一冊の本をお茶とともに味わう読書Podcast「本茶本茶」。
今回は藤かおりを淹れながら、宮野真生子・磯野真穂『急に具合が悪くなる』を紹介します。
▼ 今回のテーマ
選ぶということ/引き受けるということ/「がんが治ったら」という問い
哲学と医療人類学、二人の視点から「選ぶこと」を考えたい方におすすめのエピソードです。
🍵 本日のお茶
藤かおり(静岡県牧之原市・駄農園)https://www.satenteashop.jp/items/56741678
📕 本日の本
『急に具合が悪くなる』
宮野真生子・磯野真穂(著)/晶文社
👤 話し手
Fuyuto「静けさのデザインとケア」をテーマに、コーチング・プログラム開発を行うStudio Stillness代表。
note → https://note.com/honcha_honcha
感想
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サマリー
本ポッドキャスト「本茶本茶」では、宮野真生子さんと磯野真穂さんによる往復書簡『急に具合が悪くなる』を紹介します。哲学者の宮野さんががんを患う中、医療人類学者の磯野さんと手紙のやり取りを重ねる本書は、「選ぶこと」と「引き受けること」をテーマに、病と向き合う中で人生の可能性や身体感覚について深く考察します。特に、リスクと可能性の狭間で「選ぶ」ことの意味や、不確実な未来を「引き受ける」ことの受動的な側面について、二人の視点から語られます。また、「がんが治ったら」という問いが持つ、未来を乱暴に区切ってしまう側面についても言及し、リスナーに自身の生き方を見つめ直すきっかけを提供します。
はじめに:番組と紹介する本について
こんにちは。 本茶本茶へようこそ。
毎回一つのお茶を味わいながら、一冊の本をきっかけに、生き方の問いを一つ持ち帰る時間です。
静げさのデザインとケアを通して創造性の器を育む スタジオスティルネスのFuyutoがお送りします。
毎週水曜日19時に更新しています。
今日ご紹介するのは、宮野真生子さんと磯野真穂さんが書かれた往復書簡、 急に具合が悪くなるという一冊になります。
宮野真生子さんはですね、哲学研究者の方で、 久喜修造という哲学者がいますが、偶然性の哲学を専門にしている方ですね。
その方の研究をされている方。
磯野真生さんは、医療現場をフィールドにしながら、 医療であったり身体みたいなことをまなざす医療人類学者。
磯野さんはもともとアスレチックトレーナーを目指していたんですけれども、 留学先で人類学に出会って専攻を変えた、そんな方になっています。
この本はですね、だいぶ最近有名でいろんなところで取り上げられたり、 映画化もされてですね、僕も映画も見に行ったんですけれども、もしかしたらご存知の方多いかもしれません。
本の形式としてですね、この宮野さんと磯野さん、お二人が往復書簡という形で、書簡、お手紙ですね、のやり取りをしながらこの本が進んでいく。
どちらかというと逆か、もともと二人でその手紙のやり取りをしていたものが本にまとまった、 そんなような一冊になっています。
この本の冒頭ですね、はじめにの中で宮野さんが書いているところによると、 この本は、病に面した一哲学者が魂の人類学者に寄り添われ、生まれてきた言葉の記録と言い換えてもいいかもしれません。
そんなふうにこの本のことを表しています。
本書の背景と構成
このタイトル、急に具合が悪くなるっていうふうに書かれているんですけれども、 この本はですね、哲学者の宮野さんががんを患うと、そこから糖尿をしながら進んでいくんですけれども、
ある日この宮野さんと磯野さんが一緒にワークショップを開催するその打ち合わせのメールのやり取りの中で、宮野さんががんと戦っていること、
さらに言うと医師の方からですね、急に具合が悪くなるかもしれないと告げられていること、
そのためワークショップどうしようかっていうところを話したことから、この往復書簡というものにつながっていく、そんなものになっています。
そしてさらに言うとですね、この往復書簡、手紙のやり取りというものが第10便までやり取りされていくんですけれども、
本当にリアルにですね、途中からその急に宮野さんの具合が悪くなっていくという中でも続いていくこの往復書簡というものが書かれています。
そういう意味ではですね、このポッドキャスト、先週の配信を1週間お休みしてしまって、これまで毎週欠かさずやってきたのでそれは結構残念ではあったんですけれども、
なんて言うんですかね、だいぶ忙しかったのとちょっと体調も崩し気味だったということもありつつ、
何かこの本を紹介するだけの時間的、体力的余裕がなかったということで、1週間見送らせていただいて、今日ご紹介したいなと思っています。
本日のお茶:藤かおり
紹介したいポイントは今日も2つにしようと思います。
1つ目が選ぶということ、そして2つ目が引き受ける、その前にまずは一緒に楽しむお茶から。
本日は過去もご紹介したことあると思うんですが、東京の西大木窪というところにあるサテン産というティースタンド産で扱われている日本茶ですね、緑茶。
静岡県牧野原市というところにあるダノーエン産というところが作るフジカオリという品種のお茶を入れてみました。
今日は少しだけ暑さが和らいだような気もしつつ、とはいえ30度くらいあるのかな、そんな中なので氷を入れて冷やしながらアイスでいただいています。
とてもこの煎茶美味しくてですね、少しフルーツっぽい爽やかさと甘さみたいなものがありつつではあるんですが、
やっぱりこの日本茶の少しきりっとした苦みというか、そういうものも夏の暑さにぴったりだなと思っています。
ではここから本の紹介に戻ろうと思いますので、皆様もお気に入りの飲み物と一緒にお楽しみください。
第一の切り口:選ぶということ
冒頭にも少しご紹介したように、この宮野さんが医師の方からですね、急に具合が悪くなるかもしれないというリスクの話、リスクの提示を受けたところから様々な往復書簡が始まっていくんですけれども、
そのリスクと可能性ということの話について一つ目の切り口、選ぶということになります。
このですね、急に具合が悪くなるかもしれませんと言われた後で、宮野さんはその体験をこんな風に書いているんですよね。
リスクと可能性によって私の人生はどんどん細分化されていきます。
しかも、病と薬をめぐるリスクはたくさんありますから、その中で良くない可能性が人生の大半の可能性を占めるように感じ、何も起こらず普通に生きていく可能性はとても小さくなったような気がしてしまいます。
さらにですね、このリスクと可能性をめぐる感覚はやっぱりどこか変だという風に話していて、何かというと、このリスクの語りによって人生が細分化をされていくというところにこのおかしさを感じている。
人が何か良くないことのリスクというものを提示されると、何かそこからいくつかの分岐ルートが示されているように感じる。
その中で、リスクに基づく良くないルートを避けて、それ以外の安全なあるいは普通に生きていけるルートを選び、歩いていこうとする。
でも、だからといって、それが本当に普通に生きていけるかというのは誰にもわからなくて、もしかしたらその中にもさらに他のリスク、さらにまた他のリスクということで、どんどんどんどん袋工事に入っていってしまうような、そんな感覚があったりするのかなと想像します。
でも、宮野さんが言うには、この分岐ルートのいずれかを選ぶというのは、どんどん可能性が狭められて狭められていった一本の道を選ぶということではなくて、また新しい可能性をそこから無数に引き受けたということを意味するに過ぎないと言っています。
分岐ルートのいずれかを選ぶとは、一本の道を選ぶことではなく、新しく無数に開かれた可能性の全体に入っていくことなのです。
そんな風に書いています。
この話を受けて、この磯野さんと宮野さん自身が出会って、こういう往復書館を始めていったというのも、急に具合が悪くなるというリスクの中で、
一本道の袋工事に入っていくということではなくて、その先に開けた無数の可能性の一つを選び取った、そんなことなのかなという風に想像して読んでいた部分になります。
さらには、このお医者さんの方から、何かあったときのために緩和病棟の準備をと言われる宮野さん。
様々な緩和病棟の情報をリサーチしながら、一つ一つのリスクであったり、選択肢を比べながら、
最終的にはそのリスクと可能性に翻弄されて、もはや決めるということが主に、あるいは決めるって一体どうやるんだっけというタイミングが訪れたと書かれていました。
そんな中、地元の京都で一つの出会いがあって、最終的にはその地元に帰るという選択肢で準備を始めるのですが、そこについて一節引用してみます。
結局のところ、何かに動かされるようにしてしか決めることができないのなら、選ぶとは能動的に何かをするというよりも、ある状態にたどり着き、落ち着くような、馴染むような状態で、
それは合理的な知性の働きというよりも、快適さや懐かしさといった身体感覚に近いのではないか。
そして、身体感覚である以上、自分ではいかんともしがたい受動的な側面があるのではないか。
これはですね、哲学者の宮野さんは、茎集蔵という偶然性を扱った哲学者の研究を10年以上されていたということもあって、
何かこの偶然性であったり、選ぶみたいなテーマは、最後までこの往復書簡の下を流れているような、そんなテーマだったかなというふうに思っています。
第二の切り口:引き受けるということ
例えば、なぜこの二人は往復書簡を始めるということを選んだのか。
あるいは、そこから時が経って、宮野さんが本当に急に具合が悪くなる。
そんなシーンを迎えてもなお、磯野さん、あるいはお互いに途中でやめる道を選ばなかったのか。
そんなこともですね、この二人の往復書簡のテーマに上がりながら、
宮野さんから磯野さんへ最後の書簡が書かれた中に、こんな一節があります。
結局、私たちはそこに現れた偶然を、出来上がった事柄のように選択することなどできません。
では何が選べるのか。
この先、不確定に動く自分のどんな人生であれば引き受けられるのか。
どんな自分なら許せるのか。
それを問うことしかできません。
その中で選ぶのです。
だとしたら、選ぶ時には自分という存在は確定していない。
選ぶことで自分を見出すのです。
選ぶとは、それはあなたが決めたことだから、ではなく、
選び決めたことの先で自分という存在が生まれてくる。
そんな行為だと言えるでしょう。
選ぶということ、どんな風に残っているでしょうか。
そして二つ目の切り口が、引き受けるというもの。
「がんが治ったら」という問い
先ほど引用した一節の中にも、
この先、不確定に動く自分のどんな人生であれば引き受けられるのか。
という部分がありました。
僕がこの本を読んでいてですね、
この引き受けるという言葉が非常にずっと心の中にあった単語ではあるんですよね。
もちろんこういう風に本文中に具体的に出てくるということもありつつですが、
この宮野さんと美園さんがそれぞれ往復書簡を送り合いながら、
その中で刻々と変わる宮野さんの体調の変化に際して、
引き受けていく。
宮野さんにもそして美園さんにもこの引き受ける、
そんな瞬間がそれぞれの文章から見て取れた、感じ取れた、そんなことを思っています。
ぜひこの引き受けるというものを本書を読んでいただきながら、
皆さんにも感じていただきたいなと思っています。
最後にですね、もう一つちょっと当初は話さないというか話すつもりではなかったんですが、
一箇所引用してみたい部分があるので、もう少しだけお時間をいただきます。
これも宮野さんが書かれていた文章から少し長めに二箇所引用してみたいと思います。
がんが治ったらという仮定は、がんが治らなかったらというもう一つの可能性を浮かび上がらせます。
さらに、治ったら一番に何がしたいかという問いかけは、
治らねば一番にしたいことはできないというメッセージを案に発しています。
治ることと治らないとの間にある、それぞれの生き方や気持ちを乱暴にぶった切って、
がんが治ったらという問いは発せられます。
そして、がんが治ったらの先に一番にやりたいことができるという未来予想図が提示される。
これはですね、宮野さんご自身のお話ではなくて、
ローカルのテレビ番組、情報番組の中でのワンシーン、最新のがん治療をめぐるニュースの中で、
若いレポーターの方が60代前半の患者さんに対して、
このがんが治ったら一番に何がしたいですかという質問をする。
それを目撃した宮野さんの応答になります。
何でしょうね、急に院をしてみたいと思った、何か理由があるのかないのかわからないですが、
とてもこのがんが治ったらという言葉を、もしかしたら発する側にもなりうるし、受け取る側にもなりうる、
もちろんそれはがんという括りじゃないにしても、
そういう中で自分の中の両面がぶつかり合うような体験を、この文を読みながらしたかなというふうに思っています。
まとめとリスナーへの呼びかけ
今日は本のご紹介ということで、なかなか映画については触れられる時間がなかったんですが、
もし映画でも本でもご覧になった方いれば、どんな感想をお持ちになったかぜひ教えていただけたら嬉しいですし、
どこかで何かそんな話ができるタイミングがあったらいいなというふうに思っています。
ということで、今日はサテンさんの藤香という煎茶をいただきながら、
宮野真希子さん、磯野真帆さんの書かれた、急に具合が悪くなるという一冊をご紹介しました。
Spotify、Apple Podcastでお聞きの皆様、ぜひフォローをどうぞよろしくお願いいたします。
ではまた。
19:26
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