00:01
いやー、終わりましたね、このシーズンのF1が。
いやー。
なにそのテンション、みんな。
もうみんな、いやーとしか言えない。
わが家のグランプリ後もみんな、いやー、2人でいやーって。
なんでこんなテンションなのかっていうのは、後で話すとして、
F1の3、F1シリーズの第3回を前回撮ったんですけれども、もうグランプリの直前ですね。
あの時、めっちゃウカレポンチだったんですよ、私たち。
やばかった、ほんとなんかすごいテンション高くて、あれは絶対試合後には撮れなかったと思うんですよね。
そうですね、あれは奇跡のような、
あの時しか撮れなかった。
何が癒ささだよっていう話で、
もうね、完全にウカレポンチなんですよ。
で、なんで私ウカレポンチなのかなって、あの冷静になって思ったんですけど、
やっぱその、今年はほんとにどっちがチャンピオンになってもおかしくなかった。
マックスはマックスでチャンピオンに立る理由があったし、ルイスはルイスでチャンピオンに立る理由があって、
なんかあの時は仮想的に2人がチャンピオンみたいなノリだったじゃないですか。
なんか、チャンピオン候補だったけど、
もう2人ともチャンピオンでいいよねっていう感じだったし、
結論が出てなかったから、
なんか、仮想的に理想の状態だったんですよね。
同点だし、同点で決勝で、
なんかどっちを押してても、このシーズンは素晴らしいって、
あの時は言い切れる状態だったんですよ。
確かに。
私もあの瞬間が1ヶ月ぐらい続けばいいのにって思ってた。
思ってなかったな。
同点になったからね。
だから、来てほしくないっていうか、
その週がそんなことは起こってほしくないって思っちゃったっていうのはあるよね。
確かに。
怖かったもんね、やっぱ。
本当に決まるのは。
ね。
そして、決まったわけですよ。
振り返りますか?
そうですね。
グランプリを。
はい。
ちょっと、どんな感じだったか、誰か説明します?
じゃあ、お願いしてもいいですか?
え、私?
にが重い。
これ、にが重いよ。
お便りは大丈夫ですか?
確かに、確かに。
じゃあ、ここで読ませていただきます。
ちょっとその前に、僕がパート3ですかね、前回のF1回を読んでて、
聞き返して笑ったのは、もちろんテンションが高かったのもあるし、
パート1とかパート2で、結構応援することに対してすごく臆病だった我々が、
もうどっぷり沼の中から手を振っているのが、すごいギャップがあって、
03:03
面白かったっていうか、変化があったんだなってことを改めて認識して、
でも、なんだろう、まだグランプリが終わって、またその、なんだろう、
そういうご疑問に立ち返る機会があってもいいかなと思って、
こういう回をセットアップというか、もう1回撮ろうかなって思ったところに、
お便りがですね、いただいたのがあって、
じゃあ、それを彩香さん読んでいただけますか?
はい。
好きなものをわちゃわちゃ語るのは尊いなと思いながら、F1回パート3を配置をさせていただきました。
素晴らしいチャンピオンシップが終了した今、過去のF1回で語っていたエンタメとして消費することへの罪悪感について腹に落ちたものはありましたが、
スポーツを応援することに慣れていた私にとって非常に鋭い件だったので、
F1村社会の監修から演出されるエンタメ性について劇的な終わりを迎えたシーズンに触れて感じたものがあればお聞かせいただければ嬉しいです。
いや、超鋭い質問。
いや、わかるっていう。
いや、ほんとにこれすぎますね。
1、2は結構批判的に見ていた私たちが、完全にF1村のエンタメの中の沼にどっぷり使い、
わぁ、最高楽しいみたいになってたよね、パート3で。
今ふと、あれ?って。
沼の中で自我を失っていた我々に今自我が芽生えている。
実際3撮りながらちょっと気まずさというか、これまで何だったんだよみたいな、
滅多な自分はいつつも、もうちょっと沼に溺れてしまって、すべてをさらし出したところで、ちょうどアブダビがすごい衝撃的な結末で、
もともと振り返ろうと思ってたし、ちょうどアブダビで嫌でもそういうところに立ち返らされたというか。
そうですね。じゃあ、アブダビの振り返り。
振り返り。これね、でも言葉にするのがね、難しいよ。
なんか自分の主観が入っちゃいそうで、もうなんか何かを読みたい気持ちなんだけど。
じゃあ一応僕がまとめてもいいですか?
じゃあお願いします。
僕の認識を伝えるので、正しかったかどうかわかんないですけど、
まず予選、前回収録した時点では、マックスウェルトアッペンが1位、ファミリトンが2位だったんだけど、
マックスウェルトアッペンの方がソフトタイを履いている。
これは有利なのかもしれないし、判定なのかもしれないと。
スタートにおいてどう出るかわかんないって状況で始まったんだけども、
スタートはマックスが圧倒的にもう誰がもが認める失敗って言われてましたけど、押してしまったんですね。
06:04
で、メルセデスのファミリトンが先行する。
で、そこからちょっといろいろあったにせよ、基本的にはファミリトンがずっと早いっていう展開になります。
レースペースにも差がありましたね。
で、たぶん10何秒ぐらいの差ができたのかな。
で、タイヤ交換のタイミングでちょうどペレスっていうマックスと同じチームのチームメイトがファミリトンの前に、
まだタイヤは履き替えてないけど前にいるっていう状況ができて、そこで素晴らしいブロックですね。
ファミリトンに対して先行しているペレスが抜かせないようにっていうブロックを見せて、
で、実際すごくそのおかげでマックスが距離を詰めることができた。
それで抜かすことができなかったし、ファミリトンは結局先行するんだけど、
マックスはもう2秒差ぐらいのところまで詰めてきた。
そうですね、2秒弱ぐらいのところまで来てましたね。
でもそこからやはりレースのペース、車の仕上がりとかサーキットの相性という意味では、
多分メルセデスの車の方が上だったのかなと思わせるようなファミリトンのすごい走りがありまして、
で、結局多分10何秒ぐらいまた離れてしまったって言っていいのかな。
結局それで劇的にまた差を詰められたってわけじゃなく、10秒ぐらいの差がある状態で、
53周目ぐらいかな、運命のクラッシュが起こるわけですね。
で、そこで起こったクラッシュっていうのは、
ウィリアムズっていうチームのラティフィって選手がミックシューマッハとやり合ってるうちに、
ウォールに車をぶつけて大クラッシュしてしまうと。
でもデブリも飛び散ってるので、セーフティーカーが導入される。
セーフティーカーが導入されると基本的には追い抜きができなくなるっていうわけなので、
10秒もあった差がぐっと縮まるっていう意味では、マックスにすごく有利に働くことが起きたわけです。
で、もう一つはマックスがそこでソフトタイヤに変えたっていう判断ですね。
で、ハミリトンはそこで変えなかった、マックスは変えた。
で、その状態で何が起こるかっていうと、
ハミリトンはすごく古い、ずっと使ってるハードタイヤ、何十周も走ったタイヤ、
マックスは新品のソフトタイヤを履いて走ってると。
このままレースが再開されたら、どのような形であれ、スタンディングスタートでもローリングスタートでも、
おそらくマックスが有利だろうっていう状況で、
後でいろいろ話しますけど、結局最後の一周にセーフティー化が解除され、
マックスがハミリトンを新しいタイヤを履いた状態で、果敢な走りを見せ抜き去り、
そして最後の一周でもう21レースして、ただ最後の最後の一周で大逆転を果たし、
マックスが初めてのチャンピオンになりました。
いいでしょうか。
いいでしょうか、この。
09:00
いい感じだと思います。
いろいろ飛ばしたところはあって、そこがやっぱ議論を呼んだんだけれども、大まかには。
そういうことですね。
22戦かな、全部で。
素晴らしいまとめでした。
ちょっとどちらにも公平にならなきゃいけない。
すごく緊張しながら。
これ緊張するよね、ありがとうございます。
補足するとしたら、セーフティーカーが入ると、いくらそれまで秒数が開いてても、
それがリセットされて、距離を詰めて、それまでのタイム差がなしで、
順位だけが保たれたままタイム差がほとんどなくなるっていうところは分かってないとちょっと。
そうです、確かに。
なのでセーフティーカー導入っていうのは基本的には、もちろんマックスはコントロールできない。
どちらもコントロールできないんだけども、結果的には運がマックスにとってはすごくよかったっていうことにもなるのは間違いないかなと思います。
最後10周でセーフティーカーが導入されるとものすごい2位が有利になるっていうのは、今までの試合の感じからも分かっていることではあったそうですね。
あとは、あの瞬間に、なんでハミルトンはタイを変えずマックスだけ変えたのかっていう話になると、
ハミルトンとマックスの間はギリギリハミルトンがピットインできないぐらいの秒数、11秒差ぐらいだったんですよね、そのときちょうど。
それもなんで11秒差だったかっていうところもすごいいろいろあって、まずフェレストがブロックしてたからっていうこともあって、
あとは、マックスもタイヤ変えてすごいプッシュして、かなり縮めたから、あとはもう本当にこれ運というかタイミングの問題なんですけど、
ちょうどハミルトンが周回遅れに引っかかって、ちょっとなかなかペースを上げれなくて、やっと抜いた、これからマックスはこれから周回遅れを抜くっていうタイミングで入ったから、
もうハミルトンはステイアウトするより他なかったっていうのがあって、で、マックスはもう即入ってソフトにして、再開になることを信じてっていう感じだったんですよね。
そうですね。だからハミルトン側もフェルスタッペン側も、その与えられた状況下では最善の戦略を取り、かつ最善のドライビングをしていたっていうところですね。
そうなんですよね。
まあでもじゃあこれが、じゃあハミルトンはすごくいい走りをしていたけども運が悪かったねってだけで納得できるかっていうと、ちょっとそうでもないところがあるからこそ、
この雰囲気。
それがFIAというF1の主催者だったりレーシングディレクターマイケルマッシュさんですね、の判断が本当に正しかったのかあれでよかったのかって言われてる理由でもあるんですけど、ちょっとその辺について彩香さんちょっと補足していただけますか。
12:11
そうですね、まあ一番その議論になったのは、その周回遅れが挟まっているっていうことだったんですよ、そのハミルトンとマックスの間に5台かな、5台ぐらいでしたっけ確か。
周回遅れの車がいて、周回遅れって基本的にはスムーズに抜かさせなきゃいけないんですけど、とはいえまあ挟まっている状態だったと。
で、周回遅れをそのセーフティーカーの前に行かせて、その本来の順位に戻すっていうのは割と通常の手順なんですよ。
なんかそれは、それを知らずに見てたから本当に衝撃だったんですけど、私、あのグランプリの時は。
で、ただその、最初は周回遅れ先に行かないでちょっと待っててって言われてて、で、本当の最後の最後セーフティーカーがいなくなるってなった時に追い抜かしていいよってなって、
なんか判断が2点3点してるように旗から見ると聞こえるんですけど、とはいえそのトラックがクリアになるまではセーフティーカーを追い越しを待たせなきゃいけないっていうのもまた通常手順なんですよ。
だから待たせたことも悪くないし、周回遅れを前に行かせたのも悪くはないんですよね。
で、とはいえトラックの状況を見る限り、本来もう一周はがやく行かせることはできたんじゃないかっていう話があって、その車に関してですね。
で、まだマーシャルがトラックにいたのか、報告とか判断が遅れたからなのかわかんないんですけど、全周回遅れを前に行かせるまで待つと、ちょうどレースがゼロ周になってしまうっていう状態が作られてしまったと。
で、そうなると、もう通常の手続きを行ってセーフティーカーのまま終わるか、今回みたいなやり方で全部の周回遅れを行かせず、マックスとルイスの間の周回遅れだけ行かせて、一周だけレースするかっていう、もうなんかその状況になっちゃったらその2タックしか多分なかったんですよね。
で、どっちを取ったかっていうと、まあレースは最後はレースさせましょうっていうのを優先して終わった。
でも、やっぱりこれはメルセデス側からすると納得いかないわけですよ。
で、今までずっとリードしていたし、いくらこれがなんというか、ルールを読めば確かにそう解釈できるっていう状態だったとしても、なんかこれはFIAが作ったチャンピオンなんじゃないかっていう感覚がどうしてもできてしまった。
やっぱそれが今回のなんか議論の元なのかなというふうに思いますね。
そうですね。
まあちょっとその具体例を離れて、このFIAの判断、できた判断っていうのを整理し直すと、あのクラッシュが起こってしばらくの時点でいろいろな選択肢があったわけですよね。
15:05
一つは赤旗というレースを中断して、で、車をグリッドに並べて、で、再開するっていうことですね。
で、もう一つは、車の片付きが結局終わらないので、正しい一番そのルール通りの判断をすると、セーフティーカーが入った状態、つまりメルセデスがハミルトが前にいる。
ヘルシー・サッペンが後にいる。
レースは本当に始まらないと運行できないから、そのままゴールをするっていうことですね。
それもハミルトが結局チャンピオンっていうことを決定するわけです。
で、その中間判断として、片付いてすぐにレースを再開するっていうのも、それは実際今回したわけですけど、そういうこともできたと。
で、最後その中でレースを再開させることを優先した。
最後の1周だけでもお客さん、見てる人にレースの姿を見せるって結果的に判断になったようにも見えるし、
2人にとってもレースができる、レースをした結果としてチャンピオンは決まるっていうことになりますし、
それを結局選んだわけですけど、でもFIAがその3つの選択肢の中から選ぶことができるっていう状況そのものが、
スポーツとして、スポーツなのかみたいなところが、本質的にはみんながモヤっとしたところなんじゃないかなと。
で、その3つは別に、それぞれの意味で妥当だと僕は言えると思うんですよね。
赤旗中断もそうだし、赤旗中断でやり直した場合は、
どっちもタイヤは変えられるので。
けど、前にいるのはハミルトの状態からスタートってことですね。
で、途中、セーフティーカーの前のまま終了するのは、当然ハミルトに勝たせることになるし、
3つ目はハミルトにはちょっと不公平だけれども、
つまり古いタイヤ入ってる、前にいるとはいえ古いタイヤ入ってるんですけど、
でも、いろんなメリットデメリットがあって、3つ目を選んだって形になってるんだけど、
そもそも選んだっていうのがどうなの、みたいな。
でも、何か選ばなきゃいけない立場ではあるわけですよね。
っていうのが、みんなもやもやしてる1つの原因なのかなと。
つまり、FIAの最低だったりに依存する部分が、このスポーツって大きすぎないかっていうところなのかなと、
一般化すると、みんなは思いましたね。
そうですね、赤旗が一番公平には感じるんですけど、
でもやっぱクラッシュの瞬間、それを判断しなきゃいけなかったから、
そう考えるとちょっと難しかったのかなっては思います。
そのクラッシュの希望から考えても。
実際片付けられたわけですね。
そうなんですよね。
18:01
それを本当に一瞬でしなきゃいけないの大変ですよね。
ルールや判例に一番のっとった判断としては、
セーフティーカーのまま終了なんだよね。
そうですよね、たぶん。
今回とられた判断っていうのは、
ルール上は一番すごく中途半端な解釈をしていて、
通常通りルールを解釈するとちょっとおかしいし、
過去に今のレースディレクターであるマイケルマッシが、
去年した判断とも同じような状況での判断とも矛盾してるから、
明らかに最後の一周勝をするためっていうところにしかメリットがないような、
ルールにはのっとってないし、公平感もないけれど、
最後に勝ができるっていうところがメリットになった、
アドバンテージの選択肢っていうのがとられたっていうところが、
さらに議論を読んでいる部分ですね。
もしラティフィーのクラッシュが、撤収作業に関して、
あと一周早ければ全く同じことができたんですよ、
ちゃんとした手順にのっとって。
その一周がなかったから、この中途半端な状態になってしまって、
逆にこれが一周遅かったら、もう頑張ったってセーフティー化は開始できなくて、
だから、この中途半端な状態をどうとるかっていうところだったと思うんですよね。
これがセーフティー化エンドのまま終わってしまうのが、
手続き的には最も正しかったんだけれども、
まず勝として面白くない上に、
判断が遅れたっていうことで責められる可能性もあるんですよね、
判断あるいは撤収が遅れたっていう点に関して、
その運営側がより原因だっていうふうに、
見られてしまう可能性もあったのかなとは思って。
で、こう、候補者についてはいろいろ手順を、
ルールの穴をついているような感じの最低だから、
やっぱり後味はあんまり良くないんだけれども、
レースをさせて終えるっていう部分に関しては、
かなり今までの歴史的に、
かなりみんなでアグリーしていた部分ではあったから、
それを引っ張り出せばなんとかなるっていうふうに考えたのかな。
まあ、難しいですね。
それも全部、これ本当に1分もない中で判断しなきゃいけないことだから、
絶対マイケルマシンにはなりたくないですけど。
一番転生したら困る職業。
そうだね、ピットクルーよりも大変かもね。
マイケルマシンのほうが嫌だ。
21:01
で、さらに、ただでさえ難しい判断なのになぜか、
今のF1ってチームの代表が、
レースディレクターのマイケルマシンにコンタクトすることが許されていて、
それがしかもテレビでも放送されているっていう、
たぶん他のスポーツからするとすごい奇妙な光景で、
しかもすごく主観的な、
早くレースを再開させろみたいな、
そういった要求をディレクターであるマイケルマシンに突きつけていて、
それもやっぱ放送してるってことは、それも含めてエンタメですよっていうような見せ方を今のF1はしていて、
で、自分がマイケルマシンだったらって考えると、
今すぐ判断しなきゃいけないって状況で、
各チームの代表が、おい早く再開させろとか、絶対再開させるなみたいなことをのんのん言ってきて、
それにも返答しなきゃいけないし、今すぐ決めないともうレース終わっちゃうし、どうしようみたいな。
もうね、パニックだよね。
いや、それもなんか、実はF1公式の動画で、F1選手がちょっと解説、今回のやつを解説してる時に、
トラックを見る限り、たぶんあれ、あと一周先にバックマーカー行かせられたんだよね、たぶん、させようと思えば。
でも、それができなかったのは、結局チーム代表がレースコントロールに話しかけたり、
情報が錯綜してたせいも、もしかしたらあるのかなって、ちょっと思ったりはして、
マイケルマッシュのところで、ちゃんと情報が、なんていうか、あれしてなかった。
なんか、そうなってくると、なんだろう、セーフティーかエンドっていうのが、今度はなんていうか、ジャスティファーしづらくなってくるっていう感じで、
本当になんか、もうあの立場に置かれたら、こうなっちゃうのは、もうどうしようもなかったのかなみたいな、ちょっともう、なんかね。
難しい。
あ、でもそのレースコントロールに話、チーム代表が話しかけられるっていうのは、なんか来年から禁止にするって話がなんか出てましたね。
見たいですね、さすがに。
もう、さすがにこれは、これ見ちゃうとなんかね、プロレス感が強すぎるというか。
まあ、そうですね。
僕は、まあマイケルマッシュ大変だなというのとは別に、なんかこう、まあ僕が完全にそう思ってるわけじゃないですけど、
こんな恣意的に結果が決まり得てしまうものって、こう、なんだろう、例えばスポーツって呼んでいいんだろうかっていうちょっと強い主張ができ得るとは思うんですね。
僕はまあ、なんかもともとの自分の立場で言うと、結構その、例えば雨ってハーフポイントになった試合だったじゃないですか。
でもあれは結局その、興行として成立させるために、こう、セーフティーカーランを2周だけして、2周したらもうレースが成立したってことになるから、
24:08
まあ基本的に予選の順位のまま、あの半分にしたポイントを上げるよっていう判断をFIAして、僕はなんかそれを見て、
F1って僕が思ってたよりは興行だし、ある意味FIAって、お客さんに車が走ってる様子を見せる、レースを見せるっていう責任を果たそうとしている。
いい意味でも悪い意味でも、興行としてのプライドがすごくあるっていう風に僕は受け取ったんです。
だから僕にとって、最後にレース1周、なんかルールを、なんだろう、僕はルールに沿ってないとも思わないけど、ちょっと解釈を変えて、
最後の1周を見せることを優先した判断は、FIAとしては僕はすごく一貫した判断だなとは思って、
そういう意味で、やや純粋なスポーツであるっていうところからは、別にそこまでそんなに純粋なスポーツであり続けることにこだわりがないんじゃないかなって思ったんですね。
そういう姿勢の話に関しては、どう思いましたか?
いや、まあでもそうですね、やっぱりそれが優先なんだなっていうのはある意味、もう1回確認するところはやっぱりありましたね、最後。
お客さんというか、やっぱりレースを見ている人たちの気持ちじゃないけど、
その人たちがエキサイトしてくれるかってことをやっぱり優先すごくしてるんだなっていう感じですよね。
自分はそれまでも確かにそういう場面を見てきたんだけど、このチャンピオンシップっていうメインの、このF1のメインコンテンツというか、
スポーツだとしたらそこを目指してやってるものがこんな風に決まってしまうのかっていうのはやっぱりショックで、
やってることは確かに変わらないんだけど、その事態の大きさっていうのが、やっぱりハミルトンの様子とかを見てると、
これだけ頑張ってきて、こんな風に人の手で決められてしまうのかと、人の手というか、なんかぶつけようのない悲しみみたいなのが生まれてしまうんだなと思うと、
それまで1試合1試合で見てたら確かにそういう場面は幾度となくあって、で、自分もしかしたらそれを楽しんでた一員なのかもしれないけれど、
チャンピオンが決まるっていうのがこういう人の手によって決まるっていうことはすごくショッキングだったんですよね。
いやーわかります。
その人が、確認なんですけど、人の手で決められたって言ってるのは、FIAが実質的に勝者を選ぶこともできた、実際には多分それぞれ最善のことをやったから、
27:07
こうにしかなりえなかったかもしれないにしても、なんか一時的にこうなんだろう、そういう選択肢もあった、つまり決めることができた立場にいた、
ファミリトンでもMAXでもない第3者がいるっていうことに、なんかちょっともやを抱いてしまうっていうことなのかなと思ったんですけど。
まあそうだね、決めたっていうのは多分強い、人の手で決めたっていうのは強い言葉で、
まあだからルール、一貫性のないルールで、ショーとしての見せ方が一番重要であって、
っていう、なんかディレクターがいるショーを見ていったのかっていう、
そのアブダビのラスト見たとき、これ私見てんのF1なのか、これもうネットフリックス入ってんだっけっていう、
わかるわかる、それは、いや、私逆に、
これもうドライブツーサバイブみたいな、
確かにね、わかるわ、それは、
そこまで熱像された盛り上がりみたいなのに、ついていけなくて、
ちょっとレッドブルーが最後めちゃめちゃ喜んでて、わーってなってるときに、ポカーンとしちゃってる。
私も私も、
これは何を見てるんだみたいな、
そうそうそうそう、なんか全然喜べなくて、何が起きたの?みたいな感じだった。
今何を見させられてるんだろうかっていう、
え、こんなこれ普通に喜べる流れなのか?みたいな、
これ大丈夫なのか?みたいな感じだったよね。
なんかどっちからしても、もやっとする終わり方になっちゃって、喜ぶほうも喜びきれないし、
なんかでも、なんだろう、私試合直後は本当にそんな感じで、
なんかあれだったんだけど、
なんかでもルールを調べれば調べるほど、
こうならざるを得なかったのかなっていう感じがする。
もうだから、セーフティーカーエンドか、
今まで選手たちと合意してた、一周だけレースかっていうのも、二択だったから、最終的には。
なんか、なんだろう、時間が経てば経つほど、
もうなんか、こうならざるを得なかったのか、みたいな納得が変に出てきて、
でもそれが、なんだろう、納得していいのかわからない。
結局、喜びたいから納得しようとしているだけなのかなって思う、自分に対してね。
でも、そんな感じ、最初はすごくなみちゃんとすごく近かったと思う。
見たときの感想。
30:02
なんかツイッターとか見ても、いろんな形のお年どころ探し漫画。
そうそうそう、フェレスが頑張ったからとかね。
フェレスが頑張ったっていうか、僕は結構ね、試合直後は結構そんな感じでしたよね。
チームワークの決勝みたいな。
別に今はでもそう思ってるけど、まずやっぱりレースの一番盛り上がったところの一つとして、
ものすごいあれは納得できるなって思うのは、フェレスがやっぱ頑張ってハミトンブロックしたってことですね。
超クリーンだったかって言ったらわかんないけど、
でもやっぱり危機に迫るものだったし、チームワークとして美しかったしっていうのもあるし、
まあそれを除いてはやっぱテクニックとして、やっぱ良かったと思うんですよ。
そうですね、まあちゃんとぶつけずにお互いガチガチに勝負してたのは、やっぱり面白かったのは面白かったですね。
で、かつなんか結局ハミトンがタイヤを変えなかったから、あのような状況が生まれたわけだけど、
ハミトンがタイヤ変えなかったのって何でなの?って僕は最初疑問に思ってたけど、
あ、フェレスがあそこでブロックしてくれたから、タイヤ変えられない状況が生まれて、
だからこそマックスが勝てたんだっていう綺麗なストーリー。
かつ、まあそれぞれはみんなベストを尽くしたけども、
なんか最後はフェレスの頑張りとマックスの最後の気合いによって勝てたっていう落とし所を自分の中で見つかって、
ややスッキリした感じがあったんですよ。
まあでもやっぱみんながそれぞれスッキリ。
そう、どうにかしてスッキリしようとしてる。
っていうのはあるんですよね。
でも、あのゾーン見ながら感じたのは、まさしくたぶんなみちゃんと同じ感じで、
2日ぐらいたって、私はなんか物明かり良くなってきちゃってる、今。
私、いまだにセーフティーカーエンドの方がまだよかったんじゃないかなって思うけど、
もしかしたらそれはハミトンの肩を持ってしまってるだけで、その自分を喜ばせたいだけなのかもしれない。
いや、難しいよね、これは。
でも、やっぱり、ルイスのことを思うとやりきれない、ほんとに。
1番はクラッシュないままハミトンが勝ってくれたら、それは私は素直に、やっぱルイスは強かったし、赤いチャンピオンおめでとうってなった気がするんだよね。
ただ、セーフティーカーエンドで全然燃えらなかったかったら、やっぱちょっと燃えちゃったかなとも思う。
撤収作業ができてたっていうのもあってね。
これができてなかったらあれだったし、ほんとに撤収作業、マーシャルすごい頑張ったみたいなのがあって、あれなんだけど。
結局みんなレースをさせたくて、マーシャルも頑張ったし、
たぶんみんなレースを最後なんとか、別にそれはマックスが勝つ方に関係なく、セーフティーカーエンドは嫌だって、たぶんみんな思って作業してたとは思うんだよね。
で、結果的にそれを狙っていったマックスが勝ったっていう展開で、
33:05
これが仮に片付くだろうと思って、
ルイスがピットインしてたら、マックスはどっちの戦力を取ったかわかんないよね、正直。
マックスも再開するだろうと思ってソフトに変えたら、バチバチの勝負が見れたし、
それじゃなくて、やった、俺1位じゃんみたいな感じで、
言ってたら、ソフトのハミルトンvsマックスってなって、一瞬見えかけたタイトルが結局ルイスのものになって終わりってなってたかもしれなくて、
ここの対話戦略をディレクターが全部把握、仮にしてなかったら、逆になんか納得できるんだよね。
もし、ソフトに履き替えてどうのっていうのを全部把握してて、
たださ、もうどっちが有利かわかってる状態でこの決断しなきゃいけなくなるから、
私がマイケルマッチだったら絶対対話情報知りたくない。
そしたら、まだとにかくルイスを再開したいんだって気持ちだけで、その決断ができたかな。
じゃあ、極論言うと、AIが全て判断しますってなったら、納得感は高かったってことですね。
AIは対話の情報とかも。
そっちの方がいいと思うんだよね。
あ、どういうことですか?
AIの方が納得すると思うんだけど、
でもそのブラックボックスのアカウンスの中にショービジネスとしてのパラメーター入ってたら最悪だなって思う。
でもショービジネス、そうだね。
今までの合意を全部入れたとすると、
そのAIの中にきっと最後一周、グリーンで終わった方が望ましいっていう評価感は絶対入ってると思うんだよね。
でもそんなに賢くなくてよくて、
マーシャルが車を片付けられたかどうかで赤旗、黄色みたいなのを判断してくれる。
それだけ。
ブラックボックスの中で本当にルールベースでAIが判断してくれたらすごく納得いくと思う。
そういう判断ができるようなルールを作ってくれたら一番いいなって思う。
確かに。
どうなんだろうな。難しいね。
でもやっぱりそれで、みんなの満足が最適化はやっぱり結局できないわけで、
F1が何を目指すのかっていうことですね。
AIができるぐらいルールをもっとクリアにすべきっていうのは本当にそうだと思う。
最後に、なんだろう、ディレクターに任されてるっていうのは明記されていて、
ある週、そこを今回使ってるっていうのは、メルセデスの後期に対しても言ってるし、
それが多分みんなのモヤモヤの原因。
そうなんだよね。
なるほどね。
ルールいろいろ決めたけど、最終的に、
ディレクターが判断を覆してますみたいなことを言っちゃうと、
36:01
もうなんでもありじゃんっていう感じになっちゃって、
納得感が低いよね。
そうだね。
でもなんかこう、責任、
それは自動運転かみたいな話に戻ってくるんだけど、
AIを使うとき、責任の所在を誰にするのかみたいなところがやっぱり難しいなっていう感じがしていて、
今回の場合はある意味、
ましに全ての責任が覆いかぶさることによって、
ある意味どっちのドライバーも称えられる状況で終わったんだよね。
それはなんか、私一番嫌だったのは、
ぶつかってマックスがワールドチャンピオンになったら、
それだけはやっぱり嫌だったから、
そうじゃなくてよかったって言います。
それは思ってる。
それだけはそう思ってて、
なんか、なんだろうな。
そういう意味で今回は、
最終的に、なんだろう、
本当にディレクターだけが悪者扱いみたいな感じで、
両方のドライバーとかチームはベスト尽くしたねって感じで終わってるのは、
良かったなっていう感じかな。
確かに、負けたハミルトンの、
負けた、あんな風に負けた後の振る舞いで、
かなりこう、
あの、称賛というか、
ハミルトンやっぱすごいって感じになってる感はあるよ。
むしろなんか、ルイスがやっぱり本物のチャンピオンだみたいなノリになってるよね。
それはなんか別に。
だからこそ、なんかすごい感動。
なんか、レッドブル側は、
ジャンプ的な逆転大勝利で、
チームワークで乗り越えたぜ、
運を味方にしたぜみたいな感じで、
ハミルトンは負けたけど、やっぱかっこいいね。
めでたしめでたしみたいな空気がなんか、
え、これいいの?みたいな感じに。
大人な男あって。
でもみんなたぶん、そのエンドに向かおうとしている感じを、
あらゆるところからするよね。
たしかに。
そうなんだよな。
いや、実際私も、だってそうでもしないと、
これを乗り越えられないっていうのがたぶんあるんだよね。
そうだよね。
だからまあ、むずかしいね、やっぱり。
セーフティーか、
これは通常の手続きというか、
AIが手続きを行っていればちょっと間に合わなくて、
だったのか、
AIがもしかして通常の手続きを行っていても、
他のさ、チーム代表に答えたりする時間がない分、
判断が早くて、もしかしたら普通に一周できたのかもしれないよね。
そこが結局わかんないんだよね、今。
どうだったのか。
だから本当になんか、だって日のタイミングって感じよ。
これクラッシュのタイミングが一周早くてかあったり遅かったりすれば、
FIAが悩む必要はなかったんだよね。
どうだろう、悩んでたかもしれないけどね。
そうかな。
なんとか一周はやらなきゃとかなってたかもね。
まあ、でもさすがになんていうか、クリア…。
39:00
僕はそういう場合は中断してたと思います、赤旗で。
だからやっぱ再開できそうだったから、再開することを選んだってだけで、
もし最後の週だったら、僕はFIAとして一貫性があるのは、中断すると。
で、最後走れって追われるようにするっていうことを選んだんじゃないかなと、
まあ僕は勝手に思ってるだけですけど。
まあ、あの時赤旗中断がもし決断できていれば、
それはそれでもうちょっと納得感はあったかもね、
2人とも同じタイヤで。
その世界線にいたら、よりひどい世界線を知らないから、
それはそれで、それなりに揉めてた気がするよね。
まあ、そうだね。
片付け入れたじゃんっていうことですね。
確かに、あれは木旗ででしょうみたいな感じで言ってた人はいるし、
まあ、どうあってもあれは難しい。
でも結局、じゃあ赤旗、木旗の判断をAIができるような基準に落とし込めるかってことだよね。
まあ、でも僕はやっぱり、これはスポーツとしてっていうのもあるし、
やっぱそのF1っていうすごく、しかも赤旗、木旗っていう安全性が関わる話だから、
まあ、結局それは難しいのではっていうか、
F1が危ないスポーツである限り難しいとは思いますね。
どのようなルール適用でやっても、やっぱ、まあトラックリミットぐらいはとは思いますけどね。
トラックリミットはAIでできても、木旗…
木旗っていう判断は、まあ今は絶対にだし、
ある意味そこをAIに任せないからこそ、悪者ができているからこそ、やっぱ納得できているっていう人も多いという意味で、
FIAはそれができるようにもしなったとしても、
それをマーシャルっていう、ある意味スケープゴートを立て続けるっていうことに価値を置くっていうことはあるんじゃないかなとは思います。
マーシャルじゃなくてレースディレクターかな。
まあディレクターだけど、どっちでも一緒だと思うんだけど、
人が判断するっていう姿勢を残すってことに意味を感じるんじゃないかなと思いますね。
なるほどね。
確かに安全性っていう意味ではそうだよね。
なんていうか、セーフティーカーみたいに安全性と、
レースを両方兼ね備えたような手続きをどれぐらい姿勢を入れるかっていうところがちょっと難しいのかな。
実際、セーフティーカーを追い越しを待たせたのは、トラックがクリアになるまでは待ちましょうっていう話で、
それこそ1年前ぐらいに、セーフティーカーを追い抜かすときって早く動く、早い車が走行することになるんで、
それでまだ片付けてるマーシャルがいるのに横通っちゃったみたいなことがあったりして、
そういうことを考えると、ちょっと待てよっていうのは、それはそれでよくて、
42:02
でも基本的には周回遅れはマインダしましょうっていうのも通常手順っていう感じなので、
今回みたいなケースだとやっぱ、本当にセーフティーカーエンドでターン1までで終わりっていうのが結論だったのかな。
なんか、そうですね、セーフティーカー入れる入れないとかの姿勢っていうのが、
やっぱりF1では切り離せないっていう、どうしても入ってくるっていうことが分かったというのが僕の感想だったんですけど、
そうですね、なんか恣意的なものが多いスポーツ、少ないスポーツってあるなと思って、
で、その話をナミちゃんと議論をLINEでしたときに、
LINE僕らすごい長文オタクたちがこう集っていろいろ話したんだけど、
で、そのときにナミちゃんが、Eスポーツはルールとかもすごくフレキシブルで、ある意味恣意的と言えるみたいな話を出して、
で、僕はなんか結構そのEスポーツの話を前回したときのこともあるので結構好きなんですけど、
なんかEスポーツ結構2タイプあるなって思ったんですね。
1つは例で言うとプヨプヨ2っていう、すごく昔からずっと同じバージョンを遊び続けている人たちがいて、
その人たちはリーグ戦とかずっとやってるんですね。
そういうルールが変わらないスポーツは、ある意味当然同じプレイをしたら同じ結果になるっていう意味で、
人が解体しないっていう意味でも公平だし、ルールが面白い方向に変わったりもしないっていう意味で、
すごく公平感が強いなと思った。
これを純粋なスポーツ度が高いって言うとスポーツの定義を間違えてるかもしれないですけど、
でも僕はやっぱりスポーツ性高いなと思ったんですね。
もう1つは同じぐらいスポーツではあるんだけども、
僕がこの前話したリーグオブレジェンズみたいな、マジで毎月ルールが変わるっていうゲームがあるんですね。
リーグオブレジェンズは大まかには一緒だけど、
バランス調整とかあったりして、それは結局どんどん面白くなるように、面白くなるようにっていう風なルールがどんどん変わっていく。
競技の中では同じようにプレイしたら同じような結果になるし、審判もいないから、
そういう意味では公平なんだけども、
試合と試合の間ではどんどんその状況が変わっていくし、
それが面白さだったり興行だったりするところに最適化されているっていう意味でもは恣的だなって思ったんですよ。
なんかその恣性とその審判がいるみたいな恣性って結構独立だなっていうのは気づいたんですよ。
さっき言ったルールが、ルールというかレギュレーションが試合と試合の間に変わるかどうかっていう、
マクロに見たとき、長い目で見たときの恣性と、
45:01
恣意がない公平性って呼んでいいのか分からないけど、公平さ。
マクロな恣性、マクロな公平っていうのと、別にミクロに見た、試合の中を見たときに、
例えばリーグオブレジェンズ、ぷよぷよどちらも審判がいない、人の判断を介在しないっていう意味では、
どちらもかなり公平ではある。
で、ミクロに逆に恣意的な例としては、
F1は普段はそういうレースばかりじゃないけども、やっぱりアブダイビアはそういうふうに見えてしまったわけですね。
ミクロでも恣意的になってしまった。
F1ってスポーツがマクロに公平だっていう主張する人はほとんどいないと思うんですよ。
マクロには工業のためにレギュレーションを毎年変えてるし、ルールも変わるし、リソース配分も不要だな。
でもみんなやっぱミクロには、その試合の中では恣性がないと、最速を決めるレースだと思いたいんだけども、
でも今回アブダイビに関しては、ミクロにそういう恣性が入ってしまったから、みんなモヤモヤしてるなぁと思ったんですね。
なんかちょっとこの図を見ながら、皆さんポッドキャスト聞いてる方が図なしに理解するのがちょっとあれかもしれないので、図のリンクも貼っておこうと思うんですけども、
でもなんかそういうことを思って、
ミクロとマクロの2つの軸があるんですよね。
そうですね。
ミクロにはみんな公平だと思いたいんだけども、今回は恣意的だったっていうのがやっぱみんなちょっと思いやってるし、
みんなその右上、僕らが読んでるミクロにもマクロに恣意的なF1をどうにかして、
いや、あれはミクロには公平だったんだって思いたいっていう。
正当化したいっていう。
動かそうとしてるわけですね。
やっぱ右下に理想のF1がある。
僕らが言ってる右下っていうのは、ミクロに公平。
マクロには公平的だけど、ミクロには公平っていうところに持っていきたい、持っていきたいって思ってるんだけど、なかなかそれはかなわないと。
リーグオブレジェントとかが、マクロには公平的だけど、ミクロには公平っていう。
まあ今のところは言えてるのかな。
例えばF1がAIで全て、マイケルマッシュの代わりにF1、あ、すみません。
マイケルマッシュの代わりにAIいる世界戦っていうのはそこですよね、きっと。
だから、
そこなのかな、わかんないけど。
そうですね。
結局それは審判がAIになれば解決するのかな。
なんでしょうかね。
そうですね。
なんかちょっとプロレスとボクシングの違いみたいな感じで言ったのが結構わかりやすくって、
プロレスはわりと意図的に審判が介入することで、ミクロにもおもしろくするための介入があると。
で、プロレスはどちらかというと、一応競技内は公平であって、
ボクシングですね。
そうですね、ボクシングは。
48:00
で、だから同じように戦ってるものでも、どこを向いてるかが違う。
強さを決めるっていうのと、観客を楽しませるっていうのは。
おもしろい格闘技をするっていうところが、やっぱこのプロレスが目指してるところのように、
僕はどちらも詳しくないんで、わからない。
僕らは詳しくないんで、わからないですけど。
イメージとしてそういうところがあって、
F1はボクシングが理想だけれども、
アブダビに関してはプロレスに見えたなっていうことです。
格闘技は、詳しくないのにこんなに語っていいのかっていうのはありつつ、
そこのグラデーションのすごく両極端なところは結構あるなとは思います。
それが許容されているというか、どっちのファンもいるじゃないですか。
プロレスはプロレスとして好きな人がたくさんいるし、
ボクシングはボクシングとして好きな人がいるから、
そういう意味では、どちらが好きって人がいてもいいと思うんですよね。
ただ、F1はなんとなく、特にミクロ興行性がいきすぎてしまう、
面白くするためなら、C的なルールを入れてもいいっていうふうになってしまうと、
それは私たちは一体何を見てるの?みたいな。
最速を決めるんじゃなかったな、みたいな感じになってしまって、
今日、ざめするっていうことですよ。
自分がもやっとしてるのは、今年のF1がすごく面白かったのは、
そのマクロな興行軸だけによるものなのか、
それともチャンピオンシップ以外の部分では、
そのミクロに興行的でプロレスっぽくなってたからこそ、
自分が楽しんでたとしたら、
それでチャンピオンシップでだけオイオイってなってるとしたら、
自分は勝手な観客だよなっていうのは思っていて、
プロレスとして楽しんだほうがいいんじゃないかっていうのは思う。
今、話してる中では、アブダビにすごく焦点当てたので、
アブダビだけがプロレスだった。今までは全部どっちかというと、
ボクシング寄りだった。
たとえ使い続けるのは、ボクシング派にもプロレス派にも怒られるかもしれないけど、
たとえとして使わせてもらうと、
って思ってるけど、実はそのハラハラドキドキ、
同点まで来たっていうところも、
結構気づいてないだけで、レベルはともかくとして、
そういうミクロな姿勢が働いた結果なんじゃないかっていうことも、
できるかもしれないですね。
F1におけるマシンのスペック差みたいなのって、
マクロ工業的な?
それの中、そもそもF1がスポーツなのかっていう、
まず外から見て、ボクはF1見始めるまでは、
結局マシンの速さなんじゃないの?っていうツッコミはすごくありましたね。
51:01
それがミクロかマクロかで言うと、
競技内でマシンの強さを調節してない限りは、ボクはマクロ。
マクロの中でリソースの配分は結局平等にはできないわけじゃないですか。
いいドライバー、いいエンジニアがみんなのチームにいるとは限らないし、
予算もやっぱり限られてるし、
っていうのの一部で車が速いチームある、遅いチームあるっていうのは、
マクロにも公平じゃないっていうことの一部なんじゃないかなと。
そうですね。F1はマクロに不公平であるっていうことがすごく前提のスポーツ。
本当にそうだよね。
こんなに…
こんなに…
おっぴらにね。
そうそうそう。
マシン差があるから、みたいな。
あ、そうなんだ、みたいな感じで。
で、なんかこう…なんだろうな。
陸上とかだとやっぱちょっと許される。
やっぱいい靴履いてるやつが結局強いんだっていうのはさ、
やっぱちょっと認めがたいところは。
今でも速い車乗ってるやつが速いよねっていう、
だからマクロ工業的をすごく認めている。
そう。
っていう意味ではスポーツ、今まで僕がハマってきたスポーツの中では、
リーグオブレジェンズと並ぶオーラかそうじゃないけど、
そこはもうそれで行きますみたいな、ひらき直りじゃないですけど、
でもまあそれでもやっぱ面白くなってる要素もあるし、
僕はそこはまあ納得して見ている人が多いんじゃないかなと思います。
なんかでもその差があまりにも大きすぎると、
やっぱりなんかそれが今日を逆に急いでしまうみたいなことはある感じがしていて、
なんかやっぱり後半すごくハミルトンが追い上げてきたときに、
やっぱりエンジンを変えてから急に速くなって、
25台抜き事件。
そうそうそう、25台抜き事件。
20人しかいない。
なんかあれはまあ彼だからできたことであって、
シーンが同じでも同じことできたとは全然思わないんだけど、
でもやっぱりこう、
あ、これドライバーズチャンピオンだけど、やっぱり車が速くないとダメなんだと思って、
それを結構今日がそがれちゃったんだよね、気持ちとして。
で、なんか最後もそのまま、
あ、早いなってなって、やっぱりハミルトン早いな終わりみたいな感じになっちゃうと、
なんかやっぱりこれは車が速い人が早いんだ終わりみたいな感じで、
まあコンストラクターズとドライバーは一緒だよねみたいな感じで、
まあ割とその工業面を意識すると、
あってその不公平さに対して冷めちゃうって人はいてもおかしくないかなとは思った、別の軸でね。
そうですね。
まあ、その話は結構面白くて、
結局マクロ、ミクロにすごく公平なF1があり得たとしても、
結局そのマクロに、つまり競技外の、まあ車が速いってまさにそうじゃないですか、
54:01
で、エンジン変えたらめっちゃ速くなるもん、まあその一部だと思うんですけど、
それでめちゃめちゃ差がつきすぎると、
ミクロでどんだけ公平だったとしても楽しめないし、スポーツとしても、
それってじゃあ車を開発するスポーツ、
車を開発する選手権じゃんってなっちゃうっていうことですね。
まあ、それでいい車を開発するっていうモチベーション、
それを含めてやっぱりF1だとは思ってはいるんですけどもちろん、
とはいえやっぱりこの数年間、
ずっと同じチームが勝ち続けているっていう状況はすごくFIAも気にしていたし、
なんかなんとなく、仮に今回そういう意図は私はなかったんじゃないかとは思ってますけど、
でもそのMAXを勝たせたいっていう気持ちがどこかあったんだとすると、
逆転劇を見せたいとか、
もうハイブリッド時代、メルセデス全勝で終わるってことを避けたいみたいな気持ちが、
どこかあってもおかしくないかなとは思うんですね、
その興行を意識したときに。
だからそのマクロの不公平さを、
マクロ不公平によって中和しようとした結果みたいなふうにちょっと感じてしまって、
それがやっぱり本当にそんな気持ちでやったんじゃないと思ってるんですけど、
でもそう見えてしまうのはやっぱりそういう背景もあるのかなと思います。
私そのマクロの軸で言うと、
マクロ公平だからといって、
その結局何々かよみたいな不公平感って、
例えば陸上だとしても、
結局人種差かよみたいなところになっちゃうと思うんだよね。
だからどうであったとしても、
マクロのなんか不公平感は拭えないとは思うんだよね。
マインドスポーツとかでは、多少それがそういう意味でもケチをつけづらいという意味で、
実は本当のスポーツよりも純粋にスポーツ感があると言えるんじゃないかってことですね。
ぷよぷよ、将棋とかも、将棋は結構割とそうですね、
本当に立ち寄る障害がある人とかでもできるわけだし、
でもまあそれはなんか、
本当はなんかやっぱ頭の出来に人種差があってみたいな話とかを言い始めると、
言い始めると。
またわかんないですけど、
でもやっぱ見え方としてやっぱなんか、
今のところマクロ公平の、僕がこの図の中の一番公平側に置いてるのは、
そう思わせてくれる感じがあるなっていう。
まあそれを言い始めると本当にいくらでもあるから、
まあどっちかというと、
ここでマクロ公平不公平って言ってるのは、
本人以外の理由でっていう感じってことですよね。
本人に能力差があるっていうのはまあ、
57:01
それは所要のものとして、
だって能力を競い合うわけだから、
能力以外の理由っていうことで言ってるんで、
そういう意味では、
能力に人種差があったりとか、
その頭がどうのとか、
そういうのは私はこの塾には含めなくていいのかなと思います。
なるほど。
だからまあ本人の能力以外のマクロな要因、
マクロにどれぐらいその公平性を重んじるか、
面白くする方を重んじるかってことかな。
まあどこが好きかっていうことですけどね。
でもなんか、この3人の、
まあこの図に並べたいろいろスポーツを見てると、
この3人が好きなもの、よく見てるもので言うと、
結構マクロ工業的なものが結局楽しくて楽しんでるんだなっていうのを見ました。
じゃあぷよぷよ将棋、陸上競技を僕ら楽しんで見てるかっていうと、
やっぱそういうことはないですね。
で、僕らバチェロレッテの話しましたけど、
スポーツじゃないけどバチェロレッテもこの図に入れてて、
右上なんですね、それはマクロにもミクロにも支持的だけれども、
でも競い合うっていう仲間があって、
で、その中ですごく面白いときには、
なんかマクロにもミクロにも公平で、
ミクロには公平なんじゃないかなって思える瞬間があるみたいな。
もしかしたら人によってはAKBだったり、
競い合う要素があるアイドルについて、
そういうことを思ってるかもしれないし、
なんかその揺れ動く気持ちというか、
こっちだと信じたいけど実際こっちだったりっていうのも、
結構なんかスポーツじゃないものでもあるんじゃないかなと思っていて、
そう見たときに一貫してパターンとしてあるのは、
僕ら結局マクロには興行的なものが好きなんじゃんっていうのは、
やっぱ人間だものみたいな感じだね。
今まで話していたエンタメとして消費する罪悪感みたいなところは、
そもそもエンタメ性が強いものを好きになっている時点で、
まあっていうところなのかな。
そうですね。
なんかパート1、パート2の振り返りに、
あ、じゃあどうぞ、その前に。
いや、そのマクロに興行的なんだけど、
自分は興行的、マクロに平等だと信じているとこが一番面白い瞬間っていうのは、
すごいそうだなって思った。
マクロに興行的で、マクロに興行的だってわかってるとダメで、
あくまでマクロに左右されているのに、
それを信じてない、あるいは気づいてない右下、
右上なのに右下だと信じてる部分が一番楽しいっていうのは確かに。
まあそうだよね。
だからこう、FRもいろいろなペナルティとか最低とかある時に、
なんかこれはこう考えると公平だって理解している時が一番こう、
1:00:04
なんていうか、面白く見えるみたいなところあって、
それが、え、これどっちかのチームを引きしてるんじゃないのって思うと、
なんかちょっと疑いが入ってきて、面白く見れなくなってしまうみたいなのがあるよね。
バチュラーとかもその、
まあ言うてでもこれってシナリオ書かれてるわけでしょって、
冷めた目で見ながら楽しんでる人ってあんまりいないと思うんですよ。
まあね、それをわかりつつもやっぱ右下という幻想を見せてくれるっていう。
右下右上はもう図をぜひ見ながら聞いてもらったらわかりやすい。
まあまあ公平だと信じているってことで、
ミクロには公平で、
まあマクロにはそうじゃなくても、
ミクロには公平なものだと信じているから楽しめる。
まあそうじゃないとやっぱりコンペティションって、
なんだろう、まあノンフィクションじゃなくなっちゃうからってことですよね。
なんかすごいあのでかい主張していいですか?
うん。
やっぱり人生も結構そういうところあるなと思って。
やっぱ人生は結局右上なんだけれども、
こう右下だと思わせてくれる瞬間が、
たしかに。
いろいろあって、
まあ研究もしかしたらそう感じるかもしれないし、
例えば大学受験とかもそうかもしれないし、
で、やっぱ結局にはもしかしたらもう完全な右上なのかもしれないけれども、
こう結構なんか時とか状況とか、
あと置かれたそのルール、
そのなんだろう、縦付けによって変わるじゃないですか。
っていうのはすごくなんか感じました。
なんかF1のアブダビーショックを受けたのは、
ある意味、なんかなんだろう、
頑張ってきたけど、でもこの社会は不公正なのかもしれないって思って、
ハッてする瞬間とか、
例えばそれに恩恵を受けてたかもしれないとかっていう瞬間に、
やっぱハッてするわけじゃないですか。
たしかに。
実際事例見てたかもしれないし、
ドキュメンタリーとか見てもそうかもしれないし、
なんかそれと近い、ハッていう感じ。
たしかに。
そんな感じ。
感じ。
たしかに。
その幻想、そういった幻想を見せてくれるからこそ、
スポーツって美しいみたいなところがある気がしてて。
たしかに。
人生は右上だと知ってるけど、
スポーツはなんか右下、もしくは左下。
公平だって、いくら公平だってことですよね。
特定のルールのもとで、
公平な戦いを見せてくれるからこそ、
努力の結果が現れて感動するっていう。
そうですね、たしかに。
人生はみんな、何だろう、恣意的だし、
公平な競争というものは基本的にはないからこそ、
公平であるという前提で見るものが楽しい。
ただ、完全に公平で、
本当に本人の能力だけで殴り合うものだけ、
人が楽しめるかっていうと、
そうではない、
人を楽しませるもののほうが、
アトラクティブだったりすることもある。
それが、みんながみんな将棋陸上にはまれるわけではないけど、
1:03:03
どういうことかもしれない。
そうですね、でもF1にはまれない人もいるわけだし、
結局それは、なんていうか、どういうタイプの、
新しく、我々の中で競技を、
競技っていうか、スポーツであったり、
いろんなエンターテイメントを分類する軸ができたみたいな感じがします。
公平、公平万歳。
かな、どうだろうね、公平好き?
いや、どうだろう、公平好きかな、
公平だと思ってたものがじゃないときはやっぱり、
悲しい。
それはそうだ。
徐々に教えてほしいみたいなところがありますね。
やっぱりちょっと急だったからちょっと、
わたわたみたいな、しちゃったっていうのもあるかもしれない。
確かに。
なみきゃんは公平好きですか?
うーん、むずかしいね。
でも、F1はマクロに不公平だってわかってて、
マクロとミクロの区別があんまり、
今でもついてない気がするな、見てるときに。
たまにマクロジックでも、
例えば、もう、
ラティフィー、あぶないでいうと、
ラティフィーがそこでクラッシュした時点で、
ハミルトンからしたら、
セフティカーで終わったらいいのか、
ミクロに不公平じゃなかったとしても、
マクロに不公平、
マクロというか、
努力が意味なかった結末がありえて、
そうだったとしてもへこんでたと思うんだよね。
なるほどね。
確かに、ラティフィーのクラッシュ自体は、
マクロ不公平かな。
別に興行的ではないけど、
マクロ不公平だったよね。
それはでも、ある種、
誰もそうしようとは思わなかった、
避けられないことであって、
最後、一周レースをするっていうところに、
ミクロ興行が入ったっていう感じだよね。
で、やっぱりそれが入っちゃうと、
そこにはいいって思っちゃう。
で、仮にこれが、
本当にあと一周早くラティフィーがクラッシュして、
通常の手順通りで、
最後一周レースがあって、
同じ結果になったとしても、
やっぱり受け入れられないのは、
やっぱりそれは、
より大きなものに対する不公平さに関して、
不満を持つって感じで、
なんか不満の持ち方がちょっと違う。
でも、そのマクロ不公平に関しては、
ある意味、なんかもう、
ドラマとして扱いたがってる気がする。
1:06:00
F1は全体的に。
今までそういう例たくさんあったし。
私も自分もそれを受け入れてるんだけど。
僕はやっぱ、F1のこうハマって、
一つの驚きとしては、
こんなにマクロ不公平なゲームを、
スポーツとして楽しめるんだ、みたいな。
僕はリーグオブジェレジェンズで、
それをちょっと知ってたわけですよね。
ルールが毎月変わるみたいなのが、
でもそれに向かってみんなが頑張ってて、
スポーツより競技内は公平ってのもあるからかもしれないけど、
すごく面白くて楽しめるっていうのが、
これスポーツかもしれないみたいな。
スポーツとして応援したいみたい、
って思えるかもしれないって知ってたんですけど、
F1がこんなにそういうものだとは知らなかったけど、
でもそれでも楽しめる、面白いなってのは、
一つ驚きではありましたね。
でもより深く見ていくと、
どんなスポーツもそういう面もあるのかもしれないとも思うようになった気もしますけど。
確かに。
はい。
でも不公平なほうが、
あ、ごめん。
不公平なほうがドラマは生まれやすいよね。
陸上で一発逆転なんてありえないけど、
不公平だからこそ、
なんか運が回ってきたりして、
ドラマが生まれるっていう。
ついにスプリントレースしてたら、
毎回ルイスが勝って終わりみたいな感じだったり、
ルイスに限らず一番速くて、
速い車に乗ってるうまい人が勝って終わりっていう。
ただそうとは限らないから、
我々は面白く見ていて、
でも最初見始めた時に、
なめちゃんがネットフリックスのドライブ・トゥ・サバイブを推してくれた時は、
スポーツっていうよりはビジネスっぽい不公平さとか、
理不尽さがありつつ、
その中で努力するみたいなところが推せるって言ってた記憶があって、
それってやっぱりマクロ不公平だから起こることなのかな。
はい。
じゃあ、シーズン1、2の振り返りというか、
結構今もしてた気がするけど、
エンタメとして消費することの是非とか、そういう話を。
そうですね。
部分的にはお便りの疑問に答える形になりますけど、
というよりは、パート1、パート2で僕たちがいろいろ悩んでたことですね。
こうしていいのだろうか、ああしていいのだろうかっていうことを改めて見てみて、
それに解決ができたのかっていうことをちょっと振り返ってみようと思います。
僕は結構これ聞いてて、なんか笑っちゃいましたね。
私もなんかショックだな。
なんか昔の自分が潔癖だったのに比べて、
完全に忘れて沼にはまってる自分に気づいて。
はい。
1:09:00
まず僕のまとめ書きの一つ目は、
F1を純粋なスポーツだと考えると、
その人の発言やパーソナリティ。
この中では大坂直美選手のちょっと発言だったりも含めて、
例に挙げてたんですけども、
そういうものを含めて可能性を楽しんでいいんだろうかっていうのは、
もうやってはいますね。
もうやってますね、完全に。
だってそれこそ今回も、
あんな劇的な負け方をしたハミルトンが、
マックスをハグできるなんてすごいみたいな、
やっぱそういうところに何か、
やっぱルイスがすごいチャンピオンだなみたいな感じで感動しちゃうわけですよ。
もうそれって完全にやっぱ発言とか態度ありきでものを考えていて。
確かに。
F1本当の純粋なスポーツだと考えて、
あれ見るとクソつまんないですからね。
まあまあ一応パート1じゃあ最後に行きますね。
もう一つはマックスの彼女ですねっていう、
リカルドの元カノですねっていうくだりは知りたくなかったっていうとか、
公式のF1がシェアしてくる下世話の情報を、
ノリスとリカルドがお互いに質問する動画とかを見ていいんだろうかという悩み。
F1のリアリティ売りがもしそれが仕方ないとしたら、
リアリティ賞みたいな売り方が仕方ないとしたら、
本当にレースカーが好きで走りたいだけの純粋な人っていうのはどうしたらいいんだろうという疑問。
っていうまとめなんですけど。
下世話情報が、それが下世話扱いされているのをめちゃめちゃ見てるわ。
自分としては多分この時はドライブトゥーサバイブから入ってしまった、
すごく不純なファンだと自分を自認していて、
F1はスポーツなのに、そんな自分がピュアにスポーツを楽しめるんだろうか?みたいなところを悩んでたんだけど、
だんだん見ていくと、F1自身がスポーツとしてじゃなく、そういうコンテンツを押し出してるから、
これはもうそのまま受け止めるのがファンのあるべき態度なのでは?って、
もしかしたら自分を納得させるためにそうやって言い訳にしてるだけかもしれないけど、
そういうのも含めて見るのがファンなんだっていうふうに思うようになって、
普通に接種するようになっちゃったっていうのが流れかな。
大丈夫ですわ。懺悔タイムではないし。
今はいいと思ってるんで全然いい。
でも僕もやっぱ同じようなことは感じますね。
実際やっぱりF1の公式とか非公式も含め出してくれるレース以外のコンテンツの楽しみを知ってしまって、
それも含めてF1を楽しさを最大化するような接種の仕方を結局してる。
1:12:04
F1を純粋なスポーツだとして、とりあえずその部分だけを見るようには結局やっぱりならなくなったかなとは思いますね。
やっぱりそのドライバーの個性みたいなところをどうしても見て好きになってしまうみたいなのはあるよね。
レース中だけじゃなくて、例えば無線もそうだし、そういうチームが出してるYouTubeの動画とか、
なんか角田選手とガスリーがなんだろう、豆を移動させる動画とかありましたよね。
箸で豆を移動させるだけの動画ってなんもF1関係ないよみたいな。
脱するとかね。
でももうただただ癒されるみたいな。
僕は一番最後のまとめポイント、本当にレースカーが好きで走りたいだけの人はどうしたらいいんだろうって疑問に関しては、
それはそんなに心配しなくていいよと言ってあげたいと僕は勝手に思ってるんですね。
もちろんやっぱりリアリティー衣装売りはあるけど、
一番僕がそう思ったのは、マックスフェルス・タッペンがドライブ・トゥ・サバイブを批判して、
俺は出ないって、あれはフェイクのライバル関係を演出しているだけだから、
あんな嘘ごとに参加したくないって言っててっていう記事があったんですよね。
それは英語でもインタビューで出てたんですけど、
これはちょっと安心したんですよね、僕はそれを見て。
リアリティー売りに参加、やっぱり明らかにF1の動画とか見ても、
マックスはあんま出てないし、キミラ・アイコンとかもあんま出てないし、
そういう意味では、そういう売りに参加したい人と、そうじゃない人がいて、
それが共存して、しかもマックスは結構勝手。
で、っていうのはなんだろう、そこまで心配しなくていいよみたいな。
レースカーがめっちゃ好きで、ファッションとかも、
あんま気を使ってないよねとかって言われるけど、別に本人は全く気にしてないみたいな。
あの人がもうバリバリ勝って優勝してっていう世界観だからいいんだよっていうふうに思うようにはちょっと思ったかな。
なるほどね。なんか逆にでも、マックスは強いからそれができるっていう考え方もあるかな。
マックスは純粋に早いから、別にそこは良くて、ただもうちょっとスポンサー付き合いとか頑張らないと乗れない人は、そういうのもあるかなってちょっと思ったりはした。
でもやっぱりマックスが拒否してくれたことで、逆にすごく安心して見れるっていうのは私もあるけど、
私やっぱり個々のドライバーが、自分がそういうのを楽しくて出てる人に対してまで、まあなんていうか批判しなくてもいいなとは思うし、
やっぱり嫌なことを嫌だと言える環境があってほしいなっていうことだけかな、やっぱり思うのは。
1:15:04
これは商業主義でスポンサーがつかないとドライバーになれないっていうのとはちょっと違う話なんだよね。
それについてはやっぱり悲しいなって思うな。
スポンサーがっていう話。
早いドライバーがF1ドライバーになるわけではなく、そういう売り方をしてる商業主義だからこそスポンサーがつかないとどれだけ早くてもF1ドライバーにはなれないっていうのは依然として、しょうがないけど悲しいことだなとは感じるけどね。
それはそのリアリティーショー的な売り方に関与しなくていい生き方もあるっていう話とはちょっと別の話だけど。
まあどうでしょう。
まあ僕は思うのはF2の今年優勝したピアストリーがオンラインに上がってきてくれたらいいなっていうことを想像しながら聞いて。
まあでもピアストリーは結局アルフィーヌが話さなかったからなってるっていうだけで、別にスポンサーで捨てりまけてみたいなことではないと思うんだけど。
でも長い目で見ると早いドライバーから上がっていく、順番がちょっと前後するだけ。
ただその順番の前後によって旬を逃してしまったっていう人はもしかしたらいるかもしれない。
それはそれで悲しいけれども。
まあ20年しかいないからそれは仕方がないっていうところは。
わかるねとは思いますね。
じゃあパート2で僕ら話してたこともちょっと振り返ってみようかなと思うんですけど、
パート2はですね結構応援っていうのがキーワードで、多分オリンピックが東京オリンピックがあった時期に収録してたのもあって、
ちょっとそういう対比だったりもっていうのがありました。
一つ目はクラッシュが起こっても安全にはなっているとはいえ危ないことをしている人を見て楽しんでいいのかっていう話ですかね。
あとは応援っていうとちょっと対等な感じがしちゃうと。
エンタメとして負傷させていただいているっていう気持ちで見ようとしている。
あとはオリンピックこれはちょっと直接的な表現になっちゃうんですけど、
オリンピックへのちょっと違和感があるっていうことですね。
で応援の対価として僕たちはノーリスクで見てるだけなのにそれを応援したから感動をもらっているっていう構図にちょっと違和感があるよねみたいな話をしてました。
最後のやつは僕らも聞いててなんかちょっとああって思うところがあったと思うんですけど、
1:18:02
応援、結局この時は応援という感じではなく、見たいっていう気持ちでしたけど、
僕は結構応援しちゃってるなと感動しちゃってるなっていうのもありましたね。
その時なにちゃんは感動ってよくわかんないって言ってましたけど、どうですか今はどのぐらい感動してるなみたいなのは。
難しいんだけど多分感動してるとは思うんだよね。
なにちゃん感動する日が。
あやかちゃんが心が動いたら感動だよみたいなこと言ってた気がして、
その時もうすでに収録の時点で確かに私ももしかしたらもう感動してるかもって思った記憶はあって、
その意味で言うとすごく心は動いてるから感動はしてるんだと思う。
実際こうやってなんだろう、やや冷静だった時の自分からはまった時の自分を見ると結構残酷だなって思う。
なんだろう。
感動してしまっているし、感情移入してしまっているし、それをある種楽しんでいて、
でも過去の自分はなんかなんだろう、安全圏というか家でビール飲みながら見て、
言ってるって他人の努力で気持ちよくなったり感動したりするなよっていうことをその時たぶん言ったんですよね、
ブルーピリオドっていう漫画を引用して、
でなんかそれが今になってすごい刺さるというかもうまさにそれだなっていう感じがして、
でもなんかそういう意味で言うと、
私はもともとそんなになんだろう、その時よりもオリンピックとかで熱狂する人の気持ちが今は逆にわかる感じがしてきました。
ちゃんと競技を理解して、競技を応援して楽しむっていうのは、それはそれってたぶん楽しいことだし、
それがエンタメとしてよくないことだとは思わないかな。
そうですね、なんかオリンピックのもう一つの要素として、
結構そのお国というかナショナリズム的な日本の選手が勝ったら嬉しい、喜ぶ祝みたいなのもちょっと違和感というか、
最初なじめなかったところでもあるのかなと思って、
F1はそれは多少薄いけれども、結局やっぱ母国グランプリ、オランダ人の選手がオランダのグランプリ優勝したらやっぱ良かったねとかって思うし、
ある意味ちょっとそこに染まっている、そこも一部として楽しんでるところもあるのかなとは、
フラットには思ってるところは今はあるかな。
1:21:00
なんかF1に関しては、選手が少ないから、自分の国だから応援するっていうよりは、その人のゆかりがあるところだから応援するみたいな感じだったりすることが多くて、
その点がオリンピックだと人数が多すぎて、その国っていう属性に目が向きすぎてしまうっていうところがもしかしたらあるのかなっていう感じがする。
よく知らないけど、日本の人だから応援しようっていうんじゃなくて、この人はオランダ出身だからオランダグランプリで優勝できたらいいね、別にペリストもメキシコグランプリで表彰台に乗れて良かったねみたいな、
その人の思い入れに寄り添えるから、それは人数が少ないからあるし良いところで、めちゃめちゃ私はF1はナショナリズム強いスポーツだなとは思うけど、
オリンピックより違和感を感じづらいのはそれがもしかしたらあるかも。
僕もそれ言われて思いました。
昔はどうあれ、今は角田が日本の選手だと意識して応援してるっていうよりは、割と角田選手を応援してるっていう感じに少なくとも思えてはいるのは、
オリンピックの時の基本知らない人が出てきて、でも自分はどうしてもやっぱり日本選手に肩入れして見てしまうけど、なんでなんだろうみたいな。
そうしてるうちに競技すごく短いんで終わっちゃって、銀取れたねおめでとうって銀だったね残念だねとかって思ってしまうのが、
ちょっと不思議な違和感があったりっていうのに比べると、F1は結構同じ人をずっと見れるから、
もし結果的に母国だったり国だったりっていうのはあったとしても、それだけで見てる感じにならないし、
みんな本当に人を見てる感じがするから、そこまで違和感がないのかなっていうか応援できるのかなと思いますね、競技として。
なんか私も最初すごい角田くんを日本人ってだけで押していいのかっていう戸惑いはあって、
お年どころとしては今話してもらったのと同じような感じで、みんなそれぞれその一つの属性として日本っていうのもあるけど、
同じように例えばガスリーはこういう人だから好きみたいなのはあって、
でもそれって裏返しとしてはそういう人柄で押してる、ドライビングスタイル以外の部分で押して好きになってるっていうことではあるなとは思う。
パート1で批判されていることではあるんだよね、ただまあ割ともうパート2、パート3ぐらいでは人柄も含めて好きになっちゃってるっていうのを受け入れてしまっているから、なかなかそれを入れてない状態には戻れないよね。
まあでも人柄を知らずとも、レースだけ見てても、その選手の走りとして結構苦しんでたところもあったけど、やっぱ最後に素晴らしいラップを見せてくれて、
1:24:07
基本的にフィニッシュしたっていうところだけを見ても、僕は押せるなとは思いますけど、まあでもやっぱちょっと切り離して考えるのは難しいっていうのは、それはそうだなとは思いますね。
もう一つ努力、ブルーピリオドの引用で、人の努力で酒を飲むんじゃねえよって言ってたのがありますけど、それはどういう文脈の台詞だったのかは僕は読んでないんでわかんないんですけど、
なんか僕はF1選手は俺の努力で酒を飲んでくれやっていうプロフェッショナルとしても生きているような気はするんですね。でもなんかそれはレーサーってレーサーの人に求めていいことなのかともかく、そう言ってる人に対して、それでお前酒飲むなやって他の人に言うのはなんかそれはそれでちょっと野望というか、
逆に酒飲んでくれやっていう人がいたとしたら、むしろ酒を飲もうぜっていうのが真摯なアンサーじゃないかなって思うんですよ。
なるほど、確かに。
その漫画では結局自分に対して言ってて、自分は自分の努力で成果を得て感動したいっていう風に多分その主人公は思ったっていうシーンだったんですよね。
ただまあそれだけじゃないですよね、人生は。自分のこと、自分のやり遂げたことでだけ感動えなきゃいけないわけじゃないし、誰かの努力の上で感動して共感するっていうのも人生の一部ですよね。
もしそのレーサーの人たちが結局他の人に感動をあげらせることでしかF1レーサーであり続けられないのであれば、それは非常に悲しいことだなとも思いますけど、
でもまあなんだろう、でもそういうことだけではないというか、別にそっけなくてもやっていけてる人がいるっていうのから、ちょっとそういう希望が別に今そういうことを味わわせてくれようとしているように見える人は、
そういうことも含めてレーサーである自分を楽しんでいるんだなって思えるんじゃないだろうかっていうおとしどころはどうでしょうか?
いや、いいと思います。
いや、でもそれはなんかずっと思ってた、なんかその下世話情報って私たちが呼んでいるような人間関係のやつとかも、なんか自分のパーソナリティを知った上で応援してほしいと思っているレーサーがいて、
自分たちでPRするのを止めるのも変なわけじゃないですか。
で、なんだろう、本人たちが見てくれとか、本人たちがこう楽しんでほしいっていう気持ちを我々が楽しんでいいんだろうかっていうのも、ややぶすいな感じはするよね。
1:27:00
それはなんか乗ってあげたい気持ちもある。
まめは本当にやりたくてやってるんだ。
本人たちがなのかがちょっとわからないので、まだもやっとするところは。
それがやっぱパート1の悩みのコアではあったんだけど、まあそうだね。
まあ、暫定的な答えとしては、ずっとこう見てて、うーんみたいな、なんか本当なのかもしれないみたいな、そういう感じなんじゃないですか。
いやなことでもやらなきゃいけないっていうのがどこまで強いかってことですよね。
なんかそこまで強くないように、というかそれなりにドライバーの力は強いように見えますけどね、今は少なくとも。
まあ、その後も、マックス、キミという、まあ、もしかしたらやっぱチャンピオン、経験者どちらもそういう共通点はあるし、
なんか、まあアロンストンはそんなにあんまりそういう推してはないとは思うんですけど、なんかそういう人たちは少なくともそういう振る舞いをしているように見えるというのはありますね。
まあ要するにある程度強く出れてるってことですね、ドライバーが。
そのまあ出たいやり方でしかメディアに出てないように見えるかなですかね。
というのは今の暫定的な答えと僕は思って、まあ目を動かす動画も見ようと思います。
まだ見てないから。
そうですね、私は結構そういうので癒されるようになってしまった。
たぶん初めてなんだよね、なんだろう、こういう感じではまったの。
なんて言ったらいいんだろう、私ほとんどなんか芸能人の推しとかがいなくて、そもそも。
人によっては例えばBTS好きとか、そういう感じでこう。
そう、なんかアイドルが好きっていうのが実はほとんどない。
まあ歌手とかミュージシャンはいるんだけど、あくまでもまあメインは音楽が好きで、音楽聴いてて、
その例えばまあ私パフュームとか好きだけど、パフュームがテレビに出てるって言ったらそれを見るわけではないんですよ。
そんな感じの好きしかなくて、まあアイドルグループとか曲が好きはあっても、
そのわちゃわちゃしてるとこまで見たいと思ったことがまじでないのね。
だからなんかたぶんこう、ドライバーがドライブしてない動画を見てしまったっていうのは結構私はショック、自分でもショックで、
あ、そうなんだみたいな、これがなんていうか推しっていうことなのかみたいな気持ちになってしまったね。
まあまあその推しが、ドライブしてない状態の動画を見ちゃうことでしか成り立たないのかっていうのは、
まあまだ議論の余地はあると思うけど、たぶんパート1の我々は、
純粋な推しっていうのができるんじゃないかっていう主張をしていて、それは完全に否定されているわけではない。
1:30:03
別に見なくても推しは推しだからそんなに。
まあでもやっぱり最初がドライブとサバイブから入っちゃうと、どうしてもなんかこうレースだけを見てても、
なんか今回は頑張ったのかなとかなんかこう背後のドラマに対して考えちゃうし、
そういうコメントがあると、あ、前回ここここで不調だったけど今回上手くいったみたいなストーリーをなんか勝手に書いちゃうとこはあるよね。
それはF1は、いやこれはなんか本当に思ってるわけじゃないですけど、本当にF1は面白いのかっていう。
つまり試合だけで見ても、結局こうやっぱ試合そのものが面白いんじゃないのではないだろうかっていう。
信じたくないけど、仮説。
いや、なんかそれはあんまり感じなかったかも。
でも試合によるっていうね、なんだろう、もっと楽しめるみたいな感じかも。
いやでもね、こないだF2見たら、F2はほとんどドライバーを知らない状態じゃん。
私ピアストリーとか一部の長官優とかしか知らなくて、そうするとやっぱりね、ちょっとただ車が回ってるな感は強かったね。
その例えいいですね。だから今F2を見てっていうのは、すごく純粋にこうレースを楽しめるかっていうテストになるわけだよね。
確かに。
ピアストリーって唯一その知ってるF1出れなかったねっていう人がすごく強い人がいて、やっぱそれをキーに僕は見てしまう気がする。
そう。
だよね。
そうなんですよ。
国籍を隠してF1見たいかっていう感じ。
そう。そこの動きでしか楽しめなくて、例えばF3を今見たらどうなるんだろうっていうのは本当に何も知らないだろうから。
パンドラの箱を開けてしまったよな。
でも別に何だろうな、難しいな。やっぱりこう情報量が多いのがF1のいいとこみたいなとこ多分言ったと思うんだけど、みちゃんも。
やっぱりその知れば知るほど面白いっていうのはあらゆるスポーツであることで、それをあえて制限しても面白くなければならないっていうのは何だろう。
別にそうではないんじゃないっては思うかな。
というか、F1は実は面白くない。つまり全ての情報を隠してこのままだけ見ていても面白くないって主張は通るかもしれないけど、そしたら面白いコンテンツじゃないよねっていう。
その世界観でその基準で当てはめるんだったら、面白いスポーツってないんじゃないっていう。
スポーツに限らずあらゆるエンターテイメントが情報なしに見て面白い必要は別にないのかな。
確かに。
それこそが本能に訴えかける何かだとか言われたらあれかもしれないけど、
でも、たいていは分かんなくても、分かんないと面白くないものの方が多いと思う。
1:33:03
例えば芸術ぐらいじゃない?誰が書いたのか、誰が作った曲なのか分かんなくても、この曲はいいねとか、この絵はいいねって言えるのってあると思うけど、
それってもう本当に情報じゃなくて、互換ダイレクトじゃん。
ある特定の互換を狙ってるタイプのものだったら、それでもいいかもしれないけど、
やっぱりそれ以外のものに関しては、目の前でどういうストーリーが組み立てられてるかっていう情報が大事で、
その情報の価値を否定することはないのでは。
無理に否定する必要はなくても、グラデーションとしてガスリーと角田が豆運んでるところまで含めるべきかっていうのは、
限りなくアイドルに近い商品を知ってるのかなとは思うね。
沼のハマり方もどちらかといえば、BTSにハマった人とかと近いようなハマり方をしてるなって。
私もそう思っている自分で、割と。
でも本当にこういうのね、今まで他のアイドルとかでの経験がないから、だからこそ逆にあんまり罪悪感がないのかもしれない。
こういうハマり方を他でしたことがないから、これがアイドルを見てるようなハマり方なのかどうかすら、
区別がつかないみたいな状況だろう。
私はそういうコンテンツを見始めたときに、
これって嵐とかがテレビでわちゃわちゃしてるのを楽しんでる人と同じ構図なんだなってのは思った。
それは別に嵐を楽しんでる人を自分は否定するわけじゃなくて、
ただなんか自分はそうじゃないハマり方をしていると思っていたけど、
でもそういうのに近いのかもっていうことですかね。
そうでないハマり方をしてるとは思ってなかったけれど、
やはりそうすることに抵抗がある中で、体は沈んでしまってるみたいな。
まだまではまってないぞ。
でも、私はネットクリーフリックスから入ってしまった時点で、
それは避けがたいと思っている正直。
そうじゃないハマり方をするんであれば、そこを経由すべきじゃなかったよね、逆に。
逆に今からカートに乗りに行って、
ドライブのラインドリとかブレーキングとかに関してめちゃめちゃ味わえるようになって、
またF1を見ると違うんじゃないですか。
実際ゲームがそれに近いかな。
確かに確かに。
ゲームを見て、やってみて、難しいんだなってすごいなって思う。
この顔難しいんだよなみたいな。
1:36:00
っていうのをすごく深めた状態で、またF1を見ると、
ちょっと違うハマり方というか、違う選手の好きになり方っていうのがあるのかもしれないなと思います。
別に何か無理してそれをする必要あるとは思わないですけど、
っていうのはあるのかなと。
F1のネットフリーから入ったらそうならざるを得ないっていうことであれば、
もしかしたらそういうのもあるかもしれないってことですね。
車を好きになるっていうことですかね。
そうですね。車をより好きになる、そういう方向はあるかもしれない。
いやー、車、そもそも好きになると思わなかったんだ。
そうですね。
車に興味がなかった。
いろんな車が好きなのかっていうのはあるけど、
一切なかった、私。
確かに。
だからなんか結構私は、ある種アイドル的なハマり方をしてしまっていることについては、
もう私はそういうハマり方をしてしまっているって自覚があるから、財布感あんまりないわ。
なるほど。
なんか自分のそういう消費の仕方のマクロな民主主義的な影響を考えると、
自分の理念とは反してしまうんだよね、やっぱり。
なるほど。
だからその、自分の直感とその理念との矛盾はやっぱりずっとあって、
その理念っていうのはどういう?
なんかやっぱりそのアイドルとして消費することが、ドライバーにとってはよくないんじゃないかっていう気持ちは、
その本人たちが楽しんでるように見えても、別にそういうのなくレースさせてあげたほうが本当はいいんじゃないかっていう気持ちはやっぱりどっかにある。
なるほどね。
僕はその、なみちゃんの悩みと同じかどうかわかんないけど、
なんか似たことを思うのは、やっぱり自分の理念だったりと矛盾するなって思うことで、
で、それをさっきの図で言うと、やっぱり公正な社会に行きたいし、自分の人生に関しての公正なルールの中で、
例えば成功するな失敗するなしてると思いたいけれども、
はまってるコンテンツは非常に、ある意味Cが含まれるものを、
でもそういうものだよねと思って見ているっていうところに、ちょっとした矛盾を感じなくはないかなとは思います。
それがちょっと、なみちゃんの悩みと並行なのかもしれない、交わってないのかもしれないですけど、
そういうコンテンツ、右上コンテンツを押していいのだろうか、
そしてそれをみんなの前で押すことがどのような影響を与えるのだろうかっていうことですね、
1:39:01
はちょっと感じるかなとは思います。
意外と近いんじゃないかなって思い始めてきた。
そうだね。
なんかドライブトゥサバイブではまったことは確かに事実なんだけど、
それを押すことで結局F1がそういうものが受けるんだなって理解してしまって、
それがブダビのショーみたいなのにつながりうるっていう、
そういうわかりやすい面白さを視聴者は求めてますよっていうことを、
心の中で思うのはしょうがないとしても、
ドライブトゥサバイブ最高ですっていうことは悪影響というか、
そういう態度を示したことによる帰結を自分が望まない可能性はあるとは思ってる。
それはすごくなんかわかりやすい例で、今なんかなるほどって。
例えばリアリティショーは好きだけど、リアリティショーを好きなことを表明していいんだろうかとかねっていう、
リアリティショーなんでも好きなわけじゃもちろんないですけど、
かなり嫌いなものもかなりあるんですけど、
そういうのもちょっと近いのかな。
なんか身近な例だと、自分それはふるさと納税とか、
なんかセブンとかあとうなぎ食べるかみたいな話があって、
うなぎ好きだけど、うなぎ食べるぞっていう態度を示すことで、
売るぞってなって、どんどん絶滅していくんじゃないかっていう帰結は想像できて、
だからそれをに反対するために、好きだけど食べませんっていうことを示すことは大事というか、
そうすることが意味を持つこともあると思っていて、
そういう矛盾は結構いろいろ人生の中で大内緒なりあるなと。
そういうのは本当にたくさんあるよね。
なんて言ったらいいか。
結局その、例えばチョコレートおいしいと強制労働がありますっていうのの矛盾とかね、
自分が好きなものの中に、自分の中で許容したくないことが混ざってしまっているときに、
どうその好きと付き合っていけばいいんだろうっていう。
確かにね。
パート1に戻った気がする。
なんかパート1に戻ってきたね。
大きく一周してまた戻ってきた。
だから結局そこはまだ何もお利相はついてないまま、
沼に飲み込まれ、面白さに飲み込まれてしまってるってのが実情ではあるな、自分は。
ある一周、僕はその面白さに飲み込まれた人の気持ちも理解できるようになれたという収穫は少なくともあるんじゃないかと思います。
1:42:01
確かに。
というわけで、いろんな意味でね、議論を呼ぶアブダビグランプリで、
思ってもない方向に2人の、3人の議論が転がっていった気がしますけどね。
なかなか落としどころは結局つけられないということですね。
でも結局やっぱり人生にも落としどころつけられないのと同じ意味で落としどころつけられないという意味では、
結局落としどころつける必要というか、つけられるものでもないのかなっていう。
やっぱり今日いろいろ議題に上がったこととかも考え続けていくしかないというか、
今本気で納得していないことに今パッて結論出して終わっても、仕方ないみたいなとこはあるかな。
というわけでね、結局かなり経営の中っぽく終わってしまったというか、終われたんじゃないかなと思います。
うかれぽんちパート3から聞いた人からすると、
なんか悪さがすごい極端だなって思われるかもしれないですけど。
今日はお付き合いいただきありがとうございました、小川さん。
ありがとうございました。
前回からの引き続きですけども。
ありがとうございました。
そうこう言ってるうちに多分もう3ヶ月したらまた我々もまたドハーマにしてるかもしれないし。
うかれぽんちに。
うかれぽんちになってるかもね、また。
こいつらなんなんだっていうところも楽しんでいただけたら。
人間らしいというか。
人間らしいなこいつらはって思って楽しんでいただけたらいいかなと思います。
これもリアリティーショーなんじゃないかっていう気がしてきたわ。
実際そうだよね。
でも僕らはポッドキャストのために人生生きてるわけじゃないんで、安心して楽しんでください。
大丈夫です。
というわけで今日の議論は尽きない中ですがこれで終わりにしたいと思います。
それではまた次回のF1回もお楽しみに。
いつになるかわかんなせんけどもまたやりたいと思います。
それではさよなら。
さよなら。
さよなら。