事故発生前の静寂
おしゃべり本棚。 この時間は福岡のRKB毎日放送のアナウンサーによる朗読をお送りします。
トーマス満作 サネヨシハヤオヤク
鉄道事故 第2話
もう一本葉巻を吸ってはいけないかと考えてみたが、別に何の差し支えもなさそうに思ったので、そこで車輪のとどろきを聞きながら本を読みながらもう一本吹かして
愉快な思想に富んだ気持ちになった。時は過ぎていく。 十時になり十時半、
あるいはもっとになる。信頼者の乗客たちはみんな眠りについてしまった。 結局僕もそれに習うことに意義を認めなくなったのだね。
そこで立ち上がって寝室へ入る。 正真正銘の豪車な寝室で、壁は厚作した革で張ってあるし、服をかける釘もあればニッケルメッキの洗面器もある。
下段の寝台が切迫に整えられて、家計婦は人を誘うように折り返してある。
おお、偉大なる現代よ、と僕は考えたね。 まるで家で寝るようにこの寝台に横になる。
寝台は夜通し少しずつ震え続けるが、その結果として明日の朝はもうドレス店にいるのだからな。
僕は少し身じまいを直すつもりで、網棚から手下鞄をとった。 両腕を伸ばしたなり、僕はそれを頭の上に支えていた。
突然の衝撃と混乱
この瞬間に事故は起こったのだ。 僕は今日のことのように覚えている。
まず、ドンと来たのだ。 いや、ドンと言ったばかりじゃとても足りない。
そのドンは絶対に太刀の悪いものだということがすぐにわかるようなドンなのだ。 ものすごい爆音のこもったドンなのだね。
しかもその猛烈なことといったら、 例の手下鞄は僕の両手から消し飛んでどこかへ行ってしまって、
僕自身は嫌というほど壁に肩をぶつけたくらいだったよ。 何をどう考える暇もありはしないのさ。
ところがその次には車体が恐ろしく揺れ出した。 で、その揺れが続いている間にやっと怖いと思う余裕ができたわけだ。
汽車が揺れるということはよくあるさ。 点鉄機のところや急な曲がり角なんぞでね、それは誰でも知っている。
ところがこの時の揺れ方ときたら立っていることができないどころか、 壁から壁へ投げかわされてね。
これはもう車体が転覆するかと思ったくらいだったよ。 僕はその時ある大いに単純なことを考えていた。
しかし一心不乱にそればかり考えていたのだ。
こりゃいかん、こりゃいかん、こりゃとてもいかん、とね。 言葉通りそうなのだ。
それからまたこうも考えた。 止まれ、止まれ、止まれ、とね。
なぜって列車が止まりさえすれば事態が大いに良くなるだろうということは 僕にはわかっていたのだ。
するとどうだろう。 僕の無精の熱精込めた命令に応じて列車が止まってしまったじゃないか。
乗客たちの反応と紳士の行動
その時まで寝台車は死んだように静まり返っていたのが、 そうなると恐怖の声がほとばしり始めた。
夫人たちの感高い喚きが男たちの低い驚きの叫びに混じって響くのだ。
隣の部屋で、「助けてくれーっ!」という叫びが聞こえる。
それは確かにさっき、「山猿めーっ!」という言葉を使ったあの声だ。 あのハンゲートルの紳士の声だ。
恐れで上ずった声なのだ。
「助けてくれーっ!」と紳士は叫ぶのだね。
で、僕が乗客の大勢馳せ集まった廊下へ出たちょうどその途端に、
紳士は絹の根巻きのまま部屋から飛び出してきて、 狂おしい目つきでそこに突っ立っている。
「大変だ。恐ろしいことだ。」と紳士は言うのだ。
その上わざと自分にひどい屈辱を与えよう、 そうしておいてあわよくば滅亡を逃れようというつもりで、
なおおまけに弾丸的な調子でこう言うのだ。
「ああ、弱ったー。」
が、突然考えを変えて、紳士は自衛の策を講じた。
壁際に小さな棚があって、中に非常用として斧とのこぎりが一本ずつ掛けてある。
そこへ飛びかかると、拳を固めてガラスを叩き割ったが、 すぐには手が届かないので、
その道具はそれなりにして、今度は婦人たちがまたもや髭を上げたほど乱暴に、
ぐいぐい旅客の群れを突きのけて道を開きながら、 それなり外へ飛び出してしまった。
これはほんの一刹那の出来事だった。
事故の全容と車掌の説明
僕はこの時になってようやく自分の驚愕を実感した。
背中がなんだか痺れたようになっているし、
一時的だが、壺を飲み下すことができなくなっているのだね。
赤い目をして同じく駆けつけてきた、 あの黒い手の信頼者の車掌をみんなわいわい言って取り巻いた。
腕や肩をあらわにした婦人たちは、両手を揉み合わせている。
脱線だ、脱線したのだ、と車掌は説明した。
あとでわかった通り、それは嘘だったのだ。
しかしどうだろう、車掌はこの際饒舌になってね、 官僚的な厳政なんぞどこかへやってしまったのだよ。
この大事件で舌がほぐれて、 親密な調子で自分の細工のことまで話すのだからね。
私は全く女房にこう言ったんです。
ねえ、おい今日はきっと何か持ち上がりそうな気がするよってね。
どうだ、何にも持ち上がらなかっただろうか、 というわけさ。
なるほどそうだ、とみんなその点じゃ 車掌の言うことを最もだと思ったね。
が、車の中にはどこからともなく濃い煙がもくもく湧いてくる。
そこで僕らは外の闇の中へ出たほうがいいということになった。
それにはかなり高い踏み段から路盤の上へ飛び降りるより他はない。
ホローなんぞはないのだし、おまけに僕らの寝台車は 反対側へずっと斜めに傾いていたのだからね。
でも夫人たちは捨て鉢気味で飛び降りてね。
まもなく僕らは一人残らず線路の間に立っていたのさ。
辺りはほとんど真っ暗だった。
事故現場の惨状
が、それでも僕らの乗っていた後部の車は みんな斜めには傾いてはいるものの、
実はどうもなっていないのが見えた。
ところが前のほう、そう、そこから十五歩か二十歩ぐらい先のほうが大変なのだ。
さっきのドンになるほどたまらない爆音がこもっていたわけさ。
そこは一面に破片の砂漠だ。
近づいて行くと砂漠のヘリが見える。
そして車掌たちの小さなカンテラが砂漠の上をうおうさおしている。
いろんな知らせがそこから来る。
事態についてのいろんな報道をもって興奮した人たちがやって来るのだね。
僕らはレーゲンスブルグから少し手前のある小さな駅のすぐそばにいたのだ。
そして点鉄機の故障から僕らの急行列車は違った線路に乗り込んでしまって、
そこに止まっていた貨物列車に全速力で追突すると、
その列車を停車場の外へ突き飛ばした上、
その後部を粉砕してこっちもひどく損害をこぼむったというわけだったのさ。
ミュンヘンのマッファイ製の急行機関車が真っ二つに壊れてしまった。
その価格7万マルク。
それから前方の車はみんなほとんど真横に倒れていて、
中には腰掛けが両方から組み合わさってしまったものもある。
いや、人賃にはありがたいことになかったらしい。
婆さんが一人引きずり出されたとか何とかいうことだったが、
誰もその婆さんを見たものはなかった。
何にしても入り口はみんなごちゃごちゃにぶつかりあって、
子供なんぞは荷物の下にうずまってしまったというのだから、
驚愕は大したものだった。
貨物車は粉々になってしまった。
貨物車がどうなったって?
粉々になってしまったのだ。
関係者たちの対応
僕はそこに突っ立っていた。
役人が一人帽子もなしで列車に沿って走って行く。
駅長だ。
乱暴に、しかも泣きそうな声で乗客に命令を下している。
みんなを制御して線路から車内へ入れてしまおうというのだ。
しかし帽子もなければ威厳もないので、
誰一人耳を貸すものはない。
哀れむべき男じゃないか。
責任は大方この男にかかるのだろう。
この男の経歴はこれでおしまいかもしれない。
この男にあの大荷物のことを聞くのは、
どうも具合が悪い気がした。
また一人役人がやって来た。
その早朝ひげを見れば誰だということはわかる。
あの車掌さ。
番に居たあのむっつりと油断のない車掌さ。
我々の乳なる国家なのさ。
身をかがめて片手を膝に突っ張ったまま足を引きずっている。
そしてその片膝より他には何事も眼中にないのだ。
ああ、痛い痛いと車掌は言う。
おやおや一体どうしたんですか。
いやはやどうも間に挟まれたんですよ。
胸をうんとやられたんですよ。
何しろ屋根を越して逃れて来たんですからな。
ああ、痛い。
手荷物の行方と若い乗客
この屋根を越して逃れて来たには新聞記事めいた味があったね。
この男は平成決して逃れるなんという言葉は使わないに決まっている。
だからこの男は不良の難を経験したというより、
むしろその災難に関する新聞記事を経験したわけなのだよ。
しかし僕にとってそんなことが何の役に立とう。
この男は僕の現行がどうなったか、
それを知らせてくれるような心持ちじゃないのだからね。
そこで僕は破片の砂漠から元気よくもったいぶって
はしゃぎながらやって来た一人の若い人間に
あの大荷物のことを聞いてみた。
さあね、そんなものがあそこでどんなになっているか、
そりゃ誰にもわかったものじゃありませんよ。
しかもその話し方は怪我もしないで助かったのを
喜ぶがいいじゃないかと安に言っているのだ。
何もかもごちゃごちゃでさ。
女の靴がねえ。
とその男は乱暴な打ち壊すような仕草をしながら言って
鼻にシワを寄せた。
その荷物は取り片付けの時でなければわかりますまんよ。
女の靴だねえ。
泥汚れをかなり気にしていますね。
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