鴨川でゆっくりしたいラジオ。通称鴨ラジオの時間がやってきました。本日のパーソナリティは中村が務めます。よろしくお願いします。
鴨ラジオでは、ゲスト会と称して京都移住計画でお世話になっているパートナーや企業の皆さんをゲストにお呼びして、それぞれの京都移住話を伺っています。
皆さんは、アトツギという言葉を知っていますか?京都にはいくつもの企業があり、その中でも先代から会社を継承した経営者のことをアトツギというのは指します。
自分の家族から会社を受け継ぐ。普段どうしても一会社員として働いていると、経営者の苦悩であったり支店って感じること少ないかもしれません。それはもちろん私自身もそうです。
今回は、京都の水を守るポンプのメーカー、そしてメンテナンスの会社、大宮ポンプ製作所の社長、大井さんをゲストにお呼びしました。
大井さんより、アトツギとしての生き方や思いであったり考え方を伺います。
リスナーの皆さんにとっても、京都で働くイメージを持ったり、あとはキャリアを考えたりするヒントになればなというふうに思います。
大井さん、本日はよろしくお願いします。よろしくお願いします。
もちろん、移住計画でも大宮ポンプさんの記事は紹介をしているのですが、特に大井さんの今までのいろいろな変遷や思いに今回はフォーカスを当てて話を聞けたらと思っています。
まず簡単に大井さんから、大宮ポンプ製作所について、ご自身の自己紹介をお話しいただいてもいいですか。
はい、ご紹介を預かりました。株式会社大宮ポンプ製作所の大井と申します。
大宮ポンプ製作所では、ポンプの販売や修理や整備、取り替え工事などを行っております。
ポンプ自体はポンプメーカーが作ったものをこちらで販売したり修理しておりまして、ポンプそのものを製作しているわけではないのですが、昔ポンプの組み立て等は一部行わなければならなかったので、製作所という名前で営業させてもらっております。
ありがとうございます。ポンプって日常的にはどんな場面で使われていますかね、私たちの生活の中で。
ポンプについてでは、基本的には水を上の方に上げるような機能を持っていますので、ビルとかマンションの高層階に飲み水を上げたいとき、
あと排水にもよく使われてまして、雨水とか排水ですね、そういうものを地下室から下水道の本館まで排水したいときにポンプアップしたり使うのが主な用途ですね。
他にも水以外にも薬品であったり、他の様々な液体をポンプを使って圧力を加えてあげております。
生活に本当に欠かせないものですし、京都のサウナとか銭湯好き屋という方々もポンプに関わっているということにはなるんですかね。
そうですね。銭湯の場合ですと、必ず循環しないといけないろ過の設備がありますので、そのろ過器についてはポンプで水を送ってろ過してますので、銭湯については必ずポンプが複数台あると思っております。
ありがとうございます。緊張していますか。
はい。
ありがとうございます。聞いている方々も徐々に柔らかくなっていく感じを感じていただければと思うんですが、今のお話を受けて本当に生活に欠かせないというか、実はこんなところにもポンプがというところを支えていらっしゃる会社になります。
大井さんについてですね、企業のお話はいろいろしていただいたんですけれども、ご自身についていろいろと聞いていきたいなというふうに思ってまして、ご出身は京都出身で。
はい。京都府の常陽市出身でございます。
はいはい。常陽なので南のほうですよね。自然も近くにあったりであるとか、というところの場所になるんですけれども、幼少期でいくと常陽に生まれて、中高は京都の学校に所属をされててでしたかね。
はい。そうです。
はい。その後大学が東京に行かれてでしたかね。
はい。
そこから中高を経て大学、学校名出したの大丈夫ですか。
はい。
早稲田の土木工学に行かれるんですけれども、東京に行こうと思ったのって何でなんですか。
はい。指定校推薦があって、東京に一度行ってみたいというのがあって、それに手を挙げたら行かせてもらうことができてですね。
また、土木というのも、家業ともちょっと関係があるのと、理系で学べるというので、大学は東京のほうに行かせてもらいました。
学生時代の東京への憧れって、何から来るものだったんですか。
そうですね。東京というのがやはり日本の中心地で、都会への憧れというか、そういうのがあって、行きたいと思っておりました。
なるほど。大学生活の4年間って、どんな感じの生活をされたんですか。
そうですね。理系の学部でしたので、実験とかレポート、言葉テストなんかに結構追われて、勉強はそこそこしたように記憶しております。
ただ、それは結構真面目にちゃんと学生生活を送られてきた方の話かなと思っていて、マージャンしてましたとか、そういうのが出てくるかなと思ったので、
ちゃんと同校学について実験含めされていたんだなということを、今の聞きながらは思ったんですけど、どうなんですかね。
そうですね。今思うと、その時もっとしっかり勉強していれば仕事に役立ったと思うんですけど、その時はもう追われるような形でやってたので、
もっと主体的に先を見据えてですね、勉強しておけばよかったと思います。
素敵ですね。学校で学んだことが生きたと思ったことが、私、社会人10年経つんですけど全くなくてですね、後悔があんまりなくて。
なるほど。そこの学んでいらっしゃったことが、結局この巡り巡って繋がっているところもあるし、その当時深めておいたらよかったって思うのが、今のお気持ちとしてあってっていうことなんですね。
そうですね。
分かりました。4年間のこの大学生活を経て、最初のキャリアは銀行員でしたかね。
そうです。
土木工学を結構専攻されている方って、そのまま例えば、ゼネコンイカハルとか、あとでいくと何ですかね、住宅メーカーとかですかね、キャリア進め張る人が多いイメージがあるんですけども、なんで銀行やったんですか?
都市計画というのが土木工学の中であってですね、その都市計画を勉強していくと、町づくりであったり、町の経済であったりとかですね、そういう点も勉強していく中で、非常にお金のやり取りであるとか、地域活性化とかですね、非常にそれが魅力的に移りまして、その一つである銀行業に進んでみようと思ってですね、就職した次第です。
なるほど、これを聞いてくださっている方って転職とか、例えば新卒を迎えようとしているとか、就職活動中の方もいらっしゃったりするんですよね。
すごいキャリアのヒントになるなと思ったのが、どうしても私が最初に言った土木工学からキャリアを積まれる方の、ここに行くんじゃないですかっていうのって、多分ハード面のところに関わっている方が多い話だと思うんです、土木工学の中でも。
ではなくて、内部の都市計画のまちづくりとか、少しそこにいる人にフォーカスを当てたようなソフト面のところも多分学ばれていて、じゃあまちづくりって何から成り立っていて必要なんだっけ、人物お金情報って考えたときの、そこの一部を選ばれて、っていうふうにちょっと要素分解されてた感じなのかなと。
そうですね、そのお金の部分ですね。
なるほど。銀行自体は東京の地銀とかより、もう点々とするようなメガバンクに行かれたんですね。
政府系の金融機関でして、それで転勤もあって、地方の方を転勤で回ってました。
最初そこの銀行を選ばれたのは何でなんですか?
そうですね、やっぱり政府系で公共的な融資とかも多いんで、それで選んでおりました。
銀行員にならはるときに、どんなふうになりたくてとか、何がしたくて、さっきのまちづくりに興味があっての入りはわかるんですけど、銀行業に入ることによって、こういうことが得れそうだとか、こうなるんじゃないかみたいなのは、当時どんなことを描いていたんですか?
そうですね、頑張る企業を応援したい。あと自分自身が知識をつけて、応援できるようなスキルを身につけたいと思って、入りました。
その時からすでに、この家業自体がポンプに関する会社屋っていうのは、もともとのご家族がされていることとして、経歴で持っているというか、そういう背景があらはると思うんですけれども、そこを見越して銀行業に入ったっていうのはあったんですか?
いや、もうそこは全然考えていなくてですね。父がその時は経営者だったんですけど、もうそこは気にせず、好きなことをやらせてもらっていました。
なるほど。いざ銀行員にならはって、地域を点々としてっていう話で、全国何都道府県ぐらい行かれたんですか?
そうですね。4県回らせてもらって、四国とか静岡とかですね、回らせてもらって、やっぱりその地方地方にはいいものがあったり、それぞれ独自の産業があるなというのは、本当に勉強になりましたね。
計何年居張ったんですか?
12年居張りました。
12年居張ったんですね。いろんな環境を経験されて、たぶん12年いらっしゃってから、3年ごとに移動&転勤ってことですね。
そうですね。
どう慣れていってはったんですか?
そうですね。もう転勤も仕事のうちと捉えて、また新しい企業とか新しい職場の仲間に会えることを楽しみに、もう仕事だと思って転勤しておりました。
なるほど。そこの割り切りなのか覚悟という言葉なのか分からないんですけれども、移住を決め張る人とかも全く同じかなと思っていて、新しいところにどう馴染んでいくかみたいな話だと思うんですよね。
そこってどうやって、この3年ごとの違う地域、違うお客さん、違う仲間に馴染んでいったんですか?
そうですね。仕事の質は同じなんで、最初はやっぱりお客様を覚えたり、会社の仲間を覚えたりするのは大変ですけど、そこはやはり仕事と割り切ってですね。
仕事の時間外とかでも、お客さんのホームページを見たりして、ぐっと最初はこらえてですね、新しい担当先の知識を詰め込んでました。
なるほど。最初大事ですよね。とある人の言葉を借りると、最初はストックの期間というか、まずは覚え込む、これが社内であったり社外であったり、お客さん、仕事内容であったり。
ただ、1ヶ月ぐらいとか経っていくと、フローになって回ってルーティン化していく、そこから慣れが始まるみたいなのがあるので、そのぐっとこらえるの期間が、まさにこのストックしていくような期間だったのかな、想像するんですが、何度も出てくる言葉の中で、その銀行員時代の大井さんにとっての仕事って、どういうことを定義して仕事って言ってあったんですか?
大変なものっていうふうに置いてやっていたのか、それともまた別の意味で、いろいろなものをぐっとこらえてみたいな言葉もあったので、どんな定義づけをしてあったんですか?
そうですね。まず仕事なので、基本的には融資の営業をしてたんですが、ご融資させてもらうと、どうしても月々の返済というので、ご融資が返ってきますので、融資の残高がどんどん放っていくと減っていくんです。
なので、また新しい融資をしていかないと、残高が減っていくので、それがプラスになるようにご融資できる先を見つけたり、企業先の残高の減り方を見たりしながら、新しい融資の案件を提案したりしているのが一つ基本になるんですけど、
他に、これは輝いているなとか、強いものを持っているなという企業さんについては、多少支店内でお叱りを受けるときはありましたけど、融資の提案をしてみたりとか、あと補助金の申請のお手伝いをしたりして、少しでも役に立てないかなと思う活動をしておりました。
なるほど。なので、自分のためにももちろんあるはずだと思うんですけれども、他社の子のためにの支援というところが、当時での仕事とは何ぞや、あなたにとってと言われたときの、そういうふうな意味付けでしてあったところが。
その通りでございます。
それがしっかりできていたかと言われると、十分だったと思うんですけど。
自分に厳しめですね。
今思うと、もっと工夫する余地があったなと思います。
ありがとうございます。
本題のところは正直、今回のラジオの後継ぎとはというところを深掘りする予定が、あまりにも就職転職移住と聞かれている方にとってのキーワードになるようなものがありすぎたので、ちょっと回り道をして、いろいろ深掘りをさせていただきました。
そんなこんなで12年。
12年ですね。
銀行員を経て、戻ってこられるわけですよね、京都に。
それは2000何年の話ですかね。
2020年だったと思います。
なるほど。こんなことを聞くのもあれなんですが、第三者として本当に気遣いも何もない言葉で聞くと、
事業を畳みましょうみたいな、そういうふうなことを言う人もいる気がしたんですよね。
そこではなく、継ぐという意思決定された理由って何でなんですか。
攻めの営業をほぼ全くしていない状態で、ありがたいことにお客様から案件があるというのは、非常に恵まれた業種だと逆に思いました。
もし父が目一杯営業もして、技術も蓄えて努力もして、もし現状維持の会社であれば畳むという選択肢も大いにあり得たと思うんですけど、
逆で伸びしろしか感じなかったんです。
なるほど。
なので、戻ってもやっていけると思って、決めた次第なんです。
なるほど。やりきってないところがあるんじゃないかというのもそうですし、勝手な推測なんですけれども、
銀行員としての、言ってみたら営業スキルであったりとかスタンスの部分、こうやって人って儲けていくみたいな、それを見られたからこそできる部分が自分にもあるんじゃないかと、自信を持っていらっしゃったところもあるんですか。
そうですね。やはり飛び込み営業したり、電話でアポイントを取ったりするというのが当たり前の営業だと思ってたんです。
なので、実家の家業に帰ってみて、それが全くされてないというのがむしろ不自然で、自分自身自信があったわけではないですけど、飛び込み営業とかは当たり前と思ってましたので、本当に家業の昔のスタイルが意外で、逆にいけないなと思った次第です。
ありがとうございます。そして戻ってきたのが2020年で、経営のバトンタッチもされるというお話。代表になられたのは改めて、2000何年になりましたか?
確か2020年の4月1日ですね。就職と同時に代表になりました。
なるほど。気になるところがあれですよね。もともとも働いていらっしゃった社員の方もいらっしゃるじゃないですか。周囲の反応ってどうやったんですか?
周囲の反応はもう普通というかですね。もともと個人の業間が集まって、バラバラに仕入れをして、バラバラに販売をするというスタイルをとっていたので、
それで私が入ったからといって、特に何かすぐ変わるわけではなかったので、いい意味で組織だってなくて、個人商店の集まりのような会社だったので、そこはもうすんなりと入って、徐々に組織だった会社に変えていけているとは思っています。
なるほど。なので、個々人で事業をされている方々がやったので、うちが今大事にしているこれを潰すんじゃないか、みたいな、そんな嫌悪感はなく、あ、変わるんだ、ぐらいのところからスタートをまずはされたということなんですね。
はい、そうだったと思います。
取り組まれたことは今少しちらっとおっしゃった気がするんですけれども、改めて伺うと、営業のスタイルとかも変えた感じなんですか?
そうですね。今まで全く新規先を自分から探しに行くということはしていなかったので、そこはもうリストを作って、ローラー作戦でですね、ポンプに関係しそうな会社さんを回らせてもらいました。
それはご自身でですか?
そうですね。あと、家業を継ぐにあたって、私の義理の父も一緒に、もともと経営経験があったので、助っ人として来てくれまして、私とその義理の父の2人でぐるっと回ってましたね。
なるほど。周囲のこのもともと個人商店ですかね、集まっていた営業の人とちょっと連携してみたいな仕事の仕方ってしたりはしたんですか?
そうですね。しばらくは連携は取れなかったんですけど、自分たちで工事をするようになってくると、どうしても資格であるとかスキルであるとかが必要になるので、ちょっと来てほしいというような形で力を借りていくうちに、やや横の関係というか、そういう協力体制ができるように少しずつなってきました。
なるほど。今までが通常こういうふうに仕事をするでしょっていうところが、大宮ポンプさんの場合、営業の方もいればメンテナンスの方もいればなので、そこが連携を徐々にしていくって言ってみたらコンフォートゾーンを変えていくっていう、人によってはストレスを抱えてしまうことだと思うんですけど、そこって最初は皆さんって抵抗あったんですか?
そんなこともなく、すんなりと徐々に連携は生まれてですか?
そうですね。やっぱり、そんなところでもこういう役に立つんだというような、みんな発見があったというか、他の人の役に立てているというような気づきがあったというか、その辺がありがたいことに強かったからかですね。そんなに抵抗はなかったんじゃないかなと思ってます。
なるほど。そこは素敵な部分ではありますよね。先代側というかが、もともと採用してきたりとか、集まってきた仲間の方々自身の素養の部分も、さっきの伸びしろがあるっていうふうに、まさに伸びしろのための個性を生かすじゃないですけれども、入られたことで連携が深まって、もともと別に連携嫌じゃないけれども、それが促進されてっていう形になっていかれたなとは思って、
いい話をメインに聞いたんですけど。
ありがとうございます。
後継ぎになり苦労したこととか、マジかみたいなこの全職とのギャップでいくと、どんなものがありましたか。
そうですね。後継ぎになる前は、銀行員でそういう営業で、現場で何か工事をするとか、物を触ったことが一切なかったので、いざポンプを前にして、それの調整をするとか、ポンプの工事をするということになると、全く想像がつかないんで、ただただ現場に出るのは不安な毎日でした。
そこはどう乗り越えたんですか。
そうですね。やっぱりその作業の日が来ると、監督であったり、技術の一端として現場に行かなくてはならないので、行くだけ行って、やってみるというかですね。
とりあえず、お客様の要望している修理であったり取り替えであったりをやってみるというような形で取り掛かりました。
最初は本当にポンプが動く音一つ怖かったりですね。このバルブ1個ひねっても大丈夫とか、大丈夫なのかわからないとか。
確かにぶっ壊したらどうしようみたいな。
そうなんです。ボルト一つ解くのにも水が漏れるんじゃないかとかですね。
本当にわからんことだらけで、とにかく不安だったんですけど、実際やってみると非常にシンプルな機械なので、そんなに不安があることはないというかですね。
やってみた方が早いというような、そういう現場が多かったように思います。
実務の部分でのこのギャップを埋めていくということは、今伺えた気がするんですけれども、私が今回ラジオをゲストに来ていただくときにふっと思ったのが、
1会社員だった方が、もちろん経営をされている方をご家族で側で見ていた部分もあると思うんですけれども、
1会社員から経営者になると、視点であったりとか、肩書き変わるはもちろんなんですけど、何が変わりますか?
そうですね。やっぱり視野がすごく狭まっていたんだなというふうに思いました。
それはどんな場面で感じられたんですか?
そうですね。やっぱり一緒に働いている従業員さんの気持ちとか、行動とか見ていると、
私自身も1社員だったときに、もっと周りを見て動く必要があったなとかですね。
逆に言うと、もっと頑張れることがあったんじゃないかとか。
あと、やっぱり社員だったときは環境に恵まれていたんだなとか思うところはありますね。
逆に言うと、また経営の方をさせてもらうにあたって自由度が広がったので、
そうですね。視野が広くなったというのが良かったかなと思います。
どうしてもこの1社員でいるときって、自分がどう動くかの視点になってしまうけれども、
それを束ねたりとか、指示を出さないといけない立場になったときに、他の人がどう思っているんだろうまで多分、
思考を巡らせるというのが、視点が広がってというお話だと思うんですけど、
経営者になっているのは、この自由度が上がったことによって何が変わるんですか?
そうですね。やっぱり、こういう分野を攻めてみようとか、
今の事業でいうと、ポンプの隣の機械についても扱ってみようとか、
領域を自分で考えれるというのは面白いですね。
なるほど。マーケット戦略とか営業戦略ですよね。もともとそういうのはお好きだったんですか?
そうですね。好きだったんですけど、なかなかそういうのは自分でできることではないので、
家業に戻って自由に行動できるというのは嬉しいなと思います。
なるほど。今、自分が経営者をやれと言われた時に、私は数字を立てたり計画を立てるのを
営業10年やっているんですけど、めっちゃ苦手なんですね。
だから、いや、できる気がしいなというふうなのを率直に感じているんですけれども、
今おっしゃった、経営者になってこう変わったよみたいな話の裏側って多分努力がたくさんあったなと思うんですけれども、
そこのマーケット戦略を考えるとか、組織を作っていく、そのために努力されたことって、どんなことをしてきたんですか?
そうですね。自発的な努力というよりも、ポンプを扱っていると、その隣の機械についても緊急で何とかしてくれへんかとか、
こっちも扱えへんかというような話をいただけるので、そうしたら勉強せなあかんなということで、
お客様のおかげで同意的に勉強させてもらっているというのはありますね。
なるほど。それは経営者だけじゃない視点だなというのを伺いながら思いました。
お客さんからの新しいニーズみたいなところから、自分が知らないのであれば、それを学んで追いついて答えるうちにまた次のお題が来てっていう。
そういう学習のサイクルというところは、社員であろうと経営者であろうと、見る視点、抽象度は違うと思いますが、
同じようなところがあるんだなというのは、私自身も今の話ですごい学びました。
そうですね。やっぱり今まで社員であったときは、それはもう専門外なので、他の業者に当たってくださいというふうになっていたんですけど、
自分が決定できるという立場になってからは、そしたらそこの方も簡単そうだからやってみようとか、お客様がそうおっしゃるんだったらやってみようとか、
他にそういう分野に強い協力会社さんもいはるんで、そこと一緒にやってみようというような選択肢もありますので、
幅を広げられる自由というか、そういう選択ができるようになったのは面白いですね。
確かに組織張っている会社にいるときは、これは自分の専門外でという言葉というか、別にそういう企業を責めているわけでは全くなく、
自分もそこ出身なのであれですが、なんというか、人ごとにできるんですよね。
ただ、結構自分ごとになる範囲が経営者になられたりであるとかになると増えてくるので、
まずは受けざるを得なくもあるし、学習のチャンスでもあるということですよね、今の話を。
はい、そうです。
ありがとうございます。ちょっと視点を変えて、他の企業の代替わりをされた方であったりとか、そういったところとの交流ってあるんですか?
そうですね。金融機関の紹介で、後継さんばっかり集まる勉強会に行かせてもらったり、そういう場で交流を取らせてもらっています。
そうですよね。私たちが今収録をしている京都信用金庫さんが持っているクエスチョンビルでも、そういう集いがあったりとか、
京都市さんでもそういうふうな後継と呼ばれるような方々のコミュニティづくりは、京都内でも特に積極的にされているところはいくつも思いつくなというのは伺いながら思ったんですが、
他の企業の後継の方と話されていて、大平さん自身が感じられる京都の後継企業の共通点ってありますか?
というのが、前職も点々といろんな地域の経営者ともお金の面のリアルな数字を見ながら話をされてきたので、なおさら他の県との違いとか共通点って感じられることはありますか?
そうですね。京都だからかわからないんですが、やはり業歴が長いところの3代目、4代目、もっとですかね。本当に7代、8代、時には10何代とかを超えられるような後継者の方もいらっしゃるので、やっぱりそこは京都ならではなのかなと思いますね。
私で3代目なので、他の10代近いとかそういう方々の歴史の重みとかを感じると、そういう人らはえらいなと思いますね。
なるほど。3代目の方から見た時の10何代目の人とも交流をする機会ってあるじゃないですか。
違いってどんなところで感じるんですか?見てる視点ですか?
そうですね。お話ししている内容としては同じような、どういう企業もみんな変化をしていくものだと思うので、環境とか立場というのは似たようなものだと思うんですけど、
ただ本当に100年越えの老舗の方となると、重みっていうのはまたさらにあるものなのかなと勝手に思っています。
みんな悩んでますか?
どうなんでしょうか。そこまであまり聞いたことはないんですけど、ただみんな宿命としてやろうとしてあるんじゃないかなと思います。
難しいよなと思ったのが、よく言うじゃないですか、経営者の方は孤独でっていう悩みも、同じ立ち位置の方がいてもそこでもやっぱり開示できないことがあってっていう、
そこのなんというかモヤモヤ部分も抱えて生きていらっしゃったり、この役割を全うされているのが、もしかして経営者だったり後継ぎなのかなみたいなのを今伺いながらちょっと想像してたりしました。
そうですね、そんなのかもしれません。
ありがとうございます。なかなかこの一社員でいると感じられないようなやりがい、一方でのこの苦悩の部分がすごくリアルに伺えたなと思いました。
ちょっと話は、ポジティブなんじゃないですけれども、移住考えていらっしゃる方も聞いてくださっているので、暮らしの部分にもう少しフォーカスを当てたいなと思っています。
いろいろなこのポンプという風なところからのつながりで、京都、市内京都、府のところもちょっといかはるんですかね、
をお客さんのところにいかはる中で感じる、この京都の地域、お客さんに触れて感じていることって言うとどんなことがありますかね。
そうですね、お客様という点では、やはり京都の場合、地下水を利用して張るお客さんが多いので、移動関係のポンプというのがよく出るんです。
なので、本当に料理屋さんであったり、あと神社とかお寺とか、あと染物屋さん系、工場とかも本当にたくさん地下水を使って張ってですね、またいい地下水が出るときが多いので、
確かにそんだけの水の量を使われるんやったらポンプを使った方がいいだろうなという場所では、本当に皆さんよく移動水をポンプであげてらっしゃいますね。
なるほど、そういう風に関わりになるお客さんがすごく多いというのが今のエピソードで感じたんですけれども、人の特徴ってどんなところですか。
そうですね、人の特徴は、やはり市にせのような事業をやっているところであれば、事業に誇りを持って張るとか、歴史に誇りを持って張るとかですね。
あと、井戸で言えばお餅の井戸については愛着があるというか、やっぱり京都ならでは京都に住んでいる住環境というものに誇りとかですね、喜びを見出して張るのかなと思いますね。
このラジオを撮る前に少し打ち合わせをして、その時の大井さんの話が私は結構印象的だったんです。
よく京都って夏はめっちゃ暑いし、冬は意地悪な冷え方するそこびえ屋って言うけれども、この人の特徴として、その天候についても、なんというか、めっちゃ嫌いやねんけどっていうよりかは、そういう特徴があって、この天候自体もあえて誇らしげに語る部分があるんじゃないかってお話をされた時に、
あ、そういえばそうかと。何かの歴史文化っていうふうな、よく言われているもの以外でも、そこの環境、天気含めてですよね。そこについての愛着を持っているは、今まで感じたことなかったなと思ったので、私もすごく発見でした。
ちょっと観点をさらに変えてですね、本当にいろんなところでポンプが使われているっていうお話があったと思うんですけど、さまざまな場所に出向いたからこそ知っている推しの、特にラーメンが好きというお話だったので、ここのラーメン、あんまりこのガイドブックに載ってへんけども、おすすめですというところ。まず、ラーメンは何系のラーメンが好きですか?
そうですね、醤油系のラーメンが好きです。
よく行かはるところは、どのあたりになりますかね?
そうですね、やっぱりベタですけど、大蛇咲飛とか新福祭館はよく食べたくなります。
はいはい、そうですよね。ガイドブック持っている方は絶対見ると思いますし、超並ばなあかんけど、ここは穴場屋でみたいなところってありますか?
そうですね、一回ミブの方の学校のポンプを取り替えたんですけど、そのとき昼食どこかないかと思って、周囲探していたら、サイラーメンさんという、本当にカウンターだけの見つけづらいラーメン屋だったんですけど、ぷらっと入ってみたら、非常においしくてですね、こういうラーメン屋さんが京都市内にはまだまだあるんだと驚いたことがあります。
そうですよね、ちなみにミブっていうのが京都にいても、なかなかすぐにここやってわかる人は多くはなかったりするかもなんですけれども、地下鉄で行くとですね、東西線の西王城池をもうちょっと南に行ったところにあるのが、このミブの方のエリアにはなるんですけれども、調べてみると唐揚げもおいしいラーメン屋さんみたいなので、
それこそ嵐山に行かれる途中にちょっと下車してみてとか、あとはあのあたりもちょこちょこと銭湯あったりとかするので、穴場の銭湯を探したいぞみたいな人には合うんだろうなっていうのは聞きながら思いました。ありがとうございます。実際にこのラジオを聞いてラーメンが私好きやねみたいな人は調べてみてください。