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2026-03-11 15:00

あの日から15年、明日が来ることは当たり前じゃないからこそ考える事

3/11 毎年この日が来ると色んなことを思い出します。
あの時のことを振り返りながら、明日が来ることって当たり前ではない、だからこそこれからどう生きていくかは自分で選べると思った話をしています。

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*けいこのプロフィール*
会社員20年で仕事と育児の両立に限界を感じ、退職・地方移住してフリーランス(起業)へ。
「会社員の働き方が辛い」と悩むママへ、我慢を手放し、「起業」という選択で子どもと自分の時間を取り戻すためのサポートをしています。

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#3.11 #東日本大震災 #明日が来ることは当たり前ではない #地方移住 #フリーランス #ライフコーチけいこ
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こんにちは、けいこです。今日はですね、3月11日、水曜日になります。 3月11日って聞くと、私はいつもなんかこう、いろんな感情が出てくる日なんですよね。
2011年3月11日の東日本大震災をね、思い出すので、必ずこの日はこういろんな当時のこととかね、
その時起きた出来事とかをニュースで見ながら複雑な気持ちになります。 あの日ね、私は15年前、会社員として働いていて、その震災当時はちょうど神奈川にあった
事業所で仕事をしていました。 工場内で仕事していたんでね、特殊なちょっと服着ながら作業していたところ、いきなり揺れて
お、これはまずいと思って、安全そうなフレームの下に隠れて、ちょっと地震が収まったタイミングで、これは危ないぞと感じて、他の作業していた
作業していた人と一緒に外に避難してね、事態が収まるのを待っていた記憶があります。 ただね、あまりにも地震が大きすぎて
電気も通らないような状況になり、しばらくしたら通信も途絶えて、情報が何もわからないような状況になってしまって、
もちろん電車は動いていないという状況で、帰れなくなっちゃったんですよね。
当時はね、きっと歩いてね、自宅に帰宅している人がいたと思うんですけど、私が出勤していた場所は、自宅から電車で50分ぐらいかかる距離でね、
結構遠かったというのと、あと普段電車で通勤しているので、その帰宅ルート、歩いて帰る時の帰宅ルートが全くわからず、
帰る手段が、帰れなかったんですよね。道もわからない。 しかもネットもつながっていないからね、そのマップを見ながら帰るってこともできずに、
どうしたらいいんだろうって思った記憶がありますね。 私はあのちょうどね、あの事務の人がその
働いていた場所から徒歩で20分、30分弱の場所にね、住んでいたんですよ、こだてで。 で、その人の家に上司がね、連れて行ってくれて、そこの人のお家に泊めてもらいなということを言っていただき、
私は一晩そこで布団で寝ることができました。 で、残っていた
男性人ですね。私以外は全て男性だったんで、男性人20人弱いたんですけど、その人たちは事業所に
泊まって一晩を過ごしたようです。 とにかくね、当時は何が起きているのかわからない状況でしたね。
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で、私もわからないままとりあえず泊めてもらって、次の日の朝電車で帰ろうと思っていたら、
次の日朝早く起きてね、5時ぐらいに起きたのかな。 そしたら電気が復旧していて、ちょうどテレビに映っている映像を見て、
顔が青ざめたのを今でも覚えてますね。
その時の映像っていうのが、津波が発生している映像と、あとは津波による火災が起きている状況でした。
一晩ね、情報が入ってこなかったので、そんなに大きい地震になっているとかわからなかったんですよね。
なので、すごいこんなことが起きてるんだっていうことで、ものすごい不安になりましたし、
私の実家は福島県にあるんでね、福島県も震度6強ぐらいの地震が発生していたので、
大丈夫なのかなと。地区50年近く経っている自分の実家が崩れずに持っているのだろうかとか、
家の裏がね、山になっていて斜面なので、そこから土石と土とかがね、流れ込んできたら、
もう家なんてひとたまりもないぐらいなんですよ、山があってね。
そういう状況になったら、もう家もなくなるし、家族も無事かどうかわからないっていう状況だなっていうふうに思ってたんですよ。
通信途絶えてるんで、もちろんね、親とも連絡取れなかったし、福島県内の別の場所で働いていた姉とも連絡が取れない状況で、
大丈夫かなってすごい不安に思っていました。
そんな状態で次の日起きて、私はなんとか動いていたね、電車に乗って遠回りしてね。
普通の経路の電車が動いてなかったから遠回りして、次の日の朝10時ぐらいにようやく家に着いたのかな。
満員電車の中ね、なんとか帰ってこれて、それでも親との連絡がつながらなくて、どうしよう、大丈夫かなって。
これ連絡取れないのは通信ができないから、通信状況が悪いから連絡が取れないのか、またまた連絡が取れる状況ではない。
もしものこと、万が一のことがあったらどうしようっていうふうに思って、なんかいてもたってもいられなかったんですよね。
でももう新幹線とかも止まっていたので、すぐ実家に帰るなんてことはできず、
家でね、通信が戻るのを待つしかなかったんですよ。
そんな状況で唯一連絡が取れたのが、海外に出港に行っていた兄だったんですね。
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その時、兄は海外だったので、なんとか兄の方から大丈夫かっていうふうに連絡が来て、こっちは大丈夫だよっていうふうに兄に連絡することはできたんです。
ただ、親と姉の状況が分からないんだっていう話をしたら、兄がすぐ連絡を取ってくれて、運良くね、兄と両親、姉と連絡が取れて、無事だよっていうのが分かって、
兄経由で家族は全員無事だと、姉も無事で今避難してるよっていうことが分かって、すごいほっとしたのを覚えています。
本当にね、あの時を思い返すと、我が家はね、家も地区50年で古かったけど、ひびが入った程度で倒壊せずに済んだし、家族も全員無事だったんですよね。
棚とか確か倒れてきたけど、なんとか守ったって言って、テレビとかも倒れそうだったのをなんとか守って、怪我とかもせず無事だったって言ってましたし、
数日後にはね、水道は使えるようになって、電気は使えないけどガスと水道が繋がるから、なんとか生活できるから家に戻ってきたよっていうことで、
連絡もくれて、良かったなって思ったんですけど、やっぱね、ニュースを見るとね、津波で流されていく人とか、家とか、車とか、そういうものをね、見たり、
あとは火災もありましたし、あとその後に原発ですよね。原発の問題があって、皆さん一気に避難したりとかしていて、
我が家はギリギリね、避難区域の境目だったので、避難はしなくて済んだんですけど、でももう家からね、近い人たちはみんな避難対象になっていなくなってしまって、
状況で、あの日からもう生活がガラッと変わったんですよね。だからあの時のことを考えると胸が痛む気持ちになりますね。
自分の会社の事業所の系列が宮城県内にあって、そこでも会社の被害もあったし、やっぱり会社の家族も被害に遭った人もいるし、確か亡くなった人もいるんですよね。
そういう話を聞くと、こんなことがあったなぁとか一言ではないよなぁというふうに思います。やっぱり地震ってね、いつ起こるかわからないじゃないですか。
今回はね、東日本大震災が起きた日が3月11日なんでこの話してますが、阪神淡路大震災は1月でしたし、あの、
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石川県で起きた野党反党の地震は1月ですし、それ以外でもあのいろんな各地で地震は起きているわけで、そのたびに被害に遭っている方もいるんじゃないですか。
だからこう、いつ起きるかわからない天災ですよね。自然災害、あれって防ぎようがないんですよね。
災害が起きない場所に住もうと思っていても、どこが災害が起きない場所か正直わからないと思ってるんですね。
災害が起きにくい場所っていうものはあると思うんですよね。
何回トラフのところより離れてるとかはあるかもしれないんですけど、やっぱりそれ以外の場所でも大きな地震って今まで起きてるので、
どこにいたら安心とかいうことはないなっていうふうに思います。
そして、やっぱりこの時を思い出していつも思うのは、
あの、
人生っていつ終わるかわからないんですよね。
地震もいつ起きるかわからないというように、
明日も自分が元気で健康体で生活できる保証なんてないわけですよね。
きっと地震でね、その被害に遭った方が1万何千人とかいますし、今でも行方不明の方とかいますし、
本当にね、その被害に遭った方々って、やっぱりこうなるなんて思ってもなかったと思うんですよね。
だから明日が来るのが当たり前だと思っていて、普通に過ごしていて、
いたらある日突然、次の日が来なかったっていう状況が大勢の人に起きているという状況で、
やっぱりそう考えると人っていつまで生きるかなんて、やっぱりわからないよなーって思います。
生きていれば病気になることもあるし、事故に起き切ることもあるし、事件に巻き込まれることもあるけれども、
やっぱりそういう自然災害にあって、ある日突然亡くなるということもある。
考えると、そういうのがあって明日が来る保証とか、来年元気でいる保証なんてないのに、
この日常をね、例えば何か我慢しながら生きていることって必要なのかなって最近強く思うんですよね。
私は昨年ね、神奈川から福岡に移住をして、会社員も辞めて、家も手放してフリーランスになっています。
一見ね、そんなことをしなくたって神奈川でできることがあったかもしれないとか、
家を売らなくてもよかったんじゃないのかとか、そういう意見を言われることはあります。
うちとかにも言われることはありますが、やっぱりこれは今自分がね、
生きていくために必要な選択だったと思いますし、その選択をして後悔はないんですよね。
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あの神奈川の地で会社員として働き続けながら、子どもたちと過ごしたいと思いながら我慢して生活を続けることが、
私にとっていいことには見えなかったし、もっといい生活環境とかあるんじゃないのかって思ったし、
この生活のまま定年まで迎えるということが、やっぱり耐えられないというふうに自分自身感じたので、変える決断をしています。
きっとね、この放送を聞いている方とか聞いていない方としても、
毎日生きていく中で、なんか様々な不満を抱えながら、
でもこれは仕方ないよねって思って生活している人ってたくさんいると思うんですよね。
確かにしょうがないと思って割り切ってやれる部分はあるかもしれないけど、
一度疑ってみてほしいのは本当に仕方がないのか、
この今の環境はあまり良くない、自分が我慢している、もっといい環境があるんじゃないかって思いつつも、
やっぱり変えない方が楽だよねって思って、現状維持を選ぶっていうことって、
現状維持ってすごい楽ではあるんですよね、状況を変えなくていいので。
ただ本当にその選択が自分が生きていく上で満足できるものかっていうものをね、
やっぱりあれちょっとおかしいなって、変えたいなって思ったタイミングでもう一度考えてみてほしいんですよね。
本当に来年も元気でいる保証なんてないし、この先ずっと今の生活が続くのかもわからないですし、
未来なんて見えないわけですよ。
そう思ったら我慢している時間とか日数とかそういうものって少しでも短い方がいいと思うし、
ストレスが少ない場所に環境を変えるなら、変えたいと思うなら変えてもいいと思うし、
一瞬自分が選びたいなって思う選択が出たものを躊躇せずにね、選んでほしいなというふうに思います。
今日はね、3月11日という日でちょっと東日本大震災のことを思い出しつつ、
やっぱり未来ってわかんないよなっていうことと、
未来がわかんないからこそ我慢をし続ける必要ってあるのかなということについてちょっとお話をしてみました。
ここまで聞いてくださった方は、既読の意味合いでいいねをお願いいたします。
最後まで聞いていただきありがとうございました。
それではまた。
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