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2026-10-03 20:04

伊秩弘将のMusic Share Lounge 第13回 SPEEDデビュー30周年 ソロ活動~再結成編①

音楽活動歴40年の音楽プロデューサー伊秩弘将が過去、現在、未来を俯瞰しながら音楽の魅力と本日をプロの視点でゆっくり共有するラウンジトーク番組。

第13回 SPEEDデビュー30周年 ソロ活動~再結成編①

 

出演:伊秩弘将

制作・著作:アワーソングス第2制作部 2nd Lab.

https://oursongs2ndlab.com

https://x.com/OS_2ndlab

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サマリー

今回は、SPEEDの解散前後から島袋寛子と今井絵理子のソロ活動、そして再結成期に至る音楽制作について伊秩弘将が振り返る。SPEEDでは4人を一つの素材として捉えていたが、「All My True Love」をきっかけに、寛子には張った高音、絵理子には本人を中心にしたグループ性という異なる方向を見いだした。解散直前、歌を続けられるか瀬戸際だった寛子に対し、伊秩は「歌やめないでください」と伝え、名古屋ドームの楽屋で浮かんだ「Bright Daylight」を小さなキーボードで録音した。SPEEDは1999年12月25日の福岡ドーム公演で実質的に終わり、2000年2月には寛子のソロシングルが発売された。

SPEEDの4人組からソロ素材へ
伊秩弘将のMusic Share Lounge
伊秩弘将のMusic Share Lounge
前回、島袋裕子さんが3回にわたってゲストを出演いただき、
さらにその前には、スピードについて、3回にわたって伊秩弘さんがお話ししていた。
相当深掘りをしたという。
したということなんですが、今回と次回においては、
再結成のこととか、その活動について、もうちょっと深い話を聞けたらなと思って。
でもね、あんなに弘子とちゃんと喋ったのは、意外と初めてぐらいかな。
ちょこちょこは、この30年の間でね、特に最初の4年5年は深かったけども、
間もずっと会ってたこともあったけどね。
だけどあれだけ、やっぱり客観的に話せたっていうのはすごかったよね。
なんか多分あれじゃないですか、割と普段スタジオとかで会ってる時の会話に近いっていうか、距離感というか。
距離感はね、もっとフランクだけどね。
だけど、かなり本人の中では力が抜けていたんじゃないかな。
いや本当、素晴らしい会でしたね。
なんか楽しかったですね。
特にスピード、最初の解散の時の話までが多分中心だったと思うんで。
はいはい、ロングエフォーム。
だからそれ以降の話を、もうちょっと話聞けたらなと思って、今回話聞いていきたいなと思っておりました。
はいはい。
じゃあちょっとこれもう、どんどん質問していくみたいな感じで。
今回は。
はい。
はい。
ソロ。
ソロか。
あのね、何回も僕が話したことなんですけど、
スピードというものはね、その最初のロングエフォーム、いわゆる解散までの中は、
もう4×1、4人で1つのスピード。
で、その区切った後は1×4で1回戻ってきて、
Be My Loveのあたりはそれぞれの1が、個性が出てきて1×4だったんだけど、
本当に4×1で僕がやってきたのね。
でその、本当に後半ではあるんだけど、
真っ最中、真っ只中の時に、
ヒロコとエリのソロをやってみないかという話が来たのね。
あえて4人で1つというのは、1人1人は素材なんだけども、
例えばその中でもメインボーカルであるヒロコとエリコっていうのは、
例えば、もちろんソロで撮ってるパートも当然多いんだけど、
そのソロで撮っていても、必ず他の3人を頭に描いて撮ってたから、
完璧なソロじゃないし、
ヒロコとエリコのそのユニゾンは、本当に1つのブース、
すごい狭いブースに2人を入れて同時に撮ってたから、
それもヒロコとエリコのユニゾンで、
そのユニゾン撮ってる時は、必ず1人ずつの声は1回も聞いたことなくて、
本当に2人で1つのキャラを撮ってたので、
その時も他の2人のことを頭に入れながら撮ったと。
だから、全くそのヒロコとエリコという素材を考えてやるというのは、
もう別物なのね。
だから初めてそこから、この4人の中から素材を、
ヒロコとエリコをフッと取り出したわけ。初めて。
それが、All My True Loveっていう初のマキシシングルの時の
カップリングでやろうということになったので、
まさにスピードという大枠の中に、ちょろちょろっと素材を出したという感じだったので、
島袋寛子と今井絵理子のソロ像
最初その話、ソロで入れてみたいって話だった時、
これどう思いました?単純に。
だから本当にそのぐらい、4人だっていうことだったので、
素材を撮るということをすごく意識した。
出してみたら、意外と面白かったんだよね。
だからソロになって、ソロをこういう風にしたいということじゃなくて、
考えることを差し迫って、僕が考えた時に、
ヒロコはもうその当時は、ものすごいハイトーンで、
ファルセットとかっていうことは裏声っていうことは一切使わずに、
とにかくぶつけると。
自声でぶつけるっていうことがテーマだったよね。
で、もちろんそれはそのままスピードの一輪だからやりたいと。
で、えりこを一つ撮った時に、
あのね、ソロじゃないと思ったんだよね。
えりこは、えりこ主体のグループを作りたいと思ったの。
それでそうなったんですか?
そう、それでね、クランチっていう言葉をね、浮かんだんだよね。
えりこ with クランチ。
だからとにかくなんつーの、
あの、やっぱりえりって、
エッチが効いててね。
まあ、エッチの話は後で言うけど。
やっぱり、そういうポピュラリティっていうものが非常にあってさ。
それ真ん中にいて、で、なんか引いてる感じ。
えりが真ん中で。
というのが浮かび、
2人のソロを考える時に見つめていたいというね。
スピードでは初の日本語タイトルをヒロコでやりたいなと。
声は張ってんだけど、やっぱりちょっと包容力というのかな。
なんかそういうのがまだ、
当時14、15歳なんだけど、もしかしたらそういうものが出そうな感じで。
えりは延々に張ってる声。
という感じで、
ヒロコの方がえりより年下なんだけども、
ちょっと大人っぽい。
なるほどね。
包み込むような感じの歌に見つめていたい。
で、えりはえり主人公で、
やたらまっすぐなんだけど、
歌で弱いっていうこのスピードのキャラをそのまま継承した、
冷たくしないで。
延々好きな人を待ってるというね。
冬の寒い中。
そういうのが浮かんだというのは、
だからソロになってこういうことをやりたいっていうんじゃなくて、
話をいただいてっていう。
解散直前の寛子と「Bright Daylight」
ヒロちゃんに関してなんですけど、
そのヒロちゃんの音楽を作るとき、
スピードの島袋ヒロコは何を一番買い落としたか。
その声の使い方とか、
メロディー、歌詞の使い感、サウンド。
実際の中でスピードでは見せていなかった島袋ヒロコを見せたいという意識はありましたか。
あのね、当時を振り返ると、
解散した後の話だよね。
そのソロをやるというのは。
ロングウェイホームというもので一つの物語がここで集結するんだけど。
その前ぐらいに、その後にソロを出していこうという話が出てたんだけども、
ヒロコに関してはもう本人がいっぱいいっぱいで、
もう歌もちょっと続けられないんじゃないかと。
僕もお母さんと電話で1時間ぐらい話したのよ。
いやヒロコの歌はいいからやめないでくださいねって伝えてって。
だってまだ中学3年生だからね。
解散する直前が。
だからそこでいろんなものを背負ってね、
いろんなこと言われたりとかしながらね、やってきて。
もし音楽を続けるんだったら、
それこそ芸能活動いろんなことCMか何かやってたけども、
音楽一本であれば何とか続けられるような感じだったので、
もうギリギリのとこだったんだよね。
だからソロになってどうしますかというよりも、
歌やめないでくださいって。
そこからって感じですね。
それをちょっとお話をしながら、本人にも言いながらっていう感じの頃だったから、
なんかぐしゃぐしゃだったんだよね、本人も。
だからもう張って歌うスピードは見つめていたいで、
一回ソロでオールマイトルーラブで出してるけども、
だから思うとその1年くらい前なのかね、
98年にオールマイトルーラブ出して、
99年の同じ、ちょうど1年後の秋にそういう解散の話になってたから、
ちょうど1年経って、
やっぱり一回ドームツアー、四大ドームツアーをやり、
で、その99年初のホールツアーを、アリーナツアーをずっとやってきて、
夏も含めてね。
まあその中でやっぱりいろんな考えがあり、
で、本当に解散の最後の2回目の四大ドームツアーの直前、
だからもうリハに入るっていう直前に解散っていうことになってきたので、
だからもう春ということはもう違うかなと、
僕はちょっと見つめていたいで感じた、
本人の本当はナイーブでっていう響かせ方とかも含めて、
もう子供じゃないなと、
イケイケでハイトーンでどこまでということをやり切ったから、
だから次はもうちょっと抑えた感じで、
ミックスボイスっていうのがね、
張らないでファルセットをちょっと入れながらっていうことを浮かんだのが、
その初の解散した後の第1弾なんだけど、
ブライデイライトね、
だからそれをどういう曲をしようかなと思ったらね、
これを名古屋ドーム、解散の四大ツアーの真ったた中、
名古屋ドームのリハーサルが終わってね、
僕は楽屋にちょっとその本番までの間、
で、ブライデイライトが浮かんだんだよね。
すごいっすよね。
あの、頭の中で浮かんできたのね。
それですごいんだよ。
その後、名古屋だけね。
SPEEDの終幕とソロ始動
だからちょっとスタッフに僕はわがまま言ってね、
なんでもいいから、
会員の7000円くらいのやつの会員キーボード買ってきてやって。
で、このくらいのやつね。
ほんとなんか2オクターブくらいしかないやつ。
で、一応和音は出るんだけどさ。
で、浮かんだやつをこうやってやって、
そこでフォーって録音したのがあの曲。
だからヒロコの最初のソロシングルは、
名古屋ドームの楽屋で作ったの。
本当にこんな感じで。
こうやって買って作ったのね。
で、本人の歌は出てみたら、
思った通りの張らないでちょっとこうまろやかで、
ちょっと柔らかい印象ですよね。
まだまだね、発展途上なんだけどね。
見つめていた延々な子供声の発展よりも、
今に至る最初だよね、声がちょっと出始めてくれた。
あの、俺が延々張るって言うとこも張らないでと言いながら。
脱信だから丸く丸く。
そういう風に作ったのがブライドライト。
でも早かったですよね、リリースのタイミングって。
そうだからね、本当にまだ解散していない。
3月の明けで、2000年3月31日のMステで最後終わるけど、
もう2月に出てたよね。
そうですよね、確かにね。
もう2月にソロシングル。
だから本当はもうその前の年の12月25日、
そのドームツアーの最後、忘れもしない。
あの福岡ドームで、
本人たちも何も言ってなかったのよ。
でも真ん中に、あのとこに立たないでっていうのが
ブダカンに言われてたって。
なんでかなと思ってたら最後僕がね、
真ん中からグランドピアノと一緒にせり上がってきてさ、
あれ笑っちゃうでしょ。
それヤバいっすね、それ。
ねえ、それで最後僕が出てきて、
グランドピアノで最後弾き語りでアイリメンバーやって、
スピードはそこで全部終わったのね。
だから本当は前の年の12月25日のクリスマスの福岡で
もうスピードは終わってるの。
だから、あくる年の2月にもうソロ。
もう明けたらすぐチェンジしてた。
あーなるほど、一応。
一応Mステが残ってたから3月まで。
Mステあったけど、一応その12月25日のパフォーマンスで最後で、
年明けでソロで指導するっていうか。
アイリメンバーのまま。
だからもう2月にはもうソロ。
だからそれを、いろいろ話をしながらなんとか歌って、
もうほんとギリギリのとこでヒロコは繋がったかなと思って。
なるほどね。
いやでも大変ですよね。
ちょっとかわいそうだったね、なんかいろいろと。
この隙間がない感じだよね。
でも隙間があったら本人ちょっとね、続けられてたかわからない。
一回ちょっとゆっくり考えたいってところまで行っちゃってたから。
だから続けて良かったんじゃないかなと思って。
イジスタ的にはその隙間がない感じでどんどん解散してもしてないタイミングで
ソロのシングル出してみたいなこういう状況って正直どうだったんですか?今思うと。
やって良かったですね。
「Brilliant」と寛子の声の変化
やっぱり96年スピードがデビューした頃と状況がガラッと変わってたからね。
98年ぐらいになるとミーシャさんとかシンラリンゴさんとか愛子さんとか出てきたでしょ。
時代がもう99年の頃歌手ヒカルさんとか出てきて、倉木舞さんとかでしょ。
だから状況がほんと変わってきたのとやっぱりスピードがちょっとこう
子供に見えちゃうぐらいやっぱりちょっとそれを含めて
ヒロコの声をちょっと大人っぽくしたかったっていうのがあるんだけど
そういうところの目線にお客さんが行っていた。
そういう感じの時代が。
じゃあ次の質問なんですけど
4人の声のバランスを考えたスピードと1人の声だけで曲を成立させるヒロでは
曲の作り方そのものも変わりましたか?
ソロになったことで初めて気づいた
島袋さんのボーカリストとしての魅力はありましたか?
今言ったようなものが感じられたのが良かったね。
だから本人のその声というのが
三つ目一体出した時は張りまくってて
その後にアズタイムゴーズバイをね
その次の年の夏に出して
その次の年っていうのはその解散の年の
解散の年の夏っていうのはスピードの新曲は出してないんだよ。
全くヒロこのアズタイムゴーズバイしか出してないのね。
その時は本当に
5月にブレイキングアウト
ツアーの真っ直中だった。
そこでアズタイムゴーズバイ出して
その時はまだ声張ってたんだけど
ちょっとやっぱり傾向はあったね。
ちょっと抑えて
特にR&Bでああいう曲だったからね。
そういう中で見つけた
ジュエルボイスって
これ本人に似てないの?
ジュエルボイスっていう風に思ってた。
すごくね今は聴いても輝きがある。
だから本人のアルバムタイトル
ファーストアルバムタイトル
ブリリアントにしたんだけど
あれは僕の中でジュエルボイスっていう
気持ちからブリリアントっていう風にしたんだよね。
そういうものを感じた。
「Eternal Place」と受賞曲の制作
でもその後セニーでエターナープレイスをリリースして
この作品、レコード大使の金賞を受賞している作品なんですけど
この作品実際にとってどういう作品ですか?
これだからね
さっきアズタムゴーズバイの話になるんだけども
あれは僕の前やってたH&Mっていうね
ユニットの曲を当てたんだけど
エターナープレイスもこれ当てた曲なのよ。
あれは僕はガーデンズでやろうと思ってた。
ガーデンズっていう僕のプライベートブランドで
やろうと思ってたんだけども
2000年にそのプロジェクトを終了して
このエターナープレイスっていうのは
僕は非常に自分の中で気に入っていて
素晴らしい曲ですね。
当時はまだヒロコには早いなと全然思っていたんだけども
これを出した2002年の時に
本人はもう本当にやっぱりいろんなことを経て
それこそ、とはいえまだ10代です。
10代ですよね、とはいえ。
そうなんだけど
エターナープレイスを歌って欲しいなと思って
だからあの曲だけガーデンズのトラックメーカーで
KG、田辺KGがそのまんまのサウンドで
ヒロコを当てたのよ。
そしたら思った以上に素晴らしかった。
あれは本当に素晴らしかった。
それでレコード大賞の金賞っていうのは
だから僕にとってはね
もちろんいろんな賞をいただいて
盾みたいなのはね
あの時は盾は送られてきたんで
全部貼ってあるんだけどね
手渡されたやつとさ
いろいろあるんですね
送られてくるから
話聞いてね、そうだったと思うぐらいに
僕の中ではもうそれこそ
曲ってみんな可愛いじゃない
だからね
だったらなんでこれはっていうのは
あるんですよ、だけど
たまたまそれがエターナープレイス
だからそれは本人の中では
一致したかな、僕の中では
来たって思って
ファーストアルバムの完成と新曲「大丈夫」
これ、ひろこさんは
成長をどんなところに感じました?
10代の時と
10代ってスピードの時と
エターナープレイスを歌った時ぐらいの時期の
声の変化とか
そういう違いっていうか感覚というか
ブリリアントの話するとね
ファーストアルバムを作って
まあいろんなバリエーションを
今度一人ということで
やっぱり4人じゃない中で
やっぱりスケール感がなくなるのも
嫌だなと
スピードってどうしても4人の塊でスケール感がある
一人だとちょっと寂しいなっていう風になっちゃう
ところもあるじゃん
それをどういう風に本人のキャラと
声で出すかなっていう
しかも張らないでね
やったんだけども
ブリリアント制作してる最後
あれはだから2001年の
1月31日かなに出したんだけど
2000年のその11月ぐらい
もうギリギリのところで
アルバムの1曲目とか
いわゆるタイトル曲になるような曲が
僕の中でなかったの
すごい悩んで悩んで
最初のドアとマンめちゃ大事じゃない
やっぱり新しいヒロちゃんの
ファーストアルバムだから
スイートラブ
あのメロが浮かんで
スイートラブ
これすごく新しいな
僕の中でヒロの中で
とブリリアントっていう
ミディアムのちょっと切ないバラード
が11月に浮かんで
ようやくアルバム僕の中で完成したのね
だからあの時の記憶に
立ち変えられるな
エターナルプレイス
あれが完成形
エターナルプレイス
スイートラブとブリリアントっていう曲
できた時にアルバムが見えて
スピードのファーストアルバムと同じ
ウォークディスクウェイみたいに
街のノイズを入れながら
ドア玉ちょっと入れた後に
スイートラブがカンパス入れずに出てくると
わざとそこちょっと同じようにしてるんだけどね
それがエターナルプレイスっていう曲で
ひとつの完成を見て
その後ずっと今までの歴史の中で
その声が
今回新曲を出したんだけども
大丈夫ってタイトル
これは本人がつけたの
本人が言ってる感じにしたいなと思って
大丈夫ってことに鍵カッコつけてね
てんてんってちょっとつけてあげたんだけどね
この大丈夫ってタイトルの
この曲
だからそのエターナルプレイスが
僕のユニットの方の曲だとしたら
本当に真っ新曲から言ったら
ブライデライト以来26年半ぶり
それすごいっすよね
26年半ぶりで四半期世紀以上
ぶりの大丈夫
そうっすよね
そこまでのずっと至るこの大丈夫に至る感じ
それまでにはいろんな
ココドールとかジャズとかやってきた中で
今回ここに着地できたっていうのは
ひとつの今回
この曲までの道のりだったんだな
なるほど
20:04

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