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あなたの「人見知り」は肩が覚えている|「性格」という「癖」シリーズ
2026-04-14 52:35

あなたの「人見知り」は肩が覚えている|「性格」という「癖」シリーズ

人と話すのが苦手で、会議で発言を求められると肩が耳まで上がってしまう。頭では「大丈夫」と分かっているのに、胸が閉じる、息が止まる。

17年間、身体に触れてきて気づいたことがあります。「人見知り」の正体は、心の弱さではなく、身体の防御反応が固定化したもの──つまり「癖」ではないか、と。

今回は『セルフリセット』第3章をベースに、身体図式、防御反応、そして「性格」と呼ばれているものの解像度を上げていきます。2500年前のインドから13世紀のヨーロッパ、20世紀のフランスまで。人類がこの「癖」をどう見てきたか、全5回で追いかけます。

▼ 話していること
・人づきあいの悩みの身体的な正体
・身体図式──身体が「覚えてしまう」メカニズム
・「性格」の解像度を上げると「癖」が見える
・癖の三つの性質
・「分かる」と「感じる」の違い
・コミュニケーションの心地よい記憶を身体に刻む

▼ 参考書籍
大沼竜也『ストレス専門のはり師が教える 心と体のコリをほぐすセルフリセット』(大和出版, 2024)


話している人について
https://www.somaticstudiojapan.com/tatsuyaonuma


感想

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00:00
人と話すのが本当に苦手なんですって。
会議とかで発言求められるような場面になると、もう肩が耳まで上がっちゃって、呼吸の仕方を忘れちゃうみたいな方がいらっしゃったんですよね。
その方に手を置いて、その方の胸に手を置いて、肋肝筋とか横隔膜とか、肩周りの筋肉、首周りの筋肉、
順番に解いていくと、だんだんと呼吸が少しずつ深くなっていくんです。
防御的に収縮していた筋肉が緩んでくれて、刺激を入れるからね。
少しずつその呼吸というものが深くできるようになってくる。
神経系のメカニズムで言えば、交換神経領域から副交換神経側へ。
身体が戻っていく、本来の状態を思い出していくような過程なんですよね。
そもそも、じゃあなんで人前で緊張すると肩が上がっていって、呼吸の仕方を忘れちゃうくらい、呼吸周りの筋肉が固まっちゃうのか。
いや、そもそもなんで人見知りな人とそうでない人がいるのかっていう話を今日はしたいと思います。
この問いについて、色々僕も調べてたらちょっと面白くなってきて、ちょっと大変、あの、長編になりそうなんですけど、少しずつ聞いていただけたらと思います。
5回に分けて話そうと思うんですけど、2500年前のインドから13世紀のヨーロッパ、
20世紀のフランスまで追いかけていきます。
人見知りの身体、人付き合いの悩みの正体というところからいきましょう。
まず臨床の話からやっていきましょう。
僕は17年間ですね、神給師として人の身体に触れてきました。
もう振り返ればこんなに長くなっちゃったんだな。
で、その中でもう聞かないシューがないくらい多い相談として、
人と話すのが苦手なんです、コミュニケーションがうまくいかないんです、というものがあります。
すごく気持ちはわかるなぁと思うんですね。
僕も嘘だから。
で、これやっぱり僕のその今までの経験みたいなのもあったし、
クライアントの方でもそういう方が非常に多かったっていうのもあって、
僕の本の中でも結構それを取り上げています。
ストレス専門のハリ師が教える心と身体の懲りをほぐすセリフリセットという本なんですけど、
ぜひちょっと手に取って見ていただけたら嬉しいです。
これの3章のところにも書いてました。
こういう緊張心の方たちの身体にはある共通した特徴があるんじゃないかということを書いてます。
これがどういう特徴かというと、胸周りが固くなっているということです。
03:07
もうちょっと正確に言うと、肩が上がっていたり、胸の前側、それから鎖骨とか肋骨にかけてのここにある細かい筋肉がたくさんあるんですよ。
ここがガチガチに緊張しちゃってるよと。
その結果として呼吸が浅くなって横隔膜っていう肺の下にある呼吸を司る大きな筋肉があるんですけど、
これがうまく動いてない状態があるんじゃないかというふうに言ってるんですね。
こういう状態になると何が起きるのかというと、心臓がバクバクするとか、
手汗、足汗、脇汗、頭から顔からいろんなところから汗が出たり、声がうわずったり震えちゃったり、
頭が真っ白になったりっていうことが起きるんですよね。
何か思い出すようなことがもしかしたら聞いてくださっている方にもあるかもしれません。
これ全部体の反応なんですよね。
この方たちは頭ではわかっているんですよ。
目の前の人は敵じゃない。
会議で発言したって別に殺されるわけでもないと。
そりゃそうですよね。
これで失敗したからって人生が終わるわけでもない。
大切な人がいなくなるわけでもない。
別にみんな自分のことそんなに気にしてない。
そういう理屈は全部わかっているわけです。
何なら熱心な方はいろいろ考え方を変えてみようというふうに
いろんな考え方を自分の中で取り入れようとする。
だけど頭ではわかっていても
体が反応しない。
体が言うことを聞かないんですよね。
頭は大丈夫って言っているけど
でも胸が閉じていくような、肩が上がるような、
息が止まってしまうような。
この頭ではわかっているのに
体が反応してしまうという状態。
これが人付き合いの悩みの正体でもあるわけです。
じゃあなんでこんなことが起きるのか。
これでちょっと例え話として
動物の話をしたいと取り上げたいと思います。
僕たち人間というのは言わず儲がな動物ですよね。
当たり前のことなんですけど
これ案外忘れ去られていることは結構あったりします。
動物にとって一番大事なのは何かというと
生き延びることです。
外敵から身を守ること。
じゃあ外敵が来た時に
06:00
動物の体はどうなるかというと
緊張しますよね。
グッと固くなって
予備勤調が起きて
いつでも戦える、逃げられるようになる。
筋肉が固まって
体をギュッと縮めたりもするかもしれない。
急所がある内臓とかがある
胸とかお腹っていうのを守ろうとします。
呼吸も浅くなって速くなって心拍数が上がる。
これを防御反応というふうに言ったりします。
英語ではこういうのを
fight or flight
レスポンスというふうに言ったりして
戦うか逃げるかの反応というふうに
言われたりします。
この防御反応というのは
目の前にライオンがいる時だけ起きるわけではないんですよね。
人間の場合は
もっと微妙な状況でも起きてきます。
相手のことを信頼できていない時
精神的に追い詰められている時
過去に人間関係で嫌な経験をした時
こういう時に体というものが
意識とは関係なく
危ないというふうに判断して
防御モードに入ってしまうんですよね。
胸を守るように力んでしまう。
いつでも戦えるように逃げられるように
力んでしまう。
呼吸が浅くなって肩が上がる。
これつまり人と話す時に緊張するというのは
心が弱いとか
性格に問題があるとか
そういう話ではないんですよね。
動物としての体が
防御反応を起こしているというふうにも言えるわけです。
そしてその反応というものが
繰り返し繰り返し時間をかけて
固定化して固まっている。
ある方にとっては
人と向き合うたびに胸が閉じるのが
もういつもの反応になっているんですよね。
デフォルトの設定として
そういうふうに体が固まる
というふうになっているわけ。
人見知りの正体というのは
心の問題であると同時に
体の防御反応が固定化したものでもあるわけです。
じゃあ次にこの固定化というのは
一体何なのかという話をしていきましょう。
身体図式という言葉を聞いたことあるでしょうか?
身体図式。
多分ほとんどの方が聞いたことないと思います。
でもこれものすごく大事な概念で
ざっくり言うと
体が意識しなくても
勝手に動いてくれるプログラムのことなんですよね。
例えばあなたが今歩いているとします。
これを聞きながら歩いてくれているとする。
右足出す、左足出す、右足出す。
09:02
この時まず右足の膝を曲げて
足首の角度をこういう風にやって
地面に着地させて
次は左足の
それと同時に右腕を
っていう風に考えてないと思うんですね。
体が勝手にやってくれています。
どこどこに行きたいなと思ったら
自然とそっちの方に体が向かっていきますよね。
橋を持つのもそうです。
自転車に乗るのもそう。
階段を登るのもそう。
最初はぎこちなかった動作っていうのが
繰り返すうちに意識しなくても
自然とできるようになるわけです。
子供は最初できないですよね。
でもだんだんと繰り返すうちに
覚えてできるようになっていく。
体読していくもの。
これが身体図式です。
身体図式っていうのは
19世紀の終わりから20世紀にかけて
神経学っていう
脳とか神経の仕組みを研究する学問の中で
発展してきた概念なんですね。
体のどの部分が今どこにあるのか
どこに動くのか
どう動くか
今どういう状態にあるかっていう
そういう情報を
脳が無意識のうちに統合して持っているよと
その統合された図式
地図のようなマニュアルのようなものだと
そこから
あっちで言われていたものが直訳されて
身体図式っていう言葉になっています。
日本ではね。
歩くとき
脳はこの図式っていうものを参照して
右足はここにある。
地面はここにある。
だからこう動かせばいいっていう風に
意識に昇らないスピードで計算していて
体を動かしているわけです。
ここからが大事なんですけど
この身体図式
つまり身体が無意識のうちに持っている
この自動的なプログラムっていうのは
歩き方とか
橋の持ち方だけに限った話じゃないんですね。
実はあなたが小さい子供だった頃のことを
思い出してみてほしいんです。
初めて知らない大人に会ったとき
もしその時
その大人が怖い人だったら
怒鳴られたりとか
無視されたりとか
冷たくされたりしたら
あなたの体はどう反応しますかね。
縮こまったり
胸をすぼめたり
肩を上げたり
目を伏せたり
すると思います。
反射的にすると思う。
でもしそういう経験が何度も繰り返されたとしたら
体は人を向き合うっていう状況に対して
12:01
縮こまるっていう反応を
自動的に覚えてしまいます。
橋の持ち方を覚えるのと同じメカニズムで
繰り返し繰り返し
同じ反応をしていると
それがもう意識しなくても
勝手に起きるようになっていきます。
人と向き合う。
そうすると胸が閉じる。
そうすると肩が上がる。
そうすると呼吸が浅くなる。
この流れというものが
身体図式として
定着してしまうと。
これは心の問題じゃないんですよね。
脳と体のプログラムの問題でもあるわけです。
僕らはこのプログラムのことを
性格っていう風に呼んだりもします。
私は人見知りな性格だから
私は緊張しやすい性格だから
私は人前で話すのが苦手な性格だから
でもそれは性格っていう
固定された何かがどこかにあるわけじゃなくて
体がある特定のパターンを長い時間かけて
覚えてしまった結果なんですよね。
身体図式として定着している。
身体は覚えてしまう。
でも覚え直すこともできるわけです。
身体図式は変わるんですよね。
さっき箸の話をしたけど
箸の持ち方だって
大人になってから
矯正することはできますよね。
なんだその持ち方ちょっと変じゃない?
みたいになったら
箸を上手に持つのって素敵だなと思って
いろいろ調べたりしたら
いろいろ出てきますよね。
最初はものすごく違和感があると思います。
僕もね、ペンの持ち方がすごい変で
それを当たり前にずっとやってたんですけど
大人になってから
ちょっといいペンとかに憧れてさ
それで書こうと思ったら
ちゃんとした持ち方の方がきれいに見えるんですよね。
それがなんかかっこいいなと思って
持ち方を変えてみたんですけど
すごく最初に違和感があるんですね。
だけど
だんだんと毎日毎日それを繰り返していくと
いつの間にか
その新しい持ち方が
自分の中の普通になっていくんですよ。
つまり体は
新しいこのパターンを
覚えることができるんですよね。
僕の自分の本で
紹介しているワーク
その第3章のところですね。
特に。
ここで4つあるんですけど
これはまさに
体の新しいパターンを覚えさせるためのものでもあります。
これはどういうことかというと
あ、ごめんなさい。
ワーク14のところだね。
15:01
これをちょっと簡単に説明してみましょう。
ぜひ手元に本がある方は
開いて読んでみてください。後で。
相手を胸で吸い込むようなイメージを持つ
というワークを紹介しています。
これはどういうことかというと
人見知りしやすい方は
胸を守るように力んでいるんですよね。
防御反応です。
この防御反応を
ほどくために
逆の動きを体に覚えさせたい
ですよ。
鏡の前に
例えば立ってみて
自分の胸に手を当ててみる。
胸の奥に
ソフトボールくらいの球体を
イメージしてみて欲しいんです。
その球体に
柔らかい
熱みたいなものを
詰め込むようなイメージを持つ。
こうやって
イメージを持つことで
実際に自分の
体というものが反応してくれます。
そのイメージを体で
この感じかなぁ
って探していくうちに
その体で起きている感覚を拾い上げる
ようになってくれるんですよね。
そしてその球体から
相手に向かって
この場合であれば
鏡の中の自分ですよね。
そこに向かって
柔らかな放物線を
描くようにイメージをする。
放物線で
鏡の中の自分の胸と
今自分で
感じているこの胸を
放物線で結びます。
柔らかい放物線ね。
これがまっすぐとか
速いイメージだと
ちょっと体の感覚も変わってきます。
だから必ず
柔らかい放物線で
結んであげてほしい。
このイメージを持つことで
実際に胸の筋肉が
ほぐれていってくれます。
もっと正確に言うと
胸郭って言って
肋骨一本一本
それから
胸骨っていう骨だったり
後ろ、肋骨って
後ろにもあるからね。
それから背骨のところだったり
この辺の筋肉が
全部緩んでくれるんですよ。
そうすると
ここは呼吸に関わるところなので
呼吸も
深くなってくれる。
呼吸も深くなると
コミュニケーションの時の緊張
っていうものが物理的に減ってくれる
わけです。
なぜかって言うと
胸が開いた状態
ほどけた状態
呼吸が深い状態
っていうのは
防御反応の反対側にあるからです。
体が今は安全だ
っていう風に感じている状態ですよね。
この状態を
イメージを使って
体に覚えさせると
いうことです。
それからワーク15です。
拳を
下腹部に
18:01
密着させて
端電を意識するっていうもの。
端電っていうのは
東洋医学では
武道で古くから言われている
概念ですね。
江戸時代とか
明治初期くらいまで
端電を
鍛える
今でいうワークショップみたいな
ものとかカルチャースクール
みたいなものが当時はあったそうなんですね。
おへその下あたりにある
木の中心みたいな
イメージです。
ものすごいざっくり言うと
腹が座るとか
なんかどっしりしてるよね
とかっていう時に指している
この腹の部分ですね。
へその下三寸の
位置にあるっていう風に
言われたりします。
下腹部、つまりお腹の下の方であって
おへそと乳骨のちょうど
真ん中くらい、ここに意識を
向けてあげたいんですよね。
拳を
こうやって握ってあげて
本の中では
左手で具を握って
右手で
それを包み込むように
っていう風に言っています。
それを下腹部のとこに
ピターと密着させる。
この拳の
ずっしりした感覚を
下腹部に写しとるような
イメージを持ってあげましょうっていう風に
言います。ぜひ聞きながら
やってみてくださいね今ね。
こうすると何が起きるか
っていうと
ここの場所って横隔膜の下の
部分なので
下腹部に意識を持っていくことで
横隔膜が
動けるような状態が作れる
んですよ。動かしやすいような
意識の
状態になるんですよね。
こうすることで呼吸が自然と
深くなるし、なおかつ
この骨盤っていうのは
体の中でも中心がメインで
かかる場所でもあります。
骨盤全体の
安定性を保つために
細かいね
骨盤の細かい
部位を意識するよりも
この中心のところに意識を持って
いってあげた方が
全体の安定性って保ちやすいんですよね。
僕らの意識って
分散しやすいので
どこか一箇所の
ところに意識を持っていってあげた方が
最低限のところにしてあげた方が
処理する情報も減るので
凄く効率的なんですよ。
これによって
動じないっていうような
感覚
動じないっていう物理的な体の
状態が気付き上がって
それが動じないっていう
精神的な感覚にもつながって
いくわけです。
日本では昔から
肝が座るとか腹が
決まるっていう風に言いますよね。
これって呼吸じゃないんですよ。
メタファーじゃないんですよね。
21:01
文字通りお腹が
物理的に安定することで
精神的な
安定が生まれる。
体の状態が
心の状態を作っているっていう風に
言っているわけです。
これは
さっきも言ったけど江戸時代から明治初期まで
日本では腹を意識する
っていうことがものすごく重要されていた
文化があります。
障害国と比べても
下腹部をここまで
精神性の中心
っていう風に据えているのは
すごく日本特有なんですよね。
例えば武士とか
あと
お坊さんとか
というものがどしっと座って
何事にも動じないっていう風に
座禅を組んだり
武士で言えば
腹切りの文化があります。
切腹とかね。
ああいう文化があるくらい
このお腹の中
精化丹田っていうところに
自分らの精神性の
中心があると。大事な
心がここにあるんだっていう風に
意識して
意識されていた。
それは物理的にこの
下腹部を意識することで
培われて
いたわけです。
それからワーク16の
話もしましょう。
相手の胸に温かな木を
投げかけるっていう風に
言います。
これはさっき言ったワーク14の
発展形ですね。
胸が開いた状態で
つまり防御反応が解かれた
状態で
相手に対してイメージを投げかけると。
自分の胸の
中心から相手の胸に向かって
柔らかい放物線を
描くように
木を渡すようなイメージ
です。
木って何なんですかっていうのは
ここではちょっと一旦置いておいてくださいね。
感覚的なところに
目を向けてみて欲しいんですよ。
このイメージを
持つことで
手のひらを使って実際に
ボールを
投げるようなイメージっていうものが
皆さんも浮かぶと思います。
これは実際に
物を
優しく投げる
っていう物理的な僕らの
経験に基づいているんですよね。
石をさ
目の前にあるものを
壊そうとか倒そうと思ったら
直線で
投げるじゃないですか。
直線にはそういう
強いイメージが
僕らの体にやっぱり刻まれているんです。
これは物理的な
経験ですよね。物理的な
ものです。
だからこそ放物線で柔らかく
投げるようなイメージ
っていうものをすることで実際に僕らの緊張も
解かれていくわけです。
24:03
物理的な
その動物的な本能として
無防備な体の
前顔ってのを守りたくなるのが
当たり前なんですよね。
それを超えて
相手に向けて開いていくには
こういう物理的なイメージっていうものを
使っていってあげる。
で、これも本に
書いてたんですけど
これを実践していくと
嫌な人、苦手な人
特定の人への恐怖っていうものが
上書きすることができる
可能性があるわけです。
なんとなく今イメージしてもさ
嫌な人に対して
自分の胸の中の
その球体
あったかい球体が
放物線でその相手の胸にも
こう結ばれるような
イメージって持とうと思ったら
なんかちょっとガードしちゃう
自分がいたりすると思うんですね。
反対に
大切な人だったりとか
ペットとかでもいいと思います。
に対してだったら
なんなくその気持ち、その感覚
っていうものを思い出せると思う。
なんならより深く味わうことが
できると思うんです。
つまりこれってのは
その体の反応を
イメージの力を借りて
意図的に
上書きしていく作業
なんですよね。
そして最後に
軸の話もしていこうと思います。
これはワーク17のところに
書いてあります。
背骨の前側を意識して
体軸を育む
っていうものです。
軸がある人
っていう風によく言いますよね。
ぶれない精神性を持っている人
何を言われても
通じない人。
実はこの軸っていうものは
だらーっと
全身が脱力して
無駄な緊張が一切
なくなった時に
吊り下げられる糸の
感じ。
上から吊り下げられているようなものの
感じなわけです。
どういうことっていうと
適切な言葉で
言うとこれを重力
と言います。
重力。地球上で
誰にでも平等に
まっすぐ下に加わる力
です。
この重力に適応する
つまりだらっと脱力して
必要最低限のエネルギーで
立てる状態っていうものが
軸がある状態
っていうことの身体的な意味
なんですよね。
具体的には
背骨の前側をイメージ
してもらいます。
首の骨の前側
胸椎っていう背中
胸の背骨の前側
それから腰にある腰椎
っていうところの前側
仙骨って言われる骨盤の
ところにある骨の前側
27:02
だいたい
この辺りを僕らの重力線で
通っていきます。
なのでここを
イメージして
脱力していく。
こうすることで逆に
この軸っていうものを形成しやすく
なる。つまり
力を抜いていくことが
できるわけです。
どうしないかというと
強く
強まっていろんなものを跳ね返す
っていうイメージをもしかしたら持っている
方もいらっしゃるかもしれない。
でも逆なんですよね
実は。力が
抜ければ勝手に重力に沿って
身体がまっすぐになって
いきます。強い力で
ボーンってぶつかったとしても
しなやかにその力にまた
順応してすぐにまっすぐ
の状態に戻れます。
これがしなやかっていう
言葉で表される
状態ですよね。
で、この軸がある状態
脱力して重力に
適応している状態っていうところで
人と向き合うことで
必要最低限のエネルギーで
なおかつ
身体が持っている機能
っていうものを十分に発揮した状態で
向き合っているわけで
余分な力が
入ってないんですよね。緊張
していないわけです。
だから目の前の人の言葉とか
態度っていうものに
振り回されなくなる。
もちろん見えてるし
認識もできるけど
影響を
それに飲み込まれなくなる
っていうことなんですよね。
中には自分を保つために
相手のこと
人のことなんか関係ないと
自分のやりたいことを
突き進もうみたいな
ある種、自己啓発みたいなものが
昔から
なのかな?あったりします。
でもそれって
すごく独りよがりっていうのは
多分
聞いてくださっている方も感じている
部分だと思うんですよね。
固くなっているんですよ。そういう
状態って。
柔らかくなれば
相手のことも見れるし
柔軟に
関わることが
できるんですよね。
ここまでの話をまとめてみましょう。
人見知り
コミュニケーションの苦手さっていうものの
正体は体の
防御反応が固定化したものです。
この固定化した
パターンのことを
身体図式と呼びます。
この身体図式
っていうのは変えられ
ます。新しい
パターンを体に覚えさせることで
古いパターンの上に
新しい層が重なっていく。
もしくは古いパターン
っていうものが
時々適切に解除されて
30:00
解かれていきながら
再形成されていく
っていうものになっていきます。
さあじゃあ
今日の革新にここから
入っていきたいと思います。
性格の解像度を上げて
いきましょう。
ここまで身体図式っていう言葉を
使ってきましたけど
僕が普段臨床とか講義で
使っている言葉ってのはもっとシンプルに
今は言ってたりします。
癖です。
千鳥が大好きなんですけど、お笑い芸人。
癖がすごいって
言いますよね、のぶさんが。
癖がすごい。
それのおかげもあってすごく
伝えやすいです。
癖っていう言葉、誰でも知ってると思います。
貧乏ゆすりの
癖があるとか
腕を組む癖があるとか
猫背の癖があるとか
変わった趣味みたいなもの
とか趣味思考みたいなものも
癖がすごいっていう風に言いますよね。
でも僕が癖っていう時は
もうちょっと広い意味で使っています。
性格って
呼ばれるもの。
人見知りとか、怒りっぽい
とか、考えすぎて
しまうとか、自己肯定
感が低いとか
逆もありますね。
明るいとか、元気だとか
そういうもの全部が
体の癖なんじゃないか
っていう風に思っているんです。
ここで大事なのは
性格なんてものはないっていう風に
言いたいわけじゃないんですよ。
性格っていう言葉の
その階層度を上げていきたい。
普通、性格っていう風に言うと
なんか生まれつきの
固定されたものをイメージすると思うんです。
占いとかでも
こういうのあったりしますよね。
こういう星の下にあるからとか。
遺伝子がこうなっているから
みたいなものも
もちろんあると思うんですよ、それは。
何らかの生まれ流れにして
全員が同じなわけではないから
もちろんそうなんだけれども
でもその
固定化されたイメージっていうものが
ちょっと強くなりすぎると
私はこういう性格だから
仕方がないんだ
性格は変わらないのだ
っていう風になってしまいがち
なこともあると思うんですよ。
でもその性格の
中身を開いてみると
そこにあるのは体の構えであり
身体図式であり
繰り返しの経験によって
体に刻まれるパターン
なわけです。
性格の階層度っていうものを上げていくと
癖が見えてきます。
性格だと思った瞬間に変えられない
ものになってしまう。
性格だから仕方ないっていう
この言葉の中に
33:00
ある種、諦めというか
救いを求めているっていうところも
あると思います。
でもこれが癖だったとしたら
癖は変えられるんですよね。
箸の持ち方を直すように
猫背を直すように
時間はかかるけど
繰り返し繰り返し新しいパターンを
体に覚えさせていけば
この癖っていうのは
変えていくことができる
わけです。
性格だから仕方ないっていうものは
癖だから変えられるに
変わっていくんじゃないかなと思っているんですよね。
言葉が変わると
イメージもなんとなく変わってくれると思うんです。
癖っていうものは
3つの性質があります。
第一の
性質っていうのは
癖は変えられるっていうことです。
今散々話した通り
体のパターンだからこそ
新しいパターンで上書きできます。
上書きっていうか
分解して再形成していくっていうようなイメージかな。
簡単にはいかないですよ。
もちろん。
長い時間をかけて固定化した
その身体図式っていうものは
そう簡単には変わらないです。
箸の持ち方を直すのだって
どれだけ練習したからといって
すぐに
違和感が取れるわけじゃないですよね。
形としてはきれいにできるかもしれないけど
コツを掴むのが上手だったらね。
でもなかなか変わらないですよ。
そりゃそうだ。
それが人との関わり方っていう
もっと感情と
結びついてたりとか
生きるっていうことに密接に
関わっているものであれば
もっとなおさらです。
でも変わらないわけではない。
変えられるんです。
時間がかかるだけでね。
僕が施術とか
臨床の中でやっていることっていうのは
この変えるプロセスの
お手伝い、補助なんです。
体に触れることで
もしくは
直接的に触れる
っていうものもあれば
その方に
その方の体を触れてもらって
っていうところで
そのパターンを変えていく。
固まったパターンを
物理的にほぐしていく
ということ。そして
新しいパターンを
覚えやすい。より
その方の体
心に沿った
合理的なその
パターンというものを覚えやすい状態を
作っていくというものになります。
で、第二の性質です。
これはね、非常に
僕はすごい好きなところ
なんですけど、癖は
全部が悪い
わけじゃないんです。ちょっと
猫背気味で照れくさそうに
笑うっていう人もいますよね。
あの穏やかさ
っていうのはその人の体の
癖から来てるっていう風にも言えますよね。
話す時に少し首を
かしげるっていう
36:00
なんかちょっと
聞き上手な感じがあるかもしれない。
そういうような雰囲気
っていうのは体のパターンが作り出してる
っていう風にも言えます。やたら
姿勢が良くて背筋が
ずっとピンとしてるっていうあの
凛とした真面目そうな
ぼくとつそうな感じっていうものも
体の癖ですよね。
全部その人の
味なんですよ。
その姿勢ピンとしたぼくとつとした
人がなんか
イエーイみたいな感じで
ちょっとフニャフニャ足出すと
ちょっとその人じゃなくなったかのようにも
思えますよね。
もちろんその人なんだけども
あのぼくとつ
とした感じが好きだったのにな
みたいなことももちろんあると思うんです。
だから
すべての癖を直す必要は
ないんですよ。
ここでぼくが身体の教養の中で
こう提唱してるものに
触れていくんですけど
嫌な癖、苦しみの
原因になっている癖っていうものは
変えればいいなと思ってるんです。
でもその人らしさを
作っている
その癖があることで楽しめてる
っていうものってたくさんあるんですよね。
それは大事にすれば
いいと思うんです。
ここからちょっと広がった話になるんですけど
第三の性質として
すべての癖がなくなった状態ってのは
もしかしたら悟りに近いの
かもしれません。
もし仮に
この身体の癖っていうものが
つまり防御反応も
習慣的な緊張も
無意識の構えも
全部なくなったとしたら
完全にニュートラルな状態
になりますよね。
完全に開かれた状態
何の偏りもない状態
になる。
これはもしかすると
仏教でいうところの
ブッダの境地
かもしれません。キリスト教で
言うとその聖人の
神の境地っていう風にも
言えるかもしれない。
なんだなんだずいぶん話が大きくなってきたな
って思うかもしれませんね。
でもこれ調べてみると
実は結構面白くてですね
それぞれの
この宗教の中でも
身体的な実践というものが
たくさんあります。
これって身体のことを
言ってるんじゃないかっていうものがたくさんあったので
それをちょっと紹介していこうと
思います。
仏教にはまさにこの
癖のところに相当する概念が
あります。これを
実験っていう風に
言います。実験。
習う気っていう風に書くみたいなんですけど
サンスクリット語では
バーサナーっていう風に言うそうです。
もしかしたらヨガやってる方とか
あったら知ってる方もいるかもね。
ヨガ哲学とかでも出てくるのかもしれない。
これは
2500年前くらいの
39:01
インドの修行者たちっていうのは
この実験っていうものを
止めることが
下達。つまりニルンバーナ
悟り。苦しみからの
解放っていう風に
考えていたそうなんですね。
キリスト教にも
ハビトゥースっていうような
まさに安定した
傾向性っていうのを意味する
概念があります。
これは13世紀の神学者の
トマス・アキナスっていう方が
論じています。この方いっぱい
本書いてるんでね。全然
読めてはいないんですけど
興味ある方ぜひちょっと読んでみてください。
それから僕の大好きな
20世紀のフランスの哲学者
メルロポンティっていう
現象学者ですね。
は沈殿っていう
言葉を使って
これを説明しています。沈殿っていうのは
物が下にこう
水の中で物が
下に沈殿していくっていうような
沈殿ですね。過去の
行為っていうものが体に
地層のように積み重なって
いくっていうことを書いて
いるんです。
これ全部同じことを
言ってるように聞こえて仕方がない
んですよね。
これがめちゃくちゃ長く
なったんですけど
今回の僕の
今回のフォトキャストのシリーズを
やろうと思った理由になります。
僕が臨床で癖って呼んでいる
もの、つまり身体図式としての
性格のパターン
っていうものを人類は
2500年前から
なんならもっと昔からあるのかもしれない。
いろんな言葉で
いろんな角度から考えて
きているんですよね。
これをちょっと一緒にたどって
みたいと思います。
じゃあ、疎外観の
身体的な正体っていうところに
入っていきましょう。
人の目が気になる。
心理学と身体の間。
ここでもうちょっと臨床の話を
引き合いにしていきたいと思います。
その
辞書、僕の本の
第三章のところで、人の目が気になる
っていうことについて書いてたんですけど、
これ心理学的に
見ると、自分を
装ったり、周りを
伺ったり、嫌われたり、
笑われたりするのが怖くなると。
これは心理学で
疎外観に対する恐れ
っていう風に言ったりします。
つまり仲間外れにされるんじゃないか
っていう不安が
根底にあるっていう風に言われるんですね。
でもここで面白いのは
あの人は大丈夫。
見守ってくれている
っていう安心感は
言葉で理解する、説明するのが
難しいんですよ。
どういうことかっていうと
カウンセリングとか心理療法の中で
あなたは受け入れられていますよ。
あなたは大丈夫ですよ
って言われる。
こうこうこうだから
大丈夫じゃないですかと。
42:00
頭ではそう思えるようになります。
そうだ、本当だ、私
確かにそうだ。こんなに
恵まれているじゃないか。
こんなに辛い、誰もいないと思ってたけど
近くを見渡せば
よくよく考えてみればこんなに
なんだろう
素晴らしい人、幸せで
満ち溢れてるじゃないか。
そう思える
は思えるんです。
だけど身体的な
その繋がりっていうものを感じられないと。
なんとなくのその感覚
っていうものが立ち上がってこなければ
本当の安心には
ならないんですよね。
実際にこうカウンセリングとか
臨床の場で
頭で押さえつけてるけど
さりげない動物的な感覚
ですって書いたけど
身体が緊張していると
相手との信頼関係を
頭で理解することができても
身体で感じることが
できないんですよね。
身体が緊張していると
受け入れられるはずの
その感覚っていうものが
意識に上ってこないわけです。
僕の身体の教養の中で
言っている分かる
っていうものと感じるっていうものは
違うよっていうことにここで繋がって
きます。分かる
っていうのが頭の作業
思考の作業
感じるっていうのは
体の作業です。
あなたは受け入れられてますよ
と言われて分かるっていうことと
あ、私受け入れられてるんだ
っていう風に体で感じる
ってことは全く別の
ことなんですよね。
そして人間関係の
安心感っていうのは分かる
だけでは足りなくて感じることが
必要。感じるためには
体が開いている
ほどけている必要がある。
身体が合理的な状態にある
必要がある。
体が閉じた状態
防御反応で固定化した状態
っていうのは相手の
温かさっていうものが入ってこない
わけです。
だからこそ体から
変えることに意味がある
んですよね。
頭で理解する、頭で整理を
つけるっていうようなアプローチである
認知行動療法とか
カウンセリングとかっていうものを
否定しているわけではないんですよ。
それはそれで
一定の有効性は間違いなくある
と思います。
でも体が
閉じたままだと
頭で理解したことが
体に落ちてこない。
体が開いて初めて
受け入れられているという実感が
体を通じて入ってくる
わけです。
だから経路が違うんですよね。
どっちが上とか下じゃなくて
違う入り口から
同じところに向かっていっている
ということになります。
そしてコミュニケーションの
心地よい記憶を体に刻むと
45:01
もう一つ本に書いて
大事なことがあって
ワーク16のところで
相手の胸に
暖かな木を投げかけるというイメージ
ワークを紹介しましたよね。
そこにこう書いてあります。
こういった意識を新しく
上書きできるのが
この身体的なアプローチの特徴
でもありますよという風に書いているんですね。
これどういうことか
というとコミュニケーションは
心地いいものだ。
人と対峙する、人と会話する
というものは
楽しいものだという記憶を
体に刻んでいくものなんですよ。
頭じゃなくて
体にアプローチしているんですね。
胸が開いた状態で
人と向き合う。
呼吸が深くなる。
体がリラックスしている。
相手との間に心地よい感覚が生まれる。
その体が
その感覚が
体に記憶される。
もちろん思考にも記憶されていく。
この記憶が
積み重なっていくと
人と向き合うイコール
体が緊張するというような
古い身体図式の
状態からそれが解体されて
人と向き合う
ということは心地いいことだ。
声を出すということは心地いいことだ。
人の話で
頷いて聞くということは心地いいことだ
という風に
新しい身体図式が
形成されていくわけなんですよ。
もちろん一気に
全部変わるわけじゃないですよ。
微妙に微妙に体の
怪我が治るように
傷が治るように
筋肉痛が治っていくのと同じように
ニキビが治っていくのと同じように
何か良くなったかなと思ったら
ちょっと悪くなったりしながら
でも確実にちょっとずつ
変わっていくわけです。
ここまでが本の
第三章の中身を
癖とか身体図式というフレームで
解説した
話になります。
今日の
話を整理してみましょう。
今日話したのはこういうことです。
人見知り、コミュニケーションの
苦手さというものの正体は
心の弱さではなくて
体の防御反応というものが
固定したものだよと。
この固定化した
体のパターンというものを
身体図式という風に呼ぶよと。
僕はこの
身体図式というものを
もっと日常的な言葉で
癖という風に呼んでいたりもします。
癖には
3つの性質があって
これは変えられて
人の味でもあって
もし全部なくなったとしたら
これは悟りに近いもの
かもしれないよということ。
そして
最後5つ目が
身体から変えることで
頭で理解するだけでは
届かない場所に変化が
起きうるよということでした。
48:02
皆さんの身体には
どんな癖があるでしょうか。
心の癖が
どんなものがあるでしょうか。
人と話す時に
肩が上がる癖があるのか。
考え事をする時に
眉間がシワが寄る癖があるのか。
ベッドに入ると
背中のところがこわまるような
そこに意識が向くような癖があるのか。
お酒を飲むとすごくリラックスする癖があるとか。
パートナーと
パートナーの隣にいると
体がほぐれていくような癖があるのか。
自分の体に
いろんなタイミングで
ちょっと意識を向けてみて
欲しいですね。
今この瞬間
このポッドキャストを聞きながら
皆さんの体はどうなっているでしょうか。
怖がっていないといいな。
大沼の声を聞いたら
力抜けるとかの方が
嬉しいんですけどね。
いろんな話をしたから
眉間にシワが寄っている方も
もしかしたらいるかも。
そんな方はぜひ
体の力を抜きながら
このポッドキャストもぜひ聞いてみていただけたら
と思います。
せっかくね。
いろんなコンテンツとか
がある時代だからこそ
なんだろうな
せめて
僕のポッドキャストを聞いている間
くらいは
全身だらっとしながら
聞いてみようという風に
体の方の反応を見ながら
体の声を聞きながら
なおかつ
力が抜ける方向に意図しながら
聞いてみてほしいんです。
そんなきっかけに
このポッドキャストがなれたら
嬉しいなという風に思います。
いろんなことを理解するよりも
そんな風に
癖を解けていくような
心地いい癖の方に作っていく
という方が
よっぽど
いい方向に進んでいってくれます。
臨床でも同じなんですよね。
いろいろ
説明していろんな
知識をクライアントの方につけていただくというよりも
こうすると気持ちいいな
こうやると心地いいな
っていうその感覚
なんとなくというものを
確かに掴み取ってもらう
っていう
確かに掴んでもらうっていう
ところなんですよ。臨床って。
うーんとか言って
後半何を話しているか分からなくなってきたんですけど
そんな風な時間に
このポッドキャストを聞いている間になっていただけたら
と思います。
そして
次回予告になります。
さっき言ったように
全ての癖がなくなった状態というのは
もしかしたら悟りに近いという
話をしましたよね。
なんとなくの
思いつきで言ったわけではなく
51:01
いろいろ調べたんです。僕も。
そしたら
2500年前のインドに
この癖っていうことを実験っていう
習う気っていう
言葉で精密に分析した
人たちがいました。
で彼らは
この意識っていうものを
8個
8つの層に分けて分析してたんですね。
有意識各派
っていう風に言ったりもします。
仏教の中でも
めちゃめちゃ精密な
名前を聞いただけでも難しそうだなって
思うんですけど
この方たちが言ってたことっていうのが
僕の臨床で感じていること
それからクライアントから聞く
話とすごく重なるわけです。
他のソマティックスの
で言われ取り上げられているものとも
すごく重なってるんですよね。
お香の香りが
服に染み付くように
行為の痕跡が意識に染み付く
っていうような
なんか
素敵な火を使ったりとかもして
いるわけです。2500年前にだよ。
次回はねこの話を
していきたいと思います。
仏教が癖をどう見ていたのか
仏教が神体図式を
僕らの性格をどういう風に
見ていたのかっていうものを
話していこうと思いますので
是非フォローして
いただければ嬉しいなと思います。
では今日はここまで
また次回お会いしましょう。
神体の教養ラジオ
今日ものんべんならりと
いきましょう。大沼達也でした。
52:35

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