前そうですね、コトムエ系合わせた おじいちゃんのところね。
あのおじいちゃん、包丁を手に持って暴れるような、 そういうおじいちゃんが最後に愛してるよ。
響きますよね。
そう、やっぱりそれで共感してくださる方 とっても多いので、
やっぱり今お見送りのこともすごく多いですし、
酸素マスクガッと外してっていうね、 おじいちゃんは本当の話なんですけども、
やっぱりうちのおばあちゃんはおじいちゃんに 非常に愛された幸せな女性だった。
最後に一緒だけでもね。
思えるかどうかって本当に子どもたちの 夫婦関係とか自尊心とか、
いろんなところに関わってくるんだな っていうのはね、とっても思ったりとかするんです。
意外に子どもたちって見てますもんね、 親のこと。
そうですね。
次、優れたものはよそから入ってくるのか? っていうとこ。
101ページです。
こうした響きで伝わる大和言葉に対して、 漢字というのは漢の字なのでね、和の字ではないのでね、
中国語を表すための漢民族の字で、 確かに和の字とは書きません。
その漢の字が本当のという意味を持つ マナって呼ばれてたんですって。
それに対するカナなんだって。
そういう意味なんですね。
日本でも紅葉文章は漢文で書かれていた 時代もあったし、それに対してカナは仮のと書くから、
しかも平仮名の平は平たく簡単な という意味でもありますが、
平社員とか平凡なっていうのに使われるように、 ありふれてるとか大したことないみたいな。
っていうイメージもあります。
確かに学校でも平仮名では評価されず、 漢字をたくさん知ってる方が賢いっていう。
そうですよね。
そもそも小テストとかそういう範囲になってますし、
またカタカナに音が近いカタカナに至っては、
片一方のという意味であり、 完全ではないという漢字するじゃないですか。
そうですね。
作りとか編とかの半分のっていう風に。
片っぽのだから。
外から漢字が入ってきて、それを簡単にしたのが 平仮名であって、崩したやつね。
なるほどね。
で、それをさらに簡略化したり、 一部を取ったものがカタカナなんだっていう風に、
国語や社会の私たちは教わってきました。
そのように習うので、私たちは優れたものは 外から入ってくる。
その流れてきたもので、私たちは生活、文化を育んでいると、
なんとなく思い込んでるとこないでしょうか。
そうですよね。思います。
で、言葉に関して男性的、女性的という見方をしてみると、
漢文の時代はまさに男性的。
女の人はまず近代に至るまで教育の機会もなかったから、
女性はそれを崩して平仮名で書くっていう。
だから和歌や短歌を平仮名で書く。
なるほど。
なので、女の人がそうするんだったら、 僕もしてみようかなみたいな男性もいたわけじゃないですか。
で、それがね、なんかオシャレみたいな感じで、 女性ちょっともてはやされるみたいな。
江戸時代とかそういうジェンダーに関して めっちゃ寛容だったりとかもありましたから、
男だけど平仮名で書く、女だけど漢語でね、 っていうの逆もあったりしたんじゃないでしょうか。
それはやはり、今まで長い間狭抜きの時代だった ということともリンクしているのです。
平仮名が女性的、漢字が男性的っていう分け方ですね。
で、もともとの音に漢字が当てられた。
で、全国各地の神社とか訪ねると、
例えばすさのおさんレベルの有名なメジャーな神様であっても、
場所によって漢字の表記が。
なんでこれ違うのかなと思ってたんですよ。
で、だから本当に漢字がある方が立派っていう考えは、
お名前、苗字をね、太刀、苗字太刀とかもそうですけど、
うちの大事に見守ってくださっている神さんにも 立派な漢字をつけて差し上げようっていう。
そういうことか。
良かれと思ってね、おじさんたちが町内会とかで集まって、
で、当てたんでしょうねと思うわけですよ。
かっこいいじゃん、この方がみたいな。
よろしくみたいな。
古いですね。
例えばね、文化だなと思うんですよ、あれも。
いざなぎいざないみっていう、いさっていう漢字もいさいさいさ。
いろんなね、土地そうですよね。
この間、どこだっけな、なんか山口県とか長州とか行った時に、
羽生っていう土地があったんだけど、で、同じ羽生っていう音が、
淡路にもあるんだけどね、全然違う漢字が当てられてるわけですよ。
で、もう淡路のね、羽生っていうのなんか、土が生まれると書くのよ。
無茶じゃない。
当て方として。
でもね、港なんですよ。
で、そこの山口の方も港だったの。
ってことは、羽生?
羽生空港とかの羽生。
だからもうシンガポール、長城空港と一緒なわけよ。
ハブになってて、こっから出たり入ったりする情報とかものとかが行き来する、
ハブかー!って思ったわけ。
だから、もともとの音は一緒なんじゃないかって、それもね、
そういうのをね、たどって歩いてて楽しいわけですよ。
で、たくさんのバリエーションが漢字だと合っちゃうから、
思えば、昔はそれこそインターネットで検索とかLINEで共有とかできないから、
おそらくこの漢字がふさわしいんではと各地で決められたことの違いが、
今ではグーグルマップとかでガーって出てきちゃう。
で、またヤマ太国とヒミコについては教科書に出てくるので、
これは日本だけではなくて、他の国でも同じような変な漢字が当てられちゃってるんだけど、
例えばヤマ太国っていうのは字をよく見たら、邪悪な馬の代って書いてるし、
で、ヒミコに至っては癒やしい人。
でもね、もう無意識なんですよ。
そういうのいろいろ分かんないうちに教科書に出てきて丸暗記してるから、
なんかそこに違和感を持ってない。
でも、ところが日本にはヒノミコっていう地名や親城は残ってて、
これはお日様の太陽のお子さんとか、で、氷を見るって、
ヒミ神社とか、関東には多かったり、
で、炎の火のお子さんとか、ミコさんですよね。シャーマンですよね。
と書かれていたりします。
ですから元の音で言えば、火とか炎とか太陽のお子さん、
シャーマンみたいなのの意味が本来なのではないかと思ったり。
そうかもしれないですよね。そう考えると。
だからよく言う聖徳太子って役職名だったんじゃないかとか、
で、カタカムナにはアシア党案って出てくるんですけども、
その悟りを得た人とかね、昇格を得た人みたいなことを、
そういう親倉割りができる人があちこちにいたとも言われてますよね。
ヒミコさんが例えば近畿にいるのか九州にいるのかっていうと、
どっちもいたんじゃないみたいな。
その説の方がいいですね。でもそうかもしれないですよね。
それは結構ね、日本でと広いからね、
そういう突出した才能の女性なり男性なりがいても全然おかしくなかったんじゃないかと。
だって本当に火って太陽のようとかね、その辺の火の巫女だったら、
神様からの思いを下ろしてくる巫女とかだったらいてそうですもんね。
ですよね。昔で言うとそれこそ感抜が続いてるから雨漕いをするとかね。
あの子がやったら雨降るみたいなのって結構いそうじゃないですか。
いそうですよね。
まあそういった感受性なりの持ち主みたいな感じで言うと、
本来なのではないかとその方が。
そしてヤマタイはヤマトとして見れば、
ヤオロズの間を時間や空間をね、
溶け合い統合させるようなところっていうのがカタカムナで見れば音自体の意味合いになるから、
私自身も教科書に書いてあることを最初覚えたので、
その漢字を何にも考えずに暗記したのはそれも残念だったなと後になって思っております。
そうなの。この辺エピソードで話することがいっぱいあるんだけど、ちょっと本には書けなかったみたいなことが。
例えば私、子供は3姉妹だから、お家でね、パパが帰ってない夕方の時点では、
宿題したんとか、スイートを出しといてよっていうのは、やっぱりリーダーシップを取るっていうのを私がやるわけですよね。
ほんまやなみたいな子供たちが追々するっていう意味では、役割としては私がリーダーシップを取る狭抜きをやるわけなんですけれども、
そこにパパが帰ってくるじゃない?そしたら、身体的にも狭抜きが帰ってくるわけだから、これは主ですよね。
そうなると、ご飯食べたとか、こっちは泡に回るわけですよ。役割として。
ところが、ここで私PTAで役員やってました。
他のお母さんから近所で書類が回ってきます。ここに承認してハンコもらえます?ってなったら、でもこれちゃうんちゃう?みたいな感じで、
今度は判断をするとか、リーダーシップを取るっていう狭抜きをやっていくでしょ。
その狭抜きの役割をまたやりだしたところに、例えば、おしゅうとめさんが来て、
どこどこ行ったんやけど、このお土産持ってきたよって言って、いつもすいません、ありがとうございますみたいな、また立場としてはリーダーに追々する泡の役割に転ずるわけ。
で、あっちこっち合わせているうちに、お母さんたちはよくありがちだけど、自分を見失うのね。
私誰だっけ?みたいな症状が出るのが、子供たちが低学年、高学年ぐらいになったときに、誰々ちゃんのママとしか呼ばれてないとかさ、
よくあるじゃん。だから、4,50代でみんな自分探しの旅に出るのね。
で、私もそうだったなって思うんですよ。
自分が… 自分が高校さんもそういう風になってたってことですか?
そうですそうです。だから、何かやろうとも思ってなかったから。
子供たちが何とかなるまでは家にいるしかないと思ってたんで、16年ぐらい、本当に専業主婦させてもらってた。
っていうのは、家に入れるからいたっていうよりも、仕事したほうが良かったとは思うんですけど、稼ぎとしてはね。
やったほうが良かったんだろうけど、物理的に、日本って、たとえばベビーシッターとかさ、
カジ、スイジをアウトソーシングしようとすると、コスパが悪いのすごく。
結果、嫁がやるのが一番コスパがいいじゃんっていうことになって、しょうがないなと思ってお家にいたので、
やっぱりよく分かんなくなってきちゃったんですよ。私何がやりたかったっけ?誰だっけ?って。
で、板垣明子っていう名前だけど、成影明子って誰だっけ?ってなったのね。結婚する前の。子供生まえの。
それを探しに行かなきゃってなったのが、一番下の子が小学校2,3年ぐらいの時でしたね。
自分をこの辺で取り戻すとかないと、うまく逆にもあってかないみたいな。
あの頃から取り戻し始めれて、めっちゃ良かったなと思うんですよ。
今の若い子たちもっと賢いから、育休とか産休とかを取って、失わないように端っこ持ちながら、
例えば今だったらインスタとかで仕事できたりとかさ、細々とするじゃないですか。
ちょっとダウンサイズしたとしても、また取り戻していけるキャリアみたいなのを上手に考えてる人。
これがダメでもこれみたいな副業とかも、ちゃんと考えて今の子たちはやれてるなと思うんです。
でもボリュームとしては、やっぱり段階ジュニアの世代とかが多かったりするから、
失われた30年のその辺の人は、やっぱり見失っちゃってたんだと思う。
見失っているお母さんたちを見てきている子どもたちが、これから世の中に出ていくから。
時代時代に事情って違いますよね、そうやって。
だからもっと上手にやれる部分もあれば、昔の方が良かったかなっていう部分もあったりするので。
上手に両方使うってことですね。
そういう意味で言ったら、カタカムナのことを知って、自分は今どういう状態なんだろうか。
特にサヌキアは、先ほどあこ子さんもおっしゃってたように、自分が使い分けられたりだとか。
そこに意識を持ってちゃんとできるようになってきたら、見失いにくかったりするかもしれないですよね。
そうなんですよ。これ本当にトリッキーなとこなんですけど、パラドックスが起きるんですよね。
自分のことを全く持って棚にあげて横に置いといて、全身全霊を赤ちゃんのために。
美しいじゃないですか。
それが一旦できるってすごい大事なこと。
これを100%そっちに注ぎ込めるっていうのがすごく大事な経験で、でも取り戻すこともできる。
やっぱり子育て終わって、私の年代だとカラノス症候群って昔言われましたよね。
エンプティーネスターズってアメリカでは言う。
今までの私の人生って何だったの?って。
4,50代になっちゃうみたいな。
全身全霊を100%以上注ぎ込んできたものが、どっかに横取りされちゃうんですよ。
それかも、どっかの女の子に息子取られちゃうとかさ。
どっかの男に娘さらわれちゃうとかさ。
健全なこととしてそれ起きるわけですよね。
え、でもそしたら私今まで何やってたの?みたいな。
なりがちなんだけど、この100%明け渡すことができたっていうのが素晴らしいんですよ。
なるほどなるほど。
自我をいつまでも端っこに執着していて手放せないっていうのが、
これはやっぱり新しい切り替えができないっていう執着にも当たってしまうので、
その時が来たならばそれを生命の勘でもって全部手放せるっていうのが、
すごく生き方が楽しくなる鍵なのかなと思ってるんですね。
これは子供たちを完全に手放す時が来たなとか、
今は仕事に全振りするべきだなとか、
そういうのを警戒に切り替えていけるっていうのが、
やっぱり女性であることの楽しみでもあると思いますし。
でもうちなんか娘たちだからね、
やっぱりパパの持つ娘を手放す苦しみってね、
なんかね、お母さんたちも息子ラブなのよね。
息子の方に関心があるわけ。旦那よりも大体において。
可愛いよね。愛しやすくて。
だけれども、お母さんってどうやっても子供との絆ってなくならないですよね。
だから息子を手放すって言ってもそんなに辛くなかったり。
でもお父さんってそこまでの絆があんまり作れてない場合が多いから、
娘手放すのってお辛いんだなっていうのって、
いろんな方のお話聞いてて思ったり。
そこを狭抜き合わでね、いろいろ考えれるんで。
ぜひね、こういう考え方のヒントみたいなのを持って、
人生を歩んでいただけるといいのかなと、改めて思いましたね。
その切り替えていくにも、この原理があるとすごく楽になれるかと思うんで、
シェアしていきたいと思います。