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【ACT✖️ジャーナリング 書くことの力とは】スペースアーカイブ公開!
2026-07-21 1:04:42

【ACT✖️ジャーナリング 書くことの力とは】スペースアーカイブ公開!

7/15にXのスペースでまるさんと対談させていただきました!
アーカイブ音源をいただきましたので、私のスタエフでもシェアさせていただきます✨

ACTについてご存知ない方でも十分ついていける内容だと思います。
ぜひこの機会に触れてみてください✨

▼まるさんのXはこちら
https://x.com/maru_totallifes
---
stand.fmでは、この放送にいいね・コメント・レター送信ができます。
https://stand.fm/channels/624bd68a7cd2c743281f8847

感想

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サマリー

このエピソードでは、ジャーナリングアドバイザーのカナさんと、認知行動療法の一つであるACT(アクセプタンス&コミットメント・セラピー)の実践入門書「悪魔を乗せて船を漕ぐ」の著者であるまるさんが、「書くことの力」について対談しています。カナさんは、ジャーナリングを通じて本当の自分を取り戻し、自由に生きるためのコーチングや、ジャーナリング習慣化のためのコミュニティ運営、ジャーナリングマイスター講座の提供など、ジャーナリングを広めるための多岐にわたる活動を行っています。まるさんは、自身の経験からジャーナリングが人生を変える力を持つことを実感しており、特に自伝作成をきっかけにカナさんと親交を深め、その後の発信活動にも繋がったと語っています。 対談では、ACTの基本的な考え方や6つの行動原則(ディフュージョン、エクスパンション、コネクト、オブザービングセルフ、価値、行動)が紹介され、これらの原則がカナさんの提唱するジャーナリングの実践と非常に親和性が高いことが強調されます。特に、思考や感情と自分自身を同一視しない「ディフュージョン」や、感情を否定せずに受け入れる「エクスパンション」といったACTの概念は、ジャーナリングを通じて自己受容やセルフラブを育むプロセスと深く関連していることが語られました。また、従来の認知行動療法が思考の修正に焦点を当てるのに対し、ACTやカナさんのジャーナリングは、思考や感情との関係性を見直し、価値に基づいた行動を促す点で共通していることが指摘されました。 さらに、ストア哲学やネガティブ・ケイパビリティといった概念にも触れながら、コントロールできないことを手放し、今この瞬間に意識を向けることの重要性が語られました。ジャーナリングは、単なる内省にとどまらず、未来の自分へのメッセージとして長期的な視点を持つことを助け、自己成長を確認するツールにもなると述べられています。カナさんのジャーナリングは、書くことと読むことを通じて自分自身と仲良くなるためのツールであり、セルフラブを育むものであると定義され、まるさんは自身のACTの実践とカナさんのジャーナリングを組み合わせたプログラム開発にも意欲を示しています。最終的に、書くことの力は人生を変えるほど偉大であり、難しく考えずに気軽に実践してほしいというメッセージで締めくくられています。

オープニングと自己紹介
こんばんは。
こんばんは。お願いします。
はーい、お願いします。
はーい、Kanaさん、今日はお時間を作っていただき、 ありがとうございます。
はーい、お願いします。
大丈夫ですかね?
はい、聞こえてます。聞こえてますか?
はい、大丈夫です。
はい。久しぶりですか?スペースは。
めっちゃ久しぶりです。
もうなんか、どうやって操作するんだっけ?ってなっちゃって。
僕も1年ぐらいブランク空いてて、なんか、最近またホストとか、 久しぶりにやったので、ちょっと不慣れなんで、ご了承ください。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
早速、なずきさんと、あうるさんと、ちかさん、 ありがとうございます。
ありがとうございます。
本当、今日、普段たぶんお仕事されてない時間なのかな、と思って。
そうなんですよ。しかも今日、ちょうど外で仕事しちゃってたんで、 バタバタしてて、間に合ってよかったです。
すみません、そんな慌てていただいて。
とんでもないです。
ありがとうございます。
そうですね、今日はスペースの全体としては、なんか、 スペースの全体としては、
なんか、書くことについての力みたいなものを、ちょっと広く伝えられたらな、っていうのと、
結構、書くことで人生は変わるっていうのが、大げさではなく、そういう力があるっていうことを、
お話しできればな、というところなんですけど、
カナさん、ジャーナリングアドバイザーということで、
ご紹介をお願いできればな、と思うんですけど。
はい、そうですね。
皆さん、初めまして、じゃない方もいるんですけど。
ワルさんのところにお邪魔してるので、初めまして、ということで、
普段何してるか、ちょっと簡単にお話しさせていただこうと思います。
ジャーナリングアドバイザーとして活動しております、カナと申します。
私は、ジャーナリングを使って、本当の自分を取り戻していって、
結構ね、みんないろんなしがらみがあって、生きづらいな、とかってなっちゃってるところから、
本当の自分っていうのを取り戻して、自由にわがままに生きるためのコーチング的なサポートだったりとか、
私自身がこうやって起業してきたっていう経験があるので、
起業や副業を目指す方のお手伝いもさせていただいております。
あとはジャーナリング習慣化のためのコミュニティを、マルさんも入ってくださってるんですけど、
運営してたりとか、あとは最近はジャーナリングマイスター講座っていうのにも力を入れていて、
私はいつかジャーナリングを義務教育にしたいという野望を持っておりまして、
そのために、ジャーナリングアドバイザーとして活動していくだけだと限界があるんじゃないかっていうのがあるので、
その知見をジャーナリングマイスターたちに継承することで、
よりジャーナリングが広まってくれたらいいなっていう形で活動をしております。
ジャーナリングを広めたい一心でいろんなことをやっております。
よろしくお願いします。
ありがとうございます。
さすがキクエイさんも今来ていただきましたけど、
まさに昨日、かなさんのコミュニティのほうで、
瞑想会と言われるジャーナリングの実践会のほうで、
キクエイさんのほうと一緒にジャーナリングさせてもらってたりもしてですね、
そういうコミュニティも運営していただいて、
ジャーナリング仲間が集まる場所を作っていただいているということで。
ありがとうございます。
かなさんとSNS通じて知り合ったのが、
3、4年前くらいになるんですかね。
そうですね。
たぶん最初はスタイフーかなんかでの、
ジャーナリングの実践会をされているのにたまたまで会って、
それからのお付き合いかなって思うんですけど。
懐かしいですね。そんなことやってますね。
ジャーナリングのコミュニティとかあるのかなと思って、
ほんと気まぐれに調べたらスタイフーだったのかなが、
フィットして、それから参加させてもらってですね。
ジャーナリングの実践を通して、コミュニティにも所属させてもらって、
自伝作成とかもモニターとかでやらせていただいて。
あれで結構まるさんのことを分かって、
まるさんの活動をめちゃくちゃ応援したくなって。
ありがとうございます。
そこからコミュニティだとなかなかグループだし、
そんなに親密にお話しするっていうことはなかったんですけど、
自伝を作る、サポートさせていただいてから一気に仲良くなれたらって感じはしてますね。
自伝の作成をきっかけに、結構自分のことを開示できるようになったというか、
っていうのもありますし、あれから結構発信の活動っていうところも加速したかなっていうところで、
自伝をもとにKindle本とかの出版とかもして、
一冊目が割と自伝っぽい感じのものが出来上がったりしたので、
本当そういったきっかけを作っていただいたということで、
すごく感謝しています。
ありがとうございます。
その後まるさんがすごいどんどんKindle出されるので、
会心機がすごいと思って。
ちょっと発信活動を休んでた時期もあったんですけど、
その間も自分なりにジャーナリングとかをもちろんやったりとかして、
そういった自分の中にある気持ちとかっていうのを紙に書き出すということで、
いろんなものが形になっていってるなっていうのはすごく思ったりはするので、
そういったところも書くっていうことの人生を変える力なのかなっていうのも思ったりしてますかね。
そうですね、まさにまるさんが書いて切り開いてきた道のりがあって、
今回また新刊の出版っていうところで。
そうですね。
ありがとうございます。
ありがとうございます。
本当自伝の中でもちょっとこの悪党っていうですね、
認知行動療法の一つなんですけど、
そういったところもちょっと書かせてもらったりしてたんですけど、
やっぱり結構自分が人生前向きになれるターニングポイントになったのが、
そういった悪党との出会いも一つはあったりするので、
なんかそのことを、それをちょっと一つ形にできたっていうことが良かったかなということで。
そうですね、私だから自伝の時にもまるさんが悪党のことを書いてくださってたので、
なんとなく知ってはいるような気になってたんですけど、
普通にそれ以来改めて本を読もうとかってしてなかったので、
なんか似てるらしいというか、っていうぐらいの知識だったので、
今回ちゃんとKindleの形で一本まとめていただいたので、
すごくわかりやすかったですし、
納得したというか、
まるさんがいつもおっしゃってることの土台がここなんだなみたいなのが結構わかったので、
面白かったですね。
ありがとうございます。
かなさんが読んでいただいた新刊っていうのが、
悪魔を乗せて船を漕ぐっていうタイトルのものなんですけど、
悪党の実践入門ということで、まとめさせていただきました。
今日のスペース自体もですね、
かなさんが僕の書籍を読んでいただいたということで、
なんかその中でちょっと悪党についても質問したいことがあるとか、
お話も伺って、
結構この悪党の実践とジャーナリング、
かなさんが定義されてたり、
広めようとしてるジャーナリングの実践というところも、
結構重なる部分があるかなというところも思ったので、
対談というか、
悪党とジャーナリングの実践について、
お話しできる機会を作れればなということでのスタートでしたね。
そうですね。
ということで、僕の方から悪党について紹介とか、
説明をさせていただこうかなと思うんですけど、
ぜひぜひ。
ありがとうございます。ちょっと退屈かもしれないですけど。
そんなことないと思いますよ。
少なくとも私のリスナーさんはみんな気になってると思う。
ありがとうございます。
そうですね。
悪党って肩苦しくない感じで説明させてもらおうかなと思うんですけど、
悪党がさっきもちょっと言ってましたけど、
認知行動療法の一つの形ということで、
今までの認知行動療法っていうのが、
ちょっと自分に不利益になるような考え方とか、
認知のいわゆる歪みっていうのを正しい考えとかに修正しようっていうのが、
今までの認知行動療法っていうところだったんですけど、
やっぱりそういった認知の歪みとか、考え方を変えようっていうところ、
そういった自分を変えようっていうところの前提で、
いろんなものにアプローチしていくってなると、
やっぱりそれ自体に葛藤が生まれたりとか、
心の摩擦みたいなのが生まれるっていう面も見られたということで、
そういった自分が持っている思考とかっていうのを変えようとするのではなくて、
そういった思考との関係とか距離を見直そうっていうような形のアプローチ、
の認知行動療法っていうのが、
アクト・アクセプタンス&コミットメント・セラピーという形になるということですね。
このアクトのアプローチみたいなところを聞く中で、
まるさんのジャーナリング体験とACTの紹介
さっき言ってた自分が持っている悪い考え方とか、
いわゆるネガティブな考え方っていうところを、
どうにかしようっていうところに苦しみが生まれるっていうことを見聞きしたときに、
自分がずっと幼少期から抱えてきた生きづらさっていうのは、
まさにここに反ってるなというのをすごく思って、
たぶん幼少期から真面目というか、ある意味素直だったのかなと思って、
自分の中にネガティブな感情とか、そういうの持ったらダメだみたいな部分とかも、
ずっと抱えてきたところがあったので、
本当それをどうにかしようっていうのをずっと長い間幼少期から戦ってきたところもあったりしたので、
それ自体を別に持っててもいいんだっていうのを思わせてくれたのが、
この悪党の考え方かなっていうところですね。
結構悪党の基本の行動原則っていうのがあるんですけど、
一つ目がディフュージョンって言って、
ダツフュージョンって言うんですけど、
自分の思考と感情っていうものを自分と同一しないっていうような考え方ですね。
あとエクスパンションって言って、
そういった自分が持ってる思考や感情を広い部屋に置いて放置する。
関心も向けすぎないけど無視もしないみたいな、
需要の考えみたいなテクニックというか手段ですね。
あとコネクトって言って、
今この瞬間に完全に意識を向けるっていうようなものとか、
あとオブザービングセルフって考えですね。
観察する事項って言って、
自分の思考というか人格みたいなものが2種類あるということで、
いろんなものを考える自分とただただそういうのを眺める事項っていう考えですね。
メタ認知みたいなところですけど、
そういった2つの面があるよっていうようなところと、
あと価値っていう概念ですね。
結構価値観って言えば分かりやすいんですかね。
人生の中で自分が大切にしたい事みたいなものを明確にするみたいな事ですね。
結果そういった価値に向かって行動する事に重きを置くっていうような考え方ですね。
最後は行動っていうところになるんですけど、
6つの行動原則っていうのをまとめると、
ディフューション、エクスパンション、コネクト、接続、今に集中する事と、
オブザービングセルフと、価値の確認と目標に向かっての行動っていうような、
こういったところがアクトの要素みたいな感じになってます。
そうなんですよね。
私がすごくいいなって思ったのは、
巷のジャーナリングを提唱されてる方とかだと、
もしかしたら観察しようとか、自分を観察しようとか、
気持ちを吐き出そうみたいなところまではやると思うんですけど、
結構私が信じてるジャーナリングっていうのは、書くと自分が動けるっていうところで、
行動を起こすところまでやろうねっていうのをゴールにしてるところがあるので、
普通のもしかしたらジャーナリングでは扱ってないかもしれないんですけど、
私が信じてるジャーナリングとの親和性がめちゃくちゃ高いと思って、
だから丸さんが私のジャーナリングの発信をしてるのを見てくださった時に、
いいなって思ってくれたのかなみたいな、
そういうところに共感してくださって、
この私のジャーナリングも受けてくれてるのかなみたいなのが、
すごい納得感あったんですよね。
そうですね、確かにずっとKanaさんのもとで、
ジャーナリングの実践に取り組んでるっていうところからいくと、
非常にKanaさんのジャーナリングの仕方っていうところに、
本当、共感を持ててるのかもしれないですね。
そういったところは、やっぱりこのアクトの要素に近いものがあるっていうのは、
確かにあるかもしれないですね。
そうなんですよね。だからこそなのかなと思って。
それこそ最初にその認知行動療法は、そこまでできないというか、
認知の歪みに対してのアプローチが結構強いみたいなところだったと思うんですけど、
そこで終わらせずに、ちゃんと目標に向かっていくというか、
人生を動かしていこうみたいなところまで扱ってるのが、
そこなのかなって思いましたね。
そうですね、本当単純にジャーナリングというか、内省して、
自分の心の中にあるものを書き出して、見える化するっていうだけでも、
確かにそれはそれでいいし、それで気持ちとかが落ち着いたりもするんですけど、
せっかくだからそれをどう行動に結びつけるかみたいなところっていうのは、
やっぱり行動に移さないと、実際何も現実って変わってこないのかなっていうのは思ってるところもあるので。
僕もジャーナリングの前というか、今もちょっとこうやったりはするんですけど、
瞑想に取り組んだりしてた、結構してた時もあったんですけど、
結構瞑想してる時っていうのは自分も見つめられるし、気持ちも落ち着くんですけど、
それからいざ瞑想の時間から離れた時っていうのは、
その瞑想自体が、何ですかね、瞑想から目覚めた現実では、
なかなか生きてこないなっていうところがあったりはしたんですけど、
多分ジャーナリングっていう形で書いてそこで終わりってすると、
まさにジャーナリングしてる時間とそれ以外の時間との接続っていうのは、
なかなかないのかなって思うんですけど、
そうですね。
かなさんのジャーナリングは書いた後見直したりとか、
それをもとに次の一定みたいなのにもつなげるっていうところがあったりするので、
そういったところって、書いた時間で終了っていうのじゃなくて、
行動につなげるっていうところも見据えられてるので、
そういったところは非常に実践的だなと思って、
実践的というかですね、実績というか。
そうなんですよ。
結局過去にあったことをジャーナリングすることが多いと思ってて、
それを今の自分が見て、じゃあそこから先の未来どうしようかみたいな感じで、
結構連続性があって、それが人の物語になっていくよねみたいな感じでの捉え方をしてるので、
多分今この瞬間を書くジャーナリングではあるんだけど、結構連続性を感じてるっていうのがあって、
先ほどおっしゃってたように呼吸法だけだと、やっぱりそのなかなか連続したものを覚えてられないっていうのもあるし、
今に集中しなきゃいけないっていうので、なかなかそこは除外逆にされる部分だったりもするかなと思うので、
そういった考えると、私はやっぱ書いて見えた方が嬉しいっていうところなんですよね。
そうですね。
でもKindleの中で呼吸法を使ってこのアクトの実践ができるっていう話をされてたじゃないですか、
呼吸が大事なんですよっていうところだったんですけど、あれをジャーナリングに置き換えてもできる気がして、
もちろんアクトの定義的には呼吸なんでしょうけど、
まるさんがもし今後まる三流として広めるんだとしたら、
あそこの呼吸の部分がジャーナリングで実践しましょうってなっても全然いけるんじゃないかなって思って見てました。
多分僕がアクトの中でまとめた呼吸っていうのが、今に戻るための手段として書いたりはしてたんですけど、
そこを書くことっていうジャーナリングに置き換えるっていうのはすごくありかなって思ったりしますかね。
書いてる瞬間を感じるっていう部分では。
そこの部分もなんですけど、さっき言ってたアクトの6つの要素みたいなところでディフュージョンとか出てきたりはするんですけど、
本当に書くことによって自分の思考とかを見える化するっていうことで、
自分自身と自分の思考っていうのを切り離すっていうことにもなってくるかなって思ったりもしてるんですけど。
そうですね、やっぱり書くことでメタ認知できるっていうのは最近よく言われてますけど、
書く自分と読む自分って言ったりとかするんですけど、そういうふうにしてちょっと距離ができるっていうのはそのディフュージョンの実践になるのかなっていうのは思いましたね、確かに。
そうですね、やっぱり結構常に当たり前のようにやっぱり自分の思考と感情とかっていうのって、それと自分っていうのを同一視して知ることが当たり前のようになってるんですけど、
やっぱり考えと自分自身っていうのは分けられるっていうところを書くことを通して気づくことができたりもするかなと思ってるんですね。
そうですね。
あと、エキスパンションっていう、拡張っていうテクニックも同じような感じで、自分の感情とかっていうのを否定せずにそっと心の隅に置いておくっていうところも書くことによって、ジャーナリングすることによって養われる部分もあるかなと思ったりするんですけど。
そうですね、なんかあっていいんだよって言うので、その感情とかなんか突破の時ってやっぱり思っちゃうのはしょうがないじゃないですか。
だからその感情をなかったことにしないで、なんでもノートに書いていいんだよっていう、その姿勢は確かにそう同じような感じなのかなって思いましたね。
ジャーナリングの実践やってて最初って、結構本当なんか自分のいやらしい、嫌な感情とかが出てきた時って、それを書くのを一旦戸惑ったりはする時もあるんですけど、なんか一回それを書いてみたら、書いてもいいんだっていうようなことで、そういった感情とか考えとかも需要できるようになったりするので。
それこそインフルエンサーの方とかが、ネガティブなこと書いたらネガティブ引き寄せちゃうからダメだよとかって言ってるので、なんかやっぱ書いちゃダメなんじゃないかなって思ってる方すごい多いと思うんですけど、でも感情なかったことにはできないじゃないですか。
そうですね。
思っちゃった自分、そういう嫌だなって思ってもそう思っちゃった自分がいるっていうので、ノートにだったら書いてもいいかなって誰も見ないしねって。
できるようになるとね、やっぱり違いますよね。
そうですね、なんか書いてもいいんだっていうような。
それがなんか自分自身の感情とか思考とかを否定しないっていうちょっと姿勢につながってくるところもあるかなと思うので。
ノートも誰も見ないって思いつつ、万が一家族とかに見られたらなとか、なんかそういうのもちょっとよぎったりはするんですけど。
しますよね。
自分が死んだ後とか。
わかります。私だから死んだらノートは見ないで捨ててねって言ってあります。
言われてるんですよね。
これは私にとって大事なノートだからっていうのを言っとけば、そうそう見に来ないんですよね。
だいたいわかってくれるというか。
なんかまあそのひどいこと書いてたとしても、なんだろうなんか、すごいダメなことではないじゃないですか。
ちょっと悪口かもしれないけど、すごい重大な秘密が書いてあるわけではないと思うんですよね。
だからまあまあ見られてもしょうがないというか、ところもあるかなって思って。
そういうちょっと開き直りも大切かなっていうところ。
それよりは書いてすっきりするメリットの方が大きいかなって思ってます。
意外となんかその瞬間こうちょっと書くことをためらったこととかも、後から見返したりとかしたらなんか何でもないっていうことも。
ありますよね。
あったりしますしね。
なんでこれためらってたんだろうみたいなね。
なんかわざわざあれとか書いてたりして、なんであれって伏せ字にしたんだろうみたいな。
はいはいはい。
結構悪党の実践、さっき言ってた6つの行動原則っていうところも結構大半はマインドフルネス的な部分もあったりするんですけど、
マインドフルな姿勢みたいなのを養うっていうのもまさに河川さんが推奨されてるジャーナリングっていうところもまさにそういったところかなと思ったりはしてますね。
そうですね。やっぱりその私にとってジャーナリングはあくまでマインドフルネスの実践っていうところから始まったっていう思いがすごくあるので、
その手帳とか目標達成のための効率化のためのとかっていうよりはマインドフルネスを実践したい、今この瞬間に行くための革命相だという思いが結構強いので、
やっぱりそこがすごくその共感ポイントなのかなと思いますね。なんかそれこそさっきのその認知行動両方はなんかあんまり愛がないんじゃないかなと思ってるんですよ。
すごく冷静に淡々と行くみたいな感じがあって、でもそのジャーナリングのそのマインドフルネスになってくるとやっぱりそのセルフラブっていう自分への愛情みたいなのがあって、
でなんかそれがそのやっぱりそのアクト自身もその認知行動両方から一歩出たというかね、何でしたっけなんか第三のなんちゃらみたいな感じですね。
そうですねまぁ第三の認知行動両方って呼ばれたりしてる。
そうですよね。
第三世代ですね。
あーそうそうそう。っていうのでなんかそこになんか愛が足されたのかなと思って。
はいはいはい。
なんかその需要とか受容みたいなのとかその自分を受け入れていって、要するにマレさんの言葉を借りれば悪魔が乗っててもいいんだよみたいなのってすごく愛がある意味乗ったのかなと思って。
そうですね。
だからそこでもなんか共感ポイントだったというか。
はいはいはい。なるほどなるほど。
そうですね、アクトは第三世代の認知行動両方っても言われてるんですけど、いわゆる一世代目っていうのが単純な行動両方ということで、
なんかこう曝露両方、なんかこう怖いものに段階的になれるみたいなのがなんかこう最初の認知行動両方としての始まりだったみたいなんですけど、
それが一般的な認知行動両方になって、認知の歪みとかをちょっと修正したりとか魔物の捉え方っていうのを結構多面的に見て認知の歪みを修正していくっていうような。
それが第二世代で、でアクト、第三世代っていうような形で。
やっぱり思考とかと、なんかこう認知の歪みとかを戦わずに受け入れるみたいなところになっていったっていうところで、
確かにかなさんが言うセルフラブが加わったのかな?
そう、なんかそんな気がして。だからそのジャーナリングやっぱこう言っていく中で、やっぱ認知行動両方の中の思考記録法ですよねみたいな感じで言われることもあるんですけど、
否定はしないんですよ。まあ確かに自分の思考記録してるっていうので、ただなんかそこに対する姿勢として、
多分その認知行動両方的に分析していって淡々と解析していくのか、ジャーナリング的にセルフラブの自分で読んであげたりとか振り返ったりとかするかっていうのが結構違うんじゃないかなと思っていて、
だからちょっと私が信じるジャーナリングとは違うかもしれませんみたいなところがあるんですよね正直。
そうですね。
結構僕も認知行動両方の実践のコミュニティとかにちょっと入ってた時期もあったんですけど、結構なんかこう義務感が募ってくるんですよ。
なんかこう日常であったちょっとこう何ですかね不都合なことを取り上げて、その時の思考とか行動とか体の反応とかっていうのを書き出して、
そこにあった認知を他の見方にすればどうですかみたいなところをひたすら書いていったりとかっていう感じのワークをやったりしてたんですけど、結構疲れるというか、
そうですよね。
パワーもいるし結構こう義務感になって、それに取り組むの自体も結構苦しくなったりしてきてしまったりもして、
ただやっぱり何ですかねその自然に出てくる自分の思考とか反応っていうのは結構そういうの頑張ってやってもなかなかすぐには変わらないっていうのもあったりして、
そういった頑張りの割に結果が出ないというか変化が見えないっていうところでの結構苦しさがあったりしたんですけど。
そうですよね。だから今ジャーナリングとか書くこと、ジャーナリングもどきとか言われてたりしますけど、そういうのをやってても効果がないとか苦しくなっちゃうって言ってる方はやっぱりそこになっちゃってるんじゃないかなと思って。
無理にポジティブにしなきゃいけないとか頑張って違う捉え方にしなきゃいけないとかっていうので、そっち側になっちゃってるからやっぱりその同じこと書いてもしょうがないんじゃないかとか、
これは見方を変えないといけないんだみたいな感じで強引にちょっと変えてみたりとかして、なんか混ざっちゃって変に、なんかうまくいってないんじゃないかなっていうのはよく見ますね。
なるほどですね。
ジャーナリングとACTの親和性、ストア哲学との関連
最近やっぱり本当ジャーナリングっていう言葉が結構いたるところで見聞きするようになって、やっぱりそこの、何ですかね、多分いろんなジャーナリングの定義がなされてたり、実践の仕方も本当千差万別あったりはするのかなって思っている中で、
やっぱり結構かなさんが体系化されてるものとかいうのに触れたりすると、僕もやっぱりずっとかなさんのジャーナリングで育ってきたので、ここ何年か。
やっぱりそれがかなさんのジャーナリングの考え方は結構しっくりくるところはあるんですけど。
そうですね。
そこをですね、何ですかね、やり方はいろいろあっていいかなって思ったりはするんですけど。
そうそう、それで効果を感じてて、その方がすごくプラスになってるなら、こちらとしても全然何も言わないんですけど、苦しくなっちゃってるっていう方にはちょっと言いたいですよね。
苦しくなってまでするものじゃないので、ちょっとポイント違うかもしれないですね、みたいな感じで。
そうですね。やっぱりその実践においても、やっぱりそのセルフラブというか、自分に無理にならない程度で取り組むっていう意味でのセルフラブと、
そうですね、その実践した結果の中身に対してのセルフラブと、要は本当自己需要を大切にするっていうところでの取り組みであってほしいなって思ったりします。
そうですね。あともう一個、このKindle読ませていただいてて思ったのが、そのコントロールできないことをコントロールしようとしない、みたいなのがあったじゃないですか。
で、なんかそれは私の中ではジャーナリングっていうよりは、結構そのスター哲学が私が好きなので、スター哲学の意志を組んでるなって思ってたんですよ。
で、質問したいことがあったっていう話にちょっと行っちゃうんですけど、なんかその関係あるのかなと思って、結構そのジャーナリング自体もマインドフルネスが元になってるっていうのがあって、そのマインドフルネスは結構禅が元になってると。
で、禅はそのスター哲学の影響を受けてるんじゃないかって言われてるんですよ。なのでなんか私からすると結構そこが一本繋がってる感じなんですけど、
アクトがこれだけそのジャーナリングに似てるってなると、実はなんかそういうところも関係してたりするのかなって思って、もしマルさんが知ってたらと思ったんですよね。
なるほどですね。僕はあんまりそのスター哲学をあんまり存じ上げてない。
大丈夫です。でもじゃああんま関係ないんですかね。
どうなんですかね。スター哲学の骨組みっていうのは結構そういう感じなんですか?授業とか。
そうなんですよ。結構そのマインドフルな感じで授業していくだったりとか、あとそのコントロールできないものは手放して、コントロールできるものをより良くしていこうみたいな感じで、
そこしかやりようがないんだから、そこをどうにかできるようにしていこうみたいなのが結構強い思想なんですよ。もうちょっといろんな側面もあるんですけど、今に関係ある側面で言うと、そういうのが強い哲学なんですよね。
全てギリシャ時代の哲学なので、3000年前とかの哲学なんですよ。だけどその当時からマインドフルな考え方だったりとか、コントロールできることに注力して、コントロールできないことはもう手放していこうみたいな。
言ってたのがすごいなと思って、好きなんですけど。だからそこから禅に行って、禅からマインドフルネスになってっていうので、私が好きな理由がそこなんですけど、学とめっちゃ関係ありそうって思ってて。
そうですね、なんかやっぱりそういうのの流れみたいなのを受け継いでるのかもしれないですね。
そうですよね。
運命を受け入れみたいな、そういった思想なんですかね。
うんうんうん。
それこそ本当に抗わないみたいなのがあって、受け入れていくことだし、そういうものがあっても、とにかくそのギリシャの時代とかって奴隷制度とかもあったので、どうにもならないことの方が多かったじゃないですか。
物理的に。
そうですよね。
だからそういうことがあっても幸せに暮らすには、みたいな感じで、まさに園丸さんが最近言われてる心理的柔軟性みたいな方が大事だよね、みたいなのも結構言ってたので、流れ的には同じような主張だなと思って。
はいはいはい。
そうですね、ストア哲学か、はいはい。
ちょっと僕もこの辺りを触れてみたいなと思います。
ぜひぜひ、たぶん結構教訓できると思いますよ。
たぶん本当ストア哲学って知らずにこの考えって結構自分も身近に浴びてる考え方かもしれないなと思って、今調べてて思います。
そうそうそう、めちゃくちゃ近いと思うので、いいと思います。まさに幸福とは何?みたいなことも考えますしね。
はいはいはい。
そうですね。
あと僕も本の中でネガティブケイパビリティとかの話をコラムで入れてたんですけど、やっぱり答えが出ないことを、答えを出さないままにしておける力っていうのが、
それもちょっとコントロールできないものは、コントロールするのを手放してっていうような考え方に近いところはあるのかなとは思うんですけど、
やっぱり今の時代って結構白黒つけようっていうのが主流なので、そこに結構疲弊してしまってるところがあるのかなと思って、
まあ社会全体として。
そうですね。もうコスパタイパーみたいな感じで、シャキシャキいくみたいなね。
だからこそ答えがすぐ出ないと次に進めないじゃないかみたいな風潮がすごくありますよね。
かなさんも結構ネガティブケイパビリティというか、答えを出さないままで放置できる力っていうのをジャーナリングする上で養われていくのかなみたいな話もされてたりもしたので、
実際世の中というか、生きてて答えが出ないことだらけなので。
ほんとそうです。だからほんと1回書くだけで人生変わるはないですよね。
ある程度ちょっと書き続けないと。
1回書いてすぐ答えが出ることはきっとそんなに悩んでなかったことなので。
なんかそれができなくて、1回書いただけじゃわからないみたいなことに向き合い続けることで、人生って変わっていくのかなって思ったりするので。
もちろんその場で書いてすぐすっきりするとか、ちょっと気持ち整ったなみたいなのはあるんですけどね。
はいはいはい。
そうですね、結果を早く求めたがるっていうのもたぶん現代病みたいなところであるのかなと思って。
なんかこれをすればこうなるみたいな、因果応報をすぐ結びつけてしまいがちっていうところも結構あったりするので、世の中的に。
はい。
やっぱりそこを結果をすぐに求めないっていうような姿勢もジャーナリング取り組む中でも養われていくのかなっていうのは思ったりしてるんですけど。
人生をロングゲーム的に捉える、長期視点で行動していくっていうところの考え方とかも最近結構感銘受けてて、結構長い目で見た行動とかをしていこうかなって思ったりはしてるんですけど。
そうですね、確かに。私もジャーナリングでノートに書かれた言葉は未来の自分へのメッセージだよってよく言うんですけど。
なんかやっぱ人間って明日も1年後も10年後も生きると思うから今いろんなことをするわけじゃないですか。
もし1週間後に死ぬんだったらみんな何もしないと思うんですけど、なんか1年後も10年後も生きるつもりでいろんなことを考えてると思ってて、
だからなんかそのつもりで生きてるんだったらちゃんとその10年後の自分までメッセージ残ってたらいいよねみたいな思ってるので。
確かにそこはあるかも。
そうですね。
なんか結構長い目で見てっていうところで行って、結構自分って歩めてないなって今現在の自分を振り返った時思ってしまいがちなんですけど、
やっぱりなんか昔書いたノートとかを見てると、なんかこの頃よりも結構考え方とか成熟してきて、成長してるなって感じられたりもするので、
ジャーナリングっていう形で自分の今まさにこの瞬間の感情とか思いみたいなところを書くことで結果的に記録されているので、
それを後で振り返ってみた時に、なんかその自分の成長とか歩みっていうのを確認できるものにもなってくるのかなと思ったりはしてますね。
そうですね。なんか結構その5年日記とか10年日記とかもあるじゃないですか、
なんかああいうのもすごくいいなって思うんですけど、なんかちょっと着飾っちゃう気がしてて。
なんか私ああいうの続かないんですよ。
なんかちょっといいことを未来に言っとこうみたいな感じになっちゃって。
なんかちょっとそれこそいいなんか認知にしとこうみたいな、ちょっとポジティブにしとこうとかなっちゃったりして、
なんかちょっと違う物語にしてしまうような気もしてて。
でもなんかジャーナリングって書くのはその瞬間でしか書けないので、嘘書かないじゃないですか。
で、なんか気づいたらそれを10年後とかに見返して、あ、そんなこと言ってたんだっていう。
でもなんかその裸の自分のノートが残ってることにちょっと魅力を感じてるんですよ。
確かに見返した時、何も着飾ってない自分のジャーナリングを見る方が多分面白いですね。
そうそう、なんかやっぱりね、なんだろう、綺麗に作り上げられたものよりも、生身のね、方法が面白いというか。
事実は小説より嫌いじゃないですか。
そうですね。
なんかそういったほんと手書きのものとか、ほんと生の感情とか自分の感情とか思考っていうのは、
今のAIとかの時代でも作り出すことはできないので、
そこがやっぱり最終的には価値になってくるのかなって思ったりはしますかね、自分自身にとって。
そうですね。
逆になりたい自分には簡単になれる時代になってくんだろうなと思って、
でもありたい自分で居続けることが難しくなると思って。
そこも結構このアクトの中で大事にしてるところじゃないですか、目標は達成する、ゴールがあるものだけど、
価値でしたっけ、価値はそのビーングであり続けることが大事だよみたいなのがあって、
それもまさにそうだなと思いました。
そうですね。
確かにですね、今の時代何かを実現っていうところでいけば結構何でも実現できたり、
自分が思うものもすぐAIとかで作成とかもできたりはするので、
そこを何か生み出したりとか、確かに実現っていうよりもどうありたいか、
まさにビーングのところが結構注目されていくのかなって思いますね。
そういった意味で、どうありたいかみたいなことをブラッシュアップする上でも、
ジャーナリングの実践っていうのはすごくいいのかなと思ったりしますね。
まさに自分がこうありたいっていうような価値の部分を見つけるっていう、
アクトの実践の部分でも、ジャーナリングの取り組みっていうところはすごく結びつくというか、
いいのかなと思ったりしますね。
でも逆に丸さんは両方実践してるからこそ、
ここは混ぜちゃいけないなみたいな、逆に注意してることってあるんですか?
そうですね、混ぜちゃいけないなっていうところは、
今ちょっと僕がアクトを実践する上で、
何か一番注意しないといけないのかなって思ってるところが、
アクト最終的に自分の価値に沿った行動っていうところを結構最終的な目標というか、
最後行動に結びつけるっていうところにあるんですけど、
その行動っていうのを、行動の結果生まれる生産性みたいなところにこだわりすぎないっていうところは、
ちょっと注意しないといけないかなと思ってて、
なので、ジャーナリングもそうなのかなっていうところがあって、
ジャーナリングした結果を求めすぎないっていうか、
なんですかね、うまく表現できないけど、
でも確かに、
そうですね。
書いたからといってすぐ結果が出ないというか、
絶対ありますからね。
そうですね。
アクトの実践、ジャーナリング、そうですね。
でもじゃあ逆に言えば、
ジャーナリングの実践を通してアクトも実践できてるし、
アクトの実践をやっていったら、
ジャーナリングの大事な部分も結構わかっていけるってことですね。
どっちが入り口でも大丈夫みたいな。
そうですね。
かなさんのジャーナリングって体系化されてているところはあるので、
僕もすごくそれで取り組みやすかったりとか、
共感できる部分があるんですけど、
逆にジャーナリングそういう体系を学ばずにというか、
ただただなんとなくでやってるっていうのであれば、
そこにアクトの骨組みっていうのを利用してもらって、
やってもらうのもいいのかなと思ったりはしてるんですよね。
確かに。
確かにそうですね。
さっき言ってた苦しくなっちゃうみたいな人が、
私に出会えなかったりとか、
私の言葉じゃちょっと聞けないなみたいな時に、
逆にアクトの考えだったらめっちゃ聞き入れられるみたいになったら、
それは確かにそっちで苦しみから解放されたらすごくいいですね。
確かにそう。
ACTとジャーナリングの実践的な組み合わせ
テーマありのジャーナリングっていう、
テーマをもとにジャーナリングするっていう部分でいけば、
結構アクトのワークの中での、
アクトのワークをもとにしたテーマのジャーナリングっていうのは、
結構いいのかなと思ってまして、
まず最初結構自分の幸福っていうのがどういう状態なのかっていうところに、
もう一回確認するっていう、
僕の本の冒頭にもワークとしてあげてたんですけど、
自分が幸福っていうものにどういう認識を持ってるかっていうところで、
自分にとっての幸福とはっていうテーマで一旦ジャーナリングしてもらうと、
自分の幸福に対する考え方っていうのが出てくると思うので、
仮にそこがネガティブな感情とか、
全然苦しみがないっていうようなものを幸福の定義として持ってたりとかしたら、
やっぱりまさにアクトが言う幸福の罠っていう部分に引っかかりやすいっていうようなところもあったりはすると思うので、
そういった不快な感情とかっていうのを、
全部完全に払わないと幸福になれないっていうような勘違いに陥ってるところに気づいたりとか、
そこからそういったところに気づくことからアクトの実践っていうのが始まってくるので、
まずその入り口としての部分をジャーナリングの取り組みでやってみるっていうようなところとか、
アクトが言う価値を明確にするっていう部分でいけば、
例えば自分が80歳になったとき思ってることは何だろうみたいなテーマでジャーナリングしてみると、
そこについても気づけたりっていうのがあったりはするので、
私実はマルさんがKindleで出してくださってるワーク、ほとんどジャーナリングで答えてしまいました。
書き出してみようって言われてたので、ジャーナリングでいいかなと思って。
まさに結構そういうのを意識してワークを作ったりしたところもあったので、
このアクトの実践っていう部分と、
プログラムというか体系化したジャーナリングっていうところって結構結びつけることができるかなって思ったりはするので、
まさにKanaさんのもとでジャーナリングマイスターという資格を取ろうと頑張ってるので、
マイスターになれたあかつきには、このあたりをアクトの実践とジャーナリングを組み合わせたプログラムみたいなのを作ってみたいなとは思うんですけど。
いいですね。めちゃくちゃいいと思います。
もう想像効果が絶対あるじゃないですか。
さっき言ったように、別に混合しても危ないことはないっていうのはわかったので、
逆にそういうことはもう掛け合わせればめっちゃいいことしかないってことだと思うので、
マルさんがそういう独自のメソッドを作ってくださったら、どっちの入り口からでもまた幸せになる人が増えるんじゃないかなって思います。
そうですね。
さっき言ってたアクトの実践とジャーナリングの実践を掛け合わせる上でやっぱり注意しないといけないっていうのが、
アクトが結構結果的に生産性を求めるみたいなところになりがちなので、
ジャーナリングもそこの生産性を求めるっていうところに引っ張られすぎないっていうようなところにはちょっと注意していこうかなと。
今整理ができました。
そうですね。
こんな話の中でかなさんのジャーナリングっていうところの結構骨格が見えてきたかなって思うんですけど、
かなさん流のジャーナリングを定義するとしたら、言葉でお話しする上で伝えていただけることってありますか?
そうですね。
なかなか一言では難しいかなっては思ったりはするんですけど。
本当にでも全然知らない方によく言ってるのは、ただ思ったことを紙にそのまま書けばいいんですよと。
絵とか何書けばいいかわかんないとか、もうどうしようとか、こんなこと書いていいのとか、
そういうのも全部思ったまま書いていいんだよというのがまず入り口で、
で、それをまるで親友が出してきたノートを見るかのように読める自分がいると、
やっぱりそのセルフラブっていうのはずっと今回お話ししてきましたけど、
このセルフラブな気持ちで読む自分が作れるので、書く自分と読む自分っていう風にして、
自分と仲良くなれるツールで、そうやって話して書くっていうのを続けていくうちに、
本当の自分ってこうだったんだなっていうのが取り戻せるのかなっていう風に言ってますかね。
わかりやすいですね。
結構それこそ今来てくださってるリスナーの皆さんとかは、
当たり前に私のジャーナリングを共通言語として受け取ってくださってる方たちなので、
3分でいいんですかとか、何でも書いちゃっていいんですかとかっていう質問って多分あんまりないと思うんですけど、
本当に初心者の方、全然何も知らないみたいな方には結構今みたいな感じでお話ししていくと、
そうなんだ、書いていいんだみたいな。
親友が提出してきたノートみたいな感じで、ちょっとセルフラブとかわかんなくてもその感覚はわかるじゃないですか。
そうですね。
なのでそういうお話はしたりしてますかね。
そうですね。
本当かなさん流のジャーナリングに興味を持たれた方は、ぜひかなさんのプロフィールに行っていただき、
そうですね。
いろんなコミュニティとかをちょっと覗いていただければなと本当に思ったりするところなんですけど。
そうですね、コミュニティのところにちょうどリニューアルオープンするタイミングでして、
来ていただいたら、まるさんとも会えるかもしれないし。
そうですね、人の姿のまるも。
確かに芝県じゃない。
まるさんが見れたり。
あとまるさんがそれこそマイスターとして卒業されたら、
その瞑想会でファシリテーションって言ってね、司会進行する側にもなれますので、
まるさんがやる瞑想会に参加するっていう機会も多分今後出てくると思うので。
それは結構価値高いんじゃないですか、皆さんからしたら。
はい、ぜひ価値を感じていただければ。
ちょっと今リプ欄にコミュニティのリンクだけ貼りました。
ありがとうございます。
ちょっとリンクだけになっちゃったけど、私が今送ったURLがコミュニティの案内です。
はい、ぜひぜひ。
本当、今日ジャーナリングについて、かなさんと話すということで、
ジャーナリングの魅力っていうところを知ってもらいたいなというのがあって、
僕の書籍を入り口としたところではなっていたんですけど、
広くジャーナリングの魅力っていうところが伝わったらいいなと思ったりしているところなので、
興味を持たれた方はかなさんのコミュニティで、
いろいろ知っていただければなと思ったりします。
はい、そうですね。
何より僕自身が書くことで、結構メンタルダウンしていた時から立ち直りきっかけみたいなところにもなったので、
そういった経験からも、メンタルダウンしていた時に回復した時に書いたりしていたのを、
あの時それをジャーナリングって思ってはいなかったんですけど、
画的に考えると本当にジャーナリングに救われたなっていうところがあったりするので、
本当に書く力っていうのは偉大だなと思ったりするし、
本当に書くことで人生変わるっていうのは、
大げさなことではないなと思っているので、
そういったところを感じるっていうところで、
ジャーナリングの実践とかに皆さん取り組んで見てもらえればなと思ったりしているところです。
何かわかんないことがあったら、まんまりさんでもいいですし、
私のところに直接来ていただいても何でもお答えします。
いろんな方にチラチラ来ていただいたりもして、
アーカイブとかで行かれる方もいるかなと思いますので、
そういった方に本当ジャーナリングの魅力っていうのが伝わったらいいなと思ってますので、
気軽にお問い合わせいただければなと思います。
そうですね。
書くことの力とジャーナリングの魅力
丸さんの界隈はどうなんですか?実際。
書くことの魅力、広まってる感はあるんですか?
そうですね。結構、
僕が今、Kindle出版のコミュニティとかいたりするんですけど、
それこそジャーナリングをテーマにした書籍を書かれてる方もいらっしゃりますし、
やっぱり執筆活動って一種のジャーナリングというか、
やっぱり自分の気持ちを一回出す形にしていくっていう部分があるので、
やっぱりそのジャーナリングの力っていうのとか、
書くことの力っていうのは結構みなさん述べられてる部分はあったりしますかね。
癒しですよね、やっぱ。
そういう自己表現とか、達者がいるので書くっていうのはもちろんありますけど、
何よりも自分のために書いてるなって私は思ってるので。
癒しであり救いですよね。
ジャーナリングってあんまり本当に難しいものと捉えずに、
気軽に取り組んでもらいたいなっていうのはあったりします。
今日は最初からずっとなずきさんとか、
ぐえさんとかちかさんとか聞いていただいて、
守っていただいてありがとうございました。
めちゃくちゃ心強かったです。
ありがとうございます。
やっぱりジャーナリングって言葉が結構聞くようになったとはいえ、
やっぱりこういうお話をするっていうのも結構マイナーなことかなとは思ったりはするんですけど、
そんな中、興味を持っていただいてよかったです。
本当に嬉しいです。
たぶんあんまり私と丸さんの周りの方との認識はないんですけど、
こういうところでまたつながっていって、
それぞれのフォロワーさん同士を行き来できるのもいいなぁと思う。
ジャーナリングの輪を広げていきたいなと思います。
ぜひぜひ広めていきましょう。
たびたびこんなやってお話できたらなとは思ったりはするんですけど、
僕もやっぱりジャーナリングマイスターとしての受講をさせてもらってますけど、
こんなやってジャーナリングをテーマにゆっくりお話することもなかなかないので、
こういったことでジャーナリングについての理解とかを、
自分自身しゃべってて、今日もお気づきがたくさんあったりもしたので。
またよろしくお願いします。
まるさんがあれですね、卒業したら卒業記念でお話できたらいいかも。
そうですね。
またジャーナリングマイスターとしての活動の方向性みたいな。
ちょっとビジョンを聞かせていただいて。
楽しいかもしれないですね。
いいと思います。楽しみ。
また今後ともよろしくお願いします。
そちらこそお願いします。
今日は本当にゆっくりされる、普段はゆっくりされる時間だったかなと思うんですけど、
楽しかったです。
とても楽しかったです。聞きたいことも聞けたし、よかったです。
またよろしくお願いします。
リスナー聞いていただいた方もありがとうございました。
01:04:42

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