1. 神田大介の経験
  2. デマの見抜き方:ソースは複数か
2024-02-08 10:14

デマの見抜き方:ソースは複数か

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災害が起きたときにデマが発生しますね。本当にあの酷いものとしては関東大震災100年以上前になりますけれども、あの時に
朝鮮人が、井戸に毒を投げ込んでるなんていうデマを流して、朝鮮人を虐殺するということがありましたね。
これをね、またね、そこから目を逸らそうとしている人がいるっていうのにもびっくりしますけれども、事実には目を向けるべきだと思いますが、
そういうそのデマっていうのが広がるってのがある。東日本大震災の時に私はその取材をしました。デマの一つとしてどういうのがあったかっていうと、
中国人が避難所で大騒ぎをしているっていう、そういう趣旨のツイートをした人がいたんですね。これはデマなんですけど、
ただデマってね、まあまた今状況が変わってきていて、インプレッション、表示数、閲覧数を稼ぐために悪意を持って嘘を書くっていう人が出てきているので、またちょっとね、レイヤーが変わってきたなって感じしますけれども、
もともとデマっていうのはありますよね。そんなのは別にツイッター以前からありますよ。何でデマが起きるかっていうと、別にその悪意じゃない場合もあるんですよね。
多分そっちのほうがほとんどで、さっきの中国人が避難所でっていうデマはどこから出てきているかっていうと、これを書いたのは男性です。
比較的若い男性ですね。現場は見てないんですよ。避難所にいたのは彼の祖母、おばあちゃんです。
彼は自分のことおばあちゃん子だっていうふうに言ってましたね。被災産権の中に住んでいる人ではあるんですけれども、たまたま避難所には行かなくて済んだっていう人ですね、その男性はね。
おばあちゃんは避難所に行きました。一人暮らしのおばあちゃんで、非常に心細かったでしょうね。やっとのことで連絡がついて、電話も全然通じなかったですからね。
聞いたら、おばあちゃんがそういう中国人の人が騒いでいるということを言ったっていうふうに彼は主張するわけですよ。私はその電話を聞いたわけではありませんのでね。
そのおばあちゃんはもうすでに直接取材にできる状況ではなかったですね。なので裏が取れません。
ただ、だからそこまでです。記事に書いてあるのもあんまり想像では書いてないんですけれども。
思うに、ここから私の想像です。私は思う。やっぱりね、まず地震、あれだけの大震災があって直後ですね。
不安であるということですね。おばあさんはなおさら不安でしょうね。
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お年寄りと若い人って、騒音に対する受け取り方が違うんですよ。
皆さんも聞いたことあると思うんですけれども、公園で遊んでいる子どもの声がうるさい。あるいは保育園、幼稚園の声がうるさい。
小学校の運動会がうるさいっていうふうに苦情を入れてくる人ってだいたい高齢の方なんですけれども、これは高齢の方が性格が悪いとかそういうことではなくて、そういう人もいるかもしれませんけど。
そうじゃなくてね、人間の体って年をとるとそういう騒音に耐えにくくなるらしいんですよ。
なんかその若い頃に比べて音がより気になっちゃう。逆もありますよね。モスキートンって言いますけれども、大きいビルなんかにネズミ除けとして、ネズミは高い周波数の音が嫌いなんですよね。
あれ玄関先とかに鳴らしてるんですよ。ピーって音をね。年を取るとあれ聞こえなくなるんです。周波数的に。
だけど若い人は聞こえるんですよね。自分も不愉快。ネズミも不愉快ですから人間にとって不愉快な音なんですよね。一定の周波数体って若いうちはでも聞き取れちゃう。
ビールとかもそうで、苦味っていうのが若い人はすごく強く感じるから飲めないんですよね。
年を取ってくると苦味の感覚が薄れていくのでビールをおいしく感じると。そういうのがあって、逆に子どもの声が耳障りだみたいなのは年を取るとそういう感情が湧き出るっていうのはやっぱりあるらしいんですよ。
生理的なものとして。そういう地震が起きた後で、どうも中国人の方っていうのは少なくともおばあさんに比べる若い人たちだったみたいですね。
それから複数であった。おばあさんは一人なんですよ。何人かってわかんないんですけれども、数人の集団だったんですよ。だから喋ってたわけですけれども。
そうするとそれっておばあさんからはうるさく聞こえたっていう可能性があるんですよね。だけど当事者としてはそんな感じはない。
別にこれも一般化するつもりはないんですけれども、中国の方で街中とかで結構聞いてると、日本人からするとあれ喧嘩してるのかなって思うような勢いで喋ってるけれども、単に談笑してるだけっていう場面に出会ったことないですか。
これも想像なんでその時そういう状況だったかはよくわかんないんですけれども、ただこの言葉の勢いっていうのも中国語のピーンっていうのはね、わりと日本語に比べると発音がはっきりしているというところはあると思います。
だからそういうのって別におばあさんはそう受け取ったっていう可能性もあるし、さらにおばあちゃんが、僕の大好きなおばあちゃんが避難所で心細い思いをしているっていうふうに思った孫の男性は、
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それを大変なことだとおばあちゃんがかわいそうというふうに思ってその場で聞いている可能性が高いじゃないですか。つまり本当におばあさんが何て言ったかっていうよりも強くその男性はこう受け止めているという可能性があるんですよね。
これは善意ですよ。別に悪意はない。で、そのことをみんなに伝えなきゃって思った。で、ツイッターで拡散した。これも善意ですよ。
つまり別に悪いことはしてないんだけれども、結果的に一人で判断したことっていうのは信用できない情報になるっていうことがあるってことですね。
思い込み、独りよがりとかっていうのはそういうことなんですけど、これ誰にでもあります。別にその新聞記者だから独りよがり思い込みがないわけじゃありません。全然あります。
なのでその新聞社は組織としてそういうのを排除するように仕組みが作られているわけですよ。
だけど、SNSとかそういう、あるいはご近所のお話とか友達から聞いた話っていうのは、その辺のフィルターがかからないわけです。思い込みの排除っていうツールが存在しないですよね。
なのでやっぱりSNS上の情報って信用できない場合が多いっていうのは言えると思うんですよね。能力の定例とかではないんですよ。
単純に中に入っている人の人数です。さっきこの前に20人に取材するって話も結局要するにそういうことをしてるんですよ。
人が一人で言ってることっていうのは決めつけとかが多いので使えないんです、それだけでは。
例えば3人の人が同じことを言っていたら、多分本当にあったんだなみたいなことは言えそうってことですよね。でももっと慎重に記すんだったら5人、10人とかのほうがいいですけれども。ってことなんですよ。
人数の大事さっていうのはそこで。ただこれ言ってて思いますけれども、記事を読むときにいちいちこのソースはいくつあるのか確認するのは相当難しいですよね。
だからまだ少なくとも言えるのは、まず一人で言ってること、こういうことがありましたっていうのを自分の目線だけで言ってるっていうのはまずそこで疑ってかかったほうが良い。
それから友達が言ってたんですがみたいなのはますます疑ったほうが良い。
一人で書いててもそれよく聞いてみると実は友達が言ってたんですとかお母さんが言ってたんですみたいな話っていうのはあるんですよね。よくありますねすごく。
これはどんな人が言ってたとしても学者が言っていたとしても信用はほどほどにしないといけない。信用できないと言っていいかもしれませんね。
そこを見るっていうのは大事。どうやって見ればいいんでしょうね。
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だからそれを擬似的にやるのが、例えば記事とかも同じことを書いてある記事をいくつかのメディアで読むっていうのは一つのやり方ですね。
ツイッターとかでもそうですよね。なんかバズったりすると別の当事者が現れますよね。
いやこの話実は私こういう立場で見てたんだけれども違いますよみたいなこと指摘する人がいるじゃないですか。
それをちゃんと見つけるっていうのは騙されたくなければ大事なことかな。
とにかくまず自分を疑うってことですよ。
その人がこういうふうに書いているっていうことを鵜呑みにするのは自分なので、もちろんデモを書くのはよくありませんが、だって本人はデモだと思って書いてないわけだから、それを真に受けちゃうっていうところがなければデモは拡散しませんので、すぐに拡散させないと。
そのためには自分を疑う。これを信じている私を信じていいのっていうね。そこが一定大事なんじゃないかなっていう気はしますね。
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