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イライラする!「怒り」に飲み込まれないための身体論
2026-03-06 35:10

イライラする!「怒り」に飲み込まれないための身体論

ムキー!!!とイライラが止まらず、気持ちを抑えているだけで精一杯。子供にまた怒ってしまった。「怒り」という感情を現代の医療や哲学はどう捉えてきたのか。その問題点と、身体論からの解決策を提示します。


大沼竜也|tatsuya onuma|somatic studio

感想

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00:00
みなさんこんにちは、大沼竜也です。
今日は、怒りをテーマに身体論の観点から解説をしていきたいと思います。
いきなりなんですけど、ちょっとね、みなさんにも思い出しながら聞いてみてほしいんですね。
最後に怒りがこみ上げたのって、いつ頃でした?
どんなことありました?
なんかね、直近でそういうことあったよっていう人もいるかもしれない。
今日はあったよ、さっきだったよ、とかね。
かなり昔まで遡って、あれは本当に許せなかったなとか、いろんなことを思い返せるかと思います。
調布市の理不尽な一言とか、SNSで既読無視されたとかね。
子供が何度言っても靴を揃えないとか、あるあるかなと思うんですけど。
その瞬間に、考えるよりも先に、身体が変わっていなかったかと。
肩がギューって上がったり、くばきって噛み締めてたりとか、息が浅くなって。
胸の上の方だけで、ハッハッハッハッみたいな感じで呼吸してる。
お腹の方も固くなってたかもしれないし、手が冷たくなってたかもしれないし。
胃のあたりがグーッと競り上がってくるような、何とも嫌な感じ。
おそらく皆さんもそういう、怒った時っていうのを思い返すと、
怒りっていう風に名前を付ける前に、そのラベルを付ける前に、この身体の変化っていうのをおそらく経験していると思うんです。
ムカつくなーっていうのであれば、胸がムカムカするとか。
腹が立つっていうのであれば、お腹が立ち上がるように固くなってくるとか。
腹綿が煮えくり返るっていうのもそうですね。
内臓が熱くうねるような感じ。
それから頭に来るとか、切れるとかって言いますよね、最近だと。
日本語の怒りの表現っていうのは、実に正確に身体を描写しています。
これは比喩ではないんですよね。
むしろ先に身体の出来事っていうのがあって、そこから言葉が当てはめられていっている。
これは実際に僕も臨床の中で感じることって結構あるんです。
怒りとかを抱えている、そういう人の肩とか首とか胸とか背中とか、一番分かりやすいのはお腹なんですけど。
単純な懲りとはまた質感が違うんですよね。
何とも言えない、普段から人を触っている習慣があるからこそ分かるものなのかもしれないですけど。
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おそらく共感してくださる施術家、インストラクターの方は多いんじゃないかなと思います。
長い時間をかけてじわじわと溜まっていっているようなもの。
ここの場所が硬いよとかっていうふうに明言できるわけではないんですよ。
なんだけど、何とも嫌な感じの張り方っていうのがある。
この硬さ、嫌な感じ、触ってても分かるようなその体の変化っていうのが、
もうすでに怒りの正体の少なくとも一端になっているんじゃないかなっていうふうに学んできたし、自分の実感としてもあるんです。
これをセネカっていうローマの哲学者の方、紀元前1世紀のローマの哲学者が書いた、
怒りに関するおそらく最古の体系的な考察である怒りについてっていう本から、
今日は解説をしてみようと思います。
2000年も前のものなんで、ちょっと今の考え方と違うんじゃないのって思いがちなんですけど、実はそんなこともないんですね。
このセネカっていうのはストア派の哲学者で、皇帝ネロっていう方の家庭教師だったそうです。
いわば偉い人ですよね。権力の中枢にいながら哲学を書き続けた人だった。
その文章の中には独特な権力の中で渦巻くような政治の世界とか、楽しいこと明るいことばっかりじゃない、
暗闇をくぐり抜けたその人間の冷静さというものを感じます。
もちろん日本語訳でしか読んだことないんですけど、僕も。
原文にはそういった進退性がもしかしたらもっと現れているのかなぁとも思います。
セネカはこの本の中で怒りをこういうふうに定義しています。
怒りっていうのは一時的な狂気であるっていうふうに言っています。
つまり理性が手綱を外したような状態。
だからこそ理性を取り戻せっていうふうに言っているんですね。
一呼吸、OK。鏡を見ろ。
怒っている自分の醜さを見れば冷静になるよっていうことを2000年も前に言っているわけです。
いろんな嫌なことあったんでしょうね、きっとね、セネカ。
で、これって実は皆さんも分かりやすいと思うんですよ。
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この処方箋っていうのが今も形を変えて使われています。
例えばアンガーマネジメントっていう言葉、聞いたことあるという方いると思います。
アンガーマネジメント。つまり怒りをどうマネジメントするかということですね。
この中で例えば6秒ルールっていうのがあったりします。
怒りの衝動っていうのは6秒で収まるから6秒数えましょう。
こういうふうに言うんですね。科学的に研究をして。
どうやら6秒我慢できればその怒りの度合いっていうのは沈むらしいよ、落ち着いてくるらしいよっていうのを
研究の中で明らかにした人がいました。
それから、昨今すごく人気の旺盛な認知行動療法っていうやつです。
ここでは認知を書き換えていくようなアプローチをするんですね。
きっとあの人は私のこと嫌いなんだろうっていう捉え方があなたを苦しめているから
嫌いなんじゃなくて、もしかするとあなたのことを期待していて
あなたにいろんなことを考えてほしいから厳しくするんじゃないか。
そういうふうに認知の歪み、おそらくこうだろうっていうような捉え方の小暴りっていうのを解いて
もっと良い方向に考えてみようよっていうようなアプローチをします。
これが認知行動療法で。
それからマインドフルネスの怒りを観察するっていうものです。
マインドフルネスっていってもいろんな派閥が、派閥っていうかやり方があると思うんで
その中でもね、割とこう思考を静かに、何も考えないでただ呼吸をしましょうとか
落ち着いた心を持ちましょうとか
幸せの時を想像しましょうとか
自分の中の怒りを観察しましょうとかっていうふうに言ったりするんですね。
すごく抽象的ではあるんですけど
だからこそ良い方向に行く人もいれば
何のこと言ってるかさっぱりわからんと
なんだスピってんのかっていうふうになってしまうこともやっぱあるんですよね。
この今お伝えしたアンガーマネジメントとか認知行動療法とかマインドフルネスとか
これ以外にもたくさんあります。この怒りを何とかしようと
この怒りに飲み込まれるのがしんどいから何とかしたいっていう
そういった私たちの声っていうのが
こういった一つの処方箋対処法として出ている。
どれも有効な経路であることは間違いないと思います。
助けられてる人も実際僕も臨床とかで話聞いてて
同業の方とお話聞いてて
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それで救われたっていう方もいるし
多分自分自身もそうだと思います。無意識にこう考えてみようとか
ちょっと気持ち落ち着けて寝れば忘れるわとかね。
これを否定したいわけではないんですよ。
ただどれも共通している構造があるんじゃないかと思うんです。
それがどのアプローチも怒りっていうものを
意識の層、有意識の層、つまり思考とか認知とか
ラベルみたいなもので扱おうとしているっていうこと
これが共通していると思うんですね。
セネカが2000年前に言った
理性で制御せよっていうようなものが形を変えて
今も引き継がれているわけです。
すごいことですよね。
すごいことなんだけれども
ここね、暗黙のうちに前提にされていることがあるということです。
すごいガッと全体を抽象化すると
認知が変われば解決するっていう前提なんですよね。
つまり考え方、捉え方を変えれば変わると
果たして本当にそうかなっていうところを
今日は突き詰めていってみたいと思います。
僕自身は正直このセネカが言っていることを
全くその通りだなと思うんですけど
一部賛同できない部分があります。
それは怒りっていうのは理性の不在であるっていう前提です。
理性の不在である。
まるで理性さえ戻れば問題は解決するっていう風に
語っているように僕は読み取ったんですよね。
他のアプローチというのもそうだと思います。
自分の中で解釈を変えれば、理性的に保てば大丈夫だと。
でも怒りで悩んでいる、自分のその怒りの感情について悩んでいるという方は
理性がないから起きているわけでもなさそうに見えるんですよ。
むしろ理性的であろうとするからこそこの怒りというものに苦しんでいる。
これが体に蓄積しているというような場面をたくさん見てきました。
もちろん自分自身を振り返っても思い当たるところがあったんですよね。
セネカというのは怒りが体の変化から始まるということを精密に記述しています。
体の変化から始まるということは精密に記述しているんです。
顔が赤くなる怒りとは顔が赤くなって目が充血して手が震えて声が高くなると、
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呼吸が荒くなって、これらの体の変化というのは怒りの前兆だというふうに言うんです。
怒りそのものじゃないというふうにセネカは言っているんですね。
この前兆の段階で理性というものが介入すれば怒りは止められるというふうに言うわけです。
これがね、あのセネカのすごい目だな、観察眼だなと思うんですけど、
逆にこれが今も引き継がれているこうしたアプローチ方法の限界でもあるんじゃないかと思うわけです。
セネカは体を見ていたんですよね、ちゃんと。
だけど、制御すべき対象として見ていたというふうにも言えると思う。
体が怒りの信号を出していると、怒りの反応をしていると。
だからこれを理性で止める必要があるぞと。
体は暴走するものだから、理性がそれを制御するんだよ。
別にデカルト的な、心身二元の、西洋的な捉え方、今までのね。
この原型という構図がやっぱりここにも現れています。
臨床で実際に僕が触れる怒りを抱えている、イライラしちゃってもう自分嫌になっちゃうよというような悩みを聞くような方。
その方の体というのは、暴走しているわけではないんですよね。
むしろ逆で、長い時間をかけて固着していっているような、怖がって固まっていっているような。
肩がギューッと上がっているとか、食いしばりがガチガチになっているとか、胸のところがギューッと閉じていて呼吸が浅くなっているとかね。
この形というのは、一時的な狂気だけではないんですよね。むしろ慢性的な構えに見えます。
実際にベッドに寝てもらって、施術するのに体に触れていった時、その時その人が怒っているわけじゃないんですよね。
僕が怒らせたならまた別ですけど。
大抵の場合は、やっぱり振り返ったり、最近こういうことがあって本当さっていう風に話しているので、落ち着いているはずなんですよね。
リラックスできる時間だと思って来てくださっている。
ところが体には、怖がったその構えというのが残っているわけです。
つまりこれは慢性的な構えという風に言えるわけです。
体がこの形で固まっている時っていうのは、些細なきっかけで怒りが発火します。
上司の一言なのか、子供の泣き声なのか、パートナーの何気ない態度なのか。
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火種っていうのは環境にあるっていう風に言えるかもしれないんですが、そこには着火しやすい体があるわけです。
何にでもカリカリしているっていう人だっていますよね。
何が触ってもガスバーナーみたいにけたたましい音を立てながら燃えるっていうこともあると思います。
明らかにイライラしているっていうこと、そういう人いたりとかしますよね。
前のブログの記事、ポッドキャストの話でも、
アントニー・ダマシオっていうソマティックマーカー仮説を唱えた方の感情の感想について書きました。
感情の回想。
ここで感情は体から立ち上がるっていう話をしたんですよね。
感情は体から起きているものだよと。
怒りっていうのももちろん例外ではないです。
怒りには怒りの体の反応があります。
おわまっていて、ガーッと興奮しているような状態。
その体の状態っていうのが怒りという経験として無意識に立ち上がるわけです。
セネカはこの体の変化を怒りの前兆と呼びました。
しかしそれは前兆ではなくて、怒りの体そのものだったんじゃないかということです。
むしろこう捉えた方が僕らは介入の方法が見えてくる。
セネカは西洋的な考え方、捉え方をした方です。
ここで東洋的な方に一回振ってみましょう。
僕は新旧種なので、東洋医学の観点からも体とかその人を見ていったりもします。
例えば腹が立つということです。
日本語を話す方なら誰もが知っていると思うんですね。
古い言葉では腹というところが感情を宿る、その場所、感情を司るその場所という風に意味していたんですよね。
腹を割って話すとか、腹ぐろいとか、腹を据えるとか。
日本語では一貫して感情の中枢というのを頭じゃなくてお腹の方に、腹のところに置いてきているという文脈があります。
僕が一番調べた中で竹取物語の中には腹立つという表現が使われていました。
実に千年以上前なので、日本人というのは怒りの出所というのを腹の出来事として語っていたというところがここからも見て取れるかと思います。
そして東洋医学の中ではこの腹というのをただの比喩じゃなくて文字通り診察の対象にしてきました。
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東洋医学では腹診という診察方法があります。
患者に仰向けに寝てもらってお腹に手を当てていて、どこの場所でどんな硬さがあって、どんな温度でどんな張り感があって、
押すと痛いのか、気持ち悪い感じがするのか、こういったところをクライアントの方に働きかけながら、問いかけながら確認していく。
東洋医学における腹というのは、つまり肝臓と内臓が交差する場所というふうにも言えます。
その中でも胸胸駒っていう症状があります。
漢字で書くと、すごい四文字熟語みたいなあれなんですけど、
肋骨の下縁のところ、溝口のところですね。
そこに手を滑り込ませるように触ってあげると、
抵抗がある、もしくは硬いとか、押されると気持ちが悪いとか、
この上腹部、腹の上の部分の肋骨の近くのところが板みたいに張り詰めているというような症状があったりします。
僕は割とギチッと中に硬いものが詰まっているような、張っているという感覚がすごく、
僕の認識としてはあるんですけど、これが胸胸駒と言われるような腹症ですね、症状。
現代の漢方医学とかの中でも、これをやるかどうかみたいな、
サイコザイとかだったかな、漢字が難しくて、
文字面ではなんとなく見たことあるんですけど、何て読んでいいかわからなくて、
僕なりの読み方で読んでいたりするものもあるので、調べてみてください、気になる方は。
確かサイコザイってやつだったかな。
これを処方するかどうかっていうところの判断基準になっていたりもするわけです。
この所見がどんな人に現れるかというと、これがイライラしている人なんですよね。
ガスバーナーの人です。
東洋医学では肝というのは怒りを司るという風に言います。肝臓の肝ね。
肯定代形という東洋医学の古典があるんですけど、
怒りは肝を傷つけるという風に書かれているんです。
それから土足起上とか、怒れば木は上に登るんだという風にも言ったりする。
この肝という肝臓の肝というか肝は、西洋医学で言う肝臓とはまたちとちと違うんですよ。
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気の流れを調節していて、肝臓を疎接する、つまり滞りなく巡らせる働きを担うという風に考えられています。
この肝の疎接、流れというものが滞れば、気が鬱血していく。
胸とか脇腹が張ってきて、イライラが募って、肋骨の下が硬くなると。
怒りが慢性化すると、肝気が横逆して、火とか火を生かして、
食欲が落ち込んで、胃が痛んで、お腹が張るという風に消化器系の症状まで出るという風に言われるんですね。
漢字ばっかりで聞いている方も疲れると思うんですけど、読む方も疲れてきますね。
つまりは何が言いたいかというと、東洋医学というのは、2000年も前から怒りはお腹に来るということを知っていたわけです。
おそらくもっと前からそれというのはあったんでしょうね。
しかもそれは情緒的な比喩としての表現ではなくて、触れて確認できる体の初見として定識化されていた。
怒りを抱える人の肋骨の下に手を当てれば硬いんだよと。
横隔膜が硬くなっているとか、内臓のところがすごく張り感、硬さを持っているとか、肋骨の動きが制限されているとか。
解剖生理的な目線を見れば、いろんなものを考えられると思います。
この硬さというのが、イライラが体に緊張をもたらして、その緊張の中心というのが、横隔膜で隔たれた肋骨周辺の腸腹部、味噌汁あたりのところに熱として停滞するというふうに言われています。
腹が立つというのは皮膚ではなかったんですよね。文字通りお腹が硬くなって競り上がって立ち上がっていたわけです。
つまりセネカが見たのは、肩から上の変化が特に多かったんですね。顔色とか目の充血とか声の変化とか。
それから手ですね。手が震えたり冷たくなったりとか。
でも東洋医学はもっと中心部というか下の方を見ていた。全身的に体を見ていた。
手で触れてその感情を体から理解しようとしていたわけです。
ここで怒りを3つの層に分けてみたいと思います。
1つ目の層が今まで話していた体の状態ですね。
肩が上がって呼吸が浅くなって方角膜が硬くなってくる。
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肋骨の下が張り詰めてきていわゆるさっき言った胸胸駒の形になっていると。
体の不合理、身体不合理というものが蓄積して
現感覚でいう嫌な感じ、不快なシグナルというものが慢性的に体から出ているわけです。
しんどいよ、しんどいよって体が言っているんですよね。細胞一つ一つが。
この層に物語というものはありません。ただ事実として物理的な反応としてそうなっているんですね。
そして2つ目の層です。
この体の状態というものが僕らの意識、認識に昇ってきます。
感じとして立ち上がってくる層。
むかむかするとか、胸が突っかえるとか、
こめかめがズキズキするとか、
肋骨の奥が重苦しいとかね。
これはジェンドリンという方がフェルトセンスという形で言葉にしていたりもします。
まだ言葉にならないけど、感情の名前はついていないけど、
体の状況全体に対する案罪的な意味応答といいます。
つまりこの層には名前がないけど、なんか嫌な感じというのがあるんですよね。
そして3つ目の層。ここで名前がつきます。
怒り。私は今怒っているなとなる。
さらにここで思考が膨らんでいきます。物語が生まれていきます。
あいつが悪いんだな。
なんでいつも私ってこうなんだろう。
許せない。
こんな風にナラティブが広がっていく。
ここまで来ると思考がブンブンと回り始めてきます。
物語が丁度臆動します。
あいつが悪いと思えば、そのあいつが悪いって考えただけでまた体の反応が誘発されて、
なんで私っていつもこうなんだろうって自分を責めるような思考が自分の体を閉ざしていく方向に反応を起こさせる。
つまり情動というものが物語を強化するループが回り始めるわけです。
思考が情動を強化していく。両方あります。
僕がよく言っている思考の檻のことですね。
自分の中で自分の嫌な感じをどんどんどんどん膨らませていってしまいます。
アンガーマネジメントもCBT、認知行動療法というのも主にこの第三の層で働いていきます。
アンガーマネジメントで怒りを感じたら6秒待ちましょうというのは、
物語が走り始めるのを一時停止する技術とも言えるかもしれません。
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認知を書き換えてというのは物語を別の言語に物語に置き換える技術。
怒りというのは期待の裏返しでもあるんだよなーってこれよく言われるものですね。
怒りの奥にはこうあって欲しかった、それがあると言われます。
調子にはちゃんと見て欲しかった、パートナーにはわかって欲しかった、子供には言ったことを守って欲しかった、
期待があるから裏切られたっていう風に感じて裏切られたから怒りとして反応する。
あいつが悪いっていうものから自分は勝手にあの人に期待してたのかっていう風に視点が変われば物語としては少し緩みますよね。
柔らかくなるし、そう考えるとなんか素敵に聞こえるし体もふっと緩んでくる気がします。
そういう意味でこれらのアプローチというのは有効ですし、実際に助けられている人多いです。
否定したいわけではないんですね。
ただ、この認知の歪みっていうところに気づいて捉え方が変わったとき、
あ、私は期待していたのかっていう風に思ったとき体はどうなっているんでしょうか。
怖がったままですかね。
おそらく腑に落ちるような、ふっとお腹の力が抜けたような楽な状態になっているんじゃないかと思います。
つまり捉え方が変わるっていうのは、
頭の中だけで起きる情報を書き換えているわけではないんですよね。
それだけではない。
身体的な構えが変わるっていうことなんです。
認知が変わるときっていうのは体が動いています。
体がうーって怒りの感情のまま認知を書き換えようとしても、
私は悪くないし、あの人も悪くないし、しょうがないんだって思っても体がそう反応していれば、
そう思いたくても思えないんですよね。
認知と、認知の変容と体の変容っていうのは別々の出来事じゃなくて、
同じ出来事の2つの側面だっていう風に考えられるわけです。
認知的なアプローチが効くとき、それは認知が体を動かしたからとも言える。
しかし認知を操作しても体の構えが動かないケースがあるわけです。
これは認知が間違っているわけじゃなくて、
体がまだ怒りの形をしているからです。
その構えをほどかないから。
認知が体を動かせなかったとき、僕らの思考っていうのは宙に浮いていきます。
こんな風に体っていうところを1つ要素として含めてあげることで、
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僕ら自身の全体性っていうのが明らかになってきます。
こう思いたいのにこう思えない。
なんてダメなんだってまた物語を作って自分を責めるっていうのが、
現代的なアプローチの中ではすごく多いんですね。
そうした経験を対人支援する側として感じた人も、
自分を何とかしたいって思った人も、やっぱりその壁にぶつかって
こうしたソマティクスに興味を持つっていう方も非常に多いわけです。
それに関してソマティクス的にはこういう風に感情を見るんだよっていうところを
今日はお伝えしました。
ブログノートの方で今日のテーマのことをより詳しく話していたので、
ぜひ興味がある方はそっちも読んでみてください。
またちょこちょここういう話は多分していくと思いますので。
で、ソマティックスタジオっていう名前で定期配信をしています。
こういったちょっとしたコラム的な身体論の観点からいろいろこう
紐解いた話だったりとか、そのロジックをお伝えしたりだとか、
それからじゃあここからこの怒りの体の構えってのはどうすればいいのっていうところを
ソマティックスタジオでは一緒に身体胴体瞑想っていう僕が提供している処方箋から
体の解き方っていうのをお伝えしています。
お伝えしながら一緒にやる時間も設けています。
週2回ライブ配信とアーカイブ残しているので、週2回、月8回ですよね。
月8回もね、身体に向き合っていくっていう習慣を作っていくと結構変わっていきます。
なかなかね、身体の方に目を向ける焦点意識を持っていくって
普段の生活ではすごく難しいんですよね。
僕自身もこれをやり始めてから、いかにこんだけ自分で勉強してたり
クライアントに体に触っていても
自分の体に向き合う時間ってそんなに取れてなかったのかなって思ったことがあったんですよね。
これって説明するよりもやっぱり体で起きていることなので
実感していただいた方が分かりやすいと思います。
ぜひ1ヶ月だけでも参加することは可能ですので
いつ入ってもいつ出ても全く問題ないです。
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ちょっと興味あるなと思ったらぜひ来ていただいて
もういいやって思えば全然抜けていただいて大丈夫です。
また必要になったらすぐ来ればいいし
ずっとこれを高め続けていきたい、
身体に向き合うきっかけってのが欲しいなっていう場合は
ずっといていただいてももちろん構いません。
むしろ嬉しいです。
そんな風に興味ある方はぜひSomatic Studioのほうも見てみてください。
ぜひお待ちしてますので。
それから3月6日でしょ。
4月開いたくらいに市塾の2回目の応募をしようと思っております。
こういったものをもっと体系的に細かいところも学んでいきながら
対人支援の場でカウンセラーとかコーチとかセラピストの方とか
臨床科の方、治療科の方
いろんな対人支援の場にいる方のために
僕が学んで整理してきたこの身体論、ソマティクスの知見というものを
みっちりお伝えする場として
大沼達也の市塾っていうのをやっています。
これを新月に応募する予定だったので
興味ある方はぜひ待っていただければと思います。
詳細とかね、いろいろ気になることあれば
コメントとかTMとかでもいただければ
いつでもお返事しますので
ぜひ仲良くしていただけたら嬉しいなと思います。
後半長かったね。ごめんなさい。
ということで今日は怒りについてお話ししました。
面白かったよっていう方はぜひフォローしていただいて
チャンネル登録っていうのかな?
リアクションいただけると嬉しいです。
またぜひ聞いていただけると嬉しいです。
お待ちしてます。
それではまた会いましょう。
のんべんならりと今日も一日過ごしていきましょう。
35:10

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