こんにちは、保育園看護師の千尋先生こと佐藤です。 新規事業の力で日本を開国せんとす、合同会社黒船の基礎です。
同じく、黒船の川尻です。 僕たちは高校の同級生3人で、保育業界向けの新規事業を作ろうということで日々頑張っております。
このラジオではですね、あの、お家周りで読んでいる本を紹介しながら、保育のことを考えたり、なんか飛んでいろんなことを考えたりしている、そんなラジオを続けております。
はい。
はい。というわけで、今回は私、佐藤プレゼンツということなので、
あの、皆さんちょっと肩の力を抜いて、あの、温かい目で、こうね、聞いていただけたら、
怖いなぁ。恐ろしく言い訳からちゃんと入るなぁ。
そう。
期待値を下げまくってから行くっていう。
そうね。ハードルつつ下げた方がいいもんね。
ハードルはね。
低ければ低い方がいいよね。
本当に低ければ低い方がいいので。というのもですね、あの、今、僕もこの担当が回ってくる間に、
まあ何冊か本は読んでたんですけど、なんかあの、ちょっと最近自分が新しい趣味というか、
あの、短歌とかね、読んでみたいなってちょっと思っちゃって。
いいね。
で、短歌集みたいなのを何冊か買って読んでたんですけど、
どう?
あの、あまりにも紹介するにも、どうにもこうにもという感じの歌具員のものだったので。
結構難しいね。保育士さんに勧めるっていうコンセプト的には。
そうそうそう。まあなんか単純にいいですよってだけで言えるんだけど、
そっから何かこう、みんなで論じて、ああだこうだ言うにはちょっとあまりにも。
趣味以外になっちゃう。
はい。だったので。
まあちょっと、あの、その中でも読みかけの本がね、何冊かあって。
うん。短歌とは別にってことだよね。
短歌とは別に。それを紹介したいなと思っていて、今ね、二択で迷ってるんですけど。
はい。でもせっかくまでちょっとだけ来たんだけど、短歌って何がいい?
あ、いや僕も分かんなくてそれが、読んでみようと思ったんだけど。
なるほど。それを探るためのね。
あ、そうそうそうそう。あの、僕とかかやさがワークショップを受けに行った、カメラの写真のね、
やばい、名前がどう忘れてしまいました、今。
はたのさん。
あ、そう、はたのさん。はたのさんのワークショップを受けに行って、なんかそのカメラのこととか写真のこととかちょっと学んだじゃない。
で、なんかどっかのタイミングでそのはたのさんが、写真、短歌は写真だみたいなことを言っていたよね。
それ、はたのさんのなんか、俺が紹介した本じゃないかな。
あ、そっちかも。そう、なんか何かしら写真の、写真界隈の人が短歌は、写真は短歌だみたいなことを言っていて。
なんか直感的にすごい分かるなと思ったんだけど、その直感を確かめたくて短歌を読んでみようと思って。
なるほど。
写真は短歌なの?それとも短歌は写真なの?
たぶん俺が紹介した本当のことを書く練習っていうドモンさんの本の時に。
そっちかそっちか。
そうそうそう、短歌は写真か。
そうだね、短歌は写真だね。
短歌は写真だ、そうそうそう。
なんか直感的に。
空気を切り取るっていう行為だっていうことだよね。
そこから立ち上がるみたいな世界があるっていう。
で、なんか読んでみたら、なんかあんまり短歌のイメージって本当なんか古典なイメージしかなかったんだけど。
ね、百人一首とかのイメージしかない。
あ、そうそうそうそう。
現代の短歌というか、最近の短歌って確かに面白いなと思いながら読んでおりまして。
で、なんかその短歌、歌人の木下達也さんかな、木下達也って人と谷川俊太郎さんがね。
有名な。
有名な谷川俊太郎さんが。
谷川俊太郎ね。
詩と短歌を送り合うみたいな連載をしてる時期があって、それをまとめた本があってさ。
すごい面白そうな本だね。
そう、なんか谷川俊太郎さんの切り口も面白いし、その木下さんが何が面白いかって、その自分が作った短歌をこうこと細やかに解説してくれていて。
へー、なんかね、短歌ってどっちかっていうかもう見て、全てですみたいな。
そんな薄いなことはしませんみたいなイメージがあったけど、解説してくれるんだ。
そうそう、奥行きを残しつつもどういう経緯でこう書いたかとか、これを狙ってこう書いたみたいなのを言ってくれていて。
それも新しくてなんか面白かったなーってところから何冊か読んでいて。
そうそう、あのすごくね、おすすめなんですけど、なんですけどちょっとあの保育について考えるっていう類のものではなかったので。
はい、というわけで、今回私が紹介するのは、お名前がね、宮地直子先生の傷を愛せるかというこの本です。
何にも見えませんね、全然見えない。
えー、傷を愛せるか、傷を愛せるか。
まあちょっとね、途中までしか読んでない中紹介するのも恐縮なんですけど、ちょっとこれについて、あのなんで紹介しようと思ったかっていうところからね、お伝えしていけたらいいなと思っています。
まあ確かに気になります。
よろしくお願いします。
で、この本を手に取ったそもそものきっかけは、それこそタンカを、タンカ集をちょっと読んでる時期に、なんかそういえばエッセイみたいなものもあんまり読んできてないなーって思って、
まあそこまで興味がなかったっていうのと、なんか楽しみ方があんまりわからなかったからっていうので、あんまり読んできてなかったんですよ。
で、でもなんかそのタンカに触れて、まあちょっとそういう、なんか人が作ったものとかその人の感想みたいな、この日記みたいな、そんなような、
まあその人の切り口だよね。
そうそうそう、ニュアンスで世界を見るっていうのも、なんかちょっと面白いなーって思って、なんかたまたま手に取ったやつが、この三谷直子先生って一橋大学の大学院出て、
僕の先輩じゃないですか、先輩だね。
でもかつ先生も精神科なんですよね、文化精神医学、人類医学。
えーと、つばし寝てて精神の。
多分、医者になった後、その社会研究が、教授として今働いてるってことなのかなと思うんだけど、
どういうことか、なるほど。
まあトラウマとかジェンダーの研究を続けている先生で、
で、この先生が書いた、とある日記というかエッセイをね、連載していたエッセイをまとめましたよ、みたいな話なんですけど、
精神科系のね、精神医学系の本って何冊か持ってるけど、まあみんな結構いろんな事例を基にこう考えたら考えたらこんな人がいる、こんな症例があるみたいな話での読み物の中が多いなってイメージがあったんだけど、
もうほんとこの、なんとか一人の人として、この三重寺直子さんという人の目を通してみた、まあ世界だったり感じ方だったり、
と、その精神医学、精神科医としての目線が、こうすごくナチュラルにまとまっているというか、
すごいその融合具合が、なんか美しいなと感じるような文章でね、
すごく素敵だなと思ってるんだけど、なんでこれを保育士さんに紹介したいかと、紹介したいと思ったかっていうと、
あの、僕今からすごくざっくりした話するから、みんな気をつけて聞いてくださいね。
迷う気が必要なくらいざっくり。
この人の研究って、まあトラウマの研究を第一期的にやってる先生だから、
扱うテーマ自体はすごく重いのよね、ほんとに。
まあそうだよね。
だいぶ重いテーマを扱っていらっしゃるイメージが読んでるとあるんだけど、
なんかこの本全体を通して、すごくね、温かさを感じるんですよ。
で、それが何かっていうと、なんかそのまんまでいいんだよというか、
あの、もう生きてるだけでメッケモンじゃないですけど、
あの、一個ね、例えがあって、ガードレールとか命綱の役割の話をしてる項目というか、回があるんだけど、
ちょっとだけ読むと、命綱やガードレールなどの本当の役割は、
実際に転倒しそうになった人をそこで引き留めることではおそらくないっていうね。
もちろんそういう役割が果たせるように計算して作られてはいるんだと思うけど、
まあ物理的にそれが効果を発揮するっていう機会はそうそう多くはないだろうと。
でもそこに、ガードレールだって命綱があるから大丈夫だって安心することで平常心を保つことができる。
本来の力を発揮し、物事を成功することができる。そのためにこそ役立っているっていう、
なんかこの視点、ガードレールとか命綱に対するこのセーフティーネットと言われるようなものに対するこの視点が、
なんかすごく温かいなと感じまして。
セーフティーネットっていうのは実際使われるかどうかっていうのも大事だけど、
それ以上にただ存在していることに価値があるよみたいな話。
そうそうそうそう。なんかすごく僕の認識でいくと、
そのそういう解釈、そういう目線の話がいろんなところで散りばめられていて、
本当タイトルにあるように傷を愛せるかってある通りで、
傷があって、そこを癒していくっていうのはもちろん必要なんだけど、
それを受け入れた上で、今を生きていくっていうその主題みたいなものが、
傷と共に生きていくっていうところが、
すごく精神科というか精神医学の分野におけるすごい、なんというか主軸的なところでもありつつ、
一人の、この人お母さんなんだけど、お子さんがいらっしゃって、
お母さんとしての優しさみたいなものを感じるし、
結構なんかトラウマ等まではいかなくても人間関係に疲れてたりとか、
いろんな葛藤がある中で生きている現代社会人にとって、
ちょっとお守り的な要素のある本だな、そういうふうに思える本だなっていうふうに思っていて。
なるほどね。ここでいう傷っていうのはその肉体的なものも精神的なものも共に含んでるっていう感じなのかな。
どっちかっていうと精神的に深く体の奥底に切り刻まれたようなタイプの傷をおそらく対象にはしているのかなと思うけど、
なんかそのトラウマに寄り添うみたいな視点で、僕も研修を受けたことがあって、トラウマインフォームドケアっていうね。
要は発達障害的なニュアンスで人に加害をしたりとか落ち着かなかったりとかっていう、
表層だけ見たら発達障害と同じような行動、表現をしている子供が、いろいろ診断したりたどったりすると、その大元にすごくトラウマ的な体験があって、
主には親の虐待とかそれに付随するようなことがあって、それを自分で自分の心を保つためにというか保管するような形でそういう症状が出ているみたいな、
実際の症例があってね。で、結局そういう子供たちに対しては、発達障害としての治療だったり、発達障害としての何かアプローチをかけてもやっぱり改善しにくいというか、
ある程度はするのかもしれないけど、やっぱり大元原因がそこだけではない。発達の問題だけではなくて、トラウマをケアしてあげないことには、
培っていくべき土台が崩れちゃってるから、まずはそこを保管してあげないと、っていうような、これ自体すごく専門的なケアだから、保育所ですぐできますとかそういったものではないんだけど、
なんかその視点を持つってことは医療者としては大事だなって思うし、そのトラウマインフォームドケアっていうのを習った時に、
ちょうどもしかしたらこの子はそうかもしれないなっていう思うようなエンジンの方がちょうどいたので、当てはめてみるとなんとなくそんな気がするなというか、
いろんな多角的にそういうふうに捉えるってことももちろん大事だし、そんなとこからちょっと縁がある本だなというふうに思っているんですけど、
傷を愛せるか?
傷を愛せるか?
なんかいい問いだね、傷を愛すという感覚もなかったし、愛せるものなのかって追われる感覚もないというか、
難しいなぁ
一般論的に言えるかどうかすらわかんないけど、その、こっち側って言ったら忘れたいとか切り替えたいみたいな、
感覚のほうがあるじゃないですか、その回復性があるほうがいいみたいな、それこそ何でしたっけ、キソさんが、チロさんが、
そうそうそう、私がないやつ 私がないやつ、確かにね
だから捉われるかどうかじゃなくて、愛せるかってもう一方そのなんつーか、能動さがあるよね
そうなんだよね
なんかでも、チロの趣旨、ここまでのこの本の話をざっくり聞いた感じだと、傷そのものを愛すっていうよりは、傷がある自分をそのままを愛そうという話だなっていうのがやっぱり
なるほどね、確かに
僕もどちらかというとそっちのニュアンス、まあもう丸ごと全部、その傷があろうがなかろうがもう愛するっていうことはもう大前提なんだけど、
なんというかやっぱそういったトラウマがある、傷があるっていうことに対して、まあ人にはね、とても言えないようなトラウマであったりとか、
ドラマとまで行かなくてもね、みんな悩みだったり、こんなこと人に言えないみたいなことっていっぱいあるとは思うのよ、でなんかそれを全部明けすけに知りたいとか、それをこう聞いてじゃあこうしようしようってやることももしかして一つのやり方なのかもしれないけど、
なんというかそういったものもこう人間内包してあるのを、それすらももうなんかこう受け入れてる、受け入れてそばにいるみたいなところが、なんか医療者としてのその姿勢としてね、すごく
行き着いたところだよね、行き着くとこかなっていうのがまあちょっと思ったのと、なんかそれってそしてすごく難しいなと思うのもしてね、まるごと。
なんかまあテーマとしてそのトラウマっていうところまで行くとやっぱすげー重い話で、結局当人というかその傷がある本人自身にしかわからない辛さとかがあると思うんだけど、なんかちょっとあえてもうちょっとライトに捉えるんだったら、
なんかこの話はその自己肯定感というか自己効力感というか、そういう自分を受け入れるっていう話になりそうだなと思っていて、なんか傷を愛す、ね難しいけど、その傷の程度にももちろんよるしなと思うんだけど、結局なんか傷を治せるかじゃないのが面白いよな、
愛せるかって治すんじゃないんだよな。
そうなんだよね。
そう、今のまとめちょっと面白いな、何が面白いかって愛するっていう単語に、俺もだけど無意識的に受け入れるを内包してるなという感覚が言われて思ったというか、受け入れない愛、まあ愛って確かに無償の愛みたいな言ったりするけど、受け入れるみたいな行為。
セットな感じあるよなというのをなんか今改めて実感した感じがした。
確かに、なんか割と無意識的に言ってたけど、あのよくさ、恋と愛の違いみたいな。
そうそうそうそう。
あのキソ君が知らないやつね。
恋はできるんだけどね。
恋は上手なんだけど。
最近は愛でしかないよ、もう。
テッショーみたいなのやめてもらっていいかな。
置いといてね。
でもその今、たかやさんが言った受け入れるっていうところが、僕はすごく保育の本質にもつながってるなって思ってるんで、特に0歳1歳2歳とか、まあ乳児期とかね、低年齢の子供たちで、もう泣いて喚いて怒ってギャーってする。
でやっぱり、大人側に余力がないともうその一個一個に反応してキーって大人もイライラしちゃうようなことたくさんあると思うんだけど、
泣こうが喚こうが何しようがそれを受け入れてあげる、受け入れる姿勢っていうものって、まあやっぱり人が育っていく上ですごく重要なわけですよ。
受け入れてもらったっていうその感覚が発達の土台としてとても大事だと思うと、
保育者って他のいろんな業種の人たちと比べても圧倒的に受け入れなきゃいけない、その受け入れるということがほぼ仕事みたいなところがニュアンスとしてあるような気がするのね。
でなんかその時にその受け入れ方じゃないけど、自分がね、その保育者側がもう傷つきだから全部受け止める、受け止める必要はないと思うんだけど、
でもその子のその表現、その子の感じてる葛藤だったり、まあイライラしてることだったり、怒ってることだったりとかも含めて、
なんかそのままのその子を受け入れるような気持ちというか体制というか、そういう何というか懐の深さというか、みたいなものがやっぱりなんとなく
ベテランの先生たちの方がだんだんとその度量が広がっているような、人生を重ねていく中で人ってそういうふうに器が大きくなっていくものなのかなとも思うんだけど、
職業として、専門職として必要とされるその専門性の一つにキャパみたいなものがあるような気がしていて、
なんかそこがちょっと繋がりうるかなって思っている。
なるほど、面白いな。なんかさっきの愛するっていうところをケイタが注目してたポイントとしてあると思うんだけど、
愛するってさ、子供に対する愛もそうだし、家族に対する愛とかっていうのもそうなんだろうけど、
基本はさ、あのやっぱ受け入れるっていう、ありのままのその存在を肯定するみたいな話になってくるじゃん。
で、人を愛するっていうことは他人を受け入れるっていうことだと思ってるんだけど、
それを、その矢印を自分に向けた時に自分を受け入れることができるかみたいなところが面白いなと思ったな。
普通他人に誰かを愛するっていう時さ、自己愛みたいな話もあるけど、基本はなんか自分じゃない誰かに向けたものとして使われるじゃん、愛する。
けどなんか、この本の趣旨というかというと、その自己肯定じゃないけど、その他人のありのままの存在を肯定するっていう愛するということを、
自分に向けてやれるといいよねみたいな感じなのかな。
たしかにね。なんかその自分自身を許せないというか、こんな自分が嫌いですみたいなタイプの人で、
多分割合多いと思うのよね。100%自分大好きです。もうハッピーでしかありませんって大きな声で言ってる人の方がちょっと心配な気もするしね。
すごい大切なんだけど、なんというか。
で、僕はまあ、知ったともに認めるぐらい自分を愛してないとは思うんだけど、
その受け入れるって言われると、受け入れてないとか愛してはないなって感じになるけど、諦めてはいるというか、
まあそれもある種の一種の受け入れなのかもしれない。その感覚があるなあと思う。なんかここから急に何かが大きく変わることは、
しないし、できないし。可能性の話というよりしない方がいいと思ってる。もうここまで来るかある程度。
僕はここから急に自己肯定感高い陽気ですみたいな変形がすごい入ってるね。みたいなのになるっていうのはやっぱ違うし、
ある種諦めて受け入れてるみたいな感覚はあるなあ。でもこれって愛なのかって言われると、
自己認知としては愛じゃない感じがするが、逆からしすると愛の形の一つなのかもなとも思ったりするね。
たしかにね。
いやもうそれは、そこに愛はあるということで愛ですよ。
まとめ雑だねー。
そこに愛はある。
でも本当、許せるって愛だと思うんだよね。
そうそう、許すは愛だろうね。
許すって愛だから、そう。
じゃあそういう自分を許すってことはある意味で愛なんだろうね。
許すか、許してんのかなあ。諦めてるっていうのも許すかもね、確かにね。
そうだと思うね。
一種、その一種ではあるけどね。
まだ愛を自覚していないだけで実は川島愛の人なのかもしれないっていう。
なるほどね。
愛っていう単語はちょっとまっすぐすぎて受け入れないっていう感覚のだけだよね。
確かにラブとか言われるとちょっとうーんってなる。
やや眩しい感じがね、するんだけど。
性愛的なものとやっぱちょっと、なんていうの、寄っちゃうじゃん。
そうね、まあ確かに人類愛とか、本当はもうちょっと広いものだと思うけど。
そうそうそうそう。
ってなっちゃうとやっぱその、ペレみたいなものが生まれやすいと思う。
認める、許す、諦める、受け入れるみたいな単語だって聞かれると、
確かにね、ちょっとネガティブ寄りな印象あるもんね、その辺の言葉ってね。
そうだね。
でもそれも愛かもしれないっていう。
うーん。
たぶんその自分を、その傷がある人っていうのは、傷が深い人っていうのは、
自分を愛するとか以前にその、傷の方にやっぱ目が行っちゃう気がしていて、精神的にも。
だから自分を肯定する以前のところに引っかかるっていうかさ、
なんか捕らわれてしまうっていう、まあ良くも悪くもね。
基本悪いか。
そこにどうしてもこうトラウマというか、考えちゃうみたいな、考えざるを得ないみたいなところに行っちゃう。
捕らわれるは受け入れるとはまたちょっと違うもんね。
そうだね。
捕らわれは違うだろうね。
なんか確かに違う感じする。
やっぱこのね、精神科の先生なので、このエッセイの中で本当にいろんな傷が書かれていくんだけど、
まあ本当に、傷、トラウマよね。
基本的にはそれによって社会生活に支障をきたしていたりとか、
うつとかそういうような精神症状が出ていたりとかっていうケースの方が、
まあ多いと思うんだけど、扱われている題材としてはね。
でも何しようなりみんな何かしらの傷をかけながら生きているっていうところに先生はフォーカスをして、
いわゆる学術論文的な医学論文の中ではこぼれ落ちちゃうものを、
まああえてエッセイという形で消化してみたっていう感じの本なので。
なんか扱われているテーマの割にはすごくライトで読めるし、
暖かい感じがするんだよね。
透明傷。
なんか考えたいのはさ、傷を愛せるかって、基本はその本人の話だと思うんだけど、
さっき話をしてって思ったのが、なんか傷を抱えている人がいたとして、
で、まあなんだろうな、その傷を自分自身で、
傷を含めた自分を肯定することってめちゃくちゃハードルが実は高いんだろうなっていうふうに思っているんだけど、
なんかそこに対して例えば、まあ友達でも家族でもパートナーとかでもいいけど、
自分の存在を肯定してくれる別の人がいることっていうのはさ、まさに愛なんじゃないかと思っていて、
だからなんていうの、人が人と一緒に暮らすとか過ごすとかっていうことの意味って、
なんかこういう傷を一人で抱えなくていいというか、なんて言えばいいんだろうね、
この傷を要するにその本人の問題として本人だけでその傷を含めた自分を愛するっていうことはハードルが高いけど、
できればその親しい関係性の人が、そういう傷のあるその人自身を受け入れるとか肯定する環境があるかどうかっていうのが、
なんかそのきっかけ、傷を愛する、こういう自分でもいいのかもって思うきっかけとして、
自分自身で完結するのがむずいんだけど、そういう第三者というか別の人がそれを肯定してくれることで、
ちょっとそれでもいいのかもって思えるみたいな、答えそうだなと思って。
すごい本質的だと思う、要はやっぱそういった状態の自分をもう許せない認められないというところから、
それも含めてそれをわかった上で自分を愛してもらってる、愛されているって他者の目を見てそれを認識することで初めてその自分という存在をクリアできる、
肯定できるっていう、それが人が開在する意味というか、
なんか人間だなってめっちゃ思った、一人じゃなくて社会的動物だからさ、難しいよねってことが、
そういう第三者との関係性を通して、ちょっと前を向けるじゃないけど、受け入れられるみたいなところに行けるのかなっていう。
それ、これはあの僕の完全な独自理論というか、僕の感想でしかないんだけど、それをされるときに、理解をされたらちょっとムカついちゃうかもなって思った。
なるほどね。
理解されるというか、理解しようとされることすら嫌っていうか、
わかるよ、わかるよみたいなのは嫌なわけだよね。
それは本当にそうだと思うというか、結局のところね。
わかるわけないじゃん、本当は。
そうなんだよね。
だから受け入れるはわかる、そうだったんだねっていう、実証として受け入れてくれるはわかるが、
それをわかる、理解したまでいかれるとそれは傲慢さを感じちゃうなっていうのがありそうだなってすごい思った今。
やっぱ二人とも頭がいい人っていうのはやっぱお医者さんに向いてるんだろうね、きっとね。
そうなのかな、俺でも内臓見れないからちょっと無理なんだけど。
外科は難しいねっていう話ね。
カンセリングというかその精神医学系の基本の基みたいなところの理解がやっぱ二人とも素早くできるんだなというようなイメージ。
要はその、やっぱ高谷さんと岡田さんが言ったみたいに相手の傷を第三者が理解することはやっぱできないと。
理解を示すのではなく受け入れる、共感する、敬重するみたいなところがベースにあって、
ありのままのあなたでいいんだというメッセージを送ってあげるみたいなのってすごく前提的な関わり方よね。
なるほどね。
それが土台であると。
で、もっと言えば、それこそ人間がまた発達の話になっちゃうけど、赤ちゃんがもう何もできないフニャフニャな状態で生まれてきて、
もう何もかも全て受け入れてもらうっていうところからスタートして、やっぱ発達していく。
やっぱりそのあるがまま、もうそのまんまのあなたをそのまんまただ受け入れる、受け入れるというかもうその存在をただ認めるというか、
当たり前のようにそばにいるみたいなニュアンス。
なんかそれが、それがないとその人は立ち上がることができないし、傷も癒えないし、もう深い深い闇の中にいたまんまなんだけど、
ただそこに人がいるだけで、ただそこにあるだけで、その人、そのいる人を介してその当事者の方が回復していくことができるみたいな、
まあ理論といえば理論か、そういうことよね、きっとね。
だと思うと、本当に高谷さんがさっき言った通り、それが人、人間らしさだし、人がいる意味だし。
でも思ったのはやっぱり孤独って辛いねって思った。
こういうふうな傷を抱えた状態でさ、周りにそういう人がいたらいいけど、いない生活を送ってる人がもし傷を抱えてしまったら、
ここからの脱却というか、自己肯定っていうのは相当難しいなっていうふうに思った。
実際にそういう傷を抱えているからこそ孤独になるし、人との関係性をどうしても怖くて立ってしまったりっていうケースはすごく多いと思うから、
なんか負のスパイラルになっちゃうよね。
そうそうそう、実際に本当に今でもたくさんいらっしゃると思うのよね。
うん、でもそう、ケータも今言ってたけど、安易に分かったと言ってほしくないし、分かろうとしないでほしいというか、感覚が強いじゃない、すごい過激派だな。
でも実際そういう感覚になるとさ、分かってたまるかみたいな、知ったふうな口聞くなじゃないけど、やっぱそうやって人を遠ざけちゃうとこあるじゃん。
俺にしか分かんない、自分にしか分かんない。
そうだね。
その通り。
そうなるとやっぱその、人間という営みというかさ、孤独から、孤独じゃない状態というか、自分を肯定してくれる第三者すら遠ざけてしまうというか。
そうだね。
回復への道が遠くなるよなって思って。
本当に難しいよね。なんかちょっと発想を飛ばして考えてみると、そういうふうに人を遠ざけようとするというか、もう常にあたり散らかして嫌味ばっかり言って、もうなんか周りに友達誰もいませんみたいな上司。
もうね、実は心に孤独を抱えていて、嫌味を抱えていて。
なんか本当は受け入れて欲しいんだけど、それを下隠すために、弱い自分を隠すために、自己防衛的にそういう人間関係の構築になってしまっているみたいな。
だからその表面的に何というか、病気として何か認定されている診断がされているものもなければ、ある種まあこの本で紹介されているようなトラウマ的なものとしては、
もしかして社会生活は営める程度のものなのかもしれないけど、まあそういった傷がある人なのかもしれないよねっていう目線が一つあると、
別に優しくしろとは思わないし、理解しろとも全く思わないんだけど、ああでももしかしたらこの人も孤独なのかもなって思うだけで、ある種自分がね、無駄に喰らわずに済むというか。
っていうのが1個できるかもなってちょっと今聞いてたの。
ああいや、今のその話でちょっと思ったのは、その受け入れるって意外と想像力が必要かもねっていうのをなんかちょっとだけ思って、その理解はすべきじゃないんだが、
受け入れられないときってなんていうか、なんて言えばいいんだろうな、相手のことがわからないときの方が受け入れられないじゃないですか。
そうなんですよ、そうなんですよね、本当に。
ここで言う明るさっきの明るさちょっとボイが混ざるんだけど、その想像が及ばないというか、
結局こう、
そういうの実証だけを捉えて、その理解しすぎちゃうと、そうそうそうそう、っていうのもあるよなぁと思いましたね。
これなんかあの子供たちに対するあの担任の先生とかね、保育者も実はそうで、あの子供がもう何してもやっぱ泣き止まない、泣き喚いて怒って叩いてくるみたいな、
まあやっぱ発達にちょっといろんな課題があって、いろいろ訴えてくるんだけど、やっぱその子の考えてることがわからないから、
やっぱわからないときってすごい体力を消耗するんだよね、精神力を消耗する。
わからないものは怖いからね。
そうそう、その怖さからで戦えたり大きい声出されたりすることですごくやっぱこちらも戦う方の脳が、
体の反応が出てきちゃうっていうところでイライラにもなりやすいし、もう削られるっていうことが往々にしてそうあるから、
こうわかることはもちろん難しいんだけど、なぜそうなってるのかをどこまで想像できるかって今言ったかわじの視点って、
もうまんま保育にそのまんま使えるよなっていう。
確かにその相手を想像しえないまま、表面の理解をしようとすると、安直な理解に落ち着きやすいなっていうのもあるんで、
いやわかんないけど、例えばそのぶつかるおじさんっていうのが世の中にあるらしいじゃないですか。
ぶつかる人。
その若い女性を狙ってぶつかる、4、50代の男性っていう伝説上の存在がいる人だった。
僕ら30代男性にぶつかってもないから見えてないだけでいるらしいんだけど、
っていう人を見たときに、当然受け入れられないじゃん。意味わかんないよね。
意味わかんないっていうときに、理解しようではなくて、あの人はおそらく女性に悪い思いをしているとか、モテないからとか、
多分そこの短絡的な理解、わかりやすいロジックで置き換えて、だから受け入れられないっていうとこに端的にすごく最短距離で行くなと思ってたね。
でも本当はたぶんぶつかるおじさんたちにもいろんなぶつかるおじさんがいて、
実は、そうだね。
本当にたまたまぶつかったおじさんもいるはずなんですよ。
確かに確かに。ぶつかっちゃったぶつかったおじさん。
ぶつかっちゃったおじさんが。
うっかりおじさんだね、それはもう。
うっかりおじさん、歩きスマホおじさんがいちゃって、みたいなことに想像が及ばなくなり得るみたいなことが、
人間の理解っていうものには往々にして起きるだろうなって、わかりやすい構造に落とし込んだ、理解をするなっていう。
まあ、わかった気になってしまうってやつ。
そうそうそうそう。それはあるよね。
ある。で、子供とかにもそれを当てはめちゃいそうだなってすごい思った。
そうだね。
自分なりのロジックが通る形に書き換えちゃうというかね。
それもまたなんか、これはベテランの負の一面で、自分の経験を当てはめちゃうっていうね。
それだけではないんだけどっていう。
そこのさじ加減難しいね、やっぱり。
認知負荷が低いとか言うもんね、それが。
そうだね。
隙間みたいなものに当てはめたほうが楽だよね。
生きてく上で確かに100%本当にわかろうとするっていうのがさ、
まず前提わかることはできるのかっていうところもあるけど。
そんなで言ったらやっぱフィジカルとスピリチュアルを体現した三浜晃弘さんが亡くなられちゃったから。
収録時点だね、ちょうど追加。
まじもうまだ生きてらっしゃったんだっていう方がちょっと。
91?91ぐらいだったよね。
おかくれになってからなんかこう、もうね、神と一体化したのかなと思ってたんですよ。
天皇とかにしか使わないおかくれ。
古文とかで習うやつだな。
ほんとに。
今回はその傷を愛せるかっていうところを紹介させてもらったんですけど。
最後後書きのところにね、エッセイ紙を書きませんかって連絡もらってこうやって書いてきましたみたいな話があるんだけど、
やっぱり誰もが言葉にならない痛みを抱えて生きているような時代だからこそ、
でもそういった傷とかそういったものがあるからこそ、
ちょっと旅での支えができることだったり、
映画とかアートとかからこう見えてくるものがあったり、
人と人とで傷ついたり傷つきあったりしながら、
でもそこの中で育まれていくものだったり、
傷があるからこそ気づけるものがあるんじゃないかっていうのをやっぱ念頭に置いて作った作品なだけに、
すごくこう日常の何気ないものが何とかすごく幸せなものに思えたりとか、
なんかね、そういって読んでいてすごく透明感と温かさを感じる文章から。
すごいな、俺文章から温度感じたことないから、
いやそれはね、もしかしたらね、この前にずっと炭火を読んでたからかもしれない。
影響が残ってんじゃん。
苦戦が回収されてきた。
そう、というわけで炭火を読むとね、なんとなくこう、やっぱりちょっとそこは写真と似てるなと思った。
日常の切り取り方が本当ただ自分が見てるものがこうアートに感じるというか。
限られたフレームでそれを表現しているわけだからね。
この色好きだなとかさ、この雰囲気素敵だなみたいな、なんかね好きなものが増えていくような感覚で、
写真を撮ってるからこそ、なんかこうより鮮明にというか、より明確に自分が認識できるようになって、
それはすごくねプラスだな、人生においてプラスだなと思うし、炭火にも同じだけ、なんかこう読み取ろうとするといろんなものが読み取れるというか。
読み取り方がわかんないから解説書かれてるとすごく楽しかったで。
こういうふうに読むんだなっていう、部数かもしれないけど。
それめっちゃあるよね。楽しみ方がわからないものを楽しみ方を知ると視野が広がる感じがするよね。
すごくね面白かったです。だから炭火を読んだ上で傷を愛せるか。
それワンセットってこと?
ワンセットで。ちょっとここはワンセットで行かせていただきたい。
色んな組み合わせで完成を見るってことだよね。
で意外とそれらが繋がってくるような感じがする。
前よりも面白い。
優しい看護師でいれるような気がする。
それすごいね。優しい看護師にめっちゃいいじゃん。
優しいイライラしてる保護者にもイライラしないで対応できるみたいな。
それすごいわかりやすい効能だねっていうところだね。
でもなんかわかんないけどそれ炭火の効能なんじゃないか。
もはやどっちかというか。
傷を愛せるかとか。
そうかも。そうかもしれないです。
でもぜひね語り口が優しいので、