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みなさん、こんにちは。あるいは、こんばんは。場合によっては、おはようございます。
いかいちかわ第二百二十二回目というですね、二が三つ並んだ回数を数えました。第二百二十二回目の放送。
たった今、始まりましたけれども、今話しているですね、私はですね、ノスタルジー鈴木と申しまして、このいかいちかわのポッドキャスト、このいかいちかわのですね、メインパーソナリティのうちの一人でございます。
いつも一緒にお送りしている稲村ジャインさんはですね、ちょっと今日はお休みというわけで、私一人で収録をしておりますけれども、
前回の二百二十一回目の放送の続編みたいなもんですね、今日のこの二百二十二回目の内容というのは。
この前回とそして今回のこの二回を通じてですね、2025年の5月24日土曜日にですね、市川駅の南口にあるアイリンクルームというところで行われた、紙芝居で考える戦争と平和というイベントがありましたけれども、
この内容をちょっと紹介しております。
私はですね、実はこのイベントで司会進行をですね、務めましたというわけでございまして、そんなこともありまして、参加したこのイベントの概要というか、
それからそこから派生して市川市に行って、市川市と戦争の関係みたいなものがかなり色濃くあるんだよということをちょっとお話をしたわけでございます。
この二百二十二回目の放送もその続きという形でやってみたいなと思うんですけど、この二百二十一回目でもお話ししたんですけど、
例えば河野大スタジアムとか里見公園とか、あるいは千葉小川大学であったり、和洋女子大学とか、というようなところが、戦争の歴史とですね、かなり直接的にその中身だというよりはその場所がですね、立地が大きく関わっているというようなお話をしました。
前回はちょっと触れなかったかもしれませんけど、空襲というのが太平洋戦争の末期の方に行われていましたけど、アメリカ軍からですね。
有名なのは東京大空襲ですけど、空襲という意味では原爆というのがですね、空襲、空爆の一種、その最もひどいものの一つだと言えると思いますけど、
いわゆる空襲はですね、東京大空襲は3月10日の未明にあったわけですけど、全国の都市で数え切れないくらい行われたわけですね。
市川もですね、空襲が行われました。その空襲というのが東京大空襲のような大規模な作戦だったかどうかというと、そうではないかなという気もしていて、
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東京大空襲、東京で空襲を行った後の帰りの飛行機が、戦闘機が千葉県に爆弾を落としていったという話もあるんですが、
例えば日系ゴルドンプラザですね、こちらがその戦争の時にはですね、日系、日本競技さんの中山工場という巨大な工場がありましたけれども、その中山工場に空爆、空襲されておりまして、
中山工場というのは1600坪、5280平方メートル、これが全焼したということですね。
この場所はですね、3月の10日未明、9日深夜もですけど、その12日前の2月25日にも爆撃を受けているようなんですね。
他にも市川市内でいうと、市川神殿のあたり、中山あたりですね、激洋寺の門の前とかですかね、それから菅野とか、国分とか、みたいなところあたりも爆撃を受けているということなんですね。
ゴルドンプラザというのは多くの人が訪れるわけですけど、ここでそんなことがあったんだということを訪れた人は知る用心もないというか、なんかそこに爆弾が落とされて被害に遭ったんだという石碑みたいなものでもあればですね、モニュメントとかがあればいいのになというふうにいつもちょっと思っているんですけれども、
例えば高野大スタジアムが新しく今年春にリニューアルオープンしましたけれども、スポーツのメッカとしてそこが親しまれるのは素晴らしいことではあるんですけれども、そのスタジアムとか高野大スポーツセンターとかのところに、かつてここが陸軍の関連施設がありましたよみたいなこととかですね、
ここで兵隊さんが訓練をして、そして西日露戦争とかまた日露戦争に至るまで陸軍がここから、ここで兵隊が鍛えられていって、アジアに出ていったみたいな、そんな歴史が書かれているところもあるのかもしれませんけど、あまり大きく示されているわけじゃないんですけど、そういうものを示していくということが平和教育でもあるだろうし、
昭和の時代、大日本全国であった時代と今が分断されているわけではなく、つながっているんだということを感じる良いきっかけになるはずであろうというふうにも私、確信しております。確信というか、思っています。
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この2025年の5月24日に行われましたイベント、紙芝居で考える戦争と平和なんですが、ここで前回の放送で紹介した紙芝居の2つの作品ですね。
以外に、市川と戦争についての関連の話ということで、お話がありまして、平井博春さんという方が当時大変戦争の頃に幼いお子様があったということで、その時の経験談をお話いただいたと。紙芝居以外にそういう話をしてもらうコーナーがあったということを、ちょっとだけ前回の放送で触れておりますけれども、
この方が言っていたのは、戦争というのはとにかく最悪であるということを、子供にとっては最悪だということを繰り返し述べておられました。
一つはまず、食べるものが少ない、特にお菓子みたいなものは全然なくて、いつも空腹だということですね。いつも空腹で苦しんでいるということ。
あとは空爆、さっきも述べた空爆、これの恐怖。サイレンがバーッと鳴るとアメリカ軍の戦闘機が飛んでくる。
サイレンが鳴るということは、もうすぐこっちの方に向かってやってくるということを知らせる意味があるわけですけれども、警告しているわけですけれども、戦闘機は非常に速いですよね。
マッハで進んできますので、サイレンが鳴るとあっという間にやってくると。
市川の上空に平井さんの、多分高野台とかの近くだと思うんですけれども、お住まいだったのが江戸川に近いところだと言っていましたので。
サイレンが鳴るとですね、平井さん曰く、当時はどんな家でもあっても庭がありまして、その庭に強制的に国から命令で防空壕を掘れと、穴を掘れと。
そして風襲があるというときにサイレンが鳴ると、すぐにもうそこの防空壕に入るんだと、入って隠れろということを言われていたということでした。
平井少年はですね、しょっちゅうサイレンが鳴って飛行機がやってくるので、そのサイレンの音の違いで、ロッキード社の戦闘機とグラマン社の戦闘機ってあるんですけれども、
音で、サイレンじゃないか、飛行機の音ですね、ジェットの音でですね、どっちの企業の戦闘機かわかったらしいんですね。
その防空壕に入ったと。防空壕に入るというのは、いろんな映画とか、アニメ映画とか、実写の映画とかでも見たことがある、私もあると思うんですけど、皆さんもあるかもしれませんけど、平井さんの話で、これも最悪な体験だったと。
まず冬であればそれは寒いですし、暑い季節だとジメジメして、それも耐え難いと。そして耳水みたいな虫とかがいっぱい張っていたりするんですね、土の中なので。
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気持ち悪かったと、ジメジメしているし気持ち悪いし虫もいるし気持ち悪いということをおっしゃっていました。
こういう生々しい話というのはなかなか質感というんですか、肌感覚というかそういうものを直接体験された方の話を聞くとすごく伝わってきて、本当に戦争なんていうのが嫌なもんだなというのが最悪だなというのがよく伝わってきましたね。
いちかわ氏と戦争の関係って結構いろいろとあるよということを改めて考えたわけですけど、平井さんがこんなことを言っていました。
小さい子供だったんですけど当時、戦争の当時に小学校のあたりで三輪車に乗っていたんですね。小さいころだったので三輪車に乗っていたので、三輪車はご自身にとって宝物のようなもので、なかなか当時三輪車を戦争の最中に持っている人っていなかったらしいんですね、ほとんど。それもあって宝物だったと。
ある日ですね、あっちの方から向こうの方から軍隊のトラックがやってきてですね、パッと兵隊がやってきて、平井さんの三輪車を奪っていたと。当時教室と言いますけど、教室させられるというふうに言うんですけど、命令があってですね、金属類回収令というのが1941年からあったと。
日中戦争から大洋戦争にかけて戦局がどんどん激しくなっていて、武士、特に武器を作る、戦闘機とかを作る金属が足りないというので、あらゆるところから金属を回収する、マンホールとかも回収したりしていたわけですね。
あとお寺の釣り金とかもどんどん回収して武器にしていこうと。子供の三輪車までそんなふうにしちゃったというエピソード。平井少年は、もうとにかく宝物だから泣いて持っていかないと言ったけれども、その願いをむなしく持っていかれちゃったという、一生忘れられない最悪の記憶ですよね。
本当にいろんなものが持っていかれて、お寺の金って言いましたけど、例えばママさんの無法寺ってありますけど、無法寺に今は金があるんですけども、実はそれは戦後に作られたもので、もともとは官営15年、西暦でいうと1638年、徳川家光の時代ですね。
幕府が開かれて30何年ということなんで、その頃に作られた金があったんですけど、大変よ戦争の時に持っていかれちゃったということです。
あと例えば中山博教授の通称中山大仏こと釈迦如来座像、座っている大きな仏像があります。
これは実は現存するんですけど、中山大仏さんの紹介文を見てみると、江戸の町中とその近郊に現存する9体の大仏というのがあるらしいんですけど、その中では最大だということなんですね。
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より広く関東を見ると、鎌倉大仏とかも含めると巨大なので、それを含めれば2番目ということになるのかなと思いますけど、江戸とその近郊というエリアに限定すると9体の大仏があって、その中で最大ということなんです。
でもちょっとこれ気になるのは、現存するということなんですね。つまり、私も調べたわけじゃないんですけど、かなりこの仏像がですね、中山大仏より大きいかどうかは別として、今9体の大仏が残っていると言いますけど、実際は戦争の時までにもっとあって、かなり仏像も供出されたんじゃないかなというふうに想像しています。
実際どうか調べなきゃわからないんですけど。
さっき言ったママさんの鐘という話もありましたけど、市川市で言うとですね、私がちょっと確認して分かった範囲で言うと、2つ例がありまして、江戸という地方にある江戸という地名があります。
江戸に禅師おじさんというお寺があって、400年前に建てられたお寺なんですけど、こちらの盆晶、釣り金ですね、これも大変予選争で元々あった金は持っていかれてしまいまして、戦後ですね、10年後に新しく作られたということです。
あと下信宿というところにある大徳寺ですね。
この下信宿というところは行徳側ですね。
そちらにある大徳寺の鐘も、今あるものは戦後に作り直されたもので、もしかしたらないのかもしれないですね。
当時あったものは持っていかれちゃったと供出させられた。
これはどこのお寺でもそうだと思いますけど、6時になったら鳴らすとかありますよね、平時、帝国を知らせるものなので、この大徳寺さんの鐘も持っていかれるまでは、時の鐘として親しまれていたものだったということなんですね。
こういった子供の三輪車とか、お寺の鐘とか、マンホールとか、あらゆるものを持っていかれちゃって、戦闘機を作るということです。
その戦闘機に乗って攻撃をしに行く、勝ち目があるかどうかというのが定かじゃない、攻撃をせざるを得ない大徳寺さんというのも本当に悲惨ですし、いいことなんか一個もないというこの戦争だなというのが改めて思いました。
あとですね、こんなこともありました。
今の市川間前駅の北口に現在、本田定次郎という人の呪像というのがあります。呪像というのは、その人物が生きているうちに作っていくその人物の像ですね。
本田定次郎さんが生きているうちに作られた像という、書かれた版があるんですけど、実際にはその像はないんです。
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というのも、銅像が本田さんが生きているときに作られたんですけど、やっぱり戦争のときの金属教室でも持っていかれちゃったということなんですね。
今もそのときの台座にあったものを生かして火を残してはいるんですけども。
この方はですね、京成の初代の社長だったり、京成電鉄の初代の社長で、市川市長というか当時市川町長にもなったことがあって、衆議院議員とか千葉県議とかだったかな、そういうのを務めた方でした。
偉大な人なんで、その像が作られたんだけども、戦争中に持っていかれてしまったということです。何でもかんでも持っていくということなんですね。
何でもかんでもというか、市川市といえば、ママのあたりにもあるかもしれませんが、ママに近い菅野という町がありまして、特にここは今でも黒松、市川市の木といえば黒松ですけど、黒松が生えていて、町の景観を形作る、景観を形成する存在として黒松というのがあります。
斜めに伸びている、ひょろっと伸びている黒松。黒松は市内にまだ結構残っているんですけど、その一部には、戦争の文字通り傷跡が残っている。皮肉的ではありませんが、本当の傷も残っている。
何かというと、飛行機の燃料、石油が足りないので、黒松の皮を剥くと、松柳というのが出てきますよね。
根っこからも油が取れるようなんですけど、こういうものを取って、市民に自分で松から取って集めるようにというふうに、軍部から指示があったと。命令があったということで、実際に市川市の市民融資などで作られている市民団体の市川緑の市民フォーラムというのがあるんですが、
こちらが何年か前に、市内の1783本もの黒松を調べたところ、こういう松柳を取った跡が残っている木が71本あったと。
その可能性があるけど、判断未定のものというのは286本あったということを調査をしまして、
4年前、2021年にその報告書にまとめまして、市川市の教育委員会に報告書を提出したと。
そして、この戦争の傷跡というものを残している黒松を保護保全するとともに、戦争遺跡というものに指定をしてほしいというような要望書も出したということでしたね。
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本当に今も残っているもの、あるいは残っていないもの、金があるはずなのにないお寺とかあると思いますけど、多分それはほとんど戦争に出されてしまったものだということだと思いますし、
お寺で非常に堂々たる大きな金があった場合にも説明の看板が出ていたりすると見てみると、それがもともとずっと昔からあるのか、戦争の時に供出されちゃって再び作り直されたものかというのが書いてあったりすると思うので、それを見てみるのもいいかなと。
私も見てみたいなと思いましたね。
傷跡がある松も実際に見たことがないと思うので、見てみたいなと思います。
戦争遺跡ってさっき傷がついた黒松を戦争遺跡に指定してほしいということを市川みどりの市民フォーラムの人たちが要望書に出していましたけれども、
そういう戦争遺跡、かっこかり、まだ実際にそう指定されたわけじゃないかもしれないけれども、ほぼそういうものであるというものをたどる、たぶん散歩ツアーみたいなのを市内でやっている人たちがいると思うんですね、おそらく。
ちょっと調べてそういうのに参加してみてもいいかなと思っています。もちろん一人で行ってもいいですし、1階1階でツアーを組んでもいいかなと思っていますけれども。
そんなわけで前回に続いて、紙芝居で考える戦争と平和というイベント、これが5月24日に行われまして、この収録しているのは5月25日の2名というか、24日から日付が変わって真夜中なんですけれども、
真夜中のダンディとして私は今話しておりますけれども、放送中には何かお菓子とか食べたりせず、もうこの時間なので歯磨きはもう済ませているのでもうそういうことはしませんけれども、また2回連続、戦争と平和についての内容のお話となりました。
非常に重要な内容だと思っていますし、1階1階ではコーナーを混ぜていろんな話をするんですけれども、私はいろいろとやっている中で結構、心に決めたというか、能動的にお礼を選び取ったというよりは自然にそうなってきているんですけれども、
いろんな話題を、全てとは言いませんけど、さまざまな話題をなるべく広くシームレスに滑らかに話をつなぐというか、あたかのクラブDJが本来その2曲ってそんなに急に繋いだら違和感あるだろうというようなものでもうまく繋いでフロアでダンスを続けられるような感じで繋いだりします。
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私もこのトークをですね、トークとか文章でもそうですけど、いろんな内容のものを、これは意図してというよりは自然に、あるいはむしろ計算した上で、柔らかい話題の中に固い話題を入れていったり、固い話題の中に柔らかいものを挟み込んでいったりと、戦争の話をしながらお菓子の話をしたり、いろんなことをそういうふうにやれるのが自分のスタイルかなと思っているので、そんなふうに最近思うようになりまして、
スタイルがあると決まっちゃうと、スタイルが硬直しちゃうとつまらないということもあるんですけど、シームレスにやっていくというのは考え方でもあると、DJ的な発想でもあるかなというふうに思っていますので、そんなふうに今後もやっていきたいなと思っています。
では本日の放送、いかいちか第222回目の放送は以上で終了したいと思いますけれども、また近いうちにぜひお耳にかかりたいと思っております。
そろそろ本当に稲村ジェンさんと一緒に収録したいなと、放送したいなと思っています。
それではまた次回、223回目でお耳にかかりましょう。
ノスタルジー鈴木でした。