考えすぎて眠れない夜がある。ノートに書き出しても、AIに相談しても、答えが出ない。
でも、その「考えている」は、本当に考えているのだろうか。
哲学者・中村雄二郎は『臨床の知とは何か』の中で、近代科学が前提にしてきた「知」が切り落としてきたものを指摘した。個々の固有の状況、多義性、そして何より──知る者が身体を持ってその場に立ち会っているという事実。
鍼灸師として施術室に立つ中で、思考が止まらない方の身体に触れると、ほぼ共通した特徴がある。頸椎から肩にかけての強い緊張、板のような胸郭、浅く速い呼吸。身体が閉ざされたまま、記号だけが回り続けている。
このエピソードでは、中村の「臨床の知」を手がかりに、「考えているようで考えていない」という逆説をほどいてみます。ChatGPTの時代に思考の檻がどう補強されているか、そして身体が開き始めたとき何が起きるかについても話しています。
ブログ「身体知の書庫」と合わせてどうぞ🤲
感想
まだ感想はありません。最初の1件を書きましょう!
27:25
コメント
スクロール