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「キャリアアップ」を懐疑 #010
2026-05-27 27:06

「キャリアアップ」を懐疑 #010

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サマリー

このエピソードでは、「キャリアアップ」という概念に懐疑的な視点から迫ります。キャリアアップとは、一般的に昇進や昇給、スキルの向上などを指しますが、話者はこの「アップ」という言葉に内在する上昇志向や、画一的な進路へのバイアスに疑問を呈します。給料が下がっても時間のゆとりを選ぶことや、育児に専念することも、その人にとっての幸福(ウェルビーイング)であればキャリアアップと呼ぶべきではないか、という問いが投げかけられます。 さらに、キャリアが「車輪の通った轍(わだち)」のように、他人が作った道筋をなぞるものであるという従来のイメージに対し、現代の急速な変化、特にAIの台頭によって、その轍が通用しなくなる可能性を指摘します。将来の予測可能性や再現性を前提としたキャリア開発の考え方は、もはや成り立たなくなると論じます。その上で、これからの時代に必要なのは、身体感覚で身につける「修行」や、内発的な動機となる「遊び」の機会をビジネスの中に意図的に作ることではないかと提案しています。これらはコピーが難しく、個人のユニークネスを形成する要素となり得るからです。

「キャリアアップ」という言葉への疑問
はい、今日も経営懐疑を始めていきたいと思います。 ヒトシです。 カンタです。 この番組は、経営のことやビジネスのことや、その他いろいろなことを疑っていこうという番組です。
はい、今日も疑っていきましょう。 はい、今日持ってきました、僕が。 なんか思いついたのが、キャリアアップですね。
おお〜。 まず、なんでこれを思ったかのところを思い出した方がいいな。 でもね、アップの時点でね、なんか予知がありすぎる。
でもちょっとまず言ったよね、なんで、なんで。 そうっすよね。 今解釈し直すと。 忘れてるんかい。いやいや、なんとなく覚えてて。
いや、キャリアアップを会社で提供できる方がいいじゃないですか。 ああ、なるほど。 みんなに。
まあアップってわかんないですけど、なんか前に進むのか、その人の裁量が増えるなのか、独立するなのか、なんでもいいと思うんですけど。
なんかこう、次のステップにみんなが進んでいけるのは大事なことだなとは思ってて、楽しんで生きていったり働く上では。
なんでキャリアアップって何なんだろうっていうのをちょっと考えてみたいなっていうところでした。 いいですね。
なんで会社で働く人が、なんかよりやる気になる道筋が見えたらいいなみたいな意味でキャリアアップでしたね。 なるほどね。
どっから行きますかね。 まずちょっとアップから行きましょうか。
アップから。 アップ。
何をもってアップかっていう話が、さっきの人氏さんもちょっと言い淀んでましたけど。
なんか給料が上がることなのか、なんか役職が上がることなのか、スキルが上がっていく、なんかこう上達していくことなのか、なんかいろんなアップありますよね。
で、なんか割とあんまり整理されずに語られがちだなぁは結構モヤモヤポイントではありますよね、そもそも。
確かに。確かになぁ。
なんなら給料を下げて、もうちょっと時間にゆとりのあるキャリアを歩みたいもん、キャリアアップな感じありますもんね。
そう、なんかでもそれをキャリアアップと言うと結構語感としてはなんか違和感というか、あんまりそれをキャリアアップとは呼ばないよねっていうところに、なんかアップという言葉が意味している方向性に、なんていうのかな、バイアスがありそうだなっていう気はしますね。
確かに。確かに僕が今言った例、給料下げて自由を選ぶ的なことはキャリアアップとは言わないですもんね、普通は。
とか例えば仕事を辞めて家事育児に専念することをキャリアアップとは言わないですよね。
でもそれがその人にとってウェルビーングなんであれば、キャリアがアップしてると言ってもいいんじゃないっていう。
そうですね、なんで僕最初に独立とかも思ってたことだったんですよね。自分で働き方を選んで進むみたいな。
前に進む感はあった方がいいなっていう感じはするし、やっぱり自分も会社を経営する立場で従業員がいて、みんなが定年退職まで働くとは思っていないから、うちの会社でね。
どこかのタイミングで次のステップ、それが別の会社かもしれないし企業かもしれないし、家事育児に専念するってことかもしれないし、
学問の道に進みますかもしれないし、それは別に何でもいいかなって思うんですけど、
そこに次のステップを考えたときに、ここにいてよかったなとか、ここでやったこととか学んだことが次に生きてるなっていう方がいいなとは思う。
ひとしさんがさっきの出発点のキャリアアップ、自分の望む次のステップに対して前に進むことをキャリアアップと呼ぶのであれば、確かにそれに対して支援できた方がいいなというところまではそうだなとは思うんですけど。
ですけど。
ですけど。
キャリアの定義と個人の幸福
まずキャリアアップといったときの、そこの上昇するっていうもの自体が、個人的にはあんまり好きじゃないですね。
階段を上っている感じはありますよね。
確かにな。
逆にキャリアダウンって言うんですかね。
でも例えば、仕事とか会社で給料を上げていくみたいなことを一つの道筋だとしたときに、子育てでキャリアを中断するみたいなときに、やっぱりそれはキャリアダウンとは言わないけど、
ダウンしている感覚とか停滞しているとか止まっている感覚っていうのはやっぱりあるような気はしますよね。
確かに。なんか今日はあれですね、キャリアアップ、キャリアが多くの人にとっては階段状になっているイメージがあるところを、別の概念を探れたら、なんかありそうだなと思っていると思うんですよ、カンタさんも。
なんかそのイメージをなんとなく定義できたらいいのかな。
名前つけますか。
名前つけましょう。命名していきましょう。
なんかね、キャリアっていう言葉自体が和立ちとか車輪が通った後みたいなところから、今までの職歴とか経歴のことを言うようになってきたみたいなことらしいんですけど、違ったらすいません、僕の理解ではね。
でもなんか、であればキャリアって全部キャリアじゃないですか。でもなんかこう、仕事で成功するとか成功というところに向かっていくために積んでいくものみたいな言い方する、使われ方をしてるじゃないですか。
これもなんか本当にそうなのかなっていうのはちょっと思っていて。
でなんか自分の、それこそキャリアを振り返ると、なんかあんまり積み上げてきた感覚があんまないなっていうのはあって。
その時その時に自分の目の前にある機会に対して一生懸命やるとか、ちゃんと向き合うとかちゃんと取り組むみたいなことの連続で流れてきたな感はあって。
だからなんかこう、学生さんとか若い人から、なんかキャリア開発のために今何ができる、今できることとか今やっといた方がいいことって何ですかとかって聞かれると結構困るんですよね。
そうですよね。それって経営してるからっていうのあるんですかね?どう思います?
いや経営者じゃなかったらもうちょっとキャリアアップみたいなイメージが強くあるのかなとかを、僕もその外れた身ではあるんで、その一般的なサラリーも。
そうなんかキャリアを積み上げるっていう時に、キャリアっていうのが和立ちだとすると、自分の先にはないものなはずじゃないですか。
そもそもね。
そもそも存在しないはずじゃないですか。
でもなんかあるような感覚があって、そこに乗っているっていうのが、ある種重要視されるっていうのは、他人の歩んだ他の車の通った和立ちみたいなものがあって、そこに乗っていることみたいなことが自分の行き先を決めるみたいな前提があるなっていう気がしてて。
そうですね。
で、会社に確かにいると先輩社員が、出世した先輩社員が通ってきた道を自分も通れば出世できそうみたいな、なんかそういう感覚が気がするんですよね。
先にその道を通った人たちが見れすぎちゃうから。
し、なんかうまくいってる人いってない人みたいな。
会社にいると序列がわかりやすくつくじゃないですか。
それが役職だったり給料だったり、どれぐらい裁量があるのかとか権限があるのかだったり。
なんかそこのどの道、どの輪立ちを自分はなぞるのかみたいな感覚でキャリアとかキャリアプランとかキャリア開発とかって言ってるなーっていう感じはしていて。
そういう意味では経営者ってある意味そこから外れた人たちですよね。
はい。だから一歩道のキャリアっていうのをイメージしづらい環境に。
というか自分が通ってきた輪立ちしかないから、その先は自分が進路を決めるだけであって、その先にキャリアはないみたいな。
後ろにあるだけみたいな感覚がすごいあるなっていう。
そうですね。確かに。
「轍」をなぞるキャリア観への違和感
でも会社にいる時からあんまりキャリア意識したことなかったというか、キャリアという言葉結構嫌いだったんですよね。
たぶんこの輪立ちの感覚がすごい嫌なんだと思います。
他人が通った輪立ちなぞって何が楽しいみたいなのはちょっとありません?
確かにな。僕、学生の時一回みんなでゴルフ練習してた時があって、
今もう6年ぐらいやってないんですけど、いやちょっとやりたいな久しぶりに。
みんなフォームを正しい先生から習う動画見て学ぶんですよね。
こういうフォームがいいみたいな。
僕だけめちゃくちゃ打ってボールを自分の形見つけるみたいなのやってて、
結果それは下手なまま、いやお前動画見ろよみたいな感じのポジションだったんですけど。
あれとかすごい嫌だったんですよ。形があってそれにアジャストさせにいくみたいな。
みんながそれをいかにアジャストできるかみたいなのをやろうとしてるのがすごい窮屈で。
なるほどね。
自己流でいきたくなったんですけど。
結果の予測可能性とか再現性みたいな話がすごいキーなんだろうなっていう気がしてて。
例えばスポーツとかの型って多分それが一番上手くいくっていう型なわけじゃないですか。
だからその型に自分をはめるというか、
自分が型に合わせたほうが自分で型を作るよりも成功する再現性が高いっていうことだと思うんですよね。
人体の構造ってそんなにみんな違わないわけだから、
大きな基本の型みたいなものっていうのがみんな合わせとくというか、
自分が入れ物のほうに合わすというか、帽子に自分の形を合わせるみたいな、
服に自分を合わせるみたいなほうが効率がいいってことがあると思うんですよね。
それって前提にあるのが、ある種みんな均質であるというか、
その結果どうなるかっていうことの再現性が高いっていうことが前提にあるじゃないですか。
さっきの大きい会社の社員の状態と一緒かもしれないですね。近いかもしれない。
でも再現性って本当にあるんだっけみたいなところに対して、そもそもダウトがあるというか。
今すごく時代の移り変わりが早いみたいなことを、
僕が就職してから20年ぐらい、ずっと早くなってる早くなってると言われてるけど、
その割にはキャリア開発とかキャリアみたいな、
将来の再現性のある道とか予測可能な道筋みたいなものがある前提でみんな話してるの、
結構矛盾してるなとは思ってましたね。
AI時代におけるキャリアの変容
一個見えてきたのは、自分で車輪を転がして、それがその後ろを振り返ったらキャリアなんだっていう感覚を
みんなが持つことは大事かもしれない。
それを持ってもらうのが。
大事なのかな。
それがあった方が幸福なのであれば大事ですよね。
自分の場合はあるなって思うだけで。
そうですよね。だから別にいいのか、そんなことは。
僕にとってはどっちでもいいなぁはあるけど、他の人にとってはそうでもないということは経験上知ってるっていうのは。
特に最近AIで本当に働き方みたいなものとか変わってくるなっていうのはひしひしと感じてるというか、
変えていかないと自分が生き残れないなっていう感じはあるんですよね。
それは自分の仕事もそうだし、自分の会社もそうなんですけど。
そうですね。
そうするとますます働き方とかこの仕事とかこのスキルをこうすればこうなるみたいな、
モデルが崩れるというかモデルの前提が成り立たなくなるわけだから、
キャリアって他人のわだちみたいなものが本当に役に立たなくなっちゃうよねとはちょっと思う。
もう少し言うとあれかな、本当に役に立たないのは結構具体的なところ。
例えばこの仕事をして、この部署でこういうことをして、次ここでこういうことをやって、
その次ここにやって、そうすると次が社長でみたいな、
具体の話は本当役に立たなくなるだろうなと思うんですけど、
もうちょっと抽象度を上げて、目の前のことを一生懸命やりましょうとか、
そんなシンプルなんですね。
そういうわだちはあんまり変わらない気がするんですよね。
なるほど、リクルートの自ら機械を作り出して成長しろみたいな言葉ありますよね。
よく知らないけどありそう。
自ら機械を作り出しそれによって自らを変えようみたいな。
そういうこととかですよね、大事なの。
変えなくてもいいけどね。適応すればいい。
そう言うとね、そう言うとそうなんですよね。
でもそういう例えば、結構このキャリアっていう考え方がどんどん精神論とか根性論になっていかざるを得ないなっていうのは、
特に最近AIで感じていて、
この間の何かの回で言ったパッションみたいな話とかもそうだけど、
AIって誰がやっても同じ結果を出しやすくなるわけじゃないですか。
もちろんプロンプトの入れ方とかAIの設定の仕方とかで出力に触れますけど、
でもそれって今過渡期だからっていうのはあると思ってて、
やっぱり再現性のあることってAIですぐにコピーできちゃうし、
誰でもできるようになるわけだから、
再現性のないことでしか自分のユニークネスというか、
自分がリファレントであるものっていうのが作れなくなるなっていうのは思うんですよね。
そうすると結局再現性のないものっていうと、さっきのパッションみたいな話もそうだし、
自分が身体感覚として理解していることとかって、
例えばよく僕が例で出すのは自転車の乗り方みたいな話なんですけど、
自転車に乗れる感覚って自転車に乗れることでしかわからないじゃないですか。
どんなに自転車の乗り方を科学的に教えてもらっても、
乗れるようになるまでわかんないし、乗れるようになったら乗れてるじゃないですか。
仕事って結構そういうのが実はあるなと思ってて、
身体知と再現性の低いスキル
なんか気持ち悪いなって思うとかあるじゃないですか。
例えばそのポッドキャストの編集とかしてる時も多分あるんだと思うんですけど、
なんかちょっとここ気持ち悪いからちょっと詰めようかなとか、
ここをちょっとこうしようかなみたいな、
感覚的にやってたりすることってたくさんあると思うんですけど、
それって言語化しろって言えばできるけど、
あーなるほどって思わせることはできるけど、
なんかできるようになるってちょっと違くないですか。
違いますよね。
なんか子供と接する時にも僕そう思いますね。
教員経験ある人たちはめちゃくちゃ接し方すごい。
僕は理論はいろいろ学んできたんですけど、この3年くらい。
はるかから。
ティーチャーティーチャーでね。
理論を知っててもできないから、それ。
それはやっぱ解像度が違ったり、
もうこのリアクションの速さ、
あ、これ出そうとかっていう。
だからそこが身体値レベルというか、
なんかスポーツ選手みたいだなっていう。
あーそうそうそう。
思いますね。
で、なんかそれって、
なんていうのかな、再現性が低いことじゃないですか。
もちろんなんか同じトレーニングを積めば、
同じぐらいできる人っていうのはできるかもしれないけど、
なんかAIですぐコピーしますって話じゃなくて、
自分が自分の身体で身につけるしかないものって、
あんまりスケールしないというか、
それを身につけようとする人たちの分しか
できる人って増えないじゃないですか。
そういう方向にどんどんシフトしていくだろうな
っていう気がしていて、
ノウハウとかハウトゥーみたいなものが
本当に役に立たなくなる時代だなっていうのは感じてますね。
産業革命以来の変化とコピー不可能性
カントさんが見てきた時代変化の
なんかどこに近いとかあります?
いやでもなんか結構、
今まで僕が経験している中でない変化のレベルだな
っていう感じがしますね。
まぁでもインターネットが一番近いのかな。
インターネットの時とかヤバそうじゃないですか。
その頃、社会人だった人たちマジ
楽しかっただろうなとも思うし。
でもまぁ、生きてないけど
産業革命の時に生きてた人たちこんな感覚だったんだろうな
っていう感じはちょっとしますね。
自分たちのやってることを本当に
やらなくて良くなったってことが
もう無限回起きてますもんね。
そう、コピーが簡単にできるようになるっていうのが
今までってそれができなかったから成立した
コピーをするとかっていうことにコストがかかってたから
成立してたエコノミクスみたいなものが
無限に誰でもできるみたいになると
価値がなくなるというか
価値がなくなるっていうのは市場で価格がつかなくなるというか
だって買わなくても自分で作れるものって話になるわけじゃないですか。
というすごいドラスティックな変化だなっていう中で
コピーできないというか
容易にコピーできないものって
本当に身体的なものになっていくなとか
あと内面的なもの
神秘感とかもそうだし
情熱とかモチベーションみたいなものもそうだし
誠実さみたいなものもそうだし
なんかそういうものしか
なんていうのかな
そういうものは結局コピーしようと思っても
自分がそれを習得する以外ないというか
そういう意味でキャリアの話に戻ると
キャリアというもので語られる内容の抽象度が
上がっていかないと
キャリアという言葉自体に意味がなくなりそうだなっていう感じがしてます
ちょっと最後に角度を変えて
「修行」と「遊び」による新たなキャリア形成
例えばメンバーに
どんな機会があったら楽しいのか
逆に精神論を言うとかしかない
みたいな方向になりそうでしたけど
逆に何かを
場を整えられるとしたら何なんだろうなっていうのを
考えてみようかなっていうのを
僕は今パッと思いついたものは2つで
修行と遊びかなって思ったんですけど
一つは修行はさっきの
自分の身体感覚で身につけるっていうのって
自分が繰り返しやるしかないじゃないですか
AIにやらせれば一瞬でできても
自分でやるってことによって
自分ができる感覚が作れるみたいなことが
重要な領域とそうでない領域っていうのは
多分分かれてくると思うんですけど
自分ができるという感覚が重要な領域で
効率を犠牲にして修行をするみたいなのっていうのが
一つ財産というか
次のステップで使えるものになり得るだろうなと思っているのと
あとやっぱりやりたいっていう気持ち
これがやりたいっていう気持ちって
やっぱり再現性が低い領域だと思うんですよね
そのやりたいっていう気持ちって
ティーチャーティーチャーみたいに
ビジョンみたいなところから来るっていうよりも
遊びから来る方が
みんなやりやすいんじゃないかなっていう気はしていて
遊びって楽しいっていうか
楽しいからやるとか楽しみのためにやるみたいな
そうすると修行と遊びの機会みたいなのを
ビジネスという文脈の中でどれだけ作れるかみたいなのって
結構相反してて
修行って効率でいくならAIにやらせた方がいいけど
あえて人間が非効率でもやるみたいな領域だし
遊びって遊びじゃねえんだとこっちはみたいな話あるじゃないですか
仕事していると
でも遊ばないとたぶん
遊ぶ楽しいっていうのがないと
やりたいってなかなか出てこないよねって思うと
そうするとわりとビジネスの論理と
逆の方向の機会をどれだけ作れるかみたいなのは
一個ポイントかなって今思いついたんで
あんままとまってないですけど
僕も最近ティーチャーティーチャーで新しくやりたいことが
思いついて
完全に遊びなんですけど
どんだけ忙しくても料理は好きで
料理したいなって思ってるんですよ
でもそういうこと
料理したいだから入って
ティーチャーティーチャーでやるなら
さすがに何かしら意味あるものにしたいなと思って
一緒に材料を定義して
一緒にそれを遥かと等しいと
一緒に料理作ったら1週間分の作り置きができますみたいな
なのをちょっとポッドキャストでやってみようかなって
その作り置きのレシピは村で今後
来週くらいに募集して
その中でいい何品かを選んで
ちょっと遥かとクッキングしようかなと思って
面白いそういうことだと思う
真面目に論理とか公立で言ったら
いくらでも否定できるじゃないですか今の話多分
もうちょっと思いつきとか楽しそうみたいな方から
意味付けしていくっていう感じです
そういうものを楽しんでやってるっていうこととか
そういうことにやりがいとかを
やりがいというか楽しいとかっていうことが
すごい重要な気はしていて
それがキャリア開発というか
自分の次のステップを作っていくみたいなことに
指針になるんだろうなっていう気はするんですよね
なるほど
なるほど
今後のキャリア観と番組へのメッセージ
ちょっといろいろ検討の余地ありそうですけど
一旦修行と遊びっていうのはいい土台かもしれないです
な気がするけどどうなんだろう
あんまりちゃんと検討してない
そうですね
また会議したらいいかもしれないです
修行と遊びをどっかで取れたらいいかもしれないです
そんな感じでキャリアアップの会議でした
キャリアアップ
今まで会議した結果それも必要だよねみたいな話に着地しがちでしたけど
ないと僕が全否定して終わった感じあります
確かに
肯定の立ちは取るの忘れてましたね
ちょっと次からはそこは意識していこう
バランス取っていきましょう
そうですね
ではXやGoogleフォームなどでお便りやアジェンダを募集しておりますので
ぜひ送っていただけたら嬉しいです
よろしくお願いします
それではさようなら
ありがとうございました
27:06

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