一言で言っちゃうと、この本で言いたいこと、この本で水野さんが伝えたいことって、
もうタイトルの通りなんですけど、
センスは生まれ持った才能とかっていう話ではなくて、
知識の問題だよという話。
だから後からいくらでも身につけられるものですよっていう話をまずしてますと、
端的に言ってしまうとね。
それまさにいい話よね。
僕も自分をセンスないと捉えてる側だし、
あと、昔新卒の会社の時に上司の人に、上司でもなかった、先輩ぐらいの人に、
カパジって頭はいいけどセンスはないよねって言われたから、
いまだに一生忘れないリストに残ってて。
言葉の棘を刺さるタイプの言葉。
なんでそう言われたかっていう経緯はもう覚えてないのに、言われた言葉だけ覚えてるっていう。
すごい刺さってるんだね。
後から知識で得られるんだよって、そのタイトルがまず救いだよね。
そうだよね。
確かに。
なんとなく知識とかじゃなくて、本当、才能の類いないイメージ。
やっぱどうしても自分にはセンスないからっていうとか、
そういうところに使われがちだから、
自分とは関係ないよねとか、
もともとあの人はセンスがあるからみたいな話になりがちなんだけれど、
実はそういうものじゃなくて、
おおむね知識の問題ですよという話をしている。
個人的にここは主観というか、
なんでこの本選んだのかの部分なんだけど、
この本の多分メインのターゲットは、
いわゆるちょっと経営寄りとかの人とかビジネスパーソン向けの本なんだけれど、
個人的にクリエイティブディレクターが保育現場にたくさんいたら面白いのではないかっていう感覚を持っているっていうことと、
要するにこの本の中でクリエイティブディレクターってなんかどういう定義がされてるかっていうと、
企業価値をセンスによって高めていく仕事っていう風に定義されていて、
これは本当に、
例えば水野さんがやってる仕事とか、
著者の人がやってる仕事とかっていうのはまさにその度直球でそこに当たる話なんだけど、
保育士の方としては多分その企業価値とかあんまり関係ないよみたいな話になってくると思うんだけれど、
そういう企業価値っていう風な考えでなくても、
現場にそういう視点を持った人がたくさんいる保育園ってどんな風になるだろうかっていう心がまず一個あるという話。
で、あとは単純にやっぱその保育におけるじゃあセンスって何なんだろうねっていう話はちょっとみんなでしてみたいなと思って、
この本を今回選んでますというところで。
最初にチロウが出してくれたセンスっていう言葉が出るときって、
制作物とかに出がちだよねって言うけど、
でもそここそまさにそのクリエイティブディレクター的観点だし、
ある種そのインプットで改善できる領域だったりするというか。
確かに確かに。
そうだよね。
センスで出すこともあるだろうけど、
じゃあ他にどんな作られているものがあるのかとか、
普段のインプットがどんなものによって出てくるものが変わるっていうところがあると思うので、
そういう意味ではそういう感覚を持っておくっていうだけで、
センスっていう言葉を言い訳に使わずに済むというか。
そうだね。
自分はセンスいいよって別に言ってほしいわけではなくてね。
そこを言い訳にせずに、無駄にヒゲせずに済むというか。
センスっていう得体の知れないものをもうちょっと自分の中で理解して、
変な呪いみたいに扱わずに済むというかね。
そういうふうに考えてみたいなと思っていますと。
いい話だね。
僕は自慢じゃないですけど、あんまり図画工作得意じゃないタイプの人間なんで。
お絵かきとか制作物とか全然自分一人だと何のアイデアもわからないタイプの人間なんだけど。
それこそ制作だけじゃなくて運動遊びとかね。
いろんな保育士側が自由遊びじゃなく、
こう設定して遊びを促したりとか何かすごく狙いを持ってやるような活動の計画みたいなものが、
やっぱり確かに言われた通り、
研修に行って運動遊びの研修とか制作のものの研修とかも多分あると思うんだけど、
そういういろんな研修で続けて学んできたこととか、
他の園の取り組みとかを持ってきて、
これすごいよかったから自園でも取り組んでみたいと思ってみたいにやり始めることってやっぱり描く絵あると思うから。
確かにそれも言われてみれば、
全部インプットをちゃんとアウトプットして知識から始まったところがザートラインだなと思う。
知識から始まるっていうのはすごく納得感があるなというか。
そうだね。クリエイティブ系の仕事、そういうデザインとか。
わかりやすくね。
イラストとかもそうだし、企画を作るみたいなものも広く。
プランナーとかね。
それ系ってやっぱセンスって言われがちだけど、
あれを何も思いつかないからダメだってしちゃうのが一番意味ないというか。
なるほどね。
何も思いつかないのは当たり前で、それで思いついちゃう人って一定の天才だけだから。
そうだね。それこそ本当に天才の一部だね。
99%はどっちかっていうと、ちゃんとインプットが普段から多かったり、
それに向けて大量のインプットがあって初めて出るみたいな順序の方が多いし。
それこそ今、この本を書いた著者の水野さんが近い職種のクリエイティブディレクターとか、
デザイナーさんとか、会社で一緒に働いてたデザイナーさんとか、
やっぱり常にインプットみたいなところから入るとか、
その修行自体はインターネットのウェブバナー100個作るまで買えませんみたいなことをするみたいな。
なるほどね。
とにかく世にあるバナーをめちゃくちゃ見ていくと、
なんとなくこういう配置なんだなみたいなのが見えてくるみたいな。
自分の中でのパターン化みたいなのが多分、引き出しが増えるというか。
そうそう。
そうか。なるほどね。
デザインみたいなものっていうのをセンスでこうしたらいいでしょ、じゃなくて、
世の中にはこうしてるものが多いよねっていう順序で作れるようになるよねっていう話は、
ある種救いでもあるし、甘えんなよって言いましょうでもあるなって。
そうだね。
すごく良好刺さるな。
言い方あれだけど、インプットを怠ってるだけやろ君っていう話だもんね、これはね。
分かる。保育現場だと特に製作物を作るとか作らないとかって、各縁の考え方によって違いがあると思うんだけど、
やっぱりそれがすごく負担が強いって感じてる人も一定数いると思うんだよね。
だろうね。持ち帰ってやってる人もいっぱいいるんだもんね。
そうそうそうそう。業縁のものを全部手作りでやりますっていうところにこだわりを持ってる縁とかだと、
ある種それが絶対やらなきゃいけないものとして、目的とか狙いとかが抜け落ちて形外化してるような、そんな製作作りあると思うんだけど。
なんとかこなしたみたいなやつね。
そうそうそう。そうなってくるとやっぱもったいないなって今の話聞いてて思う。
いろんな知識だったり、いろんな、それこそね、説のものとかってさ、何も製作物だけじゃなくいろんなインスピレーションもらえるわけじゃない。
平たく言えば何か芸術的なものを見て、俺を何か保育に昇華しようみたいに思ってくれる人が、
さっき中谷さんが言ってたようなクリエイティブディレクター的な考え方を持って日々過ごしている方が保育園にいたら、
もしかしたら子供のそういう知的好奇心だったり、季節を感じるものみたいなところに、
何かもっと素敵な感覚を刺激してあげられるかもしれないし、
何かそういった活動を通して働く職員のやりがいみたいなところにもすごくつながっていくような気がするし、
何かすごい良い役種だなって今聞いてて思った。
そうだね。何かシンプルにさ、冒頭から話してるようにセンスってないっていう言葉とセットになりがちだけれど、
どうしてもね、なりがちなんだけど、逆に考えると、この保育園の先生たちってめちゃくちゃセンスいいねって保護者の方とか周りの人から言われるって嬉しくないっていう。
いや、すごいあると思うし、すごい今良い差別化にもなるような気がする。
まあもちろんね、いろいろ使われる仕組みだったりとか、っていうなんかその就労形態の話とかもあったりすると思うんだけど、
センスないって言葉がセットで使われてるってことは、逆にセンスあるって言われることってすごい褒め言葉、基本的に褒め言葉じゃん。
まあよっぽどな文脈じゃないからネガティブにならないし、
やっぱセンスあるよねっていうふうに言われて嬉しくない人はそんなにいないと思うから、
なんかじゃあどうしたらそういうセンスって身につくんだろうとかっていうところを考えるきっかけになる本だという。
さすがにね、ほぼノータッチってわけにもいかないと思うので、本の内容のすごく主要な部分をかいつまんで話しておくと、
本の中で言ってる、センスの定義っていうのを最初に小立ての中でしてるんだけれど、
水野さんがこの本の中で定義してるセンスっていうのは、数値化できない事象を最適化すること。
これも言葉がちょっと抽象的だとは思うんだけどね。
数値化できない事象を。
そうそうそう。
まあ要するにあれなんですよ、逆を考えてみればいいかなと思っていて、
数字で測れることって、例えば何かを決めなきゃいけない時に、
こっちは売れてるから残す、売れてないから残さないとか、
そういう判断ができるわけじゃないですか、数値化できるものっていうのは。
で、例えばね、料理の美味しさとか、
基本的には主観が入ったり、数値化できない、
例えば美術品、芸術品っていうのもそこで出てくるたりするけど、
物に対しての良し悪しっていうものを、
判断できる力みたいなものだと思ってもらうのがいいかなと思っている。
料理が美味しいか美味しくないかをちゃんと判断できるみたいなことなんだ。
そうそうそうそう、まさに。
うわ、センスねえ、俺。
コーヒーは全部一緒って。
全部味がすると思う。
そうなんだよね、味がするっていう工夫になっちゃうのかもしれないけど。
でもなんかその、センスを磨く、
数値化できない事象を最適化することっていうのが、
センスっていうふうなものだとして、
で、水野さんがこの本で言ってる、
センスを磨くにはじゃあどうしたらいいのとか、
センスの正体って何っていう話。
数値化できないものを最適化する、最適に判断していくために必要なことっていうのは、
知識だよねっていうのが、この本の骨格というか様子かなと思っていて。
なるほど。
そう。で、知識の集積であるって言ってもね、
なんかいろいろあるかなと思うんだけど、
そういうセンスをじゃあ磨いていくにはどうしたらいいかっていうと、
知識を集めていくことが大事っていうのもあるけど、
それだとなんかすごい頭でっかちな感じしちゃうんだけど、
この本で、その冒頭の方で水野さんが言ってるのが、
普通を知ることが大事だと。
へえ。
いう話をしていて。
そう。
まあ、いわゆる王道を知るというか、
普通の感覚を持って、
いいもの、悪いものっていう判断軸があって、
じゃあその中道、真ん中にあるようなものとか。
要するに多分相対化ができるようになること、その領域において。
だと個人的な解釈としてはね、そういうふうに思っているんだけど、
ただ相対化するためには、
その業界の普通というか、知識の解像度が高くないと、
相対化っていうのはできないものだと思うから、
そういう意味でのその業界、もしくはそのジャンルとかの知識を、
しっかり集めていきましょうというところ。
その知識っていうのが結構一個大事なポイントだと思っているのが、
このセンスって自分の好き嫌いとはまたちょっと別の話をしている、
っていうところがあると思っている。
なるほど。
好みの話ではないのよ。
好みではなくて、客観的に、一般的に、
その業界でのいろんなことを知るみたいなことが、
一個大事だよっていうふうに伝えている。
で、なんか水野さんって多分そのクリエイティブディレクターっていう仕事柄もあって、
そういうセンスを発揮する場面って、
基本的に何か提案をするとか、
何かしらの状況において特定の解を出すみたいなこと。
問いをたてて解を作るみたいな仕事だと思っているんだけど、
っていうのは要するに何か顧客なり、対象となる状況とか場が設定されている上で、
センスが発揮されるっていう設定がある。
これって自分の好き嫌いとかじゃないのよね。
確かにね。
そうだな。
完全に主観じゃん、好き嫌いは。
だけどクリエイティブディレクションのお仕事っていうのは、
さっき言ったようにクライアントとなる企業がいて、
その企業がどういうふうに自分たちのアイデンティティを打ち出していけばいいかみたいなことの、
正解を決めるみたいになったときに、
自分はこれが好きだからってデザイナーが言ったらちょっと意味わかんないじゃん。
確かにな、お前の好き嫌いなんて知らねえよって感じだもんな。
だからそういうものよりは、
この水野さんが本の中で言ってるセンスっていうのは、
主観というよりは客観に近い、
その客観的判断基準をどう自分の中に持つかっていうところなのかなと思っていると。
すごいね、センスという一見定量化できない主観っぽそうなものを客観で持てって言ってるんだ。
そうそうそう、客観的なものでセンスが磨かれるよっていう話をしていると思っている。
なるほどね。
これは俺の解釈だから、違ったら水野さんすいませんなんだけど。
確かに、でも直感的に一般ピーポーとして思うセンスって、
今川尻が言ったような、何というかすごく主観的で、
センスってどうしても下北のすごいハイファッションな人々。
分かる分かる。
それは前衛的ですねとしかこちらとしては感想が言えない、
もうなんかすげー肩の広いパリコレのみたいな。
そうそう、パリコレファッションみたいな。
あれってどっちかとしては自分の好きを極めてるようなイメージがあるから、
好き嫌いの話な気がしてたんだけど、そこじゃないんだね。
そうだと思う。
なんか俺もこの本を読んでて、センスの話として読んでたんだけど、
主観というよりはその客観的な部分というか判断基準みたいなものっていうことを考えたときに、
逆に今話に出てきたさ、浮世離れした格好をしてるとか、
自分にはわかんないものとか、
っていうのはこれも全く本の中では触れてないんだけど、
俺が思うのはそれってスタイルなんだと思うんだよね。
そのセンスではなくてスタイル、その人らしさとかっていうものなんじゃないかなっていうふうに思って、
主観はスタイルだと思う。
その人らしさとかその企業らしさみたいな。
それは主観だから正解とかは別にないし、
特定の状況でとかじゃなくて、結局判断基準になるのはその人の考え方一つだと思ってるんだけど、
それは俺の中ではスタイルっていうふうに解釈をしていて、
この本で言ってるのはそういうスタイルの話、好き嫌いの話ではなくて、
物事の良し悪しを判断する基準を磨いていこうねっていう、
磨けるもんだよっていう話だと思ってて。
ただ難しいのが好き嫌いと全く、
その何ていうのかな、客観的な基準が無関係ってわけでもないから、
ある程度相関関係というかね、何か繋がりはある気がしているんだけど、
あえて分けるならそうそうそういう感じかなって。
スタイルとセンスの違いみたいなところで、よりセンスは客観的なところから。
やっぱりマットフェルト知識から始まるっていう台に戻るんだな。
逆に言うと、その人らしさって、
知識をつけたからその人らしくなるっていうものでもないとは思うというか。
それはそうかもしれない。
その人らしさをプロデュース、例えば自分がどういう服を着るかを決めるのには、
実はもちろんそのスタイル、その人らしさっていうのもあるんだけど、
そのスタイルをどう一般的な外の目との接点を考えて、
選ぶかっていうのはセンスなんだと思うんだよ。
めっちゃややこしいんだけど。
全く人の目を気にしないで、自分の基準だけで選ぶっていうのは、
もう本当にこの服が好きだから着るみたいなのはスタイルよりの話だと思ってるんだけど、
例えばTPOをわきまえた服装でちょっといいものを選ぶみたいな話だとセンスの話になるというか。
そこがね、ちょっと難しい。
その辺は全然本の中で取り扱ってる話じゃないかな。
個人的な感覚というか解釈だったりとかの話なんだけど。
この本、やっぱ面白いなって思ってるのは、まずね、読みやすいんですよ、とっても。
難しくない、全然、語り口が。
っていうのも保育士さんに読んでほしいなって思った理由の一つだし、
センスを磨くには知識の集積が必要だよねみたいな話っていうのは、
さっきも話に出てたように救いでもあるし、逆に言い訳ができなくもなるしみたいな話で。
本書の中での表現を借りると、
不勉強と思い込みはセンスアップの敵っていう言葉があって。
思い込み。
不勉強と思い込み。
これってめちゃめちゃさ、実は結構ハードなこと言ってるなと思って。
確かにね。やれって言われてるよ、のと。
君がセンスないのは勉強してないし、主観が強すぎるだけみたいなことを裏を返してしまえば。
そうか、思い込みっていうのは、そっか、主観の強さを。
思い込みは主観の話だね。
そっかそっか、なるほどね。
っていうふうに思っていて、でも逆を裏を返せばというか、この本の通りの解釈で言うと、
それって逆にやればできることだよと、磨いていけるもんだよっていうメッセージだと思うから、
そういうふうに受け止めて考えたい。
知識と言われる、いわゆる勉強しようよっていうところがさ、
保育の中でどう扱われるんだろうな、どういう解釈になるんだろうなって今すごい考えてたんだけど、
なんとなくだよ、これ僕のなんとなくの話今からするんだけど、
知識というよりも、自分の経験みたいな、自分が考えたことみたいなところがすごく主であって、
どちらかというと外からの、例えば保育のこういうアプローチがあるとか、
さっき言ったような研修で遊びについて学んでくるみたいなことが、数はあまり多くないという。
そういう機会も少ないし主体的にそういうふうに学んでる方っていうのもそんなに多くないようなイメージがあって、
なんかその経験値、自分の経験値、体験したようなことをいろいろ再構築して再構築して、
日々の業務に当たっているような気がするのよ。
なんかそれと水野さんの言葉を借りると、それはなんか結構思い込みが強いような保育になってるなっていう。
いい悪いではなくね。
それでしか対処できないような場面ももちろんたくさんあるから、
それは一つの方向性として間違ってないんだと思うけど、
すごくそっちが強すぎるな、保育業界全般的にっていうのがね、今聞いててすごい思って。
まさにその通りだなっていうふうに個人的には思ってて、
この本の中でたびたび子どものことについても、
それが主要なテーマでは別にないんだけど、
子どもとか幼児性の話っていうのが出てくるんだけど、
センスを磨くっていうことの一つの方法のまとめとして、
幼児性、幼児の幼児らしさというかね、
幼児性で新鮮な感性を取り戻すっていう言葉の表現があって、
その本の中での定義のされ方として、
感受性プラス知識イコール知的好奇心っていうふうな式があって、
これってめちゃくちゃ面白いなと思ったの。
この本は一般的なビジネスパーソンに向けて書かれている本だから、
普通の仕事をしているとどっちかっていうと逆に知識の方が、
客観的な話とかマーケティング、市場調査とか、
客観的な情報は取りに行くんだけど、
感受性が乏しくなっていくっていう側面が強いと思うのよ、
普通の企業にとって。
でも、保育現場って多分真逆で、
感受性はめちゃくちゃ高い、
子どもたちと日々接している中で、
そういう新鮮な表現というか、
子どもたちのフレッシュな感覚と向き合い続けているからこそ、
感受性はむしろ一般的な企業より高いんじゃないかというふうに思っていて、
逆に客観的情報の集積っていうのが弱いっていうふうに、
個人的には思っているというか、
っていう側面があるなと思うから、
普通の企業とかだと感受性をどう高めるかみたいな話、
自分の感覚を取り戻せみたいな話が主要になるんだけど、
保育現場とか子どもと向き合っている現場に関しては多分逆で、
感受性だったり、思い込み、主観、経験みたいなものは強いんだけれど、
逆に一般的な知識みたいなものがむしろ不足しがちみたいな。
いや、めちゃめちゃ面白くない?そこ。
なんか我々がやろうとしている事業にも、
なんかティカシーなところがちょっとあるじゃない?
うん、あるある。
なんとなく。
だからなんか、
なんかセンスないなーみたいな話とかってよく出るけど、
センスがないというよりは、
例えばその製作物、何かを作るみたいなことでもさ、
外に学びに行かなくても、
オンラインとかでもさ、
いろんな製作物を共有しているサイトとかも当然あるだろうし、
そういうのでそのバリエーションを知っていれば知っているほど、
それらの組み合わせでまた自分らしいものを作ったりとか、
今の場に最適な、今の向き合っている子供たちに最適な遊びを紹介できたりとか、
っていうのが多分センスなんだと思うんだよね。
だからシンプルにもう感受性、経験とか、
その人の感性みたいなものはむしろ保育現場は高くて、
そういうちょっとインプット部分に目を向けてみるだけで、
なんかよりその人の幅が広がりつつ、
向き合っている子供に対しても最適解を出していけるというか、
良さが出るんじゃないかなみたいなところがあるなと思ってて。
面白いね。
だからさ、保育現場、保育士さんたちがめちゃめちゃそういう視点、
クリエイティブな視点を持っているよね。
クリエイティブは自分と遠い世界の話とか、
制作物に限った話ではなくて、
物事と向き合う時の何かの選び方とか、
人とのコミュニケーションでもいいし、
制作分かりやすく言ったら、
そういう外に向けてのチラシじゃないけどさ、
伝達書類みたいなものとかも、
自分がどれだけのバリエーションを知っているかで、
より最適なものを選べるみたいな側面であると思っていて。
なんか本の中ではインテリアの話が出てたんだけど、
事例としてね。
全然家具とかを知らない人が、
インテリアとかのセンスがないよねって言ってるっていうのは、
センスがないんじゃなくて、
知らないだけですっていう話があって。
やっぱり?
そうそうそう。
逆に言うと、インテリアのセンスがある人っていうのは、
当たり前のように、
そういうインテリアに関する雑誌とかを100冊以上読んでたりとか、
圧倒的にインプット量がまず違うよねという話をしてるから、
それこそが多分センスの正体なのじゃないかなっていう話をしてます。
すごく救いに感じるな、今の自分にとっては。
そうそうそう。だから単純に知ればいいだけって言ったらあれだよね。
で、その知ることの、
どういうものを知っていけばいいのかみたいなことも、
細かくこの本の中で、
あたりにより具体的に触れてるんだけど、
そこはちょっと、
今回あんまり自分的には本題ではないからいいかなと思っていて。
ぜひそれこそ読んでみてもらって。
そうだね。
超読みやすいからね。
本当にさらっと読めると思うし。
で、たぶん紹介しないと、
この本を自分で手に取る保育士さんあんまりいないだろうなっていうのもあって。
とても関係があるとは思えないもんね。
そうそう、自分のフィルターに引っかからないじゃん、こういうのって。
関係ないと思ってるものって人間って見えないからさ。
見えないよ。
不思議とね。
法律の本とか法善書とか絶対読まないもん。
そうだね。
でもそれで言うと、保育士さんはじめ、一般的な保育士さんはさ、
平均値は今、莫大にあるわけじゃん。
一人一人の子供とのエピソード含め。
膨大な数のエピソードを抱えていると思ったら、
ちょっと違う刺激として、
こういう違う本読んでみたりとか、
違う言葉を学んでみたりっていうことで、
一気に保育が変わるとかさ。
そうだね。
より良い新しい保育が生まれてくるとかっていう、
ワクワクが今すごい感じてるんだけど。
子供との接し方とか、
それこそどういう手遊びをするかとかもそうだろうし、
なんかいろんな、
もちろん対子供だけではなくて、
一緒に働く職場の人に対するコミュニケーションの仕方も、
そのセンスというか知識とかインプット次第で変わっていくものかな。
めちゃめちゃいいな。