みなさんこんにちは。MBAでは教わらない、経営者人生ラジオパーソナリティのkentoです。
このラジオは、経営者の人生を振り返り、その人固有の意思決定のやり方を見つけ、届ける番組です。
前回は、Amazon創業から2002年の黒字化、そして2003年、アナリストのラビスリアとの対立に決着がつくところまでお話ししました。
今日は第3話、この続きの2003年から2021年、ベゾスがCEOを退任するところまでを見ていきます。
まず2003年の後半です。その前に少し時間を巻き戻させてください。
実は2000年、ドットコム企業への会議の目にさらされる中、ベゾスはワシントン州である会社をひっそりと登記していました。
Blue Operations LLCという当たり障りのない社名でカモフラージュされたその会社こそ、後の宇宙開発企業、ブルーオリジンです。
創業から10年以上、その存在はほとんど公にされていませんでした。
当時、ブルーオリジンの発射施設用の土地を探してテキサス州を飛び回っていたベゾス。
2003年頃、そのテキサス州西部でベゾスとホーム部長が搭乗したヘリコプターが離陸中にビブを木にぶつけて横転し、川に半ば水没するという事故が起きています。
乗員3人が負傷しましたが、命に別状はありませんでした。ベゾスは後に耐え無しに、こんな死に方は最低だと語っています。
ちなみに、ブルーオリジンの宇宙船ニューシェパードという名前は、アメリカ初の宇宙飛行士アラン・シェパードにちなんで付けられたものです。
5歳の時にNASAの月面着陸に感動したことが、自分の原点だとベゾス自身が語っています。
同じ頃、検索エンジン子会社のA9がカリフォルニア州パロアルトに設立されます。
実はこれ、Googleのストリートビューより2年も早く同じような構想を持っていた会社です。
自社の検索エンジンは、当初アルタビスタというかつての大手検索エンジンのライセンスを使っていましたが、使い物にならず独自のツールに切り替えます。
検索エンジニアの採用に苦戦する中、ヤフー大社を控えていたウディ・マンバーという人物に、最高情報責任者のリック・ダルゼルが声をかけました。
ダルゼルがマンバーの考案したアルゴリズムをベゾスに説明させたところ、ベゾスは大半の人より短時間で、しかも完全に理解してしまう。
この理解力に驚いたマンバーは息統合し、ベゾスは彼のために最高アルゴリズム責任者という肩書まで新設しています。
マンバーはA9の所長に就任し、2003年10月、パロアルトにオフィスがオープンしました。
10月には、Search Inside the Bookという書籍の全文検索プロジェクトも公開されています。
10万冊以上をフィリピンでOCR処理してテキスト化するという、かなり大掛かりな取り組みでした。
海賊版対策として、検索結果は前後1、2ページしか表示しない制限をかけるなど、設計も緻密です。
出版社は当初、海賊版の増加を懸念していましたが、実際には売上増加につながりました。
システム面でも大きな転換がありました。
既存の三つ結合型システムから、各機能を独立した部品として個別に改修・交換できるサービス志向アーキテクチャへの移行です。
一つの変更が、予期しない形で全体に影響してしまう脆さを改善する狙いがありました。
そして、この年最も重要な人事です。
ハーバード出身のアンディ・ジャシー、後の2代目CEOがAWSの責任者に任命されます。
AWSは必要だからやるんだ、ペゾスは言い切りました。
当時の最高技術責任者アル・バーミューレンに打診したものの、コーバリスからの通勤を続けたいとして故事され、代わりにダルゼルの推薦でジャシーに白派の矢が立ちます。
ジャシーはそれから18ヶ月間、ベゾスの出張に同行し、日々の相談相手を務めました。
ベゾスの考え方とやり方を間近で学んだこの経験を経て、ジャシーはAWSのミッションステートメントの執筆を担当し、次期トップと目されるようになっていきます。
さて、2004年です。
飽食品カテゴリーへの参入という意外な一手がありました。
パリス・ヒルトンと契約し、顧客が自らダイヤモンドの指輪をデザインできる機能まで導入しています。
ここで掲げられたのがアンストアという新しいコンセプトです。
棚のスペースが物理的に無限にある小売業という意味でした。
飽食業界には小売価格を仕入れ値の3倍に設定するという昔ながらの価格設定の慣習がありましたが、アマゾンはこれを崩し価格を下げます。
初年度の販売の3分の2はマーケットプレイス経由だったそうです。
年末にはトイザラスとの提携契約をめぐる対立が激化します。
品揃えの独占をどう解釈するかで、双方の主張が全く噛み合いませんでした。
そして、この年、電子書籍リーダーという新しい家計の布石が始まります。
実はこの市場、それまで失敗の歴史しかありませんでした。
1998年、ヌーボメディアというスタートアップが専用端末ロケットebookを発売しましたが普及せず、バーンズ&ノーブルとドイツの出版社に買収された後、撤退しています。
ちなみにこのヌーボメディアの創業者2人は、後にテスラモーターズを共同創業することになる人物たちです。
ジェムスターという会社も同じように電子書籍事業に参入し、同様に失敗していました。
そんな中、ベゾスはハーバード大学教授クレートン・クリステンセンのイノベーションのジレンマ、
破壊的な技術は既存事業の中では育たず、独立した新事業として立ち上げるべきだという経営理論を社内筆読書に指定します。
これを参考に、電子書籍リーダー事業をA9とは別の新会社として立ち上げる方針を固めました。
元ネットスケープ出身で、1999年にアマゾンに入社していたスティーブ・ケッセルという人物に、ベゾスはこう指令します。
君の仕事は今までしてきた事業をぶちのめすことだ。
書籍事業の責任者だったケッセルを引き抜いて、新会社の事業責任者に起用したのです。
新会社の名前はLABO126。
アルファベットのAからZ、26番目まで全ての本を揃えるという意味を込めた命名でした。
社内では否得のため、カリフォルニア州北部の開発センターとも呼ばれていたそうです。
ハードウェア開発の複雑さや費用への社内の反対を押し切り、パームコンピューティング社出身のグレッグ・ゼールをハードウェア開発担当バイスプレジデントとして起用します。
開発コード名は、作家ニール・スティーブンスンの小説ダイヤモンドエイジの登場人物にちなんで、フィオナと名付けられました。
ただ、ベゾスはこれをそのまま製品名として使うことには反対したそうです。
最終的な製品名Kindleは、サンフランシスコのブランディングコンサルタントマイケル・クロナンが提案したものでした。
火を灯すという意味を持ち、名詞としても動詞としても使える。この点が最終的な決め手になりました。
さて、2005年です。7月30日、シアトルのホールで創業10周年の記念式典が開かれました。
作家のジェイムズ・パタースンとジム・コリンズが挨拶し、ボブ・ディランとノラ・ジョーンズがライブ演奏、コメディアンのビル・マーが司会を務めるという豪華な顔ぶれです。
ディランのI Shall Be Releasedをシャインとベゾスがデュエットする一幕まであったそうです。
ただ、この華やかな式典のわずか1週間後、ニューヨークタイムズ氏の日曜版ビジネス面に
Amazon創業者のベゾスはCEOを下りるべきだという趣旨の記事が大きく掲載されます。
Amazonはテクノロジー企業ではなく、所詮小売企業でしかないという見方が1990年代末頃から根強くあったのです。
10周年式典の頃、Googleの時価総額はAmazonの3倍から4倍に達していて、
Amazonを評価したアナリスト23人のうち18人が中立あるいは売り推奨としていました。
こうした社内外の会議や抵抗を、ベゾスは組織的能をと名付け、徹底的に抑え込みます。
ネンション会の取締役会では、リスクが高く一見儲からなさそうな新規事業について、
一人ずつ承認を取り付けるようにしていました。
この難局を切り抜ける道は一つしかない、出口を作るんだ。
これが、当時ベゾスが社内で語っていた口癖だったそうです。
実際、株価は長期に渡り横ばいが続き、定期請求もごくわずか。
多くの社員が、「仕事は死ぬほど多いのに給料は少なすぎる。」と感じていました。
その一方で、GoogleはAmazonから優秀なエンジニアを引き抜く動きを本格化させます。
ベゾスは社内にこう指示しました。
Googleは山だと思え、登れるけど動かせはしない、連中を徹底的に利用しろ。
でも、連中に知恵を授けちゃいけない。
そんな中でも、Amazonは着実に手を打っていきます。
A9発のブロックビューというプロジェクトでは、
2005年末までに特別カメラを積んだトラックを国中で走らせ、主要20都市の街並みを撮影しました。
Googleがストリートビューを開始する2年も前の取り組みです。
予算はわずか1000万ドルとGoogleよりはるかに小額でした。
そして2月、Amazonプライムが始まります。
年会費79ドルで、対象商品の配送日数を短縮する会員制サービスです。
当初は、配送コストが年会費を大きく上回るという財務的リスクを抱えていましたが、
会員の購入額、購入頻度が増えることで、フライホイルが好循環し、
結果的にプラットフォーム全体の収益性を高めることになりました。
開発は10人規模の特別チームが担当し、サービス名もプラチナなど複数の候補が検討された末、
プライムに決定しています。
ちなみに、当初予定より1週間遅れて、2005年2月2日の午前3時頃にローンジされました。
物流部門では、GE出身のマーク・オネットが統括を任され、
トヨタ発祥の輪生産方式を本格導入。
テキサス州にはブルーオリジンの発祥施設用の土地も確保されました。
地元の新聞社の編集部に突然現れたベソスが、
商業的に不利な地域の土地を抑えたというエピソードも伝わっています。
一方で、トイザラスとの対立は9月についに決着します。
ニュージャージー州の法廷がトイザラスの主張を支持する判決を下し、
提携契約が破棄されました。
Amazonは上訴しますが、こちらも敗訴しています。
11月には、メカニカルタークというクラウドソーシングサービスも始まりました。
名前の由来は、18世紀のチェスをプレーする自動機械人形、ザ・ターク。
実は中に人間が隠れていた、という詐欺の逸話にちなんでいます。
人間にしかできない小さな作業を細かく分割して発注し、
作業者が一つずつこなして奨学の報酬を得る仕組みです。
そして8月、ベゾスはラスベガスのザッポス本社を訪問し、
創業者トニー・シェインに初めて会います。
ザッポスは靴のオンライン専門販売会社で、
無料の翌日配送や1年間の返品補償といった
顧客サービスへの徹底したこだわりで知られていました。
この独特な企業文化がベゾスの顧客第一主義と非常に相性が良かったのです。
さて、2006年です。
3月、AWSの中核サービスの一つ、S3ことシンプルストレージサービスを発表します。
開発初期、ベゾスから担当エンジニアへの指示は
無限にスケールアップできるように作れ、というシンプルかつ強烈なものでした。
8月にはEC2ことエラスティックコンピュートクラウドも発表されます。
料金設定をめぐっては、担当者が1時間15セントを提案したのに対し、
ベゾスが一方的にこれを引き下げるという一幕もありました。
ベゾスは、AWSの理念を電力網に例えています。
企業が自前で発電設備を持つ代わりに、電力網から電力を買うように
コンピューティング資源も必要な分だけ使う時代が来る。
この考え方を社内でそう説明していました。
フルフィルメントバイアマゾン、通称FBAというサービスも導入されます。
第三者の出品者が自分の商品をAmazonのフルフィルメントセンターに預け、
注文が入った際のピッキングから梱包、発送、返品対応までを
Amazonが代行する仕組みです。
Kindleの開発は、この年混乱も経験します。
デザインを一時、外部のデザイン会社に委託していましたが、
キーボードのデザインをめぐってベゾスと対立し、
2006年半ばに契約を解消しました。
秋には、Kindleのプロトタイプを厳格な機密保持契約の下で出版社に見せ始めます。
ですが、電子ペーパーディスプレイの供給問題や、
無線接続部品のアジアからの輸入遅れといった技術的な課題にも直面し、
発売延期の要因になっていきました。
さて、2007年です。
メカニカルタークで働く人は、100カ国、10万人以上に到達しました。
人為的な人工知能という事情的なキャッチフレーズで呼ばれる一方、
デジタル作種向上という批判も受けています。
いよいよ、Kindle発売に向けた最終局面です。
担当者たちが主要出版社を訪問し、
発売時点で電子書籍を10万冊必ず揃えろという地上命令の下、
交渉を主導しました。
小規模出版社との交渉では、
社内でガゼルプロジェクトと名付けられたキャンペーンが展開されます。
チーターが弱ったガゼルに近づくように、
小規模出版社に迫るという、かなり攻撃的な戦術が取られていたそうです。
ただ、このガゼルプロジェクトというプロジェクト名自体が、
いかにも捕食的な意図を物語ってしまう、
独占禁止法上の懸念から、後に呼び名が変更されています。
そして11月19日、
グーテンベルクの活版印刷から550年という壮大な比喩とともに、
Kindleが発表されます。
価格は399ドル、電子書籍は1冊9.99ドルという統一価格を採用しました。
発売から5時間30分で完売、
バーンズ&ノーブルは対抗して、
独自の電子書籍リーダーを開発することになります。
ただ、発売後も9.99ドルは発売時の特別価格なのか、
記者会見で追及され、大手出版社との対立が本格化していきました。
4月24日には、市販機売上高が初めて30億ドルを突破、
株価は240%上昇し、通年売上高148億ドルが、
eBayの77億ドルを追い越しています。
eBayはオークション形式から固定価格販売への対応で混乱し、
業績が低迷していました。
CEO交代を経て、公認のジョン・ドナホーがベゾスに対し、
私はあなたほどクールになれません。
あなたはすごいことをされたと心の底から感覚しています。
敬意を表したというエピソードも伝わっています。
2005年に入社していたダグ・ヘリントンという人物が、
この年、食料品配送事業を立ち上げます。
これが後のアマゾンフレッシュにつながっていきました。
アパレル業界への参入も同じくこの年始まっています。
さて、2008年から2009年です。
2009年2月9日、ニューヨークでKindle 2を発表します。
開発コード名はチューリング。
初代Kindleのコード名フィオナと同じく、
小説ダイヤモンドエイジにちなんだ命名でした。
市場は本格的に普及し、
独立系書店や従来型の小売店に大きな打撃を与えます。
当時、まだiPadが発売される前で、
Kindleの電子書籍市場シェアは90%に達していました。
追い風もありました。
大手家電量販店のサーキットシティが2008年11月に経営破綻を申請し、
2009年3月には全店舗を閉鎖、約3万4千人が職を失います。
ボーダーズや実店舗大手の退場が相次ぎ、
これがそのままAmazonへの追い風になっていきました。
ウォルマートとの本格的な価格戦争も始まります。
セルフパブリッシング部門もこの頃展開されました。
当初はデジタルテキストプラットフォームという名称で始まり、
後にKindle Direct Publishing、通称KDPへと解消されていきます。
株価はこの年162%上昇。
Amazonという名前がGoogle、Appleと並ぶ同等の存在として語られるようになっていきました。
そして、2005年にBezosが訪問して以来、
水面下で交渉が続いていたZapposの買収がついに動き出します。
無料の翌日配送や1年間の返品補償といった
顧客サービスへの徹底したこだわりで知られる靴のオンライン専門販売会社です。
接触開始からすでに数年、
Zappos側は現金ではなく株式での支払いを求めて強く抵抗し、
交渉が進むうちに買収価格はBezosが当初想定していたよりも
かなり高額な水準まで積み上がっていきました。
7月22日、基本合意を発表。
株式交換方式でAmazon株式およそ1000万株に加え、
Zappos従業員向けに現金や制限付き株式ユニットとして
4000万ドルを提供するという条件です。
11月2日、買収は完了しました。
Zappos CEOのトニー・シェイは、
ハロウィンとオールセインツデイの狭間の瞬間に成立した
この買収劇を振り返っています。
完了時点での評価額は総額約12億ドル。
Zappos経営人はそのまま残留し、
ラスベガス本社を拠点に独自のブランドと企業文化を維持する方針が確認されました。
さて、2010年です。
1月27日、スティーブ・ジョブズがiPadを発表し、
電子書籍ストアiBookストアも同時に立ち上げます。
Amazonの9.99ドルという価格を意識してか、値段は同じになるよと宣言しました。
大手出版社6社は、
Appleと共にエージェンシーモデル、出版社自らが価格を決める方式への転換を
ニューヨークの高級レストランで密談の末に合意します。
1冊9.99ドルから12から14ドル程度への値上げです。
これに対してAmazonはマクミラン社の電子書籍化を一時休止し、
同社の書籍をサイトから買えなくするという報復措置に出ました。
これはAppleが引き起こしたことへの報復ではなく、
出版社が価格決定権を取り戻そうとしたこと自体へのAmazon側の対抗手段でした。
労働環境をめぐる問題も表面化し始めます。
フルフィルメントセンター内での熱中症による労働者搬送事例が報じられ、
労働安全衛生局への通報・調査に発展しました。
全フルフィルメントセンターに金属探知機と監視カメラが設置され、
遅刻・欠金に厳しいペナルティを課すポイント制の出退金管理も導入されていきます。
税金をめぐる広報もこの頃から本格化します。
ニューヨーク州が、州内のアフィリエイトの存在を課税拠点とみなす
いわゆるAmazon法を制定し、他州にも同様の動きが広がりました。
売上税を徴収している実店舗の競合各社は、
Amazonだけ税金を払わずに安く売れるのは不公平だとして、
対抗ロビー団体を結成します。
Amazonはこれに対抗し、コロラド州やロードアイランド州など複数州で
アフィリエイトプログラムを打ち切るという強硬な対抗策を取りました。
そんな中でも、事業の手は緩めません。
カミオムツとベビー用品のオンライン専門販売会社クイットシーをめぐっては、
3ヶ月で1億ドルの赤字も確保する激しい価格戦争を仕掛けます。
ウォルマートの対抗提案は間に合わず、48時間以内の回答を求める5億4千万ドルの提案で、
11月8日、買収発表に漕ぎつけました。
さて、2012年から2013年です。
ベゾスが幹部チームに向けて送った社内メモで、
愛される会社と恐れられる会社の違いを考察し、
17項目からなるクール・クールでないリストを共有したことがありました。
そして、この時期、第1話で後日談は第3回でと予告していた
実の父親Ted上限船との再会が実現します。
2012年末、フェニックス郊外で自転車店を営んでいたTedは、
実の息子が世界的な大富豪であることを全く知りませんでした。
悪かったのは私なんです。ジャッキーではありません。深い後悔の言葉です。
息子の名前も会社名としてしか認識しておらず、
まだ生きているのだろうか、尋ねる場面もあったそうです。
45年ぶりに息子の写真を見て、
感慨と不審の入り混じった複雑な反応を見せました。
2013年2月、Tedはついに決心し手紙を送ります。
45年ぶりの接触でした。
イボ兄弟を介した連絡で、テレビに映るベゾスの鷹笑いが
Tedそっくりだと気づいたという心温まるエピソードも伝わっています。
社内文化も独特なものであり続けました。
疑問婦の王国と呼ばれるベゾスの有名なメール管理手法、
顧客からの苦情メールにクエスチョンマークだけを付けて転送し、
担当者をたどって対応を迫るという緊急度5段階のエスカレーション方式です。
こうした緊張感の高い文化について、ある元社員は、
Amazonの元社員らは心に傷を負いPTSDに悩まされたりもするが、
Amazon時代ほどいい仕事をしたところはない、率直に振り返っています。
リーダーシップ14課上や、各部門が6ページ以内の3文形式の文章を提出する年間計画プロセスなど、
独自の競技が社内に根付いていきました。
Amazonの企業文化は他のテック大手よりも過酷だと評されることもありました。
契約の原則については、利益とは、
ベゾスの考え方をできるだけ広い範囲に増幅する装置という趣旨の発言も紹介されています。
事業面では、倉庫用ロボット企業キーバシステムズの買収など、買収も相次ぎました。
本社はシアトルのサウスレイクユニオン地区へ移転を完了しています。
米国で12番目の金持ちという評価を受けながらも、
10年落ちの普通のホンダ車に乗るなど、質素な生活スタイルを貫いていたそうです。
そして2013年8月、ベゾスが個人でワシントンポスト市を買収、
新聞業界の死にせしをAmazon流の工夫と思考で再生させたいという意欲を語っています。
さて、ここからは2014年以降です。
2014年6月18日、独自開発のスマートフォンファイヤーフォンを発表しますが、商業的には失敗に終わります。
発売時199ドルという当時のiPhone並みの高価格設定だった一方で、他社を明確に上回る機能がありませんでした。
目玉機能だった立体的な視差効果や、カメラで対象物を認識してそのまま購入できる機能も実用性に乏しいギミックと評されています。
発売からわずか2週間で売上が急落し、Amazonは1億7千万ドルの評価損を計上しました。
それでもベゾスは大胆な賭けであり、こうした賭けを打たなければ会社は関連性を失う、失敗を擁護しています。
11月にはスマートスピーカーAmazon Echoと音声アシスタントAlexaを発表しました。
当初はウェイクワードをAmazonにする予定でしたが、ご反応を避けるためAlexaに変更されたそうです。
2015年、ブルーオリジンのニューシェパードが無人打ち上げと垂直着陸に初めて成功します。
2011年の失敗から実に4年、次世代機ニューグレンの開発もこの年発表されました。
ちなみにこの2機の名前にははっきりとした役割の違いがあります。
ニューシェパードは高度100キロほどまで登っては降りてくる純軌道の小型機、
数分間の無重力体験を提供する友人宇宙旅行や技術実証のための機体です。
一方のニューグレンは地球を周回する軌道まで到達する本格的な大型ロケット、衛星や探査機を軌道へ届けることを目的としています。
名前の由来もニューシェパードはアメリカ人初の宇宙飛行士アラン・シェパード、
ニューグレンはアメリカ人初の地球周回軌道飛行士ジョン・グレンから来ています。
つまりブルーオリジンは純軌道から軌道へという段階的な発展をロケットの名前そのものに刻み込んでいたわけです。
2016年にはニューシェパードの再使用可能ロケットが4月、6月、10月と連続で着陸試験に成功しました。
一度使ったロケットを壊さずに帰還させまた飛ばす、この技術こそが宇宙開発のコストを劇的に下げる鍵になります。
地上ではアマゾンエコーがイギリスとドイツへ展開を拡大、あるカンファレンスでベゾスは
プライムビデオはネットフリックスにとって脅威になる発言し話題になりました。
2017年、アマゾンはホールフーズマーケットを約137億ドルで買収します。
それまでオンラインの巨人だったアマゾンにとって実践舗を使った食品交流への本格参入はこれが初めての大きな一歩でした。
そして2018年、ミンガツにはフォーブス長蛇番付の世界一に純資産およそ1120億ドルで初めて到達します。
それからわずか数ヶ月後の7月には資産評価額が約1500億ドルにまで膨らみ、現代史上最も裕福な人物と評されるまでになりました。
11月には新たな大日本社HQ2の設置先が発表されます。
2017年から全米の都市が誘致を競い合う大々的な争奪戦が繰り広げられていましたが、
最終的にニューヨーク市とバージニア州アーリントンの二拠点併設という形に落ち着きました。
さて2019年です。
ひと月、当時の妻マッケンジーとの離婚を発表します。
公式な発表では長期にわたる愛情を込めた模索と別居期間を経て離婚を決断したとだけ述べられ、
具体的な理由は明言されませんでした。
ですが発表のわずか1日後、タブロイド氏がベゾスがテレビ司会者ローレン・サンチェスと関係を持っていたことを暴露する記事を掲載します。
二人は2016年頃から仕事を通じて知り合っていたとされ、
2019年初頭には交際が周囲の目にも明らかになっていたと報じられました。
4月に離婚が成立し、マッケンジーはアマゾン株式のおよそ25%を取得しています。
2020年、新型コロナウイルスの流行化でアマゾンへの需要が急増します。
4月にはベゾスの資産が240億ドルも増加しました。
パンデミックがアマゾンの市場支配力をさらに強めたという指摘もあります。
7月29日には、名刺会員のハントラスト公委員会の校長会に、
Apple、Meta、Google各社のCEOとともにリモートで初めて出席し、証言しました。
そして2021年2月、アマゾンのCEO退任を発表します。
7月5日、アマゾン設立からちょうど27年の記念日に、
アンディ・ジャシーにCEOを引き継ぎ、自身は会長職へと退きました。
退任の理由について、当時の社員向け書簡では、
トップである責任は重く、注意を奪う。
エグゼクティブチェアに移ることで、新製品や初期段階のプロジェクトにエネルギーを注げる、と説明しています。
ただ、後のインタビューでは、より率直に、
CEOを譲った一番の理由はブルーオリジンに時間を割くためだった。
上場企業のCEOである以上は全力を注ぐべきで、
その基準に照らせば、ブルーオリジンへ注力すると決めた時点で、
CEO職を譲るのが筋だと考えた、と振り返っています。
そして7月20日、ベゾスは自らブルーオリジンのニューシェパードに登場し、
初めての友人宇宙飛行を行いました。
飛行直前のインタビューでは、
僕はもう人生ずっとこれを夢見てきたんだ、と語っています。
着陸直後の第一声は、
ベストデイエバー、人生最高の日だ。
数分間の無重力体験と宇宙から見た地球の眺めを、
とても深いものだったと表現しました。
高校の卒業式で宇宙ホテルや宇宙コロニーを作りたいという夢を語ってから43年、
あの夢が叶ったと本人がはっきり口にした記録は見つかっていません。
それでも、人生でずっと望んでいたことというこの日の言葉には、
高校時代からの宇宙への憧れがそのまま地続きになっていたことが伺えます。
さて、今日はここまでです。
振り返るとこの18年間は、まさに帝国化という言葉がふさわしい時間でした。
書店から始まった会社が、
クラウド・電子書籍リーダー、スマートスピーカー、
そして実店舗の食品小売にまで手を広げ、
世界一の富豪すら生み出す企業へと育っていきます。
その一方で、CEOを退くべきだという逆風、
州をまたいだ税金との攻防、
離婚という私生活の大きな転機と、
旬風満帆とはほど遠い道のりでもありました。
それでも、ブルー・オリジンという誰にも気づかれないところで始めた小さな賭けだけは、
20年以上、静かに、しかし着実に育て続けています。
そして最後には、アマゾンという帝国のトップの座を行進に譲り、
自らその賭けに登場する。
これは、経営者としての引き際であると同時に、
高校時代の少年が見た夢への一つの回答だったのかもしれませんで。
次回、最終話となる第4話では、
退任後から現在に至るまでの歩みにも触れながら、
ここまでの3回で見てきたベゾスの人生を振り返り、
彼の意思決定の果とアマゾンに受け継がれていった文化についてまとめていきます。
今日もここまでお付き合いいただきありがとうございました。
また次回のエピソードでお会いしましょう。