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022 はじめてのカタカムナ 自分を取り戻すヒント [2026.8.28放送]
2026-09-07 30:00

022 はじめてのカタカムナ 自分を取り戻すヒント [2026.8.28放送]

インタビュアーのMacott(マコット)です。
【自分を取り戻すヒント】


今週の放送は、自分を取り戻すヒントが満載のお話です!


「〇〇ちゃんのママ」として過ごす毎日の中で、ふと「私って誰だっけ?」と感じることはありませんか?

16年間専業主婦として家庭を支えてきたあっこさんが、「サヌキ(男性性・リーダーシップ)」と「アワ(女性性・受け入れる力)」の役割を使い分けるうちに自分を見失ってしまった経験を赤裸々に語っていただきました。


カタカムナでは、育児などのために自分を横に置いて全身全霊(100%)を注ぎ込むことは、非常に美しく重要な経験であると捉えています。


自分を取り戻すための重要なポイントは、その時期が過ぎた時に、その役割に執着せず手放せるかどうか


役割を終えるタイミングが来たとき、それを直感的に察知し、軽やかに手放すことが、新しい自分としての生き方を楽しくする鍵。


さらに、「優れたものは外からやってくる」という思い込み


私たちは学校で「漢字が伝来し、それを崩してひらがなが生まれた」と教わってきました。

しかし、そこには「外来のものが立派(マナ:真名)」で「日本古来のものは不完全(カナ:仮名)」という無意識の上下関係が隠れているかもしれません。


文字としての意味に縛られず、「音(響き)」に立ち返ることで、日本本来の豊かな精神性が見えてきます。

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サマリー

このエピソードでは、カタカムナの思想を通して、自分自身を取り戻すためのヒントが語られます。特に、育児などで家庭を支える役割に没頭し、自分を見失ってしまった経験を持つあっこさんが、自身の体験を共有します。カタカムナでは、育児などに全身全霊を注ぐことは美しい経験と捉えつつも、その役割が終わった時に、その役割に固執せず手放すことが、新しい自分を見つける鍵であると説かれます。また、「優れたものは外から入ってくる」という思い込みについても掘り下げられます。漢字が伝来し、ひらがなが生まれた歴史的背景には、外来文化を優位とし、日本古来のものを劣位とする無意識の上下関係が隠されている可能性が指摘されます。文字の意味に囚われず、本来の「音(響き)」に立ち返ることで、日本本来の豊かな精神性が見えてくることが示唆されます。さらに、日本人の「泡(女性性)」の性質が、時に自虐的になる側面や、他者からの評価を待つ傾向に繋がることが分析されます。しかし、この「泡」の性質は、災害時の助け合いや謙虚さといった美徳にも繋がるとして、その豊かさを活かすことの重要性も語られます。最終的に、役割を軽やかに手放し、新しい自分へと切り替えていくことの楽しさや、カタカムナの原理を知ることで、自分自身の状態を理解し、人生をより豊かに歩むためのヒントが提供されます。

カタカムナの思想と自己探求の始まり
You are listening to RadiCro.
はじめてのカタカムナ
この番組は、書籍、はじめてのカタカムナを より詳しく、一つ一つ丁寧に解説していく番組です。
カタカムナを日常にすぐ活かせる形で お伝えさせていただきますので、ぜひ楽しんでください。
ごきげんよう、マコットです。 今週もあっこさん、どうぞよろしくお願いいたします。
お願いします。
先週はね、サヌキアワーのところを 事例も交えてかなり突っ込んで教えていただきましたので、
すごい分かりやすかったんじゃないのかなとは 思いますよね。
今週もどんどんどんどん深く深く、 そして実践に使えるような、
そういうところをまた教えていただけると すごくいいのかなと思いますね。
そうですね、ぜひぜひ。
では今週もよろしくお願いいたします。 ありがとうございます。
はじめてのカタカムナ。
ではあっこさん、よろしくお願いいたします。 ありがとうございます。
「優れたものはよそから入ってくる」という思い込み
前そうですね、コトムエ系合わせた おじいちゃんのところね。
あのおじいちゃん、包丁を手に持って暴れるような、 そういうおじいちゃんが最後に愛してるよ。
響きますよね。
そう、やっぱりそれで共感してくださる方 とっても多いので、
やっぱり今お見送りのこともすごく多いですし、
酸素マスクガッと外してっていうね、 おじいちゃんは本当の話なんですけども、
やっぱりうちのおばあちゃんはおじいちゃんに 非常に愛された幸せな女性だった。
最後に一緒だけでもね。
思えるかどうかって本当に子どもたちの 夫婦関係とか自尊心とか、
いろんなところに関わってくるんだな っていうのはね、とっても思ったりとかするんです。
意外に子どもたちって見てますもんね、 親のこと。
そうですね。
次、優れたものはよそから入ってくるのか? っていうとこ。
101ページです。
こうした響きで伝わる大和言葉に対して、 漢字というのは漢の字なのでね、和の字ではないのでね、
中国語を表すための漢民族の字で、 確かに和の字とは書きません。
その漢の字が本当のという意味を持つ マナって呼ばれてたんですって。
それに対するカナなんだって。
そういう意味なんですね。
日本でも紅葉文章は漢文で書かれていた 時代もあったし、それに対してカナは仮のと書くから、
しかも平仮名の平は平たく簡単な という意味でもありますが、
平社員とか平凡なっていうのに使われるように、 ありふれてるとか大したことないみたいな。
っていうイメージもあります。
確かに学校でも平仮名では評価されず、 漢字をたくさん知ってる方が賢いっていう。
そうですよね。
そもそも小テストとかそういう範囲になってますし、
またカタカナに音が近いカタカナに至っては、
片一方のという意味であり、 完全ではないという漢字するじゃないですか。
そうですね。
作りとか編とかの半分のっていう風に。
片っぽのだから。
外から漢字が入ってきて、それを簡単にしたのが 平仮名であって、崩したやつね。
なるほどね。
で、それをさらに簡略化したり、 一部を取ったものがカタカナなんだっていう風に、
国語や社会の私たちは教わってきました。
そのように習うので、私たちは優れたものは 外から入ってくる。
その流れてきたもので、私たちは生活、文化を育んでいると、
なんとなく思い込んでるとこないでしょうか。
そうですよね。思います。
で、言葉に関して男性的、女性的という見方をしてみると、
漢文の時代はまさに男性的。
女の人はまず近代に至るまで教育の機会もなかったから、
女性はそれを崩して平仮名で書くっていう。
だから和歌や短歌を平仮名で書く。
なるほど。
なので、女の人がそうするんだったら、 僕もしてみようかなみたいな男性もいたわけじゃないですか。
で、それがね、なんかオシャレみたいな感じで、 女性ちょっともてはやされるみたいな。
江戸時代とかそういうジェンダーに関して めっちゃ寛容だったりとかもありましたから、
男だけど平仮名で書く、女だけど漢語でね、 っていうの逆もあったりしたんじゃないでしょうか。
それはやはり、今まで長い間狭抜きの時代だった ということともリンクしているのです。
平仮名が女性的、漢字が男性的っていう分け方ですね。
で、もともとの音に漢字が当てられた。
で、全国各地の神社とか訪ねると、
例えばすさのおさんレベルの有名なメジャーな神様であっても、
場所によって漢字の表記が。
なんでこれ違うのかなと思ってたんですよ。
で、だから本当に漢字がある方が立派っていう考えは、
お名前、苗字をね、太刀、苗字太刀とかもそうですけど、
うちの大事に見守ってくださっている神さんにも 立派な漢字をつけて差し上げようっていう。
そういうことか。
良かれと思ってね、おじさんたちが町内会とかで集まって、
で、当てたんでしょうねと思うわけですよ。
かっこいいじゃん、この方がみたいな。
よろしくみたいな。
古いですね。
漢字の当て字と本来の音
例えばね、文化だなと思うんですよ、あれも。
いざなぎいざないみっていう、いさっていう漢字もいさいさいさ。
いろんなね、土地そうですよね。
この間、どこだっけな、なんか山口県とか長州とか行った時に、
羽生っていう土地があったんだけど、で、同じ羽生っていう音が、
淡路にもあるんだけどね、全然違う漢字が当てられてるわけですよ。
で、もう淡路のね、羽生っていうのなんか、土が生まれると書くのよ。
無茶じゃない。
当て方として。
でもね、港なんですよ。
で、そこの山口の方も港だったの。
ってことは、羽生?
羽生空港とかの羽生。
だからもうシンガポール、長城空港と一緒なわけよ。
ハブになってて、こっから出たり入ったりする情報とかものとかが行き来する、
ハブかー!って思ったわけ。
だから、もともとの音は一緒なんじゃないかって、それもね、
そういうのをね、たどって歩いてて楽しいわけですよ。
で、たくさんのバリエーションが漢字だと合っちゃうから、
思えば、昔はそれこそインターネットで検索とかLINEで共有とかできないから、
おそらくこの漢字がふさわしいんではと各地で決められたことの違いが、
今ではグーグルマップとかでガーって出てきちゃう。
で、またヤマ太国とヒミコについては教科書に出てくるので、
これは日本だけではなくて、他の国でも同じような変な漢字が当てられちゃってるんだけど、
例えばヤマ太国っていうのは字をよく見たら、邪悪な馬の代って書いてるし、
で、ヒミコに至っては癒やしい人。
でもね、もう無意識なんですよ。
そういうのいろいろ分かんないうちに教科書に出てきて丸暗記してるから、
なんかそこに違和感を持ってない。
でも、ところが日本にはヒノミコっていう地名や親城は残ってて、
これはお日様の太陽のお子さんとか、で、氷を見るって、
ヒミ神社とか、関東には多かったり、
で、炎の火のお子さんとか、ミコさんですよね。シャーマンですよね。
と書かれていたりします。
ですから元の音で言えば、火とか炎とか太陽のお子さん、
シャーマンみたいなのの意味が本来なのではないかと思ったり。
そうかもしれないですよね。そう考えると。
だからよく言う聖徳太子って役職名だったんじゃないかとか、
で、カタカムナにはアシア党案って出てくるんですけども、
その悟りを得た人とかね、昇格を得た人みたいなことを、
そういう親倉割りができる人があちこちにいたとも言われてますよね。
ヒミコさんが例えば近畿にいるのか九州にいるのかっていうと、
どっちもいたんじゃないみたいな。
その説の方がいいですね。でもそうかもしれないですよね。
それは結構ね、日本でと広いからね、
そういう突出した才能の女性なり男性なりがいても全然おかしくなかったんじゃないかと。
だって本当に火って太陽のようとかね、その辺の火の巫女だったら、
神様からの思いを下ろしてくる巫女とかだったらいてそうですもんね。
ですよね。昔で言うとそれこそ感抜が続いてるから雨漕いをするとかね。
あの子がやったら雨降るみたいなのって結構いそうじゃないですか。
いそうですよね。
まあそういった感受性なりの持ち主みたいな感じで言うと、
本来なのではないかとその方が。
そしてヤマタイはヤマトとして見れば、
ヤオロズの間を時間や空間をね、
溶け合い統合させるようなところっていうのがカタカムナで見れば音自体の意味合いになるから、
私自身も教科書に書いてあることを最初覚えたので、
その漢字を何にも考えずに暗記したのはそれも残念だったなと後になって思っております。
言葉の裏表と「天」の意味
そういう意味ではこれ海外の方が日本に来ていろいろ話を聞いて、
それを持ち帰って文章にした時に、
多分この敵国だからこういう漢字を当てはめたみたいな感じ。
それは本当に他の国にもそういう漢字が当てられちゃってるからね。
日本だけが同行ってことではないんだけど、
わざと落としめるような漢字みたいな。
でもね、他の国がやったっていうよりかは、
とっても大事な言葉ってやっぱり戦中戦後とかもあれなんだけど、
わざと落としめるような漢字が当てられてるっていうことって結構あったりするので、
裏も表もあるというかね。
例えば天って言おうとここにも書いてますけど、
天とも書くけど雨とも書くしとかね。
でも女とも書くじゃないですか。
あらゆる天に存在するってことだから、
海はどこにでもあるし、
それこそ天はどこに逃げてもあるじゃないですか。
女性もどこにでもいるっていうことだったり、
でもこの天とかって怒る時とか、
悪い人とつるんでるとか言うじゃないですか。
でもつるむとかつむぐってすごく大事な、
集うって、仲良くする、親和するっていうことだからすごく大事なんだけど、
裏にも表にも使われちゃう。
わかりやすく言うと、例えば貴様って言うじゃないですか。
でもめっちゃ丁寧なんですよ漢字見ると。
そうですよね。
高貴なあなたみたいな感じになってるとかね。
どっちもに使われたり、文化的にちょっと違う使い方をすると、
おしゃれみたいになるのもずっとあったと思うんですけどね。
ついでに言うと、天って天ねくまに存在するのが女だということで言いますと、
地方の活性化、加速化とか高齢化とか、
いろいろ今皆さん興味持っていらっしゃると思うので、
地方が存続できるかどうかっていうのは、
出産可能な女性の人数で決まるから、
35とか40歳までとかで決まっていくので、
ということはですね、人がいるところ女がいるわけです。
女がいないと人がいない。
だから部族とか国の間の争い事が多かった時は、
大体敵国の女子供を奪うじゃない。
女にはこっちの子供を産ませるじゃない。
で、子供はこっちの言葉を喋らせるじゃない。
そういう風にして国土を広げていくとかね。
広い方が偉いみたいなのが、やっぱり狭抜きの世の中だったのかなっていう。
なるほどね。
「奪うべき島」というカルチャーショック
なんかね、それこそグアム島とかに行った時に、
当然現地にも先住民族の方とかいられる、おられるのでね。
グアムっていうぐらいだから、ムーとカタカムナのムーと関連があると思って、
その時も行かせてもらったんですよ。
でもなんかね、すっごいスコールが降って、
なんか観光行こうと思ってたルートが遺跡に行けなくて、
結局は戦時中の記念館みたいなとこ。
日本、グアム近いから行ったことある人多いかもしれないけど、
そこに行ってね、15や16の少年が頑張ってたことなんだって。
彼ら悪くなかったって一生懸命言ってあげてくれって、
その時のガイドの人が本当に、来る人来る人そういう風に言ってたんだと思う。
あんたたちは悪くないよって言ってやってくれって言って、
私お線香あげたりいろいろしたんですけど、
その時にね、戦時中のスローガンってね、
我々にはまだ奪うべき島がある。
えー。
えーって思ったんです、その時。
やっぱ島ってほんと陣取りゲームだったのねと思って。
なんかこうゲーム感覚で、
どんどんミクロネシアやポリネシアの島って、
これはうちのだ、いやまた取られたみたいな風にやってたんだなって。
それがやっぱりイサヌキ原理の世の中だったんだなって。
結果文化や文明や言語がなくなっていって、
今があるのかなっていうのは、
なんかすごいカルチャーショックというか、
奪うべき島ってあんた。
住んでんねんで誰かみたいな。
独自の文化があって、独自の食べ物があって、
みんな幸せにほっこり暮らしてる、
アマゾンの原住民とかどこでもね、
そういうものを奪うか奪わないかみたいな考えが、
本当にあったんだなーっていうのがあちこちでね、
びっくりしますよ。
いまだにそれが起きてるっていうのはね。
そうですよね。
日本人の「泡(女性性)」の性質と自己評価
どうやわしていったらいいのかっていう。
で、土壌的に泡が強いのかっていうところね。
103ページなんですけども、
優れたものはよそから入ってくるっていう感覚も、
日本は水穂の国と呼ばれるほど森林が7割ですよね。
日本かフィンランドかっていうぐらい豊かで、
山があるってことは水が綺麗で豊か、美味しい。
その四季の移ろいがある土地に住まう人たちは、
そもそも土壌的に泡が強いからなんだろうと思ってるんですよね。
その一つの例として日本ではなぜか、
逆輸入のものが好まれるように感じたことがあったので、
よく言うんですけど、全米が泣いたって言うと興味持つみたいな。
そうですね。
なんで全米が泣いたら見に行きたくなるのかなって。
よくよく考えるとおかしいんですけど。
豆腐や味噌、和食が健康的だって。
最近で言うと昆布茶とか抹茶が人気とかそういうのもありますけど、
健康的だと言われ見直されてきたことは、
西洋からの発信がきっかけで、
例えばマクガバンレポートっていうのがあったりとかして、
マクロビオティックとか霊気とかも、
海外でこれすごいってなったので、改めて日本に浸透するんですよ。
諸外国で承認されてるんですよっていうのがすごく説得力がある。
すごい独自だなと思って。
このように外からの評価を受けて初めて自己評価が上がるっていうことは、
まさに泡の質なんですよ。
自分が最初から根拠なきゃ自信とか持ってないんですよ。
いや誰々さんも誰々さんも誰々さんもこういうふうに言ってくださってるから、
もしかして私ってこういう長所あるのかしらみたいな。
すごい謙虚ですね。
でも国ごとそうなんですよ。
えー本当?みたいな。
日本は全体的に男女関わらず、泡イコール、女性性が強いんではと思ったんですよね。
そうかもしれないですね。そう言って言われると僕も納得感があります。
だからある先生が国玉ってことをおっしゃってたんですね。
例えばインドの国玉、国が持っている国全体のキャラクターとかスピリットみたいなのが、やっぱり精神性に向かいがち、例えばインドはね。
で、日本の場合はやっぱり祭祀民族だって言ってたんです、その先生は。
だから祭りごとを非常に大事にして、歌ったり踊ったりっていうことも各地にまだまだね、残っているものがありますし。
で、四季折々にその土地の神様をお祭りしてお祈りをするっていうのが非常にナチュラルになじんでいる。
まあその国のキャラクターって確かにあるなと思うんですよ。
「泡」の性質がもたらす自虐と謙虚さ
で、この泡が裏目に出ると自虐的になるっていうのが104ページですけれども。
で、いいことなんだけど、このカタカムナでは泡は裏目に出ると自虐的になると言われていて、
どっちからといえば内向的で、まあよくありますよね、若い子が知ってるMBTIとかしてます。
で、IかEか。
性格診断のやつですよね。
そうそう、イントロバーとかエクストロバーとか、だから外向的か内向的かっていうと、泡は圧倒的に内向的なんで、
で、自分なんてっていう自己比喩とか、自己の価値を認めにくい傾向があるのかもしれず、
けれど女性性が強いともちろんいい面もあって、災害時も比較的穏やかに助け合えたりとか、
ちゃんと列並んで誰も怒らないしとか、暴動など起きずに秩序が保たれるっていうことなどはよく評価される点で、
また日本では道を歩いていて海外の方に道を聞かれたら、できるだけ相手に伝わる言語で答えてあげようとするし、
せっかく訪ねてこられたんだから分かるように答えてあげたいという気持ち、それがいわゆる謙虚さでもあり美徳だと言われますが、
答えられないと私の勉強不足、自分を責める。なんで?みたいな。
自国で暮らしてるだけなのに、個人域低すぎない?っていうのですね。
反対に日本人が海外に行った場合には逆のパターンは考えにくいんです。
ワールドカップとかそうですけど、フランスやパリで道を聞くとしたら日本語で返してもらおうとは、こちらもまず期待してない。
向こうは当たり前に別に誇りを特に持ってるっていうのはあるけど、フランス語で答えて普通じゃない。
フランス語に触れられてラッキーねあなたぐらいの感じ。そこまで言うのはあれだけど。
泡が自虐的になる感じはPTAでどなたか代表で挨拶お願いしますって言うと、でも手を挙げない。
そういうことは真子ちゃんなんかわかりやすいと思うけど、ご質問ありますかって言うと誰も挙げない。
あれが普通日本のデフォルトなんですよ。目立つのが苦手。自信がない。こんな質問していいのかなとか。
他にも質問した人いるんじゃないかなとか。この遠慮が泡な性質の一例だったりしますし、
ただこれからの時代にはこういった泡性の豊かな人たちにこそ命の方向性を示す感覚を取り戻していってもらうことが大切になってくると思っております。
本当にそうですよね。
役割の使い分けと自分を見失う経験
そうなの。この辺エピソードで話することがいっぱいあるんだけど、ちょっと本には書けなかったみたいなことが。
例えば私、子供は3姉妹だから、お家でね、パパが帰ってない夕方の時点では、
宿題したんとか、スイートを出しといてよっていうのは、やっぱりリーダーシップを取るっていうのを私がやるわけですよね。
ほんまやなみたいな子供たちが追々するっていう意味では、役割としては私がリーダーシップを取る狭抜きをやるわけなんですけれども、
そこにパパが帰ってくるじゃない?そしたら、身体的にも狭抜きが帰ってくるわけだから、これは主ですよね。
そうなると、ご飯食べたとか、こっちは泡に回るわけですよ。役割として。
ところが、ここで私PTAで役員やってました。
他のお母さんから近所で書類が回ってきます。ここに承認してハンコもらえます?ってなったら、でもこれちゃうんちゃう?みたいな感じで、
今度は判断をするとか、リーダーシップを取るっていう狭抜きをやっていくでしょ。
その狭抜きの役割をまたやりだしたところに、例えば、おしゅうとめさんが来て、
どこどこ行ったんやけど、このお土産持ってきたよって言って、いつもすいません、ありがとうございますみたいな、また立場としてはリーダーに追々する泡の役割に転ずるわけ。
で、あっちこっち合わせているうちに、お母さんたちはよくありがちだけど、自分を見失うのね。
私誰だっけ?みたいな症状が出るのが、子供たちが低学年、高学年ぐらいになったときに、誰々ちゃんのママとしか呼ばれてないとかさ、
よくあるじゃん。だから、4,50代でみんな自分探しの旅に出るのね。
で、私もそうだったなって思うんですよ。
自分が… 自分が高校さんもそういう風になってたってことですか?
そうですそうです。だから、何かやろうとも思ってなかったから。
子供たちが何とかなるまでは家にいるしかないと思ってたんで、16年ぐらい、本当に専業主婦させてもらってた。
っていうのは、家に入れるからいたっていうよりも、仕事したほうが良かったとは思うんですけど、稼ぎとしてはね。
やったほうが良かったんだろうけど、物理的に、日本って、たとえばベビーシッターとかさ、
カジ、スイジをアウトソーシングしようとすると、コスパが悪いのすごく。
結果、嫁がやるのが一番コスパがいいじゃんっていうことになって、しょうがないなと思ってお家にいたので、
やっぱりよく分かんなくなってきちゃったんですよ。私何がやりたかったっけ?誰だっけ?って。
で、板垣明子っていう名前だけど、成影明子って誰だっけ?ってなったのね。結婚する前の。子供生まえの。
それを探しに行かなきゃってなったのが、一番下の子が小学校2,3年ぐらいの時でしたね。
自分をこの辺で取り戻すとかないと、うまく逆にもあってかないみたいな。
あの頃から取り戻し始めれて、めっちゃ良かったなと思うんですよ。
今の若い子たちもっと賢いから、育休とか産休とかを取って、失わないように端っこ持ちながら、
例えば今だったらインスタとかで仕事できたりとかさ、細々とするじゃないですか。
ちょっとダウンサイズしたとしても、また取り戻していけるキャリアみたいなのを上手に考えてる人。
これがダメでもこれみたいな副業とかも、ちゃんと考えて今の子たちはやれてるなと思うんです。
でもボリュームとしては、やっぱり段階ジュニアの世代とかが多かったりするから、
失われた30年のその辺の人は、やっぱり見失っちゃってたんだと思う。
見失っているお母さんたちを見てきている子どもたちが、これから世の中に出ていくから。
全身全霊を注ぎ込み、そして手放すこと
時代時代に事情って違いますよね、そうやって。
だからもっと上手にやれる部分もあれば、昔の方が良かったかなっていう部分もあったりするので。
上手に両方使うってことですね。
そういう意味で言ったら、カタカムナのことを知って、自分は今どういう状態なんだろうか。
特にサヌキアは、先ほどあこ子さんもおっしゃってたように、自分が使い分けられたりだとか。
そこに意識を持ってちゃんとできるようになってきたら、見失いにくかったりするかもしれないですよね。
そうなんですよ。これ本当にトリッキーなとこなんですけど、パラドックスが起きるんですよね。
自分のことを全く持って棚にあげて横に置いといて、全身全霊を赤ちゃんのために。
美しいじゃないですか。
それが一旦できるってすごい大事なこと。
これを100%そっちに注ぎ込めるっていうのがすごく大事な経験で、でも取り戻すこともできる。
やっぱり子育て終わって、私の年代だとカラノス症候群って昔言われましたよね。
エンプティーネスターズってアメリカでは言う。
今までの私の人生って何だったの?って。
4,50代になっちゃうみたいな。
全身全霊を100%以上注ぎ込んできたものが、どっかに横取りされちゃうんですよ。
それかも、どっかの女の子に息子取られちゃうとかさ。
どっかの男に娘さらわれちゃうとかさ。
健全なこととしてそれ起きるわけですよね。
え、でもそしたら私今まで何やってたの?みたいな。
なりがちなんだけど、この100%明け渡すことができたっていうのが素晴らしいんですよ。
なるほどなるほど。
自我をいつまでも端っこに執着していて手放せないっていうのが、
これはやっぱり新しい切り替えができないっていう執着にも当たってしまうので、
その時が来たならばそれを生命の勘でもって全部手放せるっていうのが、
すごく生き方が楽しくなる鍵なのかなと思ってるんですね。
これは子供たちを完全に手放す時が来たなとか、
今は仕事に全振りするべきだなとか、
そういうのを警戒に切り替えていけるっていうのが、
やっぱり女性であることの楽しみでもあると思いますし。
でもうちなんか娘たちだからね、
やっぱりパパの持つ娘を手放す苦しみってね、
なんかね、お母さんたちも息子ラブなのよね。
息子の方に関心があるわけ。旦那よりも大体において。
可愛いよね。愛しやすくて。
だけれども、お母さんってどうやっても子供との絆ってなくならないですよね。
だから息子を手放すって言ってもそんなに辛くなかったり。
でもお父さんってそこまでの絆があんまり作れてない場合が多いから、
娘手放すのってお辛いんだなっていうのって、
いろんな方のお話聞いてて思ったり。
そこを狭抜き合わでね、いろいろ考えれるんで。
ぜひね、こういう考え方のヒントみたいなのを持って、
人生を歩んでいただけるといいのかなと、改めて思いましたね。
その切り替えていくにも、この原理があるとすごく楽になれるかと思うんで、
シェアしていきたいと思います。
カタカムナの原理と人生の楽しみ
また深く深く教えてください。来週もよろしくお願いいたします。
ありがとうございました。
30:00

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