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2025-03-01 11:28

かーさんと呼ばれる相談師のひとりごと 道教【⠀TAO ⠀】


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00:00
はい、おはようございます。
今日は、ちょうど隣でちびこが寝てるので、
起きたりとか、急にして終わるかもしれないですけど、
TAOについてお話ししたいと思います。
で、今日は本を読むような感じでいきます。
善行をやめる。
自分をひけらかさないから才能が際立つ。
自分を正当化しないからかえって明らかになる。
過信しないから学び理解できる。
威張らないからひるむことも決してない。
争おうとしないから誰も挑んでこない。
古いことわざに負けるが価値とある。
これは偽りではない。
完全さを真に認めるとき、すべてのものがやってくる。
アフリカのヒンバ族の間では、
女性は妊娠したとわかると、
数人の友人とともに、自然の誰もいないところへ行きます。
そして、お腹のこの歌が聞こえるまで、
祈り、瞑想し続けるのです。
この部族では、すべての人間は独自のエネルギーを持っていて、
そのエネルギーを通して、
その人の魂を象徴する歌が表現されると信じられています。
歌が聞こえたら、妊婦はその歌を部族に教え、
お産のときに村の人たちに集まってもらって、
この世に生まれて出てくる子供のために歌うというのです。
そして、その後はその子が育っていく人生の重要な地点で、
例えば初めて学ぶとき、成人するとき、結婚するとき、
またその子が大人になり自分の子を産むとき、
その歌は村人たちによってまた歌われます。
そして、ついにこの世を去る時が来ると、
また村人たちは歌いながら次の世界へとその人を送り出すのです。
さらに村人たちがその歌を歌う別の機会がもう一つあります。
もし成人したその子が罪を犯したり、
社会的に受け入れられないことをした場合、
村の中心にその子を呼び出し、みんなでその歌を歌うのです。
この部族は過ちを犯しても、人生の軌道修正は罰によってではなく、
真の自分を思い出すことでなされていくと知っているのです。
老子もまた同じ意見を持っていて、真の自分が生き方を知っているとします。
私たちが自分の本質に従って生きるとき、
誰かに自分の道のりを決めてもらう必要などありません。
03:01
私たちが知るべきは、ただ内側から外側が想像されているということのみです。
真の規制とは、内なる導きとのつながりを失ってしまった人たちのためにあるべきなのに、
法律は私服を肥やすために他者をコントロールしようとする資料のない指導者たちによって誤って用いられています。
老子ならきっとこう言うでしょう。
規則が多ければ多いほど自由が少なくなる。
自由が少なくなればなるほど幸せが少なくなる。
少ない幸せは犯罪を増やし、犯罪が増えれば増えるほど規則が増える。
悟りを開いた人たちの社会では、きっと規則や法律、政治、刑罰、盗獄も必要ないでしょう。
各人各々が選択をしなくてはならない地点で、各人が自分の誠実さと向き合い、個人や社会へ最大限に貢献できることをするでしょう。
全ての人が自分の財源に応じて他人に分け与え、自分の必要に応じて他人から受け取るでしょう。
しかし、現代社会では多くの人が生まれ持ったHをHと切り離されてしまっています。
他者を信頼しようとせず、それゆえどのように生きたらいいかを支持してくる権威ある外側の者に頼っています。
自分で考えるよりも従う方が簡単に思えるでしょう。
ですから、政府や宗教、教育、経済、医療、文化や家庭に自分の人生を明け渡しています。
どう生きるべきかは、誰かに教えてもらえるという思い込みが取り去られたら、あなたは内なる知恵に頼るしかなくなりますよね。
そうできますか。
内なる導きへの信頼は、個人や地球規模への成長への確固たる一歩になります。
独断的な世の中からへその尾を切って自由になるようなものです。
深く自分を信頼するのは、まるで未知の領域に踏み入っていくようで恐ろしいかもしれませんが、むしろ本当は家に帰っているだけなのです。
ドイツの哲学者であるゲーテはこう言いました。
自分自身を信頼すればすぐに、どう生きるべきかがわかるだろうと。
であるから、真に偉大なものは本質の上に生き、表面には生きない。
見せかけの花ではなく、実質の実の上に生きるのだ。
というお話でした。
ドラトモハン、おはようございます。
やめるときは、いつこやから、これはなんだ、イエスキリストじゃないですか。
これですね、自分はタオの方ですね、道教。
06:00
儒教、老子、孔子とかの儒教、道教ってやつですね。
これ一通り読んでったりすると、あ、道教いいなってなるんですよ。
結局儒教は生き方の道を示してくれるんですけど、道教は示してくれないんですよね、生き方の道を。
道を示してくれない代わりに、生きてきた道がその道ですよ、タオですよ、みたいな。
だから道教はもうその人がやった道がまさしく道教なんですよね。
道教、道教、タオ。道の教えて書いて道教。
儒教は、儒教、なんかいまいろんな子、なんですか、経営者とか、なんか、なんですか、この世界では大概、儒教、あ、ですです、その道教です。
それタオですね、英語というか、漢字で書けば、漢字じゃなかった。
はい、とりあえず一般的には儒教でいろんなことが教えられてて、道教は曖昧すぎて形がないからですよ、教えられないんですよね。
でも、自分は道教推しですね。
儒教だとどうしても堅苦しくなるからですよ。
まあその分、きちんと右へ並んでみんな揃うから、それはそれで見た感じきれいなんですけど、
ということで、はい、今日は潜って聞いていただいてごらん。
あ、ありがとうございます。はい、ありがとうございます。
あ、何だろう。
あ、母さん握手切りです。あ、いえいえいえ。
これですね、今日は普通に本読みでした。
で、これ、今日思ってここを読んだのは、この貧乏族の話がすごいいいなと思ったんですよ。
つまり、女性が妊娠したときに、とにかく自然の中に、瞑想で、こう、住み込むというか、自然の中に行くわけですよ。
で、そしてお腹の子と対話をしながら、お腹の子から溢れ出るエネルギーを歌詞にして覚えるんですよね、お母さんは。
で、そのお母さんたちが覚えた歌を、村のその女性の村長とか、その人たちに伝えて、みんながその子のために歌を覚えるんですよね、生まれるまでに。
で、生まれるときにも、その子から奏でられた歌を、みんなで歌って迎え入れてあげて、そしてその子のために、みんながその歌を覚えていくんですよ。
で、何かこう、勉強とか、なんか、あれじゃないですか、10歳、成人を迎えるとか、そういう、かなめかなめのときに、その歌をみんなで歌ってあげると。
すると、その子は自然と、自分の奏でたリズムの音、歌なので、ふと我に返るんですよね。
09:00
で、何か悪いことをしたとか、そういう悪さをしたとしても、そういうのをしたときに、みんなで、「こら、だめだ。」と怒るのではなく、
その子を村の中心に連れて行き、みんなでその子のために同じ歌を歌ってあげることで、その子は、「あっ、だった。自分はこういう風に考えてたんだなぁ。」っていうのを思い起こしてくれるってやつですね。
で、そういうところとかで、歌とか、だいぶ興味を持って聞いてますので。なので、歌に関しては面白い話だなぁと思ってですね、読んでみました。
ということで、そろそろ今日の時間は終了したいと思いますね。
今日はタイマーなしでしたが、10分ぐらい。
え、どうしました?
えっと、吉田さんということ。興味の持ち方、えぐいのか。
え、いいじゃないですか。もう、徹底的ですよ。
ああ、こういうのって音楽、結局ですね、あの、何ですか。周波数というか。
あの、治療じゃないですけど、そういうのってすごい前から興味があったんですよ。
で、それで、この前、こう、ヒロさんも音が色で見えるみたいな、そういうのもあったし、あ、面白いなぁと。
で、しかも、白と黒の音楽を作るって話になった時に、このマガタマですね。
これが白黒があって、こういう形もすごい他を同行に重なってたので、ここを読んでみました。
ということで、今日の配信はここまで。
では、ありがとうございました。
イン極まっていよう!みたいな、ポコッと。
ではでは、またねー。ポチッコリ。
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