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Vol.343【祝・最優秀賞】映像で紡ぐ地域の記憶。永井真由さんが語る『鉄工丸事件』制作の舞台裏
2026-05-01 40:55

Vol.343【祝・最優秀賞】映像で紡ぐ地域の記憶。永井真由さんが語る『鉄工丸事件』制作の舞台裏

今晩5/1の 敬和キャンパスレポ は、学長室ブレイクタイムの5回目☕

ゲストに、番組MCであり、映像作品「鉄工丸事件〜沈んだ記憶を、未来へ運ぶ〜」を制作された永井真由さんにお越しいただきました。

こちらの作品は「新潟県自作映像・視聴覚教材コンクール」社会教育・地域映像部門で最優秀賞を受賞しました㊗️

放送では、作品概要はもちろん、ご協力いただいた渋川綾子さんや元新潟市長の長谷川義明さんとの取材の裏話、そして観る人を惹きつける映像制作のテクニックなど、作品をじっくり深掘りしました!

MCは丸山。

エフエムしばた で21時から。ウェブでも聞くことができます📱

➡️https://shibaradi769.com/


永井さんの制作された「鉄工丸事件〜沈んだ記憶を、未来へ運ぶ〜」は敬和学園大学のYouTubeからご覧になれます!

https://youtu.be/4Ln_gJVosmY?si=bJn2L9Nx53yiNe2W


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感想 2

永井裕人
3週間前
(聴取モニターのコメント) 制作の試行錯誤を詳細に聴けて興味深かった。
永井裕人
3週間前
(聴取モニターのコメント) 3分38秒のところで、鉄工丸事件についてあまり知られていないという前提の元で、簡単な紹介が入っているところ 3:38~ 鉄工丸事件という歴史上の出来事自体あまり有名ではなく自分も初耳の用語だったが、事件に関する解説が耳で聞いているだけでもとても頭に入りやすく、「凄惨な事件だったんだな~」というのが伝わってくる分かりやすい説明だった。
3:38
「大まかに言うと、先ほどもちょっと説明してもらったんですが、」
00:03
丸山未結
敬和キャンパスレポ。この番組は、嶋田市富塚にある、
敬和学園大学の大学生が、大学に関わるイベントや人、
仕事のことなどをテーマにお届けします。
敬和キャンパスレポは、実践するリベラルアーツ、
敬和学園大学の提供でお送りします。
学長室ブレイクタイム。
いきなり呼び出されたら緊張してしまいそうな大学の学長室。
この場所を本音が飛び交う休憩スペースに、
学生のリアルな声を学長に届けて、互いに未来を語り合うフリートーク。
さあ、今週も学長室ブレイクタイムスタートです。
永井真由
さて今日は、学長室ブレイクタイムの5回目です。
今回は国際文化学科3年の永井真由と、
丸山未結
国際文化学科3年の丸山美優でお送りします。
今日は2人MCではあるのですが、
テーマは永井さんの制作した鉄格丸事件の作品がテーマですので、
実質的には永井さんはゲストということになるかと思います。
実は、2025年夏にも取り上げた戦後80年の映像作品の中で、
永井さんの取り組んだ鉄格丸事件・沈んだ記憶を未来へ運ぶが、
新潟県自作映像視聴画教材コンクール社会教育知育映像部門で最優秀賞を受賞しました。
おめでとうございます。
永井真由
ありがとうございます。
おめでとうございます。
丸山未結
収録日の前日、4月7日には新潟日報長官に永井さんのインタビューが掲載されています。
私も昨日、新聞を入手して切り取りました。
永井真由
思ったより大きくなってもらって、結構周りからも反響があったんですけど、
ありがとうございます。切り取ってもらって。
丸山未結
家の冷蔵庫に飾ります。
永井真由
冷蔵庫にお願いします。
丸山未結
作品概要をご紹介します。
1945年7月2日に新潟港で起きた鉄鋼丸事件を題材としたドキュメンタリーです。
近地取材や石碑調査を行い、事件を長年調べてきた方、
新潟市長として平和記念碑混流に関わった方へのインタビューを通して、
多くの学生や勤労動員された人々が危険となった事実に向き合いました。
協力として渋川綾子様、長一戸芳明様とお二人の名前が挙がっています。
接触者コメントとして、
新潟に住みながら私は鉄鋼丸事件のことを詳しく知りませんでした。
1945年7月2日に新潟港で起きた出来事でありながら、
その事実が自分の中にはほとんど残っていなかったことに衝撃を受けたことが、
この制作の出発点です。
特に強く心に残ったのは、学生が一度に命を落としたという事実でした。
本来学ぶはずだった若者たちが勤労動員という形で働き、
03:00
丸山未結
その中で犠牲になった同じ学生として、その現実は決して人ごとには思えませんでした。
これが長谷さんのコメントです。
と、大まかにご紹介したところで、今回も学長の金山先生、
映像制作を指導された一戸ゼミの一戸先生に進行を引き継ぎたいと思います。
どうぞよろしくお願いします。
一戸信哉
はい、よろしくお願いします。
金山愛子
よろしくお願いします。
鉄コン丸事件というのは、本当にご存知の方は少ないんじゃないかと思うんですけれど、
どのような事件だったんですか?
永井真由
大まかに言うと、先ほどもちょっと説明してもらったんですが、
1945年の7月2日、終戦間近ですね。
新潟港、今の佐渡気線とか、あの辺の新潟港で起きた嫌いの接触事故というもので、
嫌いというのがそもそも水中の地雷のようなものなんですね。
なので落とされたその気雷が新潟港とか河に、品の川にたくさん落ちていて、
それがぶつかると爆発するっていうので、その時に勤労動員で新潟鉄工所で働いていた学生たちを乗せた船が、
永井真由
そのちょうど気雷に接触してしまったというようなものです。
今もホルムス海峡でね、その気雷を設定するぞとかそういう話が出てます。
一戸信哉
これは気雷という話が出た時に、実は私たちは気雷があってどういうことだろうという話で、
そこで説明を受けたんでしたっけ?
永井真由
調べたりとかもしたんですけど、今ちょうどホルムス海峡の話で気雷が話題というか、
よくニュースとかでも聞く言葉にもなってきてるんですけど、
それ、私がちょうどこれの取材を始めた時って気雷ってあんまりなじみがない言葉というか、
一戸信哉
あまり知られてない。
永井真由
知らない言葉で、全くイメージも分からなくて、気雷、気雷とはみたいなところから。
金山愛子
気雷がよく聞きますけど。
永井真由
港を開いて水に浮かべる感じなので、
港の攻撃に割と特化してる感じだとは思うんですけど、
それでアメリカの気が作戦というのがあったんですよね。
気が作戦というのが重要な港を封鎖して、食料とか物資とかを止めようみたいな感じの作戦だったので、
新潟も港で割とそこの出入りが大きかったので狙われたというのは調べて分かりました。
一戸信哉
物流ですよね。あんまり人的な被害を狙ったというよりは、
06:01
一戸信哉
多分、港から物の出入りを止めようというのが狙いだったんだろうと思うんですけどね。
金山愛子
今の戦争は?
一戸信哉
同じことです。今やってることと同じことです。
永井真由
狙うというよりは、どちらかというと船の動きを止めたいという感じだと思います。
一戸信哉
あと今回、どこでしたっけ?知った。山下港タワー。
山下港タワーに行って、東区側から川を見て、
どこからどこに働く人たちが移動していたかというのを見たわけですよね。
そこに嫌いが巻かれていったって話なんだけど、
私は思ったのは、川の間を行ったり来たりするということの意味が昔とはちょっと違うなという気がして、
みんなその時は船で移動して、毎日通勤じゃないけど、行ったり来たりしながら働いていたり、橋もないのか?
永井真由
一応、万代橋はあったんですけど、
一戸信哉
竜頭橋がないから、川を渡って、橋で渡ろうとするとぐるっと回っていかないといけない。
それで船で内陸側から海に向かって、海辺の近くの鉄工所まで行っていたということですね。
新潟島と東区の山の下あたりの工場の間を人が往来していたんです。
永井真由
万代橋の向こう側と新潟駅側みたいな、そこのもっと海寄りになると橋もないので、
そこを川を船で渡っていくみたいな感じで。
金山愛子
鉄工丸っていうのはやっぱり新潟鉄工所の持ち船ということで、
そこで勤労奉仕か何かの学生さんたちが乗っていたということですね。
一戸信哉
正確には橋下ですよね。橋下って言って何なんて言うんだろう。
鉄工丸の後ろについている。
永井真由
イメージとしてはトラックの荷台みたいな。
一戸信哉
イカダのでっかいやつ。
何もないただ引っ張られていくだけのイカダのようなでっかいものに人が。
子どもたちが乗っていた。
子どもだけじゃなくてみんな工場で働く人たちが移動していくっていう。
永井真由
それが毎回取り付けられているかはちょっと怪しくて。
その日が缶バラ祭りで、次の日が土日とかでお休みの日だったから、
いつもより多くの人がいるから橋下を取り付けていたみたいなことだったらしくて。
09:03
金山愛子
そういうちょっと不運な方の。
一戸信哉
ちょっとはっきり分からないですけど。
永井真由
調べたところだと時間がずれていたらもっと多くの人が乗っていたらしくて、
もっと更に被害が拡大していた可能性はあったみたいな話でしたね。
一戸信哉
そうだったね。
7月2日だからまだ長岡の天襲も行われていなくて、
だから各地で天襲がどんどん頻発していたけど、
新潟ではその後ちょっとあったのかな、港で宇品があったんだけど、
まだ大きな被害を新潟が受けていないときで、なので非常に大きな事件だった。
金山愛子
衝撃的でしたね。
永井真由
新潟の戦争被害というと長岡の天襲があまりにも規模が大きすぎて、
こういうちょっとちっちゃいと言うとあれですけど、
長岡天襲のイメージによって他の戦争被害が割と薄れてきているのかなというのは思いましたね。
一戸信哉
そうですね。
金山愛子
私の知り合いで90代の方で、今の山の下とかあの辺りの方が、
やっぱり本当にアメリカ軍の飛行機が本当にすぐ近くで、
こちらからパイロットの顔が見えるような距離でいろいろ爆弾を落としていたというのを話しました。
一戸信哉
無差別攻撃で市街地を攻撃するっていうこともあったんだけど、
多分新潟はそういう攻撃はあまり受けていなくて、
どちらかというと港の施設を狙い撃ちしたと。
それは嫌いも落として出ていけないようにしたと。
金山愛子
中で3箇所、新潟工業高校ですとか佐渡ですとか。
一戸信哉
あと商業ですね、新潟商業。
後の新潟商業、後の新潟工業、当時愛川中学校ですね。
金山愛子
この石碑が取材の中で出てきますけど、そういう学校から働きに来ていた人たちに。
ちょうどお祭りだからただたまたま来たっていう人が。
一戸信哉
それはどうなんだろう。
永井真由
ちょっとそこの話が危ないところも。
一戸信哉
でも、亡くなった生徒たちは民勤労働員で全員寮生活?
永井真由
全員寮生活だったと聞いてます。
金山愛子
いろんなところに取材に行かれてましたけれど、
実際に見てみるってどういう考えとか思いがありましたか?
12:01
永井真由
そうですね、ちょうど新潟工業の石碑を取ったときが、
サイバーボランティアで新潟工業に行ったときに取ったんですよ。
なので高校生とかもちょうど登校してるときに見たので、
普通の学校の日常風景に紛れ込んでいるというか、
多分そこで通っている人たちも全員これが何かっていうのは分からない状態で、
ただあるものとして見ているとは思うんですけど、
それの裏にそうやって遵職された学生の名前が書かれてるっていうのはちょっと考え深いものがありましたね。
金山愛子
日常の中に歴史がポンと紛れ込んでいるという感じですね。
ほとんど生徒たちを見ている様子はないよね。分かんないけど。
永井真由
記憶の片隅に視覚情報としてあるかな、多分ぐらいの感じだと思うので、
あんまりそこに働いている先生とかも確かに石碑はあるけどみたいな感じなのかなと思うので、
確かにある石碑ってあんまり戦争のことだと思わないじゃないですか、高校にあるもので。
そうですね。
創立記念とかで建てられたのかなとかいろいろ多分思うのかなとは思いますね。
金山愛子
そういう学校の生徒さんたちにこの作品を見てもらいたいですね。
永井真由
そうですね。機会があったらこういうことなんだよっていうのは。
その時興味なかったとしてもそれを一度映像で見たら何かのきっかけで
そういえばそういう話してたなみたいなことって割と高校生とかだとあるのかなと思うので、見てもらいたいと思いますね。
一戸信哉
佐藤の方は今回は永井さん担当に行けなかったので、
卒業生。卒業生というのは。卒業したのが相川の卒業生。
永井真由
取材先の相川文庫。その当時は相川中学校だったんですけど、そこに石碑があるっていうので
佐藤に宇佐見さんにこれをちょっと取ってきてほしい、取材してほしいっていうのを頼んでお願いしていてもらった感じですね。
一戸信哉
どうだったんですか?宇佐見さん今日ちょっといるんですけど。
永井真由
どうだった?
いろいろとお話聞いてもらったみたい。
私自身一切学校で勉強したりとかはなくて、さっき工業の生徒が何も見てなかったみたいな話にあった通り
15:04
永井真由
何かの記念碑なんだろうなーって思いながら平和って書いてあるし、なんだろうって思いながら毎日通学はしてたんですけど
今回初めて裏側に回って書いてあることを改めて見たぐらいだったので。
一戸信哉
結構大きいですよね。
永井真由
結構大きいんです。
置いてあるところもちょっと高くなってるような。
一戸信哉
そうですよね。
永井真由
ちょっと目立ってるんですよ。
一戸信哉
坂を登って学校に入っていく最後の上り木の手前のところにドーンと置いてあるから
すごく目立つ場所に平和って書いてある。
で、たぶん高校生の時は喧嘩すんなよみたいな。
永井真由
そういうやつかなーと思って。
まさかそういう。
確かに。
学校としての校訓みたいな。
仲良くしましょうみんなでみたいな。
一戸信哉
そういう意味とも取れるけど違った。
永井真由
完全に違ってた。
金山愛子
でも一つの映像作品でそういう何も意味を持っていなかった石碑に命が吹き込まれるってなんかワクワクしますね。
一戸信哉
今回ちょっと宇佐見さんと宇佐見さんの行った取材で佐渡の方にいろいろ話を伺って
そのついでっちゃうんだけど相川の石碑のことで亡くなった方とか関係されてる方いませんかみたいなね。
ちょっと聞いてだいぶ追跡したんですけど最終的に話を聞ける方もいなかった。
金山愛子
あまりご存知ないって。
一戸信哉
いやその聞いた、伺った方はご存知でしたけど結局その石碑を建てたのがいつだっけ。
82年とかそれぐらいだったと思う。
その頃一生懸命建てようとしてた人たちがもう亡くなってたり亡くなってたりもうどこにいるか。
丸山未結
何名かはいらしたけど連絡つくのかなみたいな。
急に連絡していけるほどはね。
永井真由
話聞いた学校の先生はその先生が高校生ぐらいの時に偶然そういう授業をして社会の先生から聞いたっていうレベルのお話だった。
だから建った時のことを知ってるわけではない。
一戸信哉
その頃はまだねちょっとあったんでしょうね。記憶の継承とかあったんでしょうね。
永井真由
80年経つとそれを語れる人がいなくなっていっちゃう感じはすごいありますね。
一戸信哉
私たちがだいたい伝聞で聞く世代で。
伝聞で聞いている世代の次の世代になると思うとだんだん薄まっていってしまいますね。
18:02
金山愛子
それを考えると震災なんかもそうでしょうね。
今でこそ本当に生々しく記憶に留まってますけどこれから80年経つとどうか。
永井真由
私もこの映像を祖母に見せたんですよ。
今までそんな戦争の話って20年以上一緒にいて聞いたことがあんまりなくて
だったんですけどこれ見せたらちょっと話したいみたいな感じで2時間近くかな。
その時の話をしてもらって。
一戸信哉
どの時の話?
永井真由
ちょうど戦争終戦の時がちょうど小学校2年生の年なんですよね。
なので天襲警報がするとすごい怖かったみたいな体験がとか
その長岡、長岡じゃない新潟にも原爆が落とされるみたいな
ちょっとそういうのがあった時にその原爆が落とされるとかよく分からないけど
とりあえずみんな疎開してきたところでその外側大野の方の西区のちょっと隠れの大野町の方の
住んでいたので中心部じゃないので疎開してくる人を迎え入れる側の方の知育で
終戦間近だと小学校の人数が2倍近くになってたみたいな話を聞いたりとかはしましたね。
一戸信哉
なんかねみんな歩いて逃げたみたいな証言がたくさんあるんですよね。新潟の中心部。
金山愛子
あの頃は原爆っていうのは分かってなかったわけですよね。新型兵器だみたいな爆弾だって言われて
そういうのが落とされるっていうので
永井真由
逃げてきたすごい子どもたちがたくさんいたみたいな話はしてましたね。
一戸信哉
取材の中で出てきた長岡市長ですね。長岡さんは電車に乗って長岡に逃げたんですよね。
永井真由
私疎開ってあんまり地方に逃げるみたいなことぐらいしか分かってなかったんですけど
基本的に親戚つてで親戚がいるような場所にみんな逃げるようなイメージだったらしくて
そこのつてがある地方にみんな子どもだけでもみたいな感じだったっていうのは
それも初めて詳しく知ったって感じですね。
一戸信哉
8月15日の前後で逃がそうっていうのは長崎に落ちたと
分かってそれからバタバタって決めるから組織的にどこかに疎開して受け入れるみたいなのは無理だったんだよね。
21:05
一戸信哉
とにかく親戚のところで行けるところがあったら逃げるということじゃないですかね。
金山愛子
おばあちゃんとのお話は録画とか録音とかしてた?
永井真由
録音は一応ちょっと動画撮りたいって言ったらちょっとそれは恥ずかしいみたいな話だったので
こっそり録音だけして
金山愛子
良かったですね。
永井真由
2時間ぐらい話してもらったので余裕は大丈夫かなみたいなところもあるので
一戸信哉
重要な記録ですよね。
金山愛子
でも話すことで癒されるっていうのもありますよね。
永井真由
なんかやっぱり上の知ってる方達って
あんまきっかけがないと話したくても話すタイミングがないのかなっていうのがあって
これについて興味があるみたいなのを若者が出してくれると
じゃあみたいな感じでどんどん話してくれるっていうのはすごい強いと思いますね。
そうですよね。きっかけって大事だと思いますね。
金山愛子
私たち基礎演習で20年近く前だと思うんですけど
20年も前じゃないかな。あそこの臨みの里に行って
一戸信哉
大学の隣にある。
金山愛子
リオーサさんに清掃の時の話をお聞きして
その時私初めて新潟の原爆の標的になりそうだったっていう話をそちらの方からお聞きしました。
丸山未結
ではここで1曲お届けします。
今日の曲はこちら。オリジナルラブ サンシャイン日本海
日本海を歌った曲は演歌がほとんどなのですが
この曲は夏の日本海の明るい部分を歌ったネギ子の曲です。
楽曲提供はオリジナルラブの田島貴雄さんです。
今日は楽曲提供の田島貴雄さんのオリジナルラブバージョンでお届けします。
それでは聴いてみましょう。オリジナルラブ サンシャイン日本海
お届けした曲はオリジナルラブ サンシャイン日本海でした。
さて今日は学長室ブレイクタイムの5回目
ロングミームCでもある永井さんの取り組んだ映像作品
新潟県自作映像視聴覚教材コンクール
社会教育知育映像部門で最優秀賞を受賞した
鉄格丸事件 自分の記憶を未来へ運ぶについてお話ししています。
後半も学長の金山先生
映像制作を指導された一戸テミの一戸先生よろしくお願いします。
一戸信哉
よろしくお願いします。金山さんも入ってくださいね。
丸山未結
よろしくお願いします。
24:00
金山愛子
映像を見ていて長一戸義役元新潟市長さんが出てこられたのでびっくりしたんですけれど
長一戸さんあと渋川さんどういう経緯で出演していただけたんですか?
永井真由
取材の流れでいうと渋川さんを先に取材させてもらったんですけど
そちらの方は一戸先生から紹介もあって
一戸信哉
渋川さんというのは編集者の方で
高吉さんが作っているフリーペーパーのフードっていう
割と歴史文化の読ませるフリーペーパーというのを作っている方で
渋川さんにご協力をお願いしたということですね。
永井真由
そのフードにも私も渋川さんとお話を伺いましたみたいな感じで
映像を取り組んでいるんですよっていうのをフードに載せてもらったんですね。
それからたまたまこれを道の駅かなんかで見たっていう方から
その学生が勤労働員とかの話とかも興味を持ってくれてるんだっていうのを知って
ちょっと資料を渡したいみたいなので
それこそ敬和学園大学にお年当てで
てこまる事件とか勤労働員の話とかの資料を
あったことのない方から頂いたりとかっていう反響はありましたね。
一戸信哉
そうですね。あまりネットを使われない世代の方がたまたま紙で見て
こういう資料あるよみたいなのが郵便で届くと若者はびっくりしますね。
金山愛子
次の世代に伝えたいという思いがありますね。
一戸信哉
そうですね。ありがとうございます。
長一戸さんはどうやって探りついたんですか?
永井真由
長一戸さんはたまたまてこまる事件を調べているときに
こういう石碑が水戸京公園の平和記念碑っていう
てこまる事件についても記載のある石碑があるっていうので
調べていたらそれを建てた時の新潟市長が長一戸さんで
下に名前が書いてあるっていうので
この人私知ってるかもみたいな
母が前に勤めてた職場で立証になってて
市長を引退された後だったんですけど
私が本当に幼稚園とか小学生とかそのぐらいの時に
長一戸さんのご自宅でご飯を食べたりっていうのが
27:02
一戸信哉
その写真を入れようって言ったんじゃないですか?
永井真由
そうなんですよね
丸山未結
長一戸さんは記憶に残ってますか?
永井真由
記憶にありますね
おでんパーティーとかバーベキューとか
私だけちっちゃく他の全員大人だったので
みんなに可愛がってもらった記憶はあって
一戸信哉
それで連絡したの?
永井真由
それで母に連絡を取材したいから取りたいんだけど
連絡先を教えてもらって
連絡したら心よく引き受けてくださって
そしたら渋川さんともちょっとご知り合いだったっていうので
そことも連絡してるんですみたいな話をしたら
さらに一緒に長一戸さんの取材も渋川さんも来ていらっしゃって
って感じでしたね
一戸信哉
すごい実は渋川さんと結構親しかったってことも分かった
金山愛子
次の世代にバトンを渡しますよっていう感じが
一戸信哉
そういう気持ちはすごい感じましたね
長岡に疎開した話とかもね
すごい詳しくお話をした
永井真由
最初それも小さい時に
会っただけなので
一応母のことは覚えてるけど
そんな突然何十年ぶりに連絡して
迷惑じゃないかなとか若干怯えつつ連絡したんですけど
思ったより本当に前向きに来て
いろいろと話してくださって
後から感じたのは思ったより
先ほども言った話に繋がっちゃうんですけど
上の方って戦争を経験してる方ですね
話したいことが多いんだなとは思いましたね
一戸信哉
80年前のことをいきなりしゃべり始めても
みんなポカンとしちゃうっていう経験があるんじゃないですか
永井真由
たぶんそれはあるとは思いません
一戸信哉
今回反響はどうなんですか
映像が決まっていろんなところから連絡が入り
新聞にも掲載され
親戚を挙げて
永井真由
親戚からも父が連絡したりとかしたら
あったりとかありまして
受賞したことによって
映像を作ったんだよっていうのを
誰かに見せるってちょっとハードル高いじゃないですか
自分が作ったもの
でもこういう賞を取ったんだって言うと
見せやすいみたいなところはあって
親戚とかにも見せましたし
30:05
永井真由
こういうことをやってるんだみたいな
大学でこういうことをやってるんだみたいな
私も今やってることの紹介もできたりとかして
新潟に出身の人とかも
これがあったとわからない
知らないと思いますよ
それこそバイト先の人が新聞見てくれて
その場で映像を一緒に見てくれたんですよ
この事件知らなかったみたいな話はあったので
ちょっとずつじわじわとしてもらってるな
みたいな感じはありますね
一戸信哉
内容もハードだから
こんなに自分でニコニコ見てるものでもないし
見せるきっかけにはありますかね
金山愛子
県内大学ではこういう形で
歴史的なこととか社会派の映像を作るのって
一戸信哉
いつの日にだけですか?
今のところ聞こえてくる限りでは
他の大学ではやってる話は聞かない
主に東京の大手の大学と
いくつか地方都市の話は聞きますね
キリスト教関係だと北西も
北西学園が少しやってたりとか
全国的に言うよりは東京の大学に集中してる
金山愛子
地方でね
でも地方のそういう結婚の事件あったんだよって
掘り下げる光当たるって意味ありますね
一戸信哉
私たちだけができるというわけでもないけど
新潟にいればこそできることでもあると思いますね
永井真由
長居さんは編入されたんですか?
そうなんです
編入して今1年経ちましたね
どうですか?
そうですね
私新潟市出身なので
あまり新発田の方って来たことがなくって
意外とこうやって
新発田城とかもありますし
いろいろと歴史文化というか
そういうのが残っている町なんだなみたいな
ところの発見もありましたね
もともと私が理系だったっていうのもあって
あんまり調べたことがなかったんですけど
調べていくとなんか面白そうだなみたいな
こういうそれこそいろいろゼミで映像制作とか
しているのとか
学生がいろんな
自分のやりたいことを生きているような
イメージがあって
面白そうだなみたいな感じで編入しました
金山愛子
そういうこと分離融合というか
一戸信哉
知育的に1回新潟の外に出るじゃないですか
33:02
一戸信哉
外に行って学んでいるっていうと
帰ってきて新発田ではないから
新発田に通ってますけど
地元に戻ってきた大学生と
どうですか新潟の大学生から
永井真由
そうですね
特にこの敬和学園大学って
地元に目指しているというか
知育との関わりが
ボランティア活動とかもあって
すごいなと思っていて
あんまり前の大学だと
そんな地元の人たちと関わる機会みたいなやつが
あったわけではなかったので
前はコンピューター系の専門の方行ってたので
特にひたすら技術を磨くような
大学だったので
それもあって
すごい自分の
世界が広がるというか
それこそあんまりこの
映像制作するまで
永井真由
映像ってちょっと
あんまり興味がないというか
永井真由
だったんですけど
ここから
永井真由
知らないといけないなと
自分の中で考えが変わったりとか
広がった感じはあります
金山愛子
本当新発田成郎の方は本当に
大学を受け入れてくださって
いろんなところで協力してくださっているので
外に出ていくというのは
永井真由
どんどんやってほしいなと思います
人と関われるというのはやっぱり強いなと思います
永井真由
人間性も成長できるし
そう思いますね
金山愛子
ちょっと映像に戻るんですけど
作品を見て
すごく
金山愛子
映像制作のテクニック
っていうのが
あるんだなって思いながら
見ていたんですが
今までコンピューターとか
しっかりなさってたっていうことも
書いてあるんでしょうかね
最初の前振りの部分
プレビューのアバンっていうんですが
そこが本当に掴む形で作られる
他の子のよりも長めかな
永井真由
そうですね
構成の話でいうと
私もYouTubeとかばっかり見てると
冒頭って短く短くカットして
面白い部分だけみたいな感じの
映像しか見てなかったので
あんまりじっくりと
ドキュメンタリーの最初の冒頭
みたいなイメージが湧かなくて
まずそのナレーションから構成から
すごい悩んだんですけど
一回作ってみて
一戸先生に見せたところ
36:01
永井真由
すごいちょっと短いと
間がない
ナレーションの間が全くない状態で
金山愛子
間が全くない状態でなんですよね
永井真由
なくて
ポンポンポンポンって進んでたんですよ
なるほどと思って
そこからYouTubeで
他のテレビ会社とかが
ドキュメンタリーとかを
ちょうど戦後80年だったのもあって
新しく公開されたのが多かったので
いろいろ見てると
確かに間がたくさんあったりとか
一言喋って
無音の時間があってもいいんだな
みたいなところに気づいて
全部やり直して
作っていった感じですね
丸山未結
私永井さんに自分の絵の作品
助けていただいたんですけど
本当にこういうのおすすめだよ
こういうの参考にしたよ
的確に私の欲しかったアドバイス
間に合わないから
こだわるのはやめた方がいい
永井真由
っていうアドバイスが聞いたっていう
丸山未結
とりあえず完成させていただければいい
っていうのをアドバイスして
すごく助かりました
本当にそのアドバイスを見ていても
ちゃんと調べて見て
作っていってるんだなっていう感じで
永井真由
よかった、お手伝いいただけてよかった
丸山未結
描かれたのも納得だなっていう感じです
一戸信哉
でも我々の良いペースになってますよね
最初作るとみんなYouTubeみたいな
間のない映像になりがちですよね
丸山未結
完成された作品を見て学ぶっていうのは
すごい大事だなって思って
永井真由
永井さんの作品も何回も見ました
丸山未結
上映会とかでも
本当にBGMとか
アレンジョーの言葉とか
効果音とかも全部すごいみたいな
丸山未結
ひっくりくるみたいな
一戸信哉
上映会いいですよね
自分で作った時分からないけど
みんなで見ると
ちょっと早いなとか
これじゃ分からない
丸山未結
でもメモする手が止まらなかった
いいところもあった
一戸信哉
そうですね
金山愛子
永井さん声がいいですよね
丸山未結
思い出はしにいがたい
金山愛子
今タイパタイパって言って
みんな早送りで見ると大変だから
情報パッパパって詰め込もうと思うけど
本当に人が感じ取れるのは
間の間だったりとか
39:03
一戸信哉
戦争の話もたくさん知らない情報があるから
早いペースで喋られても
多分ついていけない
永井真由
脳の処理が追いつかない
一つの言葉を到着する時間が
多分必要なのかなとは思いますね
一戸信哉
自来とは良かった
自分も最初分からなかった
嫌い
嫌いとはっていうのを
ちゃんと説明する
ゆっくり説明した
そういうことなんだっていうのを
入れることによって
よりよく理解できる
永井真由
自分も分からなかったので
初見で見た人が絶対分からないだろう
一戸信哉
絶対何言っても分からない
永井真由
一つ一つ言葉の咀嚼を
見てる人も咀嚼しながら
段階を踏んで
理解できていけるような
映像を心掛けましたね
今日の敬和キャンパスレポは
学長室ブレイクタイムの5回目
番組MCでもある
私永井の取り組んだ映像作品
新潟県企画映像視聴協材コンクール
社会教育知育映像部門で
最優秀賞を受賞した
鉄格丸事件
沈んだ記憶を未来へ運ぶ
について取り上げていただきました
どうもありがとうございました
一戸信哉
ありがとうございました
丸山未結
では、今日の放送はこの辺で
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今日の敬和キャンパスレポ
終了のお時間です
皆さんお休みなさい
敬和キャンパスレポは
実践するリベラルアーツ
敬和学園大学の提供でお送りしました
40:55

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