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AIは最高の友達?|AI化する私たち
2026-03-04 12:36

AIは最高の友達?|AI化する私たち

AIに心の相談をする人が増えました。私自身、クライアントから聞くこともあり、どれ使ってみようとGPT,Gemini,Claudeで相談をしてみました。(これはのちにアップするね)。

それぞれの特徴的な応答のパターンがあるようにも感じますし、相手が人間ではないからこその独特な弊害を感じます。


耳障りの良いことしか言わない、ということです。構造上、LLM(大規模言語モデル)はサービスです。利用者に喜んでもらう必要がある。


利用する私たちが、本当に自己理解をしたいのか、つまり耳にいたいこともはっきり言ってもらえた方がいいと思っているのか、


なんとなく自尊心を保てることを言ってもらえることが嬉しいのか、で彼らの応答は変わっていくということです。


AIが私たちの人間性を育んでくれる、素晴らしいツールになるのか、


夢の中に閉じ込めて吸い上げられるツールになっていくのか。


利用者である私たちが、人間性、身体性ってこれだよね。という軸を持てなければ、LLMという自然に飲み込まれてしまうのではないでしょうか。

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話している人(大沼竜也|somatic studio)について

⁠https://www.somaticstudiojapan.com/tatsuyaonuma

感想

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00:00
すごく幸せな気持ちになったんですよね。
もう本当にこれだよなっていう。
こんにちは、新旧誌でソマティクスの発信をしている大沼です。
どうでしょうか?皆さん、AI使ってますか?
ちょうど去年冬くらいからかな、AIっていうのがすごく台頭してきて、
ChatGPTとかが普及してきて、
僕も出てきた当初の頃に、ちょっと触ってみようと思って触り始めてから、
今では仕事に関しても生活に関しても、
もうないと結構困っちゃうっていうくらいまでお世話になってます。
例えばセッションの文字起こしとか会議の文字起こしとかもそうだし、
いろいろ僕が集めた情報とかを格納したものを整理して手伝ってくれたりとか、
新しい企画を立てたりだとか、
そういったものの中で最高の道具なんですよね。
そんな中で、この最高の道具であるChatGPTとかが代表するAIっていうのが、
なんか新たなフェーズに進んでいるようにも思ったんです。
ChatGPTは私のこと全部わかってくれてる、マジで神だわとか、
悩みを相談したら完璧な共感と解決策をくれたとか、
もう人間の友達いらないかもとかね、
AIがもう最高のパートナーですとか、
最高の道具だと思っていたものが最高の友人へ変わっていくような、
今の時代の空気が一つ良い方向に向かっているのかなとも思えるようなこの雰囲気なんですけど、
僕自身はこの風潮に強烈な不安とか、
言葉にしがたい違和感っていうのをどうしても覚えてしまいます。
さっきの完璧な共感と解決策っていうのをくれた親友にも、
ここまでしてもらったことはないっていうような投稿とか、
一見素晴らしいことのようにも見えるんですけど、
でもそれって本当に友情なのかなと。
僕らが人間関係に本当に求めていたものって、
それだったのかなっていうふうに思うんです。
今日はこの僕が抱いた疑問っていうところをテーマにして考えていってみたいと思います。
まず、この問題を考えるために言葉を定義しておく必要があります。
AI とは何なのか、そして友人とは何なのかっていうところです。
第一に、Chat GPT AI の本質。
これは大量の情報を統合して、
ユーザーが求めるものとか、
論理的に期待される応答を極めて高い精度で推論して提供するシステムです。
思考整理するにはこれ以上ない最適化された道具、
これが AI の本質なんですね。
では第二に、友人とかパートナーっていう他者、
人間の本質って何なんだろう。
実はそれが AI と真逆なようなんです。
予測不可能な応答っていうのを提供して、
こちらの想定を気持ちよくあるいは不快に裏切ってくる他者であること、
03:04
これこそが人間の本質です。
AI が期待通りの世界を整理してくれる存在だとしたら、
人間は期待を裏切ることで、
私たちの自分の世界を強制的に広げてくれる存在なんですね。
ここでさっきの風潮に戻ります。
何で期待通りの道具に期待を裏切る他者の役割を求めるんだろうと。
それは予測不可能な他者とのコミュニケーションっていうものを、
コストとかリスクとして回避したいっていうような大きな巨大な欲求なんです。
そもそも予測不可能な他者と関わる経験っていうのが減っているっていうこと。
そして何よりも私の言うことを100%肯定してくれて、
私に完全に最適化された存在だけが欲しい。
これは言い換えれば、ある種自己愛の肥大化とも言えるかと思います。
この真のシステム、つまりリスクゼロの承認欲求、
この受け皿として、ChatGPT は完璧に機能してしまっている。
これがChatGPT が友人であるっていう風潮を生み出す真の本質なのかなと思います。
ちょっと真面目に話してましたね。
そもそもこの話を何でしようかなと思ったかって、
今日目覚ましテレビで、神兎ロペわかりますか皆さん。
ロペの話で、ロペがこだつでリス先輩と一緒に座ってたんですよね。
その時に、いやもうマジ最高の友達っすよみたいな感じで言ってたんだよね。
スマホ見ながら、もう何でも僕のこと褒めてくれる、肯定してくれるんですみたいな話をした時に、
あきら先輩が急に応答しなくなって、答え返さなくて、
ロペもおる?と思ったら、急にあきら先輩がこだつをバッと出て、
何の脈絡もなく、確かにキャーとか言ったんだったかな。
なんか気性を上げたんですよ。イエーイだったかな。
まあ気候ですよね。変な行動した。
そしたら一瞬こう変な空気が流れて、あきら先輩がAIがこんなことをするかって言ったんですね。
そしたらまた一つ、一呼吸間があって、
ロペとあきら先輩が二人でキャラキャラ笑い出すっていうところで終わったんですよね。
今日そういう話だったんですよ。
10月22日に今撮ってますけど、
すっごく朝見てすごく幸せな気持ちになったんですよね。
本当にこれだよなっていう、論理的な意味なんてそこには全く存在しないし、
会話の文脈とかも関係ないんですよね。
でも面白いしわかるなって思ったんです。
ロペにはあきら先輩がいる。
だからこそ100%肯定してくれるような何の摩擦も生まない、
何の想定外も生まない、
Chat GPT を道具として再認識したそのきっかけ、
出来事だったのかなっていうふうに思ったんですね。
06:01
これはちょっと話しとれちゃったんですけど、
話の最後の方につながるので覚えておいてくださいね。
じゃあ本題に戻りましょう。
さっき定義したChat GPT が最高の友達だっていうようなもの。
これがリスクゼロ、
リスクを全く伴わない承認欲求を保管してくれるシステムだっていうふうに定義をしました。
これが私たちの実存に対してどんなことをもたらすのか。
ここでこのシステムの論理的な機械と、
僕らが失う人間の現実っていうのを意図的にぶつけてみましょう。
まずAI、システムの論理的な機械としては、
私に最適化された完璧な工程です。
今日上司に理不尽に怒られて最悪だ、
もうやめたいっていうふうにChat GPT に送ったとします。
そうすると即座に、
それは大変でしたねと、
あなたの気持ちとてもよくわかりますよ。
あなたは何も悪くありません。
あなたはいつも真剣に仕事を取り組んでいて素晴らしいです。
何か気分転換になるアイディアを10個提案しますねっていうふうに、
完璧な共感、完璧な需要ですよね。
受け入れてくれてます。
一切の否定も予測不能な反応もない。
システムは僕らが傷つかないように、
私たちの自己愛っていうのを完璧に保護してくれます。
ではこのシステムが排除した人間の現実っていうのは何なんだろう。
それは例えばこんな現実です。
いや今日上司に理不尽に怒られて最悪だよって、
もうやめたいわって。
そしたら友人が少し間を置いて、
うーんまあでもさ、
それお前にもちょっと原因あったんじゃないのって、
ちょっと冗談混じりに話す。
時によってはムカついちゃうかもしれませんね。
期待と違う答えかもしれない。
でもこれが実存です。
でもその一言のおかげでちょっと腹立ちながらも、
普通に話聞きない、受け入れてくれないのかよっていうふうに思いながらも、
ああそういう視点もあるかと。
自分の世界が広がったり、もしくは、
いやそんなことねえんだよ、お前ムカつくなあっていうふうにこう、
ちょっと喧嘩っぽくなることもあるかもしれない。
こういう怒りっていうような身体反応を経験することで、
あ、自分はこういうところで怒るんだな、
こんなところにこだわってるんだなっていうのを、
無意識に認識していくんです。
つまり自分の輪郭がはっきりしていくんですね。
AIは完璧な需要と共感。
何も悪くないですよ、完璧に共感します。
友人は、いやお前も悪いとこあったんじゃない、笑い混じりに。
システムの論理は快適な自己を守ります。
人間の尊厳、実存は不快な他者によってのみ拡張されます。
私たちは、AIは最高の友達だっていうふうに宣言するとき、
これを言い換えると、
私たちにとって快適な答えをくれる存在こそが友達だと、
09:02
友情の定義を書き換えていることに他ならないんですね。
それは友情っていうような実存的な、
実際に存在しているその価値を
引きずり下ろすような行為であるとも言えるわけです。
そしてこのシステムが生み出した不条理こそが
冒頭でお見せしたあのSNSの投稿ですね。
AIは最高の友達だ。
もう人間いらないかもっていうような
みんなの口から出てくる言葉、気持ちっていうものが
本来あるべき人間関係を気づけなかった
予測不可能な他者との関わりっていうようなことが
たまたまできなかった。
最適化された自己愛っていうような
快適な自分の殻に閉じこもることを選んだ
っていうような宣言にも
私には見えてしまっていたんだと思います。
少し食い込んだ話をしたので
皆さんの中にもちょっと反論っていうのが
思い浮かんでいる方もいらっしゃるかもしれません。
いやでもAIのおかげで
孤独から救われてる人もいるんじゃないの?
人間の友達に裏切られて傷つくよりマシだろ?
AIだってそのうち予測不可能な応答っていうのが
できるようになるかもしれないじゃないかと。
いや本当に全く全部その通りだと思います。
AI自体が人間のセーフティーネットとして機能することは
これは僕も絶対に否定しません。
むしろ非常に価値があることだと思っています。
対人支援の仕事をしていても
素晴らしい相棒ができたなっていうふうに思っています。
なんですけどこれも治療とか
道具としての価値なんですね。
それを友情とかパートナーと呼んでしまった瞬間に
私たちは最も大事なものを見失ってしまう。
AIがいくら進化しても
それは推論された予測不可能性です。
予想できる予想外のこと。
本当に大事なのは他者だけがくれる
推論や論理の外側にあるものなんです。
ここでさっきの紙ウサギロペの話に戻りたいと思います。
あきら先輩が
突拍子もなくキャーっていうような気勢を上げた。
あれはAIには生み出せません。
なぜなら論理的な意味も期待される文脈もないから
何に最適化していいかわからないからなんですね。
あれは論理とか思考以前の
ただそこにいるっていうような身体的な
つまり実存的な共生からしか生まれない
そういうノイズなんですね。
僕らが本当に求めている人間関係の価値っていうのは
あの意味のない規制
ギャーっていうような規制とか
気候だったりとか
つまり一緒にいるだけでなんか楽しいんだよねとか
予測不可能な根っこ
ラジカルな部分にあるんじゃないかなと思います。
僕らが直面している問題の根源っていうのは
AIが友達みたいだっていうような個々の現象ではありません。
その失敗を必然的に生み出す
リスクゼロの承認欲求っていうような
12:01
真のシステム、本質そのものにあります。
ChatGPTは私たちがこの根っこ、実存から目を逸らして
快適なシステムに閉じこもることを
あまりにも強力に支援してしまう
完璧すぎる道具なんです。
AIが提供する快適で最適化されたシステム
この論理とムカついたり、傷ついたりしながらも
想定外の喜びに満ちた私たち、人間の現実
果たしてこの2つはこのままでいいのでしょうか。
12:36

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