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母が亡くなりました 思い出すのは母が私のために泣いたときのこと
2026-09-22 19:39

母が亡くなりました 思い出すのは母が私のために泣いたときのこと


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00:02
こんばんは、ジュリーです。
今日ですね、今もう0時近いんですけれども、
今日の9時半くらいにですね、母の施設から電話がありまして、
母の呼吸が停止したということを告げられました。
母が英明しましたということで、もう本当、
うちの母は頑張りすぎたぐらい頑張ってくれたので、
本当にありがとうという気持ちで、ちょっとうまくきっと話せないんですけれども、
収録したいと思ってます。
この週末ですね、土曜日に施設から連絡があって、状況を伺ったところですね、
母の呼吸がさらに浅くなって、片呼吸になってしまっているということだったんですよね。
母は熱が上がってしまって、このもう2週間、
栄養が取れず、もちろん食欲もなくですね、
胆がどうしても絡んでしまうので、無理に流動食とか何か入れることもできないし、
それをやるとかえって苦しんでしまうということがあって、
それをしていなかったんですね。
2年前に顎が外れた以来ですね、
その時に言われていたのが、要はその医療的な措置ですね、
延命の措置をどうしますかということで、
要体が変わった時に病院に救急車で運ぶとか、
そういうことをどうしますかと言われた時に、
もう母は十分頑張ったから、延命のためだけにですね、
措置をするのはむしろ苦しめると思うので、希望しませんということを言っていたので、
もう施設ではですね、人工呼吸器もないし、点滴もないし、
痰をとってくれたりとか、航空ケアをしてくれたり、
あと着替えをしてくださったり、
寝ながらにしてですね、洗髪できるようなこともあるみたいで、
そういうことをいろいろ施してくださって、
静かにおこたわっているという感じの日々でした。
この週末もですね、だから昨日か日曜日にも会いに行っていたんですが、
確かに1週間前とか先週会いに行った時に比べると、
随分呼吸が浅くて、はぁはぁって感じになっていたんですね。
昨日、ちょうど父からも電話があって、すごく気にしているようだったから、
もうお迎えが近いみたいですよって言って、
03:00
会いに行きますかって父に聞いたら行くっていうので、
今日午後にですね、父と一緒にまた行きました。
妹がいるんですけれども、妹はですね、
もうできるだけ母のそばにいたいという感じで、
施設の面会時間は許す限りですね、
母の横にべったり場所をキープしちゃっているような状態なんですね。
そんなにしていたら体が持たないだろうという感じで、
そっちも心配になっちゃうんですけれども、
私が父と行った時に妹はすでに母の横にがっつりキープしていたんですけど、
妹にそんなに力んでいたら疲れるでしょうって言って、
おはぎとかを買ってきたから一緒に食べようって言って、
声をかけて休憩しようねって言って、
妹と2人で席を離れたんですね。
私はできれば父と母の2人の時間を作ってあげたくて、
妹だけを誘ったんですね。
妹もじゃあお父さんよろしくみたいな感じで、
おはぎにつられてその場を後にしたわけです。
だから父がね、先週父を久しぶりに母に会わせた時は、
2人っきりにすることができなかったから、
今日はそんな時間を作ってあげられたから、
ちょっと良かったかなと私的には思っています。
それで、先週もそういう意味では隙間時間に会いに行ったりしていたんですが、
2人で母と向き合いたいという気持ちがあったんですが、
さっきも言ったようにですね、
基本的には妹ががっつり母の横をキープしちゃっていて、
それはそれでいいんだけれども、
ちょっと母と2人で話がしたいなと思っていたので、
先週ですね、妹が行かない時間帯というのが分かっていた日があって、
私はちょっと外出している予定があったんですけれども、
そこの時間を狙ってですね、
だまてんで、今からちょっと時間ができたから、
お母さんに会いに行ってきますとか言って、急を装ってですね、
自分一人で会いに行ったことがありました。
それが先週の話なんですけれども、
その時にですね、母と2人での時間になったんですけど、
とにかくありがとうという言葉しか本当に出てこない。
出てこなかったんですよね。
なんかもうありがとうしかなくて、
不思議なんですけれども、
06:02
食事が取れなくなって熱が上がってしまって、
食事が取れなくなってベッドに寝ているしかできなくなった母が、
それまでは車椅子で面会に行っても車椅子でいてですね、
反応が鈍いときはもう本当に30分いても起きなくて、
もうそのまま今日は起きなかったねみたいな感じで、
その時その時リアクションが全然違ったんですけれども、
この具合が悪くなってから会いに行ったときは、
こう話しかけるとですね、目がこう開いて、
しっかりこっちをこう見て、でああって発生するような感じで、
もう絶対わかってるなっていうような感触があったので、
なんか本当にありがとうねっていうことを伝えました。
で、やっぱりそのなんか五輪銃とかその最後の状態っていうのは、
なんとなくこの心電図が横にあって、
でピーみたいになって五輪銃ですみたいなシチュエーションが、
なんとなくこうドラマとかそういうのの印象で、
そういうのを想定してしまうんですけれども、
母の場合はそのもうとにかく自然に、
自然にもう食べれなくなっているのは、
食べないで食べる必要もなくて、
母の体の機能が一つ一つ閉じていくというか、
もう本当にまさにクロージングっていうか、
そういうステージなんだなということを、
とにかくその先週のそうですね、
先週はそれを会えば会うほど感じた時間でした。
だからなんだろう、もうその目があって、
なんとなくリアクションあるというのはあるんですが、
自分の中では母はもうなんか絶対母みたいになっていて、
もう概念みたいになっていて、
もう目の前に体はあるんだけれども、
もう目の前の体が生きている生きていないとか、
呼吸をするとかリアクションがあるっていうことをもう超えて、
もう母っていう感じに自分の中ではもう消化しちゃっているので、
むしろなんかこの境が本当にこの呼吸が荒くなっているような母が、
呼吸が浅くなっているか、
母母母って呼吸が早くなってピッチが早くなってしまっていて、
母母母みたいになっている母で、
今日なんかもう行っても手足はもう真っ紫になっちゃってて、
冷たくなっているし、
もうなんかこうやってね、
本当はもしかしたらこの時間が苦しいんだったら、
なんか早くね、もう楽にお迎え来てほしいななんていう気持ちにまでなりました。
09:08
だからもうそこの境目はよくわからない。
ただやっぱり今日施設から呼吸が停止しましたっていう連絡を受けたときは、
さすがにですね、
いろんな準備をしていても寂しいっていうか喪失感というか、
よく頑張ったねっていう気持ちとか、
なんかすごく複雑、複雑です。
母はすごく我慢強い人で、
気度愛楽の非常に薄い、
共感性も薄い、
私や妹に対して、
誰に対しても共感性も低く、
働きかけも少ない人だったんですけども、
特に最近よく母のことを考えると思い出されるのは、
笑ってたりする母よりも、
母が泣いているときのことっていうのを意外と結構思い出されるんですね。
私が母が泣いているのを自覚したというか、
あ、お母さんが泣いているっていうふうに思ったので、
まだ私がすごく小さくて、
幼稚園ぐらいかな、小学校は上がってなかったと思うんですけど、
電話している母がすごくおえつで泣いていたときがあって、
一体どうしたんだろうと思って、
後で聞いたところによると、
母がそのときすごく親しくしていた友達が、
お子さんを流産してしまったっていう連絡を電話でもらっていたときに、
多分その友達が泣いているのに影響されて、
母もすごく悲しくて泣いていたみたいなんですよね。
そのときは本当に驚いちゃって、
今でも本当にその場面が鮮やかに蘇るというか、
すごく印象的な場面だったりして、
あとは最近でいうと、
あんまり嬉し泣きという点なんですけど、
私が通訳案内師という資格の勉強をしていて、
それを頑張っているのはすごく母も遠巻きに分かっていたみたいで、
筆記試験があって、その後講術試験といって、
英語で外国人の面接官と日本人の面接官に対してガイディング、
本当のリアルなガイドをするという、
12:00
急にお題を出されて、それは何を出されるかわからないんですけども、
急にガイディングをして、それで合皮を、最終試験を受けるというのがあって、
1回目トライしたときに不合格だったんですよね。
すごくそれでショックを受けていて、私が。
ガイディングだからやっぱり笑顔とか声の張りとか、
エンタメ要素が必要だということをその後学び、
かつ、可能ならば着物を着た方が絶対に印象がいいという話を聞き、
そうか着物かと思って、それを私が母に話したところ、
母は自分も日本舞踊をやっていたりとか、
母も着物が大好きでいっぱい持っているんですね。
じゃあ着物を選ぼうと言って、そのときに珍しく父もいて、
父も母も妹とみんなで私の通訳案内師の講術プレゼン試験に向けた着物をみんなで選んだときがあって、
みんなで選んでくれて、それを着て、試験に臨んで、
そのときうまくいって晴れて合格したということがあったんですね。
その合格の連絡を、確かあれは職場で合格だってわかったから、
そのときすぐに実家に電話をして、わかったよって言ったときに、
電話越しに母がものすごい泣いてて、
えーと、お母さん嬉しくて泣いちゃうんだみたいな、
なんかそんなことがあったのを本当に、
こっちもそれに感動しちゃったというか、
嬉しかったですよね。
あとなんかすごく、これも思いがけずというか驚いたことの一つなんですけど、
私が30代半ばにですね、それも思いがけずなんですけども、
なんか子宮外妊娠って言って、妊娠はしたんだけれども、
その妊娠した着症したところが子宮じゃないところだっていう疑いがあるみたいな診断を急に受けたときがあって、
結構その妊娠がわかってすぐだったから、
妊娠したってこともまだ誰にも言ってない、もう私たち夫婦の中だけの話で、
で、なんかちょっと様子がおかしいから、私が病院に行ったときが、行ったんですね。
そしたら、何か子宮外妊娠の疑いがありますとか言って、
で、子宮外妊娠だと特に着症が下の方だと、なんかそこには大動脈が流れていて、
仮にそれが破裂したら大動脈まで破裂して大変なことになるからって言って、
急にもう本当に自分としてはちょっと具合が悪いぐらいなのに車椅子になり、
15:03
しかも大病院にすぐに搬送ですとか言って、
うちでは対処できないから大病院に入院してくださいみたいな搬送されて、
で、入院したときがあったんですね。
で、あまりの展開に自分もびっくりしてたんですけど、
まあ母にそれで連絡をしたんですね、一応。
私がしたのか夫がしたのか。
そしたら夕方、母が駆けつけてくれて病院に。
母が私に会った瞬間に痛かったんじゃない、痛かったでしょうって言って泣いてるんですよね、母が。
で、えーとか言ってこの人なんでこんなに泣いてるんだろうと思ったんですけど、
私は全然痛みはなかったんです。
だからむしろ破裂するとか大動脈が破裂するとか、
大動脈が破裂したらもう死んじゃうかもしれませんとか言われて、
えーみたいになっているときに母が来て痛かったでしょうって言われたんですけど、
全然痛みはなかったんですよね。
だから痛くはないよって言ったらすごく安心したみたいで、
というのも母がですね、私と妹がまだ小学校に上がる前の頃にやはり子宮外妊娠っていう経験をしたことがあって、
母はですね、ものすごくそれで痛くて苦しんだんですね。
多分それは子宮外妊娠でも着症したところがすごく痛いところだったのか、
あとはかなり着症して赤ちゃんが育ってしまったから、
それが痛みを誘発するというか、そういう部位だったのかもしれないんですけど、
とにかく母親はそこで痛くて苦しかったので、それで手術をして取り出したんですけど、
その時も結構大きな手術だったし、その後もずいぶん長いこと入院してたので母は、
そのことがあったので、自分が痛くて苦しんだ思いがまた私が同じように苦しんでいたがったんじゃないかということを心配して泣いてたんですよね、みたいな。
そういうところで母が涙してたということをここ何週間かずっと思い返したりすると、
母はもちろん喜怒哀楽が薄いとはいえ、やっぱり母なりに私のことを思ってくれていたと思いますし、
すごく本当にありがとうという言葉しかない。
本当にいろいろ気にかけてくれて心配してくれてもちろん、すごく愛されてたなと感じます。
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本当にすいません、なんかめそめそしちゃうんですけど、
肉親をなくすのは初めてなので、正直ですね、この気持ちを収録している目的が一つ、大きな目的が一つあるとすると、
自分のためでまたきっと自分が父なのか妹なのか夫なのか、もしかしたらそういう近い人をなくすときに自分がまたこの配信を聞いて、
あの時こういう感情になってたなとか、なんやかんや言っても乗り越えられたじゃないかとか、
なんかそういうふうに思いたくて収録しています。
ちょっと長くなってしまいましたけども、聞いてくださりありがとうございます。
とにかくこの母の様態が悪くなった以来ですね、いろいろと励ましてくださった皆さんありがとうございます。
私は大丈夫なんですけど、やることもいっぱいあるし、おかげさまでいろいろと気が紛れることもあるし、
やらなきゃいけないこともたくさんあるので、また関ヶ原ネタで配信もしていくのでよろしくお願いします。
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