スマホゲームです。もともと同人誌が初で、そこからアニメ化されてゲームになって。
そうなんだ。そうか。
それは課金ポイントはどこに課金ポイントがあるんですか?
ゲームを進めるためにとか、強いキャラクターを引くためのガチャに課金をします。
今の課金は?
まんまと課金しました。
総額今のところどのくらいですか?
でもまだ3000円くらいですね。
まだで3000円なんですよ。その辺の基準が。
まあでもめちゃめちゃ課金する人しちゃうっていうもんね。
しますします。1ヶ月でだって何十万使う人もいるから。
マジで?
それにはならないようにということで、程々に楽しんで。
まあでもそのくらいハマるってことね。それでマナさん言ってたね。
マナさんは別に今まではそんなやってなかったね。
やってなかったのにガッツリハマってるので。
ちょっとこれ皆さんも一緒にFGOやらないかななんてお誘いの意味も込めて。
実はFGOからスポンサードしてもらってるとかないですよね。
違う違う違う。
ごめんごめん。もちろん冗談だけど、マナさん真面目だから今一瞬なんか真面目に受け止めちゃったけど。
全然。そうなんだちょっと。
僕も最後にロールプレイングっていうか、ゲームというかやったのってもうそのロールプレインって言っちゃいましたけど、
ドラクエとかね。
ドラクエも僕の古さわかっちゃいますけど、3くらいまででまともにやったのは4かな。
その後7くらいになってきて、前もこれ別の番組かな言ったかもしれないけど、
なんかオープニングで船で出航するんだよね。
本編本当に始まる前の準備体操みたいなところで。
そこで船の出航ができなくてやめた。
どういうこと?
周りの人に言うとありえないらしい。
だからなんかチュートリアルみたいなところでもうやめたってことなんだよね。
そんな。じゃあちょっと早川さんにはFGOはお勧めしてもあれかもしれないけど。
難しい?まさか。そのレベルだとクリアできないかもしれない。
チュートリアルで失敗する人は私今まで聞いたことがない。
厳密に言うとチュートリアルじゃないんだけど、なのでちょっとありえないらしいんで。
ちょっとでも頑張ってます。
なんかでもさっきのね、昔のバビロニアとかそういうの聞くとちょっとワクワクしてくるんで。
そうそうそう。
ちょっと見てる方、興味持ってくださった方がいたらやってみてください。
ありがとうございます。
ということで今回も本編に入っていきたいと思います。
今回は作家の清漁員流水さんのインタビューの第2回です。
なんかインタビュー聞いてて、
教養の深い人って素敵だなーってインタビュー聞いてる以外そうですけど思うことが多くて、
なんか早川さんにしても一つの話題でいろんなエピソード出てくるじゃないですか。
人とかこうやった体験とか。
例えばなんだろう、宗教の言葉でインタビュー中に出てきた目から鱗が宗教の言葉だったり、
例えばエロとかそういう言葉も愛の神のエロースから来てるとか、
さっきのゲームの話じゃないですけど、
歴史上の人物の背景を知ってることでゲームがより面白いみたいな、
そういうことってあるなと思って。
この本もなんか教養として読むのってめちゃくちゃ面白いなっていうふうに思ったんですけど、
早川さん読んでいかがでしたか?
そうですね、でも言ってもらった通りその教養としてっていうところですけど、
でもやっぱりね、なんか僕自身も日々感じますけど、
やっぱり教養って言葉はね、よく聞きますし身につけたいなと思いつつも、
日々何歳になっても圧倒的に足りないなっていうふうに思って、
だから何だ常にコンプレックスはありますけど、
そういう意味ではね、リュウスさんが今回作ってくれた本みたいに、
聖書興味あるけど、例えば論語興味あるけどね、
壁が高いなみたいな、
そういう本があると、それを崩してくれるようなこういう本があるとね、
そこからリュウスさんもインタビューの中でもおっしゃってたと思いますけど、
そこからじゃあもうちょっと次本当に何て言うんだろう、入門編の次行ってみようみたいなね、
そういうことができるので非常にありがたいなとは思います。
でも何て言うんだろう、まあそれは個人の感覚好き嫌いとかもあると思うけど、
やっぱりさっきマナさん言ったようにリュウスさん自身がバックボーンとしては当たり前だけど、
圧倒的に強要があるから、そういう人が噛み砕いて書いてるから、
だからやっぱただ優しいだけじゃないじゃん、深いし広いし、
何て言うんだろう、僕みたいな全然わからない初心者でも楽しく紐解いてもらえるし、
逆に聖書もちろん読んでる人とか、かなり詳しい人でも
こういう見方があったんですよね、まさにね、マナさんもそういう意味ではね、
ずっとカトリックの学校で、聖書のA面、B面ではなくA面だったんだけど、
でも見てた人から見てもやっぱりいろんな発見はあったわけでしょ、
ありましたありました、なんかドロドロの部分も見ないですし、
あと聖書で読むと何倍もの量をあれだけコンパクトに分かりやすくまとめてくださってるっていう部分で、
皆さんの教養でもいいし、宗教の入り口でもいいし、
そういうきっかけになればなと、このインタビューも含め思っています。
ということで清涼院流水さんと早川さんのインタビュー第2回をお聞きください。
これ今ね、当然この本はエンタメというか愛情劇としての聖書にかなりフィーチャーしてると思うんですけど、
逆にやっぱり生きる様子がとしての聖書の魅力、こちらある意味ストレートなところですけど、
流水さんなりにその辺をお話ししたいというのはどういうところにあるんですかね。
それは難しいですね、聖書って早川さんおっしゃったように、
性と俗の部分があるんですよ、すごい清らかな部分と人間の醜い部分があって、
僕はこの両方が生きる様子が成り得ると思ってて、
一つはまずその性の部分、清らかな部分で言うと、
例えば神様を中心とする清らかな世界があると信じて、
まずそこに憧れがあるじゃないですか、醜い人間私たちは、
というのが一個あるのと、それも希望になり得ると思うんですけど、
もう一個の生きる様子がとなるのは、聖書と僕が好きなのは、
人間の醜さを徹底的に描いてるんですよ。
だから僕自身ももちろん早川さんもそうだと思うし、人生ってほら修羅場が絶対何回もあるじゃないですか、
大変な状況とかがあって、そういう時に聖書を読むと似たような経験してるんですよ、
聖書の中の人たちも仲間に裏切られたりとか殺されそうになったりとか、
勘一発のところで危機を出したりとか、
その人たちは別にフィクションじゃなくて実在の人物なわけですよ、語り継がれてきた。
その人たちがものすごい希望を与えてくれますね、僕にとっては。
だからそれが生きる様子がになり得る、だから一つは理想と現実と言えると思うんですよ。
神様を中心とする理想的な世界があって、
そこへの憧れっていうのも生きる希望になり得るし、
逆にその人間の醜さを真正面から見つめてるんで、
見つめてるし見据えてるし、全く逃げないんですよ、聖書は。
それこそ土直球なんですよ。僕はそこが好きなんですよ。
現代人から見てもドン引きするような愛憎劇が出てくるんですよ、本当に。
こんなことあったの?みたいな本当に。
当時は特に男尊女卑思想がすごかった時代なんで、昔なんでしょうがない面もあったとはいえ、
やっぱり女性の人権が本当にひどいっていうか、
女性をちゃんと人間として扱ってないようなエピソードも、悲しいことなんですけど出てくるわけですよ。
ただそれはやっぱり聖書に書かれてる物語だけじゃなくて、
多分古代の社会にはあちこちであったことで、
そういうことも聖書は奇麗事だけじゃなくて、
包み隠さずに出すその潔さっていうか、
あと例えばその新約聖書の部分に言うとイエスの弟子たち、
イエスの弟子たちっていうのは後にはもう本当に聖人として尊敬されてるんですけど、
その人たちの醜ささえも包み隠さずに。
面白かったです。
そのだから、逃げないまっすぐに向き合う姿勢っていうか、
人間の醜さと本当に向き合うところが、僕はもう本当に聖書大好きなところだし、
読むたびに僕も癒されるんですよ。
だから聖書に出てくる醜い人間は決して他人事じゃなくて、
自分の中にもこういう面は絶対あるし、
この辛い思いしてる人がいるけど自分もこういう目に合うし、
でも脱することもあればそのまま苦しい時期は続くこともあると、
人生をだから再確認できるというか、
ものすごくそういう意味で、多角的に役に立つというか、
聖書を役に立つと言うとよくないかもしれないんですけど。
でもなんかいい意味でやっぱり今おっしゃってたように、
聖書なんでね、いろいろ発言を慎重になりがちになっちゃいますけど、
やっぱり誤解を恐れずに今の話が上がってきてなおさら思ったんですけど、
聖書のね、聖っていう字、どうしても神聖、日尻、
いわゆるその言葉だけを言うとまさに、しかも神に関わるものなんで、
清く正しくが聖書の聖だと思ったんですけど、
やっぱりそれこそ聖だと合わせ飲むじゃないけど、字は違いますけど、
なんかその辺も含めて人間らしさだと思うし、
それをきちんと学んだり知ることによってやっぱり僕ら、
本当の意味でのまさに生きる様子がというかね、
勇気づけられるっていうのはなんかすごく感じますよね。
だから逆に言うとね、この本の最後でもちょうどこの言葉好きだったんですけど、
ちょっと抜粋しますが、
ノルウェーの森には、
俺は時の洗礼を受けていないものを読んで貴重な時間を無駄に費やしたくないんだ。
人生は短いってありますけど、だからこそ文字通り時の洗礼これ受けてるし、
まあ脱線しますけど村上春樹さんの小説なんかも、
まあまさしくなんかすごい人のネガティブな部分とか井戸まで掘った部分とかだけど、
結構みんな癒やされたりするじゃないですか。
春樹さんとまた聖書を比べるのもナンセンスかもしれないですけど。
それはかなりの共通項だなと思いますね。
お話伺って、僕も春樹さん昔から好きで一番意識してる作家なんで、
まあいろいろ読んでますけど、そういうこと書かれてますし実際。
確信犯的にやられてますね。
そうですね。
春樹さんはもう日本の文、日本じゃないな、
その文学っていうのは人間の醜いところを見つめる手法なんだみたいなことを何度も繰り返しおっしゃってて、
それは僕も全く同感ですね。
そうですね。
そうじゃないエンタメ小説とかあるんですよ。
本当に軽いだけの小説っていうのももちろんあって、それはそれで僕いいと思うんですけど、
一方でその文学にはその人間の醜さと真正面から向き合うようなスタイルっていうのは昔からあって、
そのルーツはどこかというとやっぱり聖書だなと思いますね僕も。
ですよね。だから本当にね、この本を読ませていると僕はまだ触りの触りだと思いますけど、
いい意味でやっぱりだから奇麗事だけじゃないというか奇麗事どころか、
本当に人間の醜い部分、本質も全部そのまま、そのままというかきちんと凝縮されて書いてるから、
これほどやっぱ受け入れられるんだろうなっていうのは個人的に感じました。
ここまで話を伺っててね、やっぱり聖書、今まで全く読んだことないとか、
当然読んだけど僕のように脱落したっていう人も少し興味を持たれたかなと思うんですけど、
もうこの本だけでまさに入門書で本当に、
ご本人前にしてもらいますけど、本当に読みやすくてなんですが、
強いてそれでもやっぱり聖書ってちょっとハードル感じちゃうなっていう人に、
当然この本書のトピック、構成に触れつつでも全然構わないんですけど、
これ見てる方に、まずはこれさえ知っていれば話入っていきやすいよみたいな、
前提の知識でもいいし心構えでもいいですけど、
そういうことが例えば3つぐらい、1つでもいいんですけど、なんかあれば教えていただきたいなと。
この僕の本、例えば読んでいただいた方が聖書に捉えされたとして、
挫折される可能性が高いと思うんですよ。
高い。
それはだから聖書ってやっぱり読み方があるんですよね。
ドロドロの聖書ではそこまでは書けなかったんですけど、
将来的にもそういう本は書きたいなっていう考えももちろんありますし、
どういうことかというと読む順番ですね。
順番。
聖書の中には実は数十冊の本が入ってるんですよ。
小さな署名がついてて、例えば創世記、出世エジプト記、レビュー記とか全部本のタイトルがついてて、
聖書ってだから一冊の本じゃなくて、実は数十冊の本が集まってるんですよ。
そう聖書というとバイブルで一冊みたいなイメージ持っちゃいますよね。
だからカトリックで言うと73の本ですし、プロテスタントで言うと66の本で、
ちょっとパスが違うんですけど、それぐらい入ってるんですね。
読むにはどうすればいいかというと、ドロドロの聖書が多分役に立つかなと思うのは、
登場人物をまず把握できるという意味で役に立つんですけど、
その上で読み始めた時に、その登場人物が出てこないと挫折すると思うんですよ。
なので、ただその最初、旧約聖書の最初から読み始めると、
とりあえず創世記と出世エジプト記っていうのは物語なので、物語が続くので、
それは非常に読みやすいですけど、その後にレビュー記とかいう本がありまして、
レビュー記っていうのは当時の法律が全部書いてるんですよ。
こういうところで挫折する人が多いんで、挫折しそうな本が出てきたら飛ばすとか、
そういう心構えがあったらいいと思いますし、
あと新約聖書で言いますと、最初からマタイの福音書、マルコの福音書、
ルカの福音書、ヨハネの福音書って並んでるんですけど、
最初にあるマタイの福音書から読むと挫折するっていう話もあって、
なぜなら最初にマタイの福音書の最初にイエス・キリストの経図っていうのが出てくるんですよ。
それが長々とひたすら経図が連なってるだけで意味がわからないんで、挫折するっていう人が多いんですね。
とにかく聖書を読む鉄則は、何かの本を読み始めて、ちょっとわからないなと思ったら、
もうすぐ次の本に移ってみる。
そこでドロドロの聖書で読んだことのある登場人物が出てきたら読みやすいはずなんで、
そうしてまず読めるとこから読んでいくってしないと、前から通読するっていうのは、
挫折する可能性が非常に高いですね。
これまでも何らかの形で聖書の部分部分って、かじってるんですよね。
かじってるんですけど、やっぱりこの本のようにですね、キャラクターだったりそういう形で、
ある種の何か一つ線を持って読んだことがないので、今回個人的にやっぱりそういう意味では、
ドロドロの聖書ってすごく一つの指針になるかなと思いつつ、
やっぱり僕としてはもう初めにの時点で、やっぱり旧約聖書と新約聖書、
なんとなくわかってたつもりなんですけど、さらっとリュースは2行でね、
旧約、新約というのは神と昔の人たちとの間に交わされた約束、
かっこ契約の新規を示しています。
翻訳が新しくなった、かっこ旧約から新約になったというわけではありませんって書いてくださったんですけど、
僕まさにここから確かになんかその辺もごちゃごちゃになってたんで、
意外ともうその辺からつまずく人もやっぱいるんですか。
そうですね。
何が違うんだろうみたいな。
だから旧約聖書って読まなきゃいけないのと思ってる人も実際いますし、
実際そのクリスチャンの中にも読まなくていいみたいに言う方もいらっしゃいますし、
新約だけ読めばいいんじゃないかっていうスタンスの方もいらっしゃいますから実際。
ただ一応聖書っていうのは旧約と新約がセットになっているということで、
ただそのノンクリスチャンの方からしたらどう違うのってまさにそこがわからないですよね。
どう違うしどっち先に読めばいいのみたいなのもありますし。
そしてまあこれだけでまた本格的に話したら一晩になっちゃいますけど、
当然ねキリストはどっちに出てきてどうなんだろうとか、
この聖書においてキリストの存在って何なんだろうとか、
なんかこの辺ここでさらっと1分でとても語れることを3分で語ることじゃないと思うんですけど、
ただまあこれから読んでみたい人にとって、
いわゆる新約旧約そしてキリストをここだけ押さえておくとなんかここから入ってきやすいみたいなことってあるんですか。
僕はもともと水書説を書くミステリー作家としてレビューしたような面もあって、
もちろんミステリー書いてきましたし読むのも好きなんですけど、
僕が聖書に魅了された最大の理由は聖書って究極のミステリーなんですよ。
もう一度最高最大のミステリーなんですよ。
何がミステリーかというとまずその旧約聖書っていうのは、
僕前書きでも書いてるんですけど問題編なんですよ実は。
謎が提示されてるんですよ旧約聖書で。
新約聖書は解き明かされる解決編なんですよ。
どういうことかと言いますと旧約聖書ってまあたくさんの本があって、
いろいろ古代のドラマが書かれてるんですけど、
実は一つのメッセージが貫かれてるんですね。
それは何かというと旧約聖書の中のメッセージ一番大事なのは、
将来キリストという人物が現れるぞっていうことをひたすら言ってるんですよ。
そのキリストを待ち望む歴史が旧約聖書なんですよ。
旧約聖書は全部そのためにあるんですね。
で新約聖書はそのキリストが出てきました。
このイエスという人がどうやらキリストらしいですよっていうのが新約聖書で、
新約聖書はその種明かしをひたすらしてる本なんですよ。
旧約聖書でこう書いてましたけど、これはイエスのここに該当するんで、
イエスはどうもキリストらしいですっていうことをひたすら解き明かして言ってるわけですね。
だから旧約聖書はそのいずれキリストっていうのは出てくるらしいよっていう謎を提示してて、
新約聖書はイエスは本当にキリストなのかそうじゃないのかっていう解決編、
スリリングな解決編なんですよ。
でも本当に奥が深くて、キリストの正体とかだけじゃなくてもっと様々な謎があって、
絶対人類に解き明かすのは無理なんですよ。
100%解くのは無理で、多分今ずっと2000年間研究されて、
90%くらいはもしかしたらわかってるのかもしれないですけど最前線で言うと、
ただ100分かるのは絶対人間には多分無理なんですよ。
そこには理由がありまして、
クリスチャンの中では聖書っていうのは実は神様からのラブレターだっていう言葉があるんですね。
どういうことかと言いますとね、
聖書っていうのは何十冊の本があって何十人もの著者がいるんですよ。
その著者たちがもちろん人間が書いてるんですけど、
キリスト教の世界では神様がその著者たちを選んで、
インスピレーションを与えて書かせたって信じるんですよクリスチャンは。
つまり真の作者は神だと考えるんですね。
そう考えるとその聖書は全部神様のメッセージだし、
だからそのクリスチャンにとっては聖書は神様からのラブレターと言われたりするんですけど、
僕からするともう一個の意味は神様からの挑戦状でもあるっていうか、
この謎が解けるか君たちはちゃんとわかるかと問いかけてるような、
その読者への挑戦状でもあるっていう、ミステリーにはその読者への挑戦状というジャンルがあるんですよ。
作者がこの謎を解けますかって途中で読者に言うっていう形式がありまして、
そういう感じを僕はいい意味で感じるんですよね。
だからその謎解きが本当にとにかく面白いっていうか、
もちろん最初は僕も理解度0%だったわけですけど、
勉強ずっと何年も続けたら上がっていくじゃないですか理解度が。
その理解度が上がれば上がるほど面白くなっていくっていうのは、
早川さんのいろんな生活でもあると思うんですけど。
これでもさっきの話でいくと90%くらいは聖書の謎がおそらく解けてきてるでしょう。
ただ残りの10%はまだまだってことだと思いますけど、
リウスさんなりにその解けてないことってどういうことなんでしょうね。
いやもうこれはキリがないくらいありますよ。
だから謎の描写みたいなのが多いんですよね。
謎の描写。
聖書は謎の描写がかなり多くあって、
これはどういう意味なんだろうみたいなのを延々と学者たちが考えてて、
聖書って転写されてるんですよね。書き写されてて。
日本書は印刷機なんかないから、書き写されてて転写ミスとかもあるんですよ。
だからこの単語の意味わからないけどこれなんだろう。
言って後に解き明かされた単語もあれば、
未だにこの単語は意味わかりませんっていう単語があったりとか、
新約聖書ではイエス・キリストの言葉が謎に満ちてて、
これも現在解釈できてるものもあれば、
全く意味不明の言葉っていうのも実はいくつもあって、
例えば一個絶対浮かぶのは、
イエス・キリストはもちろん愛とか人間の良い部分を説いてるんですけど、
すごい謎めいてる言葉の一つとして有名なのが、
不正に気づいた富を使って友人を作りなさいって教えてるところがあって、
どういうことだ。
それはイエス・キリストの教えて矛盾するんじゃないかとクリスチャンも戸惑うんですよ。
とてもキリストの言葉とは思えないですよね。
不正に気づいた富を使って友人を作れる。
どう考えてもおかしいじゃないですか。
キリストレベルじゃなくて一般人の感覚からしてもおかしい。
だからそういう言葉が複数にあるんですよ。
いろいろ解釈はされてるんですよ。
不正の富っていうのは、
そもそも富自体がけがらしいものみたいな考え方もキリスト教ではあるので、
そういう意味で不正に気づいた富って言ってるんじゃないかとか。
その言葉一つ一つとっても本当に謎に満ちてるんですよね。
謎っていう意味では今、
聖書っていうのは当然生きる様子としての聖書、
その中にエンタメも含まれてると思いますけど、
やっぱりどうしても過去、何千年も前のこととかっていうイメージがあるんですけど、
これからの時代、それが予言書、暗示書としてっていうことなのか、
まさに今の時代必要な何かが隠されているとか、
そういう側面もあったりするんですか?
ありますね。
やっぱり生きるヒントが詰まってるというか、
これを僕は一般大衆も本能的に察知してるんじゃないかなと思うことがあって、
何かと言いますと、
実は数年前にキリスト教書籍のブームっていうのが実は一回あったんですよ。
で、それいつかっていうと2011年なんですよ。
まさに震災。
震災があった時に皆さん、やっぱりノンクリスチャンの人たちも、
やっぱりそれこそ生きる様子を見失って、
こんな震災が起きる社会でどうすればいいんだと、
やっぱ誰もがオロオロしたんですよ。
その2011年にキリスト教の大ヒット作とかがいくつか生まれて、
キリスト教書籍のブームっていうのは実はあったんですね。
だから、不思議なキリスト教という新書が大ベストセラーになったり、
雑誌のペンのキリスト教特集っていうのが何十万本売れたりとか、
ちょっとしたブームみたいなことがあって、
これは僕の考えでは東日本大震災と全然無関係ではないと思いましたし、
だから今日早川さんからご質問あるかなと思ったのは、
コロナ禍の影響とか聞いてみたいと思われてるかもしれないですけど、
僕自身はコロナの影響をあんまり受けなかったんですけど、幸いにも。
コロナ禍の今だからこの聖書を知ってほしいっていう意味では、
自分の中にすごい必然性があったっていうか、
今がまさにこれ世に問うタイミングなんじゃないかと。
だから東日本大震災も大変な時でしたけど、
コロナ禍もまだ全然別種ですけど、やはり大変な試練に今人類全体が遭遇してて。
その中でね、このドロドロの聖書の中にいろんなトピック入ってますけど、
愛憎劇という言葉だけを聞くと、
それこそこのコロナ禍とか震災のところと全く関係ないことはないんですけど、
またちょっと距離があるようにひょっとしたら感じる方もいるかもしれませんけど、
でも全然個人的には読んだ上でそんなことないと思ってて、
当然さっきリュウツさんおっしゃったようにね、
全ての人に人間関係とかって関わってくる中で、
それが特にこういう先の見えない時代だったり、
天災・人災が起きた時ほどそういうものがあらわになると思うので、
非常にまさに今こそだと思うんですけど、
リュウツさんの中でこれ全て読んでほしいと思うんですけど、
特にあんまりネタ割りすぎちゃったんですけど、
特にやっぱり今のこの時代、
特にこの2022年、今これは撮ってるのは3月ですけど、
なんかここは特に個人的な思い出でもいいですけど、
ベストトピックじゃないですけど、何かありますか?
読者の方に特に読んでいただきたいとすれば、
第3章でダビデという人物が出てくるんですけど、
有名ですよね、ダビデ。
だから自殺せずに悔い改めてたら許されてたけど、
悔い改めるんじゃなくて自殺するのは良くないよねっていうことで、
ユダが汚名を残したということなんですね。
エンディングのお時間です。
インタビューでは皆様からの早川さんへのご質問、
番組へのご感想、取り上げてほしいテーマなどを募集しております。
概要欄のURLからどしどしお寄せください。
またいただいたご質問等は月末のYouTubeライブにてお答えしていく予定です。
今月のライブは5月の31日火曜日夜19時からです。
たくさんのご質問募集しております。
そして人と一対一で会う前、会った時、会った後に何をするか。
署名人から資生の人に至るまで18年間で2000人以上にインタビューされてきた早川さんが、
そのすべてを余すことなくお伝えしているあうちから養成講座。
早川さんからの無制限コンサルティングがついた映像コースと、
リーズナブルな価格でスタートできる音声コースの2つからお好みの受講方法をお選びいただけます。
詳細や受講のお申し込みは概要欄に記載してあるあうちから養成講座のURL、ホームページをご覧ください。
そしてもう一つお知らせです。
早川さんと参加者の方がお気に入りの本をシェアし合うQRカフェも、
5月の18日金曜日19時からZoomにて開催します。
今月の本を教えてください。
今月はですね、公文写真書から発売されている、
映画を早送りで見る人たち、ファスト映画、ネタバレ、コンテンツ消費の現在形ということでですね、
最近Netflixだったりプライム、Amazonはまだないかな。
Amazonはないですね。
Netflixとかあるように倍速で1.5倍とか2倍とか、
Apple TVプラスの最近つきましたけど、なってきてて、
僕なんか昔何か学ぶときにね、
そういう講演だったり授業を学ぶときに結構倍速で聞くとかっていうのはあったんですけど、
どうもね、マナさんとかとお話ししてて、そこだけじゃなく、
映像とかも早送りしたりとか、実際マナさんもそういう時あるみたい。
最近はとうとうミュージックビデオまでちょっと早送りに仕掛けていて、
ちょっとやばいなと自分でも思っております。
そうなんですね。まさに、いい割は別として、
まさにそういうやっぱり人がすごく増えてきてると思うので、
そういったことをね、
マナさんもね、QRカフェも結構日程会うときに参加してくれてるので、
また5月もね、日程会うときにぜひ、
マナさんなんかまさにこれ、結構意識して選書したのもあるので、
いろいろ話し聞いてみたいなと思ってますし、
その背景に一体何があるのかっていうこと、この本にも書かれてますし、
僕らなりにそのQRカフェの中で、別にアカデミックにっていうより気軽に、
ラフな感じでみんなで持ち寄って、
それぞれの本も持ち合ったりしながら、この本について、
そしてそれぞれの本について語り合いたいなと思ってますので、
よかったら遊びに来てください。
はい。5月18日水曜日ですね。19時からお待ちしております。
ということで、エンディングのお時間です。