2023-11-07 19:59

#18 David Berglasとカードマジックの聖杯

R.I.P. David Berglas (1926-2023)

ドイツ生まれユダヤ人/ナチスドイツから逃れる/ロンドンへ/Ken Brookeとの出会い/Berglas Effectというカードマジックの聖杯/ACAAN/アカーン/アカーンなのか?

Barrie Richardson "Theater of the Mind"

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奇術積読宣言 ON AIR
どうも、奇術愛好家のしゅうたです。このポッドキャストは、手品が好きすぎて本を知るほど積んでいる私しゅうたが、
手品を趣味とする愛好家向けに、マジックに関するよと話をするポッドキャストです。
はい、あ、そうだ。最初に告知を言うことにしました。
スポーティファイでお聞きの方は、番組フォローを押しておいてください。
フォローするだけで、番組のサポートにつながりますので、ぜひご協力よろしくお願い致します。
あと、今後の番組を良いものにするためにですね、皆さんの感想をいただけるフォームもありますので、
ぜひともお送りください。よろしくお願いします。
はい、ということで、今回のテーマは、David Berglas
はい
皆さん、David Berglasというマジシャンは、ご存知でしょうか?
まあ、バーグラスと日本語では発音をすることにします。この番組ではね。
まあ、バグラスというふうに日本語で書かれたりとか、
いろいろ他にも読み方、もしかしたらあるかもしれないですが、英語だと
バーグラスっていうのぐらいが正しいと思うので、バーグラスでいきたいなと思っております。
はい、聞いたことありますか?はい、なぜ、いきなりですね、このDavid Berglasさんを扱うかというと、
ちょうどですね、この収録をしている数日前にお亡くなりになったからということですね。
2023年の11月3日に
97歳という、かなり長生きなさってますけれども、お亡くなりになった、まあ伝説的なマジシャン
まあ、メンタリストと言ってもいいのかもしれませんが、まあマジシャンです。はい
マジシャンの方は、バーグラスエフェクトとか、前にカードアットエニーナンバーと言うと
ちょっと聞いたことあるなぁと思うかもしれませんが、ちょっと今日はですね
お亡くなりになったということもあって、ちょっと追悼ポッドキャストということで、私いくつかインタビューを読んだりですね
彼のこう、生い立ちみたいなのを調べてみて、非常に
印象深い、いろんなエピソードがある方だったので、ちょっとご紹介しようかなと思って
収録をしております。はい
で、バーグラスさんは、ちょうど数日前にですね、11月3日に
2023年、97歳で亡くなったという話をしましたが、生まれたのは1926年ですね
97年前ですから、まあそうなりますね。はい。で、彼はドイツ生まれのユダヤ人で、そこからかなりのですね
マジックキャリアを歩んでいくことになるんですけれども
最終的に、どれだけ有名になったかというところを、ちょっと先にお話ししますと
彼はイギリスで、生まれはドイツですけども、メインで活躍していたのがイギリスなので
1954年ですね、まあ1050年ぐらいしてから
あのイギリスで、もうレギュラーの番組を自分で持ってた
ミート・デイビッド・バーグラスという番組を、もう自分で持ってたぐらいで、で、その時に
あの、やった番組の内容とか、結構すごかったみたいで、目隠しをしたまま
ロンドンで車を、あの、まあタクシーを走らせると
まあ彼が運転すると、法律に触れるってことだったらしいので、まあタクシー運転手を雇ってですね
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あの、助手席に座って、方向とかをちゃんと
あの、指示しながらやったりって、まあいわゆるなんて言うんですかね、こうスタントっぽい、まあ当時のね
あの、マジックをテレビでやる時には、かなり、やはり、こう
ウケるような、あの、派手なものが必要だってことで、まあ目隠ししたまま
ロンドンを運転するみたいな、そんなこともしてですね、非常に有名になったマジシャンです
そして、2018年には
イギリスからですね、MBEと言われる名誉大英帝国勲章ですかね、まあ要は勲章なんですけれども
まあ勲章ももらったということで、まあマジシャンが
そういった勲章を国からもらうぐらいになるというぐらいですね、まあかなり
マジックの中でも、マジック業界の中でもですね
高い地位と、何をもって高いというか、諸説ありますけれども
非常に文化的に高い地位まで上り詰めた人かなと思っています
実際のまあイギリスといえば、デレン・ブラウンとかがメンタリストで有名ですけども、まあデレン・ブラウンもですね
やはり現存する最も偉大なマジックパフォーマーの一人と称賛していますし、まあ彼の
章にすごいこう影響を受けたみたいですね、あのデレン・ブラウンはですね
あとはあのロンドンにはマジックサークルというマジックの、まあ
もともと女性禁制だった、まあ今はあの男女を両方オッケーですけれども
あのマジックサークルは歴史の長いマジックサークルがありますが、そこは今の会長はあの
バーグラスの息子ですね、マーヴィン・バーグラスというのが息子をやってたりとかですね
まあ本当にマジック業界に幅広い影響を与えている方ということです
で、まあ生まれたのは1926年ということで、あのユダヤ人ですね、だからあのこの時期ですよ
にユダヤ人でドイツ生まれっていうのはもうね、歴史をご存知の方はこの後
どんどんどんどんナチスドイツがあの台頭してきてですね
まあ第一次世界大戦直後のこう貧困したドイツを盛り上げていく
形で、まあ悪い方向に盛り上げていったわけですけれども
あの最終的にはユダヤ人を大量に殺戮するホロコーストになっていく、そんな運命を抱えた国に
生まれているわけです
なのでまあ割とハードモードな最初の人生ですね
まあ幼少期はすぐにあのオランダにまあ逃れたりとか、まあちょっとその後ドイツまた戻ってきたみたい
なんですけれども、まあいよいよやっぱナチスやべえみたいな、ユダヤ人やべえとなって
もう家族バラバラになりながらですね
ご自身はロンドンに最終的に行って
ご兄弟はまあスイスに行った兄弟もいたり、オランダに行った兄弟もいたみたいです
でまあ当時彼はドイツ語、オランダ語、イタリア語しか喋れなくて、まあ当然英語喋れなかったみたいで
まあそんな中ですね
12歳の頃にロンドンに行っているんで、まあ相当大変だったと思いますね
まあただまあユダヤ人ってまああれだけこう
あのホロコーストとかまで至ってしまった一つのまあ理由としては、まあかなりこう経済的に成功していたユダヤ人も多くて
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まあどうやらあのご実家は、あのバーグラスのご実家はですね、まあ結構な
まあ名家というかお金持ちだったっぽくて
まあ繊維事業者をやっていて、まあ工場もたくさん持っていたということで、まあそれ故に
あのヨーロッパ諸国にネットワークがあったので、まあ家族はバラバラにはなっちゃうけれども
そのまあ工場のあの仕事上のネットワークで
ちょっと助けてもらったりとかってして入ってたみたいです。実際あのイギリスに
その避難というか
ドイツから出た後ですね、イギリス着いたロンドン着いた後、その後ボーディングスクール、いわゆる全寮制の学校に
まあ入ったりしてるので、まあやっぱ実家が太かった
という説はまあかなり濃厚です。まあでもね
やはりあのそんな時代であっても、まあドイツ国内であれば財産も差し抑えされちゃうし
あの無償で労働させられていた
のが当時の時代ですから、インタビュー読んでるとおじいちゃんおばあちゃんとかはもうゲッシュタポ
秘密警察ですね、がもう本当家玄関にまあ要はこう迎えに来たと
いう時にですね、あの脱出して命からがら脱出して
なんとかイギリスまでこう
脱出できたというようなそんなあの
エピソードもあったということです
はい
でまあちょっとねまだ全然バーグラスマジック始めてないんですけれども
その後まあロンドンで戦後ですね
えー
まあ戦後、まあ戦時中からか
あの実際アメリカ軍にちょっと加入したりとかですね
まあいろんなこう自分の実家の仕事手伝ったりとかっていうのもあったみたいなんですけれども
あの戦後直後にですね、まあちょっとなんか地元で出し物をするぞということで、なんか衣装借りなきゃってことで
衣装を借りに行った店がなんとマジックショップだったらしくて、まあそこでですね
マジックと出会って
マジックにハマっていくというそんな運命的な出会いがあったみたいです
なんかね馬に関するあの馬のね馬を使ったスポーツ
とかもやってたみたいなやっぱ育ちがいいですよねまあそういうのやってたみたいなんで
なんかそれに関するイベントをやる上でまあちょっと衣装を借りにということで
ケンブルックというですねマジシャンがやっているお店に行ったそうなんです
これねあのマジックのオタクの方は
ケンブルックの店行ったんだって思うかとして思いますが
いやこれ本当に運命のいたずらですよねもうケンブルックといえば
もうショップまあ彼のショップすごい有名ですし彼の解説にまあ彼はちゃんと
その売る道具に自分でちゃんと解説をつけて
あの売っていたのでまあすごいそれで定評のある有名なマジシャンで
あの
そのケンブルックにですね最初まず6つトリックを売りつけられたと
なんかそんなことをインタビューで言っていましたいやもうこれほどいい出会いはなかったはずですよね
うん
本当にね衣装を借りただけでなぜかそのメーラメーリングリスト
郵便リストに入れられていて
その後なんかマジックの会合の案内が来たからなんかノリで行ってみたらしいんですよねそれで
あのマジックと出会ったということで
いや本当にねそれがこんな勲章をもらうほどの一大
あのプロマジシャンに成長するとはまあ当時はケンブルックも思ってなかったでしょうね
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はいまあそんな歴史のいたずらも感じながら
ケンブルックじゃないやバーグラスはですね
マジシャンマジックに興味を持ってどんどんハマっていくわけなんですけども
なんかね親戚
の影響もあってなんか催眠術もここら辺でかじってるんですよね
はいなので彼その催眠術催眠療法みたいなものも結構ですねあのキャリアの中で
しっかりやっていてまあ残っている写真だと催眠術で体が固まってその
あの男の上にバーグラスが乗ってたりとかねそんな写真とかも残ってますね
はい
まあちょっとまあそんなもんにしておきますかまあこれはのすべて
追い立ちをこうさらっていくともうすごい長くなっちゃうので
まあとにかくですねこういったバーグラスはまあこうナチスの
白髪をまあ抜けながらですねそしてケンブルックというあのマジシャンに出会って
最終的にまあマジックを始めてですねそこからキャリアを歩んでいくというわけなんですけれども
やはりこのまあポッドキャスト聞いてる方大半がマジシャンですか大半というか
多分100%マジシャンだと思うんですけどまあまあバーグラスといえば
バーグラスエフェクトですよね
やっぱりany card at any numberと言われるまあこれも頭文字を取って
a c a a n
アカーンとかって言われたりしますけど
まああんまりアカーンって聞いたことない
エイキャンとかってあの発音してるのは聞いたことありますけど
あのまあとにかくany card at any numberがすごく有名ですよね
any cardまあどんなカードでも
at any number何番目どんな番目の枚数目にも
そのカードがありますというそういったマジックです
これマジックのカードマジックにおけるこう聖杯ホーリーグレイルとかって言われてますよね
えーまあなんというかもうみんながこう躍起になって取り組む
プロットというかプログラムになっているそんなマジックだと思います
えっともうちょっとねご存じない方のためにあの具体例をあの話をしますと
トランプのデッグこれ全部54枚まあジョーカー抜けば52枚ですね
ですから52枚トランプには
カードがあるわけですで例えば好きなカード1枚言ってくださいじゃあハートの3
じゃあ好きな数字1から52で言ってください
35って言うとまあそのデッグを配っていくとですねハートの3が
35枚目から出てくるというそういった現象ですよね
いやもう本当これだけ聞くとねすごいやっぱ魅力的で数々のマジシャンたちがですね
このやり方を発表しているわけです
まあタマリッツ有名なホワンタマリッツスペインのねもう当然発表してますし
最近人気だったり
有名だってするのはあの
アメリカのアジウインドですかねアメリカを拠点に活用している活動しているアジウインドとかですか
日本ですとあの佐藤総さんがあの著者で発表なさっていたりまあとにかくですねもう
本当に多くの人たちがこの
プロブレムに対してですねいろんな解放をやろうということを発表しています
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まあ近代まで遡ればちょっと何をもって近代かっていうと難しいんですけどまあ戦前とかまで遡ると
アルベイカーとか有名ですかねこれはアメリカのあのマジシャンですけれども
あの1933年に彼の本で発表してますねアルベイカーね
あとはまあもっと遡ればロベルーダンとかもなんか似たような現象をやってたみたいな話もあるんですけれど
まあ要はその客が言った枚数目からカードが出てくるっていうのはまあすごくやっぱり人気のある
マジックの現象でまあそこにエニーカードっていうねどんなカードでもいいと
いうことを
加えてエニーカードアットエニーナンバーという現象が有名になったと思っています
でまあこれね
ただ今ちょっとあえて有名なとある有名なマジシャンの名前を呼ばなかったんですけども
マジック業界でというかマジシャンの間でこれほどまで有名になっているのって
やっぱ今から言うマジシャンの影響だと思うんですよねそれがねバリーリチャードソンなんですよ
バリーリチャードソンはあの
この人も本を3冊出しているまあメンタリストですかねメンタルマジシャン
で本業はあの大学教授の方なんですけれども私もあの彼の本結構好きで
昔読みましたけれどもバリーリチャードソンがですね1999年に出した
シアターオブザマインドという本があって
これもこの日本であの扱っているショップありますよ
全部英語ですけれども扱っているショップあるんで興味ある方は読んでみたらいいと思いますが
そこでですねもちろんバリーリチャードソンが
あのこのエニーカードアットエニーナンバーの
こう自分なりのやり方を解説しているというのもあるんですけれども同時にねこのね
デビットバーグラスとのエピソードが書いてあるんですよ
これねめちゃすごいのでちょっと
あのかいつまで話しますね
バリーリチャードソンはまあデビットバーグラスと友達だったみたいで
まあ彼とのエピソードがあるんですねで1977年に
ロンドンにあるバーグラスの自宅にバリーが訪問しましたと
そうしたら好きなカードと好きな数字を言えと言われて
でバリーはハートの7と42って伝えたと
そしたら書斎の方に机にデックが置いてあって
あの
バーグラスは触んないんですよ
えー
そこにあるデックケースに入ったデックを
バリーがカウントしていくと
ハートの7が42番目にあると
まずここでバリーリチャードソンは1回目のエニーカードアットエニーナンバーを食らうわけですねバーグラスから
でその3年後に
また一緒に会っている時に
車に一緒に乗ってたんですって
で急にその時にエニーカードを聞かれたと
好きな数字
好きなカードですね言われてスペードの4だって言ったと
ただその時にもうバリーリチャードソンはピンときてこれはあと数字聞かれるなと思って
じゃあ25って言ったんですって
そしたら助手席にあの車の助手席って小物入れあるじゃないですか
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これ英語でグローブデパートメントって書いてグローブコンパートメントか
って書いてあったんですけど多分その小物入れのことだと思うんですけど
その小物入れ開けるとそこにデックがあって
それを数えていくと25番目にスペードの4があったっていう
だから2回エニーカードエディティングナンバーを
バーグラスからバリーリチャードソン本人を食らってるんですね
いやこれめちゃくちゃやっぱりショッキングな現象ですよねやっぱりポイント触ってないってところですよね
でこの他にもいろんな雑誌とかインタビューには1970年代とかにやっぱりあのコンベンションマジックの大会とかで
えー
そのお客さんにカード言わせて別の客に数字を言わせて
その枚数目からそのカードが出てくるっていうのが
あの目撃条件があるんですこうやってですねどんどん広まっていって
バリーリチャードソンがさらに本人したことによってバーっとさらに広がったんじゃないかななんて思ってますね
まああのここでやり方について僕がコメントをすることはまあ絶対ないんですけれども
まあそもそもエニーカードアットエニーナンバー自体が一般向けじゃないみたいな
あの現象としてねまあそんななんか根本的な批判もありますし
あの手法も
えーこれバーグラスって結構なんか桜とか使ってんじゃねーのみたいな
あのそういった批判とかもあったりするんですけれども
あのいやそんなのね正直やっぱどうでもいいかなと思ってますねやっぱ手法がどうであろうとねやっぱこういう伝説を
やっぱり作り上げたこと名声を轟かせたまあそういった
自分の名前がついてるんですよマジックの現象にやばくないですか
バーグラス現象ですよ言ってしまえばバーグラスエフェクトって
ねだから僕だったシューター現象みたいなのが
マジック業界に残るわけですよねこれめちゃくちゃすごい話だなと思っていて
やっぱりそのマジシャンとして彼すごくやっぱりテレビでレギュラーを持っていたぐらいで
売れてますから
まあそういったまあブランディングっていう観点からもそうですし
急にね車に乗ってて
これどうよみたいな形で振ってね
マジシャン自体がまたそれを口コミで広げていくっていうような状況を作り出していること
やっぱこれがねやっぱすごいなと思ってます
でまあそういうすごいなと思った上でまあちょっと個人的な意見を言うと
まあ伝説っていうのはやっぱり往々にしておひれはひれがつくものだと思うし
まあマジックなんてねまあマジックやってる方は特に思うと思いますが
見た側の
お客さん側の記憶ってやっぱ曖昧になるんですよね
なのでそのマジックの現象ってすげえ伝説化していくというか
そういう傾向がやっぱあるかなと思ってますもちろんね伝説化しやすくする
その終わった後の記憶が曖昧になるみたいないろんな手法っていうのはあると思うんですけれども
やっぱりねまあそこがあの
バーグラスの
本当にすごいとこかなと思っています
今回お亡くなりになったのでやっぱりいろんなニュース
がまあ記事になっていてちょっと見たんですけど
墓場まで秘密を持っていったみたいな書き方が結構あるんですよね結局そのバーグラスエフェクトは
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彼ら種を明かさなかったというふうなことが書かれています
ただまあ
本当にそうなのかっていうようなところは思ったりしますよね
まああのマジシャンの方はご存知かもしれませんが
the trick that cannot be explainedと説明できないトリックと言われるような
あの有名なカードトリックがマジック業界にはありますけれども
まあそういった可能性ももちろんあるかなと説明することができないわけですね
はい
まあちょっとこれ以上話してしまうとより
タネのところに触れてしまうことになるのでまあポッドキャストではこの程度にしておこうとかなと
思いますけれども
あの今回ですねあのこのポッドキャスト収録にあたっては昔ジーニーで
バーグラスのインタビューが掲載されていたりだとかまあいろんな今回ニュース記事を見ながら
話をさせていただきました
今僕の手元にはですねあのそのリチャードカウフマンですねジーニーの編集長のリチャードカウフマンが書いた
バーグラスエフェクツという本がありますすごい分厚い本があって
dvd も3枚付いているという本なんですが
タイトルのこのポッドキャストのタイトル通り私はこれを積んでおりますはい
あのまあこの本は読みたいなと思って
本人から買いましたね本人というのはカウフマン本人から
あのそれこそ前回のエピソードで話したジーニーコンベンションで
本人から買ったんですけれども
あの結局買って10年以上読んでない気がしますがまああの
これがね積ん読しているということですねまあよろしくないのでまあいつかこれもちゃんと読んで
レビューをしたいなと思っております
はいということで今回ちょっと長めのエピソードになってしまいましたが
お亡くなりになったデビッドバーグラスに関するエピソードでした
皆さんですねぜひこのエピソードの感想ツイッター
フォームとかでつぶやいてくれると嬉しいですまた皆さんどこかでお会いしましょうさよなら
19:59

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