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われらみな食人種:レヴィ=ストロース随想集 #3
2026-03-24 20:46

われらみな食人種:レヴィ=ストロース随想集 #3

part3では、タイトルにもつながる「カニバル」を手がかりに、食と性、芸術、そして家族制度の話へと広がっていきます。食べることと成功することが同じ語源で結びついているという話や、女性の食事シーンが“エロすぎる”とされた古典の感覚。さらに、木彫りの彫像に口づけする男の神話を通して、食と性の「過剰」が文化の中でどう重ねられてきたのかを考えます。

また、芸術家は社会の上位に置かれながら、失敗すれば死を強いられることもあるという極端な例も紹介されます。芸術は異界とつながる特権であり、同時に命がけの営みでもあるという感覚が浮かび上がります。

後半では、「3人の母と2人の父」を持ちうる家族制度の話へ。補助生殖や代理出産、女性同士の婚姻、複数婚などの事例から、私たちが当然だと思っている家族の形が、実は数ある可能性の一つにすぎないことが見えてきます。

奇妙に見える慣習も、それ固有の文脈を踏まえなければ理解できない。結果だけでなく、その背後にある神話や構造を読むことの大切さを、レヴィ=ストロースは静かに示します。三回にわたる読書の締めくくりは、「文脈を見る」という視点を改めて確かめる回になりました。


感想

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サマリー

本エピソードでは、レヴィ=ストロースの『われらみな食人種』を紐解きながら、食、性、芸術、家族制度といった人間の根源的なテーマを探求します。特に、「カニバル」という言葉を手がかりに、食と性が文化の中でどのように結びつけられてきたのか、古典文学における女性の食事シーンが「エロすぎる」とされた感覚や、芸術家の神話的な役割について考察します。芸術家は社会的に高い地位にありながらも、失敗すれば命を落とす危険を伴うという、その特権と危険性の両面が浮き彫りにされます。 さらに、現代の生殖補助医療や代理出産、多様な婚姻形態などを例に、「3人の母と2人の父」という家族のあり方まで、私たちが当然と考える家族の形がいかに多様な可能性の一つに過ぎないかを明らかにします。奇妙に見える慣習も、その固有の文脈を理解しなければ真に理解できないというレヴィ=ストロースの視点を通して、結果だけでなくその背後にある神話や構造を読むことの重要性を再確認します。最終的に、あらゆる文化現象を理解するためには、その「文脈」を読むことが不可欠であるという結論に至ります。

食と性の過剰、そして芸術家の肖像
あとは他なんか、Nozomiさんから面白かったとこある?
えーっとねー、うーんと。
Mikiさんも一瞬、せっかくこうカニバル、われらみなカニバルって言って、カニバリズムが出てくるところだから。
ちょっとそれに近いところのやつも出しておくと、ど真ん中カニバルの話ではないんだけど、
なんか、食と性の過剰みたいな、言うのを言ってる芸術家の肖像っていうところかな。
あ、ちゃうわ。 えっとね。
でも同じだ。芸術家の肖像。なんか食に対する量的過剰って言ったら、めちゃくちゃ飯食うって言うと、
性に関する質的過剰っていうのを平地しながら、言葉における食べるっていうことと成功するってことがしばしば同じ意味で使われてるっていうのがフランス語の例で出てくるんだけど、
日本でもまあ、食べられちゃったーとかさ、言うことあるなーと思うと、まあ日本でもあるんだなーっていうのを思ってた。
思い返すと、高校の時の古典の先生がさ、古文かなんかの授業で、昔の文章には女性の食事品がもう出てこないんだと、もうエロすぎるからだっていうのを言っててさ、
教室は確か小笑いに包まれた気がするんだけど、その気恥ずかしい小笑いね、その一応教学だからさ、
あの、なったんだけど、そうか、一般的な感覚なのかと思って、その食事シーン、エロいっていう、つまり食と性のこう、
同じ地平の中で捉えるって、普通の観念だったんだーっていう、あの、びっくり。
もうこの話の前に出てくるなんか、あの、なんだ、セムシアンっていう、これどこの人だっけ、なんかアメリカの
先住民かなんかかな、その、その人たちの、なんか、偶話だか神話だかみたいなこと、全然意味わかんないもんな。
彫像は、彫像の人だよね、彫像とやっちゃう人。
とある男性がいて、その人は、もうなんか芸術家で、木を掘って妻を作るみたいな、奥さん亡くなっちゃってるんだけど、
木で奥さんを作るみたいなことをやってる、なんかその一人暮らしの男性がいましたと。
で、ある日、二人姉妹が部屋に、その、小屋にバーンと飛び込んできたら、自分で掘った奥さんの木の彫像にめっちゃチューしてる男の姿がありましたと。
ちょっとおもろいやん。だから、その女の子の姉妹が、なんか、ははーみたいな感じでちょっと笑ったところ、
男が気づいて、
ちょっとここからも意味わかんないんだけど、姉妹に飯を食わすと。
自分の木とのチューを目撃した姉妹に飯を食わせるんだけど、妹はあんまり食えんと、ちょっと控えめに食べて、姉ちゃんはもうガンガン食うと。
で、その後、もうその姉妹そこで寝んねんけど、その、お姉ちゃんはもうお腹痛すぎて、もう漏らしてまうと。
で、結果、その、赤になっているのは、昨晩、木にチューしてて、姉妹に飯食わせた男、笑ったけど食事をそこそこに抑えた妹、めっちゃ食うて漏らしてもったお姉ちゃんっていうのが、
いて、朝に、なんかわかんないけど妹と男が結婚すると。
で、結婚して、姉妹の方は男の方がもう木に抱きついてたとかは言われんし、逆に男の方はお姉ちゃんが漏らしちゃったことを言わないようにしましょうっていう風になりました。
誓いを立てましたっていう話なんだけど。
これ何?っていう。出だしからしてわけわからないし、締めも、締めどうなってんねんっていう。
確かにそこ豪華じゃないけどね、普通。食べすぎてお腹壊しちゃったの方が言えるよね、なんか私たちの感覚だけ。
飲み会で言えるやん。
いやーちょっとやりすぎて漏ってー。
久しぶりに漏らしたーっつって。
そう、あかんかって言えるけどさ、最近亡くなった妻を木で掘ってやってんねんけど、ちょっと勇気が。
それ同じレベルでいけるっていう。
多分そういうことなんでしょうね。もう食べることも含めてもうめちゃくちゃ恥ずかしいっていう。
かつそれでソースをしてまうっていうのはめっちゃ恥ずかしいことなんやっていうのがあったんだろうね。
ただそれでレミストロース補足で、ただその彫像が素人が適当に彫ったやつじゃなくて、
みんなから評価されてる芸術家の作品で、芸術的な作品であるということは大事なことですって書いてある。
そういう芸術作品だけが人間との間に何かを生み出すことができるんですって。
うん。
とは言ってるね。
そうね。
これもう、このエッセイはずっと過去のいろんな文化人類学で訪れられた部族とかで、
芸術家がどんなふうに扱われてたかみたいなのがいろんなところに出てくるんだけど。
それのちょっと前にある、芸術家として、多分舞台設計みたいなことをやろうとしたら、
失敗して芸術家の男が死ぬシーンがあったんだけどさ、
作り物の岩を作ってて、
自分をそこにくくりつけてたと。
うまく手で持ってたのかなんか知らんけど、
生を持ってなあかんのに外れてもて、岩が海にジャッパーンって沈んでいくと。
むしろ手としては芸術の舞台として見てるから、
これも演出かなーみたいな、真偽かなーみたいな感じで見てるんだけど、
もともと死んでもてるから、
家族はみんな、彼は大海のそこに留まることを選んだんだねーって言って、
祭りを続けたっていうのを見てさ、
心が強すぎないかと思って。
花火がちょっと炸裂しただけで、翌年以降中止になる日本の祭りにおいて、
すごいですよ、もう。
では招待客が立ち去った後、個人の親族と親友の責任者はみんな芸術。
君らも死ぬんかーいっていうね。
隕石ジニーです。
責任者&家族がみんな。
日本だけじゃないんだね。誰かに責任を取らそう取ろうとする国は。
芸術家の条件と命がけの営み
なんか芸術をそれだけ信じてるっていうことだよね。
そうかもね。
芸術は人間とか、人間の先にある世界とかと交流できるのである。
芸術歴になっても、先に行ったってことですよね。
っていう解釈なんじゃない?
同じエッセイの中で、芸術家の条件って言ってた。
防線で解説化されてるんだけど。
社会階層の上位に置かれはするが、
インチキを浪することを運命づけられ、
ひとたび失敗すれば自死を強いられるか殺されるっていうさ。
かわいそう。
先住民というか、部族における芸術家、すごいやんっていう。
アラスカのお話なんだろうね。
今そこまでの気合を持って芸術家やる人いないだろう。
そもそもの社会階層の上にいるかどうかって話もあるんだけどさ。
すごいことするねぐらいの捉え方だもんね。
そう。これも面白いね。
面白かったなあ。
ジャンジャが出したんだけど、もう一個言っていい?
もちろんもちろん。どんどん行こう。
社会の諸問題、女嬰節女と補助生殖っていうところに出てきたさ、
今の現状を考えると、
3人の母親と2人の父親がいるパターンがあるっていうのを書いてあって、
3人の母と2人の父?
何を言ってるかっていうと、産みの親とが別の男性であると。
というのと同時に、男子を提供した人と子宮を貸した人と法律上の母っていうのがいる。
ってなると、3人の母と2人の父がいるっていうパターンの家族は普通に成立しえます。
多様化する家族制度の形
確かにそうやな。
っていうお話から始まり。
始まりというか結構話としては進んではいるんだけどさ。
その後に、不妊女性が男性と扱われるスーダンのヌエルっていう部族のお話だったり、
チベットのトゥピ・カワヒムっていう、
これもなんかすごい変わった結婚の形をしてるやつだった。
まずスーダンのヌエルの人に言うと、不妊女性は女性と結婚できると。
男性だからね。
ナイジェリアに暮らすヨルバっていう部族では、お金を持った女性が自分のために妻を買って、
そこに男を一人つけて養ってあげると。
つまり自分が妻がいるんだけど買ってきた人、
その妻に別途男を一人つけてあげる。
別に夫ではないんだけど男を一人つけてあげて、
その子供が生まれると法律上の夫はその不妊女性になると。
で、その子供を引き取るか、お金を男とかお父さんお母さんにお金をもらって海の親に渡るっていう程度もあると。
なんじゃそうだっていう。
家族の形さまざま。
まあでもちょっと生殖を確実にしたかった時代だよね。
ああまあそうだね。
そういう時のシステムって感じがする。
うんうん。
どこだっけな、チベットの、チベットのやつどっか行っちゃった。
あれ一人、一人の夫に対して姉妹全員と結婚できるみたいなやつだっけな。
ああ、書いてあった。
もうちょっと後に書いてあるよ。
今読んだところのちょっと後にあるよ。
あ、そっかそっか。
これだ、アマゾンの人だ、トピー・カワヒブン。
男が一人で複数の姉妹を妻にしたり、
以前の結婚から生まれた娘を持つ母とその娘の両方を妻にするっていう。
うんうん。
はい、言葉がちょっと頭に入ってこーへんけど。
以前の結婚から生まれた娘を持つ母とその娘の両方を妻にする。
だから連れ子も奥さんにできるってことでしょ。
パートナーが子連れだった場合にその子供とも結婚できる。
はあ。
だって見たのよ、子供、何とっても子供っていう感じなの。
それこそさっき言ってた大地っていう小説の中でもさ、
中国の3世代にわたる一家の流帝みたいなテーマで出てくるんだけどさ、
最初のおじいちゃんの時なんて女性に人権なんかないわけ。
もう産んだ翌日から畑に出て働いてくださいみたいな。
なんだけど息子の代ぐらいから、
いや私たちそういうふうな疲れ方には我慢できませんみたいな人が出てきて、
もう孫の代まで行くと、
おじいちゃんボケてるねーみたいな。
変なこと言ってるねーみたいな感じになるっていう。
そういう価値観が変化していく中国を描いてるわけです。
そういう数世紀の前の何かの結婚の様式ってことなのかもね。
そんなに生殖したかったんだなって思う。
もう残すこと全てっていう。
ね。
確かにさ、これがなるほどなって思ったのがさ、
この仕組みはだから生殖、妊娠・出産とセクシャルとか恋愛とか感動的な部分を切り分けてシステム化してるって話が来てて、
また結局そっちの方向になる気がするんだよね、未来が。
少子化すぎて、妊娠と出産を分けて、
出産をテクノロジーでシステム化しようっていう時代が来る気がするんだよね。
これの補助生殖っていうのは技術補助生殖ってことでしょ?
そうそうそう、テクノロジーで来るから。
ただ新しい世界がやってくるとか、新時代とかじゃなくて揺り戻しなんだなって思ったりとかした。
これを読んだ時は。
やっぱり代理出産はまだ気持ち悪いとか、不妊治療ですらちょっと抵抗あるとか、
無痛分威、抵抗あるみたいな、結構グラデーションあるじゃん、出産の仕方によって、人によってかなり。
これを読ませちゃったよね。昔はこんなに切り離されてたぞっていう。
別に人間は、こういう出産があるとき出産とかなくて、
システムとしては生きることができますよって言ってやりたいなと。
そうね。
不妊女性が女性と結婚して、その人と男性の間の子供を自分の子供にくるって、
ドアウトソースなのね。人権のことを使い分けにいけば。
あと、禁止相関とか遺伝学的に良くないとか、分かったからさ、
それは今のシステムで多少制限するとしても、もうこれでいいじゃんみたいな。
親もなんで男や女親一人ずつだったんだ?
3人の母親と2人の父親でいいじゃんみたいな。
生殖と恋愛の切り離し、未来への示唆
1がデフォルトで、1からずれてるから変だよねって思うだけだからね。
そうそう、みたいなのとかも。
もうそういうシステムじゃないよっていう話。
ただそれだけのことだったなって思った、これを読んで。
さっきのみきさんのやつでいうと、別に2人の母、2人の父っていうのがデフォルトになってる世界線も
あったかもしれない中で、今たまたまそうなってるだけだと思うけどね。
たぶん彼らの民族もそういう、子供がいなくても民族が滅びちゃうとかさ、
戦争でやられちゃって男が全然いないとか、
そういう社会的圧力があった上でこういう風になってきたんだろうからね、たぶんね。
けんこうさん、昔の本なのにさ、SFを読んでるときと感覚が近いときがあって
未来を教えてくれるっていうかさ、
結構レビストロスってこの社会を読んでこういう行動だって言った後に
だからこういう変化になってくるだろうとかって言ってることも多いから
やっぱり世界中で生まれてるだけのことがあるっていうかさ、
当たり前だけどさ、すごい賢者だったんだね、レビストロスは。
みきさんはこのレビストロスと同じように考えられるようになりたかったと。
すごい面白かったから入門書とかも読んだりとか、
またさ、どっかでさ、10冊後とかにレビストロスの野生の思考とかにしてみようよ。
ハードなやつね。
課題本を。
ね。
ちょっとでもみきさんのレビストロスに近づけるような。
そういう感じですかね。
なんかのぞみさん最後に言いたいことあります?
いや本当に私は1個1個めっちゃ面白かったのと、
もうその中でも特に生と死の柔らかかたいがもうなんか衝撃的すぎて、
ちょうどその、今回その北京を経由して行ったってさっきのバンコクなんだけどさ、
めちゃくちゃピアスしたりめちゃくちゃタトゥーしてる人がたくさんいてさ、
うんうん。
なんかみんなは、みんなもあれかなと思って。
生の固さだと思ってるのかなとか。
でもタイはさ、あれじゃなかった。
タトゥーの本を読んだ時にさ、仏教のさ、影響で、
仏を死んでも肌に離さずのお家で行くみたいな感じだったよね、タトゥーは確か。
そうだね。
だから伝統の方法じゃない方法で彫られたタイタトゥーはタイタトゥーなのかみたいな。
あ、そうだね。そんな話してたよね、昔。
西洋のツールでタイのやつを彫ったらそれは何なのかみたいな議論があって。
どっちなんだろうね。
いやー、どうだろうねー。
なんか、なんていうのかなー。
普段生きてる感覚からすると、いや結果が全てじゃんとか思っちゃうような気がするけど、
レビストロースのやつとかを読んでると、プロ説にこそ価値があるっていう。
プロ説を守ることが大事であるっていうのがいろんな民族の中にある考え方なんだと思うんだよね。
結果として切りましたとかさ、結果としてこうなりましただけじゃなくて、
その間にどういう神話があってどういう対立があってそこになったのかってことを記録しておくことこそが何より本物であるっていうのを
いろんなエッセイを見ると感じるから、もしかしたら道具の方が大事なのかもしれないなとちょっと思ったりはするけどね。
時には言語道段などさえ管理させるほどのあまりに奇妙で不快ないかなる観光人口種族も、
それ固有の文脈を踏まえなければ説明することはできないと強調する。
条文に書いてあった。
それ固有の文脈をね、確かに。
ちゃんとGPTにはわりとできないことか、それ固有の文脈を踏まえる。
たぶんその文脈ってね、道具に宿っている何かとか扱っている人の
フェイフェイフェイとかね、翔沢とかそういうのも全部踏まえて文脈なのからね。
もう近代的なタトゥーバリで彫ったタイの宗教タトゥーは違うかもしれないね。
ほぼ半分ネタだけど、今こそタイプライターで文字を書こうみたいな記事最近見てさ。
ウェブ上にあるデジタルのやつは結局みんな生成AIが書いてるんだから、
今こそタイプライターの時代だって言ってる人がいてさ、半分ジョークかもしれないけど、
もしかしたらそれが今のデジタル音源じゃなくてレコードみたいなのと同じようにあるのかもしれないからね。
タイプライターで簡易タイム文集じゃないと認めませんっていう人とかさ。
そうね、本当に。あとタイプライターのちょっとのへこみとかを重視する時代が来るかもしれないよね。
確かに人間が打ってるみたいなね。
ああいうのを評価するのと同じようになるのかもしれないからね。
というわけで、面白かった。ありがとうございました。
ありがとうございました。
次回は何だっけ?死の棘だっけ?
え?そうだっけ?
また次の方でお会いしましょう。
文脈を読むことの重要性
はい、じゃあねー。
はーい。
20:46

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