で、自分がパッと思いつくのはどっちかというとその歴史であるナショナリズムとかね、ナショナルアイデンティティーとか民族的アイデンティティーとか、どっちかというとそういうふうにアイデンティティーっていう言葉を少しね、より優勢思想的に拡大解釈して、拡大解釈というかそういうふうに置き換えたものが、
まあプロパガンダとして第一次第二次世界大戦を引き起こしたみたいなところの部分の危うさみたいなものにちょっと自分はこう怪しさを覚えるアイデンティティーという言葉を聞いてその危うさみたいなもの使い方を結構間違えるとやっぱり
海外的になるなっていうところはあるかなっていうところと、あのこの世代特有っていうところで言えば、やっぱりその個性教育みたいなところからまあなんとなく来ているのかなというふうに思いますね。
まさしくそのポイエティックラジオでもみんな違ってみんな一緒なんだよみたいにおっしゃってましたけど、まあそれ自体がね、みんな違ってみんないいのパロディですからね。
たぶんこの金込み鈴のこの私と小鳥と鈴ととか、この辺も結構ゆとり教育では個性教育とかの文脈で使われてたんじゃないかなっていうなんとなく記憶がありますね。
だからそのみんな違ってみんないいみたいなところの話から、それぞれその自己同一性であり自己一貫性を持ったそのアイデンティティが必要であるみたいな言説はまあなんとなくそのちょっとそれもね、
そのこの時代特有の個性がないといけないみたいなところからなんとなく来てるかなというふうに思いました。
で別に自分自身もなんかそのアイデンティティという言葉の定義をすごく考えて知って、もしくはそれをあえて使っていないっていうほどではないんですけど、
さっき言った通りなんとなくふわふわみんなその個性教育的な名残で使いたがるって言うんですかね。
やっぱり絶対基本的にあるとは思っていて、そのそういう自己同一性みたいな部分でいくと、やっぱり私はこういう人間であるっていうことと他人からこう思われてるっていうところのギャップをなくしたいっていうかね。
自分自身にそういう意味付けをしてそこを相手と詰めていくっていう作業をしたい時にアイデンティティってやっぱり用いるかなと。
でそれこそが個性であるみたいなね。それはあなたとは違うんだっていう、他人との境界を引く部分もあり、他人からの見え方みたいなところで、いわゆるキャラじゃないですけどね。
そういう感じで形作るために使っているかなという印象があるっていうところと、それが転じると直接は繋がってないんですけど、
民族アイデンティティとかナショナルアイデンティティみたいな結構危ないものに繋がっていく、個人のアイデンティティに留まっている部分はいいんですけど、
とはいえ個人の中にさっき言った通りその日本人だとかですね、国家みたいなものに結構投水していきがちなので、
かなりそことナショナルアイデンティティというか愛国心みたいなものって結構密接だなというふうに思うので、
自分自身がそのアイデンティティを考えるっていう行為、これがいわゆるエリクソン的な哲学的な文脈から来るというか精神分析というか、
そういう文脈から来るアイデンティティの方はまだ、何て言うんだろうな、それこそ青年期の悩みとか迷いみたいなものを考える材料としてフレームワークとしてすごいいいんじゃないかなとは思いつつ、
とはいえね、この話をずっとし続けるとナショナルアイデンティティとかにだいたい結びついていくっていう怖さを感じてるなというふうに思います。
つながんないよっていう人はいるかもしれないんですけど、やっぱりその危うさってなんかあるんだよなというか、結構私ってこうなんでってアイデンティティみたいなものをはっきり持って決めつけた人ほど、
やっぱりその排外的になっていくっていうのはなんとなく感じるっていうところですかね。なんか相手を認めるっていうところにあんまりいかないんだよなっていうか、
なんかすごい自己完結しちゃうというか、私ってこうなんで以上みたいな感じで、なんかこうにじり寄りがないように感じてしまうっていうのがそのアイデンティティ、その個人のものであっても感じるところかなというふうに思います。
あとあのボイエティックラジオでは奥様が本当にアイデンティティについての話を結構定義の部分から解説してくれていて、
非常に勉強になったというか、なるほどと思ったのと、結構そこで引用されてたのが、WILL CAN MUSTっていうね、そのWILLっていうのが意思、自分のやりたいこと。
で、CANが自分ができること、得意なこと。で、MUSTっていうのがやらなきゃいけないことであったりとか、その社会から期待されていることみたいなところがあって、
その3つの円が重なったところが、両立している部分であり、それこそが自己実現みたいなものであるっていうところを、就活の時に一旦その内容としておさらいされたっていうことだそうで、
このWILL CAN MUST結構その自分は自分の会社とかのフレームワークでよく使ってるんですよね。
で、なんかこのWILL CAN MUSTって何となく便利そうなフレームワークというか、なんかアメリカのビジネス系のスキームで考えられたっぽい、なんかすごい実用的なものなのかなと思ってたら、
意外とこう自己実現みたいなものとか、エリクソンみたいなものから来てるっていうことで、あ、へぇーっていうふうに結構面白いなって思ったっていうところが、
感想というかね、ポイエティックラジオを聞いての感想ということで、意外とこのWILL CAN MUSTで考えるっていうことがあるんだなと思ったのと、
意外とこれ結構便利なフレームワークなので、割と別に仕事に限らずね、まさにこれ別に仕事に限った話ではなくて、いろんなところで使えるフレームワークだなと思って、
多分結構自分ってなんかこう、無意識的にというか、あの意外とこのフレームワーク適用して物事を考えて、まあこれだったらなんか自分がなんか破滅しちゃわないだろうとか、なんかそういうことを考えるっていうところが結構板についているんですよね、この考え方自体が。
っていうところで、そのアツカンDJつけ太郎が出てくるんですけど、ほとんどアイデンティティーとアツカンDJつけ太郎であるって別にそういうわけではないんですけど、自分の話につなげたかったっていう意味で最初に言ったんですけど。
実際のアイデンティティーの話を、こじあわのゲスト回で、私が出た回でしていたという話だったんですけど、確かに話をしていて、私が今言った通り、そこまでアイデンティティーみたいなものとの距離は結構近くないタイプなので、自分はそんなに明確にアイデンティティーという話は使ってはいないんですけど、
唯一、これが自分のアイデンティティーに近いものかもですねって言ったのが、今、ポッドキャストでもよく使っているこのホンダ受信料っていう名前なんですよというところですかね。そこで一番、これは自分のアイデンティティーに近い、といえば近いですという言い方をして、そういうキャッチコピーで一つで片付けられるものではないとは言いつつも、
結構、僕、これ、そのWill.Can.Mustの手法で割と考えたところは結構大きいんですよね。なので、ちょっとあの、オエティックラジオのゲスト回でも、なんかホンダ受信料ってこういう意味で付けたんですよとか、そもそもこのコジアのゲスト回で言ったのか、なんか最近ゲスト回出過ぎてて、あのだいぶ混乱をしてるんですけれども、
このホンダ受信料という名前の由来みたいなものを受信していることに重きを置いているっていうような文脈で伝えたりはしたんですけど、なんかそこがなんでそのアイデンティティーと近いと言えるのかっていうところもちょっとちゃんと説明をしようかなと思います。
とはいえ、そもそもこの名前付けたときに、僕が一番目指したかったのが厚感DJつけ太郎なんですよ。もうこれ何回も厚感DJつけ太郎って言ってて、なんだそれって話なんですけど、なんかそういう人がいるんですよ。
で、結構日本酒の伝道師みたいな方で、厚感DJつけ太郎という名前から想像できる通り、そのDJをやりながら厚感というか日本酒の伝道というか、日本酒を普及させる活動をしている方みたいな方なんですけど、その方が選んだり紹介したりコラボしている日本酒とか本当に美味しいんで、
ちょっとなんかこう日本酒とかに興味ある方はこの方を追ってみたら面白いと思うんですけど、まあでも、てか元ネタはとんかつDJあげ太郎ですよね。あのとんかつDJあげ太郎、映画にもなってるかな。こう漫画、そういう漫画があってですね、まあとんかつ屋の息子がDJをやってるっていう漫画であるんですけど、まあそれも含めてなんですけど、僕あの名前を目指してたんですよ。
というのは、あの名前を聞いて、なんかちょっとクスッと笑えつつも、ある程度それだけで、あ、こういう人ねってわかってもらえるような名前にしたいんですっていうので、まあこういろんな人にね、いろんな人というか相談をしながら、あの名前を考えていったんですよね。
ホンダ受信料という名前をつける前に、あすかんDJつけ太郎を目指して、こういろいろ考えていったときに、一番そのポッドキャストをやっていて気になったのは、そのポッドキャストをやってますとか、なんかいわゆるポッドキャスターみたいな話とかね、っていう名前が出たときに、すごいなんかクリエイターだと思われるんですよね。
当たり前ではあるんですけどね、ポッドキャストをもちろん配信してるので、何かクリエイトしてるからクリエイターでしょっていうのはそうなんですけど、それこそその他人の見え方と自分の見え方とのギャップっていうところでいくと、やっぱクリエイターって呼ばれるのかな、結構ね、やっぱおこがましいし、なんか別にクリエイターになりたいわけじゃないんだよな、みたいなのはすごくその時、当時もやもやしていたことがあって、
これがその相手からの見え方みたいなもんですよね。だから自分がこう自分で思えるっていうことと、その相手からどう思われるっていうことが、なんかギャップを感じるっていうところが結構、ポッドキャストを始めたときに思ったことなんですよ。
で、そうなったときに、やっぱりこれ僕クリエイターじゃないんだよなと。で、なんかいつもNHK見てるとか、自分がやってるポッドキャストのドキュメント72時間を見て話をしてるみたいな感じで、なんか受信してるんだよなみたいなことの中で、まあなんかホンダ受信料ってなんか尾崎世界観みたいでいいんじゃないかみたいな話になったんですけど、
で、それでいきますみたいにやっぱり強く思えたのは、一つはそのwill can mustで考えたときに結構そこが合致してるなと思ったんですよね。さっき言ったそのクリエイターではなくて受信してる人なんですよっていうことを言いたいっていうのは、やっぱりそのwillの部分でもあり、そういうなんかこれからもポッドキャストはもちろんやっていくけど、
見え方としてはクリエイターとか何かを生み出していくっていうことよりは、何か受信をしながらそれに向かって反応したりだとか、こう考えるとかっていうことをちゃんと発信というか受信したものをしっかり記録に残していきたいっていうふうに思ったのが一つだし、やっぱりそれができるなと思ったんですよね。
クリエイターになれないっていうのは、なりたくないっていうことよりもどちらかというと、やっぱりなれないよなみたいな、そんな簡単にクリエイターって僕なれないなとか、文章を書いてたりとか、そういうものを見るにつけ、何かできないわっていうのが結構強く思っていたし、別にポッドキャスト自体もそんなに話すことぐらいが上手くできてる部分であって、
ちゃんと何か、よそのポッドキャストを見ると、作り込みとか編集もそうだし、音質とかジングルとか、あと企画とか、そういうのもすごく別にできるわけじゃないなって当時も思っていたことでもあるので、
でも、いわゆるNHKを受信して語るみたいなことはなんとなくできそうだなっていう、できるっていうのもあったし、そのマストっていう部分では、マストっていうとちょっとやらなきゃいけないみたいな感じで、仕事だとちょっとそういうふうになるんですけど、でも考えたときに、やっぱり外から見たときにNHKみたいなものを本当に見てる人がいなさすぎて、
こんなにいいコンテンツがあっても本当に埋もれてるなって感じたときに、やっぱりこれは社会にすごく望まれてるかどうかは別として、自分としてやらなければいけないし、やったほうが世間的な需要的にも、映画を語るとか、ジャンプの漫画を語るとか考察するとか、無限にある中で別にそれやりたい、全然やりたくはないんですけど、
そういうもののレッドオーシャンよりも、やっぱりNHKっていう非常に優れたコンテンツがありながらも、いろいろな理由や見え方の問題で埋もれてしまっているところに焦点を当てるほうが、世の中に対してやらなきゃいけないことなんじゃないかって、ここはある程度勝手にですけど、そういう使命感みたいなものを持ってやっているというところ。
この3つの縁が結構重なる名前だなと思ったんですよね。自分的にはホンダ受信料という名前がですね、ホンダはただの名字なんですけど、受信料というものをつけていくということに関して、結構そこは自分のそのwill can mustの3つの縁が重なる部分でもあるよなって、それを自分は今後やっていきたいなと思えたなっていうところで、これでいきますっていうふうにして決定していったんですよね。
なので、その意味が3つとも内包して、もちろんそれを言うだけではなくて、全部説明するのは難しいので、でもポッドキャストをやっているホンダですって言うと、クリエイターかと思われてしまうということはやっぱり防げるなというか、受信してますみたいなことで、若干ちょっとお茶を濁してるんですけどね。
とはいえ、そういうふうに表現できる1つのキャッチコピーで、1個自分の今言ったようなアイデンティティ、自分が昨日の自分とも同じだと思えるし、それが連続していく、渡したり得るものだと思えるっていう意味で、この名前がつけてやっているっていうところはあるかなというふうに思いました。
なので、その話を戻すと、アイデンティティみたいなところは、自分的にはそういう厚感DJつけ太郎的なことに非常にリスペクトを本当に持ってやっていて、つけたポッドキャストの名前であり、
ウィルキャンマストの自己実現みたいなものの縁がうまく重なれるような場所であるからという意味も含まれていると。そういう意味でこの名前をつけたという、ただの自分語りみたいにはなってしまったんですけど、自分が考えるアイデンティティというのはそこかなというところがありますね。
結局、連続して自己同一性みたいなものを持てるとか、自己で一貫してこうだと思える、自分はこうだよねって思えることがアイデンティティに近いのかなと。そこがちゃんとそのウィルキャンマストの自己実現みたいなところにのっとっているっていうところは、
今回のポイエティックラジオで論理的にというか、すごいちゃんと元の定義の部分から説明してもらって、ああそうなんだなという、半分こじつけには近いかもしれないんですけど、でもやっぱり無意識的に結構そこを考えながら、
あ、これこの名前でいきますっていうその場でちょっと複数の人と相談してて決まった名前なんですけど、そういう意味でつけています。
なんだろうな、まあでもあまりこういうつけられる名前の説明とか長々とするのってなんとなくダサいなと思って、結構お笑いネタ的な名前として結構消費されるのを割と望んではいるんですけど、みんな面白いねって言ってくれたらそうなんですよみたいに言ってるのが一番恥ずかしいんですかね。
やっぱりなんかこういう今みたいな説明を、いやいやあのアイデンティティでしてみたいな、フェルキャンバスとかすべて整った円の中心にあるのがこの受信料という名前でございますみたいなこと。どうなのかな、こういうのって説明した方がいいのかわかんないんですけど、改めてアイデンティティの話をポイエティックラジオで引き出してもらったんで、ちょっと自分でも応答としてやってみたという回になります。
はい、いつもより長くなってしまいましたが、以上です。ありがとうございました。