1. メタ音声配信ラジオ
  2. それは「コトバの誤用」ではな..
2021-09-17 09:29

それは「コトバの誤用」ではなく「新たな意味の付与」なんだというポジティブ思考へ。


---
stand.fmでは、この放送にいいね・コメント・レター送信ができます。
https://stand.fm/channels/5e86845e35414a1b15a1cf7a
00:05
メタ音声配信ラジオ、こんにちは、いわみです。
9月17日の金曜日、いかがお過ごしでしょうか。
1週間がすごく早い気がしますが、9月も半分が過ぎてですね、
あっという間に2021年が終わってしまうんでしょうかということで、
ちょっとお腹いっぱいで眠いような状態なんですが、
短く話したいことを話してみたいと思います。
ちょっとふっと思ったことがあってですね、そのことについてなんですけど、何かというとですね、
コトバの意味っていうのは結構変わっていくよなっていう話で、
そんな例を2つぐらい思いついたのでですね、それについて考えを話してみたいと思うんですけど、
よく言われるのはですね、例えば、穿った見方とか、役不足とか、
こういうのって本来の元々の意味とは違う意味で使われていって、
そっちの方が間違った意味が定着されていくみたいな例としてよく使われたりしますけど、
例えばその穿った見方って、今だとひにくれた見方みたいな使われ方をよくしますけど、
これ本来の使い方っていうのは、この穿つっていうのは、まっすぐにっていう意味なんですよね。
洞窟とかの水滴がポタポタポタポタ垂れて、石を穿っていくっていう使い方をしたりしますけど、
あれって本当にひたすら何度も何度も繰り返して、穴を開けていくみたいなそんな言葉ですけど、
ただ本来その穿った見方っていうのはすごくまっすぐで必要な見方っていうことになるはずなんだけど、
なぜかひにくれた見方になってるっていう。
役不足にしても本来の出過ぎた重い手に余る役みたいな仕事とかそういう意味に使われますけど、
本来の意味は軽い意味なんですね。
自分の力よりも簡単にできてしまう仕事みたいな、そういう意味なんですよね。
これ僕ちょっと今ネットで調べて一例を見たんですけど、結構面白いものがいっぱいあってですね。
話の触りとかですね。
これも本来の意味はですね、話の要点や印象深いところのことを話の触りっていうところですね。
確信犯っていうのは本来的には、政治とか思想の確信をして、正しいと確信して行う。
これは大体そんな感じか。
あとは情けは人のためならずとかですね。
これも本来はですね。
03:02
一人情けをかけるのは、めぐりめぐって自分のためになるからだっていうような意味ですけど、
今の語用というか広まっている意味としては、情けをかけるとその人のためにならないよっていう意味に使う人が増えてますけど、
実は違うみたいなそんな話で、ちょっと例題が長くなりましたけど。
僕が思ったですね、こういった使い方の2つって言いましたけど、
1つはですね、すいませんで。
もう1つは何々だけどっていう接続詞なんですけど、
これ一個一個簡単に説明して話してみたいんですけど、
まずすいませんってですね、結構日本人っていうか僕もそうですけど、
いろんな局面で使って、本来の意味は申し訳ないってごめんなさいみたいな意味だけど、
今はいろんな意味でですね。
だからどうもみたいな意味ですいませんを使ったりしてですね。
僕が子供の頃っていうか、割と大人になりたての頃にですね、
すいませんって言うと、そこはすいませんじゃなくてありがとうの方がいいよみたいなんですね。
そういう指摘を受けた記憶が何回かあるんですけど、
確かにそうだよなって思ってた時もあったけど、
僕的にはですね、それって前向きじゃないなって逆に思っちゃったんですよね。
前向きじゃないってどういうことかっていうと、
口癖として出てみんなもよく使ってるのに、
それを実は間違ってるっていうのは精神衛生上良くないなって思ってですね。
そうだったらですね、みんな使ってるんだから、
僕が使ってるすいませんっていうのは、今まで通りの謝るすいませんじゃないんですっていう。
音としては同じすいませんだけど、
僕が使ってるすいませんはすごくライトなありがとうなんだっていうですね。
ちょっとだけ他人行儀な、そして軽いありがとうなんだっていうですね。
そういう意味で使ってるんだっていうのを名分化しちゃえばですね、
実は間違ってるんだけどみたいなそういうネガティブな意味がなくなるんじゃないかなって思ってですね。
つまり新しい言葉としてですね、
文字列としては音としては同じなんだけど意味は違う言葉なんですよっていうのをですね、
もっと広めていっちゃえばいいんじゃないかなって思ったんですよね。
その方がよっぽど前向きだし、結構どっちにせろ言葉ってそうやって変わっていくもんだからですね。
どうせだったらそういう先取りして、
僕にとってのすいませんは申し訳なさっていうのはもう含んでないんだっていうですね、
言い切っちゃえばいいんじゃないかって思ったんですよね。
でもう一個の何々だけどっていうのはですね、
僕これは過去の音声配信でも何度か話した記憶があるんですけど、
元々の何々だけどっていうのは前の文を否定、打ち消す意味合いが、
06:05
Aである、だけど、BであるっていうのはそのAの意味をですね、否定して、
逆の意味の言葉を使う時にだけどって使うのが本来的なだけどっていうことですけど、
でも今は結構みんな喋りながらですね、特に喋り言葉で使うのは何々なんだけどっていうのは、
そういう意味じゃない場合の方が多いですよね。
例えば、さっきラーメン食べてきたんだけどすごくおいしい店だったよっていうのはですね、
別に何も否定してないっていうか、
だからこの場合の何々だけどは、そしてというか、英語で言うとandとかですね、
そういうことだと、そういう使い方をしてますよね。
これにしても、僕が今使っているだけどっていうのは、英語で言うbutじゃなくて、
andの意味でだけどっていう、今の言葉の意味としてはそうなんだよっていうことをですね、
自信を持って使っちゃえばいいんですよね。
僕は結構だから、自分の喋り方で何とかだけどっていう癖をですね、
一時期直そうとしてた時もあるんですけど、
これは何というか、自然に出てきちゃうものを別に押し留めるのはあまり健全じゃないなっていう気がして、
だったらですね、僕が使っているだけどは、すごく万能の接続詞なんだっていうですね、
曖昧に物事、文章を繋げる時に何にでも使えるですね、便利な接続詞なんだっていうことをですね、
言い切っちゃえばいいんじゃないかなって思ったっていうですね、
何というか前向きなのかいい加減なのかよくわからないことを思ったっていうことですね。
話は以上で終わりなんですけど、最後にちょっと何というか違うことを言ってみると、
とはいえですね、至る所ですいませんっていうのは、それはそれで味気ないなって思うことは実はあったりとかですね、
例えば僕の妻とかですね、多分妻の家族なのかな、
お店とかでレストランとかで注文して何か持ってきてくれたりとか、ちょっと気を使ってくれた時にですね、
妻とか普通に自然な感じでですね、お店の人にありがとうって言えるんですよね。
それは僕は見ててかっこいいなって思うし、ちょっと真似したいなと思うけど、
でも何というか気を抜いていると、どうもとかすいませんとかですね、
ちょっと万能抜けた言葉を知ってしまうんですが、
あの時に普通にですね、堂々とありがとうって言えるのはちょっとかっこいいなって思っていたりします。
あとは何々だけどっていうのもですね、これは言ってみればやばいとか、
そういうですね、万能ではあるけど、ちょっと想像力を変えていく言葉になる可能性もあるので、
別に使えるですね、言葉があれば。
09:01
それなのにとか、だがしかしは違うか。
何かそういった別の言葉があれば、そういうのもボキャブラリーに入れておけばいいんじゃないかなと思っているというそんな話でした。
はい、それでは皆さん、素敵な週末をお過ごしください。
最後まで聞いていただいてありがとうございました。
さよなら、また。
09:29

コメント

スクロール