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2025-05-21 46:54

#30 銀行員からアトツギへ。家業を守り、変えていく大宮ポンプ製作所の挑戦(大井 祥吾さん)

「アトツギ」という言葉をご存知ですか?

先代から事業や家業を引き継ぐ人のことを指しますが、最近では“ただ継ぐ”だけではなく、時代に合わせて事業をアップデートし、次の世代に託すところまでを担う存在として注目されています。

とりわけ京都は、何世代にもわたって事業が受け継がれてきた会社が多く、アトツギという役割のあり方が、度々話題になる土地でもあります。

今回のかもラジオでは、そんなアトツギとして日々奔走する「株式会社大宮ポンプ製作所」代表、大井祥吾(おおい・しょうご)さんをゲストにお迎えしました。


大井さんは京都府城陽市に生まれ、大学進学を機に東京へ移り、土木工学を学びました。その後、政府系金融機関に就職し、地域企業や産業と向き合いながら12年間のキャリアを積みました。

そして2020年、ご家族からの呼びかけをきっかけに、家業であるポンプ製作所に戻ることを決意します。

現在は3代目の社長として、営業活動にも力を入れながら、会社を次の時代へとつなぐべく、日々現場を駆け回っています。

今回のラジオでは、「アトツギ」になる決意、京都という土地で家業を継ぐことの意味について、大井さんが率直に語ってくださいました。

家業や地元への想いを持ちながらも、将来に迷っている方や、地域で働く選択肢に興味がある方にとって、ヒントが詰まった回になっています。ぜひお聴きください。


▼今回のトーク内容

自己紹介 / 大宮ポンプ製作所について / 早稲田大学で土木工学を学ぶ / 銀行員時代 / 家業に戻る決意 / 新規開拓などの営業手法を導入 / アトツギの重み / おすすめのラーメン / 京都暮らしの魅力


▼出演

ゲスト

大井 祥吾

京都府城陽市出身。東京大学の大学院で 国際協力学を学んだ後、金融業に入行し、全国の中小企業の経営支援などに携わる。2020年に祖父が創業した株式会社大宮ポンプ製作所に入社し、第3代目の社長に就任。

https://www.omiyapump.com/


パーソナリティ

中村 千波

仕事担当

京都に生まれ、大学卒業まで一貫して京都で過ごす。学生時代から「納得できるキャリア形成」に強い興味を持ち、人材業界へ就職。東京・大阪での勤務を経験し、京都へUターン。「これもいいし、あれもいい。」多様性が生まれる生き方・働き方を探究・探求している。


▼番組概要

京都の様々なプレイヤーが集まり活動している様子や「居・職・住」について、鴨川でゆっくりしながら雑談する番組。記事に載せきれなかったことや、日々の生活のことなど、音声コンテンツならではの情報もお届けします。ホストは「京都移住計画」のメンバーが務めます。


▼京都移住計画

WEBサイト:⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://kyoto-iju.com/⁠

サマリー

大宮ポンプ製作所の大井祥吾さんが、銀行員から家業に転職した経緯やアトツギとしての挑戦を語ります。彼はポンプの重要性や地域振興への貢献の意義を強調し、聴取者にキャリアに関するヒントを提供します。大井さんは銀行員から家業に戻る決意をし、企業の経営スタイルや営業方法を変革する物語を持っています。彼はコロナ禍の中でもポンプ業界の特性を活かして成長を追求し続けています。また、京都の後継企業の特徴や歴史への愛着、未来のビジョンにも触れています。大井祥吾さんが、銀行員から家業を継承し、変革を目指す挑戦について語ります。

アトツギの意義
鴨川でゆっくりしたいラジオ。通称鴨ラジオの時間がやってきました。本日のパーソナリティは中村が務めます。よろしくお願いします。
鴨ラジオでは、ゲスト会と称して京都移住計画でお世話になっているパートナーや企業の皆さんをゲストにお呼びして、それぞれの京都移住話を伺っています。
皆さんは、アトツギという言葉を知っていますか?京都にはいくつもの企業があり、その中でも先代から会社を継承した経営者のことをアトツギというのは指します。
自分の家族から会社を受け継ぐ。普段どうしても一会社員として働いていると、経営者の苦悩であったり支店って感じること少ないかもしれません。それはもちろん私自身もそうです。
今回は、京都の水を守るポンプのメーカー、そしてメンテナンスの会社、大宮ポンプ製作所の社長、大井さんをゲストにお呼びしました。
大井さんより、アトツギとしての生き方や思いであったり考え方を伺います。
リスナーの皆さんにとっても、京都で働くイメージを持ったり、あとはキャリアを考えたりするヒントになればなというふうに思います。
大井さん、本日はよろしくお願いします。よろしくお願いします。
もちろん、移住計画でも大宮ポンプさんの記事は紹介をしているのですが、特に大井さんの今までのいろいろな変遷や思いに今回はフォーカスを当てて話を聞けたらと思っています。
まず簡単に大井さんから、大宮ポンプ製作所について、ご自身の自己紹介をお話しいただいてもいいですか。
はい、ご紹介を預かりました。株式会社大宮ポンプ製作所の大井と申します。
大宮ポンプ製作所では、ポンプの販売や修理や整備、取り替え工事などを行っております。
ポンプ自体はポンプメーカーが作ったものをこちらで販売したり修理しておりまして、ポンプそのものを製作しているわけではないのですが、昔ポンプの組み立て等は一部行わなければならなかったので、製作所という名前で営業させてもらっております。
ありがとうございます。ポンプって日常的にはどんな場面で使われていますかね、私たちの生活の中で。
ポンプについてでは、基本的には水を上の方に上げるような機能を持っていますので、ビルとかマンションの高層階に飲み水を上げたいとき、
あと排水にもよく使われてまして、雨水とか排水ですね、そういうものを地下室から下水道の本館まで排水したいときにポンプアップしたり使うのが主な用途ですね。
他にも水以外にも薬品であったり、他の様々な液体をポンプを使って圧力を加えてあげております。
生活に本当に欠かせないものですし、京都のサウナとか銭湯好き屋という方々もポンプに関わっているということにはなるんですかね。
そうですね。銭湯の場合ですと、必ず循環しないといけないろ過の設備がありますので、そのろ過器についてはポンプで水を送ってろ過してますので、銭湯については必ずポンプが複数台あると思っております。
ありがとうございます。緊張していますか。
はい。
ありがとうございます。聞いている方々も徐々に柔らかくなっていく感じを感じていただければと思うんですが、今のお話を受けて本当に生活に欠かせないというか、実はこんなところにもポンプがというところを支えていらっしゃる会社になります。
大井さんについてですね、企業のお話はいろいろしていただいたんですけれども、ご自身についていろいろと聞いていきたいなというふうに思ってまして、ご出身は京都出身で。
はい。京都府の常陽市出身でございます。
銀行員からの転職
はいはい。常陽なので南のほうですよね。自然も近くにあったりであるとか、というところの場所になるんですけれども、幼少期でいくと常陽に生まれて、中高は京都の学校に所属をされててでしたかね。
はい。そうです。
はい。その後大学が東京に行かれてでしたかね。
はい。
そこから中高を経て大学、学校名出したの大丈夫ですか。
はい。
早稲田の土木工学に行かれるんですけれども、東京に行こうと思ったのって何でなんですか。
はい。指定校推薦があって、東京に一度行ってみたいというのがあって、それに手を挙げたら行かせてもらうことができてですね。
また、土木というのも、家業ともちょっと関係があるのと、理系で学べるというので、大学は東京のほうに行かせてもらいました。
学生時代の東京への憧れって、何から来るものだったんですか。
そうですね。東京というのがやはり日本の中心地で、都会への憧れというか、そういうのがあって、行きたいと思っておりました。
なるほど。大学生活の4年間って、どんな感じの生活をされたんですか。
そうですね。理系の学部でしたので、実験とかレポート、言葉テストなんかに結構追われて、勉強はそこそこしたように記憶しております。
ただ、それは結構真面目にちゃんと学生生活を送られてきた方の話かなと思っていて、マージャンしてましたとか、そういうのが出てくるかなと思ったので、
ちゃんと同校学について実験含めされていたんだなということを、今の聞きながらは思ったんですけど、どうなんですかね。
そうですね。今思うと、その時もっとしっかり勉強していれば仕事に役立ったと思うんですけど、その時はもう追われるような形でやってたので、
もっと主体的に先を見据えてですね、勉強しておけばよかったと思います。
素敵ですね。学校で学んだことが生きたと思ったことが、私、社会人10年経つんですけど全くなくてですね、後悔があんまりなくて。
なるほど。そこの学んでいらっしゃったことが、結局この巡り巡って繋がっているところもあるし、その当時深めておいたらよかったって思うのが、今のお気持ちとしてあってっていうことなんですね。
そうですね。
分かりました。4年間のこの大学生活を経て、最初のキャリアは銀行員でしたかね。
そうです。
土木工学を結構専攻されている方って、そのまま例えば、ゼネコンイカハルとか、あとでいくと何ですかね、住宅メーカーとかですかね、キャリア進め張る人が多いイメージがあるんですけども、なんで銀行やったんですか?
都市計画というのが土木工学の中であってですね、その都市計画を勉強していくと、町づくりであったり、町の経済であったりとかですね、そういう点も勉強していく中で、非常にお金のやり取りであるとか、地域活性化とかですね、非常にそれが魅力的に移りまして、その一つである銀行業に進んでみようと思ってですね、就職した次第です。
なるほど、これを聞いてくださっている方って転職とか、例えば新卒を迎えようとしているとか、就職活動中の方もいらっしゃったりするんですよね。
すごいキャリアのヒントになるなと思ったのが、どうしても私が最初に言った土木工学からキャリアを積まれる方の、ここに行くんじゃないですかっていうのって、多分ハード面のところに関わっている方が多い話だと思うんです、土木工学の中でも。
ではなくて、内部の都市計画のまちづくりとか、少しそこにいる人にフォーカスを当てたようなソフト面のところも多分学ばれていて、じゃあまちづくりって何から成り立っていて必要なんだっけ、人物お金情報って考えたときの、そこの一部を選ばれて、っていうふうにちょっと要素分解されてた感じなのかなと。
そうですね、そのお金の部分ですね。
なるほど。銀行自体は東京の地銀とかより、もう点々とするようなメガバンクに行かれたんですね。
政府系の金融機関でして、それで転勤もあって、地方の方を転勤で回ってました。
最初そこの銀行を選ばれたのは何でなんですか?
そうですね、やっぱり政府系で公共的な融資とかも多いんで、それで選んでおりました。
銀行員にならはるときに、どんなふうになりたくてとか、何がしたくて、さっきのまちづくりに興味があっての入りはわかるんですけど、銀行業に入ることによって、こういうことが得れそうだとか、こうなるんじゃないかみたいなのは、当時どんなことを描いていたんですか?
そうですね、頑張る企業を応援したい。あと自分自身が知識をつけて、応援できるようなスキルを身につけたいと思って、入りました。
その時からすでに、この家業自体がポンプに関する会社屋っていうのは、もともとのご家族がされていることとして、経歴で持っているというか、そういう背景があらはると思うんですけれども、そこを見越して銀行業に入ったっていうのはあったんですか?
いや、もうそこは全然考えていなくてですね。父がその時は経営者だったんですけど、もうそこは気にせず、好きなことをやらせてもらっていました。
なるほど。いざ銀行員にならはって、地域を点々としてっていう話で、全国何都道府県ぐらい行かれたんですか?
そうですね。4県回らせてもらって、四国とか静岡とかですね、回らせてもらって、やっぱりその地方地方にはいいものがあったり、それぞれ独自の産業があるなというのは、本当に勉強になりましたね。
計何年居張ったんですか?
12年居張りました。
12年居張ったんですね。いろんな環境を経験されて、たぶん12年いらっしゃってから、3年ごとに移動&転勤ってことですね。
そうですね。
どう慣れていってはったんですか?
そうですね。もう転勤も仕事のうちと捉えて、また新しい企業とか新しい職場の仲間に会えることを楽しみに、もう仕事だと思って転勤しておりました。
なるほど。そこの割り切りなのか覚悟という言葉なのか分からないんですけれども、移住を決め張る人とかも全く同じかなと思っていて、新しいところにどう馴染んでいくかみたいな話だと思うんですよね。
そこってどうやって、この3年ごとの違う地域、違うお客さん、違う仲間に馴染んでいったんですか?
そうですね。仕事の質は同じなんで、最初はやっぱりお客様を覚えたり、会社の仲間を覚えたりするのは大変ですけど、そこはやはり仕事と割り切ってですね。
仕事の時間外とかでも、お客さんのホームページを見たりして、ぐっと最初はこらえてですね、新しい担当先の知識を詰め込んでました。
なるほど。最初大事ですよね。とある人の言葉を借りると、最初はストックの期間というか、まずは覚え込む、これが社内であったり社外であったり、お客さん、仕事内容であったり。
ただ、1ヶ月ぐらいとか経っていくと、フローになって回ってルーティン化していく、そこから慣れが始まるみたいなのがあるので、そのぐっとこらえるの期間が、まさにこのストックしていくような期間だったのかな、想像するんですが、何度も出てくる言葉の中で、その銀行員時代の大井さんにとっての仕事って、どういうことを定義して仕事って言ってあったんですか?
大変なものっていうふうに置いてやっていたのか、それともまた別の意味で、いろいろなものをぐっとこらえてみたいな言葉もあったので、どんな定義づけをしてあったんですか?
そうですね。まず仕事なので、基本的には融資の営業をしてたんですが、ご融資させてもらうと、どうしても月々の返済というので、ご融資が返ってきますので、融資の残高がどんどん放っていくと減っていくんです。
なので、また新しい融資をしていかないと、残高が減っていくので、それがプラスになるようにご融資できる先を見つけたり、企業先の残高の減り方を見たりしながら、新しい融資の案件を提案したりしているのが一つ基本になるんですけど、
他に、これは輝いているなとか、強いものを持っているなという企業さんについては、多少支店内でお叱りを受けるときはありましたけど、融資の提案をしてみたりとか、あと補助金の申請のお手伝いをしたりして、少しでも役に立てないかなと思う活動をしておりました。
なるほど。なので、自分のためにももちろんあるはずだと思うんですけれども、他社の子のためにの支援というところが、当時での仕事とは何ぞや、あなたにとってと言われたときの、そういうふうな意味付けでしてあったところが。
その通りでございます。
それがしっかりできていたかと言われると、十分だったと思うんですけど。
自分に厳しめですね。
今思うと、もっと工夫する余地があったなと思います。
ありがとうございます。
本題のところは正直、今回のラジオの後継ぎとはというところを深掘りする予定が、あまりにも就職転職移住と聞かれている方にとってのキーワードになるようなものがありすぎたので、ちょっと回り道をして、いろいろ深掘りをさせていただきました。
そんなこんなで12年。
12年ですね。
銀行員を経て、戻ってこられるわけですよね、京都に。
それは2000何年の話ですかね。
2020年だったと思います。
家業への復帰と経営の変革
なるほど、2020年。まさにコロナ禍ですよね。
そうですね。
銀行を辞めるときに父に呼び戻されて、家業に戻る決意をしたんですが、銀行で残っていた有給休暇が2ヶ月ほどあって、
全て家業に戻るということで使わせてもらって、銀行に在籍しながらも家業でボランティアするような形で、後継ぎの準備をしたんです。
休暇じゃないですね、もはやそれは。
そうですね。
間もなく戻って、修行中にコロナ禍がやってきたので、どうしようかとは思ったんですけど、ただ幸い業種柄、ポンプは壊れたら直さないといけないものですので、そんなに受注は減らなかったんです。
そこが業種の強みだと思いましたね。
そうですよね。呼び戻されたきっかけっていうのは何だったんですかね。
そうですね。ある程度、家業に戻るというような話を、うっすらと父親とはしておりまして。
それよりも、もうちょっと前からですか。
そうですね。準備段階として銀行業をやりながら、電気工事士の勉強はしてたんです。
なるほど。
なので、銀行の勉強をしながら、隣で電気工具も一緒にいじって、机の上だけですけど勉強していて。
今度、電気の関係の工事もいる大きい入札案件を取ったから、戻ってきてほしいと言われて。
なるほど。
仕事としても、大宮ポンプさんのところで用意がされてて、人手としても必要になるしっていうふうな、そういうタイミングでもあって。
戻ってきては、経営者として戻ってきてなんですか。
そうですね。戻ってきて、最初は一従業員からという話をやったんですけど、戻ってきたときに会社の体制として、
全然外に営業に行かずに、電話待ちみたいなのが頭になっている会社だったので、銀行の営業からすると、それはありえへんというか、
自ら案件はつかみに行く、新しいお客さんはつかみに行くというのは普通だと思っていたので、
今の経営の体制ではダメだと思って、すぐに代表を変わってもらいました。
そこの覚悟感って、どこから生まれたんですか。
言ってみたら、銀行の中でも人を支えるという、自分の中の我慢の部分もあったかもしれないんですが、
仕事はこのためにしているというのがあるところをガラッと変えて、家業のところの経営者になるという覚悟感。
これはどこから醸成されているんですか。
覚悟というか追われてという形で、このまま電話待ちのスタイルをとっていたら、どんどん縮小していきますので、
縮小して売上が落ちてくると生活もできなくなりますので、やっぱりこっちから攻めに行かないといけないと思って、
覚悟というよりも必要に追われてという感じですね。
営業スタイルの革新
なるほど。こんなことを聞くのもあれなんですが、第三者として本当に気遣いも何もない言葉で聞くと、
事業を畳みましょうみたいな、そういうふうなことを言う人もいる気がしたんですよね。
そこではなく、継ぐという意思決定された理由って何でなんですか。
攻めの営業をほぼ全くしていない状態で、ありがたいことにお客様から案件があるというのは、非常に恵まれた業種だと逆に思いました。
もし父が目一杯営業もして、技術も蓄えて努力もして、もし現状維持の会社であれば畳むという選択肢も大いにあり得たと思うんですけど、
逆で伸びしろしか感じなかったんです。
なるほど。
なので、戻ってもやっていけると思って、決めた次第なんです。
なるほど。やりきってないところがあるんじゃないかというのもそうですし、勝手な推測なんですけれども、
銀行員としての、言ってみたら営業スキルであったりとかスタンスの部分、こうやって人って儲けていくみたいな、それを見られたからこそできる部分が自分にもあるんじゃないかと、自信を持っていらっしゃったところもあるんですか。
そうですね。やはり飛び込み営業したり、電話でアポイントを取ったりするというのが当たり前の営業だと思ってたんです。
なので、実家の家業に帰ってみて、それが全くされてないというのがむしろ不自然で、自分自身自信があったわけではないですけど、飛び込み営業とかは当たり前と思ってましたので、本当に家業の昔のスタイルが意外で、逆にいけないなと思った次第です。
ありがとうございます。そして戻ってきたのが2020年で、経営のバトンタッチもされるというお話。代表になられたのは改めて、2000何年になりましたか?
確か2020年の4月1日ですね。就職と同時に代表になりました。
なるほど。気になるところがあれですよね。もともとも働いていらっしゃった社員の方もいらっしゃるじゃないですか。周囲の反応ってどうやったんですか?
周囲の反応はもう普通というかですね。もともと個人の業間が集まって、バラバラに仕入れをして、バラバラに販売をするというスタイルをとっていたので、
それで私が入ったからといって、特に何かすぐ変わるわけではなかったので、いい意味で組織だってなくて、個人商店の集まりのような会社だったので、そこはもうすんなりと入って、徐々に組織だった会社に変えていけているとは思っています。
なるほど。なので、個々人で事業をされている方々がやったので、うちが今大事にしているこれを潰すんじゃないか、みたいな、そんな嫌悪感はなく、あ、変わるんだ、ぐらいのところからスタートをまずはされたということなんですね。
はい、そうだったと思います。
取り組まれたことは今少しちらっとおっしゃった気がするんですけれども、改めて伺うと、営業のスタイルとかも変えた感じなんですか?
そうですね。今まで全く新規先を自分から探しに行くということはしていなかったので、そこはもうリストを作って、ローラー作戦でですね、ポンプに関係しそうな会社さんを回らせてもらいました。
それはご自身でですか?
そうですね。あと、家業を継ぐにあたって、私の義理の父も一緒に、もともと経営経験があったので、助っ人として来てくれまして、私とその義理の父の2人でぐるっと回ってましたね。
なるほど。周囲のこのもともと個人商店ですかね、集まっていた営業の人とちょっと連携してみたいな仕事の仕方ってしたりはしたんですか?
そうですね。しばらくは連携は取れなかったんですけど、自分たちで工事をするようになってくると、どうしても資格であるとかスキルであるとかが必要になるので、ちょっと来てほしいというような形で力を借りていくうちに、やや横の関係というか、そういう協力体制ができるように少しずつなってきました。
なるほど。今までが通常こういうふうに仕事をするでしょっていうところが、大宮ポンプさんの場合、営業の方もいればメンテナンスの方もいればなので、そこが連携を徐々にしていくって言ってみたらコンフォートゾーンを変えていくっていう、人によってはストレスを抱えてしまうことだと思うんですけど、そこって最初は皆さんって抵抗あったんですか?
そんなこともなく、すんなりと徐々に連携は生まれてですか?
そうですね。やっぱり、そんなところでもこういう役に立つんだというような、みんな発見があったというか、他の人の役に立てているというような気づきがあったというか、その辺がありがたいことに強かったからかですね。そんなに抵抗はなかったんじゃないかなと思ってます。
なるほど。そこは素敵な部分ではありますよね。先代側というかが、もともと採用してきたりとか、集まってきた仲間の方々自身の素養の部分も、さっきの伸びしろがあるっていうふうに、まさに伸びしろのための個性を生かすじゃないですけれども、入られたことで連携が深まって、もともと別に連携嫌じゃないけれども、それが促進されてっていう形になっていかれたなとは思って、
新たな挑戦と成長
いい話をメインに聞いたんですけど。
ありがとうございます。
後継ぎになり苦労したこととか、マジかみたいなこの全職とのギャップでいくと、どんなものがありましたか。
そうですね。後継ぎになる前は、銀行員でそういう営業で、現場で何か工事をするとか、物を触ったことが一切なかったので、いざポンプを前にして、それの調整をするとか、ポンプの工事をするということになると、全く想像がつかないんで、ただただ現場に出るのは不安な毎日でした。
そこはどう乗り越えたんですか。
そうですね。やっぱりその作業の日が来ると、監督であったり、技術の一端として現場に行かなくてはならないので、行くだけ行って、やってみるというかですね。
とりあえず、お客様の要望している修理であったり取り替えであったりをやってみるというような形で取り掛かりました。
最初は本当にポンプが動く音一つ怖かったりですね。このバルブ1個ひねっても大丈夫とか、大丈夫なのかわからないとか。
確かにぶっ壊したらどうしようみたいな。
そうなんです。ボルト一つ解くのにも水が漏れるんじゃないかとかですね。
本当にわからんことだらけで、とにかく不安だったんですけど、実際やってみると非常にシンプルな機械なので、そんなに不安があることはないというかですね。
やってみた方が早いというような、そういう現場が多かったように思います。
実務の部分でのこのギャップを埋めていくということは、今伺えた気がするんですけれども、私が今回ラジオをゲストに来ていただくときにふっと思ったのが、
1会社員だった方が、もちろん経営をされている方をご家族で側で見ていた部分もあると思うんですけれども、
1会社員から経営者になると、視点であったりとか、肩書き変わるはもちろんなんですけど、何が変わりますか?
そうですね。やっぱり視野がすごく狭まっていたんだなというふうに思いました。
それはどんな場面で感じられたんですか?
そうですね。やっぱり一緒に働いている従業員さんの気持ちとか、行動とか見ていると、
私自身も1社員だったときに、もっと周りを見て動く必要があったなとかですね。
逆に言うと、もっと頑張れることがあったんじゃないかとか。
あと、やっぱり社員だったときは環境に恵まれていたんだなとか思うところはありますね。
逆に言うと、また経営の方をさせてもらうにあたって自由度が広がったので、
そうですね。視野が広くなったというのが良かったかなと思います。
どうしてもこの1社員でいるときって、自分がどう動くかの視点になってしまうけれども、
それを束ねたりとか、指示を出さないといけない立場になったときに、他の人がどう思っているんだろうまで多分、
思考を巡らせるというのが、視点が広がってというお話だと思うんですけど、
経営者になっているのは、この自由度が上がったことによって何が変わるんですか?
そうですね。やっぱり、こういう分野を攻めてみようとか、
今の事業でいうと、ポンプの隣の機械についても扱ってみようとか、
領域を自分で考えれるというのは面白いですね。
なるほど。マーケット戦略とか営業戦略ですよね。もともとそういうのはお好きだったんですか?
そうですね。好きだったんですけど、なかなかそういうのは自分でできることではないので、
家業に戻って自由に行動できるというのは嬉しいなと思います。
なるほど。今、自分が経営者をやれと言われた時に、私は数字を立てたり計画を立てるのを
営業10年やっているんですけど、めっちゃ苦手なんですね。
だから、いや、できる気がしいなというふうなのを率直に感じているんですけれども、
今おっしゃった、経営者になってこう変わったよみたいな話の裏側って多分努力がたくさんあったなと思うんですけれども、
そこのマーケット戦略を考えるとか、組織を作っていく、そのために努力されたことって、どんなことをしてきたんですか?
そうですね。自発的な努力というよりも、ポンプを扱っていると、その隣の機械についても緊急で何とかしてくれへんかとか、
こっちも扱えへんかというような話をいただけるので、そうしたら勉強せなあかんなということで、
お客様のおかげで同意的に勉強させてもらっているというのはありますね。
なるほど。それは経営者だけじゃない視点だなというのを伺いながら思いました。
お客さんからの新しいニーズみたいなところから、自分が知らないのであれば、それを学んで追いついて答えるうちにまた次のお題が来てっていう。
家業継承の挑戦
そういう学習のサイクルというところは、社員であろうと経営者であろうと、見る視点、抽象度は違うと思いますが、
同じようなところがあるんだなというのは、私自身も今の話ですごい学びました。
そうですね。やっぱり今まで社員であったときは、それはもう専門外なので、他の業者に当たってくださいというふうになっていたんですけど、
自分が決定できるという立場になってからは、そしたらそこの方も簡単そうだからやってみようとか、お客様がそうおっしゃるんだったらやってみようとか、
他にそういう分野に強い協力会社さんもいはるんで、そこと一緒にやってみようというような選択肢もありますので、
幅を広げられる自由というか、そういう選択ができるようになったのは面白いですね。
確かに組織張っている会社にいるときは、これは自分の専門外でという言葉というか、別にそういう企業を責めているわけでは全くなく、
自分もそこ出身なのであれですが、なんというか、人ごとにできるんですよね。
ただ、結構自分ごとになる範囲が経営者になられたりであるとかになると増えてくるので、
まずは受けざるを得なくもあるし、学習のチャンスでもあるということですよね、今の話を。
はい、そうです。
ありがとうございます。ちょっと視点を変えて、他の企業の代替わりをされた方であったりとか、そういったところとの交流ってあるんですか?
そうですね。金融機関の紹介で、後継さんばっかり集まる勉強会に行かせてもらったり、そういう場で交流を取らせてもらっています。
そうですよね。私たちが今収録をしている京都信用金庫さんが持っているクエスチョンビルでも、そういう集いがあったりとか、
京都市さんでもそういうふうな後継と呼ばれるような方々のコミュニティづくりは、京都内でも特に積極的にされているところはいくつも思いつくなというのは伺いながら思ったんですが、
他の企業の後継の方と話されていて、大平さん自身が感じられる京都の後継企業の共通点ってありますか?
というのが、前職も点々といろんな地域の経営者ともお金の面のリアルな数字を見ながら話をされてきたので、なおさら他の県との違いとか共通点って感じられることはありますか?
そうですね。京都だからかわからないんですが、やはり業歴が長いところの3代目、4代目、もっとですかね。本当に7代、8代、時には10何代とかを超えられるような後継者の方もいらっしゃるので、やっぱりそこは京都ならではなのかなと思いますね。
私で3代目なので、他の10代近いとかそういう方々の歴史の重みとかを感じると、そういう人らはえらいなと思いますね。
なるほど。3代目の方から見た時の10何代目の人とも交流をする機会ってあるじゃないですか。
違いってどんなところで感じるんですか?見てる視点ですか?
そうですね。お話ししている内容としては同じような、どういう企業もみんな変化をしていくものだと思うので、環境とか立場というのは似たようなものだと思うんですけど、
ただ本当に100年越えの老舗の方となると、重みっていうのはまたさらにあるものなのかなと勝手に思っています。
みんな悩んでますか?
どうなんでしょうか。そこまであまり聞いたことはないんですけど、ただみんな宿命としてやろうとしてあるんじゃないかなと思います。
難しいよなと思ったのが、よく言うじゃないですか、経営者の方は孤独でっていう悩みも、同じ立ち位置の方がいてもそこでもやっぱり開示できないことがあってっていう、
そこのなんというかモヤモヤ部分も抱えて生きていらっしゃったり、この役割を全うされているのが、もしかして経営者だったり後継ぎなのかなみたいなのを今伺いながらちょっと想像してたりしました。
京都の特徴と人々
そうですね、そんなのかもしれません。
ありがとうございます。なかなかこの一社員でいると感じられないようなやりがい、一方でのこの苦悩の部分がすごくリアルに伺えたなと思いました。
ちょっと話は、ポジティブなんじゃないですけれども、移住考えていらっしゃる方も聞いてくださっているので、暮らしの部分にもう少しフォーカスを当てたいなと思っています。
いろいろなこのポンプという風なところからのつながりで、京都、市内京都、府のところもちょっといかはるんですかね、
をお客さんのところにいかはる中で感じる、この京都の地域、お客さんに触れて感じていることって言うとどんなことがありますかね。
そうですね、お客様という点では、やはり京都の場合、地下水を利用して張るお客さんが多いので、移動関係のポンプというのがよく出るんです。
なので、本当に料理屋さんであったり、あと神社とかお寺とか、あと染物屋さん系、工場とかも本当にたくさん地下水を使って張ってですね、またいい地下水が出るときが多いので、
確かにそんだけの水の量を使われるんやったらポンプを使った方がいいだろうなという場所では、本当に皆さんよく移動水をポンプであげてらっしゃいますね。
なるほど、そういう風に関わりになるお客さんがすごく多いというのが今のエピソードで感じたんですけれども、人の特徴ってどんなところですか。
そうですね、人の特徴は、やはり市にせのような事業をやっているところであれば、事業に誇りを持って張るとか、歴史に誇りを持って張るとかですね。
あと、井戸で言えばお餅の井戸については愛着があるというか、やっぱり京都ならでは京都に住んでいる住環境というものに誇りとかですね、喜びを見出して張るのかなと思いますね。
このラジオを撮る前に少し打ち合わせをして、その時の大井さんの話が私は結構印象的だったんです。
よく京都って夏はめっちゃ暑いし、冬は意地悪な冷え方するそこびえ屋って言うけれども、この人の特徴として、その天候についても、なんというか、めっちゃ嫌いやねんけどっていうよりかは、そういう特徴があって、この天候自体もあえて誇らしげに語る部分があるんじゃないかってお話をされた時に、
あ、そういえばそうかと。何かの歴史文化っていうふうな、よく言われているもの以外でも、そこの環境、天気含めてですよね。そこについての愛着を持っているは、今まで感じたことなかったなと思ったので、私もすごく発見でした。
ちょっと観点をさらに変えてですね、本当にいろんなところでポンプが使われているっていうお話があったと思うんですけど、さまざまな場所に出向いたからこそ知っている推しの、特にラーメンが好きというお話だったので、ここのラーメン、あんまりこのガイドブックに載ってへんけども、おすすめですというところ。まず、ラーメンは何系のラーメンが好きですか?
そうですね、醤油系のラーメンが好きです。
よく行かはるところは、どのあたりになりますかね?
そうですね、やっぱりベタですけど、大蛇咲飛とか新福祭館はよく食べたくなります。
はいはい、そうですよね。ガイドブック持っている方は絶対見ると思いますし、超並ばなあかんけど、ここは穴場屋でみたいなところってありますか?
そうですね、一回ミブの方の学校のポンプを取り替えたんですけど、そのとき昼食どこかないかと思って、周囲探していたら、サイラーメンさんという、本当にカウンターだけの見つけづらいラーメン屋だったんですけど、ぷらっと入ってみたら、非常においしくてですね、こういうラーメン屋さんが京都市内にはまだまだあるんだと驚いたことがあります。
そうですよね、ちなみにミブっていうのが京都にいても、なかなかすぐにここやってわかる人は多くはなかったりするかもなんですけれども、地下鉄で行くとですね、東西線の西王城池をもうちょっと南に行ったところにあるのが、このミブの方のエリアにはなるんですけれども、調べてみると唐揚げもおいしいラーメン屋さんみたいなので、
それこそ嵐山に行かれる途中にちょっと下車してみてとか、あとはあのあたりもちょこちょこと銭湯あったりとかするので、穴場の銭湯を探したいぞみたいな人には合うんだろうなっていうのは聞きながら思いました。ありがとうございます。実際にこのラジオを聞いてラーメンが私好きやねみたいな人は調べてみてください。
未来へのビジョン
さあ最後の方にちょっと向かってはいるんですけれども、せっかく経営者の方が来ていらっしゃるので、今後のビジョンみたいなところをぜひ伺いたいなと思うんですけど、会社をどういうふうにしていきたいなというふうに思っていますか。
はい、そうですね。事務面についてはやはりAIとかですね、新しい技術をどんどん用いて効率化を進めていって、一方で現場の方はどうしてもAIやロボットが対応できるようになるのはまだまだ先だと思うんです。
現場の方については、いざやっぱり現場仕事ができる人っていうのが、京都市内でも相当減ってしまっているようで、結構支給でしてほしいというような話もあるので、そんなのがしっかり対応できるような組織づくりをしていきたいと思います。
なので、人の手でやらざるを得ないところはしっかりとできる組織にして、効率化できるところは先端の技術を使って効率化して、そういうメリハリのある組織にしてですね、やっぱり京都市内、京都府内、初めは本当にお客様のお役により早く丁寧に応えられる企業になれればと思っております。
ありがとうございます。今のお話の中からもですね、京都企業の特徴なのかなと思ったのが、さっきのこの跡継ぎ同士が集まった時の十何代目の人がいはって、みたいなところもあったと思うんですけれども、多分この私たちだからこそ譲れない部分とか、他の人がまだまだできないであろうってところは残しながらも、とはいえ何かと融合していく。
もしかしたらそれが残り続ける理由だったりとかもするのかなっていうのを今の話を伺いながら、もしかして京都企業の特徴ってとか残り続ける企業ってみたいなヒントをいただいたような気がしました。
オミヤポンプ製作所さんも京都移住計画で求人記事がですね、いい感じの写真がたくさん載っておりまして、営業とメンテナンスで今募集をされています。
大井さんのこの話を聞きながらですね、いろんな変化を遂げようとしている中でも、やっぱりこの暮らしを支える水っていうところ、そこの絶対になくならないものでもありますし、そういったところで一緒に会社を作りたいみたいな人にとってはすごく魅力的なのかなっていうふうに思いました。
何か最後にこの例えば移住考えている人に対してですね、求人のPRというよりかは、なんかこう京都飛び込んできてええよみたいなメッセージってあったりしますか?無茶ぶりでのいきなりのお願いですが。
そうですね、京都に戻ってきて、一番やっぱり感じるところはその歴史をよく感じることができる土地柄だと思います。私自身も京都に帰ってきたのは5年ほど前なんですけど、それまでの大学以降ずっと京都離れていてですね、10何年ぶりに帰ってきまして、
学生の頃は分かってなかったんですけど、社会人になっていろいろ歴史の書物を読んだり、テレビを見たりしている中で戻ってきて、この場所は歴史上で言うとああいう場所だってあったりとか、そういう遺跡が残っているとかですね。
本当に今まで勉強してきた歴史の話を本当に身近に感じ取ることができる場所だなとですね、思いますね。やっぱり子供、うちにも2人ほど子供がおるんですけど、子供の教育を社会の本とか見てやっている中でも、この場所はあそこやでとか、めっちゃ近いでっていうようなことを言えるので、
本当に歴史上に立っているなということをですね、京都に暮らしていると思いますね。
子育ての観点でもそうですよね。リアルに感じてもらえるというところもありますし、歴史が結局何でいいのかとか、何でいいんだろうというのは人によって解釈が違うと思うんですけれども、今の話を伺ってすごく感じたのは、お客様先でもいろんな場所に行かれてっていうのもあると思うんですが、
ここにまた別の人が違う時代の時にいらっしゃってっていうのを少しでも感じることによって、例えば今悩んでいる上司に怒られてマジええやったなみたいな悩み自体もちっぽけだったのかなとか、他の人も思ってたのかなとか、すごく自分の中の頭自体も立体的に考えられるなとは思ったりはして、改めてそういう観点でも歴史って大事だよなっていうのを伺いながら感じました。ありがとうございます。
後継者の挑戦
はい、今日のこの大井さんのお話を聞いてですね、後継という言葉自体、私も東京で働いていた時に全く聞きませんでした。ただ、京都でいろいろなこの後継と呼ばれる代替わりをされた経営者にお話を伺う中で、一体何を考えてとか、どんな覚悟感でみたいな、どっちかというと苦悩されてるんじゃないかっていうところばかりを思っていたところがあるんです。
ただ、彼らなりのこのビジョンであったりとか、できることみたいなところ、なんかもちろんその裏にはたくさん努力があると思うんですけれども、そんな反面もあるなっていうことをすごい学べた回でもありました。
なので、今後京都で働いてみたいっていう人もそうですし、あとはなんか経営者みたいな方々の生き方を知りたいみたいなラジオで聞かれてる方も、なんかそんな観点で改めてこのラジオを聞き直したときに、こんな思いで皆さんなりわいをしてるんだっていうふうに、なんか一助になるんじゃないかなと思いました。
というすごく真面目な感じで今日は締めさせていただきましたが、鴨川でゆっくりしたいラジオ、通称鴨ラジオの時間を本日はお届けさせていただきました。次回の配信をお楽しみに。ありがとうございました。
ありがとうございました。
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