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孤独になる人の身体──ダンバーが発見した「つながりの上限」と、身体が閉ざすコミュニケーション回路 ──なぜ「話し上手」になっても孤独は消えないのか
2026-02-16 44:21

孤独になる人の身体──ダンバーが発見した「つながりの上限」と、身体が閉ざすコミュニケーション回路 ──なぜ「話し上手」になっても孤独は消えないのか

「コミュ力を鍛えよう」──孤独に悩む人が最初に手を伸ばすのは、たいてい会話術やコミュニケーションスキルの本です。でも、それで孤独が消えた人はどれくらいいるでしょうか。

今回は、進化人類学者ロビン・ダンバーが発見した「ダンバー数(人間が安定的に維持できる関係の上限=約150人)」を出発点に、なぜ人間関係に上限があるのか、そしてその上限よりもはるかに少ない人数で孤立してしまう人の身体に何が起きているのかを考えます。

ダンバーの研究が示すのは、つながりの維持にはコストがかかるという事実。そして鍼灸師としての臨床から見えてくるのは、身体が「閉ざされ」の状態──防御モードで緊張・硬直し、感覚が外界に開かれていない状態──では、そもそもつながりを維持するためのコミュニケーション回路が物理的に制限されるということです。

孤独は性格の問題ではありません。話し方の問題でもありません。身体が不合理な状態にあるとき、人は構造的に孤立へと向かいます。


このエピソードで話していること:

・ダンバー数とは何か──なぜ「150人」なのか・つながりの「質」を左右するのは会話スキルではなく身体状態・「閉ざされ」の身体が遮断するもの──ミラーリング、安心感の伝染、非言語コミュニケーション・承認欲求は「心が弱い」のではなく、身体的つながりの回路が閉ざされた代償・孤独から抜け出す第一歩は「話し上手になる」ことではなく、身体の合理性を取り戻すこと

話す人についてではなく、聴いている身体について考える回です。

▼ 大沼竜也鍼灸師/somatic studio japan 主宰著書『心と体のコリをほぐすセルフリセット』(大和出版・重版3刷)https://www.somaticstudiojapan.com

感想

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00:00
こんにちは、大沼です。今日もサポーターの方から質問を頂いています。では読んでいきますね。
人付き合いが昔から苦手で、いつの間にか友達がほとんどいなくなりました。コミュニケーションの本を読んだり、話し方を勉強したりもした。
でも、人と話していると疲れるし、気を使いすぎて結局しんどくなってしまって、自分から距離を取ってしまいます。これって性格の問題なんでしょうか?
いやね、僕自身も実はすごく人見知りで、もう分かるかな。何でこんなに人と話すのを緊張するんだろうなってすごい悩んだ時ありました。
人のことは好きなのにね、人と関わる仕事をしたいと思ってたし、人と関わりたい、遊んでたりとかね、それって楽しいんだけど、どうしてもね、緊張しちゃうんですよね。
で、家帰ってから、あの時、ああ言えばよかったなとか、そんなことする必要ないのにっていう風に友達が言ってもらえたりしたけど、なんか分かんないけどそういう風になっちゃうんですよね。
でね、これが性格の問題かどうかっていうのは、卵が先なのか、鶏が先なのかっていう話で正直分からないです。
ただ、一つ言えるっていうのは、体の状態っていう一つの変数がこの問題にかなり深く絡んでるんじゃないかなっていう風に思うんですね。
今日はその話をしてみたいと思います。
で、この質問を拝見した時に、あの、まず思い浮かべたのが、イギリスの進化人類学者だそうです。
ロビン・ダンバーっていう人ですね。この方のロビン・ダンバーの研究です。
で、ダンバーズ・ナンバーっていう言葉を聞いたことある人いるかもしれません。ダンバーズ・ナンバー。
人間が、これって人間が安定的に社会関係を維持できる人数の数っていう風に言われているんですね。
僕らは、要は150人くらいの人の顔と名前とかしか覚えられないように、最初から遺伝子として出来上がってきてるんじゃないかっていう風に言われているんです。
で、これどうやって導いたのかっていうと、ロビン・ダンバーが霊長類の脳の大きさと群れの規模っていうものの関係、その関係を研究してたんですね。
03:02
で、脳の神秘質って言われる、いわゆる人間脳って言われるところです。
新しく出来上がった、論理的なその思考とかに関わる、人間らしい思考に関わる脳の部分、これを神秘質、新秘質、新しい革の質っていう風に言うんですけど、
安定的に、あ、そう、この脳の神秘質が大きければ大きいほど、大きな群れを霊長類は維持できるっていうことを発見したんですね。
で、人間の場合、神秘質の大きさから逆算していくと、安定的に関係を維持できるのは、じゃあこのくらい、霊長類がこのくらいの大きさで、このくらいの規模の集団を形成してるんなら、
じゃあ人間このくらいの神秘質の大きさだから、このくらいの人数なんじゃないっていう風に導き出したのが150人っていう風に言われているんですね。
この150人の中にも層、レイヤーがあります。
一番内側の層っていうのが本当に親密な関係って言われるものです。
これはたった5人っていう風にロミナンバーは言います。
で、そのさらに内側にダンバーが言う、肩に触れられる距離の関係っていう、本当に親密な関係のさらに身体的な接触が自然に起こるような関係っていうのが1人2人いるかいないかっていう風に言っているんですね。
ここで注目してほしいのは、ダンバーが人間関係の親密さの指標として、その身体的な距離っていうのを使っていることなんです。
本当に150人なのかとか、本当に5人とか1人なのかっていう議論はここではちょっと置いておきます。
言葉で何を言ったかとかっていうそのコミュニケーションではなく、親密な関係性の最上限の具体的な例として身体的なその距離っていうのを使っているんですよね。
どれくらい物理的に近くにいられるかっていうもの。
ロビン・ダンバーの研究っていうのは、つながりの問題っていうのを脳の処理能力の側面から捉えたものです。
これ自体、賛否がもちろんあると思うんですね。
なんだけれども、一つそれ自体は重要な発見だと思うんです。
でも確かに思い返すと、友達の数ってどのくらい思い出せるかなとか、自分が結婚式とかっていうふうにするときに、
どのくらいの人の顔が思い浮かんだかな、150って言われるとそんなもんなのかなっていうふうになんとなく僕は共感できました。
06:09
もちろんこれを闇雲に信用するわけではないんですけどね。
で、これは脳の処理能力っていう脳の部分から捉えたものであって、
僕自身はもう一つ別の側面もあるんじゃないかというふうに感じています。
この脳みそっていうのが何人まで管理できるかっていう、それ以前に僕らの身体がどこまでオープンになれるか、開かれていけるかっていう問題です。
今日はそのロビン・ダンバーの知見っていうものを手がかりにしつつ、孤独の問題っていうのを体の側から見ていきましょう。
まず大前提のお話です。
コミュニケーションの9割は体に宿っているかもしれないっていう話です。
例えば話し方教室とか、コミュニケーションずつの本とか、相手の話を聞きましょう、共感しましょう、質問しましょう、カウンセリングとか計帳とかでも言えますよね。
全部言葉のレベルの話っていうのがやっぱり大半を成していると思います。
それはそうですよね。僕ら知らない人に急に身体的な接触したら怖いですからね。
まずやっぱり言葉でグルーミングをしていく。
でももう一つの経路っていうものがあります。
僕は施術を17年間やってきて、たくさんの人の体に触れてきた中で感じているんですけど、会話っていうのは実は言葉以前のところでかなりの部分が動いているようにも思えるんですね。
相手の表情とか、声のトーンだったりとか、姿勢とか、あと呼吸のリズムとか、こういう言葉じゃない部分、いわゆる非言語領域、非言語コミュニケーションっていったりしますね。
ノンバーバルコミュニケーションとか。
体全体から発せられている一つの無意識のサインだと。
僕たちっていうのは言葉よりも先に相手の雰囲気とか空気感みたいなものを感じ取っていると。
一生懸命説明したのに相手がキョトンとしている。
逆に相手は大丈夫っていう風に笑ってるけど、その目が全然笑ってないとか。
日常で山ほどありますよね。
言葉と身体が食い違っているとき。
僕たちが無意識に信じるのは言葉じりとかっていうよりも、意外とその身体的な非言語コミュニケーションの方だったりします。
09:01
非言語的情報ですね。
だとすると上手なコミュニケーションっていうのは何を話すかっていうその記号的な情報的なところだけではなくて、
相手の体の声にどれだけ耳をすませられるかっていうところ。
そして自分の体がどんなメッセージを発しているかに気づけるかっていうところ。
ここにも大事な鍵があるんじゃないかなっていう風に思うんですね。
以前ブログの方にも書いたんですけど、
市川博さんが言っている身体の神。
心と体が分かれる以前の丸ごとの自分。
その身レベルでの対話っていうものがコミュニケーションの真相にあるのかもしれません。
で、体が緊張しているとこの非言語のチャンネルっていうものが閉じてしまうっていうことがおそらく起きているんですよね。
体のいろんなところに備わっている感覚とか、
具体的に言うとその触覚の部分だったり、温度感覚だったり、固有需要感覚とか、
こういうセンサーがギューッと強張って緊張することで、
それらのセンサーっていうのも物理的に筋肉の中とか体の中に散々しているので、
それが緊張によって締め付けられて、感じられなくなっちゃうんですよね。
ずっと固まっているから。
刺激っていうのはどれだけ差が加えられるか、差異が与えられるかで、
そのセンサーっていうのは機能を発揮します。
でもずっと固まっている。
何をやっても固まっているってなると、何も感じないっていうことが起きてしまうんですよね。
イコール、外の世界っていうものがわからなくなっちゃう。
受け取る情報が少なくなってしまうということです。
思い返してみてほしいんです。皆さんもね。
緊張した時に相手が何を言っているのかわからなくなったことないですかね。
相手の表情がどんなだったか覚えてない。
微妙なその間とか声のトーンの変化とか、
もうそれどころか何を話したかも覚えてないとかね。
何を怒られてたのかも覚えてないみたいなこと、
多くの人が経験したことあると思います。
でもその時、その怒られていることに、
例えば怒られているっていう例を出したけど、
そこを、その人に向き合っているからこそ、
そういうふうに緊張が生まれて忘れちゃってるわけですよね。
向き合おうとしてるのに、
12:02
意思としてはそっちを向いてるのに、
実はその人との距離っていうのをどんどん遠ざけていってるっていうことでもあるわけです。
不思議なもので、この人と仲良くなりたいっていうふうに思えば思うほど、
体が力んで、結果的にその人から離れてしまう。
こういうこともあるわけですよね。
これ、僕自身がSNSとか他のところでもよく話してます。
努力のパラドックスっていうもの。
これの一つの表れなのかもしれません。
あの、たくあん坊。
以前のブログのところでもたくあん坊の話をしました。
たくあんさんっていうお坊さんの話ですね。
で、それの不動地っていうのについて書いた時、
心を止めるなっていう教えを取り上げたんですけど、
コミュニケーションにおいても、
これは共通するものかなと思います。
上手くやろうというふうに心を止めた瞬間に、
一番大事なその感覚、そのチャンネルが閉ざされてしまうと。
たくあんが言った、
手前の働きかけが抜けそうろうっていう言葉。
手前の働きかけが、
あ、手前の働きが抜けそうろうですね。
ごめんなさい。
イコール体が空っぽになるように。
これがまさにこの状態なんじゃないかと。
ここから質問してくれた方の悩みのところに接続をしていきます。
孤独になっていく人に共通するパターンっていうのがあるように思えるんです。
まずこういうふうに振る舞うといいんだっていうふうに学ぶこと。
そして本を読んだり、人の振る舞いを観察したりして、
あるべき自分っていうものをたくさんこさえていくということ。
それを使って周りの人に関わろうと努力している。
みんなそうなんですよ。
臨床の中でも真面目な方が多いです、やっぱり。
すっごいいい方なんですよ、みんな。
人と仲良くなりたいと。
人と円滑にコミュニケーション取れるようになりたいと。
そうやっていろいろ勉強をして努力もしてるんだけれども、
その時に見落とされがちなことがある。
これが体の状態っていう一つの変数です。
怖わって我慢して、本当は体がしんどいって言ってるのに、
こんなことでしんどいって感じる自分はダメなんだっていうふうに
思考で蓋をしてしまう。
そうした無意識の力みとか緊張っていうものが
15:03
どんどん体の状態っていうのを悪くしていくようにも見えるわけです。
体が不合理な状態。
つまりエネルギーが非効率な緊張している状態。
身体性不合理って言ったりもします。
身体的に合理的じゃない状態に行ってしまう。
そうなってしまえば自分の感情っていうものも
フラットに表現できないし、
相手の感情や振る舞いっていうものも
フラットに受け取ることはどうしても難しくなって
しまうんじゃないかなと思うんですよね。
でも、そうだとすると
孤独のメカニズムっていうのは
こんなふうに見えていきます。
まず上手くやりたいと思って力む、ギュッ。
思考ではたくさん読んだものをこさえています。
頭の中、これを心理学で思考の檻とかって言ったりもしますけど
身体感覚とか自分の体の感覚っていうものは
置いてきぼりになっちゃうんですね。
頭を使えば使うほど。
それと接続しない状態でいろんな知識をこさえて
自分はこういうふうになる。
こういうふうにあるべきなんだっていうふうに
なんとなくのイメージを作ってしまうんです。
そうすると体は接続されてないから
力んでしまう。緊張してしまう。
感覚のチャンネルっていうのが閉じてしまう。
つまり疲れるし、しんどくなるし、
自分から相手との距離を取ってしまうし、
そうすると孤立をしてしまう。
で、孤立を経験すると
やっぱり寂しいんでね。
こうなりたくない。
もっと仲良くなりたいなって。
次の人と、次に人と会うときに
さらにその緊張が強まってしまう。
他の言葉でいう閉ざされとか開かれっていうものが
強化されていってしまう負のスパイラルが起きて
いってしまうわけです。
この方が、今質問してくれた方が
性格の問題っていう風に感じるのは
このスパイラルがただ単に長く続いてしまって
自分はこういう人間なんだっていう風に
思っちゃうっていうところなんだと思うんです。
信じ込んでしまうっていう風に言ったりもしますね。
無意識なんですよ、もちろん。
だからそうじゃないよっていうことを
多分ね、周りの方もそう言うと思うし
僕も多分そうじゃないんじゃないかなって思います。この人。
だからこそ、その体の状態っていうものを
一つ、その考えの土台の中に入れ込んでみてほしいんです。
体の状態が変われば
パターンも変わり得るわけなんですよね。
ここでダンバーの話に戻ります。
18:01
さっきね、ちょっとグルーミングっていう言葉を使ったんですけど
霊長類、つまり猿とかチンパンジーの群れでは
社会的な絆を維持するために
毛づくろい、グルーミングをするんですよね。
こうありますよね。
日本猿とか、僕らイメージあると思います。
日光のお猿さんがこうやって
モクモクモクってグルーミングをすると。
相手の体に触れてのみを取ったりとか
毛を整えたりする行為ですね。
で、これ実用的な意味、つまりこう
相手の汚れを取って仲間内で
衛生を保つっていう意味だけじゃなくて
あなたは安全、私は安全、仲間だよっていうのを
メッセージ、そのメッセージを体で
伝え合うっていう行為でもあるんですよね。
物理的に猿とかチンパンジーの群れだと
そうやって毛づくろいを一人一人とする時間を取れるわけです。
でも人間っていうのは
群れの規模が大きくなっているわけです。
全員に毛づくろいをする時間がなくなっちゃったんですよね。
その代わりに
2本の手を8本にしたわけじゃなく
僕らは言語っていうものを生み出したんじゃないか
っていう風に言われています。
毛づくろいをする、そのグルーミングの一つの道具として
言語が発達したっていうのが
このロビン・ダンバーの一つの仮説なんですね。
つまりダンバーの理論に従えば
言語は毛づくろいの代替物であって
体で直接伝えていた
安全だよ、仲間だよっていうものを
言葉で効率的に伝えるための
道具であるということなんですよね。
でも、とはいえやっぱり
言語は代替物っていう風に考えられています。
本物と同じではないんですよね。
本物っていうのは何かっていうのは
その身体的な接触です。
言葉でどれだけ大丈夫だよとか
分かるよっていう風に言っても
体が閉ざされていたら緊張して力んで
不合理な状態にあったら
相手の体はそれを安全とは受け取らないかもしれません。
同じように自分の体が力んでいれば
相手がそういう状態
相手が良い状態だったとしても
それをフラットに受け取ることができないですよね。
いくら毛づくろいされてても
ああ気持ちいいなーってだんだん緩んでくればいいけど
いや、でもこの人本当は
危ない人かもしれない。
この間こうこうこうだったから
なんとなく見た目が嫌な感じがするっていう風に
脳の方で思考が入ってネガティブな方入ると
毛づくろいされても体が緩むところじゃないです。
21:02
信頼関係はそこでは気づかれないですよね。
逆に言えば言葉なんかなくても
隣でただ力の抜けた体で
座っているだけでも
相手の体が緩むっていうことがあります。
これは僕自身も臨床の中で
何度も経験してきたことです。
いろいろね、こう施術をするけども
僕はこう
神経、神経師
なので針を打ったり
おきゅうをしたり、あとマッサージをしたりとか
いろいろストレッチとか手術いろいろやったりします。
だけどその技術云々よりもね
あとこう会話のちょっとした技術とか
スキルとかっていうものよりも
あーこいつになったら、大沼先生になったら
話そうかなとか
体を預けられるな
私のこの持っている
うちに秘めているその思いっていうものを
伝えてもいいかなっていう風に思ってもらえることが
何より治療の効果にも
関わってくるんじゃないかなっていう風に
思っているんですね。
あくまでその技術とかスキルみたいなものは
それを強めていくための一つの道具なんじゃないかな
っていう風にも思うんです。
ここからもう一つロビンナンバーの話、グルーミングから
組み込んでみましょう。
ミラーリングっていう現象、用語があります。
ミラーニューロンっていう
神経細胞っていうものを介して
自分の体の状態が無意識に
他者に伝染する、逆模式狩りです。
こういう風に考えられている
学説があります。
力んでいる人のそばにいると自分も力が入っていくと
脱力している人のそばにいると
自分も脱力していくと。
これがコミュニケーションにおいて決定的に
重要なんじゃないかなっていう風にも言われているんですよね。
もちろんこれだけじゃないんだけどね。
分かりやすくこのミラーニューロンっていうものは
結構各所で語られていたりもします。
お互いに緊張してしまうことで
お互いに相手の非言語コミュニケーション
ノンバーバルコミュニケーションが読めなくなってしまう。
言葉だけが空回りしていく。
何を話したらいいか分からない。
話が盛り上がらない。
相手が何を考えているか分からない。
分からないのが普通だと思うんですね。
24:02
盛り上がらない、盛り上がる盛り上がらないっていうのは
その時の状況にもよると思うんですね。
何を話したらいいか分からないっていうのも
話したいことがなければ
話したいと思うこともないですよね。
当たり前のことを言っていますけど、
これ全部脳の方で、思考の方で考えてしまって
体が硬直してしまって
体が閉じた状態で起きていることなのかもしれませんね。
ハンビョンチョルの
疲労社会の会でもこれ触れました。
ミラーリングっていうのは自分を整えることが
最も利他的な行為であると。
これの根拠でもあると思います。
あなたが力を抜くだけで
相手の体も緩み始める可能性があると。
コミュニケーションスキルっていうものを
知識として蓄えていくことも
一つ大事な経路だと思います。
ところがこれが自分の身体感覚というものと
接続されていかなければ
宙に浮いたものになってしまう。
現実世界に接続しない知識っていうのは
体を固めてしまうという可能性もあるんですよね。
これが僕が考える
コミュニケーションの起点の一つになっています。
人見知りの話についても
ちょっとしようかなと思います。
僕自身の経験でもあるんですけど
人見知りの人がやりがちなのって
みんなのこと言ってるわけじゃないよ。
自分はね、かっこつけだったなって思うんですよ。
今もかもしれないけど
誰しもあるんだろうけどさ、
よく見せたいみたいなのはね。
でもこういう自分でいたいな、
こういう風に見られたいなっていうものが
強すぎるがあまり
やっぱり怖がるんですよね。
嫌われないようにとか好かれるようにって。
こういう人間だっていう風に見せようとすると。
で、こういう風にいれば好かれるだろうな
みたいなのって
そんなの人と関わっていかないとわからないじゃないですか。
本当はね。だって相手のこと全部知ってるわけじゃないんだから。
相手の状態にもよるんだから。
なのに自分の中で
完結してしまって
こういう風に振る舞えば大丈夫だろう。
好かれるだろう。
こういう風に見せれば
きっと気に入ってもらえるんじゃないか。
嫌われないんじゃないかっていう風に
多分閉ざされていたんですよね。
つまり自分の内側を出してないことにもなりますよね。
それは相手も僕のことが得体の知れない
27:01
なかなかすんが見えないやつだなっていう風になって
不安になるわけです。
不安になれば固まりますよね。
嫌われないとして演じている姿っていうのは
相手にとっても
ワンアクション増えることになってしまうわけです。
なぜなら
演じている人の体は力んでいるから。
その力みがミラーリングで転生してしまう
相手も構えてしまうという可能性もあるわけだ。
じゃあどうするかって言えば
話の中で自分がどう感じたか思ったか
っていうものをもうね
中心にしちゃってもいいんじゃないかなと思うんです。
言葉がすごく難しいんですけど
自分をそのまま相手に伝えるっていうね。
自分の感じていることっていうもの。
思考とかじゃなく
自分の思想とか思考ではなく
一緒にご飯を食ったら
ご飯を食べたらごめんなさい。
これってこういう風においしいねとか
これあんまちょっと苦手かもっていう風にね
自分がどう感じたかっていうものを
伝えるし相手にも効いていくっていうこと。
これもテクニック小手先なんじゃないかって思うんですけど
実はこれに内包されているのって
相手の身体性自分の身体性を
引き出していくっていう一つのコツにもなるんです。
これがいいんですよねとっても。
カウンセリングとかでも
やっぱり僕もクライアントの方と話してると
なかなかこう内側が見えてこない方っていうのもいらっしゃいます。
もちろんみんなほとんどの方はそうなんだけれども
例えば家族のことで
実は悩んでいるみたいなもの。
いろいろあるんですよ。
普通に首こりとか肩こりから
いらしたんだけど
いろいろ話を聞いていくとどうやらなんか日常的に
その首肩に力が入ってしまうようなことが
あるようだと聞いていけば
実はなんかそれが過程の中で起きているようだ。
でもこれ話していいのかなとか
あんまりいい格好にならないから
話したくないなっていう人ももちろんいらっしゃいます。
だけどそれを聞いていくことで
まあ無理やり行くわけじゃないですよ。
逃走で入っていくわけじゃないけど
30:01
それの中で何が起きているのかっていうのを
掘っていくと
その人の内側のところが見えてくるわけです。
だからどう思ったかっていうところよりも
どう感じたのかっていうところを掘っていくことで
いろんなラベルが剥がれるんですよね。
母親としてこういう風に振る舞わなきゃいけないと思っていれば
家事が面倒でとか
言いにくいじゃないですか。
でも体主本で体を中心にして考えれば
どういう時に体が辛くなりますか
ここが痛くなりますかという風に聞けば
お皿洗ってる時かなとか
主人の弁当を用意してる時とかは
かなみたいな
ここまで直接的には言わないか
弁当を用意してる時かな早起きすることかな
そのお弁当は誰のために作ってるのかなっていうのを
聞いていったら実はお子さんじゃなくて
ご主人だったとかね
これは例えですけど
そういう風に体の方を起点にして掘っていくことで
クライアントの方がどういう人と
どういう事柄と
その身体の苦しさ反応というものが結びついているか
というのが明らかになっていったりすることも
あります。本当だったらね
だいぶ仲
かなり仲良しの友達とかじゃないと
こういう内側のことって話せなかったりすると思うんですけど
どう感じていたのかっていうその身体的なところに
着目していけば意外とすんなり話せたりとか
お聞きすることができたりするんですよね
そういう内側で
自分だけが感じている感覚っていうのを
他者と共有できることってすごく嬉しいこと
なんだと思うんですよ。僕自身もそう思うし
やっぱりその内側
いろんなラベルを取っ払った先にできるコミュニケーション
っていうものはすごく安心感に包まれる
そこからが本当のコミュニケーションになっていく
っていうのを臨床の場面でたくさん経験してきました
もちろん言うほど簡単ではないんですけど
ゆっくり時間をかけてっていう場合もあるし
意外とすんなりいく場合もあるし
こうしたいなと思ってもなかなか
自分の導き方とかブロックが強くて
なかなか行けないなっていう場面も
もちろんたくさんありますけどね
ここまでの話をまた大きな視点で整理してみましょう
僕は身体合理性っていう言葉
概念を使っています
この身体合理性っていうのは
33:00
物理的な、生理的な
解剖構造的な
身体の合理性のこと
どういうことかっていうと、例えば僕らは重力化っていう
地球のところに住んでますよね
重力環境下でエネルギー効率がいい
合理的な身体のあり方を
持っていられるか、骨格で支えていて
無駄に筋肉のエネルギーを使ってない
筋出力を使っていない、筋緊張がない状態
こういう身体合理性が高い状態っていうのは
身体がリラックスしつつ
覚醒もしています
無駄なエネルギー使ってないので
潤沢に血液も回るし
リンパ液だったりとか他のものも
潤沢に回っていくし、疲労も回復しやすいし
筋緊張がないので統率する脳への負担というものも
少ない
骨格構造通り細かく使えるっていうのは
例えば背骨だったらたくさんの骨が
並んでますけど、多くの方は固まっちゃって
ひどいと1本のちょっとひしゃげる棒くらいにしか
扱えてなかったりもするんです
でも本当は1個1個が独立して動くように
人間の体っていうのはできている
そういうふうに合理的に
骨格っていうものを脳が認識できて
ちゃんと動かせるようになっている
そういう脳機能っていうのはかなり脳機能が高い状態ですよね
そうした脳機能の高い状態で
状態を基盤とした
思考とか人間的な
論理的な思考というものも
精度が高くなっていくわけです
感覚器も外の世界に繊細に開いていると
この状態でJ.J.Gibsonという方が提唱している
アフォーダンスというような
環境が差し出してくれている可能性というものが
見えてくるわけです
アフォーダンスというのは
こういうことができるっていうものの
その可能性を見出していく力なんですよね
これは後述して色々詳しく話せればなと思うんですけど
コミュニケーションにおけるアフォーダンスというのは
相手が話しているその微細なサイン
相手が発しているそのサインのことです
声のトーンの変化とか
目線の動きとか
呼吸のリズムとか
これ全部がこう応じて欲しいと
36:01
今こう感じているという行為の可能性だと
考えることができる
体が閉ざされているとこれが見えないわけです
ネガティブに解釈してしまう
そのまま受け止めることができないですよね
おいって言われた時に
怒ってるよ絶対っていう風に
自分を生存させるのに有益な方に
つまり悪い方向に考えた方が
色々対策ができるので
悪い方向に捉えちゃうわけです
でもちゃんと体が緩んでフラットにそれを聞けるのであれば
おいって言われても
あ 呼んでいる
怒ってるかもしれないし 怒ってないかもしれないし
分かんないけど呼んでるっていう風に
対処できるんですよね 実にフラットですよね
その後 怒ってるなっていうのが見えたら
あってなればいいんですよ
無駄にそんな風に反応しなくて済むんですよね
どうしても体がやっぱり閉ざされて
固執していると
こういうネガティブな体の反応というのもそうだし
思考というものも生まれやすくなっていってしまう
さらに
それを知覚できないので
何話そうかな どういう風に振る舞えばいいのかな
という風に考えれば考えるほど力んでさらに見えなく
なってしまう
悩むのって大体夜なんですよね
刺激が少ないときなんですよ
人と関わっていなかったりとか
いろんな情報に触れてないときにそういう風になるんですね
でも身体合理性というのが回復してこれば
このコミュニケーションのアフォーナンスというものが見え始めるようになってきます
考えて話すのではなくて
身体が自然に応答していくと
ダンバーが言う毛づくろいの本質
あなたは安全だよというのを
身体で伝える
それで近づいていくのかもしれません
今日話したのは孤独の問題に身体の状態というもの
そういう変数が深く関わっているんじゃないかという話でした
コミュニケーションの多くは非言語で動いている
体が緊張していれば
その非言語のチャネルが閉じてしまうと
ダンバーは人間関係の親密さの指標として
身体的な距離を使った
つながりの本質というのは
言語以前の体にある可能性があると
ミラーリングによって
あなたの体の状態というのは相手に伝わるし
あなたが開けば相手も開きやすくなる
逆ももちろんしかり
コミュニケーションスキル
コミュニケーションスキルというのを知識として蓄えていくことも
39:00
大事なんだけれども
もう一つの経路として自分の体の状態
あり方
体を解いていくこと 開くこと
そうして身体合理性というものを回復して
感覚チャネルを開いて
相手が発している微細なサイン
アホダンスというものを受け取れるようにするということ
そうするとコミュニケーションは何を話すかというような問題から
体がどう応答するかという問題に
変わっていく可能性があるわけです
最初の質問に戻ると
人付き合いが苦手で友達がいなくなったと
コミュニケーションの本を読んでも
人と話すと疲れる
これが性格の問題かという質問でした
性格の問題なのかもしれないし
体の問題なのかもしれません
そもそも性格ってなんだという議論になってくるとまたややこしくなるので
こういう答えになってしまいますけど
あえて性格という言葉を使わないで
たまたまあなたの
体の状態というのがそうだから
そうなのかもしれないというふうに答えておきます
体が閉ざされの状態にあることが
固まってしまっている状態というのが
いろんなことの
起点になっているのかもしれない
力を入れてうまくやろうというふうにするほどに
体が閉じて感覚が鈍くなって
非言語のチャンネルというのが使いにくくなる
結果いろいろ考えて悩んで
疲れるししんどくなっちゃう
それをさらに距離を取ってしまうという
ある意味自然な防衛反応というかサイクルですよね
ループ
だから逆に言えば体を少しでも開いていくことで
何かが変わり始めるかもしれません
具体的には
例えば次に誰かと話すときにほんの一瞬でいいので
自分の体の状態に
意識を向けてみてほしいんですよ
自分の肩の状態とかでもいいです
上がっていないか 力が入っていないか
もし入っていたら
息を吐いて肩をストンと落とすと
それだけでもいいと思います
もちろんこの質問をくれた方
独特の力みの癖というものがおそらくあると思うんですね
それは身体の強要という
Somatic Studioの中で提供している動画コースがあります
ジャーナリングのコースがあります
学習コースがあります
それを見ていくことで
自分の体がいい状態になるような
行為とか動作というのは何なんだろう
42:02
というのも明らかになっていくし
苦手なものをやっているとき
苦手な人と関わっているときって
体のここが固くなっていたんだ
こういうふうに緊張していたんだ
これ日常にも当たり前になっているかも
というのも見えてきます
つまり言葉だけでは気づけなかった
自分の潜在意識といってもいいかもしれません
内側 本質的なところ
ラディカルなところというのが
見えてくるかもしれません
ダンバーが教えてくれたのは
繋がりには限りがあるということ
でも僕がそこで付け加えたいのは
体が開かれているか つまり緩んでいるか
ほどけているかどうかで
その繋がりの質というのはかなり変わるんじゃないか
ということです
150人とか5人とか1人とかという数字は
正直分からないです
でもその1人との間で
体が開かれて満足にコミュニケーションが
通れているってこれ以上の喜びはないと思うんですね
それが
孤独の反対側にあるものの
入り口なのかもしれないなと思ったわけです
ということで
今日はここまでになります
質問いただいた方ももしよろしければ
ぜひ配信とかも参加していただいて
一緒にコミュニケーションも取れますからね
チャット上でいろいろ言っていただければ
僕もそれについてお答えして
いろいろ細かいお話とか
聞かせていただければなと思います
今後メンバーの方とも一緒に
直接お話できる機会とかも設けられたらいいなと思ってたので
そういうところで
仲良くなれたら嬉しいなと思います
ということでまた次回
ぜひまた聞いてください
それでは
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