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サマリー
シリアでの休暇最終日、語り手は首都と辺境地域での「現場」と「現場感」の違いについて深く考察します。日本の製造業における「改善」の概念を例に、国際協力における「現場」の定義や、首都のオフィスワークでは得られない「現場感」の重要性を強調。この「現場感」は相対的なものであり、移動を通じて初めて真に感じられると述べ、今後の活動拠点を考える上で首都と辺境を行き来することの意義を語ります。 また、国々の分類について「途上国」という表現の限界を指摘し、「人口増加国」と「人口減少国」という新たな視点を提案。人口減少国である日本が直面する課題と、人口増加国が持つ潜在的な経済成長力について論じます。さらに、シリアで進行中の旧紙幣から新紙幣への切り替えが、首都と地方で異なる影響を与え、特に地方の住民が直面する混乱や不便さを具体的に描写。 政府の政策運営に対する国民の不満や、紛争再燃への懸念にも触れつつ、NGO職員としての発言の制約についても言及します。休暇がもたらした精神的エネルギーの回復と、今後のキャリアパス、特に表現の自由を求めてNGOを一時休止したいという思いを明かし、自然の中での休暇の重要性を再認識する内容となっています。
現場と現場感の考察
おはようございます。8月19日、水曜日の朝の6時50分、はい、声日記です。朝の散歩です。
はい、今日のこの見晴らしのいい、広い空の下での朝の散歩は、今回の休暇最終日なんで、これで最後ですね。
明日の朝は多分、朝だいぶ早く移動を開始することになるんで、また、TS…TSCT、トランスシリアカートリップをします。
明日はTSCT…TSCTがあるので、800キロ。なので、今日の朝の散歩はしっくり味わいたいと思います。
そして、えーっとですね、今日はね、日記というよりは考えたことバージョンですよ。キャリアのレビューもしたりして、あとやっぱりここのね、遠隔地ですね。
首都から見たとき遠隔地っていう意味ですけど、首都から見たときも限りなくなんかもう隅の辺境の方にあるわけですよ。
で、そこにやっぱり来ると、やっぱり見えてくる景色がもう全然違う。首都にいるときに見えて感じることと明らかに違うので、それはね、やっぱり良かったですね。
今日、今回来て。で、ただずっとね、ここにいたらなんかまた違うと思うので、行き来することに重要さがあるなということを思ったんです。
なので、じゃあ今日のタイトルは、まず現場と現場感が違うという話と、現場感を感じるには一つの場所にいては感じられないという話をします。
現場と現場感が違うという話。現場って日本のビジネス文脈、もしくは製造業の中でかなり重要に大切にされている概念として重要な言葉だと思います。
ドラマとかでも事件が現場で起こっている、なんていうのも。この現場という言葉は、私は以前ね、公務員の業務を改善するために、トヨタとかの製造業の改善という手法を使おうというプロジェクトをやってたことがあるんですよ。
一つだけじゃなくてね、二つ、三つぐらいそれをやりましたね。やっぱり有名なんですよね、まずね、日本の製造業のどのように発展してきたかということが。まず会社の名前が有名だし、トヨタとか、そしてそれがやっぱり論文とかにもたくさんなっているんですよね。
5S改善、TQMなんていうのは、日本のだいぶ古い話ではありますけど、日本のお家芸として世界的に認知されているものなんですよね。
で、それを特に改善ですか、改善といってもカタカナで書くやつの方の改善というかローマ字で書く方の改善というかね、改善という手法化されている改善については、かなり認知があるとまず、認知があるしそれがいろんなことに活かせるという共通認識もあるんですよね、たぶんね、車の製造業じゃなくても。
それからまず始まるボトムアップの手法というところが何よりも、そしてクライアントをまずはお客さん、顧客第一主義、お客さんを何よりも大切にするみたいなことが、もしかしたらビジネス文脈では今ではとても当たり前なのかもしれないけど、公務員の行政サービスの現場なんていうのは特に途上国に出ればね、全く思ってそういうことが概念としてもないという場合があるので、
お客第一主義ということから入って、ボトムアップの改善手法を教えるなんていうことは割と日本が国際協力の中でやっていることです。
アフリカの病院とかでもたくさんやっているし、製造業や病院という現場に限らず、行政のサービス、管理業務も改善のやり方を使って見直していきましょうなんていうトレーニングが多数行われています。本当に多数行われています。
それに私は関わったことがあるので、いわゆる日本の改善の先生方、会社でもともと大きな製造業の会社で何年か働いていた後に独立してコンサルタントになって改善の指導をしてきましたなんていう先生方がたくさんいらっしゃるんですよ、日本には。
そういった先生方はやっぱり海外に出て指導なんかもたくさんなさっているので、そういう方と何人か、これも多数ですね、3人、4人、5人ぐらいと一緒に教材を作るみたいなことをやったことがあります。
中から私は改善という手法をある程度身につけました。身につけましたっていうのはちょっと違うかもしれないけど、こういうものなんだなーって自分なりに理解したり、ある程度ちょっとした紹介のためのセミナーみたいなのができるようになったんですけどね。
その中で現場って言うじゃないですか、三原主義。現場、現実、現物ですか、三原主義は。製造業だったら現場って多分工場のことですよね。
でもサービス業だったらじゃあ現場ってどこですかってなった時に、明らかにそのお客さんにサービスを提供しているその場だと思うので、行政機関だったら市役所だったら窓口とかっていうことになるし、教育だったら学校だし、医療だったら病院だし、一番フロントラインのワーカーの人とお客さんが接している場所ですよね。
国際協力でじゃあ現場って言ったら、今までのTACRの中でのキャリアリビューでも何回か話しました。
日本から見たら十分、ヨルダンの首都のアンマンとかに、例えば国連のクーラーの聞いたオフィスのデスクワークでも現場で仕事をしている人っていうふうに見えるかもしれませんが、実際はそこが現場じゃないよねというふうに思っています。
私はもうそういう首都のオフィスのデスクで働いているときに現場で働いているなという実感は得られないですね。
現場感って言いましたけど、現場感っていうのは現場にいるなという実感っていうのが現場感というふうに定義しましょう。
現場だなという実感、これはもう個人によって違うということでいいと思います。
じゃあ現場はやっぱり一番フロントラインのサービスを届けたい相手がいるところだとして、また言い方を変えれば困っている人がいる場所、生活をしている場所が現場だとして、
現場感の相対性と活動拠点
そして現場感っていうのは人によって、例えば国連の職員を目指すゾーンという人はニューヨークの国連本部において現場感を感じるのかもしれないですね。
政策などが作られていって国と国との協議を行うような場所で現場感を感じるという人もいるでしょう。
私の場合は、例えば今シリアでもダマスカスで、ダマスカスでも現場感感じますね。
ただ、もうちょっとやっぱりここの国がどうなっていったらいいのかなと思います。
特に農業とか水とかそういう生活の整形を立て直すみたいなことに関して興味を持った時には、現場感は明らかにここですね。
ここの暮らしが、もう少しせめてシリアの他の地域の人たちが享受しているぐらいの暮らしを、整形を立てて暮らしていけるというふうに感じられるようにならないと。
格差が大きい格差があるから、生活が厳しいから、仕事がないから、それが新たな紛争の火種になっていくっていうことがある。
つまり武装勢力がリクルートするんですよ。
貧しい地域に行って、武装勢力が子ども若者から含めてお給料を払ってリクルートすると、やはり仕事のチャンスがなければ、生活を立てるために加わらざるを得ないというか、それが当たり前というふうになっていってしまいます。
そのようにして、この間のアイシスの時の戦争は起こったわけです。
現場感については、これね、すごいわかりやすい例えがあります。
日本にいてもどこにいてもですけど、山とかに数日行くでしょ。
そうすると空気がきれいじゃないですか。
空気きれいだなって思って、東京に戻ったりすると、うわ、なんでこんなところで呼吸ができてたんだろうっていうぐらい空気が汚い。
それをね、でもまたそこに2日も3日もいればすぐ忘れますよね。
私は忘れちゃうんですよ。
空気がきれいかどうかっていうことに関してあんまりセンシティブな人間ではないので。
どんなに大気汚染がひどいところに住んでいても、そんなにいつまでも空気が汚いなって毎日感じるようなことはないんですよね。
でも田舎に行った時に、ああなんて素晴らしい空気がきれいなんだろうって思うし、田舎から帰ってきた時に、ああここの空気は、都会の空気はなんで汚いんだろうって感じる。
これと似ているんですよ、現場感の感じ方が。
だから、たぶんここのね、この辺境地域にずっといたら、それやそれでまた現場感感じなくなるかもしれないです。
で、あとは首都にダマスにずっといたら、それやそれでそこが現場じゃないっていうことも感じなくなるので、
逆に言えば、ダマスにいる時に現場感を結構感じるようになります。
なので現場感は完全に相対的な、その比較をすることですごく見えてくるものなんですよね。
で、もちろん首都でやったことが、やったほうがいいことというのは、やっぱりいくらでもあって、
まず人が多いし、まあいろんな人が集まっているという意味で人が多いということですけど、いろいろな活動をしている人たちがいて、
刺激もあるし、もしくはちょっと言論の自由みたいなものが若干進んでいたりするので、
コスモポリタンでいろんな考えを口にできるみたいな場があるのは首都だったりするので。
そうですね、首都にいて、そう例えばだからポッドキャストスタジオ構想ですよね。
ポッドキャストスタジオ構想、取材に来るのは、この犬が、犬が泳いできた。そっちに行かないから安心してね。
目の前にはロバさんがいますね。このロバさんの写真を通ろう。
ロバさんが、カリ取った麦畑の枯草色の中に佇むロバ。かわいい。
現場感は相対的なものだ。もしくは相対の中で見えてくるものだ。移動する中で見えてくるものだ。感じられるものだ。
それはね、紛れもなく私にとってはそうです。なので移動していたいですね。
やっぱりどっちかというと首都から辺境に、辺境地域に足を運びたいっていう話になるかもしれん。
もしくは辺境地域に、こっちが拠点で首都にも時々行くっていう方が、そっちの方がいいかな。
その辺ですね。その辺が結構重要な目極めになってくるかもしれない。これからの活動を考える上で。
例えば観光に関することも面白いって思ってるけど、
日本からの観光客の誘致とか、もしくは企業、ビジネス取引のファシリテーション、日本とシリアの企業のビジネス取引のファシリテーションをしようとしたら、
それは首都もしくはレッポぐらいの大きな都会に拠点がある必要があります。ないからそんな企業なんて全然ここに。
ここは農村地帯です。
この農村地帯でトマトの工場を作ったらとか、羊が有名な場所なんで、羊に関する製品の加工業工場を作ったらなんて、
昨日あたり同僚ともちょっと話をしてましたけど、そういうことを地元の人がやることは重要だと思うし、それを支援することも大切だと思いますけど、
私がやることではないね、トマトの加工業、羊に関する加工業。
羊に関する加工業って何ですか?
羊乳のヨーグルトを昨日買いに行ったところからそういう話になりましたね。
羊製品というのは、肉、乳製品、あとは毛皮ということですね。
それから、他の人とも話しました。これは首都で話したことですけど、
どうしてアフリカとか南アジア、ネパール、バングラデシュとか行ったら、たくさん女性たちが手工芸で作りましたお土産みたいなものを、
NGOのショップとか、地元の伝統と最新のデザイン感覚を掛け合わせた小物、刺繍、毛糸の製品とかたくさん売っているのに、
ここでそれを見ないんだけど、どうしてだと思う?って聞かれて、
確かにまだ全然見ませんね、って言いましたね。
日本のシリア支援の中でも、難民の人たちがそうやって手工芸品を作って売るのを支援している人は何人か知ってますけど、
シリア国内で作っている人はいるか、でも売ってはないですね。
でもそっか、作ってはいるけど売ってはない理由は、ここに観光客が来ないから、
ここで売っても誰も買わないからですね。
だからみんなオンラインとかで売ってるんでしょうね、そういう活動をしている人は。
そっか、そういう理由だ。
でもそういうショップみたいなのもね、今からはどんどん増えたらいいと思うんですよ。
旧市街の中のお土産屋さんとして、
そういった女性たちが作った手工芸品、伝統とモダンデザインの掛け合わされたちょっとした手作りのお土産みたいなものを、
旧市街に来る観光客がちょっと立ち寄って買えるみたいな。
増えるでしょうね。
なんかそんなことにも一枚かめたら面白いとか。
そういうお金を稼ぐ的なこととか、いろんな人の話を聞く的なことをやろうとすれば、やっぱり首都にいた方がいいですね、明らかに。
ここは一週間静かな休暇をきれいな空気の中で過ごすにはとってもいいけど、
やっぱり地元の人と出会うみたいな感じになるには仕事をせざるを得ない。
自分の力でずっと歩いているとふと出会ったりはしない。
新たな活動拠点とキャリアの展望
ということで、私にとっての、これから私がやりたいことにとっての現場ってどこだっていう話と、
それが一個じゃないだろうっていう話を両方してますかね。
だからなんとなく今私は次の拠点としては首都って決めつつあるんだけど、
それは多分いろんな人に出会いたいから、いろんなことをやっている人に出会ったり、いろんな情報を集めたい。
あと一人でも安心して住める町、団体に所属せず暮らせる町っていうのはやっぱり限界があるかな。
ダマスカ、アレッポーしかちょっと難しいですね。
アラビア語のコースとかもないしね。
アラビア語を勉強している学生ですっていう風になるためには、ダマスカ、アレッポーどっちかでしょうね。
とりあえず一人でも生活していける。
そして空港があるから何かあったら脱出できるとか、
いろんな公共交通機関があるとか、いろんなことを考えた時に、やっぱりモロッコとは違うな。
モロッコでは田舎の町に一人暮らしできたけど、
ここでは一人で団体に所属せずに暮らそうと思ったら、拠点はダマスカ、アレッポーどっちかしかないですね。
それ自体が現場感をそんなに損ねるとは思ってないです。
それらも十分私にとっては現場だと思ってはいる。
ただ、そこにずっと行ってはいけないなと。
この辺境の生活の厳しい荒れ果てた地域。
荒れ果てた地域っていうよりは、ひよくな三日月地帯って言われるところですからね。
ポタミアの時代から小麦の生産地だから、別にそんな荒れ果てた地域ではない。
でも農村地帯だからそうやって工場とか製造業とかがある地域に比べたら、
まず仕事が少ないですよね。
今の若者は農村地帯に住んでいたとしても、他に選択肢があれば農業をやっていこうっていう感じではないですよ。
若者の仕事。
若い人がやっぱり自分は何をやりたいのかなって考えて、
生計を立てて家族を支えていくっていう感じの仕事っていうのは、なかなかにないですね。
なかなかにないです。
それはまあでもやっぱりシリアの経済が発展して、
シリアの人たちが少しずつそういうのを、地元の特産を生かした製品のための製造業とかも発展していくことを期待したいよ。
でもそれは時間がかかるし、それは私がやることじゃない。
国の分類再考:人口動態の視点
なのでね、現場感をちゃんと味わうためには移動しなきゃいけないっていう話でした。
移動は重要ですね。
でもこの移動もまた個人でできないな。
昔はね、30年前協力隊で住んでいた時は、
普通のバス、長距離バス、大型のバスが結構快適で、しかも安い。
だからバスに乗ってどこにでも行きましたよ。
協力隊も旅行に。
端酒まで来ましたからね、バスで。
安いんですよ、本当に。
そして結構快適です。
だったんです。
でも今はね、やっぱり公共バスでどこにでも移動、外国人がどこにでも移動できるようになるのはまだまだ時間がかかるだろうな。
街の中を走る公共乗り合いバスも、
どうしても私は乗りたいって言ってダマスで一旦、
うちのセキュリティスタッフに許可を取って一回乗りましたけど、
乗ったら2日後ぐらいになんか爆破事件みたいのがあってね。
公共セルビスの車体の下に取り付けられていた爆弾が爆発して怪我人何人みたいなのが公害であって、
やっぱりダメですね、乗っちゃねえって言ってセキュリティスタッフの人とね、言ったんですよ。
ほら、だからまだ乗っちゃダメだよ、一回は乗っていいって言ったけど、
手に乗らないでくださいねって言われましたし、自分でも思いました。
まだやっぱり公共乗り合いバスに安心して乗れるっていう状況ではないんだなっていうことを思いました。
ということで、今日1日もこの休暇を有意義に過ごすためには、
私が今働いているこの団体を辞めて次のステップを踏み出すときに、
もしくはその次のステップを踏み出す前の休暇を取るときに、
どんなことをして、どんなふうに過ごして、そのためにどんな情報を集めていくかっていうことを考える1日にしたいと思います。
そのエネルギーが湧いてきてるっていうのはやっぱり休暇良かったな。
今まで何かそんなふうに、それをする時間の余裕がないっていうことだけじゃなくて、
気力の方で私の次の一歩についてちょっと1日じっくり考えようなんてことを思いつくぐらいの精神的エネルギーみたいなものも、
やっぱり今までなかったですね。毎日やっぱりタスクリストに追われてみたいな暮らしをしていれば、
全然そういうことができなくなってしまう。
だからこの広い広い空、空が広い広いところで空気が綺麗で見晴らしが良くてっていうところに来たから、そういうことも考えられるようになります。
休暇だからね、自然の中に行くのはいいですね。
休暇はね、またこれもあんまりにも疲れ果てていると多分その都会の自分の家でダラダラするという休暇になって、
それはそれで結構大切だし重要だと思うんだが、休養みたいな意味では。
でもなんかその次への永期を養うみたいなための休暇だとすると、
ただ体だけ休めればいいというものではなく、目に入るものや空気などが良い栄養になる場所で休暇を取った方がいいんだなと思います。
やっぱりね、ヨーロッパの人素晴らしいですね。
フランス人、イタリア人、見習わなければならない。
休暇を本当にとことん大切にするという文化はまず私ですし、
日本人みんなやっぱりお盆休みっていうのが偶然あるからいいですけどね。
でももうちょっと長く、夏は2週間はみんな休みますぐらいになってもいいんじゃないですかね。
正月、年末年始と夏休みは最低でも2週間、長い人は3週間ぐらい休むよね。
それぞれっていうのが当たり前の社会になってもいいんじゃないでしょうか。
だいぶ昔に比べれば働きすぎっていう感じも減っているのかもしれないけど、
公共の休日なんていうのは、祝日なんていうのは世界の中でもだいぶ多いらしいですけど、
日本人は自分で有休休暇を取らないから代わりに祝日を増やす活動、政策をしたら祝日がだいぶ増えて、
世界中の国の中でも祝日が多いということになっているらしいですね。
でもまだまだですね、やっぱりあと連続でちょっと遠くに行けるように連続で休暇が取れるといいですね、2週間3週間。
私も3週間はなかなか取らないから、3週間の休暇を2回とか取るのが当たり前ってなるといいですよね。
まだなんかそれを考えただけでそわそわしちゃう。
3週間の休暇をね、2回そんなことできるかって考えちゃいますけど、
でも正々堂々とそういうもんよねって思えるようになったらいいんじゃないかなって思います。
あとね、そういえばもう一個話題があります。
もう一個考えていたことで残しておきたいことがある。
これもTACRからの気づきです。
途上国っていう言い方を私はしますね。
私はだけじゃなくて多分多くの人が。
発展途上国って昔呼ばれました。
最近はだから発展、ディベロッピングカントリーなので発展途上国なのかもしれないけど、
発展とか開発っていう用語自体もちょっと疑問を提出されることが多くなって、
ディベロップメントっていうこと自体がちょっと植民地主義的な用語なんで、
それにまず抵抗があるっていうことになると、
発展途上国っていうこともちょっと少なくなって、
グローバルサウスとかっていう言い方をする人が多いかな。
NGOの周りの人だと。
あとは第三世界、あんまりそれを使っている人、身近では見ないかな。
なんかね、呼び名が難しいですね。
そういう、シリアの場合は明らかに紛争影響国っていうことでありますけど、
それも普段の会話の中で使いませんよね。
なんかね、どう呼んだらいいかわからないですね。
こういう国を。
まぁちょっとシリアは置いておいて、
一般的にその途上国支援とかっていう話においては、
これ何、今やもうだから何の途上なんだろうかって考えた時に、
ちょっと難しいわけですよ。
例えばじゃあインドネシアとか、バングラデシュはまだ世界最貧国に並んでくるから、
貧困国って言い方もひどいし、
フィリピンじゃ、インドネシアや途上国っていうにはもう発展しすぎてますよね。
そういう国を何て呼びますか。
アフリカの中でもケニアとかどうでしょうかね。
ナイロビとかすごい発展してますよね。
グローバルサウスって感じしますね、アフリカの国を呼ぶんだったら。
でもグローバルサウスって英語ではわかっても日本語で意味わかんないね。
なんか呼び名がない。
で、人口増加国っていうのはどうなんだって私思いました。
昔作った大秘構造自体が、ディベロップカントリーとディベロッピングカントリーっていう、
その大秘構造はもう破綻してるっていうか古い。
だから日本はディベロップカントリーかもしれないけど、
今新たな課題にたくさん直面しているのは人口が減少しているから、
それだけじゃないと思いますけど、
一つの理由に、大きな理由に人口が減少して高齢化社会になっているからっていうのはあります。
で、なってくると、ディベロッピングカントリーではないけど、
なんかその課題が多数ある国、困っている人がたくさんいて、
行政的な課題とかもたくさんある国っていうカテゴリーにどんどん入っていきますよね。
人口が増加しつつある国は何だかんだ言って、
国の経済成長をしますし、人口ボーナスっていう言葉があるんですけど、
やっぱり若い人が多ければ自然に国の経済発展していくんですよね。
若い人が多いっていうだけで。
なので、増加国減少国っていう呼び方どうでしょうか。
人口がね。人口増加国、人口減少国。
そうなった時に日本は人口減少国ですかね。
人口増加国はもしかしたら放っておいても、いや紛争とかそういうことがなければ、
地震とか紛争とかなくて政府がそれなりに機能していれば、
放っておいても、放っておいても、発展していく?
いやそれはちょっと言い過ぎかもしれないけど、
でも未来は明るいみたいな感じがありますよね。
でも減少国は課題が多いですね。
未来が明るいって言いにくいですよね。明るい未来を描きにくい。
下り坂をゆるゆると降りるやり方を考えていかなければならない。
日本の中でそれは他の国なんか支援している場合かっていう議論が増えてきたっていうのは、
そう考えると仕方ないかもしれませんよね。
その実感が大きいからね。その高齢化社会の実感。
人口が減っていく実感。下り坂を降りていっている国。
下り坂を降りている国なんて言われるのもちょっとプライドが傷つく。
でも人口が減少している国って言われれば、それ統計の話だからあんまりプライドを傷つかなくないですか。
ということで、いろいろそういう途上国と発展した国っていう2つの分け方では語れないので4つに分けましょうみたいな。
1日当たりの、1人当たりの1日当たりの収入とかで分ける分け方が提唱されてたりしますけど、
収入という話、それも重要な視点と思うけど、やっぱり定点的なものではなくて、
どっち側に社会が動いていっているのかっていう感じを加えるなら、
人口増加国、人口減少国っていう考え方はまず1つの切り口として私はいいような気がする。
人口増加国の中で紛争とか災害とかによって、もしくは政府が全然機能していないとかになってくると、
そういうところこそ国連とか助けなきゃいけない。
アフリカの多くの国なんか、そういうカテゴリーに入る国多いかもしれませんね。
人口が増加していって子どもとかたくさん生まれるにもかかわらず、行政サービスが機能していないし、
そこに紛争が起こったり、そこに難民がたくさん入ってきたりすれば、
他の国から支援を届けなきゃいけないっていうことになると思うし、
あわせて人口増加国の中で行政が機能し始めている国は、
だんだんやっぱり手を離していっていいんじゃないですかね。
日本から、欧米から、
通学の学生さんが、なんかね、今週から学校が始まるのかな。
今日は学校に行く生徒さんみたいな人がいっぱいいますね。
人口が増加している国の中でまた、だからこそ支援が必要という国があるし、
そうじゃなくて、もうそこは経済が回り始めているから、
比較的もう手を離して、他国からの支援、ODAなんかは減らしていっていい国というのがあるかもしれないんじゃないかな。
でもね、またODAも別に支援が必要だからというよりは、
そこの国と良い協力関係を結びたいから外交の一環としてするという側面は、
それも明らかにあるんで、そうなった時にやっぱりそんな、
ちょっと今から大切な力をつけてくるぞっていう国に協力したいっていうのも、
それはそれでわかるな。
単純なODAを増やす、減らすという話とつなげるのは無理があるか。
でもいずれにせよ、国が力をつけていっている国というのは明らかにあるわけですよね。
インドとか、インドとかはもうどのカテゴリーに入れたらいいかわかんないです。
インドとか中国というのはもうもはや、あんまり支援が必要な国という認識は多くの人はしてないでしょうね。
ただ貧困は国の中には多分あると思うので、大きな課題があって、
それを誰がその国の政府に任せておいて大丈夫なのかということはちょっとまたわかんないなとは思います。
人口減少国、これは多くがヨーロッパ、そして日本と韓国とか東アジアということになりますか。
ちょっと中国はね、一人っ子政策を一旦やってそれをやめたみたいな背景があるし、
やっぱりちょっと特殊な国すぎるので、行ったことがないからわかんない。
中国はちょっと同じカテゴリーに入れない方がいいかもしれない。
でも日本と韓国は明らかに同じカテゴリーですね。
とにかく人口の減る度合いが激しい。
そういう国はね、そういう国はやっぱり国の中でどんどん課題が増えていっている。
そして希望を持つのが難しいという状況ですよね。
そういう国は、国として他国に支援するということを、
今最低限の国連への支援とかは続けてほしいけど、あんまり増やすのは難しいですよね、正直。
難しいとも税金をどう集めるかということも大きな課題だし、難しい。
でなった時に、この間どこかで話したように、そういう国の中でもある程度少しは余裕があるよっていう人はいるので、
そういう人たちがもうちょっと個人と個人のネットワークみたいな小さな単位で繋がって、
世界とも繋がっている実感は持てた方がいいかな、そういう方向に行った方がいいと思います。
人口減少国の中で世界に対して興味を持っている人は、私もそういうことになりますかね。
人口減少国の中で世界への興味を持っている人、この小絵日記を聞いてくださっている皆さんもきっとそうだと思います。
人口減少国の下り坂の下り方の話はね、それを話す回ではないけど、それはやっぱり結構、それはそれで大きな課題ですよね、本当にね。
それは私はもし日本に長く住むことになったら、その辺のことをなんかやることになるのかな。
ちょっと心が狭くなりがちですからね、そういう状況だとね、人が減って労働力が足りなくて困っていると言いつつも、
外国の人に入ってきて働いてほしくはないみたいな、ちょっと何か複雑な状況になっていきますね。
でもおかしいですよね。なんかもうちょっとやっぱりやめよう、この話をするの。着火するから、炎上するから。
なんかその移民労働者への対応みたいなことですね。
課題大きいですよね。インバウンド観光も日本へのインバウンド、課題大きいですよね。
お客さんに来てほしいけど、観光地では外国から来てほしいけど来てほしくない。
働く人足りないけど、社会の中にはその外国の人に働いてほしくないって思っている人が結構いる。
で、それをなんか政府が政治のために、そういった議論をね、利用しますからね。利用されてるんですよ。
トルコなんかもそうでしょ。難民問題なんていうのはね、ヨーロッパの国では政治のために利用されてますね、完全に。
そこで票を選挙の時にね、難民に対するどういう対応をするなんていうことを、明らかに人気取りのために使いやすいから。
とっても使いやすいから。
シリアの通貨切り替えと地方の混乱
はい、まあちょっと話が飛びましたか。
まあそんなとこです。今日はダラダラ話しました。
今ちょっと歩いているのは、ちょっとマーケットの方に来ています。
なので車の音もちょっと聞こえるでしょう。
もうちょっと話そうかな。
多分朝の散歩この街で撮るのも、今日で最後だから。
もう一個、全然関係ない話、もう一個します。
あの情報提供的話。シリアの通貨の話。
あのね、シリア最近お札を新しくしたんですよ。
お札っていうか通貨タイムを新しくしました。
シリアポンドって呼ばれるんですけど、シリアのお金。
今まで戦争中にものすごくインフルをしたっていうんですか、シリアポンドの価値が下がった。
タイドルのシリアポンドの価値が100分の1ぐらいになったんですよね、紛争の間で。
なので新しいシリアポンドの紙幣を発行して、その時にゼロ二つ取りますということを去年ぐらいからやり始めました。
去年の秋ぐらいは新しいシリアポンドを見たら、わあ新しいお金だなんて言って
古いお金の方が多く使われている感じだったんだけど、そこから急に今年の春ぐらいになったら
もうダマスカスではほとんど新しいお金ですね、なんて。
領外に行けば必ず新しいお金もらえますよね、なんて話をするようになってきて。
今回来たら政府が、あと1週間でとかっていうそういうアナウンスの仕方でした。
あと1週間の間に古いシリアポンドを銀行に持ってくれば新しい紙幣に交換してあげます。
でもその期間が過ぎたら銀行に行っても交換できませんってなったんですよ。
新しい紙幣しか使っちゃいけません。
今、機嫌つきで新しい紙幣だけを使いましょうねってなったんですよ。
そしたらもうダマスとかあれっぽでは古い紙幣でお買い物をしようとするとお断りされるようになりました。
多分今のところまだ古い紙幣でお買い物をしてもいいはずなんだけど、ルール的には制度的には。
でももうそれがあんまり流通してないから古い紙幣が。
銀行に行っても変えてもらえないからお店の人もおらいたがらないですよね。
大都会ではもうほぼ新しい紙幣に変わりました。
でもここに来たら、この辺境の田舎に来たら完全にお店で使われているのは古い紙幣だし、
つい1週間くらい前までは銀行に行っても利用会場に行っても古い紙幣しかないと言われると。
でも古い紙幣、政府のお達しによれば、最初出たお達しはもう2週間くらい前に銀行でも交換できる期限が切れますというアナウンスだったんです。
でもおかしいじゃないか、現実起こっていることは古い紙幣しか出回ってないじゃないか、新しい紙幣どこにあるんだってなってたんです、この北東部では。
で、2週間延長しますというお達しが出ました。
その2週間の期限、2週間延長の期限が明日、明日まで。
でも街では普通に買い物をする分には古い紙幣をまだみんな使っています。
新しい紙幣でも買い物できるけど、古い紙幣が当たり前に出回っています。
ガソリンスタンドだけ、ガソリン買うときだけ新しい紙幣じゃないと買えないと。
他のものはすべて古い紙幣で払うことができるという状況。
しかもまた、何と両替屋、つまりドルというのが安心な通貨として、ドルというのが当たり前の通貨だったので、日常生活の中に入り込んでいる通貨なので、
ドルとの交換レートがどうなっているかということをみんなすごい気にするんですけど、NGO職員のお給料はドルで決められていたりします。
なので、ドルとの交換レート、新しい紙幣と古い紙幣、ドルとの交換レートが違います。
100ドル持って行ったときに、新しい紙幣だったらもらえる額と古い紙幣だったらもらえる額が違います。
しかもそれが結構大きく違うということがここ2週間ぐらい起こっていました。別の通貨みたいになっている。
つまり古い紙幣を両替屋さんも売りさばきたいから、古い紙幣だったら100ドル持ってきたときに、より多くのシリアポンドがもらえるんですよ。古い紙幣でいいですといえば。
新しい紙幣だと両替レートが悪い。その差が結構2週間ぐらい前に聞いた話ではかなり大きい差があるという状況になっていました。
それをいろんな話を聞いてはいた。
昨日、自分でもちょっとやっぱりこれ調べてみよう。
実際私も古い紙幣持ってたんで、これどうしようか。騙すに戻ったら使えないんで。
両替屋さん何軒か行きました自分で。そしたらね、なんと新しい紙幣あったんですよ。
これ私、うちのスタッフたちが嘘をついているとは全く思わないので、状況が日々変わっているってことだと思います。
古い紙幣しかこの街のマーケットでも両替屋でも見ない。
2、3日前までそういう状況だったが、昨日になったら新しい紙幣入り始めてたし、両替屋さんに。
古い紙幣と新しい紙幣の差も小さくなってました。
ここで私は昨日、他の国際スタッフと話したのは、彼も古い紙幣まだ結構いっぱい持ってるって言ったんで、
これじゃあ急に20日までっていう政府の期限が来たら、急に古い紙幣使えなくなる可能性もまだあるので、
あなたもそれを使った方がいいよなんて話をしました。
面白いのは、古い紙幣は両替屋でも交換してくれない?古い紙幣から新しい紙幣。
だから政府の私は銀行に持ってったら交換してくれますっていうことだったんだけど、銀行なんてないわけですよ、この街に。
両替屋さんはありますね。民間の両替商。
両替商に行ったら手数料を取られるっていう話だったんです、交換に。
だったら普通にマーケットで使うのが一番いいよねって言ってて。
野菜とか悪くなるものそんな一度にいっぱい買えないじゃないですか、お金ちょっとまとめて使いたいってなった時に。
そういう時に一番買ったらいいものってなんだろうねって、半分エンターテイメントの会話として話した時に、
まずツナ缶。ツナ缶ね、結構ツナ缶って食べるでしょ。ちょっと高いんですよ、いいツナ缶。保存できるし。
お金の代わりになるような日用品でこの街で買えるものってなんだろうってなった時に、
はちみつ、ツナ缶、オリーブオイルなど、そういったものがいいんじゃないかっていうことになりました。
昔ブツブツ交換だった時代にカフェとして使ってたものってなんだろう、きっとそういうものがいいんだって言って考え始めたんだけど、
じゃあ小麦だろうって言われて、いやいや小麦粉は買わないよね。
1年とか置いてたら虫とか湧くかもしれない。
ツナ缶がいいっていう結論になりましたよ、私にとっては。あとはちみつ。
あともう一個は、ビール。
お酒結構売ってて、ビールは保存もできるし、嬉しいし、私はお酒飲まないけど彼はお酒飲むから、
ビールだったら、そういう時に最適だと買い溜めをするの。
よしじゃあビール買いに行こうって言って昨日ビール買いに行った。ビールとツナ缶買いに行ったんですよ。
そしたら両替屋2つくらいあって、それを覗いて話を聞いたら、なんと新しい紙幣が今日はあります。
そして古い紙幣から新しい紙幣の交換も手数料も取らずにやってくれました。
なので私の古いシリアポンドは全部使い切りました。もう持ってないです。
ダマスカスに帰る準備ができました。
しかし私はいいですよ。ダマスカスに帰るし、そうやって使い切ったりできるから。
でも銀行もない場所でタンス料金ですよ、皆さん。お金貯めてる人も。
どうしますかね、皆さん本当に。もうひどいもんですよね、その政府のアナウンス。
そんな2週間までしか交換できません。銀行に持って行ったら交換できますとか言ってるけど、銀行、どこにあるんですか、銀行。
ということで、想像としては、私たちが想像しているストーリーは、政府は古い紙幣は使えませんってなったとしても、
地元の中で交換的経済を回していくための通貨として古い紙幣はしばらくの間は使い続けられるだろう。
少なくとも野菜とか日用品を買うことにおいては、古い紙幣が急に使えなくなって紙くずになったりはしないだろうという予測を立てています。
いやでもこればかりはわからない、本当に。どういうふうに動くかわかんないです。
だからちょっと興味を持っているんですよね。こういうことも言い方悪いけど、言い方誤解を生みそうだけど面白いですね。
国が紙幣を変えてゼロ二つ取りました。
昔の紙幣には元独裁者の顔が印刷されていますから、
バシュア・ラーサドの顔が印刷されていたりもしますから、交換したい気持ちはよくわかる。
でもそれをゆっくり変更していく。
普通だったら、日本だったら古い紙幣から新しい紙幣を変えても、古い紙幣が使えなくなる期限ってないですよね。
でもここもだからもしかしたら期限はないのかもしれないけど、実際店が受け入れてくれないから使えなくなっています。
実質的にね。銀行が交換してくれる期限というものを越したら、それは市場の中でも使えなくなりますよね。
だから政府があと2週間の間なら銀行で交換できますなんて、逆にアナウンスを出したがゆえに社会的大混乱が起こり、
みんなよくわからず、本当に銀行がないような村なんていくらでもありますよ、どうするんですか皆さん。
そういうところで大混乱が起こり、でもこれお年寄りとかで、もしくは教育を受けていない家庭とかで、情報がなければどうしますか。
古い紙幣をお家の中で持っていて、大切に貯金していて、買い物を大きい家具でも買おうとか思った時に、
もう何このお金使えませんよなんて言われちゃったらかわいそうですよ。でもそんなこといくらでも起こりそう。
こういったこともね、あんまり上手にマネージできていないですね。
政府への不満と表現の自由
若干、長く話して時間の壁があるから言いますけど、シリアの新しい政府、なかなか国民からの不満というものもちょっと高まってきているらしいです。
それは、国民が政府に対して批判的な見方をする不満を持つというのは当たり前のことだし、
それを口に出して言えるというのは良いことだなと思うと同時に、
こういう国でね、政府に対して不満を持つ、そしてもう一度その政府を覆すぞなんていう動きになってしまうことを私はとってもとっても心配しています。
とても心配している。
もううんざりでしょ、紛争は。みんな紛争はうんざりだって言いますけど、
まあこの政府は長持ちしないですよっていう人もたくさんいます。
特にこの辺境地域に来ると、ちょっと車の中での雑談みたいな本音会話をする場では、
いやそんなの長持ちするわけないだろうって言いますね。
まあ、受け入れてないですよね。正当な政府として受け入れてないんだなあ。
そしてその朝土政権倒れた時は喜んだけどその後の動きに国民満足してないんだなあということは、
見えてきています。
はい、この部分本当はね、シリアの希望っていうポッドキャストの中で出してもいい。
ちょっとやっぱり出せないかなあ、なんかやっぱり難しいですよね。
はい、あの、やっぱりまだ私も警戒しているところがある。
どこまで何を言ったら私自身が安全なのかわかんないですよ。
わかんないですね。
なのであんまり政府の批判みたいなことはできない。
私が政府の批判を言うというだけじゃなくて、周りの人がこういうふうに政府を批判したっていう話だって、
ちょっとでも曲がって伝わっちゃったら誰にどういう迷惑をかけるかわかんないですからね。
ちょっとやっぱり難しいですね。
少なくともNGOの職員でいる間はできないです。
人々に迷惑をかけるリスクのある発言はできないですね。
だからそれが私がNGOはもうちょっとやめ、一旦やめるお休みをしたいって思っている理由でもありますね。
はい、こんなとこかな。今ちょっと車の音もね、うるさくなってきましたよね。
人口2万人ぐらいの街ですけど、結構やっぱり朝、車通り多いんですね。
今からちょっとスーパーマーケットで猫にあげるご飯でも買おうかな。
古い紙幣を使い道の話の中で、何か猫が喜ぶものを買ったらっていう案も出ました。
結局は納得感じゃないですか、そういうのって。
まとめてお金を使おうとした時に何を使うかっていうのは、どのようにして自分を説得するかっていう話。
何を買ったとしても自分がこれを買ったなら意味があるねって思わさせればいいっていう話だよね。
という話をしました。
はい、じゃあ以上です。ありがとうございました。また今度。
59:20
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