2020-08-11 10:03

自我

自我
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ちょっとある日ですね、家族で時間を過ごしてたんですよ。
で、夕方ぐらいまで家族で過ごして、
で、それからちょっと仕事があるっていうことで出ないといけないと。
で、息子ね、何回このポッドキャストに出てきたかどうかわかんないんですけども、
最愛の息子トラノスケですよね。
トラノスケに、じゃあお父さんそろそろ仕事行ってくるねーっつって。
で、出かけようとしたんですよ。家を出て、靴を履いて家を出ようとしたら、めちゃくちゃ泣き出して、
うぇーんって泣き出したんですよ。
でも大丈夫よーっつって、お母さんおるもんねーっつって。
出るのお父さんだけやから、お母さんちゃんとおるから安心してねーっつって。
で、出て行こうとしたんですね。
でももうわんわんまだ泣くもんなんで、もうちょっと泣き止みそうにないっていうことで、
もう頼むわーっつって妻に言って。
もう時間もちょっとね間に合いそうになかったんで、本当に出ないといけない時間だったんで、
ごめん頼むわーっ、バイバイトラノスケーっつってパーンって出たんですよ。
で、車にパーンって乗り込んで仕事に向かってたんですね。
そしたら妻からLINEが入ってきて、
トラノスケはもっとお父さんと遊びたいよーって言ってたよーっつって。
で、また今度帰った時に遊ぼうねーっつって言ってたよーっていうのを妻からLINEが入ったんですよ。
で、それを見た時にですね、ちょっと複雑な気持ちになったんですね。
で、なんというか、
まあ、もちろん嬉しいわけですよ。お父さん大好きって言ってるわけですから。
お父さん遊びたいって言ってるから、
まあ嬉しいんですよ。
で、まあまあ同時に悲しいんですよね。
なんかこう一緒にいてやれないっていうことが。
で、この話ここで終わってもいいんですよ。
まあすごく普通のことですよね。
子供がお父さんいなくて寂しいよーって言ってるから、
愛されてるってことは嬉しいし、
悲しい思いをさせてるなってことは悲しいなっていうのは、
当たり前のことなんですけども、
なんか僕ちょっとここでいろいろ考えてしまってですね。
そもそも僕はトラノスケ、当たり前ですけど息子なんで、
元気に幸せに育ってほしいと思ってるんですよ。
で、そのトラノスケが幸せになるためには、
親である僕の幸せとかってどうでもよくて、
息子を幸せにするために僕は息子と接してると思ってるんですね。
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で、どうでもいいっていうのはさすがに語弊があるんでちゃんと言っておきますと、
お父さんが楽しそうに幸せそうに生きていないと、
子供も楽しくないだろうなって思うんです。
例えば楽しそうに仕事をしてるお父さんの方が、
子供もたぶんスクスクと育つし魅力的やし、
子供も将来楽しい仕事ができるようになればいいなとか、
仕事に対する嫌悪感とかっていうのは拭えるじゃないですか。
そういった意味でもお父さんが人生楽しく生きてた方が、
子供にとっても楽しく生きれると思ってるっていう意味では、
僕は楽しく生きていたいんです。
でもそれもこれも全て、今はですよ、
そのトラノスケの幸せのためだと結構思ってるところがあって、
トラノスケがいなかったら別にいいんです。
トラノスケが関係ないところでは全然自分の幸せのために生きていいんですよ。
競技を指す時の楽しい気持ちとかっていうのはトラノスケとは一切関係ないところで、
僕が勝手に一人で自分の人生にとって幸せだと思ってるので全然いいんですけども、
ことトラノスケに関しては僕の幸せとかあんまり考えてないです。
ちょっとワーリングド良い言い方になりましたけど、そう思ってます。
そういう意識で付き合ってきてるわけですよ。
ってことはですよ、トラノスケがわんわん泣くっていうことは、
僕嬉しいって思っていいんやったっけって思ったんですよね。
要はトラノスケと一緒にいれない、僕も悲しいですよ。
そしてそれに対してトラノスケも悲しいって思ってるっていうことが、
これ何が嬉しいって思っていいのかって自分でちょっと思ってしまったんですよね。
結局これで嬉しいって思う気持ちって完全に自分本位での感情なんですよ。
自分が愛されているという実感を得たいっていうトラノスケ目線に一切立ってない
自分本位だけの感情なんですよ、これ。
それを僕はいらないなと思ってたんです。
子供と接する上で自分がどうとか、自分本位の感覚っていうのはいらないなと思ってたんですけども、
俺それあるんやって思ってしまったんですよ、トラノスケに対して。
自我というか、自意識ですよね。
自意識というか、自愛というか、悪い意味での。
それを思った時にすごく複雑な気持ちになったんですよね。
滅死の精神というか、自分をなくすというか、
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全てトラノスケに捧げるという気持ちで僕は息子と付き合っていこうと思ってたのに、
そこに自分という存在がによって出てきた時に結構恐怖を覚えたんですね。
浅はかだなと。欲なんですよ、ただの欲。
しかもその欲望っていうのが、トラノスケに幸せになってほしい欲とかではなくて、
自分がただ愛されて満足をしたいっていう、本当に自分本位の欲だなって思ってしまったんですね。
もちろん僕、思うっていうのと行動するっていうのを完全に切り分けてるんですね。
つまり何か物事があった時に、こう思いたいように思うっていうのは人間できないなと思ってて、
コントロールできるのはあくまでも行動だけであって、脳みそでコントロールできるのはですね、
行動だけであって、思いたいように思うことって人間不可能だとは思ってるんですよ。
ここに関しては結構諦めてるところもまあまああります。
だから本当はこう思いたくないのになぁと思っていながら、
嬉しいなって思ってしまったっていうことはやっぱ否定はできないですよ。
これはもうコントロールできない部分で、心がそう言っちゃったっていうことなんで、事実なのでこれは否定できないんですよ。
ないんですけども、そんな自分が嫌だなって思ってしまったっていう感覚ですよね。
これっていろんなところであるなと思うんですよ。
例えば上司と部下の方が皆さん分かりやすいかもしれないんですけどね。
例えば、自意識が強い人ってどういう、自意識が強い上司だとどういう感情になるかというと、
頭では部下を育てる上で自分より優秀になってほしいんですよ、当たり前ですけど。
下を育てられる上司の方が優秀だし、下が育ってくれた方が上司としての格も上がるし成果も出せるじゃないですか。
自分の部署がいい結果が出せた方が上司としてはもちろんいいわけじゃないですか。
部下が育った方がもちろん上からの評価もいいわけですよ。
部長だったとして平社員がめちゃめちゃパフォーマンスを出したら、その部長は社長から褒められるわけですよね、当たり前ですけど。
お前のところの部下がよくやったな、お前の部署は最高だって言われるわけですけど。
頭ではわかっていても、たまに自意識が強すぎる部長っていうのが平社員が結果を出したことに嫉妬を覚える人っているんですよ。
これね、何をそんな馬鹿なことかって思うかもしれないですけども、これはね、人間で生きている以上相当意識しとかないと思っちゃう感情だと思うんですよ。
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なんかね、僕は部下に関してはさすがにそれはなくなったなと思うんですけども、これなくすのって多分意識するだけでは無理で。
多分、まず自分に自信がないと無理ですよね。
自分は能力でも評価されているわけじゃなくて存在でそもそも価値があるわけだから、能力的には部下に負けてもいいって思ってないといけないし、
あとは、証人みたいなものを能力でいただかなくても他のところでいただけるって自信がないといけないわけですよね。
だから息子に対してはまだまだ僕は未熟な部分があるなってまだ思ったお父さん歴2年です。
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