2024-10-16 29:55

【2-2】ヨーロッパはどこから来たのか~古代ギリシアローマはどこへ行くのか~【RADIO Kitsch ルネサンス女性美編】

男性美から女性美への切り替わり、その要因が今回のエピソード内に隠れています!ぜひ宝探しの感覚で「これかな~あれかな~」と聴いていただけると楽しいと思います。



【今回の内容】

古代ギリシアはオリエント文化圏/ポリスの誕生/目覚ましい文化興隆/ローマ誕生/ローマ帝国へ/キリスト教を国教化



【参考文献】

池上俊一『ヨーロッパ史入門 原型から近代への胎動』岩波ジュニア新書、2021年

袁歆「近代日本における「男性美」の実相 : 1910年代を中心に」『日本語・日本文化研究』第30巻、2020年、156-166頁

岡田温司『ルネサンスの美人論』人文書院、1997年

小宮友根「表象はなぜフェミニズムの問題になるのか」『WEB世界』〈https://websekai.iwanami.co.jp/posts/2828 〉(2024年9月21日閲覧)

中井義明ほか『教養のための西洋史入門』ミネルヴァ書房、2007年

森田義之「イタリア・ルネサンス美術におけるジェンダーとセクシュアリティ」『美術とジェンダー―非対称の視線』ブリュッケ、1997年

アレッサンドロ・ピッコロ―ミニ『ルネサンスの女性論1 女性の良き作法について』ありな書房、2000年

ジャック・ル=ゴフ『中世の身体』藤原書店、2006年

フィレンツオーラ『ルネサンスの女性論2 女性の美しさについて』ありな書房、2000年

「世界の歴史」編集員会編『新もういちど読む山川世界史』山川出版社、2017年

Web Gallery of Art「Fresco cycle in the Palazzo Venturi, Siena (1519-23)」〈https://www.wga.hu/html_m/b/beccafum/1/index.html 〉(2024年9月21日閲覧)

Wikipedia「神仏習合」〈https://ja.wikipedia.org/wiki/神仏習合 〉(2024年10月14日閲覧)



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サマリー

このエピソードでは、古代ギリシャからローマへの歴史的転換を探り、ルネサンスの到来に至る重要な文化的変遷について説明しています。ギリシャがオリエント文化圏に属し、ヨーロッパの歴史の根源としての役割が議論されます。古代ギリシャとローマの歴史を通じて、ヨーロッパ社会の形成と文化交流について探ります。アレクサンドロス大王の統治や古代ローマの共和制から帝政への移行に焦点を当て、キリスト教の影響も言及されています。古代ギリシャとローマの文化がカトリック教会との関係を通じてどのように変化していったかが論じられ、また、仏教と日本の文化との融合についても触れられています。

古代ギリシャの美と歴史
おはようございます、スタジオキッチュの三月由蘭です。
前回からの続きでございます。
さあ前回言ったようにですね、古代ギリシアにおいては男性っていうのが美しさの対象であると。
それがルネサンスになると女性が美しさの対象というように真逆に変わってしまったんだと。
で、その間には何が起こったのかと。何が起こってルネサンスに繋がるのかと。
こういった部分を一個一個丁寧に追っていくためにも、ルネサンスまでの古代中世の歴史を見ていくよというふうにお話しました。
さあ、そんな歴史を説明する回の1回目でございます。
まずはですね、古代ギリシャから古代ローマにちょっと入れればなというあたりの話をしたいと思います。
なかなかね、歴史が苦手な人にとってはなんか眠くなるような内容かもしれないですけど、
僕はこう、今からね、古代史中世史のすごい概説的な簡単な部分をサクサクと説明していくんですが、
このどこかにですね、その切り替わりが起こる原因というかその転換点となるようなものが散りばめられているので、
なんかこう宝探しのような感覚で聞いてもらえると楽しく聞けるんじゃないかなと思います。
なるべくね、僕もわかりやすく説明したり、面白く説明したりするよう努めるので、ぜひついてきてくれたらなと思います。
私、もともとね、世界史を塾で教えてた塾講師やってましたから、多分できると思います。
久しぶりに歴史の話をするのですごく楽しみなんですけど、ちょっと一緒にね、ついてきてくれれば嬉しいなと思います。
ぜひ宝探しの感覚で聞いてみてください。それは結構面白いと思うので。
ではまず古代史から入っていきたいと思います。
古代ギリシャの話をして古代ローマの話をするんですけど、そもそもギリシアっていうのはヨーロッパの直系の祖先ではないというふうに言われています。
なんかこうヨーロッパ史と言われて、僕らが想像をつくのって古代中世、近世に至るとして、
例えば古代ギリシャがあって古代ローマがあって、そこから封建制の時代、フラン公国とか、あとはビザンツ帝国みたいな、
封建制、そして荘園制、そして領主制の時代があって、十字軍が起こり、ルネサンスが起こり、大航海時代、宗教改革、
そして近代につながっていく、みたいな感覚を持っている。
なのでヨーロッパ史の大元をたどるとギリシアっていうふうに言うんですけど、これは別に間違ってはないんだけど直系かと言われたらそうでもないんだよねっていう話をします。
前提として聞いてください。
ヨーロッパっていうのは言い方を変えると、ギリシアの文化とか思想とかっていうのを散脱したものだとそういうふうに言えるんですよ。
なんでかというとギリシア文化って、古代ギリシア自体がヨーロッパというよりかはどっちかというとオリエント文化圏の一派なんじゃないかというふうに捉える方が正確な捉え方で、
なんでかというとギリシアっていうのはユダヤとかイスラエルあたりですね、あそこら辺とエジプトとかとの交流の方が盛んで、
むしろ今のヨーロッパと言われる地域、フランス、イタリア、ドイツとかあそこら辺との交流はほとんどなかったんで、むしろギリシアはオリエント文化圏のその一つ一部であるというふうな考え方の方が実態に即しているんじゃないかなと思います。
そしてイオニア学派って聞いたことありますか?言葉詞で覚えなくていいんですよ。イオニア学派っていうのはイオニアっていう地域で生まれた哲学系の一派のことを指すんですけど、いわゆるギリシャ哲学の祖先です。
オウモートを辿るとイオニア学派に辿り着くんですけど、イオニア学派ってどこで生まれたかってアナトリアで生まれてるんです。アナトリアは今のトルコです。
トルコで生まれてるんですよ。これからの歴史を見ていくとトルコってヨーロッパに含みますか?これは今の話じゃないですよ。歴史でヨーロッパ市の中にトルコを含むかと。ヨーロッパ市を語る上でトルコ自体は基本的には含みません。
もちろんオスマン帝国とかセルジューク朝とかっていういわゆる外的勢力の文脈でトルコの紹介をしたりするんですけど、実際にフランス、ドイツ、イタリア、スペインみたいな国としてトルコのことを数えるかといったらそうじゃないんですよ。
っていうようにギリシャ哲学の祖先っていうのはトルコで生まれている。つまりオリエント文化圏の一部地域で生まれている。そんなオリエント的なギリシャが本当のギリシャであった。
そういう文化っていうのを吸収していったのがローマであってそれがヨーロッパへつながっている。今後のヨーロッパを作っていったんだと。そういうふうなお話があってこれはヨーロッパ市を語る上で特に古代市を語る上でよく言われる話なので覚えておいて損はないんじゃないかなと思います。
ギリシャ文明の誕生
じゃあ早速古代ギリシャ見ていきたいと思います。古代のギリシャで最初に生まれた色紙文明、文字を持った文明ですね。これは紀元前2600年あたりぐらいに誕生したミノワ文明が一番最初の色紙文明だと言われています。
ミノワ文明またはクレタ文明って言ったりします。なんでかというとクレタ島っていうところで栄えた文明なんですよ。クレタ島自体は地中海に浮かぶ島でいわゆるギリシャの陸地あれの下側南側にあるクレタ島っていうところで栄えた文明です。これが大きく言うとヨーロッパ最初の色紙文明です。
有名なところで言うとクノソス宮殿とか宮殿って言われたり神殿って言われたりいろんな名称があるんですけどクノソス宮殿何が有名かこれミノタウロス伝承の始まりですよここミノタウロス牛と人間のミックスのやつねのミノタウロスのミノでミノワ文明のミノワから来てるんですよ。
なんとなくヨーロッパの大本を辿るとギリシャに辿るみたいなのがここからなんとなくわかってきますよね。このミノワ文明の後出てきたのがミケニ文明です。これはギリシャの陸地のところから誕生したやつですね。これが大体紀元前1600年ぐらい。
これはミノワ文明の次にできた文明でいわゆる戦士貴族による文明です。戦士貴族っていうのは支配主層上位層っていうのが戦士かつ貴族みたいな感じで意思決定もするし彼らは戦士でもある戦ったりするというふうな感じです。前回も説明したやつですね。いわゆる市民開閉の原則みたいなものと繋がってくるところですね。
このミケニ文明あたりから導入されたのがアルファベットです。アルファベット自体はギリシャで生まれたんじゃないんですよ。アルファベットはシリアパレスのあたりで生まれたのを持ってきたんですね。ギリシャに導入したのがこのミケニ文明の頃です。
さあそしてですね紀元前8世紀あたりになるとようやくポリスが誕生します。いわゆるですねここからが古代ギリシャの始まりというふうに言われています。ポリス何かというと警察のことではないです。
町レベルの小さな国家都市国家と言われるんですけどこの都市国家のことをポリスと言います。で古代ギリシャの国アテナイとかスパルタとかテイベとかねテイバイとか言われたりするかなっていうのはだいたいポリスと言われて本当に町1個で国を成すそういう小っちゃい国家だったんですね。
でこのポリスはいろんな言葉の語源になっててそれこそ政治ポリティクスとかさっき言った警察ポリスの語源となったのがこの都市国家ポリスです。この後有名なポリスとして栄えていくのがアテナイだったりスパルタですね。アテナイはアテネのことです。
でこの後ですね紀元前6世紀にオリエント全島を統一したアケメネス町ペルシャいわゆるペルシャ帝国ですねがギリシャに侵攻していきますけどこれは結果としてはギリシャ側の勝利に終わるんですね。
ギリシャ側っていうのはいろんなちっちゃい都市国家のポツポツポツポツ点在しているそんな状況なのでペルシャ帝国と戦う際はギリシャっていうのは各都市各ポリスの連合軍を組んで戦うといったそういった形式をとります。
特にですね海の戦い海戦って言ったりしますけど海戦でおいてはアテナイが主導になって海軍が強い都市国家だったので海上での戦いはアテナイが引いてその結果ペルシャ帝国に勝利するそういうふうになりました。
これ以降ですねそれまでバラバラだったポリスたちっていうのがまとまりを成してくるそんな時代に入ってくるんですねである一つの国家を中心にそれをリーダーになんとなく緩い連合みたいなのが形成されていきます。
どこがリーダーになったかというとさっきのアテナイですよアテナイが一番有力なポリスとなってだいたい英議会ギリシャのいろんなポリスっていうのを支配していくというふうになってきます。
でアテナイこの時期に有名なのはペリクレスの民主制改革っていうのがすごく有名です教科書にも出てくると思います。
何をしたかというと民主政治っていうものの基礎を作っていったんですねペリクレスという政治家がでこのペリクレスの以降にもいろんな民主制改革をする人たちが出てくるんですけどアテナイではそういういろんな人の改革の連続によっていわゆる民主主義の起源はアテナイにあるみたいな言説が誕生していく。
それは正しいんですけどそういった動きが出てくるのがこの時のアテナイです。
であとはやっぱり古代ギリシャといえばとんでもない文化の話ですよね。
ソクラテスかプラトンとかアリストテレスとかああいうのが出てくるのはこのアテナイこの時期です。
であとは彫刻絵画とかいろんな芸術作品の発展だったりもアテナイで起こりましたね。
というのもアテナイには奴隷制度があったので基本的に家の子だったり畑の子だったり奴隷がするんですよ。
ってなると一般市民自由市民と言われたりするんですけど日常ね何もやることがない人たちっていうのはいろんなことを考えられるそんな時代だったんですね。
ギリシャの衰退とマケドニアの台頭
だからこそ哲学とか彫刻とか技術とかあとはリベラルアーツなんて言われる自由主治家も誕生したりしたのがこの時期ですね。
でそんなアテナイの一党独裁体制というかそういったギリシアだったんですが以降ですね内戦に入っていきます。
どこ対どこかこれはアテナイバーサススパルタこの2つのポリスの戦いになります。
ギリシアをまとめるような運動が出てきたじゃないですか。
でアテナイがリーダーになってるんですけどそれをよく思わないポリスもいたんですよね。
それがスパルタだったんですよ。
なのでここでペロポネソス戦争って言われるのが起こっていわゆるアテナイバーサススパルタの戦争が起きます。
でこの戦争結果どうなったかっていうとアテナイもスパルタもどっちも衰退していったんですよ。
戦力がこうすり減らしていって国力自体も減っていったと落ちていった。
結果としてアテナイでもスパルタでもない謎ポリステイルがクソ強いみたいな時代に入っていくわけです。
こんな感じでだんだんと衰退していくんですね古代ギリシャ。
そして次はマケドニアの時代がやってきます。
マケドニアっていうのは都市国家ではありません。
いわゆるギリシャのちょっと上あたりに位置していた王国でして
古代ギリシャの影響
このマケドニア王国が紀元前338年からにギリシャを完全に支配下に入れます。
侵略したということです。
そして以降のギリシャっていうのはこのマケドニアの支配下にあるそんな状況になります。
でこのマケドニア何が有名か。
アレクサンドロス大王これはこのマケドニアの王様です。
そしてですねアレクサンドロス大王といえば東西が有名ですね東の遠征。
インド手前ぐらいまで行ったと言われてますけどいわゆるペルシャあたりも完全に滅ぼしていってそこら一帯が全部マケドニア帝国になるんですよね。
けどこれは一時的な巨大な国であってギリシャとかエジプトとかペルシャ含め巨大な国ではあったんですが
すぐですねアレクサンドロス大王の死後内紛に陥ってしまって結果分裂します。
ペルシャだったりエジプトだったりギリシャだったり元々の形に分かれていったということですね。
古代ギリシャを補足といった感じですがすさまじい文化交流というのがやっぱり目覚ましい特徴の時代かなと思いますね。
いわゆる直接民主制の確立ですよね。さっき言ったペリクレスから始まる一連の改革の結果民主政治というものが誕生しました。
あと文化ですねそれこそ哲学とかそうですよプラトンアリストテリスソクラテスとかね。
あとは科学分野もそうなんですよピタゴラスとかユークリットが活躍してたのはこの古代ギリシャの時代ですね。
こんなすさまじい文化っていうものが古代ギリシャにはあったんだと。
そしてこの古代ギリシャの文化っていうのがこの本に書いてあった文をそのまま言いますけどヨーロッパ社会成立のための遺産になったんだと。
そういうことですね。
古代ローマの成立
さあ次は古代ローマについて見ていきたいと思います。
いわゆる一般にはローマ帝国みたいな呼び名で知れ渡っている国ですね。
そのローマを成立からその崩壊まで見ていきたいと思います。
古代ギリシャと古代ローマって結構同時並行的に成長して没効した文明ではあるんですけど。
その話をするとややこしいので古代ギリシャがあってその次に古代ローマがあったんだよとそういうふうに思ってもらえればあんまり間違ってはないし大筋からは外れないのでそんな感じの認識で大丈夫です。
本当に詳しい方はこの話を聞くと何言ってるのお前と思われるかもしれませんがちょっと許してください今回はこういう説明をさせてください。
そんな古代ローマの成立なんですけど最初は都市国家として成立します。
ギリシャと同じですねローマという都市この街レベルの小さな国として誕生します。
最初は文明も文化もすごいごちゃごちゃな文明文化混合の集落みたいな感じで誕生したのがローマです。
複数の民族と集合体の何か集まりそれ全部一緒くたにしたみたいな感じの変な集落でした。
さらにはですねあんまりローマって街を作る上では国を作る上ではそんなに適した地でもなかったらしくて本当に人気のない場所ではあったんですよね最初は。
なのでハングレーとか不老者とかよくわからん奴ら犯罪者みたいなのもいたと思います。そんな奴らの集まりでした。
そんな感じの集落だったんで国として成り立たせるためにはですね隣の国ですねエトルリア王国っていうのがあったんですけどこのいわゆる先進国ですね。
そこから王様を連れてきてローマにおいて王をやらせてで国をやっていこうという風な方針を取ったので。
最初はローマってローマ王国として存在していました。
けどですね紀元前509年にこのエトルリア人の王を追放して共和制へと移行します。ここからが共和制ローマ、いわゆるローマ共和国の時代です。
どこが共和制にあったのかというといわゆる元老院とか民会の成立この2つのいわゆる政治機関を設けたのがこの共和制の始まりと言われています。
貴族は元老院に行く平民は民会に行くそんな感じですね。
基本的に貴族の方が権力は持っています。
さらにこの元老院に関しては後退制のコンスルいわゆる議長ですねと臨時独裁官ディクタートルの体制をとっています。
でまぁこの話をすると厄介なのであんまり詳しくはしないですけど基本的にはこのコンスルいわゆる議長が元老院を取り仕切るんですけどこの議長って2人いるので
なんか有事の際の意思決定をするときにはこのディクタートルっていう臨時独裁官一人に任せてしまうと。
こういう今から見るととんでもない優れた政治体制を確立したのがこの共和制ローマの時代です。
でローマといえば一人有名な人物がいますよね。
そうですねカエサルですねジュリアスシーザーなんて言われてしまいますね。
ユリウスガイウスカエサルでしたっけ。
ガイウスユリウスカエサルでしたすいません。
このカエサルが出てくるのがこの次の時代ですね。
カエサル何がすごいかっていうと終身独裁官に就任したんですよ。
さっき言った臨時独裁官ディクタートルにずっとなれますよみたいな職に就いたんですね。
本来はこの独裁官臨時独裁官って任期半年なんですよ。
だってそいつに権力集まってしまうわけだからそいつを永遠につかせていたらただのそれ独裁政治ですから共和制もクソもないそんな状況になってしまうので
基本的には半年の任期なんですけどカエサルっていうのはそこの地位に終身つまり永遠にですね独裁官になっていいですよみたいな感じに言われて
だからここからだんだん共和制自体が揺らい始めていてどんどん定制独裁制に一歩進んでるみたいな感じになるんですよね。
ただカエサル自体が皇帝になったかいわゆる独裁政治をローマにもたらしたかというとそういうわけではなくてカエサルは土地で殺されるんですよね。
有名な言葉がありますよねブルータスはお前もか。
その後ですねブルータスによって暗殺されてしまうのでカエサルの時代で独裁制っていうのが確立することはないんですが
次ですねオクタビアヌスの時代ですねこのオクタビアヌスっていうのがローマの定制を始めます。
厳密に言うと原種制って言って全ての権力を持った原種っていう市民の中の第一人者みたいな。
他の人の言葉を借りるなら国家第一の下部みたいなね。
それは別の人の言葉なんですけどそんな感じでみんなの中でリーダーやりますよ私がみたいなそんな定制をとっていたんですけどこれがいわゆる事実上の定制です。
つまりここから定制ローマローマ帝国の時代が始まります。
この後五賢帝と呼ばれる五人の賢い皇帝が連続して続くんですよ。
このうちの一人トライアヌス帝の時代ですねにローマ最大半島を迎えます。
つまり最盛期を迎えるんですよ一番でかいですねこれが117年あたりです。
これは紀元後ですね紀元後117年あたりにローマの最盛期です。
どんぐらいの領土の広さだったかというと東は中東。
西はイビリア。
そして南はエジプト。
北はブリテンとイギリスですねぐらいまでだいぶ大きな広がりを持っていたと。
ヨーロッパとか特にこう西ヨーロッパに関してはほとんどローマだったと言って過言じゃないですね。
そしてこの拡大がどういう意味を持っているか。
まあその領土の拡大はもちろんそうなんですけど国民自体も拡大したんですよ。
というかこのローマ市民権と言われるローマ帝国内におけるいわゆる人権みたいな感じがどんどん拡大していったんですね。
ローマ市民権を得るといわゆるローマ国の中の一員としていろんな権利をもらえるのでみんながローマ市民権を欲しがっていたんですがこれがどんどんどんどん拡大していくと。
で領土の拡大に伴って国民の数も増えますからそれでローマ市民権が拡大していくと。
いわゆるこの2つの拡大ダブルの拡大においてローマっていうのはだんだんだんだんガバナンスが効かなくなってくるんです。
いわゆる統制が取れないそんな時代に入っていきます。
キリスト教の台頭
なので皇帝の権利を強めます。
それが先制君主制の始まりです。
ドミナトスなんて言われたりしますね。
これはさっき説明した元首制より強い皇帝権力これを保持します皇帝が。
とはいえですよ。
ガバナンスは効きません。
ローマの統制は取れません。
ローマがでかすぎるんです。
なので285年ディオクレティアヌス帝によって指定分治制またの名をテトラルキアを開始します。
これはローマを東西に分けます。
そしてそれぞれに制定副定を分けます。
いわゆる東と西に分けてこの東にマネージャーとサブマネージャーを一人ずつ。
で西にマネージャーサブマネージャーを一人ずつ。
というようにこの4人のリーダーによって分割統治をする。
これで統制を図る。
こういった作戦をやります。
これがディオクレティアヌス帝という有名な皇帝なんですけどこの人が行ったことですね。
結局これ意味ないんですけどね。
最初は意味があったんですけどやっぱりバランス取れないんで。
ローマはねだんだん衰退に近づいていくといった国が滅びる予感がするといった感じの時代にどんどんどんどんなっていきますね。
ちなみにディオクレティアヌス帝の時期にはですねキリスト教がもうローマに入ってきていて。
ただこのローマと愛言えない文化なのでディオクレティアヌス帝はキリスト教を迫害したりしていますね。
このディオクレティアヌス帝とコンスタンティヌス帝の間に何人か皇帝がいたんですね。
何人かっていうレベルじゃないですね。
何十人もいたんですね。
あれそれ言い過ぎたかな。
詳しいことはわかんないんですけど。
いわゆる皇帝が乱立した時代がこの間に挟まってたんですね。
この混乱を収めたのがコンスタンティヌス帝です。
さらにですねコンスタンティヌス帝は首都を移すんです。
どこに?コンスタンティノープルに。
コンスタンティノープルっていうのは今のイスタンブルです。
つまりローマからずっと東の方ですね。
に首都を移します。
これ後から重要になってくるのでここで少し強調をするといわゆるローマ帝国の中心点っていうのがコンスタンティノープルへ移ったのと東へ移ったのと。
そういうことですねこれちょっと後で聞いてきますからちょっと覚えててくださいこれだけは。
コンスタンティヌス帝はですねキリスト教を公認します。
デオクリティアンスに関しては迫害をしていたんですけどコンスタンティヌスに関してはキリスト教をですね国内で信仰しても全然いいですよと。
そういうふうに言いました。
そしてですね次がですねテオードシウス天皇時代に入ります。
この時代になってやっとキリスト教を国境化します。
なんでかキリスト教が民衆に広まりすぎていたんです。
カトリック教会とローマ文化
なのでもういっそのことをキリスト教を使って国を統治していった方がもっとガバナンスとれるんじゃないかと統制とれるんじゃないかと思ってこのキリスト教をローマの国境とします。
まあいわゆるキリスト教の権威だからカトリック教会の権威を借りて統治をしたんだとそういう話ですね。
ここでカトリックとローマ帝国が手を組んだことによってカトリックはですねローマ帝国の全国土に司教庫を配備していくんです。
これはローマ帝国の行政力を借りて行ったということですよね。
まあ借りもしないと全然できないと思います。
こういうことがあったのでキリスト教っていうのはこのヨーロッパの宗教となる前段階がここで整ったということですね。
けど注意してほしいのはカトリック教会自体はローマにあります。
けどローマ帝国の首都自体はややこしいですがこれコンスタンティノープルに移っているんです。
イスタンブルに移っているんですよね。
さっき東西分裂というか東西で皇帝を分けて統治するみたいなことを言っていたのでなんとなくなんでこれを強調しているかっていうのが皆さんちょっとわかるんじゃないかなと思います。
補足というかちょっと雑談みたいな感じになりますけど今起こったことってざーっと説明してしまったんですけど
本当は矛盾しているはずのこのローマの文化ローマ神話って言われてですねとキリスト教っていう多神教的なローマと一神教のキリスト教これが合体したというかむしろそれを融合していった集合していたっていうのはすごく異質なことでけれどもですね日本でも起こっていたことなんですよね。
それが日本のいわゆる神仏集合と言われるやつですね。
日本もですねこの統治のために仏教を取り入れたという時代がありましたよね。
仏教は当時は外部の宗教ですよ。
世界の外の宗教です。
日本は仏教を取り入れて神仏集合を行うことによって朝廷でさえも仏教を信仰していたっていうことがありました。
朝廷は僕日本史見知らなんで本当に何もわかんないですけどこれぐらいだけ知ってるんですけど朝廷は神道っていうものにおける結構重要な立場ですよね。
というか天皇がいるのが朝廷ですよね。
ならば絶対重大なはずですよね。
なのにその朝廷でさえも仏教を信仰していた。
だからこそ神仏集合とか本次衰弱説とかが登場したりしていたと。
これはローマ文化の中のトップであるローマ皇帝がキリスト教を国教化するみたいなのと似たようなことなんじゃないかなと思います。
けども厳密に言うと完璧なアナロジーになっている話かといったら日本とローマがね。
完璧な類似になっているかといったらそういうことでもなくって仏教は唯一心でもないですしなんかルールとか教義による縛りがあったりみたいなことはほとんどないので。
まあ定座部と台上で結構変わるんですけど完璧にアナロジーになれるかといったらそういうわけでもないかなと思います。
仏教っていうのは日本に入ってきた時は学問の一つとして輸入されていたんですよね。
こういうところからも完璧じゃないアナロジーではないなというのがわかるんですけど学問の一つだからなんというか今でいうところのアメリカでリベラルアーツが流行っているみたいと。
じゃあ日本の教育にも日本の大学にも取り入れてみようじゃないかといって今日本の大学ってこうすごくリベラルアーツ教育だったりリベラルアーツ&サイエンス教育っていうのがすごく流行ってるいわゆる分離融合ですねみたいなのが流行ってますけど
まああれはアメリカから輸入してますからアメリカだったかな海外から輸入してるのでそれと似たような感じだと思いますね。
もっと細かいところで言うとリーダーシップ論とかそうですよね海外で流行ってすごい人気だしじゃあこう日本の経営学経済学にも組み込んでしまえといったようにリーダーシップ論っていうのが最近の大学だといろんなところで開講されてますよね授業でこういう文化とすごく似たところがあるんじゃないかなと思いますね。
まあ少し話が脱線しましたが日本もローマもちょっと似たようなところがあるなぁといった感じですね。
でこの後ローマ帝国が終わるところまであるんですがちょうどいい時間なので続きは次回話したいと思います。
仏教と日本文化の融合
今回はこの辺で終わろうかなと思います。
次回の配信をお楽しみに。
29:55

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