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#81「下手だけどいい写真」が保育を変える?――写真家・幡野広志さんの本から考える"視点"の話
2026-03-25 44:07

#81「下手だけどいい写真」が保育を変える?――写真家・幡野広志さんの本から考える"視点"の話

現役保育園看護師のチロ先生と高校の同級生たちによる保育の情報ラジオ「ホイクベースラジオ」。

今回チロ先生が紹介するのは、『うまくてダメな写真と下手だけどいい写真』。一見、保育とは無関係に思えるこの写真の入門書が、なぜ「これは保育の本だ」と感じさせたのか?技術的に整った"上手い写真"よりも、その人の視点が宿った"下手だけどいい写真"にこそ価値がある――そんな本書のメッセージを、保育の世界に重ねて語ります。

▽ 今回のトピック・「その人の視点」が写真にも保育にも表れるということ――自分が何を見ているか意識できているかどうかが、いい写真にもいい保育にもつながる・写真には被写体との"関係性"が映る――保育者と子どもの関係性がそのまま写真の表情に現れるという気づき・ドキュメンテーションとしての写真の可能性――写真一枚+キャプションで保育記録はもっとシンプルにできるのでは?という提案

写真を撮ることを通じて「自分の視点」を意識すること、それが保育の質にもつながっていく。カメラや写真に興味がなくても、保育に関わるすべての人にハッとする気づきを届けてくれる一冊です。続編の『気になるいい写真は誰でも撮れる』もあわせてぜひ。

▼「ホイクベース」ダウンロードはこちらiOS版⁠⁠https://apps.apple.com/jp/app/%E3%83%9B%E3%82%A4%E3%82%AF%E3%83%99%E3%83%BC%E3%82%B9/id6503190795⁠⁠

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サマリー

このエピソードでは、写真家の幡野広志氏による著書『うまくてダメな写真と下手だけどいい写真』を保育の視点から読み解きます。番組では、技術的に完璧な「上手い写真」よりも、撮り手の「視点」が宿った「下手だけどいい写真」にこそ価値があるという本書のメッセージが、保育の現場における保育者と子どもの関係性や、保育記録のあり方に通じる点が強調されます。写真を撮る行為を通じて、自分自身が何を見ているのかを意識することの重要性が語られ、それが保育の質向上にも繋がるという考えが示されます。また、写真が被写体との関係性を映し出すこと、ドキュメンテーションとしての写真の可能性、そして「らしさ」や「関係性」が面白さに繋がるという議論が展開されます。最終的には、保育現場での写真活用や記録の簡略化、さらには保育の質向上への応用について、幡野氏の考え方を保育の文脈で深く掘り下げています。

「下手だけどいい写真」という写真集の紹介と保育との意外な繋がり
こんにちは、保育園看護師のチロ先生こと佐藤です。 新規事業の力で日本を開国せんとす、合同会社黒船の基礎です。
同じく、黒船の河地です。 僕たちは高校の同級生3人で、保育業界向けの新規事業を作ろうと日々頑張っております。
このラジオではですね、僕たち3人が保育士の皆さんにぜひ読んでもらいたいなぁと思う本を毎週紹介しながら、
それらのテーマを拡充していろんなおしゃべりしていけたらいいなぁと思って続けているそんなラジオです。
はい、というわけで今回は私佐藤プレゼンツで本をご紹介していきたいと思うんですけれども、
早速じゃあ今回紹介する本をご紹介しますね。
写真家の佐藤博史さんという方の、上手くてダメな写真と下手だけどいい写真という本を紹介したいと思います。
はい、今回は写真の話をさせていただきます。
あれ、保育の話じゃないんですか?
そう思うじゃないですか。
僕ね、これ何の気なしに手に取った本だったんですけど、読み進めていくうちにとても保育だなと思ったんです。
タイトルもう一回教えてもらっていい?
タイトルいいですか?上手くてダメな写真と下手だけどいい写真です。
これが?
これは保育の本ですね。
と言っても過言ではない箇所が何箇所かあって、
あ、よかった。
もちろん過言ではあるんですけど、私の解釈としては保育に通ずるものがたくさんあるなというふうに思ったので、
ぜひ紹介させていただきたいなと思っている次第でございます。
なるほどね。これは視聴者の方への軽いお問い合わせですが、キソさんとチロさんは結構写真とか好きなのよね。
撮ったりとか好きですね。
もともと高谷さんがカメラとか写真とか好きで、
僕も興味あるけど始めるまでに至ってなかったぐらいの頃に、
ひょんなことかちょっとしたカメラ買って、せっかく買ったなら何かちゃんと撮れるようになりたいなと思って、
あれこれ見てるうちの最初の方にこれを見つけて読んで、
すごいいいなと思って、最終的に収録時点ではまだですけど、
今度は畑野さんがやっているワークショップに参加させてもらうことになって、
ガチで?
ガチだ。
ガチで。
写真の話はね、前に撮ったビデオポッドキャスト、YouTubeに上がってるやつでもちょっと話を。
あれ?上がってるっけ?上がってたっけ?
上がってたと思う。
上がってますね。
じゃあぜひそれも読んでみて、読んでみてじゃない聞いてみてもらいたいなんですけど。
でも今日はその一見保育と関係なさそうな本がどう保育と関係してくるのかっていう話を聞けるのかなと。
そんなことを伝えていきたいと思います。
はい。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
写真の入門書が保育に通じる理由:技術より「視点」の重要性
簡単にね、この本のあらすじについてご説明すると、
この写真家の畑野博史くんさんがやってきたワークショップの内容とか、
彼ノートとかSNSでの発信も結構精力的にされてるんですけど、
その内容とかをまとめて一冊の本にしたという感じなんですけど、
もうすごく平たく言うと写真を撮るための入門書に近いんだけど、
なんとなくガジェット系の入門書って機能の説明とか、
具体的な技術的なところにフォーカスが当たってるものが多いかなと思うんだけど、
畑野さんのこの本ってすごい面白くて、
どっちかというと、その技術的な話もあるんだけど、
それ以上に写真というものとどう向き合うかというか、
写真が与えている誤解とかをね、ちょっと引きほぐしながら、
もっと簡単に撮れるよということを教えてくれていてですね。
うん。
まずそれが一つ、めちゃめちゃ嬉しいというか、
あ、そうなんだっていう、ハード度をとても下げてくれる。
写真僕全く撮らないですけど、
光がどうだとか、切り取り方がどうとか、
カメラのレンズで何十万もするだとか、何万何十万もするだとか、
結構大変そうなイメージがありますけど。
そうだよね。
俺もなんかそのイメージあるし、
実際その面もあるとは思うんだよ、カメラって別に安くないし。
なんか沼じゃないですか、本当は。
沼だね。
でもなんかそれはあくまでカメラ側の話であって、
結局何をしてるのかというと、写真を撮ってるんだから。
写真を趣味にしようよっていうことを言ってくれてて、
いいカメラを買ってとかじゃなく、
最低限これとこれとこれさえやればいい写真に、
いい写真というか、ちゃんとした写真にはなるんだっていうところをね、
とても簡単に説明をしてくれていて。
へー。
中でもこの本の主題でもあるようなその上手い写真、
上手いけどダメな写真とか、下手だけどいい写真とか。
だから上手いと下手、ダメといいの、こう4軸あって、
目指すべきは下手だけどいい写真でいいじゃないかっていうところなんだよね。
いわゆる上手い写真っていうのはその技術的にガチガチに整ってるような写真、
もう構図も完璧ですとか。
基本はプロが撮る写真を技術的な上手い写真っていう話をしてるよね。
ただ技術的に整っているけど、上手いけど、
その写真は彼の言い方からするとダメだよねっていうものもあれば、
逆に全然技術的には下手くて下手なんだけど、
めちゃめちゃいいなと思える写真が一方あったりしていて、
もうなんというか素人が続けていくための写真って、
下手だけどいい写真っていうのが何よりも良さなわけだから、
もうそれをどんどん撮っていくんじゃない、
っていうことを提案している本なんですよ。
なるほどね。
写真を撮る動機:記録、思い出作り、そして「自分らしさ」の探求
これめっちゃここから出る話と本数字関係ないかもしれないんだけど、
単純に気になってて、
なんで写真撮るの?
いい質問ですね。
いい質問。じゃあちょっと高谷さんに聞いてみましょうか。
どうして写真を撮るのか。
もう何だろうな。
高谷さんが始めたきっかけとかも含めて。
いやー、きっかけわかんないな。
結構、もともと俺は多分ガジェット的というか、
技術的な部分が好きっていうのが大きかった気がするんだけど、
映像も撮ったし、写真も撮ったしで、
何だろうな、仕事でちょっと撮るみたいなこともあったんだけど、
なんか改めて写真を撮るようになったのはやっぱり何だろうね、
生きていく中で何かを記録するみたいなことに対して、
スマホ以外のもので撮るっていうのが結構面白いなと思ってて。
へー。
スマホでいいじゃんみたいな時代ではあるんだけど、
やっぱりスマホではできないことがカメラでできるっていうか、
カメラじゃないとできないことがあるっていうのが面白いところかな。
それを残すことで、自分も含めてだけど、
人が生きる意味ってさ、結局思い出作りじゃんって思うと、
なんかそのきっかけとか、職場に成り得るものとして、
話題の中心になり得るものとして、
なんか写真があってもいいなって思うようになったのがきっかけかもしれないね。
ほんとね。
これ、僕は僕で極端な思想なのが、
スマホでいいじゃんってところか、
写真撮る意味あるって思ってるタイプの人間だから。
いいね、極端だね。
でしょうね。
思い出作りだよね、はなんとなくわかるんだけど、
写真撮ったところで見返さねえしな。
だったらこの時間も集中して見ることに、
時間を使いたいなとか思っちゃうタイプなんだよね。
いいっすね、そうなんだよね。
なんか写真を撮ることで、
しっかり見ることができるって逆説的だけどあるなと思ってて。
なんかその感覚があるかも。
そう、それです。
ぶん投げた。
ほんと、でもタカラスのその視点俺はすごい好きで、
なんとなく、僕も別に物理撮ってきたわけでは全くないけど、
美味しいもの食べたらそれ撮りたいなって思ってちょっと撮ったりとか、
特に子供が生まれてから、子供の成長を残しておきたいなっていうのはやっぱどっかにあって、
だからもうフォルダーは基本子供しかいないんだけど、
なんかこう撮っていく中で、
なんかこうやっぱ思んないんだよね、そのスマホで撮ってるだけだと。
いまいち。
シンプルなほんとに記録って感じだもんね。
記憶というよりは記録みたいな感じ。
あんまりそこにこう気持ちが乗っていかないなって感覚があったんだけど、
まあそんな話をタカシとしてて、いやカメラ買おうよってなって、
買って撮り始めたら、やっぱりなんかこの自分の好きな瞬間をたくさん撮ってて、
全然それこそね、この本で言えば全く下手なんだけど、
個人的にすごいいいな、好きだなって思う写真が、やっぱ何枚かは撮れていて、
で、それってなんかね、親とか嫁とか子供たちにもそうだけど、
に見せたときにすごいやっぱ喜んでくれるっていうね、なんかそれはすごい嬉しくて。
そうだね、特にやっぱり、まあ俺なんかは別に子供がいるわけではないけどさ、
子供がいる人って絶対に、まあスマホなりなんなりで子供の写真を撮るじゃないですか。
で、まあそれをなんかスマホ以外で残したいというか、
スマホ以外で撮ったらハマるというか、いいなっていうそのチェロの感覚はめちゃくちゃわかるというか、
むしろそういうなんか子供という被写体が常に身近にいるの羨ましいなと思うぐらい。
いや本当に、まあただ本当に忙しすぎて撮れない瞬間の方が多いんだけど。
そうですよね。
本当にね、もう俺みんなどうやって撮ってんだろうって。
スマホの気軽さって常に持ってるから、その瞬間を見逃さないみたいなとこにあるわけだもんね、カメラで。
まあ手軽は手軽だけど、パッと撮れる位置にない限りはなかなか、
その瞬間で撮ろうとはなれないよね。
そうだね、でかいカメラを。
決まったタイミングで撮らないと。
常に持ってるっていう人はなかなかいないもんね。
だからその畑野さんもまあこの書籍を通じて言ってるようなことの一つに、
カメラで、写真を撮ることを目的にはしないでほしいんだけど、
なんかその趣味であったりとか子育てであったりとかも、なんか種で何かこう写真を撮ることが種ではないんだが、
常にカメラと共にやはりコンビニ行くにも持ち歩くぐらいの感覚で、
で、見たものを撮る真ん中で撮るみたいな、
ほんとその簡単なもう決めた設定の中でそれをやり続けることで、
もうめちゃめちゃいい写真に仕上がっていくっていうことを書いてる。
でもそれぐらい自然に撮れるようになっていくと、
「下手だけどいい写真」がもたらす豊かさと「関係性」の価値
なんかもしかしたら人の心を何かこう訴えかけるような、
そういう作品作りにもつなげていけるような写真が撮れたりとか、
あるいはあえてちゃんと印刷してアルバムとして残したときに、
めちゃめちゃいい、なんというか子供たちからしたら愛されて育ってきたんだなっていうのが見て取れるような写真になっていたりとかするのかなっていうふうに読んでて思っていて。
確かにね、なんか今の最後ボロッとチロが言ってた話で、
そのプリントしてっていうのがあれかもしれないな、最近の自分のテーマというか。
やっぱさっきケイタ見たけど見返さないよね、スマホで撮った写真そんなに我々は。
見返す人とかもいるけど楽しかったなって言って。
個人的にはあんまりこうデジタルの写真としてスマホに入っているものを見返すことなくて。
で、こんな時代だからこそっていうのもあれだけど、
やっぱこうなんだろうな、プリントされたものとか、まあ最近フィルムカメラとかも人気だけどさ、
やっぱりなんか再現ができなさそうなものとか、デジタルじゃなくてなんか質量感のあるものというか手触り感のあるものっていうところに回帰している感覚があって。
だからそのプリンターも前買ったんだけどさ、やっぱりその写真専用のプリンターをね買ったんだけど。
めちゃめちゃいいやつ持ってるんだよね、タカシさん。
そう、だからチロもちょいちょいオフィスでプリントしに来てるんだけどさ。
めっちゃいいのが撮れたらちょっと使わせてもらおうと思って。
だから結局なんか紙媒体とか実際プリントするっていう行為が最近面白いなと思ってて、
友達と行った旅行とかも、まあなんだろう、どんなカメラを使うかはあんまり関係なくて、
まあその時自分たちは写るんですとかでも撮ってたけど、
紙でとかプリントしたものがあるっていうのがめちゃくちゃいいんですよ。
まあそれをなんだろう、その一緒に行った友達とかが持って帰って冷蔵庫貼るわみたいな話してたりとか。
なんかね、そういう広がりがあるっていうのが最近、なんか逆説だけどプリントすると面白いなっていう、この時代に。
なんかすごい豊かったよね。体験として豊かっていうか。
そうなんだよね、不思議だよね。
アナログに寄っているのに、むしろ不便になる部分の方が多いのになぜか満たされるものがあるっていうのがすごい面白い。
うん、なんか自分が旅行行った時に友達に全員に一人一台写るんですよ、渡して。
旅行中に撮ってくれっつって撮ってもらったんだけど、やっぱそれをプリントするとその人の視点がわかってめちゃくちゃ面白いんだよね。
おー、なるほどね。
自分が撮るというよりはその人の視点っていうのは自分には撮れない写真だからめちゃくちゃ面白かった。
確かに。
なんかその人なりのテーマで、わかんないけど何十枚みたいなものが埋まるみたいなのがちょっと面白いよね。
こういう瞬間撮るんだみたいな感覚があって、面白い。
今高谷さんが言ってくれた視点っていうところ、その人なりの視点があるっていうところがまさにもう保育やんって思ってたポイントの一つで。
おー、なるほど。そこでつながってくるんですね。
そう、記録っていう意味では写真も保育でやる記録も同じ部類ではある記録だよね。
で、何が僕の中ですごいこの本読んでていやめちゃめちゃ保育だなって思ったかっていうと、
その人の見る視点だったり、好きなものだったり、見ているものだったりっていうのを意識できてるかどうかってすごい大事だなと思ってて。
保育でも無意識的にやっちゃってる保育とちゃんと意識してやってる保育ってやっぱり結果も違うし、
子どもたちの反応とかも含めて全然違うと思うのよ。一個ただ遊ぶだけでも。
で、この畑野さんが本とかワークショップとかでも言ってるような、
ちゃんと自分が好きなものとか趣味とかっていうものがわかっていくと自然と写真も良くなるんじゃないけど、
それに近しいことを書いてあって、まさにこうちょっとメタ認知的にちゃんと自分がわかっていないと何を撮ってるのかわかんないみたいな感じにどうしてもなっちゃう。
世紀一般のインスタ映えするものとか帰りのものとかみたいな感覚で撮っていたって、その写真にもはやもう価値はなくなってるんじゃないかっていうね。
それこそAIでいくらでも画像が生成できるようになって、自分の体験とか自分がそこに何か感情を乗っけて見ているものじゃなければ、
残す意味合いが変わってきているというか、わざわざ必要なものではなくなってしまっている。
このご時世。 なんかやっぱわざわざ見てる。どうして好きなのかっていうところをちゃんと自分がわかってるかどうかっていうその気づきが
まんま 保育の世界に繋がっていく。
その人の視点がちゃんとあるかどうか、ちゃんとわかって見てるかどうか、みたいなところってめちゃめちゃ保育だなと思っていて。
途中まではわかるんだけど、めちゃめちゃ保育だなぁの瞬間に、まだ俺の中では飛躍がある。
途中まではわかるんだけど、その視点が大事だよね。その人なりのが大事だよね。ここまではそうそうそうそう、それがいい写真に繋がるんだろうなぁ。
それが保育なんだよ。いやいやいや、みたいな。
そうなんだよね、それはね。
飛躍があるかもね。
ごもっともかもしれませんが。
でもなんていうかね、だろうな、その僕が思う保育って、たぶん保育士さんが思う保育よりもだいぶ範囲が広いんだよね、なんとなく。
だから、もしかしたら保育士たちからすると、お前何言ってんだ、みたいな感じがあるかもしれないけど。
でも保育園看護師として続けてきたこの約10年間ぐらいの中で、
いや今のめちゃめちゃいい保育だなと、こいつの人の保育すごい面白いなって思うもので、やっぱその人独自の視点がちゃんとあったりとか、
その人の経験とか体験がちゃんと言葉になって、それが
すごい素敵なものとして、子供にちゃんと還元されていてっていうのを目の当たりにすると、
保育っていう学問としてはまとまったものがあるけど、その人なりの方みたいなものがどんどん醸成されていくんだろうなって思っていて、
本当だから、個人個人違う、その人の保育っていうものがあって、
それがまあもっと広くくると、保育園の理念だったりとか、保育の目標だったりとか、そういうところにも繋がっていくものだと思うんだけどね。
そこをちゃんと意識できてるか、自分の保育、自分がやりたい保育、
自分が与えたい保育園の理念みたいなものをちゃんとわかってるかどうか、理解できてるかどうかっていうところと、
自分が好きなものをちゃんと写真として残す、そういった視点を持ってくるみたいなところの関係性が似てるなって思ったっていう。
なるほどね。
ちょっと近づいた?
ちょっと近づいてきたかも。
前提としては、俺らに保育とは何なのかっていうところの、あれがないから、そこの繋がりは見えないんだよな。
だよね。
いいんだよ、でも。保育者に伝わればいいんだ。
しょうさん、実はこの本読んだことあるんよね?
うん、ありますあります。
僕はこの本読んだことなくて、とあるYouTube、つんどくチャンネルっていうYouTubeでこの本紹介した回を見たことがあるっていう、間接的な読んだっていう関係だと思ってるっていう、
めっちゃ遠い人間なんだけど、その動画の記憶ももう今あんまりないから、もうほぼ読んでないって言ってたんだけど。
ほぼ正見。
で、ごめん、それが本心じゃなくて言い過ぎてなかったのが、さっきのチロの話の中にもあった、その人なりの視点が見えてくるみたいなのがいいっていう話と解釈していて、
で、この本、上手くてダメな写真、下手だけど良い写真の下手だけど良い写真っていうのは多分そういうものを指しているんじゃないかなと推測していますと。
正しいと思います。
写真技術の上下ではなく、その人が面白いと思ったものが写っているものが良い写真だよねみたいなものじゃないかと。
で、僕、これ、最近ポッドキャストとかのお仕事をよくやっているので、ポッドキャスト界隈でよく言われるのが、
「らしさ」と「本音」の面白さ:ポッドキャストやYouTubeとの比較
ポッドキャストが良いのっていうのはその人の本音っぽい部分に触れられるからみたいな言説が多いんですね。
これなんでなの?っていうのは最近ちょっと気になってきてて。
ほうほうほう。なんで本音が良いの?
本音が良いって何だろう?
腹割って話さないように。
そう、僕はそれが別に好きじゃないからさ。
その人っぽさを知るっていうこととか、普段言わない本音が聞けるっていうことが良いんだ。
そこに引き付けられる人がいるんだっていうのがあるという現象は理解したんだけど、
それが何でなのかっていうのがあんまり多分理解できてないと思うんだよね。
理論として。本能としては言われれば何かわかる気がする。
それって何でだったんだっけっていうのがまだ繋がってないなと思う。
なるほど。めちゃくちゃ脱線ついてに脱線の話をすると、
今の本当の本音が聞けるみたいな話。
本音とかその人に迫るから面白いみたいな話。
ちょうど最近Xでちょっと話題になってたエッセイというかあれがあって、
詳しくはここでは話せないんだけど、
タイトルとして本当のその人は例外なく面白いっていうタイトルのエッセイみたいなのが出てて、
ちょっと後で見ておいてもらえるとヒントになるかもしれないなと思って。
なるほどね。良かった言って。
本当のその人って何だろうっていう話とか。
逆に言うと本当のその人じゃないものっていうのは、
こう見られたいとかっていうものが前に来てるっていう話で。
側が多いとね。
でも逆に言うとポッドキャストって今話したXのエッセイの中で言ってたのが、
心理的安全性がある状況での人って面白いよねっていう話をしているんだけど、
ポッドキャストは少なくとも見打ち感、本音出せる環境にいるから、
よりその人がフラットな状態で物事を発することができるっていうのが、
その面白さの一つなのかなっていうふうには思う。
でもそれって外側で普段やってるとされている人がやるから面白いみたいな前提がない?
だからそもそも本当のその人じゃなくて、
側を知ってるからっていう。
っていうのの対比じゃないとそれが本当かどうかが存在しない時点で、
真の本当というものはなくて相対性でしかなくて。
比較で。
僕らのこれを聞いたってさ、僕らがこれが本当っぽいかどうかなんてさ、
外っぽいものを知らない人間からしたら意味がわからないわけで。
そうだね。
あれじゃない?その人たちがどうこうじゃなく、
一般社会的な通年的なものとの比較なんじゃない?
その人たち自身との比較じゃなくて。
社会人は各あるべきみたいな、
義務教育で植え付けられた価値観からの帰りが面白いんじゃない?
それは逆張りが面白いっていう俺と同じ価値観ってことでいい?
逆張りが面白い?
いや、違う。
タピオスがさっき言ってたの、俺なんとなくさ、
ゲーム実況者のグループでやってるやつとか、
何人かが集まってやってるやつとかがすごい人気なのと、
なんかすごい似てるような気がするんだよね。
ゲーム実況が人気であることにもちょっと繋がるような気がする。
あれもそうだね。人気の配信者はその人の視点っていうものがあるよね。
だし、ちょっと本音っぽいというか、
素な感じに感じやすいというかさ。
そうだね、なんかお行儀が逆説的っていうかあれかもしれないね。
世間の常識とか、このコンプラの世の中で、
外行きの言葉じゃないっぽい言葉が聞けるっていうことに対して、
面白さを感じるのかもしれないなっていう気がする。
いや、わかる。そこはね、ちょっとわかるね。
僕は僕らの別荘っていうYouTubeが死ぬほど好きで、
あれはその令和ロマンの松井けむりっていうツッコミの方の人が、
僕らの別荘を見続けちゃうと、令和ロマンの活動、
あ、仕事してるなっていう気持ちになっちゃう。
ようになるっていう。
はいはいはい。
これ多分千代先生も同じこと思ってると思う。
わかるわかるね。
わかるよね。
いわゆるオンの外行きの動画の時と、
オフの時のそのギャップの話だよね、多分ね。
一方でじゃあ僕はこれを、松井けむりの巣が見えて楽しいっていうよりは、
その4人の関係性、4人のグループYouTuberなんですけど、
関係性が面白いとか、
友達みたいだっていう親近感だっていうのをわかるの。
巣かどうかというより、親近感とか、
関係性とかだなフォーカスというか重きが置かれるのはっていう感覚があって。
なるほどね。
その関係性だから立ち現れるその人らしさみたいなものが良さなんじゃないかな。
そのらしさっていう単語に集約されると、
それでもう面白いよね。
この至る、ここになんかもう1個ないのかなっていう。
らしさを知る、イコール面白い。
このイコールの間になんか。
そっかそっか。
なるほど。
そっかそっかそっか。
あるんじゃねっていう。
らしさ。
らしさを知ると面白いの、僕も感覚はあるんだけど、
そのらしさを知るっていうことが何で面白いなんだろうっていう。
なるほど。
なんか知った気になれるからじゃない。
なんか自分だけわかるみたいな、実際自分だけではないけど、
共感できる部分。
そう、自分だけではないんだよ。
重なる部分が見つかるからじゃない、なんか。
親近感とかってことなのかな。
に近しいというか、なんか自分もその関係性の中にいる感覚になったり、
わかるわかるっていう、共感の感覚な気はするけどな。
そのらしさ。
この人。
でもそうだよな。
これってさ、本来幻想なわけじゃん。
その人らしさなんて絶対わかり得ないのに、
わかった気になるともう面白いっていう事象なわけじゃん、それって。
そうだと思うよ。
確かめることは厳密には絶対に不可能なわけで、
そのらしさを感じれたら面白いっていうのの、
メカニズムがなんか、不思議だなって思うっていう。
なんか、わかんないけど、人間がさ、共感性がないとそもそも社会として成り立たないみたいな、
人間の感覚、人が人として社会を営んでいくために培ってきた能力なのか、
わかんないけど。
もうだから、そうとしか言いようがないとこでまでしか解明できてないんじゃない?
そうなのかもね。
らしさから感じる親近感っていうものって、
共感力みたいなものとちょっとニアリーイコールな感じある気がするけど。
実際に真実としてわかったかどうかはさておき、
わかった気になる感覚がもうそもそも心地よいものとしてあるんじゃない?
「らしさ」を醸し出す要素と保育現場での写真活用の可能性
なんか、そういう系の話聞くと、
俺はどうしても自分の仕事柄、
じゃあ自閉症の方たちとかは、
人との境界線がそもそもね、
強くありすぎるかあるいはないか、
共感力みたいなところに障害を抱えて生きてる人たちも、
同じようにそのらしさで親近感をいただき楽しいと思えるのかってところがすごい気になってくる。
それこそ逆に言うと、
そういうような障害を持った人たちでも、
そういうポッドキャストだったり、
そういったものを何か楽しんで聞いてる、
あるいは心地よさを感じるのであれば、
もっと共感力の、
共感ではない場所、
コミュニケーションとか共感とは関係ないところでもっと、
なんかコアな部分で感じるものがあるのかもしれないし、
逆に障害によってそこがやっぱり、
それに対して面白さを感じていなかったり、興味が湧いていなかったりとか、
安心していない、リラックスできていない状態みたいなものが、
やはりデータとして起こされるのであれば、
やっぱりそこって、
共感力、コミュニケーション能力に付随した何かの機能、
働きとして、
そういうふうに感じるから楽しい、みたいな、
いつもに至れるのでは、
っていうふうにちょっと思っちゃった。
確かに、誰か実験してそうだね。
論文とかを探してみた方がいいか。
確かに。
でもそうなってくるともう1個、
多分これはこの本にも関係ありそうだなと思うのは、
何がその人らしさを醸し出す要素になるんだろうね。
いい写真から占めるものって何によってあるんだろう。
結局この博多さんが本の中で、
じゃあどうやって撮るのかみたいなところで、
本当簡単で、
自分が見てるものを真ん中で撮ればいい、
っていうだけのことを言ってるんだけど、
普通に街歩いてて、
なんかふとした瞬間に何の意味もない、
何の意味もなくてもパッて見たもの、
絶対何かは見てるじゃん。
信号かもしれないし、
逆にオーダーホードかもしれないし、
駅でなんかどっちだっけなって見た時に、
東口なのか西口なのか分かんないけど、
自分が見たものをただ撮ればいい。
それがその人の視点だというふうに。
僕よく見るのが、
信号の標識、ここ何通りとか何交差点みたいなのが入ってるじゃん。
あれの英語がローマ字にしてるのが本当に訳してる。
あるよね。
めちゃめちゃ面白いじゃん。
そういう視点。
東通りを東通りって書くのか、
イーストストリートを書くのかみたいな。
そういうのをちょっと見たりする。
面白いじゃないですか。
それを仮に毎日何の気なしに見ているものを、
カメラを毎日持っていって、
見た時にパッて撮るだけで、
もうその人の写真っていうものになるわけだよね。
そうだね。
俺そういう風に見てないもん、そこ。
らしさっていうのは視点の話だよな、写真においては。
この本においてのね。
なるほどね、視点か。
その人の視点、見てるもの。
写真はダイレクトに視点がさ、そのまんま。
見たものが写ってる。
で、やっぱそこに見たものが、
50人いれば50人全然違うものを撮っていて、
それがやっぱ下手だけどいい写真が世の中にあふれてくれば、
写真ってもっと面白い素敵だなっていう風になるし、
それだけ、仮に子供の写真とかであれば、
子供たちにとっても将来的だなって思えるものになるし、
人生が豊かになるものであってほしいっていう、
そんな願いも込められた本だと思うんだけど。
そうだね。
だから、映えとか評価稼ぎじゃなくて、
その人の視点を大事にしましょうっていうのが趣旨だよね。
視点ってよく考えるといい言葉だね。
視界じゃなくて、点だから。
同じような視界の中でも点をどこに置くかっていうのは、
たぶん僕やチロ先生やきそくんも、
それぞれ重なる部分もあれば違う部分も多い。
そのずれ感があるし、その人らしさになるってことなんだよね。
そうだね。
結局たぶん、その個性とからしさって、
その人単体では成立しなくて、
関係性の中での比較相対的なものでしかない気はするから。
なるほどね。
写真も同じシチュエーションでカメラを持って撮り歩いたとしても、
一人で撮り歩いてても、その人らしさって言われても、
過去のその人の撮ってきた写真とかと比較して、
その人らしいとか言うことができても、
他の人と横軸で比べたときに、
その人らしい、こういうとこ見てるんだみたいなことって、
一人じゃ成立しないよなってちょっと思うし、
関係性の中にある気はするかならしさって、
その相対的な差異みたいなものがらしさなんじゃないかって気がする。
面白い。
保育現場における写真の役割と「下手だけどいい写真」の普及
それが保育なんですか?
結局、被写体との関係性がそのままダイレクトに現れるものでもあるっていうのが書いてあるんだけど、
保育なんてまさしくそうじゃん。
子供と保育者と関係性の中で成り立っていく子供が育っていくっていう環境なので、
いや、保育って写真だなって思ったんだよ。
急に語彙を失ってしまった。
急にちょっと今あれだけど。
そもそもその保育園ってさ、子供の写真を撮って親に共有するみたいな、
親が写真を買うみたいなこととかを当たり前のようにやっているけどさ、
それもある意味でその写真が上手い写真かどうかさておき、
保育士さんしか見れない瞬間とか視点があるっていうのが、
あれだよね、親が買う理由というかさ。
こんな風にやってるんだと単純に生活を見るだけじゃなくて、
いい表情してるなっていう写真があればあるほど、
親にとって嬉しいし、写真としても売れるしっていうのもあると思うんだけど、
やっぱり保育士じゃないと、保育者と関係性がないと引き出せない表情みたいなもので、
いっぱいあって、運動会のときだけさ、
フォトグラファーが来て撮りますみたいな、
それこそ上手い写真よりも日常の保育者が撮った下手な写真の方が、
グッとくるものがあったりするのよ。
なんかそれは感覚値としてあって、やっぱり。
っていうのを思うと、僕はやっぱ保育士さんたちも、
ちょっとでも下手だけどいい写真に近づくような、
それがちょっとでも上手い写真にもつながっていくような、
簡単な技術とか、そういったものが学べるって意味でも領城だと思うし、
あとは保育ってドキュメンテーションっていう手法があって、
それこそ写真を使うのよね。
自分がやってる保育だったり、
子どもたちの様子の瞬間を切り取ったところから、
それがそのまま活動の記録になったりするわけですよ。
この写真で、いわゆるキャプションをつけるような形で、
一言を記録としてこうこうだったみたいなものを書くだけで、
記録として成り立つ時代になっている。
むしろそれを先駆的に取り組んでやってる保育園の方が
評価をされてるぐらいのそういうものになってるから、
もっと記録は簡単にできるし、写真は簡単ですって
鳩沢さんが言ってると思うんだけど、
俺保育の記録もっと簡単にできると思ってるの。
1枚撮って様子を書きや、だって伝わるんだから。
これを読んでてすごい思ったので、
そういった意味でも写真は保育だなっていうところ。
確かに。
なんか自分がこの本を読んだ時の、
というか改めて今の保育とかとつなげて考えた時にさ、
この本以前からそういう話はチェロとかともしてるけど、
保育士さん、今多分何だろうな、
なんとなく昔からあったデジカメで撮ってるとか、
スマホで撮ってるとか、保育園としてはね、
子供の写真やってると思うけど、
この本の著者の波多野さんがさ、
前鎌倉のなんだっけ、小学生?
小学生連れてノートの写真撮りに行ったやつね。
小学生にカメラを渡してノートの写真を撮ってもらって、
その展覧会みたいなの鎌倉でやったみたいなことをやってたんだけど、
同じように保育園、どこかの保育園で、
その時使ったリコーノGRっていう、
要するに簡単に撮れるちっちゃなコンパクトな、
だけど写りがいいデジカメがあるんだけどさ、
保育園の、
福利構成ではないけど、
設備として保育園にGRとかをね、
いいカメラを導入して、
1年ぐらいそれで撮ってもらって、
その保育園の何かが変わるのか、
みたいな実験をしてみたいなっていう気がする。
めちゃめちゃ面白いと思うんだよな。
てか、そもそもまずもう、
まずもって相性がいいし、
すでに必要としてやっているっていうのもあるね。
すでにスマホなり他のデジカメなりで撮ってはいるもんね、きっと保育園。
そういった写真を使う、
それこそ園の広報的に使うっていうところまで含めて考えると、
やっぱ中の様子が見える、子どもの表情が見える。
結局写真で写る子どもの表情っていうのは、
そのまんま保育者との関係性が写ってるんだと思うんだ。
その視点、すごい面白いなって。
これもその本に書いてあったんだけど、
その関係性が写るんだみたいなところが。
そこが写真から見て撮れるって、
そういう芸術ってやっぱ他にないなって思うと。
記録にもなるし、それがそのまま芸術にもつながっていける。
なんかそれってすごい写真の面白さだなって思っていて。
本当に保育の新規授業の中でなんか一個形にしたいなって思ってる。
保育園はやっぱ子どもの個人情報というかプライバシーの問題もあって、
あんまり写真が出せないところとかもあるけど、
もっといろんな保育園のいわゆる下手だけどいい写真、
この本にいるところのみたいなものが外に増えていくと、
単純にその保育園の保護者に対してもそうだし、
働く人、保育士さんたちがここで働いてみたいなって思うようなところに、
要するに採用とかにもつながっていくんじゃないかっていう仮説は持っている、今。
そうなんです。
そんなことも相まってすごく自分たちが思ってること、
考えてることにもつながるし、保育との相性もいいしってところで、
全然カメラとか興味ない保育士さんでも読んでなんとなくハッとするものとか、
じゃあこれなら全然エンドもできるかもぐらいに思えるような本かな。
プラス保育園向けのワークショップとかやってくれたらめちゃめちゃ面白いだろうなっていうのも相まって紹介させていただきました。
前回だか前々回だかセンスの話をした時にも言ってたけど、
保育園のセンスを高めるみたいな話において写真を撮るとかっていうのはいい手段の一つかなと思うからさ。
写真のクオリティ向上と保育記録の効率化への提言
めちゃめちゃいいと思う。
手軽にそういうことができるし。
ちょっとやりたいね、どっかの保育園でやってもらいたい。
やりたいなと思うし、自分が保育入っててそれこそ写真撮ったりする機会もなくはないのでね。
自分が保育に入っているタイミングで。
全然ロード設定もできてなければ、セレクトして現像してというのを全くするわけでもないJPEGで撮ってるデータなんですけどね。
本当に悔しいね。
自分たちで撮影アルバム作ってるのね、うちの園って。
決してクオリティが高いわけじゃないんだけど、かわいい写真はたくさんある。
たくさんあるんだけど全部JPEGだし、印刷におこすっていっててガビガビなのよね。
そうですね、この本の趣旨としても写真を撮るっていうことに対して、
RAWっていうデータ量の多い形式で写真を撮るっていうことをしましょうって言っていて。
それは要するにスマホとかのJPEG、スマホでも最近RAWで撮れたりするけど、
そうそうそう、っていうのがあるからね。
そんなさ、全く思ってやろうと思ったこと知らないじゃん、その設定。
初めて写真のことを多少ちょっと知った状態で今年、私毎年卒あるばかりなんですけど、
もうやったら非常にもどかしくてですね。
どうせ自演でやるならもうちょいクオリティの高いものを、かわいい写真を使ってあげたいのにと思いながら。
歯がゆい気持ちをね。
やりきれなさも感じたので、ぜひ皆さんRAWで撮って、保育園の写真をよくしていきたいなと。
そうだね。保育園の人がRAW現像までしてたらめちゃめちゃビビる。
ただ時間もなければソフトもねえし、あれなんだが、逆にね、逆にそれこそ記録にかけてる今、
文章を書く時間に当ててる30分を、その日撮った写真の現像を何枚かやって、
プラスキャプションを書くだけで出来上がる記録と写真に分けれたら、
同じ時間で2倍の成果をあげられるみたいな、詐欺みたいなこともちょっと提言していきたいなと。
確かに、その保育園の中でそれを完結させる方法としては、そういうふうにRAW現像をやれる人が1人いるとかもあるだろうし、
最悪その外の人っていうか、なんかそういう、なんか我々としてそういう支援をするみたいな、
定期的に写真をセレクトはしてもらって、それの現像をこっちでやるとか。
めっちゃ全然できると思うし、何ならもうちょいあと数年経てばAIが綺麗に建造してくれるぐらいのことはないけど、
技術的にできそうな気もするしね。
あり得るだろうね、それも確かに。
あとはそのデータの管理だけ頑張ればみたいな。
地味にそこが保育園では一番大事だと思います。
ネックですけど、
そんな畑野ひろしさんのうまくてダメな写真と、下手だけどいい写真という本を紹介させていただきました。
はい。
実はね、最近その続編にてあるいい写真は誰でも撮れるっていうのもね、発売されたので、
ぜひ合わせて読んでいただけたら。
確かに、そちらも読みました。
読みました、さすが。
だってワークショップ行くからね。
ワークショップ行くからね。読まないわけにはいかないでしょ。
でも普通にすごくいい本だったし。
いや、本当に。
主張はね、その前作というか、一貫してるよね、最新作の。
一貫してる、一貫してる、ブレない。
なんかこのブレなさも気持ちいいよね。
うん、とても勉強になるというか、面白いし、
なんていうの、ハードルがめちゃくちゃ下がるからね、それがいいって思う。
なんか行動への摩擦がなくなる本ってめっちゃいいことだと思うから。
カメラに関してはカメラを買うとか手に入れるっていうハードルがあるからね。
確かに。スマホで全然大丈夫。
ぜひ今回はこんな感じでお開きさせていただきたいと思います。
はい。
というわけで今後もですね、こんな感じでお話ししていきたいなと思ってます。
GoogleフォームのURL書いてるので、感想・質問ぜひ追ってください。
お待ちしてます。ということで、ご清聴ありがとうございました。
ありがとうございました。
44:07

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