完璧主義の問題
毎日が日曜日、暇人モーニング、略して、暇人ラジオ。毎日、素敵な誰かの名言から、朝を始めましょう。本日の名言は?
本日の名言は、完璧を追うより、出荷せよ。リーナス・トーバルズ、ソフトウェア開発者の方です。
これね、結構最近っていうか、ここ10年ぐらいトレンドっていうか、ソフトウェア系では、なんかトレンドの考え方な気がするんですけど。
あの、開発手法として、なんか作りながら考えるみたいなやつですか?
あ、ですです。プロトレ出しちゃうっていう感じですよね。だからもう、先に出しちゃうと、バグフィックスがされるから、みんなが使って、もうどんどん良くなっていけるっていう感じなんですけど。
これ、やっぱ最近の人ですかね。どうなんでしょうね。
この方は。
最近の人でしょうね。ソフトウェア開発者だからですね。
まあまあ、そうですね。少なくともコンピューターが生まれてからの。
あってからですよね。でもなんか、これってある種、なんかこう、結構みんなが、なんか許容しだしたみたいな感じもあるような気がするんですよ。
なんかまあ、許容しだした、それもしかしたら、日本人じゃない人たちがそういう傾向があるのかもしれないですけど。
なんかこう、ことこう、完璧主義みたいなとかが、まあなんかよく日本がこう、ちょっと遅いみたいな話の中でよくある構造だと思うんですけど。
なんかほら、完璧じゃないとミスだからダメですみたいな感じの人たちって考え方とかあるじゃないですか。
そうですね。日本は結構それ強いですよね。
強いですよね。まあまあ、だからまあクオリティが高いっていうとこはあると思うんですけど。
なんかアメリカ人たちとか、なんかまあ、ああああ、これちょっと壊れてるけど、まあ、ああ、ガーみたいな話になるのかな。
いや、わかんないですけど、まあ訴訟が多いからちょっとわかんないですけど。
でもなんかそういう、なんか失敗を容認するある種の土台、土壌みたいなのなんかありそうですよね。
そうですね。日本も多分それが合理的な時があったんでしょうね。
コミュニティの重要性
もう同じものをものづくりとして大量に生産するときは、ミスがないほうがやっぱいいっていうのもあると思いますよね。
ものづくりの国っていうのはちょっと強いかもしれないですね。
ああ、確かに確かに。まあでもそこでね、やっぱりすごい、今でもね、そこが品質がすごいからやっぱりすごいなと思うんですけど。
まあ確かにあるし、やっぱりなんでしょうね、やっぱこう、まあ品質がいいっていうのもと、また違うベクトルでこうやっぱりチャレンジして早く回していくとか、
いっぱい試していくとかっていうのはやっぱりすごく価値ありますよね、なんかね。
ちょっと前もありましたけど、考えるのはカンジロウ的なやつですね。
そうですよね。でもなんかやっぱこれって、なんかこうすごく、まあ本編でも前言いましたけど、あのコミュニティっていうかね、なんかこう容認されるっていうか、まあ自分たちがこう安心安全にやれるっていう場があるっていうことが前提じゃないと多分できないことだと思うんですけど。
確かに。安全な場ですね。
うん。なんか思い切って出してみようってね。まあみんなも許してくれるやろうみたいな話っていうか。
なんかこうやっぱ広い心があるっていうか、まあそういうコミュニティとかそういう場所があるっていうのはやっぱり、なんかやっぱ素晴らしいことだなーってなんかこれ改めて思いましたね。
確かに。そういう場所がある時点で、その方はかなりいいかもしれないですね。
まあでもそれもね、たぶんなんかこう作ろうと思って作っていくもんだと思うんですよ。
うーん、なるほど。
だからなんかほら、もう否定しないとか、受け入れてあげるとか、優しい声かけるとか、まあたぶんちょっとしたことだと思うんですけど、なんかね、今日そういうなんか周りの人とか家庭とか仕事場とかいろんなチームとかあると思うんですけど、そういうところでなんかそういう気持ちでこうちょっと大らかにね、なんかちょっとみんなを褒めたりするような1日だったりとか、なんかこうそういうコミュニティを作ろうっていう気持ちでなんか過ごしてもらうとね、ちょっとなんかいい1日になりそうだなと思いました。
確かに。心理的安全性は自分から作るものって確か言われてますからね。
お、また名言でしたね。
名言ですか。いや、これも誰かのどっかの本です。
じゃあ、岡田さんの名言を今日かみしめながら、皆さんいい1日を過ごしてください。
じゃ、いってらっしゃい。
いってらっしゃい。あ、僕の名言じゃないですよ。