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2024-12-06 26:33

#22 ゲスト回12弾 グラフィックデザイナー前川岳久さん(前編):ともに奏でるラジオ

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ともに奏でるラジオは、「誰もが有機的につながり、協奏が生まれ続ける世界をつくる」をVISIONとかかげる株式会社ジャムセッションズが、即興演奏から生まれる「協奏」をテーマに、チームメンバーや様々なゲストとともに対話を繰り広げる、そんなポッドキャストです。

京都を中心にジャムセッション的に活動(協奏)しているゲストをお招きしてお届けしている「ともに奏でるラジオ」。今回のゲストには、グラフィックデザイナーの前川岳久(まえがわ たかひさ)さんにお越しいただきました!


大阪枚方を中心に活動されている、通称岳さん(がくさん)。

以前ご出演いただいたフォトグラファー座間さんにご紹介いただき、今回お話を伺いました!パーソナリティのしょうはお話しするのが今回2回目、ということで、どんな展開になるやらとそわそわしていましたが、とってもお話しが上手な岳さん、ついつい時間も忘れて話を聴いてしまいました笑


今回の配信は岳さんとの対談の前編として、主に岳さんのお仕事やこれまでのキャリアについて詳しく伺っています。まさにジャムセッションという感じの岳さんの働き方について是非お聴きください〜。

 

後編は来週金曜日に配信します!

 

岳さんのお仕事の詳細はこちらかもご覧いただけます。

↓↓

https://www.instagram.com/gaku_0421/
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ともに奏でるラジオは、毎週金曜日(たまに水曜日)に更新しています。
次回の更新を、どうぞお楽しみに✨

◈株式会社ジャムセッションズ(Jam Sessionz)
VISION:誰もが有機的につながり、協奏が生まれ続ける世界をつくる
https://jam-sessionz.com/

サマリー

今回は、グラフィックデザイナーの前川岳久さんをゲストに迎え、彼の経歴やアパレル業界での経験、独立の経緯についてお話を伺います。特に、国内の印刷技術や工場の現状、独立に至ったきっかけについて深く掘り下げていきます。このエピソードでは、前川さんが独立を目指す過程とその後の活動を語ります。古着屋の開店やワークショップの実施など、多様なクリエイティブな取り組みが生まれた背景に触れ、感謝や流れに任せる大切さを学びます。

ゲスト紹介と前川岳久の活動
みなさんこんにちは。Jam Sessionzのしょうです。
ともに奏でるラジオ、この番組は、株式会社Jam Sessionzが即興演奏から生まれる
協奏をテーマに、チームメンバーや様々なゲストとともに、対話を広げる、そんな番組です。
はい、ということで今回は始まりました。ともに奏でるラジオなんですけれども、今回もパーソナリティー
ソロ活ということでですね、私一人でゲストの方とお話をしようかなと思っております。
はい、前回ですね、前回というか以前、フォトグラファーの座間さんにお越しいただいて、お話しさせていただいたんですけれども、
今回のゲストですね、座間さんからご紹介いただいた方になりますので、もう早速ゲストを呼んじゃおうかなというふうに思っております。
はい、今日来ていただいておりますのは、グラフィックデザイナーの前川岳久さんになります。
はい、どうもよろしくお願いいたします。
お願いいたします、前川と申します。
なんか本名でお呼びしたんですけど、私いつも岳さんというふうにお呼びしておりましてですね、
皆さん岳さんというふうに周りの方もおっしゃってるんですかね?
そうですね、だいたい仲の良い方は。
そうですよね、この岳久の高という字が山岳の岳という字ってことですよね。
はい、でも読めないということで。
さっきも話してましたけど、マエカワじゃなくてマエガワで岳久さんという、ちょっと間違えられやすいという。
そうですね、もう名前に2箇所間違えるポイントがあるので、
大体大人になってから仲良くなる友人はみんな岳さんとか岳ちゃんって呼んでますね。
そうなんですよね、ちなみに私も岳さんとは今年に入って一度だけお会いしたことがあって、
それ以来のお話しするのが今日ということなんですけれども、
すごいお会いした時もちょうど座間さんも初めましてでしたし、岳さんも初めましてで、
初めましての方がたくさんいる仲だったんですけどね。
そうでしたね。
しかもお会いしたのが大阪梅田の地下街ってところだったんですよね。
そうですね。
ちょっとぎこちない感じで始まったんですけど、
すごい酒もたくさん飲んで盛り上がって二次会まで行ってっていうすごい楽しい思い出があるんですけど、
その中で岳さんのすごいお話がお上手で、すごい個性豊かな人が多いなこの場って思ってたんですけど、
そうしたら、座間さんとはその後写真を撮っていただいたりとかして、結構何度かやり取りをしていて、
先にゲストに来ていただいたのかな、このともに奏でるラジオの。
どなたか面白い方いらっしゃいますかって聞いたら、岳さんですねっていうのをおっしゃっていただいて、
岳さん、これはまた面白い人来てくれるなっていうふうに思って、私も今日楽しみにしておりましたので、
お話をお伺いできることを楽しみにしております。よろしくお願いいたします。
アパレル業界と印刷技術
よろしくお願いします。
じゃあまずはですね、岳さん、どういった活動とかお仕事されているのかみたいなところから、
ちょっとお伺いしていこうかなというふうに思うと、
今は拠点は大阪の平方を中心に活動されているということですよね。
はい。
仕事としては、先ほどグラフィックデザイナーというふうにお呼びしたんですけれども、
もう少しお話しいただけると嬉しいなと思います。
そうですね。グラフィックもいろいろ種類があるんですけども、
僕はもともとアパレル業界にいたので、それも工場にいたんですよ。
生産ってことですか?
えっとね、SILKスクリーンのプリントの工場ですね。
プリントの工場、へー、なるほど。
そうなんです。もともと職人なんですよね、実は。
なるほど。
はい。Tシャツの上のホコリを取るとこから始まり、
機械で生産するんですけどね、今、日本というのは、大量生産の工場は。
その中の一員でしたよね、最初は。
へー、そうですか。
はい。なので、Tシャツを板に入れ、それを取って、
乾燥に回してとかっていうとこから始まって、インク作ったりとか。
そのうち長いこと言ったら、機械を回す方に移ったりとかして、
そこでTシャツ作りの色派みたいなのを学んだ後に、
独学でちょっと勉強もしてたので、
グラフィックデザイナーだと名乗って、デザイナーになると。
そういう経緯でデザイン事務所の方に、
なんとか潜り込んだっていうのが、スタートですね、僕は。
なるほど、じゃあ最初は本当にアパレルの工場の生産の職人で、
ここからグラフィックデザイナーに転身されたと。
そうですね。
そうですか、なかなか私も海外のアパレルの工場とかに視察に行ったりとかすることはあって、
去年もインドに行ったのかな、インドの工場とかに行って、
あそこでプリントしてるのとか見たことあるんですけど、
国内のアパレルの工場って少なくなってきてるイメージですけど、
たくさんあるんですか?
いやいや、だいぶ減りましたね。
今はどちらかというと、町の中にある印刷屋さんで頼んじゃえるような感じになってますね。
そうそう、私もそういうイメージです。
リンクライさんとかね、そこにTシャツ作りますよとか、インクジェットできますよみたいなのやってるところも多いので、
だいぶ工場自体っていうのは減ってきて、大きい工場が残ってたりとかするんですけども、
僕の実際にいた京都の工場ももう潰れちゃったみたいで。
そうですか。
そうなんですよ。もう2,3年ほど前かな。
風の噂で潰れたよっていうのを聞いたので。
そうですか。確かに今思い出しました。
アパレル、日本で流通している衣類の98%は海外産だっていうのを、
ちょっと調べ物してたら出てきて、そこも2%しかないのかっていうね。
そうですね。生産工場は基本的に中国だったりとか、海外がほとんどですね。
国内っていうのは結構少ないですね。
はいはいはい。そうかそうか。
なので、個人的に頼んだりするときとかは国内の印刷屋さんのSILKスクリーンのある会社とか、
僕も未だに使ってはいるんですけども、
街中にそういうのは1カ所2カ所あるので、そういうのは困ったりはしないんですけど、
大量に作らないので。何千枚何万枚作るとなると、
やっぱり海外の方で作ったものを知れるのが多分主流なのかなっていう印象ですけどね。
いやー、なんかそれ本当に大量生産、大量消費の時代になって海外にそういう点が移転していったわけで。
そうですね。
そもそもそんなにたくさん作らない限定だったら、もう国内で頼んだ方がいいっていうことなわけで。
しかもそういう場所がまだ日本にあると思うんですよね。
探せば全然ありますし、老舗のプリント工場とかも。
やっぱり技術がすごいんでね、日本の印刷技術って。
やっぱり難しい印刷とかも綺麗にするんで。
言ったら4色分解って言って、CMYKって印刷の4色あるじゃないですか。
ありますね。
あれをもう手ですることで表現したりとか、手でするっていうか機械でするんですけど、
4色それを使って写真のような風合い出すっていう。
製版の技術とプリントの擦り方。
で、出方が強弱で結構変わるので、それで綺麗に出すっていう。
だからシアン、マゼンタ、イエロー、ブラックの4色なんですけど、
どれか強く擦りすぎると青が強く出ちゃったりとか。
独立の経緯と経験
それをできるだけ元になる写真と色が合うように手で機械を調節して、
力を与えながら、スピードと圧力とそれを調整しながら、いかに近づけるかみたいな。
結構職人技みたいなんで。
本当ですね。
そうなんですよ。
今はインクジェットプリントって言っても、プリンターと同じような手法でやっちゃうんで、
再現率はだいぶ高いと思うんですけど。
安かっか。
機械を使ったりっていうところでは、やっぱり調整とか職人さんの腕の見せどころがあると思うので。
やっぱりそういう点では日本の工場すごいなと思います。
深いですよね。
深いですね。やっぱり面白いプリントの手法の技術とかっていうのは、
やっぱり日本の工場の方が新しいものを作っているイメージもあったんで。
なかなかお目にかかれへん、ちょっと高価なブランドのTシャツとかっていうのは、
結構日本の工場が作ったりしている印象ですね。
だいぶTシャツが。
確かに確かに。
そうなんですよ。
後ほどたぶんちょっとお話で出てくると思いますけど、
古着を扱ってらっしゃるっていう学さんってこともあるので、
結構そこらへんもいいTシャツだったりとかいい服を、たぶん数多く見られていると思うので。
やってやつの方がいいですよ。
ありがとうございます。
なんかちょっと飛ばしちゃったんで、
一旦グラフィックデザイナーとしてデザイン事務所に転身されたところにちょっと時を戻そうかなと思うんですけど、
グラフィックデザイナーとなって、まず事務所で働かれてたわけですよね。
そこから今は独立されて、一人でやられてるってことだったんですけど、
なんかそこらへんも確かに私、いつぐらいに独立されてっていうのとかあんまりお伺いしたことなかったんですけど、
どういう経緯で今どこに勝っているのか。
独立自体は、独立自体はですね、去年一昨年かな、一昨年の6月に独立しまして、
実際に起業して始めたのが去年の1月ですね。
なのでまだ2年経ってないホヤホヤの新人です。
いやいやいや、そうですか。
私も独立して3年ぐらい経ったんで、大体同じぐらいの独立仲間ということで、嬉しいです。
そうですか。
そうですね。
結構独立する前が7社ぐらい転職してるので、
いろんなデザイン事務所、最初のプリント屋さんからTシャツのメインの会社からデニムの会社に移って、
デニム作ったりとかデザインしたり。
その当時は神戸コレクションっていう大阪で、今やったら関東のホテルガールズコレクションとかあるんですけど、
あれの大阪、こっち版で関西版のイベントですね、神戸コレクションっていう。
それに出させてもらったりとか、出させてもらったっていうか、
デザインした服を使って来ていただいてランウェアを歩いてもらうっていうので、
そういう経験させていただいたりとかして、その後に全職の会社ですね、
空間デザインの会社で、博物館の内装だったりとか、
町のイベントのパネル作ったりとか、マラソンのパネル作ったりとか、
そういうちょっと大きめのデザインするものを取り扱ったり。
そこでもまた印刷とかに携わるんですけど、デザインだけでなく。
すごい、最初の仕事がもろってきた。
そうなんですよ、UVのプリントの機械使って印刷したりとか。
結構僕はその会社の中でも一つの仕事だけやるっていうよりかは、
興味を持ったらいろいろやっちゃうので、
UVのプリントのマシンがあって誰も使ってないので俺使うわみたいなノリから使っていろんなことを勉強したり。
大変なんですけどね、やりながらなんで。
そういうことをしながら、いずれは独立するっていうのを目標にしてたので。
そうですか。
なのでいろんなことを勉強しながら、いろんな条件も揃ったので、
一昨年会社を飛び出したっていう感じですね。
そうですか、面白いなと思ったのが、
私も独立しましたし、ざまさんも写真家として独立されて、
私とかざまさんとかは独立しちゃったみたいな感じの、
特に独立したいとか思ってなかったけど独立しちゃったみたいな感じなんですけど、
がくさんも元々独立されたいっていう思いがあって、
実際独立されたわけですけど、
その中でもやっぱりきっかけってあったんですか?
このタイミングだ、みたいなのって。
このタイミング、なんとなくですね。
なんとなく。
あるっちゃあるんですけど、
42ぐらいかなっていう目標にしてましたね、うっすらですけど。
年齢とかその年代でこれここぐらいまでになるみたいな。
なんかその年じゃないとダメっていうことはなかったんですけど、
あんまりいい思い出ではないんですけど、
うちの父親が42の時に、うちに泥棒が入りまして、
実家が店やってるもんですから、
1階が店舗で2階が住居なんですけど、
1階の方に入って、朝起きたらドア開けられてて、
お金取られてた、レジからお金取られたみたいな感じのことがあって、
結構子供にとっては大きな事件じゃないですか。
そっからうちの父親はお店も全部、
セキュリティも古い家やったんで、危ないっていうのもあって、
建て直して、新しい家にして、
そっから僕らまた新しい生活始まったんですけど、
その一つのきっかけじゃないですけど、
42ってすごい大人ってすげえみたいな、
家建て直せるんや、みたいな泥棒が入られた。
イメージ的にはお金取られたのに、
家建てられるお金あるんや、みたいな。
すごいでも、きっかけはネガティブなものでしたけど、
そっからすごくポジティブな行動に出られたお父様。
そのタイミングが42歳だったと。
そうなんですよ。
独立への思い
やっぱり42ってすごいな、みたいな。
すごい。面白い。
なので僕も42の時には一人でやりたいな、みたいな。
なるほどね。
面白い。ちなみに私42なんですけど、今。
今まさに42で、
私は30代で何か自分でやりたいかもって思ったっていうのがありましたね。
ただこの30代後半から40代って、
結構中年の危機的な年代とかでもあって、
体調面だったりとか家族関係とか家庭環境とか、
結構変わっていく時期で、
そういう転機を迎える方って多いなっていうのを、
自分自身がその年代になって、
いろんな方の話を聞いていると思ったので、
学さんもまさにそういう年代の時にプリンスタイルが、
そういうきっかけでお父様も聞くんだけど。
30代半ばからずっと言ったんですよね。
それはもう独立そろそろするぞって。
だいたい10年ぐらい先をいつも想定して生きてるんで。
それも途中からなんですけどね。
30代の時にもう一人でいいやと思ったんで、
もう10年後ぐらいに俺独立すんねえって飲み屋でずっと言ってるっていう。
周りの友達ははいはい言ったんですけど、
実際10年経ってやったんで。
有言実行したぜってことですよね。
そうですか。
古着屋とワークショップ
今も10年先はこうなっているっていうのは、
いろいろ考えたりとかしながらやってますね。
それを目標にいくかな。
面白いですね。
その話ちょっと後半になるかもしれないですけど、
ちょっと聞かせていただきたいなと思うんですけど。
今は独立されて、一応グラフィックデザイナーとして名乗られつつ、
さっきもお話ししましたけど、
家を古着部屋にして古着を扱ったりとか、
あとはこれもちょっと額さんにお話聞きたいなと思ってたんですけど、
古着だとか服を使ったワークショップみたいなことも結構されているっていうのを
SNSでお見かけしてたんで、
そういう活動っていうのは、
もともと独立したらやりたいなって思い描いてた活動だったんですか。
全くですね。それは。
もう流れに任せるまま。
前の会社のビルの中に古着屋さんがあったんですよ、1階に。
あったっていうかできたんですよ急に。
古着屋さんがある日突然できた。
そうなんですよ、ビルの1階に。
興味津々なんで、
初日も何も作ってる時からちょこちょこ見に行ってて、
これ古着できるっぽいなみたいな。
ちょっとイケてる兄ちゃんが古着を仕込んでるわけですよ。
確かにね、古着屋ってそういうイメージありますよね。
そうなんですよ。
なんかイケてる兄ちゃんおるなみたいな感じで、
初日オープンしてすぐ見に行く。
もう仕事中なんですけどね、見に行って。
最初は友人の方とかが花持ってこられたりしてたんで、
ちょっと入りづらかったんですけど、
昼間ぐらいに少し人が引いた時に、
初日から入って、
知り合い以外で僕が一番最初に買ったお客さんらしくて、
そこから毎日仕事中に抜け出しては、
古着を見に行き。
そういう生活を何年間続けてて、
色々相談もしたんですよ。
歳も近かったので、
独立しようと思ってんねんって話したりとか、
いいじゃないですかみたいなのを言って、
いよいよ独立するって言った時に、
せっかく古着屋やったらどうですかって言ってくれて、
色々情報をどうやってやったらいいとか、
こんなのできますよとか教えてくれて、
せっかくしてやろうかっていうのでやったっていうのがきっかけですね。
そうなんですか。
そうなんですよ。
ワークショップに関しては、
僕、大阪のMEVICっていうクリエイター支援の団体があって、
そちらの方に一応所属するような形になってるんですけども、
所属して、1回目か2回目の時に、
女性のデザイナーの方、声がけられて、
一緒にワークショップしませんって急に言われたんですよ。
初見で。
初見で?
初見で。
その方もすごいですね。すごい頼み方しますね。
その方に、昨日とかも一緒にイベントしてたんですけど、
誘ってもらってずっとやってるような形なんですけど、
なんでか僕に声かけてきやがって、
いや、ワークショップですか?いいっすよみたいな。やりましょうみたいな感じで、僕も。
何も頭に、ネタも何もないのに、いいっすよみたいな言って。
古着屋やろうと思ってんねんみたいな感じは言ってたんですね、当初から。
まだ物証も取ってないし、商品も何もないんですけど、
デザイナー、やろうと思ってます?お願いします?いう時に、
古着屋もやろうと思ってんです?みたいなこと言ってて。
その方に、たぶん古着屋やるとか、デザイナー以外にも何かやろうと思ってるのが面白かった。
一緒に良かったらワークショップしません?って言われて。
その方と一回打ち合わせして、
実際ワークショップって僕何できますもん?みたいな話して。
相談ですよね。ちょっと引き出してよみたいな。
そこから古着屋って良いんじゃったら古着屋って何かやったら良いんじゃないですか?みたいなざっくりしたことしか言ってくれないんで。
どうしようかなと思った時に、もともと昔居たTシャツのプリンティアさんがあったんですけど、
そこね、一回僕戻ってるんですよ。
10年後ぐらい。
出戻りで。
その時に先代の社長から2代目の社長に移って、
出戻りしたって感じなんですよ。ちょっと会社一緒にやろうやみたいな感じで。
その時に二人で色々考えてやりだしたのが、
Tシャツのプリントの機材を使って、
トートバッグにSILKスクリーンで柄を刷ってもらってワークショップ。
それを京都のハンナリーズの西京国の球場で、
ハンナリーズの会場で試合の日に外でやらせてもらったりとか、
長期的なビジョン
そういうことさせてもらったんですよ。
その時のノウハウがあるので、
トートバッグに古着で生地いっぱい作って子供に貼ってもらって、
これでやってみようかなっていうので、今のスタイルが生まれたって感じですね。
なるほど。
もちろん以前にワークショップの経験はあったけれども、
それがすごいやりたくてとか、それをもともとやろうと思ってというよりは、
やっぱり声をかけられて、色々できることとかをやり取りしてたったら、
Tシャツを使ったとか、トートバッグを使ったみたいなワークショップが生まれたと。
面白いですね。
本当に流れの中で生まれたっていう感じですね。
面白いですね。
今お話をお伺いしてて、すごくバランス取れてる感覚をお持ちなんだなと思ったんですけど、
というのも、10年後に独立するとか、結構長期的な視点とかもちゃんと持って、
しかもそれも実行されてるんだけど、でもやっぱり流れに任せて、
新しいものを取り入れたりとか始めようとされるっていう、
とても、僕はそのバランスを持ってないんですけど、
バランス感覚を持たれてるなって今お話をお伺いしたんですけど、
だってそれって長期でやりたいこともあり、
だけどその場でいわゆる、我々Jam Sessionzですけど、
Jam Sessionz的に即興で何かを始めるとかって、
結構どっちもできる人って少ないんじゃないかなとか思ったんですけど。
絶対にこれになるっていう目標じゃないんですよ。
なんかぼやっとはしてるんですね。
こうなっていたいっていう。
例えば、現時点で10年先輩の人たちのお話聞くじゃないですか。
こいつらすげーなこのさんとかって思うじゃないですか。
でも10年後にその人たちと同じようなことをやっとったら、
俺の価値だと思ってるんですよね。
なるほどね。
具体的なこういうことを職業にしてとか、
こういう仕事でこれぐらいの売り上げを稼いでとか、
そういう具体的なものっていうよりも、
やっぱりちょっと漠然としたビジョンだったりとか、
イメージが明確にあると。
そうですね。
例えば誰かに影響を与える人間になっておきたいとか、
社会にこれだけ貢献してる人間になっておきたいみたいな、
そういうざっくりとしたイメージ、目標みたいなものがあって、
そこに行くために今何したらいい、次何したらいいっていうのを
一つずつ選択していって、そこに向かっていくっていう形なんですよね。
面白いですね。
ちょっとこれね、チャプターを切り替えて、
後半戦で語りたいなというふうに思うんですけど、
まさにそのバランス感覚がうらやましいなって思うんで、
ちょっとそこを後半戦で深掘りしたいなというふうに思います。
じゃあ前半戦ここで一旦終了とさせていただきます。
ありがとうございました。
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