1. ICHI Radio
  2. #8 思いつきでトルコへ移住!..
#8 思いつきでトルコへ移住!クリエイティブディレクターが描く組織の名前と未来
2026-09-24 27:48

#8 思いつきでトルコへ移住!クリエイティブディレクターが描く組織の名前と未来

spotify apple_podcasts

ICHI COMMONSのメンバー紹介企画。
今回は創業メンバーであり、クリエイティブディレクターのオキさん(笠嶋大樹さん)をお迎えしました!

日本での大学進学をやめて、英語が喋れないまま単身イギリスへ。そこからドイツのデザイン研究機関を経て、新婚旅行で訪れたトルコ・イスタンブールにそのまま移住!?枠に囚われず越境してきたオキさんの、予測不能なキャリアの軌跡に迫ります。 

ICHI COMMONSという社名の名付け親でもあるオキさん。番組の後半では、「学校や社会で生きる意味を見失い、立ち止まってしまった人たちが、ICHIに触れることで別の世界(新しい物差し)を見つけられるようになってほしい」という、胸に秘めた熱い想いが語られます。

聴き終わった後、きっと心がフッと軽くなるエピソード。ぜひお聴きください! 

 

【ICHI COMMONS 公式X】https://x.com/ichicommons

 

感想

まだ感想はありません。最初の1件を書きましょう!

サマリー

ICHI COMMONSのクリエイティブディレクターで創業メンバーの笠島大樹さん(おきさん)が、横浜からイギリス、ドイツ、日本、トルコ・イスタンブールへ移った経歴を語る。英語が話せないまま渡英し、3Dデザインを学んだ後、プロダクト、グラフィック、ウェブ、映像など幅広い仕事に携わった。トルコから帰国後、デモサイト制作を通じてICHI COMMONSの立ち上げに加わり、「ICHI」という名前やロゴの背景も紹介される。現在のおきさんは、デザインだけでなく、社会課題や組織の雰囲気まで伝えるレポート制作やプロジェクトマネジメントを担っている。後半では、ICHIが事業を拡大し、立ち止まった人に別の世界や物差しに触れる機会を届け、将来は子どもたちにも開かれた組織になることへの思いが語られる。

おきさんの自己紹介と海外での経歴
ICHI Radio から、こんにちは。パーソナリティのほなみんと、
ICHI COMMONS代表のたかです。よろしくお願いいたします。
さあ、続々続いております、ICHIのメンバー紹介ですが、
今日はクリエイティブディレクターのおきさんにお越しいただいてます。
おきさん、よろしくお願いいたします。
はい、よろしくお願いします。
クリエイティブディレクターのおきさん。
え?
本名は笠島大きいなんですけど、
ねえ。
みんなにおきさんと呼ばれてるので、
よく苗字と間違えられる。
今ご紹介しながらどこが苗字であられたかなというのは。
えへへへ。
いやあ、まああの、おきさんはですね、
まあそもそもICHI COMMONSの創業メンバーでもあって、
もうICHI COMMONS始める前に、
我々やろうとしてることがすごく難しいので、
やっぱり分かりやすくちゃんと可視化したほうがいい。
そのデモサイトを作るときに、当時インパクト投資の一般社団もやっていて、同じオフィスのファシリティをずっと見てくれていた350万人ぐらいのフォロワーがいる
パウロフロム東京というユーチューバーがいるんですけど、彼が紹介をしてくれて、沖さんともう一人カチュンっていう香港の人にそのデモサイトを作ってもらったっていうところからが経緯なんですよね
なので、沖さんもしよければ、簡単な自己紹介含め、ものすごく面白いご経歴の持ち主なので、そこもぜひお話いただければなと思います
バトンがこっちに来ましたね。今どこまで喋り続けるのかなと思ってきた
このままタコ紹介だけされて終わりそうな勢いだった
いつも沖さんには話が長いって言われるのと、でもね意外とここで沖さんにバトンを投げるとね、俺自己紹介するの?っていうのが一時期あったよね
自己紹介
出身とか生まれとかその辺から話をちょっとすると、出身は神奈川県の横浜市で、そのまま普通に小学校中学校行きの
18ぐらいまで横浜にいて、大学行こうとはしてたんですけど、日本の大学どこも行けないなみたいな感じの状況だったんで
ちょっとそういうのもあって、流れ着いたのがイギリスっていうところに流れ着きまして
イギリス着いて、英語喋れないながら学校探して、面接行ってみたいなことやってたんですよ
あまりにも英語できないんで、さすがにまずいだろうと思って成田に飛ぶ前に、成田に着いて飛行機乗る前に英語の勉強できる本を買って
10時間ちょっとあるんで、ちょっとどうにか喋れるようになろうと思って、大学の中で勉強してました
なかなかないパターンですね
一応着いて、どうにかなるものなんですよね
学校探して、面接行って、来ていいよみたいな手紙をもらったんで、半信半疑のまま引っ越して学校行ってたりとかしつつ
結局なんだかんだそこで何年いたんだろう、5、6年イギリスにいることになって
その後ちょっとひょんな機会もあったんで、ドイツのブレマハンフンっていう近くの大きな町だったの、ブレイメンっていうところの近く、北の方に
名前は今はっきり覚えてないんですけど、立ち位置的にはデザインカウンシル的な組織がブレイメンっていう町がやっていて
そこの一つの組織の中で若い卒業したてのデザイナーだったり、デザイナーとして働いてるけどまだまだ20代前半半ばくらいの人たちを集めた
なんていうのかな、研究機関みたいなものがあって、そこに縁があって出させてもらえたんで、1年弱そこでやっていたと
いろいろそのままドイツにいるかイギリスにいるかみたいな感じもあったんですけど、さすがに18くらいで日本を出てくると
なんか日本語がうまくしゃべれないみたいな、敬語がよくわからないみたいなところとかもあって、ちょっと一旦日本帰ろうかなみたいなのがあって
日本帰ってきました。結局大学が外だったんで、デザイン関係の大学行ったんですけど、全然誰も人を知らないので
いろいろイベントに出してみたり、追いかけて、なんだかんだフリーランスでそこからデザインの仕事をしていったという感じです。
学校ではずっとデザインの勉強されてたんですか?
そうですね。デザインとか、学校行ってた学校は3Dデザインっていうコースで、物を作れるところがいいなと思って探してたら
学校にすごい広い工場がある、金属だったり木だったりプラスチックだったりガラスだったりがある学校があったんで、それがマチェスターっていうところで、そこでトンテンカントンテンカンしながら
日本でいろいろフリーランス、もともと3Dデザインだったんで、プロダクトのデザインだとか、それだけだと仕事の量があんまりないんで
グラフィックやったり、ウェブサイトやったり、ちょっとカメラを手にしたんで、映像を撮って作ったりとか。
トルコ移住からICHI COMMONSとの出会いまで
その後、結婚することになって、引っ越すのもいろいろめんどくさいし、トルコとかイスラムの国に行ってみたいななんていう思いがあったんで
せっかく引っ越すんだったら、イスタンブールとかに引っ越すのもアリなんじゃないの?みたいな話をしたら
それもなかなかない。あんまり聞かないんですけどね。
物は試しで言ってみるもんだみたいなのはあるんですけど、ただ予想外だったのが、2つ返事でまあいいよみたいなこと言うんですよ。
そしたら、じゃあ行くか。もう少し悩むかと思ったんだけど、みたいなのもあったんですけど。
引っ越すだけっていうよりは、これ新婚旅行だねみたいな形でトルコに行って、結果なんだかんだ4年ちょっといることになりましたけど。
最後帰ってくる1年ちょっと前に、1年弱か前に子供ができたんで、ちょうどいいトルコ土産もできたし、ジジババに持って帰るかみたいな感じで日本帰ってきたと。
ちょうどそれで日本戻ってきた時にどうしようかなみたいなタイミングで、ちょうどさっき出てきたパウロとカチューンから声かかって、こういう人たちがいるんだけどちょっと話聞きに来てみない?って言って、
ニューオータニーのオフィスに行ったら、タカともう1人その時ザビエルっていうフランス人の人と一緒にやってて、わーっとこういうこと考えててみたいな話をされつつ、めっちゃ複雑な話してるんだけどみたいなやつが始まったと。
先ほどデモサイトを作ってもらったとおっしゃってたのは、今のSASENANETの前身となったもののデモサイトっていうイメージですか?
そうですね。今の位置よりもっといろんな機能とか思想が諸々入ってはいたんですけど、結局その時タカとかが考えてたことを話してるだけではなかなかいろんな人に伝わっていかないよね。
ICHIという名前と組織の背景
その要素となるものが形になっていることで、より解像度高く説明ができるようなものになると良いよねっていうので、一旦その思想を形にしていこうっていうので、かなりありとあらゆる考え方とかコンセプトが織り込まれた形のデモサイトっていうのを1回作ったんですよ。
なんだかんだ話ししながら、最初はクラウドファンディングのサイトを作りたいんだよねみたいな感じの雰囲気で話を最初聞いてて、「何の話なの?別にクラウドファンディングそうなのか?」みたいな話でどんどん話していくと、ただ単にクラウドファンディングではなくて、ただ一つの要素の話で。
っていうようなことをやってましたね。最初にあまりにもいろんな話をしてるんで、結局これって何て呼べばいいの?みたいな。プロジェクト名を考えなきゃいけないねみたいな話をしてて。実はその中で一つ出てきてた名前っていうのが、イチっていう名前だったんです。
あ、そうなんですね。初耳です。
うちの会社の名前はオキさんが実は考えてるっていうね。
へー。
当時の組織がC4っていう組織で、それでCと4だったんですけど、4の足を1個加えるとHになるんですよ。数字の4に足を1個加えると。で、iを両方外につけて、人の4。C4を人が囲んでます。
はいはいはいはい。
で、それをよく実はイチコモンズのロゴを見てもらうと、C4とiが2つ、人が周りに立っているようなロゴになっていて。
確かに。
で、イチだけじゃなくて、やっぱり僕自身はオキさんがすごい身付けをしてくださって、市場を作るっていう考え方もそうだし、市町っていう市役所のイチっていう考え方もあるし、いろんなイチの表現はあったんだけれども、
でもやっぱりいろんな違いがあったとしても、一つはやっぱり共通項って人間は必ず見つけられて、そこからやっぱり関係性であったり信頼であったり、連携みたいなものをいかに作っていくかっていうようなところが大事だからっていうので、イチコモンズっていう名前になったんですよね。
創業期のおきさんの役割とクリエイティブディレクション
でもそのデモサイトはオキさんが作った後に、本当にこれやるんでっていうので、たぶん1年ぐらい間が空いてて、1年ぐらい経っても僕がこれを会社としてやろうっていうふうに決意して、
オキさんに一緒にやりましょうっていう話をして、友達にも一緒にやろうって話をして、それで3人で始めるんですけど、これが本当にコロナのタイミングで、しかもデモサイトをただもう1回作るというか、実際に実装するっていう話で作ったら人が来るっていう話ではなくて、
これって結構、やっぱり徐々にユーザーの啓蒙であったりっていうのをやっていかなきゃダメだよねっていうので、実際にビジネスとして何をするの?みたいなところからオキさんと友達と最初合宿をそれこそ鎌倉でやったのかな。
結構やっぱりオキさんがある種、本当に先ほどの自己紹介でもあったように結構いろんなデザインに携わってきていて、ソフトもハードも両方フリーランス的にいろんなことに携わられていて、本当に3人で何をすべしかみたいなところから、今のそれこそサステナネットのNPOのインタビューとかも最初オキさんと僕でやったりだとか、
結構初期の投資家向けの資料とかも全部基本的には僕が喋ってオキさんが形にしてくれてみたいな構造があって、そこから今どんどんオキさんの役回りってある種ただデザインだけではなくてPM的な動き方も今してくださっているっていうところなんですよね。
だからオキさんにもそういうその位置の創業期から関わっていただいて、どういうふうに位置の変化を見られているのかであったり、その中でのオキさんの役回りみたいなところを含めてちょっとお話いただきたいなと思うんですけどいかがでしょうか。
役回りはまあ必要な動きをしているぐらいのことかなとは思ってはいるんですけど、まあ変化、位置のもちろん組織としての変化もあるし、なんかあのその他の変わりようというか、もちろんシーンは変わってないしやろうとしていることは変わっているんだけど、
三菱小路のプロジェクトの中で、サステナ社会貢献、NPO財団、他の企業のサステナチームの人たちが集まったイベントみたいなのをやって、そのファシリをタカが入ってやってたんですよ。
なんかちょっと久々に、そういうところの現場にタカと一緒に入ってて、ちょっとなんか感動しちゃって、もうなんかウルウルきちゃう感じの保護者かっていうのも、すっごいこういう思いが強い人なんで、
しかも、いろんなことを頭の中で考えながら話せる人じゃないですか。だから、それができるから、それをしてしまうっていうのも変なんだけど、一つのことを言うのにいろんなところに目が行くから、それをちゃんと拾い上げながら一つのことを喋っていく。
結果、すっごく長くなって複雑な話になるっていうのが最初の動きだった。で、結局何の話だっけみたいなのが多かったんですよ。
そういうファシリとかインタビューとかしてても、割とそういうところがたまにボロボロって出てきて、タカもそこからいろんな人に会って、いろんなところでプレゼンしたりとか、いろんなところのファシリで間に入ったりとかしてきてるんでしょうけど、
この前の三菱翔二のイベントがもうすごい上手く回してて、なんなら客いじりまでし始めた。最初まだみんなどう関わっていいかわかんないみたいな人たちが、徐々に空気も温まってきて、いろいろお話が進んでいくみたいなことをやってたんですよ。
なんだこれすごいな。あのタカがすごい成長してるみたいなのを目の当たりにしたイベントをして、ちょっと本当にうるっときてました。今でも思い出すとちょっと恥ずかしい。
そういう意味で大岸さんさっき役回りっていうのは必要なことを何でもやってくださるみたいなところはありつつ、結構一コモンズのサステナサマリーであったりだとか、レポート系を作るときに結構いろんな人たちからものすごく好評をいただいていて、
なんで好評いただくかっていうと、いわゆる普通のレポート制作って多分見え方とか、ただのデザインで依頼される。どういう絵を描くかみたいな。それを超えて多分我々のインパクトをどういうふうに伝えるのかであったり、なぜその社会課題について取り組んでるのかであったり、
ワットだけじゃなくてワーイの部分もかなり大岸さんはやっぱり対話を通して聞き出して、さらに言うとその組織の雰囲気であったりっていうものをレポートに落とし込むっていうことをずっと創業期からやってくださっていて、そういうところを結構包含した表現にしたときにクリエイティブディレクターっていう表現だよなという結論に至ってるんですけれども、
大岸さんと創業期に話していたのは、いわゆる世の中で言われているデザイナーみたいな人たちもそうだし、それ以外の個人がやっぱり自分たちの能力を活かしてこういう社会課題解決っていうプロジェクトに携われる環境が作れるといいよねみたいな話を当時2人でしてたんですよね。
大岸さんへの質問なんですけど、そういう文脈で、いま1コモンズっていろんな人たちがプロジェクトベースで関われるような組織にしようみたいなところで変わっていこうとしているタイミングでもあると思うんですが、今の位置をどういうふうに大岸さんとして見られているのかっていうところと、この先どういうふうになっていってほしいのかみたいなところをぜひお聞かせいただきたいなと。
ICHIの事業拡大と社会への接点
今の位置をどう見ているのか。
今の状態が良くも悪くも、ある割と特殊な状況において、位置じゃないと動けない領域みたいなところをどうにかここ数年で見つけてきて、そこにサービスしている。
っていう状態なのかな。
じゃあそういう環境がどこまで本当にあるの?みたいなのって、まだまだ早いっていうか、まだそこまで同じような困りごとにいて、かつ位置が提供できるソリューションがそこに機能するみたいなところってまだまだ少ないのか。
ある意味、他の動きの結果もあるんだけど、まだまだ運もあってそういう場所で位置として動けている。
運とご縁だよね。
やっぱり自分たちのビジネスには繋がってはいるけど、これがモデル化されるかっていうとまだそこまではいかないよねっていうことですよね。
特に現場現場の対応とか、もちろん今それが多分求められている部分でもあったりするんですけど、それだけではなかなか続いていくことも難しくなってくるなっていうところですよね。
もちろんそれを今見越して、今タカも次の動きをしてくれているのもあるんで、じゃあそこを一つのものを作って、じゃあ10組織、20組織、何大使は100、1000みたいな組織が助かっていくような状態?
っていうのに、いまようやくずっとそういう話はしてるけど、本当に現実的にそういうところに差し掛かってきているなっていうのが、いま肌で感じるところかな?
ありがとうございます。
そういう変化のタイミングで、我々も市場作りみたいなことをゴリッとわかりやすく、戦略的にしていかないといけないなっていうタイミングでもあると思いつつ、いまいろんなクライアントの皆さんと一緒にご一緒させていただいている案件は続けながらみたいなところで、結構組織的にもアップデートしようっていう話をしていますが、
別の物差しを届ける未来
沖さんとして、市にはこうなっていってほしいなってあったりだとか、こういうポジショニングを取ったらいいんじゃないかってあったり、そういうところへの思いでもいいですし、やっぱりやっててここなんじゃないかとかこういうことなんじゃないかみたいなところがもしあれば。
今後将来、本当にすごい近い将来ではないけど、青臭い質問というか、皆さん中学校とか高校とかぐらいのタイミングになってきたときに、私ってそもそも何で生まれたんだっけ?何のために生きていくんだっけ?
もしくはその若い子たちだけじゃないにしても、一旦立ち止まるみたいなところが人それぞれあったりすると思ってるんですよ。
そのときに、それを正当化したり別の角度を見たり。たまたまここにいる3人っていろんな世界を見てきた人たちではあるんで、ある程度今目の前のものを見失ったとしても、何か他の別のものにリファーできるところは運がよくあるんですけど。
そうじゃないにしても、実はもっと目の前に、もっと近くにそういった別の物差しみたいなのが本当はあるんでしょうけど、それがなかなかそういうものに触れる機会が今の世の中少ないなと思っていて。
一が今後世の中に受け入れられていく中で、そういったものに触れられる機会であったりとか、別の見方をできるような世界観を届けていけるとものすごくいいなと思ってたりします。
すごくビジネス的とか事業的というわけではないんですけど、せっかくやっていくんであれば、小学校、高学年から高校生ぐらいまでの子が必ず一度は一を通って、何か別の世界、別の扉を開いていくみたいな感じになるとすごく嬉しいです。
おっしゃるとおりで今は多分そういう接点を作る機会とか動きみたいなところ、そこまで一がやってないからね、社会に対してっていう観点だと。
どちらかというと裏でお客さん及び特定のコミュニティに対して動くみたいなところがほぼほぼだったので、やっぱりこの先に加わっていく企画については、社会との接合面が広がるような仕掛けをしていく必要がすごくあるなと思うし、
我々の今メンバー紹介みたいなところをやっていく中でも、ホームページを年内にアップデートしようっていう話をしてるけど、そういうところからもね、そもそも一度立ち止まっている人たちが見たときに、これって自分にも関係してくるよなっていかに思ってもらえるかみたいなところは本当に大事だなと思っていて、
今までは完全にクローズとのB向けみたいな考え方で動いていたけれども、それがちゃんとB to Cに繋がるような、B to B to Cに繋がるような仕掛けっていうのが考えていけるといいんですよね。
でもなんかこういう話をできるのって、やっぱりここ数年、一河というか高川を中心にいろいろ動いてきて、川上に触れられてこれてるからこそっていう。
これが全然そこがないのに、そういう話をしてたところで全然絵に描いた餅でしかなくなっていて、ものすごく今そういうちゃんと川上にも触れられている状態で、そういう思いを持って動いていくっていうことがすごく大事になってくるのかな。
じゃないと、さっき言ったように現場現場で、1だから解決できることなんて1に頼もうって終わってしまうともったいない。
そうですね。まさしく改めて今あるプロジェクトも考えると、今まで結構提供してきたソリューションって、マネジメントであったりサステナのチームであったり特定のチーム内で留まるんだけれども、そこはやっぱり社員の意識変革が必要ですよねっていう、
そこに留まってたと思うんですけど、今準備しているプロジェクトであったり関わらせていただいているプロジェクトってもうそこに社員を巻き込もうであったりだとか、本当に数千人規模の社員に関わってもらおうであったりだとか、
そもそも社員の意識変革につながるためにこのプロジェクトをやろうっていう風に言ってくださっている方々が増えてるなってすごく思うので、そこは本当に流れとしても我々が意識すべきポイントだし、もう一つ大きさに今言ってくださった通りで、
立ち止まっているであったり、何かちょっともやっとしてる。
ちょっとそこに向けて、逆に言うとそれがやれればやれるほどやっぱり関わりたいって思ってくださる方々が増えたりだとか、関わりやすさみたいなところも増したりだとか、そういうところが出てくると思うので、フェーズとしてもそういうところに動いていきましょう。
ありがとうございます。
改めてこういう話するのも面白い。
面白い。
普段やっぱり目の前の業務の話で結構笑っちゃうことが多いから、
メンバーを包み込むおきさんの存在感
でもすごいいい機会だなって思います。
ありがとうございます。
なんかね、私すごい最初にイチの面接に来た時に、たっかさんとかっちゃんと話したんですけど、その後オフィスに立ち寄らせてもらった時に、おっきさんがいらっしゃったんですよ、オフィスに。
そのおっきさんを見て、参加しようって決めたんですね。
なんでかっていうと、たっかさんとかっちゃんと話してて、すごい楽しくて、やりたいっていうテンション上がったんですけど、本当に大丈夫なのかなっていう不安が一瞬よぎってたんですよ。
でもその棘を抜いてくれたのがおっきさんで、すごく物腰柔らかに話しかけてくださったんですけど、ちゃんとお友達はいるんだって。
安心をしたんですよ。
やっぱすごいオーラがあられるなって思っていて。
おっきさんもおっきさんで、けうなストーリーを先ほどお話しいただいたんですけど、やっぱり人を包み込むオーラみたいなのがおっきさんにはあるなっていつも思って、お仕事させていただいています。
お褒めのことです。
いや、すげえ重要な役割を担ってくれた、実は。
これを聞いてくださっている皆さんもぜひおっきさんに会いに一緒に遊びに来てくれたら嬉しいなと思います。
これからは面接は全部おっきさんにしてもらうという形で。
はい、ということで、本日はおっきさんお話しいただきありがとうございました。
こちらこそ。
次の回でお会いしましょう。
さようなら。
27:48

コメント

スクロール