この心の対話25のルール。
僕が手元に持っているのは文庫版なんですが、こちらには文庫版前書きというものがあります。
はじめの一文、二文をシェアさせていただきます。
自分の内側をどんな感じでいっぱいにしておきたいかと自分に問いかけてみてください。
どんな答えが出てきたでしょうか。
そう、詰まるところ、私たちは安らいでいたいし、ご機嫌でいたいのです。
その方が体のためにもいいことを知っています。
不安や心配、怒りをなんとか回避したいと思っています。
この本はコミュニケーションの本ではあるのですが、先ほどの引用のように、どうやったら安らいで生きていくか、ご機嫌で生きていくかということを問いかけながら、
自分の周りの人とのコミュニケーションであったり、自分自身とのコミュニケーションをとらえ直す、そういったものを考えていく一冊になっています。
最初の切り口は、「聞かれていない。」
これはですね、本のパート1のタイトルが、「あなたは聞いていない。」というところから始まるんですね。
一文引用すると、聞いているような顔をしながら、実は次に自分が言うことを考えているのです。
その結果、コミュニケーションではなくて、言葉が途切れないというゲームが続いていくだけ。
これはもう非常に耳が痛い指摘だなぁと思いつつ、一つ思い出すエピソードがありまして、
僕ですね、社会人、働き始めてからちょっと一旦仕事をお休みして、アメリカに留学をしていたことがあるんですね、2年間ぐらい。
もちろんアメリカなので、英語を使っていろんなことを学ぶんですが、
その中でインターパーソナルコミュニケーションという、何て和訳するんでしょうね、
人と人の間のコミュニケーションみたいなことでしょうか、そんな授業を受けたんですね。
その授業は、もちろんネイティブのアメリカ人もいれば、僕のように他の国から来た生徒もいて、
確か何回目かのクラスで、自分ともう一人クラスメイトが話をしているところを先生が見てフィードバックをくれるというような時間があったんですが、
まさにその時ですね、同じことを言われたんですよね。
あなたは聞いていない。
当時は当たり前じゃないかというかですね、そもそもこっちは英語で話そうとしているから、
向こうの人が何言って、次何返さなきゃというのを頭の中で考えながらしゃべるというのは当然じゃないかと、
高いハードルを課してくるなあということを思っていたんですけど、
いやいやちょっと待てと、それはだいぶ後になってからですね、
日本語のコミュニケーションでも同じじゃないかというのをふと気づいたと。
まあそれはだいぶショッキングなというか、出来事ではあったんですが、
そんなことを思い出しながら読んでいたパートになります。
やっぱりコミュニケーション、会話を続けていくという中で、
ありますよね、話を聞いているようで、頭の中では次に何を返そうかということを考えている。
自分がそれを話している間に、相手も聞いていそうではあるんだけど、その次に何を返そうかと実は考えている。
まあそういうコミュニケーションというよりは、ただ単に言葉が途切れないやりとりが続いていく。
そうすると聞かれているようで聞かれていないということが、
この世の中では頻発しているんじゃないかということかなと思います。
もう一文をすると、
聞かれないということは、単に自分の話を聞かれていないだけでなく、
話している自分の存在そのものを否定されたこととして認識される。
逆に言えば、聞かないということは、その人の存在を否定することになります。
ついつい聞いてなかった。
まあ次に何を話そうかということを考えていて、悪気もなく聞けていなかった。
実は聞く側はそれぐらいの意思だったとしても、聞かれなかった側はその人の存在を否定することになってしまうと。
まあこれはかなり思い知的だなというふうに思いつつ、
そういう聞かれていない状態が続くと、
人はイライラしたり焦ったり、敵対的になったり、無力感に陥ったりする。
そんなことを伊藤さんは書かれています。
ここで一冊ですね、別の本を思い出したんですが、
過去、ポッドキャストの中でももしかしたら触れたかもしれませんが、
遠畑海斗さんという方が書かれた、「聞く技術、聞いてもらう技術」という新書があります。
あの本ではまさに聞くの不全ということをテーマにしていて、
聞くを回復するということは、聞くテクニックを身につけることよりも前に聞いてもらうことから始めようと書かれていたんですね。
ちゃんと聞いてもらう、その体験をした人こそ、人の話を聞けるようになると。
話の聞き方とか、コミュニケーションの仕方という時に、聞くスキルとか、聞き方みたいなことにフォーカスが当たるのはよくあると思うんですが、
この聞かれていないとか、聞かれること、聞いてもらうことから始めるというのは、とてもユニークだなと思いますし、
この本の中でも、その聞かれるということがどういうことかということもたくさん書かれている一冊になります。
そして二つ目の切り口。
今日メインで扱いたいものが、コミュニケーションの未完了というものになります。
先ほどのような聞いていない、聞かれていないコミュニケーションがなぜ積み重なっていくんだろうかということ。
それはこのコミュニケーションの未完了というものがどんどん悪循環を起こしているんじゃないか。
そんなふうに伊藤さんは書かれています。
一文用すると、私たちのコミュニケーションの反応というものが、
頭で考えていることではなく、その人の中に蓄積された未完了によって支配されているからです。
実は、僕たちが誰かと話すときの反応というのは、
頭で論理的に考えた結果だけではなくて、
過去に完了しなかった会話、未完了の会話というものが、
無意識のうちに今の反応に影響を与えていると。
ではこの未完了とは何なんだろうか。
伊藤さんはこういうふうに説明をしています。
未完了というのは、一つのコミュニケーションが完了しないうちに、別のコミュニケーションが始まってしまう体験。
事例も書いていただいているんですが、これ非常にあるあるだなと思うのでちょっと紹介すると、
一つ目のパターン、完了するパターンは、
ある人が、「気分はどうですか?」と問いかけて、
その相手が、「あまり良くないですね。」と答える。
質問した側が、「そうですか。気分が良くないんですね。」というこのパターン。
まあ確かに一般的な会話なのかなというふうに思います。
対して未完了になってしまうパターンというのは、
同じようにですね、「気分はどうですか?」と尋ねて、
相手が、「あまり良くないですね。」と答える。
それに対して質問した方が、「みんなは楽しそうですよ。」というふうに答える。
一つ目の完了するパターンは、相手の言葉を一度受け止めて、そこで会話が完了している。
一方で二つ目の未完了のパターンは、
相手の答えを受け止めずに別の話題にすり替えてしまっている。
そんなような事例が語られています。
まさにキャッチボールなんだけど、
投げたボールが返ってこない状態ということですね。
ただ未完了のパターンというのも意外とありそうだなとは思っちゃうんですよね。
気分どうですか?あまり良くないですね。って言われた時に、
まあそうなんだって自分の中で一旦納得をしてしまって、
でもみんなは楽しそうに過ごしてますね。と次の話題を思わず始めてしまう。
いつももしかしたら自分はやっちゃってるかもしれないな。
なんていうコミュニケーションのパターンなんですが、
キャッチボールをする中で、投げたボールが返ってこない、
あるいは違うボールが返ってくるっていうことがあると、
人はなんで返ってこないんだろう?と一人で自問自答を始めてしまう。
これが未完了としてその人の中に蓄積されていく。
そんなように伊藤さんは解説をしています。
コミュニケーションの未完了に共通するのは、
いずれも投げたボールが返ってこない、
あるいは相手が投げて起こしたボールを自分が返していない。
そしてその理由はなぜなんだろう?と一人で自問自答をし、
探し回っている状態です。
そんなふうに解説をされています。
この未完了で進んでしまうっていうのは、
本当に冒頭にあった聞いていないのを、
次に何話そうか考えている時にも、
結構よく起こりがちなんじゃないかなっていうことを思いながら読んでました。
なんか気分はどうですか?
あんまり良くないですねって返された時に、
じゃあ次の話題どうしよう?
ついつい、でもみんなは楽しそうにしてますねって話題を転換してしまう。
でも本当のキャッチボールであれば、
そうですか、気分が良くないんですねと。
たった一言、相手の投げたボールを受け取る。
その後に次の話題に進んでいく。
これが大事なんだなっていうのはもちろん思ったところですし、
何かこの未完了のパターンっていうのが、
自分の中に蓄積していく。
毎回毎回いちいちなんで、
気分があまり良くないって言ったことを受け止めてくれなかったんだろうって、
意識的に考えるかというとわからないですけど、
ちょっとそういう違和感みたいなものが残り続けるっていうのは、
面白い視点だなと思いました。
そういう意味で言うとですね、
良いコミュニケーション、あるいはコミュニケーションの中で、
良い反応をしていくためには、
この未完了というものを完了させていく。
そんなことが必要だというふうにも語られています。