自由と死の選択
毎日が日曜日、暇人モーニング、略して、暇人ラジオ。毎日、素敵な誰かの名言から、朝を始めましょう。本日の名言は?
本日の名言は、「我に自由を与えよ、さもなくば死を与えよ。」パトリック・ヘンリー、植民地バージニアの弁護士の方です。
強いですね。朝からね。強いですね。
我に自由を与えよ、自由にしてくれって。もうそれじゃなかったら死を与えよってことは、殺してくれってことですよね。自由にするか殺すか死ぬかってことか。
これはでもなんか思うんですけど、人って統制加えてても、統制効かないぐらいの動きが起こり得るよねって風にはちょっと捉えられるんですよね。
たしかにたしかに。そうですよね。こうしてくださいって規範とかルールがあっても、なんか窮屈になっちゃって出たくなったりとかしちゃいますもんね。
そうですね。なんか管理とかマネジメントとか言いますけど、それって出来得ることなのかなってか、本当に存在するものなのかなってちょっと思うんですよ。
いやそれちょっと今、わーって思いましたよそれ。いや本当っすよね。いやだって出来そうでやっぱ結局出来てないから、なんか出来るっていうことを前提に、なんか本当物事離されてるけど、出来ないっていう可能性、そっちの方がちょっとしっくりきますねなんか。
そんな気しますよね。革命とか起きないですよね。それ統制できてたら。
たしかにたしかに。いや本当そうっすよね。我に自由を与えようってね。だからこれはそういうことかもしれないですね。なんかこう、こうしろああしろって言ったりとかこれでしますねって言うんだけども、それはもう出来ませんっていうね。出来ないことが人間ですみたいな。
だから、まあそのね、やっぱり誰かに迷惑かけたらいけないとかそういうのはやっぱりあると思うんですけども、なんかこう少しでも自分らしさみたいなものを持ちながら過ごすっていうか生きるっていうのを、やっぱりすごく大切なことだなってやっぱりなんか改めて今思いましたね。
そうですね。その心の、なんか内なるものを大事にして生きるしかないのかもしれないですね。
いやいや本当そうですよそうですよ。だからやっぱね忘れちゃいけないんですよ。だから結局やっぱ忙しかったりすると、なんか忘れちゃいがちなんだけども、あのまあ忘れちゃいがちだからなんていうか自分のことをこうおざなりにする感じになっちゃうんだけども、なんかやっぱりどこかに必ずやっぱりそれを一日なんか振り返る時間とか作って、自分を一番大事にするっていうことをやっぱりやったほうがいいっすねこれは。
うん。そう。自分を大事にしたほうがいいと思います。
ね。じゃあ今日もね、自分を本当に大切にしながら過ごす一日を過ごしてほしいなと思います。じゃあいってらっしゃーい。
いってらっしゃーい。