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「善意だけじゃ続かない」を懐疑 #007
2026-04-15 35:00

「善意だけじゃ続かない」を懐疑 #007

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感想

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サマリー

今回の「経営懐疑」では、「善意だけでは続かない」というテーマについて議論しました。特にソーシャルスタートアップの文脈でよく聞かれるこの言葉に対し、その真意と持続可能性について掘り下げました。番組では、不登校の子どもたちとその家庭を支援するソーシャルスタートアップ「ティーチャーティーチャー」を例に挙げ、彼らがどのようにして無料でありながら事業を継続しているのか、そのビジネスモデルと理念が紹介されました。 議論は、「善意」という言葉が持つ二重の意味、すなわち活動する人々の内なる情熱と、それを支える支援者の善意の両方に焦点を当てました。単なる「良いことだから」というレベルの善意では持続が難しい一方で、活動の根底にある強いパッションや執着、あるいは活動自体が個人の幸福やライフスタイルに組み込まれている場合は、経済的な見返りが少なくても継続可能であることが示唆されました。最終的には、目的と手段を明確に区別し、上位の目的に向かうための手段としてお金儲けや持続可能なビジネスモデルを捉えることで、善意と事業継続は両立しうると結論づけられました。

「善意だけじゃ続かない」というテーマ設定とその背景
はい、今週も経営会議を始めていきたいと思います。
はい、ヒトシです。
カンタです。
この番組は、経営とかビジネスとか、その他いろいろなことの当たり前を疑っていこうという会議でございます。
はい。
今日は、僕がテーマを持ってきまして、「善意だけじゃ続かない」っていう言葉についてですね。
なんかね、ビジネスとかだとあんまり聞かないですけど、やっぱこうソーシャルスタートアップあるあるみたいな感じなんですか?
そうですね、前回の回で、はい、自分たちのソーシャルスタートアップというのが提起されたんですが、なんかそんな気はしますね。
人が社会に、こういう社会であったらいいよねっていうこの善意で動くのは最初だけで、
それって持続しないよって言われることがよくあるんですよね。
なるほどね。
ソーシャルスタートアップ、海外では。
僕もそうだなと思うこともたくさん出会ってきたんですけど、
それって本当なのかっていう、善意だけで本当に続かないんだっけっていうのを考えてみたら、
何か視野が広がるんじゃないかと。
ちなみに前回ね、そのスタートアップを会議するということです。
で、ひとしさんたちがやって、ティーチャーティーチャーはソーシャルスタートアップでいいんじゃないかという着地になったわけなんですけど、
そもそもティーチャーティーチャーが何やってるのかってちゃんと説明してなかったなと思って。
ちょっと多分このテーマ、特にソーシャルスタートアップとか、
ソーシャルで善意駆動でやってる事業みたいなものの解像度が上がったほうが、
聞いてる人もイメージしやすいのかなと思うんで、
ちょっと簡単にティーチャーティーチャーのことを紹介してもらってもいいですか。
そうですね、本当何から説明するか難しいですけど、
ティーチャーティーチャーの活動紹介と理念
大きく言うと、今学校に行けない不登校っていう子たちが増えてるんですけど、
そういう子供とかその家庭が困った時に相談できたりとか前に進めたりする社会を作ろうとしているっていうのがざっくり言うとあります。
で、今は不登校というテーマに絞って注力してやってるんですけど、
子育てとか教育領域全般で困った時にどうやったら前向きに進めるかっていうのを探求している団体です。
僕も、ちょっとこう説明として不十分なんですけど、
不登校の子たち向けのオンラインのフリースクールと、一旦呼ばせてくださいね、をやるという手前に、
子育てのラジオティーチャーティーチャーっていう、子育てのお悩みに元教員の土地産の相方の遥香さんが、
現場での実践だったり、いろいろな教育の理論だったり認知科学の理論だったりみたいなところから、
どういうふうにしたらそのお悩みが解決するのかみたいなことを、2人で話し合うみたいな、そういう番組をやられているんですね。
そっか、超具体的なことまでまだ何も喋ってなかったですもんね。
僕はそれを聞いていいなと思って聞いてると、
その不登校の子たちが通える、オンラインで通えるフリースクールを作りたいというのを、
BotGyusの中でしていて、ほうほうと思って応援したいなと思って、
っていうのがね、僕と人生さんたちの何て言うんですか、最初の出会いだったかなと思うんですけど。
で、なんかやっていく中で、これもなんか片側で支援しながら見ていく中で、
なんかじゃあ不登校の子たちの居場所をただ作っているとかっていうことでもないし、
まあ無料でやってるんですよね、そのフリースクールね。
はい、そうなんですよね。
で、なんか何やってるのかっていうと、
まずはその安心してちゃんとこう、社会とつながれる居場所であるみたいなことが、
たぶん第一、ファーストステップとしてはたぶんあると思うんですけど、価値としては。
ただなんか、そこから、例えばまた学校に通いたいんであれば再登校だったり、
なんか別のオルタナティブスクールみたいなところに行きたいんであれば、
そこに向けてこう行けるように、どうやったらそこに行けるようになるかっていうことを課題解決したり、
そもそも他の支援とちゃんとつながった方がいいよねっていうんであれば、
どういうふうに支援とつながっていくかみたいなことも、
なんかあれですよね、ネクストステップにちゃんと進めるための。
伴奏。
伴奏する場所みたいな感じですよね。
はい、そうです。
を、運営してますね。
ほぼカントさんに言ってもらった。
で、このソーシャルスタートアップみたいなの言われてるところで言うと、
利用者負担なしでやっていて、
こういうこと、こういう仕組みを作ろうっていう応援っていう発信をすることによって、
そこで応援してくれる方々と一緒に利用者負担なしで作ってるというのがありますね。
っていうような特徴ですよね。
で、なぜ無料なのかっていろいろ理由あるんですけど、
一番ティーチャーティーチャーとして探求していけてるテーマだなと思うのは、
基本的に子供に教育をしますよとか、親御さんの伴奏しますよっていうときに、
お金をいただいて、結社いただいて運営するケースが多いんですけど、
それだと自分たちのところに、自分たちと接し続けてくれた方が結社いただけるんで、
依存させる方がメリットがある状態になるんですけど、
これをなしにして、どんどん社会に接続していけるように、
会社のビジネスモデルの在り方自体していきたいなと思うんで。
だからあれですよね、不登校の問題って、不登校であることが問題というよりは、
学校に行けなくなってしまったときに、どことも繋がらず、
繋がることができていない、消極的な不登校みたいな子たちがすごくたくさんいるっていうことが課題だっていうのが、
多分ティーチャー・ティーチャーの2人が持っている課題意識なのかなと思っていて、
学校に通わないと自分たちの意思で決めていて通っていないみたいな、
積極的に選択しているみたいな状態に対しては、
ティーチャー・ティーチャーの2人的には別に問題だと思ってないわけですよね。
し、学校に行くじゃなくて、オルタナティブスクールだったりフリースクールに行くみたいなことを
積極的に選択している状態が別に不登校の問題だと思っていないと。
ただ、どうしたらいいのか分からないけど、どこにもつながれてなくて困ってるみたいな状態の人たちがたくさんいるから、
そういう人たちに支援を届けたいと思っていると。
そこで、そういう人たちの居場所にお金をゲッション回っていてもらうという形になってしまうと、
本当は次の選択する方と応援したいのに、
留まってもらわないと事業が成立しなくなっちゃうみたいなことに、
自分たちがジレンマに陥っちゃうみたいなことを避けたいっていうのが、
僕が受け取っているメッセージというか、そういうことなんだろうなと思って。
無料運営の理由とビジネスモデルの探求
すごくそういう誠実さも、そこをしっかりと届ける発信もして、
ある程度成立するとか立ち上げて、今もう2年ぐらい経ちますか?
そうですね、2年なりますね。
それがちゃんと続いてるみたいなのはすごいことだなって、横から見てすごい思ってますね。
ありがとうございます。
ゲッションいただいて運営するフリースクールとか学校、全く悪いと思ってないんですけど。
それはそれでだってね。
そうじゃない。
子どもたちとかそこの家庭が積極的に選んでそこにいようと思っている分には全然問題ない。
問題じゃないですかね、そもそもね。
はい、全然問題じゃないし。
むしろそれで利用者さんも満足して運営を続けていけるなら、それめっちゃいいと本当に思っているので、全然いいんですけど。
なんかそうじゃない、本当にビジネスモデル変えるだけで結構違うことが。
支援スタイルも変わるし、連携できる場所も変わって、
例えば僕らだと学校とかなり連携しやすいんですけど、
それは僕らにこの生徒どうしたらいいですかねとかって僕らに相談しても、
僕らがゲッションもらってその子依存させないってわかってるっていうか、
もう実態がそうなってるから安心して学校も相談できるとかがあるので、
なんか本当かなりこのポジションを頑張ってきてよかったなと思ってるのが最近ですね。
「善意だけでは続かない」の二重の意味と運営側の視点
そのテーマの善意だけでは続かないって、
多分このティーチャーティーチャーって二重の意味があるなと思っていて、
そもそもソーシャルスタートアップみたいな、
ソーシャルの課題解決、社会の課題解決しようっていう、
はるかさんとかひとしさんとかティーチャーティーチャーの中の人たちって、
善意で駆動してるみたいなところが多分すごくあるっていう意味での善意っていう話と、
あとこの応援モデルって応援してる人って自分たちには何か見返りがあるわけじゃないけど、
善意でスポンサーしてるってことじゃないですか。
で、その善意でのスポンサーで続くのかみたいな、
なんかやってる人たちとそこを支えてる人たちの、
なんか二重の善意で駆動してるみたいなところが特殊性があるなって聞いてて思いましたね。
ほんとですね。確かに。
僕は善意で続かないも本当わかるし、
これなんでわかるかっていうと、これまず運営側の立場で話すと、
やっぱどうしても経営していくお金が必要とか資本主義の中で頑張っていこうとしたら、
そうじゃない領域に時間的なリソース割けなくなってくるっていうのが、
もう本当にあるんだなって最近知ったんですよ。
2名やってみて。
いっぱいやりたいこと増えてるのに、結局取捨選択の軸がお金が付きまとっちゃうみたいなのがあって、
これはでも株式会社と就業していく中ではある程度付きまとってくるんだなって思ってることですね。
地域活動における善意とライフスタイルへの統合
でも一方で地域での活動を見ると、
だから僕ら地域で地域の居場所をそこにいる地域の人たちと作って、
子供とか保護者さんが困った時に立ち寄れる場所みたいなのを作ってるんですけど、
そこで関わってる地域の人たちは善意でめちゃくちゃ関わってくれているんですよね。
これが続くか続かないかをどう思ってるかっていうと、
その地域を良くするとかその地域に関わることは楽しいとかっていう、
善意だけってよりその人のライフスタイルにちゃんと溶け込んでメリットをその人たちも受けれているっていう設計であれば続くなって思い始めてるんですよね。
さっきのかんたさんが言ってた血額1100円支援し続けるのか善意で、
っていうのは経済状況によって確かに変わるなって思ってるんですけど、
生活の一部になって月1回ここの地域のこの場所に行って、
みんなで子どもとか保護士さんと一緒に関わるの楽しいなって思って生活しているっていう人の人生にとっては結構持続するものなんじゃないかなって。
目的と手段の階層化によるジレンマの解消
今の話聞いてて思ったのが、例えばその会社経営において善意か金儲けかみたいなが一旦2つの軸で金儲けの方をちゃんと考えなきゃいけなくて、
善意のところがウェイトがちっちゃくなっちゃうみたいな風なジレンマみたいな話なのかなって思ったんですけど、
そこをやっぱりねフラットに考えるからジレンマになっちゃうかなと思ったんですよね。
で、そこはなんか階層で考えるとちょっと変わるのかなと思っていて、
大きな目的はやっぱこの今の不登校の問題を解決したい。
それは不登校をゼロにしたいっていうよりは不登校によって起きている問題っていうのを、
それはどこに行ったら繋がっていくかわかんなくて迷ってしまっている状態とかってことだと思うんですけど、
その問題を解決したい。それはなぜ解決したいかっていうと別に自分にメリットがあるかとかじゃなくて、
ただそこに問題があることに耐えられないから解決したいんだみたいなことじゃないですか。
それは多分善意だと思うんですよね。
で、その手段が一つ今無料のフリースクールとか無料の居場所作りだったりとか、
そのネクストステップに繋げるための橋渡し役みたいなところなんだと思うんですけど、
なんかそれって達成したいゴールの一つの手段で、もう一つの手段がお金を稼ぐってことじゃないですか。
だからなんかその上位のゴールに対するブレイクダウンの2つみたいに考えると、
別にそこってあんま競合してないんじゃないと思ったんですよね。
なんだろうな。
例えばこれって普通の会社でも一緒で、結局お客さんに喜んでほしいと思うけど、
それってじゃあ例えば安くしたら喜んでくれるけど、利益が出ないと続かないみたいな。
し、株主とか言うと利益を増やさなきゃいけないから。
利益を増やすっていうことって結局売り上げを上げるっていうこととコストを減らすってことになるから、
お客さんがたくさんお金を欲しいって話と、取引先をできるだけ安くしたいみたいなことになっちゃうんですけど、
でもそれって別に社会を良くしていきたいとか、事業を通してこういう価値を届けていきたいみたいなことに対して、
自分たちが持続可能な成長していくこと自体が必要だし重要だと思っていて、
その手段として適正な価格をつけるとか、コストを必要に応じて最適化していくみたいなことをやってるっていう風に、
なんか上位の目的がしっかりあれば、その下でなんていうのかな、
手段としてそこにまっすぐ向かってとか、そこにダイレクトじゃないっていうことがあっても別にそんな矛盾してないんじゃないと思った。
その辺ってどうなんですか感覚的には。
PTA会長の経験から見る善意と幸福感
なんか僕個人はつながってると思っても、チームのメンバーだったりそうじゃない、
ティーチャーティーチャー外から見てる人にとってはそれじゃ納得されないとかってことは起きるなとは思ってて、
まあ難しい。
その辺は難しいです。
確かに時間は有限だからどっちに時間割きますかとかっていうことになるときの、
まあなんか選択するとやっぱりトレードオフの感覚になりますよね。
はい。それは難しさがある。
難しさがあるだろうなって思うけど。
僕今あれなんですよ、長男の小学校のPTAのPTA会長をやってるんですけど、
それもまあ善意っちゃ善意じゃないですか。
で、まあなんかいろいろ経緯があってやってはいるものの、
大きくは結局子供たち、息子の通う学校の子供たちが安心安全でのびのびと自分らしく成長できる環境づくり
みたいなことに貢献していくと。
で結局そこの学校環境がいいと自分の子供にとってもいい環境だから、
そこに対して自分がまあできる範囲でリソースを割くっていうのが、
なんていうのかな、まあ求められてかつ自分がそこに貢献できるんであれば
引き受けようと思ってやってるんですね。
で、そこはただそういう、そこは善意だと思ってるんですけど、
ただなんかそれに、それはなんか一つの僕の幸福をつくる要素であって、
それだけではないんで、ちゃんと寝たいし、おいしいもの食べたいし、
家族との時間も過ごしたいし、仕事も自分がやりたい仕事ちゃんとやりたいし、
でなんかいろんなものの中のポートホリオみたいなものの一つに、
子供が通う学校の環境をより良くすることで、
子供にとってのいい成長の場にしてほしい、
そこに貢献したいみたいなものがあるっていう感覚なんですね。
なんかまあ無理はしないし、優先順位つけるしみたいな。
で、僕がそのPTAの役員とかで誘ってなってもらう人とかには、
僕はそういうつもりでやっていて、そこに共感してくれたら、
まあ無理の範囲で一緒にやんないみたいな誘い方をしているし、
実際にやってくれる人に対しても、別にその人がやりたいとかやって満足できる範囲、
無理なく続けられる範囲で関わってくれればいいし、
心地良い距離感で関わってくれればいいなと思っていて、
逆に僕の場合はそれで、結局回んないんだったら回んないでいいなって思っちゃってるのはあるんですよね。
できる範囲のほうでやりゃいいやと思ってるんで。
多分ティーチャー、ティーチャーとの違いは、
目指すところがあるかどうかみたいなのが結構違うわけかもしれないですね。
より良い環境みたいなのって、今も別に悪いわけじゃないし、
良ければ良いほどいいけど、
何かどこかに到達せねばみたいなことを思ってるわけじゃないみたいな。
なんかそこは結構スタンスの違いはあるなーって今話し聞きながら感じましたね。
ちょっと見えてきました。
善意の二つの意味とメリット・デメリットの捉え方
カンタさんもPTAの活動が自分の幸福にも返ってくるみたいな実感を持ってやってるわけじゃないですか。
僕もティーチャー、ティーチャーの活動はだいたいそうなんですよね。
なんか善意とか、すごい立派な人みたいな見られることがあるかもしれないですけど、
別に自分がそうすることが楽しいし幸せだからやってるっていうことではあって、
なんか善意だけじゃ続かないよねーに、
お金稼げないと続けられないって意味と、
その人にとってのメリットがないと続かないっていう2つの意味があるっていうのが理解できた。
確かに。PTAとかでよく批判されるというか、
例えばそもそもPTA入らなきゃいけないんですか?みたいなこと言われたときに、
何かメリットあるんですか?とか言われるんですよね。
で、メリットはさっき言ったような、
子どもたちにとってより良い環境を作るっていうことに貢献するっていうことをメリットだと思えばメリットだし、
関係ねえやってるんだったらメリットじゃないですって話なんですよね。
じゃあデメリットあるんですか?って言われたらないんですよ。
別に入っても入んなくてもね。
入んなくてもデメリットは別に。
学校とかにもよりますけど、うちの学校の場合全くなくて、
子どもたちに対する扱いはすべて公平平等にするって、
それは当たり前のことなんですけど、
やってるんで、その非会員とかPTに入ってない家庭の子どもでも別にPTがあることによる恩恵があればそれを享受できてるから、
入んなくても別にデメリットはないんですよね。
でもなんかそもそもメリットデメリットじゃないなと思ってるみたいなね。
でもそれって上位の目的というか、子どもたちにとってより良い環境を作れたらいいよね。
そこに自分のできる範囲で貢献できたらいいよねっていう感覚があるかないかみたいな違いだなと思って。
それを善意と呼ぶのであれば、善意があれば続くと思うんですよ。
続きますね。
善意と金儲けの関係性:目的と手段のレイヤー
僕が地域の活動に感じてるのはそれかもしれないですね。
別に分かりやすいメリットというより、そこに関わってることに幸福感があるっていうメリットがあるみたいな。
なんかそういうことですよ。
で、なんかお金がないと続かないはそうだけど、善意だけで続かないと別に僕は相反してないと思ってて、
さっき言ってたみたいに、善意で続けるためにお金が必要だったら、善意を実行するための手段じゃないですか。
だから、受験に合格するためにちゃんと睡眠をとるみたいなことと一緒だと思うんですよね。
だから別にそこは相反してないなと思っているんですけど、
そこがトレードオフのように言われるっていうのは、その人にとって、
善意とお金儲けっていうのがすごく遠くにあるんでしょうね。
善意とお金儲けが遠くにあるんじゃないな。多分同じレイヤーにあるんだと思うんですよ。
はい。
だからトレードオフになるけど、善意を成すための手段でお金儲けって考えれば、目的と手段っていう違うレイヤーになるじゃないですか。
だから別にどっちもだよねってしかならないみたいな。
はい。
イメージわかります?
イメージわかります。
そうだから受験のさっきの例でいくと、勉強時間と睡眠時間は確かにトレードオフなんだけど、
合格と睡眠は別にトレードオフじゃないじゃないですか。
はい。
みたいな違いがある気がする。
うん、なるほど。
だから善意だけでは続かないのを、
課題設定がそもそもレイヤーが違うなって思ってあんまりしっくりきてないのかもしれない。
だから僕も善意だけでも続くなっていうのが思ったことでしたね。
パッションとしての善意:継続の原動力
僕なんか善意とちょっと違う言い方で、こうパッションって言ってたりするんですけど、
パッションがないと続かないし、パッションだけじゃない、続けるのってパッションしかないと思ってるんですよ。
うんうん。
何か物事を続ける。
なるほど。パッションだけじゃ続かないではなく、普通にパッション。
でしか続かないっていう。
でしか続かない。
まあそれって、まあそれをね、いろんな執着とか執念とかいろんな言い方で言い換えてもいいと思うんですけど、
やっぱ物事って何でもそうですけど、うまくいかないことの方が多いじゃないですか。
はい。
で、うまくいかない時、なんかこれどっかでも話した気がするな、まあいいや。
うまくいかない時って、
まあこうこうこうだからこれってうまくいかないよねって割と理由つけられるじゃないですか、うまくいかない理由って。
はいはい、もう無限に出てくる。
無限に出てくるじゃないですか。
はい。
なんか別に、だからやめようって、論理的に正しく無限に正当化できるじゃないですか。
うん。
でもそれを続けようとか何とかしようって思うっていう、なんかそこの何とかしたいと思うっていうところがないと、
なんかうまくいかないことが1個あったらすぐやめようになると思うんですよね。
で、何とかしたいと思う何かってパッションだなとか情熱だなと思うんですけど、
でそれをまあここで言うと善意と言い換えでもいいかもしれないですよね、このソーシャル文脈では。
なんかパッションとしての善意みたいな。
うん。
みたいなものが、ずっとその火を燃やし続けてないと、うまくいかないときにすぐにもう折れちゃいますよね。
だから逆に言うとここで言うと、まあなんか異常な熱意みたいな意味での善意がないと続かないと思うし、それさえあれば続くと思っている。
確かにな。
まあそうですね、あのそうですね、僕らもすごい何回か、マジでお金ヤバくなったらどうするかみたいな話を立ち上げ当初はずっとしてて、
ティーチャーティーチャーの継続要因とパッション
まあある程度実家に帰ってこういう生活をしながらだったらまあ続けられるかみたいな感じの話をしてたんで、善意だけですね、続く要因は。
だと思うし、まあそれはパッションとか熱意とか執着、その善意って言っている、まあその不登校の問題を解決したいみたいなものを、
まあなんか僕はパッションだなと思って見てるんですけど、善意と読み換えてももちろんいいと思うんですけどね。
だからそこに異常な執着があるから続いてるし、2年続けられてるわけじゃないですか。
うん。
で、なんとなくいいことだからやろうみたいな、いいことだからみたいな、その自分の中にこうパッションがなく、ただこう、
そういう何だろうな、気上の空論で思ってやってたら、多分最初の1ヶ月でやめてると思うんですよね。
なるほど。
うん。
まあなんかそういうことかもね、善意だけでは続かないっていう人の善意って。
うん。
分かりました。
「いいことだから」という善意の限界と情熱の重要性
うん。
なんかいいよねっていう。
いいことやってるねみたいな言われるじゃないですか、ティーチャーティーチャーのことを紹介すると大体。
はい。
それぐらいの善意だと確かに続かないかもしれなくて。
なるほど、そういうことか。だから、例えば僕が道の清掃をやってるみたいな、善意でやってますみたいな人を見たときに、
それ続くんだろうかって思うような感覚が、はたからみたいなティーチャーティーチャーにもある。
うんうんうん、だと思う。
けど、その道を掃除してる人もめちゃくちゃ強烈なロジックがあって、
今この道を自分たちが掃除することにこんなに意味があるんだみたいなのを思ってやってたら、続く。
だからその道が汚れてるのはこんなにすごく不快なんだみたいなことかもしれないけど。
だったら続きますもんね。
確かに。
この道が汚れてもう夜眠れなくなるんですっていう人だったら、まあ続くじゃないですか。
はい。
みたいなことかもしれないですね。
善意っていうときの、なんかそこの裏にある執念とか情熱、パッションとか執着みたいなものの、
なんかそこの濃度が全然違う話をされてるからピンとこないんじゃないかな、もしかしたら。
なるほど。
情熱がもたらす継続力と応援の理由
うわー見えた、見えました、今回も。
よかった。
ちょっと僕がアジェンダ設定を甘すぎたんで、ちょっと会話がどうなるかって感じでしたけど。
善意っていうものの見え方が人によって違うんだな、そんなに。
ね、今話してて思いました。
でも確かに、確かにさっきの道を掃除するとかは分かりやすいですよね。
旗から見たら続かないですもんね。
僕もでもやっぱり、これって何事も、情熱と言い換えると何事もそうだなって思うんですけど、
パッションない人って何もしたくないんですよね、仕事とかも。
僕はやるからにはやっぱりちゃんとやりきりたいとか、自分なりにパッション持ってやりたいと思う。
上手くいくまで何とかしたいと思うわけですよ、それを。
でもなんかパッションない人ってやると上手くいかないのすぐ諦めちゃうから、何だったんだみたいになるんですよね。
僕がティーチャーティーチャーを応援しているのもそこにパッションをすごく感じているからだし、
それがあるからずっとね、お金的にはずっと苦しいじゃないですか。
横で見てたまに相談を。
でもようやくなんとかになりそうな気配があります。
でも2年いつ潰れるかわかんないみたいな綱渡りをなかなかできないですよ。
なかなかできないっすね。
半年ぐらいでこのモデルはあんまり持続可能じゃないと思うとか賢い人が言いますもん。
言いますよね。
なんならポッドキャスト始めてから3年これやってますからね。
そうか、そうかね。
会社化する前もう1年、コンコンの準備期間1年あった時から。
なんで3年やってますもんね。
それはね、やっぱり続かないですよ普通。
そうっすよね。
全員だけでは確かに続かないかもしれないですね。
全員の上に異常なパッションとか執着がないと続かないんじゃないですか。
それだ。
地域活動、お坊さん、宣教師に見るパッション
それを見ていきましょう。
さっきのね、地域の人も多分地域を良くしたいっていうことにある程度の情熱とか執念とか執着があるから続くんだと思うんですよね。
あとお坊さん、お寺のお坊さんと一緒にコンコン広げていけないかみたいな話ちょっとしてて、どうなるかわかんないんですけど。
それも異常ですもんねパッションがお坊さんってその、この仏様の教えを広げようっていう。
メタリとかね。
本当にそれがパッションってことですね。
少し前では宣教師とかもそうだと思うんですけど、少し前時点では何百年か前だと思います。
そう思いますけど、はい。
そうだな。
その全員の裏にあるパッションなんだなっていうのはちょっと話しててすごい思いました。
確かに。見えた。ありがとうございました。
まとめと次回の予告
なんか着地した感じしますね、一応ね。
はい。ということでまた次回もお楽しみください。
はい、次回も会議していきましょう。ありがとうございました。
ぜひお便りもアジェンダ送っていただけたら嬉しいです。
はい、お願いします。
35:00

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