらできるかな。
規模を小さくして、
自分のやりたいことをやってみるのがいいんではないか、
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っていうところに考えがあったので、
そんな時に背中を押してくれた人たちがいて、
もう自分でやってみたらいいじゃん。
まだその時、30前半だったので、
ダメだったらまた考えればいい。
まだそれが可能だから。
これでもう動けないっていう時にそれをやっちゃうと、
他で雇ってもらうことができなくなっちゃうから、
もうやってみたらいいよって言ってくれる人たちがいて、
じゃあやってみようかなって。
もうその時チェチェも高いしてたから、
お寿司屋で引き取ってもらうことももうできないし。
ここに至った感じですね。
もう生きていく術です。
そういうことですね。
じゃあやろう。
背中を押してくださる方がいて、
タイミング的にやれるかな、
じゃあやってみようかなって言って、
例えば店舗探すとかいろいろやって、
じゃあもう見つけて、じゃあやろう。
そうでした。
でもそれも最後、
じゃあ自分でやってみようって決めたはいいけど、
すぐ始められるものでもないし、
実際の開業自体は初めてだったから、
どれくらいお金がかかったり、
どういう手続きが必要かっていうのも、
チチも開業してますけど、
ちょっと規模が違うので、
時代も違うから、
話聞くともう桁が違いすぎて、
できないできないって。
手続きになりづらい感じ。
もっとミニマムなやつと思って、
探り探りあちこちに相談、
会計士さんに相談してみたり、
不動産屋さんに相談してみたり、
ちっちゃいお店やってる先輩に相談してみたり、
いろいろしてる時に、
その間食いつながなきゃいけないので、
最初のお世話になったお店、
閉めちゃったお店の姉妹店が、
妹さん、その時のオーナーの妹さんが、
目黒でずっと続けてて、
それは私がお世話になったお店が、
あった頃からずっとなんですけど。
相談したら、
うちで働かないって言ってくれて、
オラッキーみたいな。
他のスタッフもいるから、
どっぷりってわけにはいかないけど、
空いてるシフトワークのところで、
入ってくれたらいいよって。
なるほど。
って言ってくれて、
目黒まで通いました。
ってことですよね。
そうですそうです。
ちょっとありますけどね。
ちょっとあります。
でもそれをおっしゃっていただいて、
そこに行って働いて。
でもやっぱそこでも、
行っといてよかったなって思います。
やっぱりやりたいって思ったものが、
姉妹店なので、
そうですよね。
同じじゃないけど。
なるほど。
すごい勉強になるというか、
こうなるんだ、こうなるんだみたいな。
そうなんです。
じゃあそれで、
そこも学びながら、
スポーツの準備をしながら、
一つ一つやって、
解除に至るって感じ。
2年はかからなかったか。
1年半くらい。
1年半くらい。
物件見つけるのにすごい時間かかりました。
そうなんですね。
だって全部やるんですよね。
27:00
当然ですけど。
そうです。
これもやるの?
これもやるの?
当然そうですよね。
そうなんです。
不思議なことに、
やっていくうちに、
相手から、
これにはこれが必要だよって言われてくるから、
なるほど。
よくわかんないうちに、
じゃあこれも、
じゃあこっちねって。
今度税務署のやつが。
そっかそっか。
導かれてくるんですね。
なるほど。
用意してない、電話用意してない、
電話契約してきますみたいな。
すごい。
よく思い出せないことが多いんです。
何やったっけみたいな。
結構そうやって、
皆さんがおっしゃってくれる感じ?
手を差し伸べてくれるというか、
背中押しぐれたりとか、
やっぱりそんなお力があったから、
開けるようにオープンに行ったり。
そうなんですよね。
そっか。
オープンした日とかって覚えてます?
オープンした日は覚えてます。
覚えてますか?
覚えてます。
どんなんだっけ?
前夜もあるじゃないですか、
オープン前夜とか、
後日とか、
その感じ?
意外と、
リラックスしていたというか、
抜け殻状態。
燃え尽きてたかもしれない。
いい具合に力は抜けてたと思う。
やる気はあるけど、
手を疲労もしてるし。
疲労も。
オープンする前に、
お世話になった人たち、
何日かに分けて、
来てもらって、
食べてもらって、
ちょっと改善点見つけてみたいとか、
言ってもらったりとか。
それが一番緊張したので、
お世話になった人に食べてもらわなくて、
どうしようみたいな。
やっとこぎつけたっていうのもあったし、
でも嬉しいっていうよりは、
お世話になったことに感謝と、
さあ、こっから大丈夫だろうか、
が始まった感じでした。
スタートですね。
3ヶ月持つんだろうか、
1年持つんだろうか、
その日々でした。
生活に近い料理が好きとおっしゃる梅沢さん。
さまざまな料理の現場を聞いて、
現在の店をオープンしました。
お店を始められてから8年とのことですが、
オープン当初の、
さあ、ここから大丈夫だろうか、
が始まった感じ、
という言葉が印象的でした。
母ちゃん、結構あっという間についてきましたね。
あっという間でしたね。
ただ、すごい最初は想像してましたけど、
知り合いが特にいるわけでもない、
この近くでお店をやっていたわけでもなく、
それを選んだんですけど、
捨てがあるところだと、
勘違いしちゃうから、
勝負と思って、
修行と思ってやっていたので、
想像はしていたんですけど、
想像通りにお客さんがつくまでが大変でした。
最初はあんまりちょっと、
なるほどね。
そんな感じでした。
それでも一人二人と来ながら、
だんだんと、
次また来てもらうみたいな、
一回だけだとちょっと難じゃないですか。
リピートしてもらって、
30:01
時々来てもらうみたいなのが、
やっぱりちゃんとお店として。
そうでした。
やっぱりそうなると、
やりながらの試行錯誤も当然あるでしょうし、
わかんないですけど、
メニューは工夫する、
講習をしようとか、
きっといろんなことをしたんですよね。
そうですね。
メニューは本当に修行と思って、
うち、固定のメニューはないんですよ。
そうなんですね。
もともとレストランとか行くと、
メニュー表出てくるじゃないですか。
あれは一切なくて、
一品だけ、唐揚げだけはなるべく、
鶏肉が切れちゃったらもうないんですけど、
常に用意しとくのは唐揚げ、
鶏の唐揚げだけで、
あとは全部変わっちゃうので、
そうなんですね。
日替わりも変わっちゃうし。
それは、
食材によるとか、
思いと思想をしているみたいな。
そうですね。
それを用意したのが修行です。
修行。
考え続ける。
考え続けるのと、
時代の変化にちゃんとついていこうという意志。
はいはい。
あとは、
一概に悪いとは言えないんですけど、
メニューを決めてしまうことで、
天候とか、
あと、そういうことも、
あと価格、
世の中の情勢の変化とかで、
食材が手に入りにくい。
そうか、ありますね。
サバって決めちゃったけど、
今日本のサバが不良でとか、
先週安かったけど、
今週3倍の価格で、
物が良くないっていう時に、
高い物に手を出したり、
冷凍の遠くから来た物に手を出すより、
今ここにサバじゃないけど安くて、
今日良い物あるのにっていう、
もがきはずっと、
最初の修行の頃からあって、
それを打破するには、
決めないといけない。
そういうことって思って、
入荷次第で変わっちゃいます。
その代わり、
昨日と違うメニューが必ずあります。
というのを、
メニュー数少ないけど、
変わりますよっていうのを、
やってみたんですよ。
それは珍しがってもらえたので。
そうですよね。
来るお客さんも、
その日何があるか分からないけど、
例えば毎日来ても違うメニューだから、
違う物を食べ続けられるっていうのは、
すごくひとつの、
それが売りみたいな感じ。
好き嫌いのある方には、
申し訳ないんですけどね。
それはそうですね。
でもそんな感じで、
そういうスタイルを見つけた、
みたいな感じですかね。
それをずっと。
やってみて、
固定のメニューがあった方が、
お客さんがいいんであれば、
その時固定すればいいやって思ってたんですけど、
変えていってるうちに、
だんだんお客さんも分かってくれて、
だし固定しなくても、
来てくださるお客さんの好みが、
だんだん分かるように。
これは嫌なのね、とか。
なるほど。
33:01
これはいけんのね、みたいな。
そうなんだ。やりながらの発見。
それを話をしてとか、
どうやって気づくんですか?
見て、様子で食べ残しとか、
食べ進め方とか、
この間あれ食べて、
今回これ食べて、
共通点はなんだ、
っていう風に探ることもあるし、
話しかけてくださる方が多いので。
さっき僕、
ご飯ランチいただいたんですけど、
皆さんいらっしゃってる方、
結構お話しされる感じ?
そうですよね。
そういう感じの雰囲気のお店さんなんだな、
っていうのを思ったので、
それって結構大事なこと。
大事、そうなんですよ。
誰かがそうしてると、
初めての人もちょっとずつ、
次来た時に心開いてくれたりとか、
そうじゃない方でも、
お盆の上では。
そっかそっか、それで分かるんだ。
だんだんこのスタイルを
築き上げていきながらも、
やっぱり少しずつ変えながら、
いろんなことをしながら、
その確率がどんどん上がってるというか、
これはいいんだなっていうのは、
だんだん良くなってきて、
そうじゃないのはもうちょっとやりながら。
そうですね。
8年とかになると、
だいぶそれが蓄積されてですね。
そうですね。
あんまりびっくりはしなくなってきてますよね。
びっくりしなくなってきてますけど、
でも、やっぱり今までは良かったものが、
廃れていくっていうのも、
やっぱり見えてくるので。
そっか、そういうのもあるのか。
ここ3,4年ずっと人気だったけど、
急にみんな、
なんかもう違うものを欲してるなっていうのが来るから。
そっかそっか。
じゃあこれは変えていこう。
しばらく出さないように。
ダメだったらブインって。
そっかそっか。
なるほどね。
ってなると、例えば梅澤さんの中には、
ここで出すみたいなものって、
とてもたくさんあるじゃないですかね。
どうなんでしょうね、そういうのって。
そう、今まで出してきたものは、
一応メモってくらいはしてますけど、
あんまり詳しく残してなくて。
そうなんですね。
事細かにとか、画像で残すとかはしてなくて。
じゃあもう体に入ってる感じですかね。
そうですね。
同じメニュー名を見ても、
前回と違うスタイルで出てきたりします。
ああ、そういうことか。
今日の私はこんな感じみたいな。
今日これがおいしいと思うみたいな。
ああ、そういうことか。
なるほどね。
おいしいと思うみたいな、その感じなんですね。
そうですね。
ああ、そっか。
この間、常連さんのほぼ毎日来てくださる
おじいちゃんがいるんですけど、
料理人とはみたいな番組を見たと。
料理上手な人は世の中に結構いるけど、
料理人は、
今日来ても、明日来ても、
明後日来ても、
同じ味で出すっていうのが料理人なんだって、
みたいな話してて、
やばい、私違うと思って。
36:00
ああ、はいはいはい。
今日の鯖と明日の鯖は違うからって。
ああ、はい。
気分も違うし、天気も違うし、
みたいなことを私は考えてしまうので。
はいはいはい。
今日はこれですっていう。
なるほど。
こういう感じです。
そう思うとなんか、
やっぱり今まで梅澤さんがずっと辿ってきた
料理の人生というか、
いろんなところでの学びみたいなものが、
今、当然、ここのお店で
それが凝縮されて出てきてるっていうことですよね。
そうですね。
ありがたいですよ。
それを食べてくれる方がいろいろですもの。
でも、ちゃんと皆さん来るとこがおいしいし、
っていうことだから、
それはすごい、
すごいですよね。
ありがたいです。
今日、ゆいなさんが食べてくださってたときも、
全員、来たことのある方ばっかり。
そうなんですね。
定期的な、いつ来るって大体分かってる人たちだったり、
最後の女子2人が初めて入ってきてくれた感じでしたけど。
はいはいはい。
そうなんですね。
雨なのでちょっと今日はだいぶ静かでしたけど。
そっかそっか。
なるほど。
結構、次々と。
時間によってはそうなっちゃいますね。
時間によってはそうなっちゃいますね。
時間によってはってこともありますし、
申し訳ないって思います。
そっか。
料理を、
例えば、ここはもうお店だから、
お店という形で、
一つのお皿に定食的に出すっていう、
なんでしょうね。
料理を作るときに、
以前聞いたとき、
料理を作るお母さんというか、
料理好きな方に聞いたときは、
どういうこと考えてというか、
なんだろう、
トータルのこんだてをバランスとるみたいなことを聞いたりしたって、
そうなんだと思う。
僕も料理するので好きで作るんですけど、
やっぱりまだまだそういう方には及ばないなと思いながら、
梅澤さんはどんなことを思いながら作る?
なんか、料理の方って食材とか、
なんかすごい地図みたいなのができてるのかなみたいな、
ってちょっとイメージがあって、
どういう感覚でやってるんだろうって思うんですよ。
正解は多分ないんだと思うんですけど。
その人によってなんですけど、
意識してるのは、
その方がおっしゃってたトータルっていうのももちろん、
あまり偏りすぎないようにしようっていうのも思うし、
そうだな、
でも私結構食材ありきで考えちゃうので、
食材。
じゃあこの食材を今日の天気と、
あとは平日、休日でだいぶお客さんの層が変わるので、
今日はどうやって食べてもらうのが、
より多くの人に喜んでもらえるだろうか、
みたいなことを多分一番に考えてるかな。
そっか。
じゃあお客さんのこと考えるみたいなところが、
自分がこれ作りたいっていうのはもちろんあるでしょうけど、
それよりもお客さんと、
39:01
あと天気とか。
そうですね。
お客さんと私の作りたいの、
間を取るというか、
合致点を探してる感じなんだと思います。
私の勘違いで外すこともあるんですよ。
みんなそっちの気分じゃなかったってことも、
ごめんごめんってこともあるんですけど。
そうですね。
で、食材もあるし、
食材って仕入れはどこかにお願いしたりとか、
行ったりとかするんですか?
行くところもあるし、
送ってもらうのもあるし、
うちの強みだと、
前お世話になってたお店のシェフが使ってたお魚が、
高知県のお魚で、
そこのお魚が本当においしくて、
それまでは父と一緒に市場へ、
魚市場へ行って買ってたり、
物はもちろんいいんですけど、
見たことないような魚が、
西の方へ行くと、
まさかって、それがドサッと送られてくる。
どうやって卸すの?みたいな。
それを自分が独立するときに、
シェフにお願いしたら、
いいよって紹介してくれて、
高知県から、
最初は魚工の中にある、
競りをやっている方たち、
卸し魚屋さんから、
直接送ってもらうんですけど、
そこの池巣とかにいるお魚が、
今日は何とないと何がいるよって、
電話でやり取りして、
希望したものを送ってもらってたんですけど、
2年ぐらい経った頃に、
お魚屋さんから、
武田さん、食堂だよねって、
安くいいものを出したいっていう感じだったら、
池巣とかの希望したものを言っちゃうと、
高くなっちゃうから、
おまかせ便、やんない?
って言ってくれて、
それが共通のシェフに紹介してもらった、
浅草でポルトガル料理をやっている先輩が、
そのシェフの同級生なんですけど、
その方とほぼ同時期だったんですよ。
カリフォルニアで、
カリフォルニアで、
その方とほぼ同時期だったんですよ。
開業したのが。
その方が、
ポルトガル料理で、
小魚を雑多に煮込んだ料理を売りにしてて、
お魚の大学を出てたりするから、
プチお魚君みたいな、
詳しいんですよ。
そのシェフ、紹介してくれたシェフも同じ大学なので、
すっごい詳しいんですけど、
その方が、
小魚、何でもいいから、
小魚を安く、
任せるから送ってくれっていうのをやり始めたら、
結構よくて、
刺身でも使えるし、
ただちっちゃいから、
覆すのに時間がかかるけど、
その時の水揚げによっては、
たまに小魚がいなくて、
でっかいのが出ちゃうとかもあるんだけど、
それいけんじゃないって言ってくださって、
やるやると思って、
やり始めて、
お任せ瓶で、
もう開けるまで分からなくて、
うちのメニューと一緒ですよね。
42:01
来てみるまで分からない。
そういうことですね。
それは私も味わってみようと思って。
じゃあ、来てから決めるんですね。
そうです。
来て開けてみて、
個体数とかグラムで、
これはこれ、これはこの量、
っていう風に食材ありきで組み立てて、
最初の頃は、
何の魚か分からないです。
そうですよね。
めっちゃ図鑑見ましたもん。
だって調理方法とかも、
それに変わってくるわけだから。
そうなんですよ。
食べたことのないお魚も、
いっぱい入ってきてたので、
今でこそ8年経ってやっと、
それでも何回かに一回、
おっと新しいの来たっていう。
へー、そっか。
タイミング合えば、
ちょっと珍しいようなのが出てくるんですね。
出てきます。
ラッキーだったのは、
コロナの時、
コーチの良い料理屋さんが、
こぞって営業できなくて、
良いお魚が余っちゃって、
ハモが送られてくるっていう。
わー。
こんなしがない酒堂の食堂で、
ハモが出るみたいな。
格安で。
そうなんだ、でもそれもそっか。
へー。
そう思うと、
即興性というか、
来たもので用意どん、
みたいな感じで決まってくる。
アトレナリンが出ます。
そう考えてやるんですよね。
メニューもそっから決まってくるわけだから、
それに合わせて野菜とかどうしよう、
どうしようとか、
そうなっちゃいますもんね。
野菜も注文制にしてない、
注文して発達してくれる野菜、
ウクラでもあるんですけど、
そうしてないので、
魚来て野菜買いに、
自分で選ぶみたいなことができるので、
これが可能。
なるほど。
結構、もちろん決まった、
これならこれっていう、
アトレナリンじゃない、
創作的な感じになったりとかもする。
あります。
合わせて、
合わないわけはない、
だったらやっちゃいます。
絶対合わないはやらない。
それはこそ、
今までやってきた経験とか、
水澤さんに入っているものが、
させれるというか、
じゃないと創作とかってできないじゃないですか。
もしレシピがいろいろばっかり決まったことをやったら。
じゃなくて、
これとこれならこうだな、
きっとそれだからできる。
そうだったらいいな、
でも。
でも、そうですよね。
それをお客さんに食べていただくわけですから。
そうですね。
今でも勉強させてもらっています。
すごい、それ。
なるほどね。
そっか、だから、
この聞く人では、
お仕事と好きなことを聞くんですけど、
好きなことはやっぱりそこにあるって感じですかね。
そうですね。
でもやっぱり、
自分で開業する前は、
勤めていたら、
どんなに楽しいお店で働いていても、
45:01
自分で全部料理しているわけではなかったので、
メニューを考えるのも分担していました。
一日抱えきれないので、
分担していたりもしていたので、
自分の作りたいものが消化しきれない生活をしているので、
休みの日に料理するとかはしていました。
そうか、そうか。
今はもうここで皆さんが、
私のこの欲求を解消してくれるので、
食べてほしい欲求をみんなが食べてくれるので、
そうか、そうですよね。
食べているのを見るのも好きなんですよね。
そうなんです。
皆さん、食べているのを目の前にしてやっているんですよね。
実験的なことを家で料理したりはしますけど、
どちらかというと、
外食して勉強する方に
重きを置きかけているかなって感じが最近はします。
そっか、そっか。
あと外食は勉強。
外食に限らず、
おばちゃんが作ったものを、
親戚のおばちゃんが作ったものを食べに行ってみるとか、
友達が作ったものを食べてみるとか。
発見はつきなんですね、きっと。
そうなんですよね。
こういうこともあるのか。
ちゃんと試してみようとか。
へー、すごい。
面白いですよ。
面白い。
料理を作っている方の、
例えば、
オープンキッチンというのかな、
そういうのを結構見るのが好きで、
すごい上手な人って、
ダンスを踊ってみたりも。
でも、分かります。
ですよね。
料理人もサービスマンもそうなんですけど、
軽やかというか、
リズムがありますね。
たぶん、もちろん考えながら何かやっているんだけど、
まるでここにあるものをこう撮るみたいな、
見えずに撮るみたいな、
ああいうのって、
全部ダンスっぽく見えて、
僕、それを思ったのは、
前に水道橋の餃子の豪商に行った時なんですけど、
カウンターの向こうにキッチンがみんなあって、
何人か働いていて、
店長みたいな偉い人は、
ただ鍋を振るだけなんですけど、
すごいなって思ったのが、
餃子焼いているパートとか、
注文を取っているパートがあるじゃないですか。
店長が匂いを、
鼻の前にこういうアクションをしたら、
どうやらそれは、
餃子の焦げの匂い。
という指示っぽくて、
そしたらこっちに餃子の担当した人が、
ああって言って、
開けたらちょっと焦げていたみたいなのがあって、
店長すげえと思って、
店長はただ鍋をずっと振るってやっているのに、
全部にアンテナが貼られていて、
わかります、わかります。
そういう感じ。
料理をしている方の、
まるでダンスみたいなのがあって、
それを僕は酒を飲みながら、
餃子を食べながら、
めっちゃすげえと思って。
私も見たい、それ。
そういう感じですよ。
すごいあると思います。
耳もそうです。
頭は違うことを考えているのに、
目はここを見ていて、
耳はお客さんの方と、
こっちの耳は鍋の音を聞いていて、
匂いで、あ、味噌汁が沸く、
48:00
みたいな。
そういう感じ。
全部にアンテナを貼っていて、
例えば今日僕が来た時に、
定食が出て、食べていて、
コーヒー食後に出すとか、
わかっているじゃないですか、
そこにあって、
でもこのタイミングで、
今ここで注文を取って、
この順番でやるじゃないですか。
でも料理も作っているじゃないですか。
そういう感じで、
ダンスっぽい感じがするんですよ。
カチッとはまった時は、
本当に楽しいんですよ。
乱れる時あるんですよ。
カラッとイレギュラーが起きるので、
ふいに、
そういう時に焦ることも
あるかもしれないですけど、
焦ると伝わっちゃうから、
わかりました、軽やかに。
めっちゃ汗かいているんですけどね。
そうそう、その感じ。
思いがけず、
いっぱいお客さんが来ちゃったりとか、
ごめんなさい、みたいな。
ああ、そうなんだ。
言ったら今、
そこのカウンターの中が
梅澤さんの舞台なわけですから、
そこで日々作りながら、
お客さんとのお話を
お相手をしながら、
やっているんですよね。
そうですね。
私が想像しているんでしょうけど、
ものすごく協力的です。
お客さんが。
ああ、そっか。
じゃあここを僕たちが譲れば
食べれるのねっていう
条件をお客さんが持っていてくれるので、
何でも受け身じゃないんですよ、皆さんが。
ああ、すごい。
だから成り立っていると思います。
なるほど。
お店ってあると思っていて、
どんなお店でもやっぱり
お客さんによって
お店が作られていくみたいな。
だからやっぱり
こういう雰囲気のお店だから
こういうお客さんが来やすいとか来るとか、
やっぱり会わない人は来ないじゃないですか。
そうですね。
そうですね。
それによってやっぱり長年やっていると
だんだんお店っていう感じで
居心地いい人が来るし、
その人は協力的だったりとか
何か分かっていたりとか。
居心地の良さってもう
私だけじゃない、
本当にお客さんが作ってくれて。
そうですね。
全然ウィルカム。
年齢もお小遣い握りしめて
今日お母さんいないから
ここで食べてこいって言われたっていう
子供も一人で来るし、
ご飯自分のために作るの嫌だっていう
おじいちゃんおばあちゃんも来ますし、
すごい幅が思っていたより広くて。
そっかそっか。
それってちょっとずつ
来る回数を増やしていってくれた
常連さんたちが
やっぱりその空気を作ってくれてて。
最初に一人で
飛び込んでくれた男性がいたから
僕も入っていいんだっていう人が来て。
そうですよね。
その人が帰っちゃっても
成り立つ空気に慣れてしまえば
次も入ってくるよって。
私がもう一回目覚えちゃえば
51:01
こんにちはってなれば
もう大丈夫って勇気を持ってくれるので。
そうですよね。
そっか。
それは梅澤さんにはもう
コントロールできない範囲に
行ったことだから。
そうなんですよ。
もうそればっかりは
でもすごく素敵な雰囲気で
それでずっとやってる。
面白い。
面白いんですよ。
お客さんありがたいと思う。
そっか。
とりあえず今は
このお店を続けていくっていうことを
一つ一つ。
そうですね。
今はこれを
もともとそうしたかったっていうのもあるんですけど
日常のお店をやりたかったので
もう見事に
自分の食卓、食堂として
使ってくださってる方が
利用してくれるようになってきたので
続けられる限りは
変化しながらですけど
なるべく
皆さんのお腹を満たしていきたいなって思います。
そっか。
自分がやっぱり料理人の
駆け出しの頃なんかは
食べるのに
食べる時間がないんですよ。
もういい加減なご飯。
もう餌ですよね。
生きていくために
駆け込むだけのご飯を食べちゃってて
ゆっくりご飯を食べるとか
あんまりしてなくて
仕事の日は。
疲れちゃうと何を食べたいのか
考えるのもやだ。
どこへ行こうか
考えるのもやだっていう経験があって
自分の同僚たちが
あんなに人のためにご飯作ってるのに
あんまりちゃんとご飯食べてないことが
すごく気になっていて
Appleの創設者の方が
いつも上下同じ服を着ていたじゃないですか。
ジョグズさん。
あれ食事も一緒だと思って
とりあえずここに来れば
お家のご飯もそうですけど
帰れば何かあるっていうのが
今帰れば何もないっていう人が多いから
誰かのそういう場所で
会ってもいいなって
なるほど。
考えない。
疲れてる時は考えない。
とりあえずもう来ちゃって
なるほどね。
それを続けられたらいいかなって
今のところ。
なるほど。
それは常連さんもいっぱい
今はもうたくさんいらっしゃるんでしょうね。
規模が小さいんでね。
でもそうやって皆さんが
協力的にやってくださるっていうのは
やっぱりこのお店が持つ力
ありがたいことで
本当にそれをつくったのは
皆さんがそうやってきたって
今があるとは
よく背中を押してくれた人がいたなと思いますよ。
そうですね。
それでもえいって行かなかったらなってないですよね。
54:02
そうなんですよ。
まだどうしようって言ってたかもしれない。
でもそれで8年っていう時間
ありがたいし幸せなことだなと思う。
今のところ何かが嫌ってことがないので
嫌々やってるとか
そういうのがないので
そっか。
それは素晴らしいことです。
と思います。
ありがたい。
ちょっといいお話を
いっぱいいただいちゃった感じがします。
そんなことない。
面白い。
そうですね。
なんでしょうね。
例えば雰囲気
例えばそこに本が置いてあったりとか
音楽とか
そういうものが総合して
この店じゃないですか。
手書きの黒板もそうですし
それって
そうなんですよねっておかしいけど
うーん
きっと何か
お店っていうのも
日本中いっぱいあるけど
全部お店違う
そうですね。
たまに何かここみたいなお店もあるじゃないですか。
時に
お客さんがいなくなって
大丈夫ここみたいなところも
当然やっぱ
この塩はいつからここにあるの
そういうところでも
お客さんがいたりとか
何かあるんですよね。
お店それぞれ独特の特有に
うちはそんなに手取り足取り
いろいろやってあげられる店じゃない
どちらかというと
できることは自分でお願いします
できることはやりますからっていう
お互い様スタイルなので
読みづらい人には絶対読みづらいし
そう
でもなんか不便を楽しんでくれる人が
不便もいいよねっていう
はいはいはい
人がちょっと多いかもしれないです
それってすごく生活っぽいですよね
あ、そうですね
あまりに便利だと
ちょっと何かあってなっちゃう気がするんだけど
やっぱり生活
普通の生活って
当然不便をはらんでるというか
それで成り立ってる感じがするので
何かちょっとダメだったら
ちょっとやればいいみたいな
ちょっと今忙しい
ちょっとじゃあ置いておくよとか
食べて置いておいて
じゃあ置いておくよ
他に置いておくよみたいな
そういう感じ
そういう波をちゃんに乗ってくれる
一緒にリズムを作ってくれる
お客さんが多い気がします
いやーこれはすごい
お互い様みたいな感じですね
大手さん行くとすごい便利なんですけど
順番待ちの札取ると
携帯がピロンピロンってなって
どこ行っても呼び出してくれたりとか
お客さんでそのお店を利用したいときに
行くとすごい便利だなと思うんですけど
うちにはそれをやったところで
ピロンピロンって鳴らす
私の手がないので
そうかそうか
自動の食券機にしたらって言われるんですけど
メニューが変わっちゃうし
価格が変わっちゃうから
値段設定誰がしてくれるのって
57:00
それがちょっと合わないですね
待ってるところに
待ってる人の人数と名前書いておく札
置いたらとかも
言ってくださる方もいるんですけど
それをチェックしに
呼びに行く人も
私なんですっていうので
あったら便利なんだけど
私にはそこまでできないっていうのを
分かってくださっている方が来てくれてて
たまにお客さんが
常連さんと初めての人が外で待ってて
どれぐらいで呼ばれるんだろうね
みたいな話が行われていると
大丈夫そんなうち
お姉ちゃん見に来るかな
みたいな感じで
なんとなく様子を伝えてくれる
その主義が大事だと思うんだよな
そういうの
すごいマンパワー
曖昧というか
アバウトな感じ
それでいいと思います
あまりにきっちりきっちり
そういうのが今も世の中多いから
そっちに人があっちゃうけど
もうちょっと雑な感じ
ルールありすぎて困っちゃう
大丈夫だよみたいな感じで
それはいい感じがします
ちっちゃい店だから
ありにさせてくださいっていう
そっか
めっちゃいいそれ
困っちゃう人もいるので
申し訳ないなと思うんですけど
いいですよ
それは大丈夫だと思います
その感じでずっとやっていける
ありがとうございます
そうだといいな
それは素晴らしい
それが逆にいいっていう
それが無理
なんならそれが無理みたいな
ちょっと不便だなって
これはいいんだみたいな
逆に気づかせてくれる
そうなんですよ
楽しんでもらえてればいいな
いいと思います
それでいきましょう
それはそのまま
それが良さです
いやー面白い
ありがとうございます
食堂小読みでは
毎日届く食材をもとに
異なるメニューを提供しています
居心地の良さは
自分だけではなく
お客さんと一緒に作り上げるもの
常連さんたちが
その雰囲気を作ってくれるのです
便利すぎない
お互い様の心
それがいいのではないか
という言葉が
特に心に残りました
梅澤さんありがとうございました
それではまた次回
指縄さんのキフヒトラジオで
お会いしましょう