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悪用した才能の末路。なぜ、この幽霊は頭を叩かれ続けるのか?
2026-08-15 11:39

悪用した才能の末路。なぜ、この幽霊は頭を叩かれ続けるのか?

現役のお坊さんが体験した怪談と、仏教に伝わる「幽霊」の物語を紹介します。ダンマパダ・アッタカターに伝わる幽霊の話からブッダの教えを通し、現代のAI等にも通じる「技術と倫理」の本質に迫ります。


【目次】

お坊さんの心霊体験

ダンマパダ・アッタカターの幽霊譚

ダンマパダ第72偈


【出典】

ダンマパダ・アッタカター


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【大忍貫道プロフィール】

1987年福岡県生まれ。花園大学文学部卒業。臨済宗妙心寺派僧侶。

尾張妙興寺僧堂にて修行。

2011年より九州地方の臨済宗妙心寺派寺院にて住職を務める。

SNSでも仏教の情報発信を行い、Instagram フォロワーは4万人を超え、Podcastフォロワーは3千人を超える。

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サマリー

現役のお坊さんが体験した不思議な心霊体験と、仏教経典に伝わる幽霊の話を紹介。才能を悪用した男が、悟った者を殺害した結果、頭を叩かれ続ける幽霊に転生した話を通して、技術の倫理的な側面と現代社会への教えを説く。

お坊さんの心霊体験
お坊さんしてますと、必ずと言っていいほど、聞かれる質問がありまして、
それが、お坊さんって幽霊見えるんですか?っていう。 結論から言うと、私一度も見たことがないんです。
この答え聞くと、大抵の方は、なんだ見えないのかって、少し残念そうな顔をされます。
でも、1回だけ 不思議な体験をしたことがあるんです。
これ、10年くらい前になると思うんですけども、 出張で博多に行く機会がありまして、
その日、お葬式があったんですね。 お葬式っていうのは当たり前のことながら、
計画的には起こりませんから、急にお葬式が起こるわけですね。
その日は週末だったので、週末の博多駅周辺ってホテルがどこも埋まってるんです。
どこか空いてないかなって急いで探したら、一つだけ空いてるところがありまして、値段も手頃なんですね。
ここが空いてたら良かったと思って、急いで予約しまして。 まずはお葬式の前の日の晩はおつやがありますから、
おつやをお勤めしまして、そして夜にホテルに戻ってきて。 その日は大変私自身も疲れてまして、
疲れてる時って帰ってなかなか寝れない時とかあるじゃないですか。 その日はそういう状態だったので、半分寝てて半分起きてるみたいな、
すごく眠りが浅い状況で寝てました。 そんな中ですね、夜中、おそらく深夜1時とかになるんじゃないかなと思うんですけれども、
この廊下ですね、部屋の外の廊下を革靴の足音でコツコツコツコツと、 そういう音が響いてきた。
誰かがこう、お酒とか飲みに行って帰ってこられたのかなぁと、他の部屋の人がですね。 そんなふうに思ってましたら、
そのコツコツコツって足音が私の部屋の前で止まった感じがしたんですね。 うんと思った瞬間に
キーッと、 ドアが開いた音がする。
その音の近さが、明らかに私の部屋のドアが開いてるんです。 しかもオートロックのドア側ですよ。
私、そもそも怖いのダメなんですよ。 怖かったので掛け布団を頭まですっぽりかぶって、目をギュッとつぶって、
必死にですね、聞き間違いであってくれと、 自分の勘違いであってくれって祈ったんですけれども、
でもこの革靴のコツコツコツっていう足音が明らかに私の部屋の中で響いてて、 その音がどんどんコツコツコツコツと、
私に近づいてきてですね、 そしてついに私のベッドの脇で、その足音が止まりました。
頭まですっぽり被った布団越しに、真上から誰かに覗かれている気配を感じるんですね。 ゴクッと自分の唾を飲み込んだ音が聞こえたその瞬間に、
被ってた毛布を思いっきりパッと引き剥がされました。
パッと目を見開きますと、目の前には誰もいないんです。 ただ引き剥がされてひるがえった布団が地面に落ちているだけでした。
これが私が人生で唯一体験した不思議な体験、心霊現象になるんですかね。
仏教ではこの幽霊というような存在、これがどういうものとして捉えられているのか、
今回は仏教に伝わる幽霊の物語、これすごく珍しいんですけれども、これをご紹介したいと思います。
ダンマパダ・アッタカターの幽霊譚
ある時、仏陀の皇帝、非常に高いくらいの弟子であったモッカラーナ尊者という方が、
ラッカナ尊者という別のお坊さんと一緒に山を降りていました。
するとモッカラーナ尊者は何もないところで微笑んだ。
その様子を不審に思ったラッカナ尊者は微笑んだわけを尋ねますと、モッカラーナ尊者は幽霊を見たからだと答えます。
その幽霊の様子というのが大変変わってまして、6万本のハンマーがあって、それが幽霊の頭に落ちる。
で、幽霊の頭が潰される。
するとその頭はすぐに回復して、またそのハンマーで潰される。
それを繰り返してたんだと。
で、そんな様子を見たのは初めてだったから私は微笑みましたとモッカラーナ尊者は答えます。
だからね、かなりショッキングな光景だと思うんですけど、これ見て微笑んでるモッカラーナ尊者もちょっと怖いですね。
ひとこわですね。
で、なんでこの幽霊はこんな様子で苦しみを受けているのか。
それは次のような原因によるんだとブッダは語られてます。
昔、バラナシという地域において石を投げる達人がおりました。
彼は大変コントロールが良くて、近所の子供たちにせがまれてはしばしばその腕前を披露してた。
で、そんなある日子供たちから刃の生い茂った樹木に石を投げて馬や象の姿を作ってほしいとせがまれます。
で、ちょっとイメージ湧きづらいと思うんですけど、これ多分こういうことでサスキとか剪定するときに刈り込んで丸くしたりとか、ちょっとこう何らかの造形を作ったりするじゃないですか。
で、あれを石を投げてやったんだろうと思うんです。あの要領で。
で、普通ね、剪定ばさみとかバリカン作ってもああいうもの作るの大変ですから、これを石を投げて行うっていうのは相当な腕前だなと思いますね。
で、このようにして動物の姿に刈り込まれた樹木をバラナシを治めていた王様が目にしまして、
あ、すごい人がおるもんだなと、これを石を投げて作ったんだということで、この石投げの達人に大変興味を持ちます。
で、ちょうどこのとき王様にはお抱えの宗教者がおりまして、でも彼が大変おしゃべりだったそうなんですね。
で、この王様はこの宗教者を黙らせたいと思ってた。
そこで宗教者が口を開くたびに達人にヤギのうんこを宗教者の口に投げ入れさせようとするんです。
なんか真面目に話すのが嫌になるような話ですね。
ヤギのフンって皆さんご覧になったことあります?
非常にコロコロしてましてね、一時期私が預かってたお寺でもヤギを飼ってたので、
ヤギのフンはよく見てたんですけれどもね、ちっちゃくて投げやすそうな、投げたことは私はないんですけれども、
投げやすそうな形をしてますね。
これを宗教者が口を開くたびに、えいって投げて口の中に入れてたと。
そんなことをされてたらね、宗教者も口開くの嫌になりますよね。
皆さんも嫌ですよね、口開くたびにヤギのうんこが入ってきたらね。
それでもう宗教者を黙らせることに成功したんです。
それで王様はよくやってくれたということで、この石投げの達人にご褒美として大きな村を与えます。
これ村を与えるっていうのは、その土地の税収を与えるということでしょうね。
この達人は石を投げる技術によって裕福になったっていう話が周囲に広がっていって、
それをある男が耳にします。
その男は自分もその技術を身につけることでお金持ちになれるんじゃないかなと思うんですね。
そこで達人にどうか自分を弟子にしてくださいってお願いしまして、最初拒まれるんですけれども、
いろんな手を尽くしまして、じゃあいいよということで弟子入りして苦労の甲斐があって、その技術を習得します。
技術を習得しますとそれを試したくなるっていうのは、これは人間の差がですね、
試す方法、試す相手っていうのがですね、ちょっと邪悪でしてね、ちょっとじゃないな、すごく邪悪でして、
達人みたいにそれで木とかの樹木に投げて動物の形作ったりすればいいんですけれども、
それを人で試したいと思うんですね。
そこで死んでも悲しむ人がいない、家族のいない人ですね、家族がいない人間を狙うんです。
腕を試したくてうずうずしている男の前に白紙物が通りかかります。
白紙物っていうのは聞き慣れない方が多いと思うんですけども、これは悟った人の一人なんですけれども、
このブッダと違って他者に教えを説くことはしない。
一人で悟って一人でこっそりと亡くなっていく人、こういう人を白紙物って言うんです。
その白紙物が通りかかるんですね。
彼はもう孤独な人ですから身寄りもないわけです。
これは良いということで石を投げます、白紙物に。
それが白紙物の急所を直撃しまして、白紙物は亡くなってしまうんです。
で、この白紙物悟った人を殺害するっていうのは大変な罪だというふうに考えられてまして、
この件が原因になって男はもっからな存在が目撃した幽霊になってしまったんだと。
ただ、古代インドの仏教では魂という存在は認めないんですね。
だから男が幽霊になったのは悪業の結果としてそういう存在に生まれ変わったんだということになります。
ブッダの教えと現代への警鐘
それを受けてブッダは、愚かな者は力や技術を手に入れてもそれによって自分自身を滅ぼしてしまうと、
こう言われまして次のような死を残されました。
愚か者に思いが生じてもそれは結局自分にとって不利益となる。
その思いは幸せを滅ぼし、自らの身を打ち砕く。
考えてみていただきたいんですけども、スマホであってもSNSもそうだしAIもそうですね。
本来は私たちの生活を豊かにするためのものです。
でも使い方を間違えると人を傷つけたりとか依存したり、人生を狂わしてしまうことになる。
つまり問題なのは技術じゃないということ。
それを使う私たちの心なんですね。
だからこそこれからの時代最も大切なのは技術力ではなくて倫理観だと思うんです。
2500年前のブッダのこの言葉は現代を生きる私たちにもそのまま当てはまる教えだと思うんです。
今週も最後までご視聴いただきありがとうございました。
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それではまた来週お会いしましょう。
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